光の雨を、僕はいつか見たことがある。僕の腕にも泥のついた裸足にも、目の前で笑う君の顔にもふりそそいで、とても綺麗だった。一段と強い風が吹いて、君の瞳に光が揺らいだとき思った。  
これは、君が降らせているものだと。  
そう確信したくらい、君には光が似合っていた。  
リゼンブールはやっぱりいつもと変わらなかった。半日以上かけて着いた、なつかしい町。ええと、この前来たのはいつだっけ。僕はホームから故郷をぼんやり眺めながら考えた。兄さん達とばっちゃんに会いに来たのが、えーっと…  
「8ヵ月前だよ」  
ゴンと兄さんがトランクで僕の脚を突いた。  
「痛っ!…兄さん、角当たった、角!」  
「独り言全部聞こえてんだよ!腹へったしとろとろしてないでさっさと行こうぜ」  
苦痛に顔を歪ませた僕を尻目に、兄さんはずんずん改札口に進んでいく。兄さんの荒々しさに口喧嘩もよくしたものだけど、今は僕が何も言わないのは、これのせいだ。痛みの残る膝を見、僕はひとりでくすりと笑った。  
やっと、手に入れた僕のからだ。  
兄さんがくれたもの。  
少し前かがみになって膝を覗き込み、ポンポンとそこを叩いた後、僕は前を行く兄さんの小さな背中を追い掛けた。  
 
「アル…?ほんとに?」  
玄関を開けたウィンリィが、満面の笑みを消し去り呆然として尋ねた。  
僕は少しだけ間を開けて、大きくうなずいた。確かにそうだという自信を持って。  
「うわぁぁあーん!!」  
一気に涙をぼたぼたこぼし、ウィンリィは僕に思い切り抱きついた。予想はしていたけど脚がちょっとぐらつき、でもしっかりと受けとめた。懐かしい綺麗な金の髪と甘い匂いに、僕はかすかに笑みをこぼして、心の中でただいまを言った。  
 
作業着の上を脱いでいるから躊躇はしたものの、肩に手を回してから、ウィンリィのかすれた泣き声と鼻をすする音を聞いていた。ウィンリィがゆっくり顔を上げ、僕と瞳を合わす。  
「……おかえり」  
ウィンリィは泣き腫らした瞳を細めて、僕に笑顔を見せてくれる。胸が締め付けられた。  
「ただいま、ウィンリィ」  
心から喜んでくれる彼女に、僕は2度目のただいまを言った。  
ウィンリィが泣き止んだので、兄さんも玄関に顔を出して口を入れた。  
「この泣き虫が」  
「あ、エド!いたの?」  
「さっきからずっといるじゃねえか!」  
「ごめんねー、小さくて見えなかったわ」  
相変わらずの痴話喧嘩だ。  
 
言い合う2人からそっと抜け出して、2階の作業場へ向かった。ここまで聞こえる程ふたりは声が大きい。僕はやれやれ、と苦笑した。  
次は兄さんが、ウィンリィをなだめる番なのだ。それは暗黙でもわかっている。しばらくすれば、罵声も消えるだろう。そしてふたりきりで寄り添う。戻った手で彼女の手を握りながら。  
ドアを開けるとピナコばっちゃんが煙管をすっていた。でも、僕がドアの向こうに立ったままだったのがわかっていたみたいに、作業台にはコーヒーが用意されていて、ばっちゃんはその脇でいつもみたいに微笑んでいた。  
「…ばっちゃん」  
僕は涙がでそうなほどやさしいその光景にゆるく微笑み返すと、  
「やっと、帰ってきたねぇ」  
と、ばっちゃんは瞳をくしゃっとさせて言った。その言葉に、他の意味も含まれていることは僕もわかった。この数年間、僕は大事な人たちにこんな思いをさせていたのだ。  
「…ごめんね、ばっちゃん」  
 
