リザ・ホークアイ中尉が今までの記憶をすべて失ってしまった。  
何時間も前に知ったその事実を、私は未だ上手に理解できず、現実として受け入れられずにいた。  
頭に包帯を巻き、すぐ側のベッドで横になっている中尉が、中尉ではないのだ。  
中尉は目覚めた時、自分の名前すら分からなかった。  
先日に軍が捕らえたあるテロリストのリーダーを解放しろと、リーダーの仲間が民間人を盾にして喫茶店に立て篭もる事件があった。  
テロリストの一人が、こちらに銃弾を放った瞬間を思い出す。  
中尉は私を守るために体ごと私の上に覆いかぶさってきた。  
有能な中尉は私を庇っているという不安定な状態ながらも空中で応戦し、そのテロリストを撃った。  
中尉の銃から放たれた銃弾、バランスが上手く取れずに地面に倒れ込むリザ、手を撃たれて銃を落としたテロリスト、その隙を見て店内になだれ込む兵士達。  
すべてが一瞬の出来事であった。  
固いコンクリートの上に頭を打ち付け、ぴくりとも動かなくなったリザは、頭から少量の血を流していた。  
それが致命傷ではないと分かっていたが、誰かにぎゅっと心臓を鷲掴みにされるような思いがした。  
背中に冷たい剣の先を押し当てられたような、あの時の凄まじい衝撃は一生忘れないであろう。  
突然体に冷たい血が流れ出したような気分になりながらも、口からはしっかりと的確な指示が出てきた。  
焦りを見せず、指揮官らしく落ち着きのある口調で兵士を無駄なく動かした。  
喫茶店は崩壊してしまったが、幸いなことに無傷で人質を保護し、素早くテロリスト達を捕まえた。  
中尉やほかに怪我を負った兵士達を病院に運ばせて、私は最後まで現場で事件の処理をした。  
頭はおかしいくらい冷静だったが、少しでも気を抜けば気持ちがぐらついて叫び出してしまいそうだった。  
どんなに名前を呼んでも、揺さ振っても目を覚まさない中尉が頭を過ぎる。  
――どうか、どうか無事でいてくれ  
空が暗くなり始めた頃に、ようやく病院へ行くことができた。  
黒い慌ただしくコートを翻しながら、急いで中尉のいる部屋へ向かう。  
「中尉はっ!?」  
扉を開けるなり、中尉の病室に先に向かわせていたハボックに問い詰める。  
「大佐、ようやく終わったんスか。…それが、中尉はまだ目を覚まして……あっ!」  
「中尉!」  
ハボックを押し退けるようにしてベッドへ向かおうとした時、ハボックが大きな声を上げた。  
ハボックのうしろに鳶色の瞳が見える。  
中尉が目を覚ましたのだ。  
「中尉、中尉っ!」  
みっともなく大声を出し、中尉に抱き着かんばかりの勢いで彼女の眠るベッドへ身を乗り出した。  
頭に包帯を巻いた中尉は、焦点の定まらないぼんやりとした瞳で天井を見たあと、緩慢な動きで首をこちらへ動かした。  
中尉は言葉もなく、ただじっと、ベッドの横で騒いでいる私達を見ている。  
「中尉、大丈夫か?中尉っ!」  
「…ちゅう…い…?」  
中尉のかさついた唇がゆっくりと動いた。  
中尉の口調はどこか幼さを感じさせたが、彼女が意識を取り戻したことに安堵していた私は、彼女が寝ぼけているのだと思い込んだ。  
 
「中尉、痛いところはないか?」  
「……だれ?」  
「え?」  
「…ここ…どこ…?」  
中尉は瞳だけをきょろきょろと動かして、身の周りの様子を不安そうに見ている。  
私はやっと中尉の異変に気が付いた。  
私の後ろにいたハボックも目を見開いており、一瞬にして病室の空気が凍り付いた。  
だが、中尉だけは異質で、ゆっくりと上半身を起こすと、私とハボックの顔を交互に見て首を傾げた。  
「誰…?」  
その言葉の主語は何だったのだろうか。  
指が白くなるまでシーツを強く握り、泣きそうな声で中尉が呟く。  
私に言われるまでもなく、ハボックは医者を呼ぶために病室を駆け出した。  
「…中尉…?」  
中尉を呼ぶ私の声が震えている。  
心の中で、嘘だろうと何度も繰り返す。  
中尉が私を、この私を分かっていない。  
「ちゅうい…?私は、ちゅうい…?」  
中尉が怖がらぬように、自然な動きを心掛けて目を合わせる。  
中尉が私を見る目は、知らないものを見るそれだった。  
中尉が私を知らないというのか?  
今の中尉の瞳からは「鷹の目」と呼ばれている険しさも感じられず、不安だけが滲んでいる。  
「…君は、リザ・ホークアイだよ。リザだ」  
「…リザ…?」  
おそらく最悪の状況であることを予想しながら、やっと絞り出せた言葉が、中尉に名前を教えることだった。  
「リザ」は、ただおうむ返しに私の言葉を呟く。  
今のリザは、私の知る「リザ・ホークアイ中尉」ではない。  
そのあとすぐにハボックに呼ばれた医者が駆け付け、リザを診た。  
頭を打ち付けた怪我はごく軽いものだが、その衝撃でリザはやはり記憶を失っていた。  
そして、リザの言動が年相応のものではなく、中尉が子供に戻ってしまったような状態であることも分かった。  
具体的な年齢は分からないが、私と中尉が初めて出会った時よりも、今のリザは幼い気がする。  
「…私の名前は、リザ・ホークアイ…」  
私とリザしかいなくなった病室に、誰に言うわけでもなくぽつりと彼女が呟いた。  
医者の心痛な面持ちと、私とハボックの抑えようのない動揺を敏感に感じとったのか、リザはずっと不安そうにしていた。  
医者が部屋から出て行き、ハボックが帰る頃には幾分落ち着いたようではあるが、まだ肩に力が入っているように思える。  
目の前にある病院の食事は半分も減っておらず、フォークの扱いもどこか覚束ない。  
目が覚めたら自分の存在すら覚えていない環境に放り込まれてしまったのだから、当然だろう。  
リザが不安になるといけないからと冷静を装っているものの、私も未だ中尉が記憶を失ったことを受け入れられていない。  
「もう食べない?」  
「…うん…」  
中尉らしくないリザの幼い答えに、何度目になるか分からない戸惑いを覚えながら食事を下げる。  
目の前にいる中尉の姿をした女性が、私の知る中尉ではないことを、些細なことで何度も思い知らされる。  
ふと気が付くとベッドに横になったリザが、再びシーツをきつく握っていることに気がついた。  
ベッドの側に置いた簡素な椅子に腰掛け、リザのその手に自らの手を添えた。  
「…あったかい…」  
リザの唇がぎこちなく緩み、私の知らない彼女が初めて笑った。  
リザははにかみながら嬉しそうに、そして縋るように、私の手に指を絡めた。  
 
