ラッシュバレーは時たま天候がひどく不安定になる。  
「うひゃあああ!遅くなった遅くなった!しかも降った」  
 パニーニャは小降りの雨の中、小走りに街の通りを駆けていった。両腕に麻の袋や何  
やらの荷物を抱えている。  
 浅黒い肌と闊達な雰囲気を持つ少女だった。短めの黒髪を後頭部でひとつに括ってい  
る。年齢のわりに背が高かった。  
「まずいなー……これじゃ小麦粉が濡れちゃうよ」  
 ぼやく。こんな事になるんだったら織り目の細かい綿の袋でも持ってくるんだった。  
せっかくの挽き立ての小麦粉が湿気ってしまう。この袋を持って彼女が戻る先は悲しい  
ことに、このままでは日が暮れるまでに辿り着けないような山奥にあった。  
 サテラさんは今はとにかく大変な時期だ。ひとつにもならない子供を抱えていては当  
然だ。少しでも雑事の負担を軽くしてあげなければならなかった。そこで彼女は買い出  
しを申し出た。ごく自然な流れだ。  
 しかしパニーニャがレコルト邸を発つ頃には太陽が中天を過ぎていた。駆け出す彼女  
の背中に向かって、慌てた若奥さんは言ったものだ──「無理しなくていいのよ、日が  
暮れてしまったら街で一晩過ごしてきなさい、夜の山道は危ないから」  
 大丈夫大丈夫、すぐ帰ってくるから。自信たっぷりで飛び出してきた彼女は今、日も  
暮れかけた街中を慌てて走っている。日が暮れたことと天気の影響で、通りに人影は殆  
ど無くなっている。近道の裏路地に飛び込みながら、今更ながらサテラの先見が当たっ  
たのだとパニーニャは溜息をつかざるを得なかった。このまま雨が降り続けば、今日中  
に戻るのは多分無理だ。小麦粉屋で値切ったのが悪かったのか。乾物屋で値切ったのが  
悪かったのか。茶葉屋で値切ったのが悪かったのか。ああ、もう何でもいい。神様もう  
値切ったりしません。だからちょっとだけ、雨を降らせるのは止めてくれませんか──  
 そんな事を考えながら走っていたパニーニャは曲がり角に踏み込んだ時、不意に足元  
に抵抗を感じた。  
 
「えっ」  
 思わず足元を見た視界を差し出された誰かの足がぐるりと回っていった──そして彼  
女は真正面から、雨で濡れた地面に突っ込んだ。派手に飛沫が上がった。顔面をしたた  
かに打ち付ける。  
 我ながら凄い音がしたなあと一瞬思ったが、取り敢えずそんな事はどうでも良かった。  
がばっと起きあがり、手元を見る。  
「……あぁ」  
 彼女は絶望に打ちのめされた。案の定、小麦の入った麻の袋はびしょ濡れだった。こ  
れで小麦粉はおじゃんだ。背後を振り返る勢いに任せて彼女は怒鳴った。  
「何すんのよ!」  
 見上げた先には粗野な表情を浮かべた顔が3つほど──いずれも見覚えがない。  
「……何よ、あんたたち」  
「何よとはご挨拶だな」  
 下卑た笑みを浮かべて一人が言った。パニーニャは地面を蹴って立ち上がったが、そ  
の時既に、彼等はパニーニャの周囲を取り囲んでいた。3人の位置を確認しながら彼女  
は右手にダメになった小麦粉を、左手にはそれ以外のものを取り上げた。ぶら下げた袋  
の先から雫が滴った。  
 面倒なので、彼女は頭に緑色のバンダナを巻いた男をバンダナ、無精ひげを生やして  
いる長身をヒゲ、背の低い男をチビと心の中で呼称することにした。バンダナが言った。  
「いつかは世話になったじゃねえか。一年くらい前か」  
 ふと彼女は思い付いた。一年ばかり前と言えば多分、  
(もしかして、あたしに何かスられたりしたヒト?)  
 成る程、と彼女は納得した。スリを生業にしていた一年ほど前までは、彼女はかなり  
のペースで『仕事』をこなしていた。スられた方は大抵気づきもしないものだが、なか  
なかどうして。いや、その頃この街では自分はスリとして、そこそこ有名になっていた。  
 
もしかしたらスられたことは事実だが、誰にスられたかわからなくて、あたしに難癖つ  
けているのかも。  
 こんな連中、楽に捌ける。パニーニャは嘲笑するように微笑んだ。  
「おかしいな、この街のヒトには手ぇ出してないつもりだったんだけど。いや、お兄さ  
んたちがあんまりちゃらちゃらした恰好だったら、もしかしたら観光客と間違えたかも  
しれないけどさ」  
「ざけんな、このアマ!」  
 怒声を放ってきた──『スられたヒト』なのは確定のようだ。パニーニャは襲い掛か  
ってきたバンダナに向かって右手に持っていた小麦粉の袋を投げつけた。あまり大きな  
袋を買わなくて良かった。片手でも持ち上げられるし、何より金銭的損害が少ない。  
 顔面に直撃をくらってバンダナ男が倒れる。同時に視界の端に捉えていたチビに向か  
って回し蹴りを放った。当たりはしなかったが、チビは慌てて距離をとる。パニーニャ  
は瓦解した包囲を抜け出そうと足を踏み出しかけた。  
「うあっ!?」  
 突然、後頭部──紙を括った部分を思い切り引っ張られる。髪を全て引き抜かれそう  
な激しい痛みが彼女を襲った。二歩、三歩と後ろに引きずられる。多分あのヒゲの長身  
だろう。動きが思いのほか早かった。  
 躍起になって振り解こうともがく。蹴ってやろうと足を上げかけた時、突然身体が前  
に押し出された。  
 あっと思った時には利き腕を取られて組み伏せられていた。自慢の運動神経も組み伏  
せられてしまっては話にならない。油断した、歯噛みしてそう思ったとき、頭を掴んで  
持ち上げられた。耳元に生暖かい息が掛かった。  
「タダで帰れると思ってんじゃねえぞ、コラ」  
「──」  
 その時になって、パニーニャは初めて身の危険を感じた。背筋に走る怖気にパニック  
に陥りかけ、力の限り暴れる。  
 
