するべきじゃなかった。答えるべきじゃなかった。言うべきじゃなかった。  
そんなこと、わかってる。わかってるけど、俺はそうしなかった。  
 
潜伏していたウィンリィの部屋で、当の本人と鉢合わせして、スパナでぶん殴られたのはお約束だ。  
はっ、まったくこいつはいつもいつも、がさつで乱暴な女だぜ。  
「ねえ、もしかしてあんたたちの旅が危険だったのって、8割方あんたのせいじゃない?」  
「うるせえよ。それよか早く整備頼む。」  
憮然として答えると、やれやれという風に肩をすくめ、これ見よがしにため息つきゃぁがった。  
ポニーテイルを揺らして背を向けると、トランクにかがみこんで工具類を取り出していく。  
道具類は全部トランクの中か。出張帰りだもんな。つっか、あの細腕でよく持てるな、あのトランク。  
「わかったわよ。早く整備しちゃいましょ。脱いで」  
「おう。」  
返事はしたものの、いいのか。ここ、ウィンリィの寝室なんだが…。  
つってもなあ。しょうがねえ。言ったのはあいつだかんな。  
俺はもぞもぞと服を脱ぐとベッドの上にうつぶせに寝転がった。  
枕にばふんと顔を埋めると、あいつの髪の香りがした。  
うー。なんだよ、いつの間にか女くさくなりやがって。いつも機械油まみれの鉄粉汚れだらけの汗まみれのくせに。  
なんとなく、むずがゆいような居心地の悪さ。  
ウィンリィがいつも寝ているベッドということを不意に強く意識してしまった。  
待て、俺。  
いや、俺だって健康な青少年だから、その、なんだ。  
 
やばい。うつ伏せでよかった(汗)  
 
枕に顔を埋めているので見えないが、向こうでは小さく「よしっ」と気合をいれる気配。  
あー、もう、なんだあの可愛いしぐさ。らしくねぇ、らしくねぇよウィンリィ。  
思わずじたばたしたくなるような衝動と戦っていると、近づいてきたウィンリィが小さく息を呑んだ。  
 
「ちょっと、その傷」  
言われて、はっと気づく。ブリッグズ砦でキンブリーと戦ったとき、鉄骨に貫かれた傷。  
「お…おう。」  
「おうじゃないわよ!どうしたのそれ!」  
傷跡を改めていた手が腹側の傷跡にも触れる。指先に小さな震えが走っている。  
「なにがあったの。」  
キッとにらみつけられ、詰問口調で問われたが、泣き出しそうなのを押さえているのか掠れている声はもう涙声だ。  
「あー。炭鉱でキンブリーとやりあったときにだな、その…ちょっとドジって鉄骨が…。」  
言い訳しつつ、ちらっとあたりを見回して、スパナがないのを思わず確認しちまったぜ。  
やめてくれ、お前を泣かしたくなんてないんだよ。俺なら大丈夫だから。泣くな、ウィンリィ。  
「でも今はなんともないぜ。ちゃんと治療したし…おかげで少し動き出しが遅れたけど、今はこの通り心配ないから。」  
「心配ないって…!」  
みるみるうちにウィンリィの大きな瞳に涙が盛り上がり、口がへの字に引き結ばれてゆがむ。  
ばっと顔を伏せるとふるふると小さく首を振り何事か小さくつぶやきかけてやめた。  
つと手を伸ばし、もういちど俺の傷跡にそっと触れる。  
 
まるで今負ったばかりの傷に触れるようにおそるおそる指を伝わせる仕草。  
白い指先が触れるか触れないかの繊細さで傷の形をたどっていく。  
「お前、ちょっ…おい!」  
「黙って。」  
真剣な瞳。涙が零れ落ちそうなのをまばたきで払い落とし、気遣わしげに。そして、熱心に。  
彼女の指先の動きに俺の全神経が波立った。つぃ、と指が脇腹に落ちて腹側の傷へとつたっていったときにはまるで電気が走ったようだった。  
さっき俺の中に芽生えたよからぬ衝動が抑え切れそうもなく沸き立ってしまう…。  
「ウィンリィ、ちょっとマジ勘弁…」  
冗談めかしていったつもりが、思わず声がかすれた。  
ウィンリィが慌てたように手をひっこめる。「ごめん、痛かった?」って、おい。違うっつーの。  
ああ、もう、俺、なんでこんなときにこんな風になっちまうわけ?  
「そうじゃなくて」  
なんていえばいいんだよ。まったく。説明できるわけもなく…。  
心配そうなウィンリィをまともに見ることができず、思わず俺は目を伏せた。  
「でもあんた」  
やめろ。追求しないでくれ。俺は…心配してもらってるってのに…。  
最低だ…。  
 
