見るべきじゃなかった。尋ねるべきじゃなかった。触れるべきじゃなかった。  
そうしたら後戻りできないのだと、あらかじめ知っておくべきだったのに。  
 
久しぶりにエドに会ったのは、春先のリゼンブールだった。  
あたしの部屋でのほほんと食事をしていた彼にスパナを投げつけ、事情を聞き出す。  
エドの説明は相変わらずかいつまんだものだったけれど、あたしたちの潜伏と違ってずいぶん派手にやらかしていたことはよーくわかった。  
 
「ねえ、もしかしてあんたたちの旅が危険だったのって、8割方あんたのせいじゃない?」  
「うるせえよ。それよか早く整備頼む。」  
ぶっきらぼうなエドの態度に、図星をさしたことを実感する。あたしはひそかにため息をついた。  
エドが危険のパレードに喧嘩を売るような人間なのは、とっくに承知しているけれど。  
「わかったわよ。早く整備しちゃいましょ。脱いで。」  
「おう。」  
もそもそとエドが服を脱ぐ音がする。  
(惚れてるはずなのに色気ないなあ…あたし)  
好きな人の裸を見ても動じない10代女子ってどうなの。  
そんな思いをかき消すように、エプロンをしめて工具の準備をし、よしっと気合を入れた。  
リオールでも頼まれて間に合わせ程度の整備はしていたが、本格的に一から取りかかるのは久しぶりだった。  
特に今回は絶対手を抜けない。自分にできる最大のことをする。それがあたしなりの応援だと思いながら振り向き…  
 
あたしは目を疑った。  
 
「ちょっと、その傷。」  
「…おう。」  
「おうじゃないわよ。どうしたのそれ。」  
思わず駆け寄り、背中もチェックする。お腹と背中のほぼ同じ位置に大きな生々しい傷跡。  
まるで何かに貫かれたみたいな。これが尋常じゃないことくらい、あたしにもわかる。  
「なにがあったの。」  
湿りそうな声を必死で抑えてエドをにらみつける。  
いくら彼が大事なことを言いたがらないとはいえ、これを見逃すわけにはいかなかった。  
「あー。炭鉱でキンブリーとやりあったときにだな、その…ちょっとドジって鉄骨が…。」  
爆発があった。そうエンヴィーが話していたことを思い出す。それじゃあ、そのとき。  
「でも今はなんともないぜ。ちゃんと治療したし…おかげで少し動き出しが遅れたけど、今はこの通り心配ないから。」  
「心配ないって…!」  
そんな、心配するしないはあたしが決めることじゃない。のど元まで出かかった言葉をどうにか呑み込んだ。  
全部言うとそれだけで泣いてしまいそうだったから。だから、喋るかわりに彼の傷跡に指を這わせた。  
 
大きなケロイド。形をなぞるように、ゆっくりその大きさと形を確かめる。  
「お前、ちょっ…おい!」  
「黙って。」  
どれほど痛かったろう。半端な怪我じゃなかったはずだ。あの北の地で、あたしと別れた後こんなことになっていたなんて。  
つい、と指の腹で脇腹のほうをさすると、彼の身体がびくんと跳ねた。  
「ウィンリィ、ちょっとマジ勘弁…」  
「ごめん、痛かった?」あわてて指の動きを止める。  
「そうじゃなくて。」  
「でもあんた」  
辛そうよ。そう言おうとしてエドと目があった。何かを我慢するような表情に、ふいに状況を理解する。  
ベッドの上に半裸で横たわる彼。覆いかぶさるようにして、その身体に指を這わせるあたし。  
(ちょっと、この状況って…!)  
どうしよう。やばい。自分の鼓動がやけにうるさい。  
(こんな、まるであたしが襲ってるみたいな…)  
 
どうして脱がせたんだろう。どうして傷の理由を尋ねたんだ。どうして触ったんだ。  
失敗したなあ、笑ってすませて仕事に戻らなくちゃ。そう頭ではわかっているのに身体が動かない。  
仕事中なのにぐわっと自分の女の子の部分が押し寄せてきて、整備士のあたしを圧迫する。  
 