「ふざけんな!離せ、離せ──ッ」  
 がつん、と音がした。パニーニャは目を丸くした。  
 自分の頭が地面に打ち付けられる音だった。呆然と地面を見つめる。額の鈍い痛みの  
中にピリピリとした痛みも混じっている。なんとなく、切れて血が出ていそうな気がした。  
 雨が激しくなっていた。  
 恐ろしいと思った。これから自分がどうなるのか、何をされるのか、ここまで来てや  
っと想像が追い付き始めた。嫌だ。怖い。怖い。怖い──  
 その時だった。  
「離せよ」  
 第三者の声が割って入った。  
 パニーニャは目だけで声のした方を見た。訝しむ。何だろう、この声どっかで聞いた  
ような……  
「あぁ?何だ、このガキ」  
 確かに子供だった。子供以外の何者でもないただの子供、という印象だった。  
 路地裏の入り口に、雨に打たれて立っている。この街ではあまり見かけない類の少年  
だった。年の頃は自分と同程度、金髪を短めに刈り込み、額には控えめに前髪を垂らし  
ている。肌の色がこの薄暗い中でもひどく白い。体格は中肉中背で、服装はTシャツの  
上にワイシャツを羽織りボトムはスラックスという、非常にシンプルな恰好だった。そ  
れなりの荷物を持っているところからして旅行者かもしれない。  
 どこまでも「普通」で形容できる容姿の中で、唯一強調できるのがそのやさしげな顔  
立ちだった。とてもではないが荒事に向いているとは思えない。それを見て取ったのか、  
チビの男が早速前に出る。  
「恰好つけてんじゃねえよ、ガキ。とっとと失せろ」  
 
「彼女を離せよ」  
 少年は同じ言葉を発した。その場の全員に凄まれて物怖じもしない。押し殺されて聞  
き取りにくかったが、やはり聞いたことのある声だとパニーニャは思った。しかし思い  
出せない。  
 少年は荷物を置くとゆっくりと一歩前に出た。闖入者に引き下がるつもりが無いらし  
いことを悟ると、チビは右拳を繰り出した。  
 少年は構わず踏み込んだ。左腕を上げると代わりに上体を沈ませ、首を少しだけ右に  
傾ける。左腕の甲はまるで添えるように、突き出されてきた相手の腕に当てられる。た  
ったそれだけでその拳は逸らされ少年の顔の左側を通過していった。同時に、脇にぴっ  
たりと握り込まれた右拳が突き出される。狙い違わず、拳はチビ男の腹にクリーンヒッ  
トした。強烈なカウンターだった。  
 その場の全員が絶句した。  
 チビ男が音を立てて仰向けに倒れた。それきりぴくりとも動かない。  
「この野郎!」  
 バンダナが怒鳴った。パニーニャは少年の動きを追いながら、記憶の何処かが覚醒す  
るのを感じた。あの戦い方には見覚えがあるような気がする。真っ先に思い出したのは  
エドワード・エルリック少年だった。人目を引く派手な立ち回り。しかし目の前の少年  
のそれは武術の理論に乗っ取り地道で地味で、エドワードとは正反対に近い。  
 少年はバンダナを無視してトンと地面を蹴った。殴りかかってきたバンダナの拳をか  
わし、こちらへ向かって来る。あまりに自然な動きだったので、その次に少年のとる行  
動をパニーニャは咄嗟に量りかねた。  
 パニーニャの目の前に少年の右足が降りた。頭上でヒゲが叫ぶのが聞こえる。  
「テメエ、それ以上近づいたら──」  
 次の瞬間物凄い音がした。やわらかくて重い砂の袋を思い切り蹴り飛ばしたような音。  
上を向けないパニーニャにも何が起きたのか想像がついた。少年がヒゲの側頭部を蹴り  
飛ばしたのだ。  
 
 目の前にナイフが落ちてきた。どうやらナイフを取り出していたらしい。どさりと音  
がして、隣にヒゲが倒れてくる。完全にのびていた。パニーニャは痺れた身体を引きず  
って立ち上がる。少年が完全に座った目をして呟くのが聞こえた。  
「まともにやればそれなりに出来そうだったのに、人質なんか取ろうとするからだよ」  
 半眼を残る一人に向ける。バンダナの戦意は目に見えて落ちていた。パニーニャと少  
年を交互に窺いながら後退る。既に相当の及び腰で、いつ逃げようかと算段を立ててい  
るところに見えた。  
 少年が一歩踏み出した。  
「ひ、ひぃ、助けてくれ!」  
 情けない声を上げて踵を返そうとする。その襟首を少年の左手が捕らえた。  
「ダメ」  
 少年は片足を軸にしくるりと反転した。素早く相手の服を両手でしっかりと握り、相  
手の背中に自分の背中を密着させ、相手の身体を自分のそれで持ち上げる。そのまま、  
一気に下まで叩き落とした。その投げ方は通常組み合った状態でやるものだったが、投  
げられる側が後ろを見せていたために、哀れバンダナ男は顔面から地面に叩き付けられ  
る羽目になった。衝撃に動けないバンダナに向かって少年は言った。  
「受け身もまともに取れないの?」  
 無茶な事を言う台詞にも関わらず、冷ややかな声だった。その左足がすっと上がった。  
「女の子に乱暴したら──」  
 腹の底から響く怒声だった。パニーニャははっとした。  
「その子は一生、傷付いて生きてかなくちゃいけないでしょう!?」  
 
 ドン、  
 
 踏み抜く。パニーニャは思わず首をすくめた。  
 
 彼の踵は正確に相手の胃の部分を踏み抜いていた。バンダナは泡を吹いて失神した。  
うわ、痛そう。流石に少し同情したが、呼吸を見ると内臓を傷付けられたということも  
無さそうなので、まあいいかと放っておくことにした。パニーニャは少年を見た。  
 少年は二度大きく、深呼吸をした。顔を上げて身体全部を雨に当たるような仕草をする。  
彼はパニーニャの買い物袋を拾い上げ、中を覗くと残念そうな表情をした。その理由は  
パニーニャにも分かった。さっきまでの乱闘でぐちゃぐちゃになっているのが外から見  
ても分かる。こちらに袋を差し出しながら少年は言った。  
「歩ける?」  
「……」  
 差し出された袋を受け取ってパニーニャは呟いた。  
「アル……アルね?」  
 アルフォンス・エルリックは、その言葉を肯定するように微笑んだ。  
 
