その日は、セントラルには雪が降っていた。 
 
ロイ・マスタングは、寝着のまま眠っていた。 
負傷した身体は大分よくなり、片目の生活にも慣れてきた。 
だが、精神は癒されない。眠りが浅い。 
あの時、死んでしまえれば良かったのだと思う。 
イシュヴァールの後も沢山の犠牲を出した。 
親友も、小さな子供も、ロイよりも純真な存在が 
亡くなっているのに、未だ生きていることが彼には許せなかった。 
だがしかし、明日には、北方に発つ。 
それで何が変わるわけではないが、北方で一人静かに暮らすことが、 
今の彼にとって考えられる唯一の罪を贖う方法のような気がした。 
 
ふと周囲を窺うと、彼の元副官のリザ・ホークアイの吐息が聴こえてくる。 
看病疲れの寝息が、外の雪のせいで聴こえてきているのかと 
思ったが息が荒い。 
心配になって、ランプを付けて音の聞こえる方に灯りを掲げた。 
 
「あ……た、大佐ァ!」 
光のあたったその先には、 
シャツのボタンを外し、自らの大きな胸の先を、 
指先で弄ぶホークアイがいた。 
スカートから出ている脚は少し開き、ランプの黄色い光が 
女の肌を艶かしく照らしている。 
ロイは驚いた。 
恥ずかしそうにボタンを嵌める指を、そっと男は掴んで、尋ねた。 
「何故、こんなことを?」 
「すみません……あの……私」 
ホークアイは、顔を伏せる。 
「いや、責めているわけではないんだ。ただ単純に理由が聞きたい」 
怒声ではない、優しい低い声だった。 
「一度味を知ってしまったから……」 
とだけ、恥ずかしそうに彼女は答えた。 
 
確かにロイは彼女とたった一度だけ、肉体関係を持った。 
大総統キング・ブラットレイを倒す直前だった。 
言い訳がましいが、あの時は……と思い返して、 
ベッドの端に彼女を抱き上げた。 
 
「そうかそれはすまなかった。色々と気が付いてあげられなくて。 
 そんな部屋の端の方で、私に隠れてすることではないんだ。 
 ここで、最後までしてくれて構わない」 
枕の上に女の両脚を降ろすと、ロイは言った。  
他意はない。 
結果的に彼女をそこまで追い込んだのは彼であり、 
また暗く沈むロイの心は、彼女の生命力を求めていた。 
「、そ、そんな!」 
ホークアイは顔を紅くして叫んだ。 
「いや、私が全面的に悪い。 
 一時の感情で君を抱いたことも、そして今は君を抱けないことも。 
 いいから、ここでやりたまえ」 
そう言ってロイは、女の肩を壁に押さえた。 
ホークアイは、金髪を揺らし、一度首を横に振ると、 
覚悟を決めた様に琥珀色の瞳をロイに向け、おそるおそる 
シャツの上から乳を、スカートの上から太腿を撫で始めた。 
胸の谷間と捻るように開かれた膝に、ランプの光と濃い影が落ちる。 
 
「私……」 
脚の内側を見せつけるように、ホークアイの右手の人差し指が、 
とまどいながら太腿を触っていく。 
自らの指先の触感が、黒い瞳に見つめられて火照った身体に伝う。 
 
ホークアイにも、ロイが精神的原因により性行為が難しい事は、 
看病の間に薄々感じとれていた。 
そして、多分いくら彼女が頑張ってみても、 
その原因は取り除かれないことも…… 
ずっと昔から、彼が死への欲求に向かって居る事は察していた。 
それでも守れるとほんの数ヶ月前までは確信をもっていたし、 
実際彼女は、肉体はこちらに戻した。 
ただし、心は違う。 
それは、ロイ・マスタング彼自身の問題であって、 
彼女にはどうしようにもない事なのだと感じ、 
妙に冷めた眼差しを彼に向けてしまう。 
 
「……ぁ……ぁ」 
 
こうして彼と対峙しているのは、まるで、戦場で獲物を 
狙っている感覚だとホークアイは思った。 
この心の奥まで青く澄んで、指の先までその昂揚感が通う事が、 
はたして善なのか悪なのかすら分らなくなる。 
訳も無く泣けてくるところも、そっくりだ。 
 
部屋のストーブは赤く燃え、窓ガラスが曇っている。 
「……視線……逸らさ、ないで……」 
そう喘ぎながら、ホークアイは、先ほどまで乳房を 
触っていた左手でロイの右目に触れた。 
 
ヮン! 
「っきゃッ……」 
突然、ホークアイが連れてきていたブラックハヤテ号が吼えて、 
二人の側にやってきた。 
そして、彼女の飼い犬は、飼い主を押さえつけている 
ロイの腕を払いのけるように脇から、 
頭を出して、女の腹をつたい、瞳から流れる涙を舐めた。 
「ブッラッ……ハヤテ……ごぅ、駄目よ。向こうで…… 
 おとなしく…っ…して、いて。 
 大丈夫よ……悲しいわけでは、ないからっ」 
息も絶え絶えに、フュリー曹長から譲られたばかりの 
子犬を銃で撃った手で、成犬になった黒い毛をなでた。 
ホークアイに撫でられたブラックハヤテ号は、 
おとなしく床に戻って伏せ、二人をクリっとした丸い目で 
見つめて、尻尾振った。 
 
