「暇だなぁ…」
自らの尾を噛まんとする、龍のため息。
夜のラッシュバレー。相変わらず喧騒が耐えない機械臭いこの街は、ウィンリィにとっては天国。聖地。
上機嫌でガーフィールに頼まれた部品のおつかいにでかけ、
少し重苦しいが心地よい持ち心地の買い物袋を手にさげて帰路につく。
そうここまでは、いつも通り。
「よぉウィンリィちゃん。修行、頑張ってくれよ」
そう声をかけてくるおじさんも馴染んだものだ。
この街は都会とも言えるほど、発展はしているけれど、暖かさがある。
次第にこの街が、ただ機械鎧の聖地だからという理由だけで好き、というわけではなくなってくる。
オイル臭くても清清しい。そんな不思議な街だった。
「ありがと、おじさんっ」
これもひとえに、自分とエド達のため。
いつでも最高の状態に、最高の整備技術で仕上げること。
故郷のピナコばっちゃんに立派になった自分の胸をはって帰ること。
必死だけれど楽しくて、ウィンリィは笑顔を絶やさなかった。
ふと。
その目の前に、あの少年の姿が映るまでは。
「――――エド…!?」
人ごみにまぎれていった、見間違うはずのない背丈、髪の色、服。そして、右腕。
どうしてここに居るのかはわからないけれど、意味もなく戻ってくる彼でもない。
(きっと、調子が悪くなったんだ―――)
以前に、彼が破砕した腕を見せてきた時の記憶がよみがえる。
得体の知れない者たちに狙われているから、いくら頑丈でもまだまだ修行の足りない自分の機械鎧では、
酷使し続ければあの時のように壊れる可能性は十分にある。
そう思考を巡らせているうちに、"エド"の姿はどんどん遠ざかっていく。
「エド、まって!」
喧騒にかき消される声。
人ごみを懸命にかきわけながら、必死に赤いマントの後姿を追う。
距離は広がらずとも縮まない。あまり詳しくない地理だが、ここの区画を離れなければ大丈夫だ。
必死に走ると、"エド"は建物と建物の間に消えた。
慣れない激しい運動に息を切らせながら、ぐっと身体の方向を変えて"エド"の後を追う。
もう少し、もう少し―――。
そう頭の中で、倒れそうになる足を必死に動かす為に、呟き続けた。
裏路地に入ってから何度曲がったかわからないけれど不気味なほどの一方通行で、
その行き止まり、丁度U字型になっている場所で、"エド"は背を向けてたたずんでいる。
「エド………エド!」
最初の声は掠れていたけど、息を整えてきちんと名前を呼ぶ。
振り返ったのはいつもの、優しい笑みを向けてくれる"エド"。
「…ウィンリィ」
その口から漏れる言葉も、いつも通り。
理由を聞く前に足の力が抜けそうになるほど、嬉しかった。
「……って、いったっけ?」
その笑顔が、途端に鋭くなって。
ウィンリィの首筋にナイフをつきつけるかの如く、場の空気が一瞬にしてはりつめる。
すぐそばで。少し大きめのくもの巣にかかった蝶が、力なく羽ばたいていた。
不可解な言動で、一気に頭の中が冷えていく。
目の前に居るのは"エド"であるはずなのに、何故か、感じるのは。
得体の知れない恐怖。
「はじめまして」
有機質である、奇妙な冷たさを孕んだ笑みを"エド"は浮かべる。
見たことの無いその表情を浮かべたまま、ゆっくりと足を進めてきた。
石造りの地面が靴でじゃりじゃりと音を立ててくる。
「…エ、ド?」
目の前に居るはずなのに、その名前は空振りしたように虚空に消えた。
「あぁ」
その言葉を聞いて、不思議そうな顔をする"エド"。
自分の姿を、両手をすっとあげて見ると、その笑みが深くなる。
「ま、流石にわからないかな」
途端、"エド"の身体がパズルのピースを崩していくかのように波打ち、