「…えっと、あの…」  
「さっきも紹介したけど、私はロイ・マスタングというんだ。好きなように呼んでくれ」  
「…ロイは、『中尉』と知り合いだったんだよね?」  
「ああ」  
リザの口から自然と私の名前が出るのが新鮮だ。  
「私は君の恋人だ」  
「…こいびと…」  
リザは目を丸くした。  
「嫌かな」  
「ううん」  
頭に包帯を巻いているというのに、一生懸命首を振る仕草が健気で可愛らしさを覚える。  
「私は、記憶を失う前の君の恋人だ。そして君の上官で…君はいつも私の側にいて、私を守ってくれていた。君はとても優秀なんだ」  
突然知らされる以前の自分の話を、リザは頷きながら真剣に聞いてくれている。  
「私でよかったら…君が嫌じゃなければ、リザの力になりたい」  
「本当?」  
「本当だよ」  
「私はロイの知る『中尉』じゃないけど…いいの?」  
「当たり前じゃないか」  
「ロイに何でも聞いていい?」  
「ああ」  
「…私…みんなの知る『中尉』じゃなくなっちゃったから…ロイは、私にこれからどうしてほしい?」  
鳶色の瞳で真っ直ぐに私を見つめてくるリザに、すぐに返事を返すことができなかった。  
記憶を失い、突然知らない世界に連れて来られて途方に暮れているのに、「どうすればいい?」と聞かないところは、やはり中尉だ。  
自分のことを心配するのではなく周りのことをどこまでも気遣い、病的なまでに献身的なところは中尉とまったく変わらない。  
「リザが好きなようにすればいい」  
「…好きなように?」  
リザが首を傾げた。  
「記憶がどのように、いつ戻るかはまったく分からない。不安だろうが、焦らずにリザが好きなように生活すればいいんだよ」  
目に掛かる長い前髪に触れて、梳かすように撫でてやると、リザはまるで猫のように心地良さそうに目を細めた。  
今ここにいるリザが私の知る中尉じゃなくても、彼女が愛おしい存在であることに変わりはない。  
「…ロイは…私の側にいてくれる?」  
「もちろん。そのつもりだよ」  
「…良かった…」  
強張っていた表情が一気に柔らかくなった。  
頬を緩めて笑うリザを見て、彼女が初めて心から笑ったように思えた。  
「ロイがいてくれるなら、それだけでいいや」  
リザは笑いながらそう言って、安心したように目を閉じた。  
それから、眠くなっちゃったと呟いて、リザはシーツの中へもぐる。  
「私もここに泊まるから、安心して寝なさい」  
「うん」  
「頭は痛くないか?包帯はすぐに取れるそうだ。傷は残らないと言われたよ」  
「平気だよ」  
傷は残らないと宣言されたものの、やはり包帯の巻かれた頭は痛々しく、癒すように優しく何度も撫でた。  
リザが眠るまでの間、私は彼女に「リザ・ホークアイ中尉」についての話をした。  
中尉が軍人であったこと、私の副官と護衛をしており、とても有能であること。  
記憶を失った原因は、中尉が私を守ってくれたからということ。  
リザは自分が軍人であったなんて信じられないという表情を浮かべていた。  
それから、今の幼いリザでは中尉のすべてを受け入れられないだろうと判断し、少し嘘もついた。  
中尉の両親は遠い街に住んでおり、すぐに連絡をとることができないと話した。  
それから、中尉の父が背中に錬金術の陣を彫ったことはとても名誉なこと、事情があって火傷の痕があるが気にしないでほしいと付け加えた。  
 
それらの話を迷いながら、しかしリザが不安を覚えないように口にした。  
リザは目を擦り、うつらうつらとしながら、まるでお伽話の代わりのように眠そうに聞いていた。  
卑怯だが、眠りに落ちる寸前の記憶が曖昧な時に、すべてを話す方が良いだろうと思った。  
多少の嘘をついても「リザ・ホークアイ中尉」の人生を理解し、受け入れるのことは難しい。  
穏やかな寝息をたて始めたリザを眺めながら、こちらの「リザ」にも決して悲しい思いはさせたくないと心に固く決めた。  
 
病室の簡素な椅子で一晩を過ごしたため、朝起きたら首や腰が痛かった。  
「…ロイ…?どこ行くの…?」  
身支度を整えていると、背後から寝起きの掠れた声が聞こえた。  
どうやら司令部に向かう準備をしている音で、リザを起こしてしまったらしい。  
リザはのろのろと上半身を起こして、不安そうな表情で私を見た。  
「今から仕事に行かなくちゃならないんだ。リザ、一人で検査受けられるか?不安なら私が…」  
「ううん、平気だよ」  
リザが欠伸をしながら答える。  
「今日で病院とはお別れだよ。夕方に迎えに来る。なるべく早く来るから」  
「…うん…」  
まだ眠そうな顔で私を見ているリザの額に口付けて、病室を出た。  
 