「でもびっくりしたよ!自分の中でどうしても声と恰好に違和感があってさ。なかなか  
気づけなかった」  
 パニーニャは興奮してまくし立てていた。両手を一杯に広げて、以前の彼の体格を幾  
ばくかでも再現してみせる。  
「だってこんなに大きい鎧着てたんだもの。って言うか、不可能?縮んだ?今になって  
エドに似てきたとか。あ、でも今のアルでもあたしと同じくらいだから、あたしより低  
かったエドの方がまだちっさいか!あはははは」  
 エドワードが聞いたら制裁確定な台詞群を大声で吐く。彼女の額には絆創膏が一枚貼  
り付けられていた。良い意味でも悪い意味でも大雑把な性格のパニーニャはそういった  
ものを殆ど持ち歩かない。アルフォンスの持ち物だった。  
「いやまあ、その辺は色々事情があって。いずれ話すよ」  
 そのアルフォンスにあっさり男三人を伸した時の残滓は欠片もなく、丸い目を伏せた  
り開いたりしてよく笑っている。どこからどう見ても気の優しい少年にしか見えない。  
 
以前の鎧姿の所為で第一印象は厳ついひとというのが強かったが、あの頃もやはり話し  
方や態度とのギャップに驚いたものだった。本来はこういったひとなのだろうと思う。  
「あ、エドといえば」  
 パニーニャはぱちりと瞬いた。  
「エドは?一緒に来てないの?」  
「兄さんはリゼンブールに帰ってる。今はウィンリィと一緒のハズだよ。ここにはボク  
一人で来たんだ」  
「ふーん」  
「今は来れないけど、いつか絶対来るって言ってたよ。それより」  
 アルフォンスは苦笑した。  
「今日中にドミニクさん家に顔を出したかったんだけど、思ったより時間無くって……  
ちょっと無理かなって思ってたところなんだけど、パニーニャは?」  
「あたしはご覧の通り、買い物に出て来たんだけど。雨には降られるは不良には絡まれ  
るはでもう散々」  
 空を見上げる。陽はとっくに落ちていたが、分厚い雨雲の所為で月も見えない。サテ  
ラさんに言われたとおり、これは今日中に帰るのは無理だろう。  
「こりゃ素直に一晩何処かで雨でも凌いだ方がいいかな」  
「何処かって?」  
「何処かって……適当に。雨除けにはどっかの家の軒先でも借りりゃいいかなって」  
「……」  
 アルフォンスはこちらに咎めるような表情を向けてきた。  
「ダメだよ、女の子が一人で野宿なんて」  
「ダメって言われても」  
 今までずっとそうしてきたんだし。そう口に出さなくても、アルフォンスには伝わっ  
たようだった。アルフォンスは強い口調で「ダメ」と言った。  
 
「ボク、この先のホテルにチェックインしてあるんだ。まだ空き部屋あったみたいだし、  
パニーニャの部屋も取れると思うよ。一緒に行こう」  
「でもあたし、そんなお金持ってないよ」  
「ボクが出すから」  
 さも当然という風に、無造作にこちらに手を差し出す。パニーニャは有り難く申し出  
を受けることにし、その手を握り返す。  
 実を言うと、パニーニャは以前のアルの方が好きだった。昔、自分のちいさい頃のド  
ミニクさんの背中は大きく見えた。その所為か、背中の広い人が好きなのだ。そういう  
人と一緒にいるとなんだか安心する。  
 今のアルフォンスの背中は以前の半分にも満たない。  
 しかし残念には思わなかった。助けてくれたときのアルフォンスはこれ以上ないくら  
い頼もしかった。それで充分だった。  
 パニーニャはアルフォンスと歩く雨の中を楽しんだ。  
 
 
「……」  
 アルフォンスは心中で溜息をついた。  
 正直、パニーニャが襲われているところを発見したときは心臓が止まりそうになった。  
その時感じた焦燥と寒気、怒りが頭の隅から離れない──ややもすると警告することさ  
え頭からふっとび、パニーニャに怪我をさせた連中を、問答無用でボコボコにしてしま  
いそうだった。  
(いけないいけない、ボクまで兄さんみたいになっちゃ)  
 咄嗟にそんな事を思って自制したが、あんな兄を持っていなかったら本当にやってい  
たかもしれない。いやまあ、充分ボコボコにはしたのだが。  
 
 そしてパニーニャにも、腹が立った。あんな事があった後で平気で野宿するなどと言  
える神経は普通ではない。今すぐ正座させて、たっぷり三時間は説教してやりたかった。  
その無神経さが只の性格なのか、何か理由があるものなのかは、アルフォンスにはわか  
りかねたが。  
 パニーニャの手を握った手に力を込める。自分の手が思った以上に熱を持っているこ  
とに、アルフォンスは驚いた。そして同時に納得もした。  
 鎧の身体だった頃、恋人が欲しいと何回か思ったことがある。自分も年頃の男だとい  
うのは自覚していたからそれ自体はどうということではない。  
 問題は、それが鎧のままでは叶わぬ夢だったということだ。  
「……」  
 アルフォンスはわずかに息を吸った。明いている方の手を握り、また開く。長い旅の  
末やっと、自分は元の身体を手に入れた。  
 手にいれた心臓に手をあてた。どくん、どくんと早鐘を打っている。元に戻ったとき、  
この鼓動を感じたときには、涙が出るほど嬉しかった。手の熱さと鼓動が、自分の思い  
を代弁していた。  
 ずっと欲しかった彼女がパニーニャだったらいい。  
 振り返るとパニーニャが「?」という表情をしている。雨に打たれているのに体が熱い。  
赤面した顔を見られないように、アルフォンスは前だけを向いて歩き続けた。  
 
 
 アルフォンスに連れてこられたホテルはメインストリートからかなりはずれており、  
今が観光シーズンでは無いことも手伝って、客はあまり入っていないようだった。  
 二人は取り敢えずシャワーを使って体を温めた。パニーニャは湯のシャワーなんて  
久しぶりだと喜んだが、同じくシャワーを使い終わって廊下で出会ったアルフォンスも  
なにやらとても幸せそうに見えた。曰く「久しぶりのシャワーは何度使っても気持ち良い」  
のだそうだ。よくわからなかったが、なにしろ幸せそうだったので突っ込んで  
尋ねるのはやめておいた。  
 食事中の話は弾みに弾んだ。どちらも屈託無くよく話すタイプなので、相手の話が  
終わればこちらが即座に次の話題を持ち出す、ということが繰り返された。結果、  
目の前の料理はすっかり冷めてしまった。しかし二人とも全く気にせず平らげた。  
 部屋に戻るときは手を打ち合わせて「また明日」「うん、また明日」と笑って別れた。  
今日は本当に楽しかった。そう思った。  
 ──なのに。  
 