身体のはじから別のモノへ姿を変えていく、そう。下に絵があったのか、もしくはパズルが完成したのか。
その細い体躯にぴたりとあった黒い上下に、逆さのデルタが刻まれたバンダナ。
少し不思議な髪型も、やはり黒。そしてその目は、笑っていても、底を見せない。
「あらためてはじめまして?」
くつくつと肩を震わせながら、その端正な顔立ちは笑う。
だけれど、今のは何か―――混乱しきったウィンリィは、震える体をなんとか反転させ、
来た道を戻ろうと走り出した。
「…あーぁ、友好的じゃないねー」
その様子を楽しそうに見たエンヴィーは、くっと笑うとその場から消える。
「………ッ!」
エドじゃない。
自分を誘い出すために、エドの姿を借りていた何かから感じたのは、底知れぬ冷たい恐怖。
暖かさを、優しさを求めていたはずなのに。
逃げよう、逃げなきゃ。
ざくざくと音を立てて、走ったのは僅かに30秒ほど。
突然に、口を手でふさがれ、両腕ごと腰を抱かれ動きを封じられる。
「やぁ、さっきぶり」
耳元にかかる息に、ぶるりと身体が震える。さっき聞いた声が、鼓膜を打つ。
「いきなり逃げるなんてひどいなぁ。さっきの悪戯、そんなに気に障った?」
馴れ馴れしく、軽い語調。だが、怒りを通り越して、ウィンリィの心臓はばくばくと鳴る。
"これ"は―――なんなのか。
今まで、殆ど命の危機やそういうものに直面したことはない。
だけれど、そうまさしく、今はその首に大鎌をつきつけられているような、そんな感触だ。
「あぁ、言い忘れてた。俺はエンヴィー。よろしくー」
体温を感じさせない指が、やんわり柔らかい頬に沈む。
馴れ馴れしい男、なんて可愛いものじゃない。ただぴくりとも動けば、途方もない闇がある。
そんな深さを感じさせる、エンヴィーと名乗った男の空気に、ウィンリィはその身を凍らせた。
「君さ…鋼のおチビさんの恋人?」
何歳の言葉だ。と冷静に突っ込める状況ではない。
耳元に囁かれる言葉に、顔が紅潮していくのがわかる。こんな状況でも。
緩くなった指が、唇をなぞった。
それよりも。この男は、エドとは―――何なのか。
整備。破壊。敵―――恐怖―――恐怖?
「んーっ…!」
身体の自由は奪われていても、身を捩ることは出来る。
その小さな身体を思い切りゆすると、拘束していた力はあっさりと解かれた。
「あっ…!」
力が行き場をなくしたせいで、がくんとその身体が傾く。
が、地面に激突することはなかった。別の痛みが身体に来たけれど。
「離してほしいなら離してって言えばよかったのにねぇ」
ポニーテールに纏めた金色の美しい髪が、エンヴィーの手に握られていた。
引っ張られる痛みに眉を顰め、次の瞬間は思い切り引き寄せられ、頭を揺さぶる感覚に眩暈を覚えた。
「あんまり乱暴は好きじゃないんだけどな」
くっくっ、と喉を鳴らすエンヴィーの言葉の意味がよくわからない。
何をされるのか、何が目的なのか。
口から漏れた"鋼のおチビさん"。エドの名前。
もし、エドの怪我が、この男に繋がるものだったら。それが敵というものだったら。
自分が狙われるのも―――道理だ。
「あれ、どうしたの?」
再び髪を上に引っ張られ、顔の高さを同じにされる。
薄く笑っていた顔が、一瞬ぴくりと凍りついた。
「………っく…ぅ」
震える肩、頬を伝いこぼれる涙は、暗い夜の裏路地でも視認できた。
絶対な恐怖。死など直面したことのない絶望が何だかもわからずに、ただ泣きじゃくる。
「あー、泣いちゃった?」
笑った調子で言うエンヴィーの声は、最後だけトーンが落ちる。
ドン。
「かっ……!?」