司令部に着くなり、ハボックを始めとした直属の部下を内密に集め、中尉が記憶を失ったことを告げた。  
もちろん、私には外にも中にも敵が多いため、他の兵士達には言わない。  
本当に信頼できる部下は数人しかいないが、中尉が記憶を失ったことや、穴が開いた彼女の役目も、彼らならうまくフォローしてくれるだろう。  
それから、明日からリザを司令部に連れて来ることも提案してみた。  
リザをずっと入院させていたら怪しまれるし、何より今の彼女は「リザ・ホークアイ中尉」ではないのだ。  
あの幼いリザを家に一人にしておくわけにもいかない。  
監視するわけではないが、リザをずっと側に置いておきたいという気持ちが一番大きかった。  
それに、中尉が毎日働いていた司令部にリザがいれば、記憶を戻す手掛かりを見つけられるかもしれないのだ。  
リザを司令部に連れて来ることを部下達は快く受け入れてくれ、口にすることはないが感謝することばかりだ。  
中尉のいない一日は不便ではあったが、部下達の助けもあり、何とか無事に仕事を終えた。  
リザが病院で待っていると思うと驚くほど仕事が捗り、私は予定よりも早くに司令部を出た。  
「ロイ!」  
病室に着くと、花が咲くような明るい笑顔でリザが迎えてくれた。  
リザの頭からは包帯が取れて、小さなガーゼに代わっていた。  
「早かったね!」  
「ああ」  
私の帰りを喜ぶリザの頭を撫でようとベッドに近付くと、その前に彼女が胸に抱き着いてきて、思わずよろけてしまう。  
「こら、危ないだろう」  
ベッドから落ちそうになっているリザの体を支える。  
「…うん…ごめん…」  
リザは私を離すまいとするように、腕にぎゅっと力を込めた。  
もしかしたら、リザは今朝からずっと寂しかったのかもしれない。  
朝は忙しくて気付いてやれなかった。  
リザは我が儘を言う人間ではないから、こちらから些細な感情を読み取らないといけないのだと反省する。  
「検査は無事に終わったか?」  
「うん」  
 
「退院の手続きをしたら、リザの家に行こうか」  
「私の家?」  
「そうだよ。何か思い出すかもしれないだろう?さあ、これに着替えて」  
司令部にある中尉のロッカールームに入っていた服を、ベッドの上に座るリザに手渡す。  
「…ねえ、ロイ。待って」  
ベッドを隠すためにカーテンを閉めていると、リザに呼び掛けられた。  
「どうした?」  
「どうして行っちゃうの?」  
真ん丸の目に不思議そうに見つめられ、カーテンの外へ出ようとしていた足が止まる。  
「…どうしてって…。今からリザは着替えるから…私がいたら恥ずかしいだろう?」  
「恥ずかしくないよ」  
だからここにいてと言って、リザは私のジャケットの裾を引っ張った。  
そして、私をカーテンの中に留めたまま、リザは何の躊躇いもなく病院着を脱ぎ出した。  
大変おいしい状況なのだが、何となく居心地の悪い思いをしながらベッドの側に立つ。  
キャミソールとショーツだけの姿を晒していることをリザは本当に恥じらわず、ブラウスのボタンを不器用に外していた。  
リザの剥き出しの白い肩が寒そうだが、ブラウスのボタンはなかなか外れない。  
「…リザ、私がやろうか?」  
「いいの?」  
なかなか外れないボタンと葛藤して眉を寄せていたリザが、ぱぁっと顔を明るくさせた。  
「ありがとう」  
そして嬉しそうに、ブラウス、そしてスカートやストッキングまでも私に差し出した。  
まさか、リザはボタンを外すだけではなく着替え全部を手伝ってほしいのだろうか。  
中尉では絶対に有り得ない行動に言葉もなく驚くが、いつもならば中尉を着替えさせてみたくてもできないことなのだ。  
「ふふ。ロイ、くすぐったい」  
リザはベッドから長く白い脚を伸ばし、無邪気にくすくすと笑った。  
私はリザの足元にひざまずき、すべらかな脚にストッキングをはかせている。  
指が太ももに当たると、ん、とリザは小さく呻いた。  
他人から見れば怪しく、そしてなまめかしい光景に見えるだろうが、本当に私達は着替えをしているだけなのだ。  
「リザ、腕をあげて」  
「はい」  
リザの着替えを手伝うなんて願ったり叶ったりなことなのに素直に喜べないのは、彼女があまりにも純粋すぎるからだ。  
ブラウスのボタンをつけている時に、二つのふくよかな胸の膨らみに手が触れてしまい慌てるが、肝心のリザは何とも思っていないのだ。  
何とか下心を隠して服をすべて着せて、病院を出た。  
リザを車の助手席に乗せて、彼女の部屋へと向かう。  
「…わあ…すごい…」  
中尉を助手席に乗せること自体が珍しく、運転席の隣にリザがいることは新鮮であった。  
今のリザも病院の景色しか知らないためか、ガラスに額が触れそうなほど窓の近くに寄って、外を流れる街の風景を興味深そうに眺めていた。  
見るものにいちいち反応するリザの様子が可愛らしくて、運転しながらつい頬が緩む。  
「リザ、着いたよ」  
和やかな空気の中、リザのアパートへ到着した。  
「…ここが、私の家…」  
夕焼けの色に染まるアパートをリザはしばらく見上げていたが、やはり何も感じないらしい。  
「こっちだよ」  
リザの手を引き、階段を上がって中尉の部屋まで案内するのは何だか変な気分だ。  
 