「……どうしてこんな嫌な夢見るかね……」  
 大きく息を付く。膝に肘をつき組んだ手を額にあてて彼女は呻いた。  
 ベッドの上はシーツも掛け布団も滅茶苦茶だった。相当暴れたらしい。元々寝相が  
よい方ではないが、今日は異常だった。解いていた髪を手で梳いてすこし整えると、  
パニーニャは窓の外を見た。雨が降り続いていて正確な時刻はわからないが、床に  
入ってからあまり時間は経っていないように思えた。  
 時々昔の夢を見る。生きている方が不思議だったあの頃だ。  
 
 パニーニャは腕をさすった。ふと現実的な感覚に目覚める。  
「──寒いなあ……」  
 足の付け根が軋む。  
 この辺は寒暖の差が天候に左右される。日が照っているときは暑いが、雨が降ると一転して  
肌寒くなる。夜半となれば尚更だ。  
 脚に触れる。ひやりとした感触が掌を伝わってくる。ドミニクさんのくれた機械鎧。大丈夫、  
あたしは歩ける。あの時とは違う。身体を引きずって手と腕で歩いていたあの頃とは違う。  
 
 アルフォンスは真夜中の訪問者を迎えて内心頭を抱えた。  
(どうして、どうしてこんな時間にそんな恰好で、よりによってボクの所に来るんだよ!)  
 ホテルの支給しているワンピースの形をした寝間着の襟元から胸の谷間が覗いている。  
パニーニャはまるきり悪びれない様子でこちらに向かって手を合わせてきた。  
「ね、ちょっと怖い夢見ちゃってさ。一緒に寝かせてよ」  
 悪童のような誤魔化し笑いに、アルフォンスは初めてこの少女をぶん殴りたくなっていた。それも力一杯。  
 惚れた相手がその気もないのに夜中部屋に忍んでくるというのはあまりにタチの悪い冗談だった。  
「部屋に戻るんだ。パニーニャ」  
「どうしてよ」  
「いいから!」  
 怒鳴ったとき、タイミング悪くばったりと目が合ってしまった。  
 彼女は一向に部屋を出ていこうとしなかった。捨てられた子犬のような目に、アルフォンスの  
彼女に対する反発心はあっという間に萎えていった。  
「……もういい」  
 ベッドから降りると掛け布団をパニーニャに押し付ける。  
「ベッド使いなよ。ボクは床で寝る」  
 短く言うとパニーニャを今まで自分が寝ていたベッドに押しやる。その際背中を押す感触を  
生々しく感じてしまい、アルフォンスは感覚があるという幸せも状況によりけりであることを  
認識せざるを得なかった。それでも何とかその拷問に絶え、彼女に背中を向けてその場に  
ごろりと横になる。彼はタンクトップとハーフパンツしか身に着けていなかった。肌寒かったし  
床も硬かったが、手も出せないのに一緒のベッドで寝るよりは遥かに気が楽だった。  
 
 戸惑うような視線を背中に感じる。振り返ってはいけない──。アルフォンスは強く自分を  
戒めた。後一度でも彼女の顔を見てしまったら、自分を押さえきれる自信が無かった。  
 雨の音が響いている。パニーニャはその場を動く様子がなかった。冷たくしすぎたかと  
不安になってきた頃、足音と衣擦れの音が聞こえた。しかしそれはベッドに向かうのではなく、  
こちらに向かって動いてきた。えっと思った瞬間、すぐ背後でかたんと膝を付く音が聞こえた。  
「…ねえ、どうして怒ってるの?アル……」  
 これまで聞いたこともない不安げな声だった。  
「あたし、何か悪いコトしたかなぁ……」  
「……!」  
 自分の中の何かが怒りと共に爆発した。  
 気が付くと、アルフォンスは自分の下にパニーニャを組み敷いていた。床に倒れる音の一瞬  
後に、パニーニャの髪が扇状に広がって彼女の輪郭を埋めた。あまりに無防備な表情。それを  
真正面で見たときには、躊躇いも自制も吹き飛んでいた。  
 アルフォンスはパニーニャの唇を奪った。  
「!んっ…」  
 パニーニャは驚き、逃げるように顔を背けようとするが、アルフォンスは彼女の顔に手をかけて  
それを封じた。舌を絡め、歯という歯を蹂躙して貪るように口内を犯す。パニーニャの口元からは  
受け止めきれない唾液が伝いあごを濡らしたが、アルフォンスは一向に唇を放す気配を見せなかった。  
執拗な責めに、息継ぎをするのがやっとのパニーニャの身体からは徐々に力が抜けていった。  
 長い長いキスの後、アルフォンスはゆっくりと唇を放してパニーニャを見た。押さえ付けた手からの  
抵抗はわずかだった。免疫のない彼女にとってはキスだけでも充分に抵抗力を奪うものになっていた。  
 アルフォンスはパニーニャを押さえ付けたまま身動きひとつしなかった。快感の名残が脳髄を支配し、  
身体の芯にピリピリと残っていた。しかしそれと同時に氷水を頭から浴びせかけられたような恐怖が  
湧き起こっていた。血の気の引いた身体の中で、口付けしていた唇と身体の中心だけが燃えるように熱かった。  
 
 パニーニャは呆然とアルフォンスを見上げていた。その表情に、アルフォンスは歯を食いしばった。  
絶望と後悔の念が身体中を支配していった。のろのろとあごを掴んでいた手を外す。拳を握りしめて  
アルフォンスは叫んだ。  
「──こうなるって事、わからなかったわけじゃないだろ!?」  
 街角で三人のチンピラを相手にしていたときも。こうして夜、男の部屋に来たときも。  
「なのにどうしてそんなに無防備なの!怖くないの!?傷付くのは君なのに──」  
 それが免罪符であるかのように、アルフォンスはあらん限りの怒りを吐き出した。それが彼女の為  
なのか、彼女にこれ以上嫌われたくない自分の為なのか、もう解らなくなっていた。そして、泣きたい  
気持ちになっていた。  
「もっと、自分を大事にしてよ……」  
 こんなのは言い訳だ。言う資格のない台詞だと思った。今彼女を傷付けようとしているのは他ならぬ  
自分自身だ。いや、違う。既に自分は彼女を傷付けた。それでも最後の期待を捨てきれずに彼女を押さえ  
付け続けている自分が浅ましかった。  
 パニーニャは我を取り戻したように瞬きをした。アルフォンスは気まずくなって目を逸らした。そのため、パニーニャの薄い唇が微かに動いたことに気づかなかった。  
「怖かった」  
 声が聞こえてからはっとして視線を戻す。こちらを真っ直ぐ見ていたパニーニャと目が合った。  
「怖かったんだよ、あの時だって。でも怖いと思うまで、あたしにはそれが怖いものかどうかわかんないんだ。  
あんな事になるまで、自分がどうなるか、なんだか想像がつかないんだ。今だって……だから、今は  
危険に鈍感な自分が一番怖い」  
「……」  
「夢」  
「え?」  
「あたしが列車事故で両足を無くしたって話したっけ」  
 アルフォンスは目を丸くした。  
「……うん……ウィンリィから聞いた」  
 
