嫌でも 朝は来てしまった…。  
 
カーテンの隙間から差し込む緩い角度の朝日と、小鳥の囀り。  
ベットの中で膝を抱えたまま彼女は、フローリングで寝息を立てている犬をぼんやりと見つめていた。  
 
コーヒーにだけ口をつけると、足元に纏わりついてくる愛犬を一撫でして、玄関に施錠をした。  
結局眠れぬままに、リザは出勤することになった。  
 
足取りが重たい。疲れだけから来るものではないこの気だるさは一体何なのか。  
(できるならば…、このままどこかへ逃げてしまいたい。)  
 
一瞬、そんな考えが頭を掠めた。しかし、そこを繋ぎ止めるのは仕事へのプライドと責任感があるからで。  
逃げるなんて できるわけもなく。自分のそんな性格に、自分でも嫌になる。  
 
腕の時計は、出勤時間の1時間も前。道路を歩く人の中に、子供もようやく増えだした時間だ。  
今日もいつものように一日が始まり、慌しく過ぎていくのであろう。  
いや、そうであって欲しい とリザは心の中で祈った。  
 
軍の私物置き場…いわゆるロッカー室で身なりを整え、廊下を歩く頃には彼女はホークアイ中尉。へと変わっていた。  
一つに束ねている髪が、彼女の厳格さを象徴しているかのようで凛々しい。  
 
少し歩くと後ろから パタパタと走る足音が、近づいてきた。  
 
「おはようございます。中尉。」  
「おはよう。フュリー曹長」  
 
歩きながらの、一日のタイムテーブルなどの簡単な打ち合わせ、ブラックハヤテについての軽い談笑もしつつ司令室へと歩んでいった。  
「そういえば、大佐 今日戻られたんですよね?また忙しくなりますね中尉。」  
少年を思わせるような、優しい笑顔でフュリーは言った。  
特に意識せずに言われた一言に、心が揺れた。  
その言葉に、どう返事をしていいか。一瞬、迷ってから、  
「…。そうね、たまった書類の山を何とかしてもらわないと」  
と、苦笑いに近いような笑みを彼女は浮かべた。  
笑顔は苦手だから、彼女はいつも苦笑いに近い笑顔を作る。それでも充分に綺麗だったが…。  
 
今のは、本当に"作り"笑顔だったが。  
 
廊下ですれ違う人が増えていく。  
慌しく、走って行く者もいた。  
忙しければいい。何も考えなくて済むからだ。  
司令室に届けられた マスタング大佐宛の書類が23枚。  
周囲地域の被害報告書から、とある危険人物についての警告書類。  
どれも提出期限が間近に迫っているものだった。  
やはり、いつものように自分が届けに行くのであろう。誰かに頼めばそれまでだが…−−。  
避ける=後ろめたい・逃げる。と直結に思われるのはやはり嫌だ。特にあの人には。  
 
大佐の執務室への道程が、まるで死刑執行台に向かう途中のようにすら感じる。  
足に枷が着けられたかのように重たい。心臓の高鳴りが大きくなっていくのがわかる。  
朝からまだ一度も会っていない。言葉だって交わしてもいない。  
 
(あの人はどんな顔をするのだろうか。)  
(あの人は何て言うのだろうか。)  
『会うのが怖い。』これが正直なリザの気持ちだった。  
でも、自分が望んだ現実。であり結果だ。受け止めるのは、当然の義務である。  
逃げるわけにはいかない。  
 
息を深く吸い込んだのち。重厚な樹の造りがどっしりと構えている、ドアを2回叩く。  
コンコン。  
「ホークアイです。失礼致します。」  
 
ドアを抜けて見ると、窓際の大佐専用デスクに彼はいた。  
『焔の錬金術師』の二つ名を持つ、ロイ・マスタングが。  
「あぁ、君か…どうかしたかね?」  
腕を机の上で組んだまま、微笑ともつかぬ表情でリザを見た。  
感情の読み取れない顔だ。そして、いつも道理の漆黒の瞳がリザを映す。声の音調にも乱れは見えない。そんなロイに、リザは驚きを隠せなかった。  
 
