閉じた瞼の裏の暗闇に閃光が走った。  
「どうぞ、目を開けてください」  
静かな声にうながされ、深呼吸して彼はゆっくりと瞼を開く。  
最初に見えたのは、不安げな表情を浮かべた彼女だった。  
「中尉」  
呼ばれ、リザ・ホークアイの鳶色の瞳が見る間に潤む。  
「…大佐」  
「おい見えてんのかよ、大佐」  
震えながら呼びかける彼女の声を、無遠慮な少年の声がかき消す。  
首を巡らせて室内を確認し、  
「ブレダ、ノックス先生、ドクター・マルコー、ファルマン、フュリー、鋼の、…君は、アルフォンスか」  
彼はそこにいる全員を一人ずつ指さしながらそれぞれの名を呼んだ。  
ロイ・マスタングの瞳が光を取り戻したことを確認し、室内に歓声が満ちた。  
「やったぜ大佐!」  
「ほんっとに見えてるんですね」  
「これでまた東方司令部に戻って来れますよ」  
「もう大佐にこきつかわれなくていいと思ったんだがなぁ」  
ある者は素直に喜び、ある者は照れ隠しに軽口をたたく男たちの輪からリザはさりげなく離れて目元をぬぐう。  
その様子に気付いたアルフォンスが兄の上着の裾を引いた。  
「兄さん、僕たちそろそろ部屋に戻らないと」  
「あーもうすぐ消灯だもんな。じゃまたな、大佐」  
エドワードが弟の車椅子を押して退室する。  
それをきっかけに一同が何となく静まりかえる中、ロイは座っていた椅子から立ち上がった。  
「ドクター・マルコー」  
数歩下がった場所で喜びに沸く仲間たちの様子を見ていた恩人の前にひざまずき、その両手を取って額を押し当てる。  
「感謝する。貴方と、…失われしイシュヴァールの民の命に」  
マルコーの医療錬金術の実力を奇跡レベルにまで引き上げ、ジャン・ハボックの断ち切られた脊髄神経をつなぎ  
ロイ・マスタングの光を失った瞳を元通りに癒すことに成功して崩れ去った「賢者の石」は、  
イシュヴァール出身の軍人たちの命の結晶だ。  
 
あまりにも多すぎる犠牲の上に、今の自分が在ることを絶対に忘れるなと刻み込むように思いながら顔を上げると  
厳しい光をたたえたマルコーの瞳がそこに在った。  
うなずいて、ロイは再度誓いの言葉を述べる。  
「約束しよう。私は全力をかけて、イシュヴァール復興政策を成功させる」  
今は軍により閉鎖されている聖地を開放し、スラム街に追われたイシュヴァール人たちを故郷へ戻し、  
破壊されかけた文化を保護し、生活レベルを引き上げ、アメストリス人に植え付けられた偏見を無くしていくこと。  
「是非、あなたにも協力していただきたい」  
「喜んで尽力しよう」  
二人の男の手が力強く握り交わされ、新たな絆が生まれる。  
立ち上がり、ロイは部下たちに力に満ちた瞳を向けた。  
「すぐに忙しくなるぞ、覚悟しておけ」  
「アイ・サー!」  
声を揃えて敬礼し、軍人3人はなんとなーく目を見交わした。  
「じゃ、昨日みたいに看護婦さんに追い出される前に失礼しますよ」  
「俺らも帰りましょうぜ、マルコーさん」  
「そうですね。マスタング大佐、明日の朝あらためて主治医の先生に目の件を説明しに伺いますので」  
先に出て行った医者2人に続いてどやどやと出て行きかけて振り返り、  
「中尉、大佐が早速女の子と遊ぶために抜け出さないよう見張っててくださいね」  
そう言いながら、フュリーが入り口側にいるリザにだけ見えるように握り拳の親指を立てて見せた。  
 
 
現アメストリス軍部は、中央にいた将官のほとんどがその命もしくは地位を失ったため混乱を極めている。  
さらに多くの負傷者が出ているため軍病院はフル回転。  
病室も看護と護衛に裂く人手も全く足りていない。  
しかし、「約束の日」中心人物であり盲目となっていたロイに護衛をつけないわけには行かないため  
彼の副官の経験があるリザが特例的につきそい兼護衛として同室になったというわけなのだが。  
たいてい朝からエルリック兄弟かマスタング組か見舞客が来ているため、二人きりでいる時間はほとんどない。  
…そう、やっと二人きりだ。  
 