「嫌なこととか、怖いことがあるとね。時々見るんだ。両足が無かった頃のこと……楽しいこともあっても、夢を見るときは嫌なことが優先されてしまうのが悲しかった」  
「──」  
 アルフォンスは沈黙した。何か言わなければと思ったが言葉が出てこなかった。パニーニャの言葉に  
自分自身の経験が重なった。  
 自分は眠ることも出来なかったから悪夢を見ることはなかったが、兄が時たまこんな雨の日にうなされて  
いることがあった。心配になって揺り起こすと、兄は青ざめた顔で目を覚まし、その後は決まってこういった──  
気にすんな、雨の日は機械鎧の継ぎ目が痛むだけだから。しかしうなされて切れ切れに聞こえる寝言に  
「かあさん」という単語が混じっていたのを聞いてからは、その言葉はいかにも虚しいものに聞こえた。  
 身体を取り戻すと決めた後の自分達はひたすら前に進み続けた。前向きに行きようと必死になった。  
怖いものも失うものも、もう何も無いと思った。それが錯覚であることはすぐに思い知ったが、それでも自分達にとって最大の原動力であり、同時に最も心理的な重圧となってのしかかっていたものは、自分達の原点ともなった幼い頃の一件だった。こうして身体を取り戻した今になっても、あの出来事は頭の中から離れない──おそらくパニーニャにも同じ事が言えるのだろう。自分に最も影響を与えた恐ろしい出来事は容易にそれ以外のものへの恐怖感を薄れさせる。自分にだって彼女のことは言えないのだ。実際兄と二人で、一番最初の過ちをあがなうために、何度も死を覚悟するような危地に飛び込んでいったのだから。  
 兄だけがこの街へ来ないことは、兄とウィンリィと三人で話し合って決めた。理由はパニーニャがいることに他ならない。腕と脚を取り戻した兄が何の前触れもなく、一生両足が戻ってくることのないパニーニャの前に現れることは避けなければならなかった。エドワードは生まれた赤ん坊のことをとても気にしていたし、ウィンリィを後見してくれたドミニクに対してもきちんと顔を見せて礼を言わなければならないこともわかっていた──意地っ張りな兄は決して口には出さなかったけれど。そこでアルフォンスだけがここへ来た。折を見て、レコルト家の人々にはその事を話さなければならなかった。そしてパニーニャにも。  
 
パニーニャには二度と会わないという選択肢も兄は提示したが、それに反対したのは他ならぬアルフォンスだった。 
パニーニャはそんなに弱い子じゃないよ、そんな気の遣われかたをしたら彼女はきっと怒るだろう──そう言った。 
ウィンリィもそれに加勢し、最終的には兄をしぶしぶながら納得させた。それは半分間違いで、半分は正解だったのかもしれない。  
 彼女の一見したところの明るさと陽気さにすっかり騙され、表面しか見ていなかったのかもしれない。いくばくにもならない年頃に列車事故に遭い、両足を失い、ドミニクに出会うまで一人で生きてきたとなれば、トラウマにならない方がおかしい。  
 それでも彼女は自分の人生の中のそれを肯定しようとしていた。そうなってしまったものは仕方ない、これからどうするか、どんな行き方をするか。それに終始している目をしていた。やはり、自分達兄弟と同じように。  
 アルフォンスはその目に強く身体の芯を灼かれた。落ち着きかけていた鼓動がまた音を立てて早くなっていった。  
「今日見たのがアルの夢なら良かったのにね」  
「パニーニャ…」  
 パニーニャは肘をつくと上半身を起こした。顔が触れる寸前まで身を起こすと顔を上げて視線を合わせる。  
「ねえアル、あたしのこと守ってくれる?もう怖い夢を見なくてすむように」  
「──うん」  
 偽らざる本音だった。パニーニャはそれを見て安心したように微笑んだ。  
「そう……良かった」  
 パニーニャはゆっくりと顔を近付け、アルフォンスにキスをした。唇だけのキス。頭が真っ白になる。  
「……!」  
 これが女の子のキスなのだということを認識した瞬間、唇が離れていった。パニーニャは床に押さえ  
付けられている右手を視線で指した。  
「放して、ね。……逃げたりしないからさ」  
 一瞬、そのままの意味のその言葉を捉え損ねる。アルフォンスは正直戸惑った。嫌われたと思っていた。  
「……いいの?」  
「うん。アルなら」  
 緊張した面持ちでそれでも笑ってみせる。  
「……あ、それとも、怖いとか?怖じ気づいた?」  
 それは彼女自身の気を紛らわすための軽口だったのだろうが、それが結果的にアルフォンスに  
火を付けることになった。  
 
「……っ!」  
 かっと頭に血が上る。そこまで言われては引き下がれない。  
「途中で嫌だって言っても止めないからねっ!?」  
 ぱっと立ち上がると彼女を横抱きにしてひょいと持ち上げる。そのままベッドまで運んでいって  
寝かせると、パニーニャは再び上半身を起こした。ぎこちない手つきで胸元のボタンに手を掛ける。  
「待って。今、服脱ぐから……」  
「いい」  
 否定の言葉をかけると、そのまま肩に手を掛けて押し倒す。どさりと音がした。パニーニャが目を丸くした。  
「ボクが脱がせるから」  
 前開きのワンピースのボタンを外すと片手を滑り込ませ、その下の柔らかい膨らみに触れる。  
(……うわ。女の人の胸ってこんな感じなんだ)  
 アルフォンスは猫が好きでよく撫でたり触ったりするが、その猫の肌みたいにふにゃふにゃしている。違うのは皮だけがつまめる猫と違って、それ自体が柔らかいことだ。パニーニャの身体がぴくんと痙攣した。もう片手で服をはだけさせると双丘が露わになる。  
「パニーニャって胸、おっきいよね」  
 言いながら両手で触れる。パニーニャは顔を真っ赤にして目を逸らした。  
「走るときとか、っ、ちょっと邪魔であんまり好きじゃないんだけど……」  
「僕は好きだよ、大きい胸」  
「んっ……!」  
 乳首に吸い付くと声があがった。恥ずかしげに身をよじるパニーニャを見て身体の中にともった灯が大きくなる。  
乳首を舌の上で転がすように舐め、もう一方をつまんで捻る。嬌声に泣くような声が混じった。  
「やだっ、そんなことされたらっ」  
「こんな事で恥ずかしがってたら、最後まで行けないじゃないか。……訊くのが遅くなったけど、初めて?」  
 訊かれたパニーニャはちいさく頷く。アルフォンスは笑った。  
「そっか。じゃ、パニーニャの初めての相手がボクって事になるんだ」  
 半ば予想できた答えだったが、やっぱり嬉しい。愛撫の手を休めずに会話をするとパニーニャの声は途切れ途切れになる。  
「っ……アルは、どうなのさ……」  
「ボクもだよ」  
 