「…、本日中に提出となっている書類が23枚あります。重要なものから上にしておきましたので、順番にお願い致します。」  
それだけ言うと、彼女は会釈程度のお辞儀をして、足をドアの方へと向けた。  
ドアの前に立つと、もう一度だけ彼女は振り返った。  
彼の視線が痛い。胸が詰まるように苦しい。呼吸とともに、唇から言葉が零れてしまいそうだ。  
 
「大佐…」  
たぶん、耳を澄まさないと聞こえないくらいの小さな声が。勝手に喉から滑り出した。  
リザはハッとして、急いでドアノブに手をかけようとした。  
その時。  
 
「待ちたまえ」  
ピタリ。とリザの動きが止まる。目線に捕らえられた様な感覚さえ感じる。  
「君が何を言いたいか、当ててあげよう」  
何秒か間をあけると、ロイは唇を開いた。  
 
「昨日のことを気にしているんだろう?」  
「…」  
リザの脳内には、昨夜にここであった出来事が鮮明に思い出される。  
 
「…は…い」  
自分から出たのか、わからないぐらいの震えた声。  
何で私はこんなに震えているのか、自身でもわからない。  
 
その様子を目に捕らえてからロイは、万年筆にインクを付け直す。  
そして、ふっと笑う。  
この緊迫した状況で何を笑う事があるのか?  
リザは不思議な気持ちで相手の顔を見つめた。  
 
「私は構わないが?」  
「…今、何と…?」  
「だから、君が誰とセックスしようが一向に構わない。そう言った」  
「大佐…」  
 
そんな言葉望んで無い。欲しくない。  
壁に叩き付けてでも、言って欲しかった  
(君は私のものだ。他の男と寝るなんて許さない)と。  
 
リザの最後の希望も無残に打ち砕かれた。  
傷つけたかったのに、傷ついたのは 自分の方だ。  
 
「私も君以外の女と寝るなんて、ごく自然にしているのだから。御相子、だろう?」  
 
私たちはそんな関係じゃないだろう?  
 
リザは目の前がよく見えなくなる様な錯覚を起こした。  
ロイの声の最後の方は、殆どまともに聞き取れなかった気がする。  
「…私はそんなこと…」  
「仕事に戻りたまえ。心配しなくても逃げたりはしない」そう言って、ロイは視線を書類へと戻した。  
その瞳はもう、リザを見てはいなかった。  
ロイが書類の2枚目が読み終わりそうな頃、リザは大佐室から姿を消していた。  
 
夢中で走ると、焼け付きそうな程に胸が熱い。苦しい。  
 
何が狂ってこうなったのか。  
それともこうなる運命だったのか。  
瞳が潤む。廊下の絨毯がぼかしてあるように目に映って行った。  
 
ドンッ!  
 
無我夢中で走り抜けた、渡り廊下の終点で何かとぶつかる。  
冷静に考えれば今までぶつかならなかったのが不思議なくらいだが。  
 
顔を上げることも出来ないリザを覗き込んでくるのは、同僚であり部下である 昨日、一夜を共にした彼だった。  
 
ぶつかった時の身体の痛みなんて、感じる事ができないくらいズタズタに千切れた精神。  
 
「中尉…?!」  
その人の顔を見た瞬間に、我慢して居た何かがリザの中で溢れ出した。  
目頭から熱いものが止まらない。次から次へと涙の筋が頬を濡らしては零れて行った。  
 
「助…け、て」  
まともに発することができた単語はそれまで。  
あとはリザの泣き声が朝の廊下へと響き渡った。誰もいない渡り廊下は静かだった。  
ハボックは困惑しつつ、泣くことしかできないリザを優しく引き寄せた。  
もう感情のコントロールなど当に効かなくなったリザは、ただハボックの腕にしがみ付いてただ 涙を流していた。  
 

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