「へーえ、お前がランファンか」  
背後からの気配、そして声に振り向くと、そこには主がいた。  
「若…!」  
束ねられた長い黒髪。別れた時とは違うシン風の黒衣に、長いコート。  
賢者の石を自ら受け入れ、人造人間グリードと化したという彼―リンだった。  
 
無事であったのだ。  
だが込み上げる嬉しさは、すぐに違和感にせき止められる。  
シン訛りの無い、流暢なアメストリス語。  
ランファンの知る主は、こんな口調で話す事はない。  
何より感じられるこの気配は、彼のものではない。  
「違う、若じゃなイ…もしやお前が、グリードなのカ!?」  
ワンピースの袖の中に隠し持っていた苦無を咄嗟に構えるより早く、  
唯一残ったランファンの右腕は「リン」に捕らえられていた。  
 
「うああ…ッ…!」  
力ずくで引きずり倒され、したたかに打った左肩の傷が激痛を放つ。  
昼尚人通りのない、薄暗く狭い路地裏。  
機械鎧技師の手配のため別行動を取った祖父・フーはまだ戻って来そうにない。  
「くッ、放セ! 放さんカ!」  
「やめろよ、俺ぁ女と戦う趣味はねえ」  
女の身ながら、伊達にヤオ家の護衛は勤めていない。  
手負いとはいえ、並の男ならば跳ね除けて叩きのめすほどの力と技はある。  
 
だが、相手が悪かった。  
例え今は人造人間と同化してしまったとはいえ、  
敬愛する主の姿、声をした者に歯向かう事などランファンには出来ない。  
そしてグリードは、心の中に同居するリンを通じてそれをよく心得ていた。  
 
「可愛い面して、忠実だねェ」  
為す術もなく組み伏せられ、耳元でねっとりと囁かれる。  
圧し掛かってくる男の体が恐ろしい。  
その温もりは、歳の割に鍛えられた体の感触は、  
間違いなく自分を担ぎ上げて一緒に逃げてくれた優しい主のものなのに。  
「さすが、自慢の臣下だな」  
「許さなイ…これ以上、リン様を騙るナ…」  
「あン?」  
「化け物め、リン様を返セ…私の若を…今すぐ、返セ!」  
人間のそれではない、針のような虹彩が見下ろしてにやりと笑う。  
みるみる滲んでぼやけていくその笑顔は、  
ランファンのよく知る温かくほっとするような彼のそれではない。  
 
不意に、襟元に手が掛かる。  
そのまま絞められると思った瞬間、びりびりと耳障りな音が響き渡った。  
「やッ…!」  
まだ包帯を巻かれたままの上半身に触れる外気の感触に、  
ようやく着衣を引き裂かれ肌を晒された事を理解する。  
 
「なッ、何をすル…止セ、やめロ!」  
「私の若、ねえ…。姉ちゃん、何気に凄い事言うじゃねえか」  
リンの声で指摘され、さっと頬が染まる。  
「道理で皇子様と臣下にしちゃ、やけに親密だと思ってたが…。  
ははあ…もしかしてお前、こいつのお手付きって奴か?」  
「だッ、黙レ! 私はともかく、リン様を侮辱すると許さんゾ…!」  
「いいねえ、気に入った。じゃあこいつの体で、ご褒美をくれてやるよ」  
――戯言ヲ!  
そう言い返そうとした口は、リンの姿をしたそれで塞がれた。  
 
「んっ、ふ、んッ…」  
抵抗しようにも、この期に及んでやはり主に手は上げられない。  
それをいい事にグリードは音を立てて口腔を味わい、容赦なく服を毟り取っていく。  
申し訳程度に残された漆黒のワンピースはもはや本来の役を放棄し、  
徐々にあらわになるランファンの透き通るように白い素肌を淫靡に引き立て始めた。  
ついには左肩から胸を覆っていた包帯までも引き千切られ、  
形の良い胸と桜色のその頂がふるん、と現れる。  
 