リザはもう一つのベッドの方に振り返った。  
「大佐」  
ベッドの縁に腰掛けたロイが呼ばれてこっちを見る。  
その黒い瞳がまちがいなく自分の姿をとらえていることを確認して、また泣きたい気持ちになりながら歩み寄る。  
向かい合って手を伸ばした。少しこけたほおの輪郭を指先でたどりながらささやく。  
「…見えて、ますね」  
「ああ」  
君が今泣き出しそうになっているのがちゃんと見えているよ、とからかわれても反発する気持ちは起きない。  
事実だから。  
「良かった…」  
視界が揺らいで、あふれて、ほおを滴がつたって落ちた。  
ロイの指が次々にこぼれる涙をぬぐい取る。  
どちらからともなく顔を近づけ、唇を重ねて、廊下を近づいてくる足音にさっと体を離した。  
ロイがそそくさとベッドに入って目を閉じて、リザが自分のベッドに腰掛けるのと同時にドアが3回ノックされる。  
「お変わりはありませんか?」  
担当の看護婦がドアから顔をのぞかせて問う。  
ブラシで髪を梳きながらそっちを向いてリザはにっこり笑う。  
「ええ、何も」  
「じゃあ消灯ですので、電気消しますね。おやすみなさい」  
入り口の横のスイッチを押し照明を最小限に落としてドアを閉めて看護婦は次の部屋に向かう。  
深く深く安堵のため息をつきながらブラシを床頭台に戻して顔を上げると体を起こしたロイがベッドから出るところだった。  
こっちに来る彼のためらいもよどみもないその動きに、ああ、本当に見えるようになったんだと実感する。  
さっきとは逆に、ロイがリザの前に立ちほおに手を伸ばした。口づける。  
 
ベッドに倒れ込んで、二人分の重みを受けたパイプがきしむ音を聞きながら  
競うようにおたがいの病衣の紐を解いて手を差し込み素肌に触れる。  
滑らせる指先が熱くて、でも相手の体はさらに火照っている。  
手で触れるだけではまだ足りずに嗅覚と唇と舌を駆使して確かめる。  
病院独特の薬の匂いと混ざった髪の、肌の匂い。  
首筋を唇でついばみ、舌先でなぞるとほのかに塩辛い汗の味がする。  
誰より大切な相手が、まちがいなくそこにいることを確かめたくて。  
「つくづく罪深いな、私は」  
枕元に手を伸ばし、読書灯のスイッチを入れたロイがシーツの上に流れたリザの髪を一筋指に取り、唇で触れてうそぶいた。  
「この目は多くの人々の命の犠牲の上に在るというのに、またこうして君を見ることができるのがたまらなく嬉しいんだ」  
軍人としての責を果たすために日々鍛えているリザの肩幅は広く、腕や脚は筋肉質で、  
決してなよやかなだけの体ではないけれど誰よりも美しい。  
いつも迷うのだ、この白い肌に自分の血まみれの手が触れていいものかと、  
あまりにも多くの命を灼いてきたこの手が彼女を汚すことは許されるのかと。  
 
 
リザがロイの手を引き寄せ、そこに刻まれたまだ新しい傷に唇で触れて答える。  
「罪深いのは貴方だけではありません」  
どこまでもまっすぐに理想を追い続ける彼の瞳。  
強大な炎を自由自在に操り、多くの人々の命を灼いた彼の手。  
罪を背負い血まみれのまま、それでも己の理想にその身を投じていく姿に共感したからこそ、  
恋人や妻として待つのではなく、副官として共にあり、彼が為していくことを見届けその背を守ると決めたのだ。  
そして今からも、自分の立場が変わることはない。  
自分もこの手で多くの罪も理由もない人々の命を奪ってきたのだから。  
自分だけが毎晩愛しい相手の腕に抱かれ、幸せに眠ることなんてできはしない。  
 