 
「エド。」  
かすれた声で呼ばれて、俺は目をあげた。すぐそこに、白い顔。俺の顔の上にかぶさるように。  
見慣れた顔。ウィンリィの瞳。ウィンリィの唇。  
「エド。」  
もういちど、その唇が動いて俺の名を形作った。ふわりと香る、さっきと同じ髪の香り。  
どうしたいのか、どうしたらいいのか、もうなにも考えられなかった。  
重なった唇の溶けるような柔らかさと熱しかなかった。  
抱き寄せた体の重みが心地よかった。左腕に伝わる温かみが右腕から感じられないことにちくりと心が痛んだ。  
いつの間にウィンリィの体は、俺がすっぽり抱きすくめることができるほど柔らかくしなやかになったのだろう。  
くちづけをしている間にも、ウィンリィの唇はかすかに動いて、声にならぬ声で俺の名を形作った。  
 
唇を離し、ウィンリィは俺にしがみついた。そのまま俺の肩に顔をうずめ、また、口の形だけで俺の名を呼んだ。  
どうして俺がキスしたくなったってわかった?どうして俺にキスした?どうしてそんなに悲しそうに俺の名を呼ぶ?  
いろんな思いが頭の中を錯綜し、いくつも問いたいことがよぎったが、俺はこうしかいえなかった。  
「どうして。」  
「だって。」  
俺の肩に顔をうずめたまま、ウィンリィがつぶやく。勘弁してくれ。もう、俺は…。  
 
衝動のままに、俺はウィンリィの顔をすくいあげ、唇を重ねた。  
夢中で彼女の唇をむさぼる。俺の飢えを感じたように彼女の唇が薄く開き、舌が俺の唇に触れる。  
甘い、熱い、ぬめった口の中に舌を差し入れると、くちゅりと水音がした。  
いつの間にか俺はウィンリィに覆いかぶさり、抱きすくめ、彼女の体の形を左手で確かめるように写し取るようにたどっていた。  
うなじのなめらかさ、鎖骨の繊細さ、頬のやわらかさとまるみ、さらさらした髪、少し筋肉質でほっそりとした二の腕を。  
彼女の手も俺の体中をたどっている。柔らかい手のひらが熱い軌跡を俺の体に残していく。  
 
 
どのくらいそうしていただろうか。  
どちらからともなく唇が離れ、俺たちはしばらく何も言えずに見つめあっていた。  
うるんだ瞳と上気した頬が、ガキのころのこいつの泣き顔と重なった。  
無意識に顔を寄せ、こつん、とあわせてウィンリィの目を覗き込む。こいつが泣くのには昔から弱いんだ。  
頼むから泣かないでくれよ、ウィンリィ。左腕に感じるお前のぬくもり、右腕には感じられないんだよ。  
くそっ、愛しいってことはこんなに痛いことなのか。ぬくもりってのはこんなに離れがたいものなのか。  
今から伝えなければならないことが、まるで刃のように心に突き刺さる。  
 
「こんなことしといて何だけど」  
「何。」  
「成し遂げなければいけないことがある。」  
「知ってる」  
「だから、卑怯だと思うけど…こんな中途半端な状況じゃ、俺は何も言えない。」  
「うん。わかってるよ。」  
 
ささやくような返事。真剣なまなざし。その中にある揺らぎ無い信頼に、俺は今更ながら気づいた。  
戦いの日々に連れてはいけない。まだ俺とアルの旅は終わっていない。  
そんな俺でも待ってくれるのか。待っていてくれるというのか。俺にはこんなことしか言えないというのに。  
 
「ごめんな。」  
 
「謝んないの!!」  
大音声とともに、スパナがとんできて目から星がとんだ。  
「いってぇええええ!」  
仁王立ちでにらみつけるウィンリィ。まだ頬は上気しているが、もうすっかりいつもの彼女だ。  
痛む頭を抱えた俺としばらくにらみ合っていたが、同時にぷっと吹き出した。  
そうだよな。俺たち、湿っぽいことはいやだよな。  
「整備しなきゃね。完璧にやっといてあげるわよ。」  
おう、頼むぜ。俺の整備士殿。  
 
キスなんてするべきじゃなかった。愛に答えるべきじゃなかった。  
そして、あんなことは言うべきじゃなかった。  
そんなこと、わかってる。わかってるけど、俺はそうしなかった。  
そうしたくなかった。  
 
「待ってろ。」  
 
整備が終わってウィンリィの部屋を出るとき、俺は言わずにおれなかった。  
一瞬息を呑み、涙ぐんで微笑んで「うん」といった顔は母さんの笑顔のように綺麗だった。  
闇の中を歩きながら、右手の指で俺は自分の唇をなぞった。硬い鋼の指で。  
まだ俺にはやらなきゃいけないことがある。それをやり遂げてもこの指にお前を感じることはできないかもしれない。  
でも、この機械鎧はお前の作ってくれたものだ。こいつをつけている限り、俺はお前をいつもそばに感じている。  
立ち止まり、振り返り、お前の部屋の窓を眺め、それでも俺は前に進む。  
いつか成し遂げることを成し遂げたときに、お前を嬉し泣きさせるために。  
そして、そのときには、あのふたつのキスの答えあわせと続きをするぞ。絶対に。  
 
俺は帰ってくる。だからお前は待ってろ。俺は約束は守るし、守らせてやるから。  
 

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