心って一体、何処にあるのだろう。
空っぽの鎧の中で、ボクは「心」一つで生きている。
この世の全てのものを此の手で触れる事ができても、結局心は自分の頭の中から出ていくことは出来ない。
ならば、自分が生きている世界と言うものは、人が眠る時見る夢とどう違うと言うのだろう。
本当は、自分の生きている世界こそ「夢」なのかもしれない。
……ほら、目を閉じれば
ボクが、
キミが、
「世界」が消える――
「……アル? 聞いてる?」
「えっ?」
アルは自分の名を呼ぶ声で、我に返った。視線を下げると褐色の肌をした黒髪の少女がじっと顔を覗き込んでいる。
少女の名前はパニーニャ。機械鎧の聖地、ここラッシュバレーで知り合った。両足に機械鎧を付けているのに身軽で、知り合った頃は観光客相手にスリをして生計(たつき)を立てていた。今は改心し、高所での仕事をしているらしい。
何故、アルがラッシュバレーにいるかというと。
先日、ラッシュバレーにて修行中のウィンリィからエドに、新しい機械鎧が出来たから取り替えに来いとダブリスに電話があったのだ。エドがその為にラッシュバレーに行くというので、アルも便乗して付いて来たと言うわけである。
しかし、エドとウィンリィの事を邪魔するわけには行かないので、アルは自分達が出産に立ち会ったドミニクの孫の顔を見に行くと理由を付けパニーニャとそこへ向かう途中だった。
「ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
「はっはぁ〜ん、アル。エドとウィンリィの事が気になるんでしょ?」
「えっ!?」
アルは、パニーニャの言葉に驚きの声を上げた。
「ち、違うよ! 兄さんとウィンリィの事なんて……まぁ、違う意味で気になるけど……」
「違う意味?」
「うん、ほら、兄さんって不器用だし、ウィンリィも素直じゃないところがあるだろ? だからいつもすれ違いばかりで……。小さい頃、兄さんを嗾ける意味で『ウィンリィはボクがお嫁さんにする!』って言って大喧嘩した事があったんだ」
「へぇ〜。で、どうなったの?」
パニーニャは自分の話を中断させてしまったアルを咎めもせず、アルの話に聞き入ってやる。まぁ、パニーニャも実際の所、エドとウィンリィの話に興味があった、と言うだけなのだが。
「ボクの筋書きではその喧嘩にボクが負けて、兄さんにウィンリィを……と思ってたんだけどね」
「違ったの?」
「……喧嘩はボクが勝っちゃうし、兄さんの前でウィンリィにプロポーズまでさせられたんだけど……結局、ウィンリィの『バカじゃないの、二人とも』の一言で一蹴されちゃって」
「あはははは! からかわれてると思われたんだ!」
「う〜ん……どうなのかな〜」
アルは、鎧の頭をポリポリと掻いた。パニーニャはその様子を自分の頭の中で再現させているらしく、お腹を抱えて苦しそうに笑っている。
「……でも、アルはお兄さん思いだねぇ」
笑い過ぎで目に溜まった涙を拭いながら、パニーニャはアルを見た。
「えっ、そ、そうかな?」
「そうだよ〜。エドも、だけどね〜」
「……この世でたった二人の兄弟だしね……。ウィンリィやピナコばっちゃんや師匠やシグさん、メイスンさんとか家族みたいな人達は沢山いるけど、やっぱり血が繋がっているのは、ボクには兄さんだけだし」
「……そうだね」
その言葉に、パニーニャはふと寂しそうな笑みを浮かべた。自分には、そのたった一人すらいない。けれど、自分にはドミニクたちという家族みたいな人達がいる。それで十分だと思っている。
そうこうしながら歩いているうちに、ようやくドミニクの工房にたどり着いた。
「あら、パニーニャ! それに……」
「お久しぶりです。アルフォンス・エルリックです」
いち早く二人の存在に気がついたのは、ドミニクの息子の嫁、サテラ。その腕には、あの赤ちゃんが抱かれている。