合い鍵で家の扉を開け、リザを部屋の中へ招き入れる。  
「…何もないね…」  
リザは私の背中からひょこりと顔を出して、首を動かしてぐるりと部屋を見渡した。  
「そうだな」  
必要最低限のものしか置いていない中尉の部屋は、リザの言葉通り殺風景だ。  
リザは私の手を握ったまま、キッチンやバスルームを行ったりきたりしたり、クローゼットの中を覗いたりしていた。  
時折不安そうに強く手を握り返してくる。  
「…何も…思い出せないや…」  
ほんの少し前まで、中尉と二人でいろんなことを語り合ったソファーにリザが腰掛けて、悲しそうに呟く。  
「…ごめんね、ロイ」  
「謝ることではないだろう、リザ。すぐに思い出せなくたっていいじゃないか」  
「…うん…」  
大丈夫だよと頭を撫でてみるが、リザは暗い表情で俯いたままだ。  
「リザ、しばらく私の部屋で暮らさないか?」  
重い空気を吹き飛ばすように、大袈裟に明るい声で提案する。  
「ロイの部屋で?私が?」  
「ああ。今の状況で、前のように一人で暮らすのは不便だろうし、不安だろう?」  
「…ロイ、迷惑じゃない?」  
どこまでも他人の心配をする子だと苦笑してしまう。  
リザが私の部屋で暮らすのが嫌ならば、私はリザの部屋に泊まり込むつもりだったのだ。  
「迷惑じゃないさ。私とリザは恋人同士なんだ。リザが私の部屋に泊まることは当たり前だったんだよ」  
「そうなの?」  
興味津々といったように身を乗り出して聞いてくるリザに対して、少しだけ後ろめたさを覚えてしまう。  
中尉が私の部屋に泊まる時は、つまり、夜に激しく愛し合う行為をするためなのだ。  
そんなことを今のリザに言えるわけがない。  
「…ほら、恋人同士は…仲良しだろう?だから、私がリザの家に泊まったこともある」  
「そうなんだ」  
「じゃあ準備をしようか」  
この話題を掻き消すように、勢いよくソファーから立ち上がり、私の部屋で暮らすために必要なものを集めようとリザに促した。  
しかし、必要なものを集めているのは私で、リザは私の腕や背中に抱き着いてただその様子を眺めているだけだ。  
柔らかな胸が無防備に押し付けられるのは大変嬉しいが、一人で生活用品を集めるのは結構大変だ。  
しかし、記憶を失い、どこに何があるかも分からず、生活に必要なものを思い浮かべるだけでもリザには負担になるだろう。  
いまリザが頼れるのは私だけなのだ。  
大きな鞄の中に、服や洗面用具などを詰めていく。  
中尉が私の世話をするのが普通だったため、いつもと立場が逆なのがなんだかおかしい。  
そして改めて中尉の存在の大きさを思い知る。  
「…リザ、下着も…必要だよな…。そうだよな…」  
「うん」  
ブラジャーやショーツまでも当然のように私が用意することになり、中尉に怒られそうだなと冷や冷やする。  
「黒いのばっかりだね」  
中尉らしい機能性だけを重視した地味なブラジャーをひとつ手に取って、リザがそう感想を述べた。  
なんとも変な状況だ。  
「…ああ。私としてはもっと可愛くて派手なのを着てほしいんだが」  
必要なものをすべて鞄に詰め込み、変な汗をかきながらリザの部屋を出た。  
リザを再び車の助手席に乗せ、今度は私の家へ向かう。  
「好きに使ってくれていいよ。中尉もそうしていたから」  
自宅に着き、今度はリザに私の部屋を案内する。  
「ロイの部屋も何もないね」  
リザは私の腕に引っ付くようにして歩き、部屋を見回しながらそう言った。  
「でもここには本がたくさん…。……あ、ベッドが大きい」  
本棚の並ぶ書斎を見ていたリザが、寝室にあるベッドを見て目を輝かせた。  
私の腕を振りほどいて、ばたばたと寝室へ駆けて行く。  
確かに私の寝室にあるベッドは、病室やリザの部屋にあるものより、一回りほど大きい。  
「柔らかい!」  
リザが楽しそうに、勢いよくベッドに飛び込む光景を目の当たりにし、目を丸くした。  
驚いている私に気付かず、リザは嬉しそうにシーツの上で笑っている。  
「すごいね、ふかふか」  
乱れたからスカートから伸びる長い脚や、笑う度に揺れる豊かな胸は中尉なのだが、やはりリザは子供だ。  
リザの緩んだ笑顔が枕に埋まるのを見て、まるで中尉そっくりの人間が子供を演じているような変な倒錯感を覚える。  
 