 なにしろ十歳を過ぎてすぐに鎧だけの身体になっていたのだから。そんな自分が、初めてなのに  
やる(べき?)ことがわかるというのは、雑誌やら何やらでそっちの知識が手にいれやすいと言う  
こともあるのだろうけど、やっぱり本能みたいなものがあるんだろうか──そんな事を考えながら  
額にキスをしようとすると、貼ってあったままの絆創膏が邪魔だった。器用に歯でつまみ引き剥がすと、  
かさぶたになった切り傷が現れる。ぺろりと舐めるとパニーニャがくすぐったそうに身じろぎした。  
額、頬、鎖骨と順番にキスを落としていく。胸に触っていた手を下へ移動させると、またパニーニャの身体が跳ねた。  
(お腹とか脇とか、意外に感じるんだ)  
 へえーと感心しながらさらにまさぐってみる。されている方はたまらないらしく、手を動かすたびにシーツを強く握りしめて身体を震わせている。切なげな表情。パニーニャって普段は男の子っぽいけど、余裕無い時ってちょっと可愛くなるよね……。そう思ってついにやにやしてしまう。見咎めたのか、パニーニャは涙目でアルフォンスを見上げた。  
「何、笑って……っ、ふあっ」  
 下腹を探ると彼女の言葉は途中で途切れてしまった。下まで続いているボタンを更に外しながら手を進ませる。  
その先へ行くのには少しだけ勇気が要ったが、触れてみたい欲求の方が遥かに強かった。  
「やあっ、ダメ、そこはダメっ!」  
 抗議の声を上げてこちらの手を止めようとするパニーニャの手を逆に掴みかえす。額が付くくらい顔を  
近付けると、アルフォンスはわざとにっこり笑って見せた。  
「嫌だって言ったってやめないよ。そう言ったでしょ?」  
「っ……!」  
 恨めしげに見上げるパニーニャ。その隙にショーツの下へ手をもぐり込ませる。  
 くちゅ…  
「ひゃあっ!?」  
 恥部に入り込んだ異物にパニーニャが可愛らしい悲鳴を上げた。指を入れた所からぬるぬるとした液体が  
溢れ、指を動かすたびにその量は増えていくようだった。  
「凄い、ほら……こんなに濡れてる」  
「やぁ……!」   
 パニーニャは必死に掴まれている腕に逆にすがりついて耐えている。でもそれもしばらくの間だけで、次第に身体から力が抜けていく。  
「ふぁ、あっ、あ」  
「気持ちいい?」  
 
「っ、あ、そんなこと……っ」  
 とろんとした瞳でそんな事言っても説得力がない。指を増やして激しく動かすと、びくびくと身体を震わせて身体を仰け反らせた。  
「あ、あ、あっ!」    
 ひときわ大きく一度身を震わせると指を締め付けて、パニーニャの全身から力が抜ける。指を抜いて  
外気に晒すととろりとしたものが付いてきた。少し思案してから、思いきって口に入れてみる。形容しようのない味が口の中に広がった。  
「まずくはないよね。うん」  
「ちょ、ちょっと……」  
 息を整えかけたパニーニャが顔を真っ赤にしてこちらを見ている。「何してんのよ」と言わんばかりの表情だ。  
アルフォンスは「見たまんまだけど」という表情をつくって返す。  
「もうちょっと舐めてみてもいい?」  
「えっ……」  
 言うが早いか、アルフォンスは彼女の服を完全にはだけさせるとショーツに手を掛けた。咄嗟に止めようとするパニーニャの手を押しのけ、ショーツを引き抜く。太腿を抱えて冷たい金属にキスをすると、感覚の無いはずのパニーニャの脚が少し震えた。生身の脚と機械の足の継ぎ目にもキスをして、暖めるように掌でさする。足を開かされた羞恥心からか、震えるパニーニャの声が聞こえた。  
「やっ、アル、くすぐったいっ……」  
「雨の日は痛むんでしょ?」  
「う……うん……でも」  
 
 パニーニャのそれを見るのは初めてだけれど、兄の腕や脚ならよく見ていた。人間の身体にそうでないものをくっつけてある、接合部分はいつも見ていて痛々しいと、そう思う。この痛々しさには何度見ても慣れない──  
 しかし同時に、この脚が彼女を救っている。だから、  
「せめてこのくらい、してあげたい。いいだろ?」  
 頬を当てると冷たい脚に火照った頬が冷やされていく。いいよ、このくらいいくらでもあげる。ボクがパニーニャの足を暖めてあげる。ボクの体温を全部あげてもいい。  
 開いた足の中心には花弁が花開いている。アルフォンスは躊躇いもせずそこに口づけた。  
「っ!」  
 触覚が無くても神経は繋がっている機械鎧の脚は、跳ねるように動いてパニーニャが快感を感じていることを伝えてきた。生暖かい舌で花びらを舐め、強く吸い上げる。そのたびに雨音に混じって、しかし雨音とは明らかに違う卑猥な音が響いた。  
「はん、あ!やあぁ、あっ」  
「ん……パニーニャ、可愛い……」   
 脚を撫でながらさらに何度か口付けする。パニーニャの声と反応が楽しくて、色んな所を舐めたり、時々指を使って蜜の溢れる割れ目を押し広げたりした。割れ目の上の突起を指で摘んで皮を剥ぎ取ると、その下の赤く充血したものが空気にさらされる。その刺激にパニーニャの腰がびくんと浮いた。  
「な、何っ……!?」  
「こうすると、もっと気持ちいいんでしょ?確か」  
「あっ、待って……あぁああっ!?」  
 敏感さを増した突起を指で摘んで擦るように動かし、反論を封じる。パニーニャは狂ったように上擦った声を上げ続けた。耐えきれない快感の波を、身をよじらせシーツを握りしめることで何とかやり過ごそうとしている。そんな乱れた彼女さえも可愛いと思う──いや、乱れているから可愛いのか。もっと声を上げさせたい、乱れさせたい、無意識の嗜虐心がちらちらと顔を覗かせる。柔らかい秘裂に再び指を差し入れて動かすと、パニーニャはもう殆ど身動きのとれない身体をわずかに痙攣させるだけだった。  
 
