「落ち着きましたか?」  
ここは軍の施設内に何ヶ所か設けられている仮眠室。この部屋には、ベットが手前から数えて四つ並んでいる。  
さすがに大総統の目が一番近い東方司令部では、サボって寝に来る人はいないようだった。  
 
暖かい気候で陽射しが眩しいはずだが、カーテンを引いたため部屋内に灰色の影が覆っている  
七センチほど開けた窓の隙間からはそよそよと風が流れ込み、居心地は悪くない。  
 
リザは、渡された濡れタオルで目元を拭う。  
目蓋が腫れぽったく、硝子体が赤い線を数本描いていた。  
 
「…最近、泣き顔しか見られてない気がするわ」  
照れ隠しのためか、おぼろ気な声で言った  
 
それを聞くと、ハボックは口元を緩めて笑う 「はは、それだけ言える様になりゃ もう平気みたいですね」  
懐からタバコを一本取り出すと、パイプ椅子から立ち上がり窓に背を向けた。  
 
彼の存在を表す、もうひとつの自己主張。  
"煙草"の匂い。  
あまり好きなジャンルの香りではないが、今日に限って妙に落ち着くのは何故だろう。  
ぼんやりする頭でリザは考えた。泣くのにも、結構エネルギーを使うのだから。  
 
「つーか…泣いてた理由を聞くのは、規則違反ですよね?」  
ベットに腰をかけているリザへそう、問いかけた。  
冗談めいた口調なのに、顔は真剣に見えるのはリザの気のせいではない。  
彼女は目を伏せると、視線が床下へと移行した。  
黙ったままだ。  
「…」  
「あ、いや。言いたくなかったら良いですから」  
手にした煙草の先端の白灰が、ゆるい排煙を起こして燃焼していく。  
 
たっぷり間をおいてから、リザは上唇を上げた。  
「…私…。あなたに謝らなければいけないことが沢山あるわ…」  
手にしたタオルを握り締めて、ハボックの顔を見た。  
 
(声、震わしちゃって…。相当無理してんな。)  
ハボックは表情を変えないまま、指の間にある煙草を唇にくわえた。  
「いや、俺もでしょ。謝るのは。それでおあいこでいいじゃないんですか?」  
くぐもった声で返答した。  
 
「なんで…あなたはいつも…、そうやって許してしまうの?」  
大佐が言った単語と同じ"おあいこ"。許してなんか欲しくない。  
簡単に割り切ってしまう程、自分は相手にとってどうでもいい人なのかと思うと、自分の存在意義がわからなくなる。  
 
「『割り切らないと、やってけないこともある』。そう言ってたの、中尉でしょうに」  
その言葉は確かに、昔のリザの言葉だった。  
 
今こそ落ち着いているが、軍に来たばかりのハボックはわりかし短気な方だった。  
特に、上層部の腐った奴等が権限を振り翳して、自分は動かない怠慢ぷりにはほとほと嫌気を指していた。  
 
そんな、生傷や闘争が絶えない彼に言ったこと。  
『「気持ちは分かるわ。でもね、割り切らないとやっていけないこともあるの。自分の力だけじゃどうしようもないことが。』  
 
あぁ、そうなんだ。  
と飲み込むまで大分 時間は掛かった。  
社会の中で生きて行くには、多少の我慢は当然なんだ。そんなに多くは望めないのだ、と。  
 
それから彼は、いい意味でも悪い意味でも少々冷めてしまった。  
 
「…そうだったわね。あの時は勝手な事を言ってごめんなさい…。」  
「謝らないで下さいって。俺、そんなつもりで言ったんじゃないですから。」  
それに、あのままだったらどっちにしろ 目を付けられて色々とやばかったかもしれないし。  
と 今だから思えること。  
 
「それに、俺がガキでしたから。」  
「…私、あなたに偉そうな事を言っておいて、自分は…最低なことをしたわ…」  
 
あの、だからいいですって もう。あんた真面目すぎるんだよ。  
そんな弱々しい顔見せられたら、どうにかしたくなりますから。  
ていうか、健気だよな。これだけ相手のこと思ってんだろ?  
 
「待って、聞いて欲しいの…」  
 
聞いて欲しい。というより、弱音吐きたいんでしょう?  
それで俺が全部聞いてあげて、中尉は悪くないですよ。とでも言えば納得するんですか?  
 
好きなのに。  
好きだから、余計腹ただしい。  
 
「…少尉…私は、」  
「聞きたくない」  
 
割って入るように声を発する。  
すると、中尉は、眉を八の字にした。唇を軽く噛み締め、湧き上がってくる感情を懸命に殺している様子。  
目にはまた 薄っすらと涙が染み出してきている。  
先ほど泣いたばかりのせいか、涙腺がただでさえ緩んでいるのだ。  
そんなリザをじっと見つめる。  
 
(あぁ…、なんか本当まいってるみたいだ。)  
 
精神不安定。ボロボロで、今にも泣き出しそうな顔。  
 
本当、可愛いったらない。  
抑制していた気持ちが爆発しそうになる。  
 
こんな表情の中尉はめったにお目にかかれない。  
一秒だって目が離せない。  
 
それからハボックは吸い掛けの煙草を、コーヒーの入った紙コップへ投げ捨てた。  
じゅっ。と音がして消火されたのを確認すると視点を変える。  
 
「俺だって、割り切りたくたって割り切れないこともあるんですよ」  
 
窓際からリザの元へ一歩 にじりよる。  
「俺は、あなたの思ってるようないい人じゃない。」  
 
カッ。些か力がこもった脚取りで、更に進む。  
リザは思わず視線をそらした。  
 
「知ってますよ。全部」  
全部知っていて 言わなかった俺だって 同罪だ。  
 
誰も責めることなんで できない。  
俺たちはもう 大人なのだから。  
したことの責任は自分で償うだけだ。  
 
「俺は、あなたと大佐の関係知ってて抱いたんです。」  
だから  
「いっそ、これで別れてくれれば良いって思った」  
それほどまでに  
 
「好きなんスよ…中尉のこと」  
 
謝って、全部なかったことにすんのは無しですよ。  
忘れさせてなんて、やらない。  
たとえそれが、狂気とかいう部類の愛情だとしても。  
 
 
「駄目…私は…、あなたを利用してしまった…。そんな資格ないわ…」  
私はただ、あの人に振り向いて欲しくて。必要とされている実感が欲しくて。あなたとしたの。  
あなたがいつも 温かい目で見ててくれたことに気付いていたのに…。  
 
なんて 私は最低な女。  
 
「そうやって逃げないで下さいよ…。俺だったら、絶対中尉以外を見たりしない…。」  
だから。  
俺のこと 好きになってくださいよ。  
幸せにしたいんです。  
 
自分の喉から引き出す声に、思わず苦笑いが出そうになる。  
震えてんのは、自分のほうだ。  
 
 
抵抗のないリザの肩を抱くと、ベットへ組み敷くように押し倒す。  
 
二人の視線が繋がる。  
ハボックは、リザの滲んだ瞳に口付ける。両方とも。  
 
 
何もしなくていいから、抱きしめていたい。  
 
 
あなたとの距離を縮めたい。  
空白の時間を埋めたい。  
 
ただ それだけなんスよ。  
 
 
 
 
あなたにとっては、押し付けがましいだけなのかもしれないけど。  
 

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