存分に練り上げられた唾液の糸を引き、グリードの唇は下へ下へと這っていった。  
「いやァ…!!」  
首筋に、胸元に幾つもの赤い痕を付けられ、  
既に鷲掴みにされていた膨らみの先端も舌先で執拗に弄ばれる。  
「いいじゃねえか。どのみち、この体とやるんだからよ」  
当然、経験は全くない。  
初めての相手が心から慕ってやまぬリンとは、  
本来なら願ってさえいない幸せのはずだったのに。  
 
だが、今の彼は。  
「いや、いヤ! 若ぁッ…!」  
「ま、もっとも今の俺はリンじゃなくて、グリード様だがな」  
体中をまさぐられ、貪られるおぞましさに無意識に呼んだ名は、  
彼ではない彼の声にあっさり否定される。  
確かに、主は生きていると聞いたのに。  
体を乗っ取られつつも確かに生きているからこそ、  
わざわざあのようなシン語の伝言をくれたと思っていたのに。  
やはり彼は既に、グリードに取り込まれて消えてしまったのか。  
 
認め難い、だが認めざるを得ない絶望に涙が一筋零れ落ちる。  
これで、祖父と守り抜こうと誓った一族の希望は潰えてしまった。  
何よりも、待ち続けた大切な者はもう戻って来ない。  
せめてこの者を討ち取らねば。だが打ちひしがれた体は、  
それが主の姿をした仇と分かっていても思うように動いてくれない。  
「若…若ぁッ!」  
尚もリンを呼ぶランファンの口に切り裂いたばかりの布を押し込み、  
自害を防ぎつつ蹂躙の手はついに下肢に及び始めた。  
 
「ん、んン…!」  
いつの間にか開かされた脚の間に、グリードがいる。  
自分ですらろくに触れた事のないその部分を指でこじ開けられ、  
ランファンは声にならない悲鳴を上げた。  
「お、初物か? てっきりこのリンとやりまくりかと思ったぜ」  
「ッ…!」  
「まあ問題ねえよな、初めてがこいつって事になるんだからよ」  
下卑た笑いを浮かべながらグリードは黒衣を脱ぎ捨て、  
抗うランファンの前に熱く固く反り返った物を見せ付けた。  
 
初めて見るリンの物に恥らって顔を背けようとするが、  
その初心な反応に気を良くしたグリードはそれを許さない。  
耳まで赤く染まった顔を押さえつけ、  
まだ塞がれたままの口元を濡れた先端で何度もなぞる。  
「まずはしゃぶれ、と言いてえ所だがな」  
「ん、ン…んッ!」  
「さっきから中でリンの野郎がうるせえし、さっさと犯っちまうか」  
その言葉に驚く暇も与えられず、鋭い激痛がランファンの体を貫いた。  
 
違う。姿こそ同じでも、この男はリンではない。  
それでも、無意識に濡れ始めて受け入れてしまう己の体が。  
この男をリンと思い込み、浅ましく快感を探そうとする体が憎い。  
――ランファン、ランファン!  
――やめロ! 俺の臣下に何をすル!  
激しく揺さぶられなすがままに消えていく意識の中で、  
ランファンは今はっきりと愛しい主の気を感じた。  
 
「ちっ、いい所で上がってきやがって…  
いいじゃねえか、この女はお前の物、所有物なんだろ?」  
傍から見れば独り言にしか見えない様子で、グリードが吐き捨てる。  
――ふざけるナ、ランファンを物呼ばわりするのは許さン!  
リンは、消えてなどいなかった。  
今は同居したグリードの意識に半ば押さえ込まれつつも  
その強靭な精神力で自我を保ち続け、生きていたのだ。  
 
「ランファン! 大丈夫か!?」  
はっきりとしたシン語が、急速にランファンの意識を呼び戻していく。  
――若?  
気遣わしく見下ろしてくる顔に、グリードの陰はない。  
「若…正気に、戻られたのですね」  
口に詰められた布を取り去られ、  
ようやくランファンは涙混じりのその声を主に届ける事が出来た。  
 