 
だからこそ祈るように思う。  
…今だけ、この愛しい瞳を手を髪を肌を吐息を命の熱さを、私のものにさせてください。  
 
「見せて欲しい」と言われるままに体を起こし、座ったリザははだけた病衣の袖から腕を抜いて布を落とした。  
見つめるロイの前に彼女の背中があらわになる。  
うなじのすぐ下から腰にかけてはリザの父が遺した「焔の錬金術」の入れ墨が広がっている。  
しかしそれはもはや「秘伝」ではない。彼がその手で、その炎で要所要所を灼きつぶしたからだ。  
…7年前に見たきりだが、もちろんすべて詳細漏らさず覚えている。  
ロイは背の半ばまでを覆うリザの金色の髪を肩の前にかきやって、その手で彼女の胸をつかんだ。  
手にやや余る大きさのふくらみを両手いっぱいにもみしだきながら、新しい傷を刻まれたばかりの左の肩に口づける。  
顔を下にずらし、白く光ってわずかに盛り上がる瘢痕に唇を這わせる。  
くすぐったさと同時にこみ上げてきた奇妙な恥ずかしさにとっさに体を離しかけて引き寄せられて、  
リザはベッドについた手でシーツをかきむしるように握りしめた。  
背中。自分でも体を洗うときぐらいしか触れることがない弱い場所。  
いや、本来ならそこの肌は体の他の部位より感覚器が少なく鈍感なはずなのに、  
彼の前髪や吐息や舌の動きを感じるたびに寒気にも似た感覚が胸の芯から下腹部に落ちていく。  
不意に胸のふくらみの頂上を強くつままれ、電撃のような気持ちよさが走った。  
思わず高く声を上げかけて、部屋の外に聞こえるようなことがあってはならないと息を詰めて歯を食いしばる。  
入れ墨と火傷の痕をたどるロイの唇は肩胛骨の下にたどりついていた。  
片手は胸への愛撫を楽しみながら、もう片方の手を引き締まった腹部から脚の方に降ろす。  
彼がこよなく愛する太ももを手のひらでゆっくり撫でて、さらにその奥に。  
指を差し込まれ、いじられ探られかきまぜられるそこから水音が聞こえて、リザはほおを羞恥に染める。  
かき立てられる快感はあまりにも鮮烈で利き手で口を押さえて声を殺す。  
やがて、耳元で提案された姿勢の淫らさにほおを染めながら、彼女はそれに従った。  
先に横になるロイにまたがって、自分の蜜で指先を濡らしながらやわらかな入り口を開く。  
位置を合わせて、彼の熱さをそこに確かに感じながら腰を落とす。  
広がって飲み込んで、つながるその場所に彼の視線を痛いほど感じる。  
…もっと私を見て、その目に私を映して。  
それ以上はないところまで受け入れて、リザは改めてロイを見下ろした。  
特に遠距離攻撃を得意とする「炎の錬金術師」という特性からかひ弱に思われがちな彼だが、  
身につけた体術はかなりのものだし体だってしっかり筋肉質だ。  
肩から胸元にゆっくり手のひらを這わせていき、脇腹の大きな火傷の痕におそるおそる指先で触れる。  
彼が自分で灼いたそこは薄赤く、無惨にひきつれている。  
まだ肌が薄い部分を繰り返し撫でられるむずがゆさに耐えられなくなったロイは彼女の手を取り、  
手のひらを合わせて指を絡めた。  
突き上げる。  
 
「ゃぁっ」  
不意の衝撃に可愛らしい悲鳴を上げ、リザが背中を大きく弓なりにした。  
さらにそそのかすように数回突かれた後、自分から動き始める。  
重ねた手を身の支えにしてシーツに突いた膝を浅く深く曲げ、腰を上下させる。  
いつもと違う姿勢、違う感触、違う深さ。声が、喘ぎが止められなくなる。  
上気した顔、乱れる髪、揺れる胸のふくらみ、波打つ腹部、うねる腰、  
ひくつきながらきつく吸いついてくる彼女の中。  
あまりにも扇情的な光景と直接的な刺激との両方にロイはあっさり屈服した。  
奥深くに熱があふれるのを感じたリザが動きを止め、体の力を抜いて胸に倒れ込んでくる。  
体を重ねたまま、乱れた呼吸が落ち着くまで待って。  
「すまない。…まだ、足りないんだ」  
彼女を貫いたままの自分の勢いが衰えないことをそう言い訳して、体勢を入れ替えた。  
唇を深く重ねて吐息を味わって、柔らかいのに張りがある胸を両手で触って、  
淡く甘く喘ぐ声を聞きながら太腿を両腕に抱え上げた。  
まずゆっくりと、彼女が弱い場所を小刻みに突く。その動きが強くなるにつれて唇からこぼれる喘ぎは高く強く変わる。  
衝撃を受け止め、与えられるいつもと同じ快楽にリザは迷わず酔いしれた。  
自分が上になって動くのも案外良かったんだけれど、  
脚や腰にかかった負担は予想以上で、気持ちよくなりきれなかったから…  
もっと一緒に感じて、一緒に登りつめたい。  
すっかり自分の存在に馴染んだ彼女の中がせがむようにきつくなってきていることに満足しながら、  
ロイは彼女を引き裂くように強く腰を使った。  
相手の声を表情を呼吸をはかって動きを合わせれば、ただでさえ高ぶっていた体が感じる速度はさらに加速する。  
抱きしめ合う腕、触れ合ってこすれあう胸、どこからか伝わってくる相手の鼓動。  
──そして彼女は今夜初めての、彼は二度目の絶頂をこらえることなく身を任せた。  
 
 
すぐそばに、おたがいの存在を感じているだけで言葉はなくとも十分な時間が流れていく。  
それなのに。  
「そろそろ…」  
ご自分のベッドにお戻りになられては、と無粋なことを言う腕の中の愛しいひとの頭を撫でながらロイはうそぶいた。  
「もう朝まで、見回りはこないよ」  
そう言い切れるのは、昨夜彼が隣のベッドで安らかな寝息を立てているリザの気配に悶々と眠れない一夜を過ごしたからだ。  
たった一日で、地獄から天国。  
彼の言葉に奇妙な安心感を得て、再びまぶたを閉ざす。  
いくらおたがいに高ぶっていたにしても、ここは病院だからいい加減にしないと、とまだ心の片隅で思ってはいるけど、  
…まだ時間があるなら、もう少しだけこのままで。  
 
 
そして二人は揃って、快い疲労感とこみ上げてくる眠気にしばし身を委ねた。  
 
 
終  
 

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