大人の姿をしたリザの行動や仕草があどけないと、可愛らしいと目を細めるが、やはり慣れない。  
しかもあの冷静な中尉が幼くなってしまったのだから、なおさらだ。  
 
「リザ、お湯を張ったから、お風呂に入りなさい」  
家に来る途中で買った惣菜を食べて夕食を済ませたあと、風呂に入るようリザに促す。  
「ロイはいつ入るの?」  
リザは私の腕にぴったりと両腕を絡めながら、大きな瞳で私を見上げてきた。  
どうやらリザは、恥ずかしがり屋の中尉と違って、自ら体を密着させることが好きらしい。  
「…あー…それは…」  
「ね、ロイ、一緒に入ろうよ」  
答えに困っていると、リザが予想通り誘ってきた。  
着替えを手伝ったのだから、なんとなく予想はついていたのだ。  
「いや?」  
「嫌じゃないよ。…じゃあ、行こうか」  
「うん」  
仲良く手を繋いでバスルームへ向かう。  
中尉とならば絶対に有り得ないことばかりだ。  
私と中尉が一緒に風呂に入ったのは、長い付き合いの中でも数回ほどしかない。  
リザは恥じらうことなく次々と服を脱ぎ、白い肌を晒していった。  
裸になることも、裸を見られることも、リザはちっとも気にならないらしい。  
そして、裸を見ることにも何も感じないらしい。  
湯舟の中で、まるで服を身につけているかのように普通に振る舞うリザを見て、普段の自分はこのような態度をとっているのかと今までの行動を省みる。  
「リザ、髪を洗ってあげようか」  
「いいの?」  
シャンプーのボトルをじっと眺めたまま動かないリザの頭を撫でながら言うと、彼女が嬉しそうに笑った。  
こうすればいいのだと説明する方法もあるが、それよりも実際にやってあげた方が早いだろう。  
そして何より、リザは一人でできるけれど、私に何かしてもらうことが嬉しいようだ。  
やけに抱き着いてくるし、どうやらリザは甘えるのが好きらしい。  
リザを椅子に座らせて、背後から肩までかかる髪を丁寧に洗っていると、目に泡が入りそうなのも構わず、リザがうしろを振り向いて嬉しそうに笑う。  
「こら、じっとしていなさい」  
「だって」  
私が触れるたびににこにこと笑うリザの姿が曇った鏡に映る。  
そして、リザは無言で私を見つめながら体も洗ってほしいと訴え、体までも私が洗うことになった。  
「ふふ」  
石鹸を泡立て、その泡を腕や脚にすべらせる。  
白い泡を纏った胸に指が触れても、リザはくすぐったさそうに身をよじるだけだ。  
泡のついた指が滑り、胸の桃色の尖りに触れてしまっても、リザは平気そうな顔をしている。  
着替えのことといい、やはりリザには性的な考えがないらしい。  
リザがあまりにも純粋すぎるため、「その気」が起きなくて安心する。  
「…これくらいの傷なら、すぐに治るな」  
泡まみれの体をシャワーのお湯で流しながら、リザが負った怪我をひとつひとつ丁寧に見ていく。  
小さなかすり傷が少しある程度の怪我で、ほっと一安心する。  
「温まってから上がろうな」  
リザをもう一度バスタブの中に入れ、肩までお湯に浸からせる。  
今の私とリザは、まるでヒューズとその娘のようだなと思う。  
しかし、リザの言動が幼いからつい忘れそうになるが、彼女は魅力的な体を持つ中尉なのだ。  
「…ロイ、あったかい…」  
バスタブの中で二人で並んでいたのだが、リザが急に私の背中に抱き着いてきた。  
お湯の中で白い腕が揺らめき、そっと両腕が腹に回される。  
そして、豊かな胸や括れた腰がぎゅっと背中に押し付けられた。  
 
「お風呂って気持ち良いね」  
「…そうだな」  
リザは私の肩に顎を乗せて、耳元で囁くように言った。  
むにゅりと形を変えているであろう柔らかい胸にどうしても意識が集中してしまう。  
リザは私に何かしてもらうことと、私に触れることが好きなだけなのだと必死に理性を保つ。  
「…気持ち良くて…」  
バスルームにいるせいで、舌足らずなリザの声が妙に色っぽく反響する。  
リザが腰に回した腕を組み替え、もぞもぞと太ももを動かした。  
やばい。  
「その気」になってしまいそうだ。  
「…気持ち良くて……眠い…」  
――やはり、リザは子供だ。  
リザを風呂からあげて、バスタオルで体を拭いてやる。  
下着やパジャマも着せて、それから答えの分かっている質問をしてみる。  
「リザ、私の家にはベッドが二つあるんだ。寝室と客間に一つずつ」  
すごいね、とリザは返事をした。  
リザは湯上がりで温まった体を、寝巻に着替えている私の背中にぴたりとくっつけながら話を聞いている。  
着替えにくいが、嫌な気はしない。  
「リザはどちらで寝たい?」  
「ロイはどこで寝るの?」  
「寝室だよ」  
「じゃあ寝室で寝る」  
笑顔でリザが答える。  
もう驚きはしない。  
仲良く風呂まで入って、一緒に寝ないなんてことはないだろう。  
中尉と眠る時よりも、リザはぴったりと体をくっつけてベッドへもぐり込んだ。  
リザが胸に顔を埋めると、石鹸と彼女本来の甘い香りが漂ってきて、再び理性が危うくなる。  
「リザ、おやすみ」  
中尉にはちゃんと唇に口付けるのだが、リザには額にキスをするだけにした。  
「……おやすみ、ロイ」  
額に口付けられたリザが、急にとろりと目尻を下げた。  
物足りない、そんな幻覚が聞こえてくるような甘い表情だ。  
リザの無防備に緩んだ顔があまりにも可愛らしくて、もう一度彼女の頬を両手で挟んだ。  
「…ん」  
そして、中尉にするように唇と唇を深く合わせる。  
「…あ…っ」  
リザが驚いて唇を開いた隙間から舌を滑り込ませ、口の中を味わうように舌を動かす。  
リザが小さく叫んだ声には戸惑いが滲んでいたが、抵抗はせずされるがままだ。  
「…ふぁ…ッ」  
リザが涙目で喉から苦しそうな声を出したのを聞いて、はっと我に返った。  
「すまん、リザ!」  
慌てて唇を離して謝る。  
焦りながらリザが飲み切れなかった唾液を指で拭う。  
「…ううん、大丈夫…」  
リザの口調は熱に浮かされたようにぼんやりとしていた。  
「…嫌じゃなかったか…?」  
「…うん…」  
「本当に?」  
「…うん…。…何か…えっと…」  
上手く言葉を紡げずにいるリザの指が、ふと濡れた私の唇に触れた。  
「……気持ち良かった?」  
「…うん…」  
リザが照れたようににこりと笑う。  
そんなリザが愛おしくて、思いきり抱き締めて腕の中に閉じ込める。  
リザと私はそのまま眠りについた。  
理性が危うくなったらどうしようかと心配していたが、昨日椅子で寝たことと、何より二日間溜まった疲労のおかげでぐっすりと眠ることができた。  
リザも母親に寄り添う赤子のように、安心しきった様子で熟睡していた。  
今の甘えてくるリザの姿は、もうひとつの中尉の姿なのかもしれない。  
「もし」なんて言えばきりがないが、もし、中尉が普通の家庭に生まれ、普通に愛情を注がれて育ったとしたら、違う「リザ」に出会えたかもしれない。  
 