ちょうど休憩どき、僕とばっちゃんはお茶をしながらゆったりと話をした。この8ヵ月の間の出来事。新しい機械鎧。村の知人について。外から帰ってきたデンも交えて、てろてろと会話は続いた。  
煙管のけむり。心のもやと似たそれは、気にしないよう努力していた僕を油断させた。  
「アル、お前ウィンリィをどう思うんだい」  
僕は瞳を見開いた。口からけむりを吐き出すばっちゃんのゆったりした仕草に、僕は尋ねた。  
「ばっちゃん、気付いてたの…」  
ははは、と小さな声でばっちゃんが笑うので、僕は苦笑した。  
「わからないわけないだろ。私の孫達のことなんかお見通しだ」  
デンの頭を撫でながら、ばっちゃんは窓の外の快晴に、なぜか寂しそうな瞳で微笑んだ。  
 
そして僕もまた、しんと静まり返った階下に耳をすませた。  
さっきまでこうするのが怖かった。今頃兄さんとウィンリィはあの木の下にいるに違いない。  
僕はばっちゃんの瞳の先にある青空に瞳を細めて、まぶしさを懐かしんだ。あの木も、あのときの空も、全部が今でも僕の宝物。君も、あの笑顔も。  
 
木はまだ屋根よりだいぶ低かった。  
僕と兄さん、ウィンリィが遊ぶとき、その木は手ごろな休憩所にもなっていた。家の近くではあるけれど、泥だらけの足ではすぐに入れないし、せっかく外で遊んでるからと、面倒臭がりの兄さんらしい発想のおかげで、僕達は木の下で涼むことを覚えた。ついでに木登りも。  
「げーっまた俺が鬼かよ!」  
「エドがじゃんけん弱いのがいけないのよ〜だ」  
「兄さん早く早く!」  
「うるせぇよ!いーち、」  
きゃーっと叫んでウィンリィは僕の手を取り走りだした。僕も大声で笑いながら、一緒に隠れる場所を探した。兄さんが二十数え終わる前にいい場所をみつけたのに、数分たっても鬼は来ない。兄さんは探すのがものすごく下手だった。  
「エド来ないねー」  
ウィンリィが茂みの中からがさっと出てきて、頭の葉っぱを払った。続いて僕も顔を出す。こんなにおおっぴらにしていても、兄さんは来なかった。  
 
見渡すかぎりの緑の大地には誰もいなかった。  
僕はウィンリィをそっと見つめる。可愛らしい顔を飾る、肩までの綺麗な髪が、ざあっと吹いた風に草と共になびく。ふいに瞳が合うと、僕は少し顔がほてり、あわてて口を動かした。  
「き、木の下で待っていようよ、暑いし兄さん遅いし」  
不思議そうなウィンリィにじっと見つめられて僕はどぎまぎする。舌がうまく回らない。  
「そうね」  
瞳を伏せて、しずかにウィンリィは言った。  
 
兄さんを探しつつ木にたどりつき、僕達は同時にため息をついて座り込んだ。  
それはふたりの疲れを表している。でも僕にはもうひとつの感情があるからだった。  
ウィンリィにも、あるのかな。こんな別の気持ちが。  
セミの声が頭上でわめく。木漏れ日の中、僕も彼女もただ黙るだけで、じっとしていた。時折ウィンリィは草をちぎったり石で土を掘ったりしたけれど、いらついているのはわかった。再び顔をのぞき見ると、今度はむこうが僕を見つめていた。  
 
僕は驚いて、そらす事もできずにしばらく見つめあった。  
ウィンリィは体育座りをして顔を曲げた膝にぴったりくっつけて、顔が横むきになっていた。すねた顔も、とても可愛く見えてしまう。  
「何でそんなに動揺してんのよ」  
予想外の質問だった。  
「べ、別にそんなこと」  
「ほら、やっぱりしてるじゃないの!」  
がばっと、ウィンリィが僕に至近距離で向き直った。うわわ、と僕は思わずからだを木にのけぞらせ、彼女から離れようとした。なのに、その顔はもっと近づいてくる。  
 
