ウィンリィ・ロックベルは、日が翳るのを待って、老犬デンの散歩に出た。
村外れまで来て、草生い茂る土手に座る。
兄弟のように育った幼馴染達は、もう村には一生帰って来ない。
水車小屋が見える。村営の水車小屋だった。
1910年、エドが旅立つ前日だった。
「エド!来た!早く入って」
ウィンリィは、エドを手早く水車小屋に招きいれた。
「どうしたんだよ。ウィンリィこんなところに呼びだして?」
「アルは?」
「ばっちゃんとトランプしてる」
子供が出かけるにはもう遅く、外は暗くなり始めていた。
水車の音が、カタン、カタンと、定期的に鳴って、安普請の小屋の壁はそのたびに揺れた。
「えええと……ね。エド!いつか結婚しようね」
「結婚?」
「うん。この水車小屋でね、その、つまり、子供を作るんだって!
そうするといつか結婚出来るんだよ。
皆言ってるし、あたしのお父さんとお母さんもそうだって聞いた事がある」
古い宗教や風習は廃れた、近代国家の道を歩む軍国家のアメストリスの片田舎リゼンブール。
広いこの国の鄙びた東部の村では、「水車小屋で性交渉=結婚」という
非常に単純明快な噂が、若い娘達の間で、何時の頃からか伝説のように囁かれていた。
まだ古代から続く昔の慣習が残されているのか。
そんなことをするのは、都市部を知らない若い娘と、やっぱりこの村しか知らない
青年だけなのだと思う。
都市部に比べて結婚も早い。
村全体で管理所有する小屋で、若い恋人同士が初めて一夜を共にすると、
永遠の愛は約束され幸せな家族になれる。
(狭い村での噂など良く広がるので、ある意味それは当たっているのかもしれない)
そんな噂を思春期に差し掛かった少女は耳にした。
「子供を作るってさ……」
金髪の少年は後頭部に機会鎧の手を置いて、顔を赤らめた。
「エドぉ、心配しなくても大丈夫。あたし方法知ってるから。
裸になって男の子と女の子が抱き合えばいいんだよ」
「ウィンリィ、それ、違う。
妊娠するって言うのは、男子の生殖器から、女性の子宮の中に精子を送り込む。
すると、それが接合して細胞分裂し、人間の形になる」
エドは速攻で説明しだした。
基本的に、エドもウィンリィも、家には大量の書物があり、
特にエドは、錬金術を既に覚えて人体錬成を試みたこともあって、
子供ながらに知識だけはマセていて、それゆえに理屈っぽいところもあった。
「そっか、なるほどね。じゃあそれを試してみましょう!」
「いや、それは……ちょっと……」
「なんで?あたしと結婚するの嫌?」
思えばものすごく世間知らずで子供だったのだと、沈みゆく夕陽を見ながら
ウィンリィは思う。
このときエドに本当に恋愛をしていたのか、と問われたら、分らない。
まだ、幼馴染としての親しさだったのかもしれない。
幼馴染が村を出て行く事がただ寂しかっただけなのかもしれない。
それとも、幼心にも、もう特別な感情があったのかもしれない……
想い出の中のウィンリィは、もう既にワンピースを脱いで裸になっていた。
子供の頃は、一緒に全裸で川で泳いだ仲である。
ウィンリィはさほど気にしなかったし、エドの方も、もう理論だけで頭が一杯で、
彼女の裸をさほど意識していない風ではあった。
「じゃーん。触ってみて、ほら胸。おっきくなってるでしょー!!」
ウィンリィは、エドの左手を彼女の胸に押しあてた。
「すっげーな。なんっていうか人体の神秘っていうかさ。母さん思い出すよな。
ほら俺の方もスゲーぞ」
とエドはウィンリィの手を彼の股間にやった。
「うん、これなら完璧ね!」
少し気恥ずかしいのを隠すように、はしゃいだことは覚えている。
「よし、入れるぞ!」
エドは頑張って立てたあれを、まだ毛も生えて居ないあそこに押し当てた。
「エド、痛い!いたい!無理だって!」
「だってここに入れるもんなんだろっ」
「駄目、駄目、壊れちゃう!!他の方法考えようっ!」
「他の方法なんてあるわけないだろ!!」
「こんなに痛いなんて、あんたの知識間違ってるんじゃないの?」
「いーや、絶対あってるね!」
「何いってんのよっ! 大体あんた達、人体錬成だってうまく行かなかったじゃない」
「……」
「ご、ごめん、エド……」
「あ、あ、ちょっ、ウィンリィ触るなっ――!!」
二人とも知識はあったが……
きっと、他の村の子ならば、例えば木の扉一枚隔てた両親の寝室の様子や、
家畜の交尾の様子で、それがどういうことなのか本当に知る事ができたのだろう。
でも二人とも、両親がそろっている家庭でも家畜を飼い生計を立てているわけでも
なかったから、本当に知ってはいなかった。
家族への憧れ。そんな気持も混ざっていたのかもしれない。
男女が愛し合い、子を産み、育てる事。理論は簡単だが、難しい。
そうこうしているうちに喧嘩になり、結局、幸か不幸か、エドは中に入れることも無く……
土手のウィンリィは一人想い出し笑いをして、デンは驚いた。
数年後「あの時初めて出た、出ないから大丈夫だと思って入れようとしてしまった」事を
エドは恥ずかしそうに一生懸命詫びていた。