「まぁ、わざわざダブリスから? 今、お茶を用意するから待ってて」
「あ、お構いなく」
外が騒がしくなったのが気になったのか、工房からドミニクの息子リドルが顔を出す。
そして、二人の顔を見ると人懐っこそうな笑顔を向けた。
「やあ、パニーニャに……」
「アルフォンス・エルリックです。お久しぶりです、リドルさん」
「久しぶりだね、こんな山奥までわざわざ来てくれたのかい?」
「ええ、あの時の赤ちゃんの顔が見たくなって……兄さんの私用に便乗して来ちゃいました」
そう言いながら、リドルと再会の握手を交わす。リドルはその言葉を聞いて、キョロキョロと当たりを見回した。
「そう言えば、キミのお兄さん……エドワード君……だっけ、見ないね」
「兄さんは新しい機械鎧を付けてもらいに、ウィンリィの所にいます。兄さんも一緒に来たがってたんですけど」
「そうだったんだ。ウィンリィちゃんもよく親父の工房を覗きに来ては喧々囂々やってたからね。前よりもいい機械鎧ができたんじゃないかな」
そう言ったリドルの視線の先には、相変わらず無愛想な面持ちのドミニクがいた。サテラに呼ばれて休憩がてら外に出てきたのだろう。
「……なんだ、今日はあのボウズはいないのか」
「ええ、とっても来たがってたんですけど」
「ふん……まぁ、前よりはマシな筈だから、あのボウズの背もちったぁ伸びるんじゃないか?」
「あ、あはははははは。だと……いいんですけど……ね」
ドミニクの容赦ない言葉に苦笑しながら、エド本人がここにいなくてよかったかも……と、アルは内心ほっとした。
そして、本来の目的であるあのときの赤ちゃんを見せてもらうことにした。サテラの腕の中で、安らかに眠る無垢な命。
「うわー、かわいいなぁ。それに大きくなってる〜」
「うふふ、本当にあっという間よ。一日一日大きくなってるって分かるの」
「やっぱり、お母さんって……女の人って偉大だなぁ」
言いながら、アルは人差し指で握りしめられたままの赤ちゃんの小さな手に触れた。その瞬間、赤ちゃんはアルの指をきゅ、と握り返して来たのだ。感覚こそないのに、アルの中に不思議な感覚が込み上げてくる。
「赤ちゃんって生まれたときにね、宝物を握りしめて生まれてくるんだって。だから、こうやって赤ちゃんのときはその宝物をなくさないようにずっと手を握りしめているんだって、聞いたことあるんだ」
パニーニャも赤ちゃんの顔を覗き込み、アルと同じように人差し指を赤ちゃんに握らせてそう言った。
「宝物……かぁ……。うん、そうだね」
アルとパニーニャは顔を見合わせて、笑い合う。その一瞬、パニーニャの目には鎧の姿ではなく、元の姿に戻った『人』としてのアルが見えた。
そしてドミニクの工房を離れ、ラッシュバレーの町へ戻る途中。
パラパラと落ちてくる滴が、いつしか雨へと変わり始めた。
「あ……雨! ここは天気が変わりやすいんだからな〜も〜〜」
「どこか、雨宿りできる場所を探そう」
「じゃあ、いつもの所で」
パニーニャはそう言うと、道を逸れ岩山の奥へと歩を進めた。
「いつもの所って……パニーニャ?」
アルは先を行くパニーニャの後を、慌てて追う。パニーニャにとってこの場所は歩き慣れた場所であり、庭同然だ。そして、この土地の天候の特徴もよく知っている。
「ここ、ここ。鉱石の採掘跡。いつも途中で雨に降られたらここで雨宿りするんだ。いい場所でしょ?」
パニーニャが指を指した先には、岩肌にぽっかりと空いた穴。しかし、近くに寄れば、アルでも余裕で入れるほどの大きな穴だった。穴に入ると、空気が変わるのが分かる。
「ちょっと、寒いし薄暗いけど我慢してね」
「大丈夫。ボクにはそう言う『感覚』ってないし。パニーニャの方が心配だよ」