セミの声より鼓動が大きくて、ウィンリィにも聞こえてしまいそうだ。  
「あたし、何かした?」  
眉を下げて僕の瞳をのぞきこむ。鼓動が急にしずかになった。そんな悲しい顔をされたら、僕はもう隠せない。  
「…ウィンリィは、僕と兄さんどっちがすきなの」  
丸い瞳がきょとんとしたように静止した。冷静になった僕は真面目に彼女を見つめる。  
「…どっちって」  
ぺたんとその場に座り、機嫌の悪そうな口で言う。  
「どっちもすきに決まってんじゃない」  
「そうじゃない!」  
張り上げた僕の声に、一瞬彼女はびくついた。薄暗い木の下で、ぽつぽつした木漏れ日が美しかった。それは風で絶え間なくかすかに揺れ続ける。  
 
「僕はウィンリィがすき」  
「…っ」  
「ウィンリィのすきとは…違うんだよ」  
ざわざわ、僕達の木が揺れる。セミが飛び立つ羽音が聞こえた。僕は小さな光の中の彼女と、ただ瞳を合わせていた。  
知ってるんだ、僕だって。ウィンリィと兄さんは、かすか、本当にかすかだけれど、僕との間にはない何かがある。  
それが1ミリグラムの愛だとしても、兄さんたちはそんな仲だということなんだ。  
僕達はまだ小さいけれど、意識しない歳でもなくて、でも口に出すのには幼すぎた。  
 
ウィンリィは何も言わず、青い瞳をこっちに向けていた。じっとそらすことなく。  
木がとても大きく揺れたときに、僕は彼女に唇をくっつけた。いつも遊びでやるほっぺにではなく、唇に。なぜそんなことをしたのかわからない。でも、からだも心も同時に動いた。心臓はびっくりするほど落ち着いていた。そんな、自然な行為ではないのに。  
 
唇を離してから、もう一度ウィンリィを見た。  
瞳はさっきと変わらない大きさで、瞳に光を映している。  
そして笑った。僕ではなくウィンリィが、幼い澄んだ瞳で。その瞳は僕に笑ってと言っているようだった。  
だから僕は微笑んだ。この大切な女の子のために、僕は見守ろう。心から素直に、彼女の幸せを願った。なぜか、とても心地よかった。  
それきりお互い何も言わずに、デンと兄さんが駆けてくるまで、僕だけのこの時間を心に焼き付けていた。  
 
夕暮れが来ても、ばっちゃんと僕は話し続けていた。  
ばっちゃんは何でもわかっているような物腰であいづちを打ち、僕もすべてを話した。  
「ああ、すっきりした。誰にも言えなかったんだ、こんなこと」  
僕はちょっと大きな声で元気よく言うと、ばっちゃんはにやりと笑った。  
「なかなかやるじゃないか、アル。そんな小さいときにウィンリィのファーストキスを奪うなんて」  
「奪ってなんか、いないよー」  
僕は笑って言った。  
「だってファーストキスって、本当にすきな人とするものだもん」  
あのとき君が笑ってくれていなければ、僕は君と二度と喋れなかったかもしれない。気まずい仲になっていたかもしれない。  
君はこんな僕に笑ってくれた。だから僕はずっと、友達でいるよ。その笑顔のために、君を見守る幼なじみとして。  
「男じゃないか」  
心底楽しそうにばっちゃんが言い、席を立った。  
 
「夕飯の時間だね。あの子らも、そろそろ帰ってくるだろうよ」  
ばっちゃんはベランダに出て言った。僕も外を見ると、あの木の下からふたりが歩いてくるのが見えた。  
手はつないでいないけれど、幸せな笑い声は風にのって聞こえる。  
「今日はシチューだからね。手伝いな」  
「やたー!はぁい」  
僕ははしゃいで、階段を掛け降りた。  
 
あの光はまだ君に宿っているから。  
どうかずっと照らしていて。  
いつまでもその笑顔でいてね。  
ウィンリィ。  
 
おしまい  
 

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