腹部に重い圧迫感が走る。
くの字にそった体は、その衝撃でずるりと地面に崩れ落ちた。
「あんまり手間かけさせないでよ」
思い切りたたきつけた膝を直立の体勢に直しながら、冷酷な瞳で見下ろしてくる。
「泣かれてもねぇ。ムカつくだけなんだよ。
それがどうした?ってね。弱者の象徴だよ、そんなもん」
うつぶせになったウィンリィはげほげほと咳き込み、灰色の地面にぽたりと落ちる唾。
その言葉が聞こえているのか居ないのか、空気を求めながら必死にもがこうと前に手を伸ばした。
「はい、無駄」
その手をつかまれるだけで、びくっとウィンリィの身体ははねた。
それがたまらなく面白いとでも言うように、ゆっくりとその背中に置く。
もう片手も同じように、エンヴィーは腰に巻いていた黒い布でその腕を拘束した。
「…ッイヤ…」
「大丈夫」
その言葉は冷たくとも優しく、片手が緩くウィンリィの背中に当てられる。
「別に鋼のおチビさんがどうしたっていう問題じゃないよ」
体重を感じさせない体勢でも、振り向けばすぐにエンヴィーの顔がある。そんな体勢だ。
上等ではないが手触りの良い服の生地を這う手は、ゆっくりと下降していく。
「ただ暇つぶしがしたいだけ」
冷たい感触が、服の隙間から入り込み、背中を撫で上げた。
怖い、だけれど、半ば錯乱気味の頭はウィンリィにひとつの声を投げかけた。
―――――逃げろ。
足の力を使ってぐるりと身体を回した。
体重の軽いエンヴィーは軽く驚いたような声をあげて、立ち上がった。
どうにでもなる、幸いそれほどきつくない拘束の布を引っ張って、隙間を作って立ち上がろうとした。
だが、仰向けになったウィンリィの瞳にうつったのは、残酷な、優しい現実だった。
その根本こそは虚像だけれど。
見下ろし、笑んでいるのは―――エドワード・エルリック。
その右腕は鋼。体温のない義肢。何もかもが鮮明すぎて、動きが止まった。
「…だから、暇つぶしだって」
そう呟いた声はウィンリィに聞こえるかわからない大きさだったが、
鋭い冷たさを持ったそれは、今ウィンリィを組敷いた現実そのもの。
両腕が後ろ手の状態だとはいえ、鋼の義肢をプラスしたとしても、エドの重さは
思い切り動けば退かせぬものではない。だが問題は、"エド"の姿だということだ。
「ウィンリィ…」
ばくんっ、と大きく心臓が脈打つ。
エドの声が首筋にかかるほどの距離で響いて、自分の手ががくがくと震えているのがわかる。
鮮明すぎるほどの完成度が、全ての感覚を狂わせていく。
「………」
黙って見つめていた金色の瞳。エドの顔が僅かに笑ったかと思うと、ぐんっと顔が引き寄せられた
「む…ぅ…っ!」
無理に唇が重なっても、歯はあたらず、むしろ心地よい柔らかさがウィンリィの唇に伝わった。
驚きに瞑った瞳をうっすらと開いてゆけば、開いたままの金色の瞳とはちあわせになる。
「…ぅっ…ぅーっ…!」
頑なに、ウィンリィは自分の唇の上を這う生暖かく柔らかい舌の侵入を拒むが、
それだけで身体は抵抗出来ておらず、ただぐいぐいと"エド"の胸を押すだけだった。
(…ふーん…効果絶大ってやつかなー)
ウィンリィの中に確実に瓦解していくものを感じたのか、"エド"は心中で笑う。
ぷち、ぷち、と重めの水音で、湿りを残されていく唇は桃色に薄く光る。
多少じれったそうに目を細める"エド"は、その鋼の腕をゆっくりと持ち上げた。
つつ、と太腿を這う冷たい感触は、黒いスカートの中へ消える。
「っ…ぅっ!」
大きく青い瞳が驚きと、全身を駆け巡った痺れに開かれる。
薄布ごしに秘部を這うそれは、緩やかに、ただ体温を感じさせない硬さで往復をはじめた。