「うぉおー!もうこうなったら、ウィンリィの身体に塗ったくってやるぅ!」
藁の上に射出された白い粘着性の液体を、エドは手でウィンリィの幼い腹に塗りたくった。
「やだっ。エド、やめ、やめてったらっ、くすぐったい」
ウィンリィは、全裸のまま、脚をバタバタさせて笑い転げた。
藁が舞い、枯草の匂いがした。
「だいたいウィンリィ、お前生理きてんのかよ?」
「何?子供っぽいって言いたいの?まだに決まってるじゃない」
「おいおい、じゃあはじめっから無理だ」
「どうして?ねえ?もしあたしがお母さんになったら、エド、戻ってくる?」
「ならなくても、アルも俺も元の身体になって、戻ってくるさ。
帰ろうぜ。こんな遅くなったらばっちゃんに怒られる」
「そうだね。急ごう」
そうしてそのあと、服を着て、手をつないで二人で、家に帰った。
外は満天の星で、それが二人とも少し怖かった。
エドは「アルの体が元に戻るまで、ウィンリィと結婚の話は保留にしたい」
と語っていた。
「アルにも権利があるから」と……
ピナコ・ロックベル、つまり彼女のおばあちゃんは、その日遅くなったことを
叱りはしなかった。
水車小屋は大分古くなったが、今も恥ずかしそうに若い女の子が誰かを待っている。
もうすぐ外は暗くなる。帰ろうとして立ち上がった時、村の共同墓地の方から、
一人の男が歩いて来た。
「あっ」
エドを国家錬金術師に勧誘して、エドもアルも向こう側にいかせたきっかけを作った男。
両親を殺害した軍人、ロイ・マスタング。
彼は軽く会釈をする。
「こ、こんばんは」
ウィンリィは緊張気味に挨拶をすると、男も口を開いた。
「……門を壊すってことを言いに来た」
「はい?」
ウィンリィはその意味が良く分らなくて、ただ立ち尽くす。
「アルフォンスの作った門を壊す。
あちらとこちらを繋ぐ門を壊せばエルリック兄弟は永遠に帰って来れまい。
だがエドワード・エルリックとの約束だ。それを言いに来た」
「別に電話でよかったのに……」
「そうはいかないだろう」
男はウィンリィに背を向け歩き出した。ウィンリィも付いていく。
初めて会った時、――ちょうどその日は幼馴染が人体錬成をして肉体の全てと一部を
失った日で――、その背中は軍人さんで怖くて、ウィンリィよりもずっと大きく見えた。
でも今はウィンリィも背が伸びて、今日は私服で、その背中は前よりも小さく見える。
「マスタングさんは、結婚しようと思ったことありますか?」
ウィンリィは問いかける。
「……」
マスタングと呼びかけられた男は答えなかった。ウィンリィは続ける。
「私はあります!エドと結婚したかったんです。小さい頃一度は断ったけど、
それはその時はまだエドの背がちびっこかっただけで、私の両親のような仲のいい夫婦に
なりたいなーって幼な心から思ってたんです!」
本当にあんなやつと結婚したかったのか今はもうわからない。ただそう言葉は出ていた。
「……すまない」
背中を向けたまま、男は小声で謝罪した。
「家庭が欲しいとか、そういうこと思ったこと無いんですか?」
「私はもうこんな体で地位も無い。いや昔からミニスカ大好きのモテナイ
かわいそうなおっさんなんだよ」
男は本心を隠す為に笑う。
「ヒューズさんに親友だって聞きました。ヒューズさんとグレイシアさんみたいに、
子供を持とうと思わなかったんですか?そういったこと無関心な冷酷な人なんですか?」
「……あいつはイシュヴァールには行かなかった……」
男の独り言のような呟きは、ウィンリィにも聴こえてきた。
土手の道から外れ、川の音が急に小さくなったからだった。
ウィンリィは腹がたって仕方がなかった。
もともとウジウジと考えるのは好きでは無い性分だったし、
それにまるで、彼女の所為で一人身で居るのだと言われたような物だった。
「もういいんです。エドもアルも勝手に行っちゃっただけだし、
責めたって、お父さんもお母さんも帰ってこないし……
許したって言ったら嘘になるし、今でも貴方のことは嫌いです。
でもだからって、マスタングさんも、不幸になって欲しいなんて望んでいません。
エドのお父さんが帰ってきた時、言ったんです。『だから悲しいね』って。
その時は意味は分からなかったけど、今ならその言葉の意味も分ります」
「……だが」
「なら、目を瞑って、腰をかがんでください」
ロイは言われた通りにかがんだ。
叩かれるのに慣れていた。
イシュヴァール時代上官のバスク・グランに理不尽なことで何度も叩かれた。
相手は小娘で、その力の10分の1も無いだろう。
それに彼女には何度でも彼を殴る理由がある。
ロイにウィンリィは近づいてくる。
「……!」
そして彼女はロイの額にそっと唇を押し当てた。
若い柔らかな唇と吐息の感触が額から伝わってくる。
「幸せになってよねー!!エドやアルや私の両親の分も――!!」
ロイを追い抜いて、ウィンリィは走り去っていく。
その後を、片足が機械鎧になった黒い老犬が一生懸命ついていく。
ロイは立ち尽くした。
いつの間にか日は落ちて、東の空には沢山の星が見える。
それを怖いと彼は思った。
おわり