甘えたくても甘えられず幼くして自立を与儀なくされた、中尉の中に眠る一人の少女と、私は今一緒にいるのかもしれない。  
もとよりそのつもりだったが、思いきり愛し、思いきり甘えさせてやろう――  
そんなことを考えながら眠りについた。  
 
「…『中尉』は、いつもこれを着てたんだ…」  
「ああ、そうだよ」  
あっという間に朝が来て、適当に朝食を済ませて家を出た。  
今はハボックが迎えに来た車の中であり、東方司令部へ向かっている。  
ハボックは運転をしながら、バックミラーでちらちらとリザの言動を盗み見ていた。  
いつもなら発火布を取り出すところだが、あどけないリザが突然現れた今は、無理もない話だ。  
リザは軍服が新鮮なようで、朝に着せた時から何かと気にしている。  
例によって私が着替えを手伝ったのだが、リザがブラジャーがきついからつけたくないと言い出したので困った。  
もちろん、無防備に豊満な胸を晒すことがないように、何とか説得して無事にブラジャーを身に付けさせた。  
「この服、きついね」  
「ああ、そうだな」  
確かに軍服は堅苦しい。  
しかし中尉はこの堅苦しい軍服を見事に着こなし、いつも私のうしろに背筋を伸ばして凛として控えていた。  
「…ロイ?」  
「…ああ、いや、何でもないよ。ほら、ついたぞ」  
たわいもない会話をしているうちに東方司令部に着き、車からリザを降ろす。  
「なあ、リザ。今から執務室という部屋に行くんだが、そこに行くまでの間、リザはただ私の後ろをついてくるだけでいいからな」  
抱き着いてくるのも駄目だと念を押す。  
「うん、分かった」  
中尉が滅多に見せないような無邪気な笑顔で返事をされて不安になる。  
しかしリザには中尉を演じてもらわないといけないのだ。  
あまりリザに注文するとストレスになるだろうから、細かく指示できないところが辛い。  
しかし、今はハボックがついているし、最初の難関は無事に抜けられるだろう。…多分。  
いつになく緊張しながら、東方司令部へ足を踏み入れた。  
「おはようございます」  
「おはよう」  
私達に挨拶してくる兵士に、リザが返事をする。  
これは中尉もやっていたことだ。  
しかし、中尉はリザのように可愛らしい笑顔付きではなかった。  
リザのせいで何人もの兵士達が顔を赤らめながら、私達の横を通り過ぎて行く。  
ハボックはその様子を冷や冷やしながら眺めていた。  
しかしハプニングはこれくらいで、何とか無事に執務室に到着した。  
中尉の代わりにハボックが今日の仕事内容を説明するのを、リザが興味深そうに眺めている。  
それから、小動物のようにひょこひょこと動いて、執務室を隅々まで観察していた。  
「ね、ロイ。私は何をすればいいの?」  
「リザは私と一緒にこの部屋にいてほしいんだ」  
「それだけ?」  
「ああ」  
「大佐がサボらないか見張っててほしいんですよ」  
不満そうな表情を浮かべたリザに、すかさずハボックがフォローを入れる。  
「ほかにすることはないの?『中尉』は何のお仕事をしてたの?」  
「中尉は私の仕事を手伝ってくれていたんだよ。書類のチェックをしたり、護衛をしたり…いつも私と一緒だった。でも今、リザは中尉じゃないだろう?」  
「…うん…」  
「だから、ここにいてくれるだけでいいんだよ。私を見張っていてくれ」  
 
私は、トイレなど必要最低限のこと以外でリザを執務室から出す気はなかった。  
リザには相当な負担になるだろうが、中尉が記憶を失っていると皆に悟られないようにするためには、この方法しか思いつかなかった。  
何より、幼くなってしまったリザを目の届く範囲に置いておかないと私が不安だ。  
「…うん、ロイの言う通りにする。…何もできなくて、ごめんね…」  
「謝ることじゃだろう、リザ。これは私の我が儘なんだ」  
「…だって…」  
リザは私の身勝手な条件を何とか受け入れてくれた。  
思えば、この時からリザはずっと不安を抱えて、今にも爆発しそうだったのかもしれない。  
私はそれに気が付くことができなかった。  
リザが中尉であった記憶は戻らないが、日々は穏やかに流れていっていると思い込んでいた。  
着替えなどは相変わらず私が手伝うが、リザは料理ができるようになり、夕食は毎日彼女の手料理になった。  
それから、リザは洗濯などちょっとした家事もこなし、まるで彼女と新婚生活を送っているようだった。  
定時で司令部から帰り、たわいもない話をしながらリザの手料理を食べる。  
そして、何とか理性を保ちながら、リザと風呂に入り、彼女の着替えを手伝う。  
そして二人で一緒にベッドに入り、抱き合って眠り、朝を迎える。  
そんな毎日を繰り返していた。  
たいした事件も起きず、デスクワークばかりで外に出ることがなく、中尉が記憶を失ったことも奇跡的に知られていない。  
それなりに上手くいっていると、そう思っていた。  
「…ロイ、私にすること、何かない?」  
執務室のソファーに座っていたリザが、机で仕事をしている私におずおずと問い掛ける。  
司令部に来る度、いつもリザはこう聞いてくる。  
一日中何もせずに執務室に閉じ込められていたら、そう聞きたくもなるだろう。  
「みんなお仕事してて忙しそうだし…。簡単なことでもいいから、何か私に出来ることない?」  
「…じゃあ、コーヒーを持ってきてくれないか。とびきり美味しいのを頼むよ」  
「……いつもそればっかり」  
「ん?リザ?」  
「『中尉』は…ロイのお仕事をいつも手伝っていたんでしょ?私もそれがしたい」  
「…今のリザには無理だよ。リザ、焦らなくても大丈夫だから」  
この書類達を片付けてしまえば今日も早く帰ることができる。  
そのことしか頭になく、私はリザの顔すら見ずに会話をしていた。  
「…あ、この資料はどこだったかな…。…中尉がいれば分かるんだがな…」  
「……『中尉』じゃなくて、ごめんね、ロイ…」  
その小さなリザの悲しい呟きは、私の耳には届かなかった。  
「ロイ、今日は一人でお風呂に入るね」  
無事に仕事を終え、今日もずいぶん早く帰宅することができた。  
食事の後片付けを終えたリザが言った一言に、私は目を丸くした。  
リザに不自由な思いをさせている分、家では思いきり甘やかしてやろうと思っていたのに。  
リザが突然抱き着いてきたり甘えてきたりすることに慣れ始めてきたのに、寂しさを覚えた。  
「…一人で…入るのか?」  
「うん。だってそれが普通でしょ?」  
「…まあ、そうだが…」  
そもそも中尉は私と一緒に風呂に入ること自体嫌がっていた。  
「あとね、今日は一人で寝たいの。客間のベッド、借りてもいい?」  
「…あ、ああ…」  
何とか肯定の返事をしながら、どうしたものかと眉をひそめた。  
 