アルはいつもの通り言ったつもりで、『感覚』の無い自分を卑下したり卑屈になって言ったわけではなかった。が、パニーニャにはその言葉が違う意味に聞こえたらしく、座りこむアルの上にどっか、と乗っかって来た。
「わっ、パ、パニーニャ……?」
「ねぇ、アル……本当に自分には『感覚』って無いと思ってる?」
「は? ど、どういうこと?」
その問いの答えは、押しつけられたパニーニャの唇によって与えられた。勿論『感覚』が無いので、アルはパニーニャが自分に口づけをしている、などと思いもしなかったのだ。
触れられた鎧の部分がぬくもりを持つ。
パニーニャの息づかいが聞こえる。
ようやく、パニーニャが自分に『口づけ』を与えていると分かった時、眼前まで迫っていたパニーニャの整った顔がすっと離れていった。
「パ……パニーニャ……?」
「――分かる……? 今、あたしがアルに何をしたか……」
「えっ、それは……その……」
アルは『キス』と言う言葉を言うのが何だか恥ずかしくて、ゴニョゴニョと口ごもった。また、パニーニャの顔がゆっくりと近づいてくると、前よりも強く触れる。
感覚は無いはずなのに、どうしてかパニーニャの触れてくる部分が熱を持つように感じた。そして、確かに、アルの中で『何か』が疼き始めている。
「キス……した。分かった? あたし、アルに――」
「うん……分かったよ」
アルは言いながら、パニーニャの頬を撫でた。パニーニャはその手を取り、自ら頬を擦り寄せる。こうしているだけでも、何かが違う。張りつめていたモノがゆっくりと解けていくような、不思議な気持ち。
「ねぇ、アル……感覚って、感触、痛み、熱さ……そう言うモノを感じるだけのものなのかな」
「え?」
「嬉しいとか、悲しいとか……好きとか……感情も感覚の一つじゃないの?
『感じる』って肉体とか表面上の事だけじゃなくて、もっと奥の……それこそ『魂』で感じる事じゃないのかな……」
アルは、パニーニャの言葉にはっとした。
愚かしいまでに、パニーニャの言う「表面上」に固執している自分。
元の身体に戻る意志は変わらないけれど、それを手に入れる為に、そして、元の身体を手に入れた時、『アルフォンス・エルリック』と言う人間で在るために、一番必要なモノを忘れかけていたのだ。
あの日から、幾つもの辛いや悲しい嬉しいを感じてきた――この『魂』で。
「ねぇ……だから、その魂で……あたしを感じて、アル――」
「パニーニャ……」
パニーニャは頬に当てていたアルの手を、自分のタンクトップの中へと導いた。
肌を滑り、張りのある乳房がアルの手の中に丁度収まる。
「触って……?」
初めて聞く、パニーニャの艶めいた声にアルの思考はそこで止まった。
導かれるまま触れた乳房を、自分の意志で掴んでみる。パニーニャはタンクトップを下着ごと捲り上げ、もう片方の手も触れるように促した。両の手でパニーニャの乳房をやわやわと揉んだりしてやると、パニーニャの息が上がり始め時折短い声が漏れる。
雨足は更に強さを増し、今二人は完全に外の世界から切り離された空間にいた。
「っ……アル……」
「パニーニャ……可愛い」
アルは、掴んでいた両方の乳房を掬い上げるように持ち中心へと寄せる。そして、親指の腹でそっとその頂きを撫でた。瞬間、パニーニャの体がピクンと跳ね声が漏れる。
「っあ、アル……っ」
パニーニャの褐色の肌は、もたらされる愛撫に上気し色づいてくる。それが、妙に艶めかしく感じた。
指で胸の頂を弄び、片方の手は導かれて下の方へ伸ばされた。アルが触れやすいように、パニーニャが少し腰を上げた。
淡い茂みをかき分け奥へと指を滑らせると、其処は既に愛液で濡れそぼっている。感覚はなくとも触れると聞こえる淫靡な音が、それを証明していた。
「ん……んあっ、あん……」
「凄く……濡れてる……」