「エド。」かすれた声で彼の名前を呼んだ。金色の瞳に引き寄せられる。  
ずっと会いたくて仕方なかった。  
アルがいて、お父さんがいて、マルコーさんやジェルソさん、ザンパノさんやロゼさん。色んな人に良くしてもらったけれど。  
逃亡中の半端な身分の中で、誰もあたしに不自由させなかったけれど、あたしにはエドが不足していたのだ。  
かたりと椅子を引いて中腰になる。どちらからともなく、唇が重なった。やわらかい感触をゆっくり味わう。  
 
キスを終えるとエドがあたしの腰を抱いた。右腕の堅い感触が愛しい。そのまま耳元でエドがぽつりとつぶやく。  
「どうして。」  
彼が左手であたしの髪を撫でる。暖かい手。あたしがあの男に銃口を向けたとき、あの男を赦したときも触れてくれた特別な手。  
ごつごつとした肩の骨を首筋に感じながらつぶやいた。  
「だって。」再びキス。今度は明らかに彼のほうから。頭をぎゅっと抱え込まれ、身動きも取れない状態でキスされる。  
 
薄く唇を開いて、エドの唇を舌でつついた。彼も舌を出して応える。少し乱暴に舌が絡まった。  
くちゅり、と恥ずかしくなるような音が聞こえ、思わず声が漏れる。角度を変えて何度もキスを味わう。  
エドの左手があたしの頬や耳元や髪の毛や首筋や、色んなところを撫でる。あたしも負けずと触り返す。  
エドの濃い金髪も、うすい耳朶も、たくましい首や好きでたまらない背中や、そこだけまだ感触の違う傷跡や。  
 
どれくらいそうしていただろう。吐息とともに唇が離れる。エドが額がこつんとあわせて、あたしの眼を覗き込んだ。  
子どもの頃、泣いたあたしを慰めようとした子どもの彼を思い出す。  
 
「こんなことしといて難だけど。」  
「何。」  
「成し遂げなければいけないことがある。」  
「知ってる。」  
「だから、卑怯だと思うけど…こんな中途半端な状況じゃ、俺は何も言えない。」  
「うん。わかってるよ。」  
「ごめんな。」  
「謝んないの!!」  
あたしは思わず手近にあったスパナで殴りつけた。いってえ!と叫ぶエドは昔通りのエドのまま。  
それで今は満足するしかないと思った。大事なことを言えないエドと答えられないあたしは、困ったように笑いあう。  
後ろを向いて、気にしない気にしない、と呪文のように自分に言い聞かせた。  
胸の中を侵食してあふれ出しそうな気持ちをどうにか抑え、整備士に戻ったあたしは目の前のクライアントに告げた。  
「整備しなきゃね。完璧にやっといてあげるわよ。」  
 
そうして整備を終わらせ、宵闇にまぎれてエドは出ていった。あたしにまたひとつ、約束を残して。  
「待ってろ。」  
出て行きしなに、エドがあたしに告げた言葉をかみ締める。  
(何も言えないなんていっておいて、ずるいじゃない。)  
交わしたキスの感触を確かめるように指で唇をなぞった。  
簡単に成し遂げられないことばかりが、彼らの身の上には降りかかる。  
でも結局、惚れているなら信じて待つしかないのだ。  
あたしもエドもそうやって、自分にできることを精一杯やるしかない。  
 
ねえ、エド。祈るようにあたしは夜空を見上げた。  
あんたたちが全部終わらせて戻ってきたら、みんなで散々うれし泣きをして、あたしの自信作のアップルパイを食べて、旅の話をしよう。  
その後、今度はふたりきりで、あのふたつのキスの答え合わせと続きをしましょう。  
そうしてあたしを泣かせてほしい。  
 
だって泣き虫のあたしの涙腺は、ちょっとやそっとじゃ枯れ果てたりなんかはしないんだから。  
 

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