「お仕事は終わったの? ジュリエット」
明るい光を放ち続ける満月が藍色の夜空の真ん中にぽっかりと浮かび、
時刻がもう深夜に入っていることを皆に伝える。
そんな深夜の比較的明るい闇の中、
この国の最高司令官が座るべき椅子に腰掛けて意味深に笑う女が居た。
彼女の長い黒髪は暗い視界の中でも一際綺麗な輝きを放ち、
その目は小動物を狩る獣の様な光を宿している。
少し厚めの、紅に彩られた唇を歪め、 切れ長の目を細める姿は何とも言えず妖艶で、美しい。
「・・・ラスト、その呼び方止めてくれる?」
「良いでしょう? 別に。仮とは言え、貴女の名前なんだしね・・・スロウス」
ラスト、と呼ばれた女の先程の言葉に答えたのは、 小奇麗なスーツに身を包んだ美女だった。
栗色の髪の毛は枝毛ひとつ見当たらず、柔らかそうな質感を保っており、
その瞳は時折疲れたように上瞼と下瞼をパチパチと引っ付けたり離したりしている。
ラストに比べれば薄い化粧に地味な色のルージュ。
それがピシっと着こなされたスーツと相まって、 働く女としての彼女の魅力を伝えていた。
気だるそうに月明かりを頼りに書類にペンを走らせつつ、 彼女はラストのほうへと視線を向ける。
「でもあなたの前ではジュリエットじゃない。それよりもそっちこそ仕事はどうしたのよ?」
「終わったわ。後始末はエンヴィーに任せてきたから大丈夫。エンヴィーも結構気が利くみたいよ?」
不機嫌そうな表情を隠そうとせず、スロウスはラストを睨み付け、声を上げる。
ラストは彼女のそんな反応をさらりと無視して、
彼女の疑問に答えながら、席を立ち、スロウスの傍に歩み寄った。
最後の一言に疑問符を付けて、ラストはにっこりと微笑む。
その笑みをスロウスは怪訝そうにを見つめた。
瞬間、視界に飛び込んできた黒にスロウスは眼を見開いた。
重なる唇。派手な紅と地味なベージュピンクが混ざり合う。
さらさらと文字を書き綴っていたペンがぽろりとスロウスの手から零れ落ち、机の上に転がった。
「・・・っふぅ、は、っはあ」
「あら珍しい。貴女が私のキスに素直に酔ってくれるなんて」
唾液に濡れた唇が笑みを形作ってくすくすという笑い声を紡ぎ出す。
その声にスロウスはむっとした表情で唇を尖らせた。
「油断してただけよ。それにこんなところでキスするなんて・・・」
「そう言われるともっとしたくなるわね」
思っていなかったし、と続けようとした唇をラストは再び塞いだ。
スロウスは驚きに軽く眼を見開き、呆れたような諦めたような色を浮かべ、
口腔に忍んできたラストの柔らかな舌を自身のそれで絡め取った。
逆にラストの口腔を嬲りながら、甘ったるい、なのにルージュの苦味が残る口付けに酔いしれる。
「んっん、ふ。っはあ」
「っふ。・・・・・・形勢逆転ね」
唇が離れ、銀色の糸が二人の間を繋ぎ、やがて途切れる。
自分が主導権を握り誘ったはずなのに、と
結局何時もの形に収まってしまったことをラストは少し残念に思いながら、荒い息を整える。
「で、続きはするの?」
「・・・このままじゃ収まりがつかないわ」
熱くなりかけた身体を持て余して、ラストは訊ねた。
スロウスの苦手な上目遣いでゆっくりと。
スロウスはラストの問いに後五枚ほど残っている書類に視線を投げ、
溜息を吐くと、ラストの手を引きながら答えた。
「もうこうなったら明日の朝、プライドに一緒に怒られましょう。
・・・・・・貴女が誘ったんだから、一緒に謝ってくれるわよね?」
にっこりと自棄になったような顔で笑うスロウス。
大総統室の、きっとこの国で一番座り心地が良いであろうソファにラストの身体を
まるでお姫様にするように優しく横たえるスロウスに、ラストは唇を歪めて笑って答えた。
「解ったわ」
ふたつの影が月明かりの下、重なって、ひとつになった。