敏感な花芯をそっと撫で上げ、アルは内緒話をするようにパニーニャの耳元で囁く。それが羞恥を煽るのか、パニーニャの上気した表情が更に朱に染まった。
「だって……凄く……気持ちいい……あ……はぁ、んっ……」
もう一度、花芯を擦り中指を中へと入れた。始めは入口を刺激するように、指を第一関節まで入れそれから何度も入れては出しを繰り返す。やがて、パニーニャが焦れているのが分かると、奥まで一気に貫いた。
「うあっ……アルぅ……っああん」
「ごめ……痛かった?」
「ううん……大丈夫……」
アルは少しパニーニャの様子を見ながら中に入れた指を何度か挿入を繰り返し、指を曲げて中の襞を擦る。場所を変え、探るように何度か繰り返していくと、ある一カ所でパニーニャが大きく体をしならせて反応した。
「あああん! アルぅ……っ、其処、ダメぇ……」
「ここ、いいんだ……」
「いっ、あ……っああん、ダメだったら……はぁんっ」
アルの首根にしっかり抱きつき、ふるふると腰を振るわせるパニーニャ。中に入れる指をもう一本増やし、本格的に挿入を繰り返し始めるアルの動きに合わせ、自ら腰を動かす。
荒い息、甘い喘ぎ、アルとパニーニャを繋ぐ部分から動きに合わせて響く、淫猥な水音。
このとき、アルは『有りもしない』心臓が高鳴り、『あるわけもない』男の部分に血が集まり熱を帯びていくのを感じた。
「あっあっあっ、あぅ……うん、アル……っ……はぁ……っ、イク……っ」
「パニーニャ……! ボクも……っ」
――あり得ない事かもしれない。
けれど、パニーニャが中の指を締め付け絶頂に達したと同時に、アルも目の前に閃光が走り得も言われぬ高揚感が自分の魂を包み込むのを感じたのだ。
『イク』ってこういう事なのかな、と高揚感に包まれ思考のまとまらない頭でアルはそう思った。
――いつの間にか、雨は上がっていた。
最終列車の時刻の少し前。
「じゃ、あたしはここで……」
「え、あ……うん。今日はありがとう」
ラッシュバレーの町へと戻ってきたアルとパニーニャ。パニーニャは駅舎近くで、歩を止めると俯いたままそう言った。アルもそれ以上、何も言わない。
「お別れの、握手!」
言いながらすっと差し出して来たパニーニャの手を、アルは引き寄せて抱きしめた。
「又、会いに来るから。お別れなんかじゃないよ。だって、ボクとパニーニャは体よりもっと深い……そう、『魂』で結ばれた仲じゃない」
「……うん、そうだね。アル……又、会いに来てね。早く、元の体に戻れるといいね」
「うん。絶対に戻るよ。その時……また……ね」
「じゃあね!」
パニーニャは明るい声で言うと、振り返らず飛ぶように走り出しあっという間にその背中は暗闇に消えて行った。
そして、しばらくするとパニーニャと入れ替わるように赤いコートを着たエドが走って来た。
「すまねぇ、アル」
「ううん、新しい機械鎧、どうだった?」
「え? あ、うん。すげぇいいよ。これなら今度の組み手ではオレが勝ちそうな気がするな!」
エドはふふん、と新しい機械鎧をアルに見せびらかしながら言う。アルはそのエドの表情に何処か吹っ切れたような清々しさを感じ、ウィンリィと上手くいった事を悟った。
「そうだといいねぇ〜。じゃあ、明日は組み手からだね」
「おう!」
言いながらクスクスと笑うアルの表情が何処か変わった気がして、エドは首を傾げた。
「……アル、お前も……なんかあったのか?」
「え? 別に……。兄さん『も』って何? 兄さん、ウィンリィと上手く行ったんだ」
「え!? い、いや? オレは……何にも……」
アルのツッコミに、エドは目を逸らし言い淀む。アルはその態度自体が『何か』あったことを物語っているんだと言うことは、あえて口にしなかった。
満天の星空の下、アルとエドを乗せた最終列車がダブリスへと向かっていった。
(終劇)