それをロイは、一部始終見つめていた。 
――ああ、彼女も母になる性を持っているのだと、 
人の持つ獣の本能に、感心する。 
ホークアイに関しては、長い間腹心の部下であったから、 
何もかも知っているとロイは思っていた。 
銃の腕が信用の置ける優秀で冷静な士官。 
でもそれは違った。 
それは彼女のごく一部であり、 
彼女は彼が考えていた以上に女なのだと。 
 
「……ん……」 
唇を振るわせながら、 
ホークアイの一旦躊躇した指が、下着の中に入る。 
 
彼女の行為は、非常に美艶でエロティックだ。 
覚えたてなのだろう、下着の横から差し入れられた 
円を描く指はまだ稚拙だが、熟した身体は柔軟に悶え、 
四肢がなまめかしく蠢いて、男を誘う。 
ランプの光でクリーム色に浮かび上がる肌。 
服の上からでも、光の陰影で、乳首が感じて尖っているのが窺える。 
彼女を固定したままの男の腕には、先ほどからしっとりと 
した吐息がかかっている。 
だがロイに彼女を抱くことは出来ない。 
身体が――正確には魂か精神がかもしれないが――、彼女の気持に反応しない。 
人造人間――ホムンクルス――や神でもなく、人として生きることも出来ない、 
中途半端な己にロイは憤り、女の肩に置いた手の力を更に入れた。 
「リザ、君は……」 
声は出たが、何を問おうとしたのかロイにもよく分からなかった。 
 
外は全く静かで、彼の耳に聞こえてくる音といえば、衣擦れと吐息の音。 
彼女の分泌液は、下着とその下のロイの枕をぐっしょりと濡らし、 
膝を立てていた脚は伸びた。 
靴下に包まれたつま先は、不自然に震えている。 
部屋は先ほどよりも温度が上がったようで、甘酸っぱく、 
やはり少しだけ硝煙の匂いの混じった女の匂いが充満し、 
ガラス窓は露を落とした。 
彼女が買ってきた林檎が一つだけ、テーブルの上に残っている。 
あとは全部食べてしまった。 
 
「くッ……ぁぁ……ぁ……っ」 
一方のホークアイは、力を入れられた肩が壁に更に押し付けられて、 
その所為で腰から下がずり落ちた。 
その分、途中の性感帯を撫でていた人差し指と中指がぐっと奥に入り込む。 
スカートが撚り上がり、両脚はその付け根まで露になり、 
濡れたシルクの下着の中の、金色の体毛と差し入れた指の状態まで、 
ロイの右目に映っている。 
ただし、その黒い瞳が何を感じているかホークアイは考えたくは無かった。 
ロイが彼の殺したホムンクルスと同様に右目と生殖を無くしたのだとしたら…… 
守る人のために引き金を引いた彼女の代価にはこういう形で罪咎が下ったのだと、 
諦めていると思うと辛い。 
ここで彼の腕に押さえられて自慰を行っているのは、彼女自身の意思だ。 
 
大きな乳房を、はだけたシャツの間から出し、 
更に激しく、彼女自身に入れた指を動かす。 
卑猥な水音が部屋に響く。 
彼女の手は女性としては大きい方で有ったが、彼女自身の指では 
最奥まではとうてい達しない鬱積が、ホークアイの胸を締め付ける。 
相手が呼応しない行為は、ともすれば、心の深淵に向かいがちである。 
「んぁ……っ……た、たいさぁ……」 
――大佐……わたしじゃ駄目ですか? 
  私と一緒には、生きられないですか…… 
  生きて……お願い! 
「!……ぁん」 
腕を伸ばすが、すぐ目の前に居る男には届かない。 
彼女の左手は、ただ無気力に下がっていく。 
そして、最後に果てた時、ようやくホークアイは瞳を静かに閉じた。 
 
「枕……すみません」 
汚してしまった枕を気にして、不安そうに女は男を見上げた。 
「そのままでいい」 
「でも……」 
「一緒に来るか?」 
ロイはホークアイの乱れた着衣を優しく直しながら聞いた。 
その時点では、彼女は絶対に一緒に来るとロイは確信していた。 
 
「いいえ、大佐。大佐が過去の罪で幸せになれないと言うなら、 
 私もそういう類の人間でしょう。 
 でも私は、自分の気持を、人の業を、知ってしまったんです。 
 だから、これ以上はもう、無理です。 
 ずっと貴方を純粋な気持だけで守っていたかったけれど……」 
だが、彼女は断った。 
ロイは一つだけ靴下が外れてしまったガーターの留め金を 
嵌めて、ホークアイを抱きしめた。 
腕に涙がこぼれているのに気が付いたが、ロイには何も言えず、 
そうこうしている間に、腕を解くと彼女は鞄から手帳を取り出した。 
以前、彼女と初めて肉体を重ねた時、渡した手帳だった。 
「それとこれ、返しておきます。 
 いつか……きっと……使う日も来ると思います。 
 それまで、私、大佐のことセントラルで待ってます。 
 だから、いつか帰ってきてくださいね」 
机の上に置いてあった銃を太腿のホルスターに戻すと、 
長い金髪を翻し、ホークアイはロイに背を向けた。 
 
「帰ります。行きましょう。ブラックハヤテ号」 
扉が開いて、彼女は飼い犬と共に暖かい部屋を出て行った。 
ロイは追いかけなかった。 
大分時間が経った後、窓ガラスを拭いて、いつもよりも明るい外を覗くと、 
真っ白く積もった雪上に、一人と一匹の足跡がうっすらと消えようとしていた。 
 
 
 
おわり。 

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