終業時刻間近の北方指令部執務室。各々書類提出やら片付けに出払い室内にはオリヴィエとマイルズの二人しかいなかった。  
「少将。お願いが2つばかりあるのですが…」  
「……何だ?」  
オリヴィエは冷めかけたコーヒーを口に含み見上げる。  
「明日一日休みを頂きたいのですが構いませんか?」  
「あぁ、こっちは何とかなるが…珍しいな。お前が休暇など」  
思い返せば補佐官となってから私的な休みはほとんど取っていない。問題は何もなく首を縦に振る。  
「……ちょっと家を片付けたいもので」  
「?大掃除でもするのか?」  
年末でもあるまいにとクスリと笑った。マメな性格ではあるがこんな中途半端な時期にやるものかなと考える。  
「えぇ。そうなりますね」  
変わった奴だと思いながらも自分も久しく部屋を掃除していないことを思い出した。  
「で、もう一つの頼みは?」  
「そのことなのですが、少将…私と結婚していただけませんか?」  
コーヒーカップをガチャンと音を立てておく。  
「……もう夕方だがまだ寝ぼけているみたいだな。外に出て頭を冷やしてこい」  
付き合い切れんと呆れて廊下に出る。途中すれ違った部下に飲み干したコーヒーカップを片付けさせた。普通の女なら泣いて喜びそうな事であるが相手は妻帯者。寝ぼけているとしかいいようがない。  
ため息を一つつくとシャワーを浴びて夜勤の準備に入る。  
「結婚ねぇ」  
彼女には結婚の何がいいのかが解らなかった。家柄のせいかお見合いの話は飽きることなくあったし、告白もされたことがあった。しかし今まで興味がなかったのだ。今更ながら婚期を逃した気はするが焦る気持もない。  
シャワーを浴びるとまた軍服に袖を通して執務室に戻る。  
「少将、お戻りになられましたか」  
「バッカニアか。……マイルズはどうした」  
「さぁ見かけませんでしたが」  
帰ったのかと思いながらまた席につく。  
「そうだ、明日は私が夜勤明けでマイルズが休みとなる。こっちのことはお前に任せたぞ」  
了解しました、と部下が敬礼をする。  
「休みなど…珍しいですね」  
「掃除をしたいそうだ」  
 
「……掃除……ですか」  
「何か気になる事でもあるのか?」  
翌月の勤務表を組もうかとした手を止める。  
「……気になるといいますか…プライベートな話ですよ」  
「言え」  
最後まで聞かないうちに命令が入る。部下は暫し躊躇うものの誤魔化しが利かないと諦める。  
「実は……マイルズ少佐の奥様が出ていったみたいで…」  
「早い話が逃げられたのか」  
「いえ、それはちょっと語弊があります」  
「意味がわからん」  
どう違うんだとペンを回す。  
「マイルズ少佐の家は、結婚した時から家庭内別居をしていたらしくて一緒に食事をしたこともないらしいです」  
それは夫婦なのだろうかと考えるも話は続けられた。  
「少佐の奥様は金融商の令嬢だったそうで、結婚したのもイシュバールの地域に顔を広めて事業を拡大するだけの…利用されたものだったそうで」  
「だが、世界情勢は一変した…か」  
くだらんと一蹴する。これだから嫌なのだ。利用されて巻き込まれいずれは捨てられる。実に醜いと眉を潜めた。  
「で、ついに昨日大喧嘩をして出ていった次第ですよ」  
そうかと言おうとして口が止まる。何でこの男はこんなに詳しいのか。  
「ただ単にアパートが隣なんですよ」  
昨日は遅くまですごい音だったと言って部下は帰っていった。  
 
時刻は朝の9時を回った。もう夜勤の勤務時間は終了した。  
オリヴィエは眠い頭を擦って着替え、自分の家に向かった。  
少将という身分ゆえ軍が用意したセキュリティのしっかりしたアパートがあるのだが、北に来る際に親が心配して用意してくれた使用人付きの家がある。  
もう大人なのだからそんなものはいらないと言うのだが一人暮らしをして家事をするのも面倒なので結局親が用意してくれた家で暮らしているのだ。  
ブーツの裏が圧雪を踏みしめる。ふと、部下のアパートの前を通りかかった。  
「ここがマイルズとバッカニアのアパートか…」  
お世辞にも新しいとは言えないアパートは煉瓦で堅固な造りに見えた。三階建てのアパートの階段を上っていく。上に上がるにつれて風は冷たくコートのベルトが靡く。  
目的の部屋を見つけると一瞬躊躇ったあとドアをノックした。  
しばらく風の音を聞いたあとドアが開いた。  
「少将?どうなさったのですか?」  
寒いですからと中に入るよう勧める。  
「……何だ。この惨状は」  
リビングに入って一通り見回したあとやっぱり来なければ良かったと後悔した。  
割れた食器を皮切りに中身が散ったクッションや止まったままの時計が床を埋めつくしている。  
「……ここはゴミ溜めか」  
「すみません。コーヒーを出したくてもカップがないものでして」  
「構わん。帰ったらすぐ寝るつもりだからな」  
そういってゴミを分別する彼を見つめた。  
「お見苦しいところをすみません…」  
「今日中に終わりそうか?」  
どうでしょうねとゴミを束ねる声が聞こえてきた。満杯になった袋を外に置き、新しい袋を出す。オリヴィエは奇跡的に無事だった皿を手に取る。  
「面倒くさいから全て捨ててしまえ。また新しく買えばいいだろ」  
「壊れていないものもありますので全て捨てては勿体無いですよ」  
「…………ならお前は私にこんな花柄の悪趣味な食器を使えと言うのか?」  
「…は…?少将…?それはもしや…」  
気持ち悪いと見ていた皿を袋に入れる。  
「私の妻になってくれるのですか?」  
「それはお前の捉え方次第だ」  
 
彼女は疲れた、と欠伸を一つした。  
「悪いが帰って寝る」  
「待ってください」  
腕を掴み引き留められ思わずよろけた。その体をマイルズの胸が受け止める。  
「よかったらここで休んでいきませんか?」  
「ゴミの中で寝る趣味はない」  
ご心配には及ばないと笑って部屋に案内する。部屋も家具が最低限しかないものの片付いていた。  
「……帰る。知らない女が寝たベッドには入れない」  
指令部の仮眠室とは訳が違うと主張する。  
「ご心配なく。ここは私の部屋です。前の妻とは一度も一緒に寝たことはありません」  
さすがにここまではバッカニアも知らなかったらしく初耳だった。顔を近づけられて反射的に離れる。  
「だが…」  
「まだ何か?」  
「……お前は部屋を出ていけ」  
グイグイと部屋から追い出して鍵をかける。外からは抗議の声が聞こえている。  
下心丸出しだと思いながらサーベルを近くに置きコートを脱ぐとベッドに入った。  
「ちょっと…少しょ…オリヴィエ!」  
開けてくださいという声がまだ響いていた。  
彼女はベッドに入る。  
「……マイルズの匂いだ。…ま、悪くないか」  
その後一人で熟睡し、夜まで起きなかった。  
 
 
数日後、隣にいたバッカニアの妻が昼間の騒ぎを聞き、別れて早々新しい女を連れ込んだという噂がたったそうな。  
 
 
おわり  
 

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