だが、リンは首を横に振る。  
「いや、ランファン…俺はまだ…」  
――全く、いい所で邪魔をしやがって。  
重なるグリードの気に、エルリック兄弟から聞いた話を交えて全てを理解する。  
グリードに飲み込まれずにいる事が、既に奇跡だという事。  
その中でどうにか隙を窺い、逆にグリードを乗っ取り返そうと狙っている事。  
 
――分かったよ、今だけ代わってやっから。  
――せいぜい愉しめよ。  
「…あ!」  
それだけ言い残して消えたグリードの気に、現状をようやく思い出す。  
こんな事態だというのに、若く抑えの効かないリンの体は  
未だ固さを損なう事なくランファンと繋がったままだった。  
「すまない、今抜いてやるからな」  
「いいえ、どうかこのまま…」  
「いいのか? いや、俺は助かるんだが」  
「ならば尚の事…このまま、抱いて下さい…。  
あいつならともかく、私、若になら…」  
臣下の身で口に出せば無礼極まりない事だが、  
性欲と良心の間でうろたえる彼を何だか可愛い、とさえ思ってしまう。  
 
「俺の体とはいえ、怖かっただろう?」  
同じ体とは思えぬ不器用だが心の込もった愛撫が、  
一度は恐ろしい思いをしたランファンの肌に沁みていく。  
「…でも今の若は、お優しくて…」  
想うままに愛撫を返し、口付けを交わし、きつく抱き合う。  
左腕を失った肩の傷をさりげなく庇ってくれる優しさが、  
今はグリードではなくリンに抱かれているという至福を実感させる。  
 
改めて濡れた頃を見計らい、リンはゆっくりと動き始めた。  
まだ、初めてゆえの痛さは残る。  
だが気遣いの感じられるその動きに、  
彼ゆえに自然に身の内に沸き起こる悦びに、  
ランファンはあられもない嬌声を上げた。  
 
せめて今だけでいい、失くした左腕がもう一度欲しかった。  
左腕があれば、リンをもっと強く抱きしめられるのに。  
もっと深く、求め合う事が出来るのに。  
所詮は叶わぬ願いだったが、  
その結果は誰でもないリンによって叶えられる。  
 
「ランファン…」  
きつく抱きすくめられ、顔同士が近付く。  
「若、お慕いしております…」  
「ああ、俺もだ…」  
囁きあった想いは自然に重なり合い、  
音を立てて口の中で溶け合った。  
 
「あぁ、んっ…!」  
激しさを増した突き上げがもたらす快楽に、  
ランファンは背を反らせて身を委ねた。  
「ふ…ぅっ…!」  
断続的なきつい締め付けに促されるまま続いてリンも昇り詰め、  
温かく清らかなランファンの胎内に溢れんばかりの精を注ぎ込んだ。  
 
「すまない、ランファン…まだ俺は戻れそうにない」  
晒された肌をコートで覆ってやると、身繕いを終えたリンは立ち上がった。  
失ったかと思われた一族の希望は、まだ残っている。  
だが完全にグリードを抑えない限り、シンへは戻れない。  
賢者の石を手にした彼の戦いは、まだこれからなのだ。  
「…はい」  
「だが信じてくれ。俺は必ず、こいつに勝ってみせる」  
この国でこれから何が待ち受けているかは分からないが、  
幸い自分は待っている事しか出来ない女ではない。  
 
まずは、またまともに戦えるようにならなくては。  
包帯を千切られ、剥き出しになった左肩の傷に眼をやった。  
医師ノックスの適切な処置により一命を取り止め、  
後は機械鎧の装着を待つばかりである。  
 
「若…どうぞ、ご無事で」  
どこへ行くのか、去って行く主の背を見送る。  
その細い肩を、あの日のように彼の温もりの残る上着が包んでいた。  
                                (終)  
 

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