いつも私を離さないというように抱き着いて眠っているリザが、急に一人で眠りたいだなんて違和感を覚える。  
そういえば、今日のリザは司令部にいた頃から少しおかしかった。  
普段のリザならば司令部にいる時も所構わず私に抱き着いてくるのに、今日は妙に大人しかった。  
「…リザ、何かあったのか?」  
「…ううん、何も…」  
リザは一瞬だけ目を逸らしながら答えた。  
これは中尉が嘘をつく時の小さな頃からの癖だ。  
「じゃあ、先にお風呂に入ってくるね」  
「…ああ。寂しくなったら私を呼ぶんだぞ」  
「うん」  
リザは下手くそなぎこちない笑顔を作って、バスルームへと消えて行った。  
リザに何か悩みがあるらしい。  
リザに何かがあったことは分かったが、彼女が中尉でない今、どう対処して良いのか分からなかった。  
中尉とは数年の仲だが、リザとはまだ数日間の仲なのだ。  
リザが中尉ではないと思っているわけではなく、不安定な状況にいる彼女を傷付けることが怖い。  
記憶を失ってから、リザは四六時中私と一緒にいて、もしかしたら一人で何かを考えたい時があるのかもしれない。  
記憶を失って私に頼るしかない生活をしているが、リザだって私抜きで何かを考えたい時があるだろう。  
「ロイ、上がったよ」  
初めて一人で風呂に入り、着替えを終えたリザがバスルームから出て来た。  
「おやすみなさい」  
いつものように額に口付け、次に唇にキスをしようと思ったところで、リザがまるで拒否するように口を開いて早口で言った。  
リザが逃げるようにさっと身を引く。  
「…ああ、おやすみ」  
また違和感を感じながら、客間に向かうリザの背中を見送った。  
明日もリザの様子がおかしかったら、それとなく悩みを聞いてみることにしよう。  
そう簡単に流してしまい、私はバスルームへと向かった。  
 
「大佐、中尉は?」  
翌日、いつも通り執務室で仕事をしていると、部屋にハボックがやって来た。  
「…コーヒーをいれに行っているが…。…リザに何か用なのか?」  
「…あんた、普通に『リザ』って…。中尉も大佐のこと『ロイ』って呼ぶし」  
「お前だってリザに『ジャン君』と呼ばれて、ずいぶんお気に入りじゃないか」  
やや尖った口調で、拗ねているのを隠さずに言う。  
ハボックは私と違って幼いリザの扱いが上手で、羨ましいほどすぐに彼女と仲良くなったのだ。  
「で、用は何だ。中尉はいないぞ」  
「大佐に用があるんです。…中尉のことで」  
「…何だ?」  
「昨日から、中尉何か変じゃないですか?」  
やっぱりそのことかと心の中で呟いた。  
リザは昨日から様子がおかしい。  
今朝、リザは目を赤く腫れさせているくせに、「よく眠れましたよ」と笑ったのだ。  
リザは眠れなかっただけではなく、きっと一晩中泣いていたのだろう。  
リザが傷付いていることは明らかだったのに、どうしてあの時すぐに聞いてやらなかったのだろうと後悔する。  
記憶を失っても中尉は中尉なのだから、いつものように「大丈夫だよ」と言ってリザを抱き締めてやればよかったのだ。  
愛おしい人のことを部下に心配されるなんて情けない。  
「さっき中尉が『何かすることある?』って聞いてきたから、部屋の片付けを頼んだんですよ」  
「…すまないな」  
やはりリザは、皆が忙しく働いている中で、ただ一人何もしないことが歯痒いのだろう。  
 
「その時、『ロイは錬金術師だから、それで私の記憶を戻せないのかな』って、悲しそうな顔で呟いてましたよ。…何かあったんですか?」  
「…リザがそんなことを…」  
「俺達、中尉に頼りすぎっスよね。中尉がいないと不便なことばっかで…。『中尉なら』って、つい口にしちまう」  
「…ああ。リザがいるのに、目の前でな。残酷な話だよな」  
「今の中尉はそのままでいいのに…知らないうちに中尉を傷付けてたって気付きましたよ」  
悔しそうにハボックが言葉を紡ぐ。  
きっと私も同じ顔をしているだろう。  
「俺達が中尉を元気づけるなんて無理ですから…。大佐、頼みましたよ。無能にならんでくださいよ」  
「うるさい。焼くぞ」  
重い雰囲気を吹き飛ばすように最後に冗談を言って、ハボックは執務室から出て行った。  
あいつのこういうところが皆に好かれ、そしてリザにも好かれるのだろうと改めて思う。  
そして、中尉も今のリザも、皆に同じように大切にされているのだと思い知る。  
傷付いているリザを救えるのは、私しかいない。  
家に帰ってすぐにリザとちゃんと向き合おうと決意し、再び仕事を再開した。  
 