「っ……!アルっ……あたし、もう……」  
 その声に、視線をパニーニャの顔に戻す。彼女は受け止めきれないほどの快感で朦朧としているようだった。顔を近付けてみると、彼女はふっと我にかえったように瞬きした。  
 その唇が微かに動いた。  
「ありがと……アル」  
 その一言に、欲望に溺れかけたアルフォンスの意識が引き戻される。身体に残る余韻に身を震わせながらも、パニーニャははっきりと自我を保っていた。アルフォンスの頬に手を添えて囁く。  
「あたしの脚まで愛してくれて……」  
「……パニーニャ」  
 たしかに脚を失うことがなければどんなに良かったかもしれない。未だに自分の足で走り回ることも出来たかもしれない。しかし、彼女は未だに一人だったかもしれない。ドミニクやリドルやサテラ、あるいはエドワードやアルフォンス、ウィンリィ、その中の誰一人にも出会っていなかったかもしれない。  
 彼女にとって機械鎧とは失った脚を思い出させる辛い存在ではなく、むしろこれらの人々と巡り合わせてくれた大切な身体の一部だった。彼女が抱えている辛さは脚が無く、助けもなく、たった一人でいた頃の思い出だった。  
そこから救い出してくれた機械鎧は、どれだけ痛々しく見えても、彼女にとっては愛するものだったのだろう。  
「アル……大好きだよ、アル」  
「ボクだって……」  
 三度、キスをする。今度はおずおずと彼女の方から舌を絡めてくる──主導権を奪ってしまいたい衝動に駆られるが、敢えてリードされるままにしてみる。舌の動きがリアルにわかる。するよりされる方がずっと感じるかも知れない……。  
パニーニャのことを可愛いと思うと同時に、その刺激は今のアルフォンスにとってはあまりに中途半端だった。その気持ちを読んだかのように、突然パニーニャが唇を離した。  
「……アルも、気持ちよくなりたいんじゃないの?」  
「え、うん……でも」  
 正直に頷くが、同時に少し口ごもる。  
「女の子の初めてって、痛いだけなんでしょ?」  
「うん……そう言うね」  
 
「だったら」  
「アル。アルの気持ちは嬉しいけど」  
 アルフォンスの言葉を遮ってパニーニャは言った。  
「折角こういう仲になれたのに、あたしばっかりして貰うのは不公平だよ」  
 額をくっつけて喋る。甘い息がアルフォンスを刺激した。  
「あたしに痛い思いさせるのが嫌なら、痛くなくなるまで付き合ってよ。ね?」  
「……それって、またしてくれるってこと?」  
「当たり前でしょ」  
 恥ずかしそうに、それでもはっきりと口にする。アルフォンスは意を決した。  
「うん…わかった」  
 体を離すと、身に着けているわずかな服を一息に脱ぎ捨てる。下半身は自分でも信じられないほどに硬く膨れあがっていて痛いほどだった。彼女をぎゅっと抱き締めると呟く。  
「いくよ」  
「うん……」  
 パニーニャが静かに目を閉じた。アルフォンスは開きかけた入り口に先端を当て、行き来させて蜜を塗りつける。  
それからゆっくりとあてがい、挿入を始めた。  
 先端が秘所に飲み込まれる。それだけで全身に甘い痺れが走った。  
「んっ……!」  
 パニーニャの吐息が聞こえた。  
 最初は狭くてとても入りそうにないと思っていたが、前戯を充分行った所為か、溢れる愛液に思ったよりずっとスムーズに入って行く。しかし同時に強い力に締め付けられ、今にも押し負けそうだった。きつさに顔をしかめながら、それでも腰を沈めていく。  
 パニーニャは必死に声を押し殺していたが、それでも完全に押さえきれていなかった。一度動きを止め、もう一度入れ始めるとそれを境に、小さな悲鳴と共に大きく喘ぎ始める。  
「つっ、アル、アルっ」  
 パニーニャの両手がアルフォンスを求めて伸ばされる。アルフォンスはその手を取ると自分の背中に導いた。回された手はしっかりとアルフォンスを抱き締めて放さなくなった。少しずつ深く入れていくたびに背中の爪痕が増えていった。  
 
 難儀しながらもどうにか挿入を全部終えた時、パニーニャはまだアルフォンスの首にかじりついたまま動かなかった。  
とても一気に貫くなんて出来なかったが、もしかしたらそっちの方が彼女にとっては痛くなかったんだろうかと不安になった。  
「パニーニャ、大丈夫?」  
「あ……はぁ……」  
 荒い息を付くパニーニャに声を掛ける。痛みを紛らわしてやれないだろうかと耳たぶを舐めてみると、パニーニャがぴくんと反応した。うっすらと目を開ける。  
「うん……大丈夫……」  
「動いてもいい?」  
「……まだ、ちょっと……」  
「わかった。待つ」  
「ありがと……」  
 ほっとした表情が余裕の無さを示している。本当はすぐにでも動きたかったのだがこらえた。ゆっくりと背中をさすってやると、それに反応したのかパニーニャはようやく固く組んだ腕を解いた。彼女の上半身を静かにベッドに寝かせる。  
そこまでしてやっとアルフォンスも息を付いた。  
 暫くすると落ち着いてきたのか、パニーニャの息が穏やかになってきた。髪を梳いてやるとその手を彼女の手が取る。  
その両手はアルフォンスの手をぎゅっと握りしめてきた。  
 潤んだ瞳。どうしようもなく可愛いと思った。  
「もういいよ……アルの好きなように、して」  
「……」  
 アルフォンスは大きく息を吐いた。パニーニャとは逆に自分の息が荒くなってきているのを嫌と言うほど感じる。ここまで、これ程パニーニャを傷付けないよう気を付け続けてきたのに、ここからの自分の行動は間違いなくその労力を全て泡に返す。そのくらい自分の内で大きくなってきた衝動は激しく、また抑えがたかった。自分が劣情を持っていることは認めていたつもりだったのに、いざこうなった時それがこんなに自分を占めてしまうものだなんて思ってもいなかった。  
情けないと思う。パニーニャが許してくれるだろうことはわかっていたけれど。  
 手をぐっと握り返す。自分を抑えることに全神経を集中しているアルフォンスの、それは謝罪の印だった。彼女は解ってくれただろうか──その思いを最後に、アルフォンスは辛うじて握りしめていたひとかけらの理性を手放した。  
 
