北の要塞ブリッグズは、大国ドラクマと隣接している。国内でもっとも勇猛な兵が配置された  
そこには、自然、血気盛んな荒くれ者も多く、ブリッグズ任官当時のオリヴィエ・ミラ・アーム  
ストロングも、一度は弱肉強食の洗礼を受けたことがあったのだった。  
 
 女でありながら男を威圧するに足る眼光と、名家の育ちであることを証し立てるような気品あ  
る身ごなし。そして女として豊かな肉づきを持つ彼女を、獰猛な男たちが放っておくはずもない。  
 
 しかも彼女を狙ったのは当時のブリッグズの長官であり、ブリッグズを弱肉強食の世界に仕立  
て上げた張本人でもあったのだった。  
 
「ここの掟は知っているかね。アームストロング大佐」  
 
 筋骨隆々とした体を椅子に沈める長官を前に、オリヴィエは踵をそろえて立っている。長い金  
髪が顔の右半分を隠し、右目の表情も隠していたが、彼女の右目はその左目と同様、冷え冷えと  
軽蔑の色を浮かべていた。  
 
 有能ゆえに若くして大佐にまで上りつめれば、女でなくとも敵は増える。しかも容姿端麗の美  
女となれば尚更に身の危険は多く、これまで一度ならずこういうことがあったのだった。  
 
 いつもは闇討ちなどで不意を襲われるばかりだったが、面と向かって堂々と獣の眼を突きつけ  
て来るところは、他の男よりマシといったところだろうか。だが室内には長官の他の側近の男が  
五人もいて、人数を恃むところはこれまでと変わらなかった。  
 
「弱肉強食と聞いております。閣下」  
「そうだ。弱肉強食だ。佐官も尉官も関係はない。将官のおれですらその掟からは逃れられん。  
このブリッグズでは弱いものは即座に食い殺される運命にあるのだ」  
 
 だからどうだというのか。そう考えるのが馬鹿らしくなるほど、室内の男たちの目は獣欲に満  
ちていた。  
 
 男の一人が戸を塞ぐようにして立ち、唯一の逃げ場がなくなる。長官が筋肉に膨れた体を椅子  
から立ち上がらせると、五人の男たちは口元に卑しい笑みを浮かべて、オリヴィエを取り囲んだ。  
 
「わかるな? アームストロング大佐」  
 
 たくましいあご上げ、長官が獰猛に呼びかけてくる。オリヴィエは返事をせず、無言のまま、  
右手に立つ側近を一瞥した。その男は下種な笑みを浮かべながら近づいてきて、今にも飛びかか  
ってきそうな気配を見せていたのだった。  
 
「閣下のおっしゃりたいことは、おそらく理解できていると思いますが……」  
 
 一歩を踏み込めば、それで拳が届く距離になっている。オリヴィエは長官を見つめ、唇の端を  
つり上げて笑うと、何の前触れもなく腕を振りかぶり、その右側の男に向かって思い切り拳を叩  
き込んだ。  
 
「うおっ」   
 
 それは、それまでの彼らの常識ではありえない光景だっただろう。  
 
 一見、華奢ですらあるオリヴィエの一撃を受けた男の身体が、体重のない人形のように床を離  
れ、見えざる巨人の放り投げられたように吹き飛んでいき、コンクリートの壁にまで飛んで、轟  
音と共に激突したのだった  
 
 それまで美貌の大佐をよだれを垂らしそうな顔で見つめていた男たちが、眼を丸くして、床に  
落下した仲間を見つめる。互いに顔を見合わせ、その現実が自分だけの幻ではないことを確認し  
た男たちは、無言のまま後ずさって、今にも逃げ出しそうに腰を泳がせたのだった。  
 
「つまりはこういうことでしょうか。閣下」  
 
 先ほどまで軽蔑を浮かべていた左目に、今は好戦的な光が宿っている。相手を女だと見くびっ  
ていた男たちが、こうして態度を一変させる瞬間が、オリヴィエは何よりも好きだった。  
 
 だが、意外というべきか、それともさすがというべきか、ブリッグズを束ねる偉丈夫だけは、  
今の一撃を前にしても、まだ犬歯を剥き出しにして笑う余裕を見せていたのだった。  
 
「そうだ。アームストロング大佐。話しが早いではないか。そして噂どおりの腕前だ。しかし、  
もう勝負は決まっている。お前は今日からおれの奴隷として生きることになるのだ」  
 
 拳を握り締め、そう宣言した猛獣に、オリヴィエは眉をひそめる。ここまで言い切るというこ  
とは、それだけ腕に自信があるのか、それとも何か策があるのか。  
 
(とにかくぶちのめして長官の座から引き摺り下ろせば良い。上の席も空いていいこと尽くめで  
はないか)  
 
 言葉は無用だった。それでなくとも、この要塞には弱肉強食というわかりやすい掟があるのだ。  
 
 余裕を見せ続ける長官に向けて、オリヴィエは一歩を進む。力強い踏み込みは、だが、靴が床  
に触れた瞬間、唐突な綱立ちくらみに襲われてた。青い軍服につつまれた身体ががくりと片膝を  
つき、視界が七色に染まっていったのだった。  
 
(これは……)  
 
 意識ははっきりしていたし、ほんの一瞬前まで男を吹き飛ばすほどの力があったというのに、  
なぜか急に膝から力がなくなっている。顔を上げたときには、もう意識までが朦朧として、オリ  
ヴィエは片手を床において体重を支えなければならなかった。  
 

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