「お風呂に入ってくるね」  
「…ん、ああ。行ってらっしゃい」  
家に着いてすぐにリザと話をしようと思っていたのだが、気付けば食事を済ませ、後片付けも終わり、再びリザが一人でバスルームに向かってしまった。  
話を切り出す機会はいくらでもあったのだが、ずっとリザが今にも泣きそうな表情をしており、話すことができずにいた。  
私は中尉のあの表情にも弱い。  
リザが風呂から出てきたから、今度こそ彼女にすべてを打ち明けて、きちんと話し合おう。  
「…ロイ…お風呂、どうぞ」  
ソファーに座ってリザを待っていると、洗面所の扉がゆっくりと開いて、か細い声が耳に届いた。  
タオルで肩につく髪を乾かしながら、リザがようやく風呂から出て来た。  
私に風呂に入るように促すリザの目元がわずかに赤く、それが風呂上がりのせいでないことは明らかだった。  
風呂で一人で泣いていたのかと胸が痛む。  
「…ロイ…あの、私、今日も客間で…」  
「今日は一緒に寝よう、リザ」  
「…え…っ」  
何かあれば泣いてしまいそうなリザの表情を見ないようにして、寝室へと彼女を引っ張っていく。  
「…やだ、ロイ!私は一人で…っ!」  
「…そんなに私と眠るのが嫌か?」  
「…違う…違うけど…!」  
暴れるリザを無理矢理ベッドに座らせ、足元に膝をつき、彼女と視線を合わせる。  
両手で柔らかい頬を挟むと、暗闇でも分かるほど大きな瞳が潤んだ。  
「ちがう、の…。一人で眠れるから、ロイは気を遣わないで…」  
「気を遣ってなんかないよ」  
「嘘!」  
リザがヒステリックに叫ぶのと同時に、鳶色の瞳が濡れる。  
「私、何でもちゃんと一人でできるの…!お風呂に入るのも、眠るのも…!」  
リザの震えている声がだんだんと小さくなっていく。  
「『中尉』だってそうだったんでしょ?だから、ロイに迷惑掛けないで…何でも一人でやりたいのに…っ」  
リザが俯いた時、一筋の涙が彼女の頬を伝った。  
「…早く…早く『中尉』に戻りたい…っ!」  
そう言ったリザは、今まで我慢して抑えていたものを解放するように、涙をぼろぼろと流した。  
堰を切ったように瞳から涙が溢れ出し、泣き濡れた顔が悲しみに歪む。  
 
「私じゃ…全然『中尉』みたいにできなくて悔しいの…っ。みんなは『中尉』にいてほしいのに、どうして私なの?どうして何もできない私になっちゃったの?」  
「リザは…そんなことを考えていたのか」  
「…ロイだって…私じゃなくて『中尉』にいてほしいんでしょ…?」  
「…リザ、そんなこと誰一人思っていないよ。それはリザの独りよがりだ。中尉もリザも、皆どちらも大切に思っているよ」  
「…嘘…っ、みんなが必要なのは…私じゃなくて『中尉』なの…!」  
しゃくりあげながら、高い声でリザが叫ぶ。  
「違う。違うよ、リザ。信じてくれ。中尉とリザを比べるなんてくだらないことだ。どちらもかけがえのない存在で、必要なんだ。皆も、私も」  
抱き寄せようとするとリザは嫌がったが、無理矢理腕の中に収める。  
どうか信じてくれと、長い髪を掻き分けて耳に直接訴える。  
「…信じられないよ…ロイ…」  
ごめんねと謝りながらリザが泣きじゃくる。  
「…私は…リザは何もできないんだもん…」  
「ただリザがいてくれるだけでいいんだ。存在が愛おしいんだよ、リザ」  
信じてほしいと切に願いながら、より強くリザを抱きしめる。  
「今はすぐにすべてを理解するのは難しいかもしれないが…これだけは信じてくれ。私はリザが好きなんだ。愛している」  
「…ほんとに…?」  
「本当だ」  
「…『中尉』じゃなくても…ロイは、リザのことが好き…?」  
「ああ」  
リザの目尻からまた一粒涙が溢れ落ちた。  
「…こ、怖かったの…。『中尉』の方がいいって、ロイが思うのが怖かった…。…リザが嫌われたらどうしようって…っ」  
「気付いてやれなくてすまなかった。苦しかっただろう?ごめんな、リザ…」  
再び泣き出したリザをあやすように抱き締め、涙で濡れた顔中に口付けを落とす。  
それでもまだ足りなくて、リザをベッドに押し倒し、体と体の間に隙間ができないように密着させた。  
耳の方へ流れていく涙に口付けて舌で拭う。  
「…リザ、愛しているよ…」  
鳴咽にふるふると震えている唇に、噛み付くように口付けた。  
リザは泣いているせいで呼吸が苦しそうだったが、それに構わず貪るように舌を絡める。  
リザが愛おしくてたまらない。  
中尉はどんな姿になっても私を愛し、そして私も例え中尉が形を変えても中尉であるならば愛おしいという事実が気持ちを高揚させる。  
例え中尉の一部が変わったとしても、世界で一番愛おしいひとであることに変わりはないのだ。  
「…ふ、ぁ…っ」  
唇を離すと銀の橋が二人を繋いで、ぽたりとリザの顎に落ちた。  
リザは肩で息をしており、悲しみではなく熱に潤んだ瞳がぼんやりと私を映している。  
リザの唇の端から溢れた唾液を舌で拭い取る。  
リザに休む暇を与えずにもう一度深く口付けていると、一方で手が自然と彼女のパジャマのボタンを外し出す。  
リザの目が大きく見開かれ、明らかに動揺の色を滲ませていた。  
「…え…ロイ…?…あっ、や…!」  
白い首筋に顔を埋めて、中尉の弱いところに吸い付くと、リザもびくりと敏感に体を震わせた。  
肌に吸い付いて首元に赤い痕をいくつも残しているうちに、パジャマのボタンを全部外し終えた。  
ボタンを外した隙間から、リザ本来の甘い香りがする。  
 

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