「……っ!?」  
 パニーニャは突如襲ってきた痛みに身を震わせた。彼女の中を容赦なく引き裂くような激痛は、間違いなくアルフォンスの激しい動きによって起こるものだった。  
「っ、あ!ああ、あっ!!」  
 「痛い」という単語は辛うじて飲み込んだものの、思わず悲鳴を上げる。しかしアルフォンスの動きは止まらなかった。  
彼の一番奥底の何かのたがが外れたように、ただひたすら突き上げてくる。その度に肌と肌のぶつかり合う音が繰り返され、意志に反して身体が持ち上げられた。ぼろぼろと涙をこぼしながら、パニーニャはアルフォンスの腕にしがみついて必死に痛みを堪え続けた。  
「はっ、あ!……っ!──」  
 痛みが続き過ぎて熱さに変わり始める。朦朧とした瞳でアルフォンスを見上げると、眉をひそめ息を荒らげて、一心不乱に行為に没頭していた。  
 気持ち、いいの──?  
 それまでの自分と似ているだろうと思える表情を浮かべているアルフォンスを見てパニーニャは思った。絶対的な快感に抗おうとしても抗えない、そんな業を感じる。今している行為には邪魔だろうに、パニーニャの頭の横に付いた両手に彼女がすがっても、はねのけたりしない。  
 大丈夫だ、彼は快感の中でもあたしを愛してくれている。それを感じ取った瞬間、パニーニャは言い様のない昂揚を感じた。その瞬間から突き上げられるそれに痛みとは別の何かが混じる。  
「っ、あ……ふあ……!?」  
 痛いだけだった今までとは違う声が口をついて出る。何これ、痛いはずなのに……そう思ってもその声は抑えきれずに唇から漏れ続けた。突かれている奥のもっと奥が熱を帯びて、その声を出させている。パニーニャはいつしか苦痛だけでなく、今の肉体からはまだ感じられないはずの快感を享受していた。  
「アル!アル……っ」  
 無意識のうちに名前を呼ぶ。もう一度アルフォンスの背中に、脇の下から手を回す。更に激しく突き上げられるが、それ以上に新しく生まれた快感をもっと感じたかった。あたしはアルが好き。アルもあたしを好きでいてくれている──  
その感覚が彼女に痛みを越えた何かを与えていた。  
 
「っ……!パニーニャっ!」  
 アルフォンスも片手をこちらの背中に回して応えてくる。気が遠くなっていく中で触れ合った肌だけを拠り所にして、パニーニャは痛みと快感に耐え続けた。アルが気持ちいいなら、こんなのいくらでも我慢できる。そう思ってしっかりとアルフォンスを抱き締めた。  
 何度も何度も背中を反り返らせ、その度に張り裂けそうな、そのくせぬるぬるとした下半身の動きと水音が、わずかに残った羞恥を呼び覚ました。今にも力の抜けてしまいそうな身体はがくがくと震えながらアルフォンスの動きを受け入れている。声はもう声にならず、吐息としてアルフォンスの肌を叩くだけになっていた。  
「──!────……っ!」  
 ひときわ強く突き上げられた瞬間、びくんと全身を強張らせ、パニーニャは声もなく慟哭した。頭の中が真っ白に塗りつぶされる。急速に意識が遠ざかった。  
 アルフォンスに触れている身体の感覚を最後に、パニーニャはすっと目を閉じた。  
 
 
 雨足が遠のいていく頃には、少年と少女は身を寄せ合い、静かにベッドに横たわっている。しかしまだ眠ってはいなかった。  
 アルフォンスは長い長い話を終えた。恐る恐る尋ねる。  
「……怒った?」  
「怒った」  
「あ、やっぱり」  
 パニーニャはすっと目を細めるとおもむろにアルのほっぺたをつねる。  
「あたしを舐めてるね、あの豆坊っちゃんは」  
「ひてててて。痛ひ痛ひ」  
 抗議の声にアルフォンスの頬を解放する。元々強くつねっていたわけではなかったのでアルフォンスは少し頬をさすっただけですぐに弁解の言葉を口にした。  
「兄さんはよくよく自分を基準にして物事を考える傾向があるから……でも、パニーニャのを思ってのことなんだよ」  
「わかってる……でも」  
 パニーニャはアルフォンスの手をぎゅっと握った。握った手は心なしか震えていた。  
 
「アルたちの苦労を、あたしはもしかしたら一生知らなかったんじゃないかって事の方が怖い」  
「……」  
「良かったね……本当に良かった。あたしは前のアルも好きだったけど、アルが本当に望んでいた事が叶ったんならそれが一番嬉しい」  
 パニーニャのそのたった一言が、自分の全てを受け入れてくれる証拠になっていた。アルフォンスは手を握り返した。  
パニーニャはくすぐったそうに笑って言った。  
「道理で。なんか親近感あったんだよね、エドって。何ていうの?からかいたくなるっていうか」  
「それって兄さんの方はいやがりそうな親近感だなあ」  
 そう言って笑うアルフォンスの顔を見て、パニーニャはふと不安げな表情をした。  
「……アルがあたしのこと好きになってくれたのもエドの所為かな?」  
「……」  
 アルフォンスはゆっくりと、正直に言葉を紡いだ。  
「……最初はそうだったのかも知れない。ボクは昔から兄さんといつも一緒だったから。でも、今は自分の中ではっきりしてる。パニーニャと兄さんは違うし、一緒にするつもりもない」  
「安心した。あたしも白状するとさ」  
 パニーニャは照れたように頬を掻いた。  
「ドミニクさんのこと、ちょっとだけ好きだったんだ」  
「うん……なんとなくわかってた」  
 アルフォンスは厳めしい顔を思い出し思わず苦笑した。  
「そうするとボクの恋敵がドミニクさんってことになるのか。なんか複雑だなあ」  
「なら、あたしのライバルはエドだ。いつかの決着、サシでちゃんと付けないと」  
「……そのいつかのことを思い返してみるに、兄さん勝てそうに無いなあ」  
「だからってあたしは手加減しないよ。奪ってあげる、アルのこと。エドからさ」  
 パニーニャは何のてらいもない笑顔を見せた。アルフォンスは彼女の胸のつかえを取り払ってあげられたような気がして、たまらず微笑んだ。  
「じゃあボク、ウィンリィに機械鎧の整備くらいは習ってみようかな」  
 その言葉の意味がわからず不思議そうな顔をしたパニーニャにアルフォンスは告げた。  
「ドミニクさんから、パニーニャを奪えるように」  
 

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