ブレダがよく、うちの司令部の長男長女と次男坊は落ち着きがないって笑ってたっけ
あいつが言う家族幻想は、どういう基準で俺が次男坊になるのかよくわかんねえ
年の順で言ったら、他にも次男坊に該当する奴はわんさかいるだろうが
『ま、要は雰囲気だって。長女は否定しないだろ?』
あんな適当なことばっか言ってるから、軍人のくせに、いつまでたっても犬嫌いなんだ
昔、一回だけ中尉と寝たんだよ
大佐と本気で別れるっていうくらいの大喧嘩してた彼女に俺はすかさず立候補して、強引に迫りこんだ。
結局、長男―――この場合はマスタング大佐―――に逆らった長女と次男が手繋いで家出したような結末だった。
あれだろ?
あてもなく出て来たはいいものの、これからどうしたらいいのか判らなくて
不安定になった長女が、戻れなくなった家を嘆いて悲しんだから
次男は…―――俺は、俺だけじゃ満たしてやれなくて、ただ悔しかった
俺の中に彼女はいても、彼女の中で俺は一番じゃない。
逃避みたいに抱き合ったけど、実際やってる最中は逃避してたのは彼女だけだった。
その時の俺は、長男から奪い取ったっていう事実と愛し返して欲しいっていう気持ちで必死だったんだ。
喧嘩と家出ごっこも終幕にさしかかった時、俺の思索は案の定、失敗してた。
なぜなら、なんでもできる長男に、勢いだけで長女を連れて逃げた頭の悪い次男がかなうはずもなかったから―――
折れて迎えに来た長男が、長女を説得して…というよりはむしろ、
奴は彼女を無条件に溺愛してるもんだから、離れた寂しさで脆くなった彼女の行為に全部、目を瞑ってた。
かませ犬とか大佐はその時、俺に向かって、淡く皮肉ってたっけ…
あれでふられてから、俺はずっと要領の悪い次男坊ってからかわれはじめた。
それと同時に、俺と中尉は仲のいい家族みたいなものに納まっていった。
もしかしたらよくある話なのかもしれない。
年の離れた一家の兄弟が、同じ一家の長女を溺愛するあまりに取り合うっていうやつか
こういう場合、次男坊はたいてい間が抜けてて、当て馬なんだけどさ
わかっててもやっぱ無理だ。
次男だって、好きで次男に生まれたわけでもないだろ
長女も次男も、なんだかんだ言って、いざという時頼りになる長男が大好きなんだろうよ
だから、そんな一家でも、それなりに楽しかったんだ。
知らず知らず、居心地は良かったさ
母親が泣いて帰った。その後、大佐と中尉とブレダがやってきた。
おふくろが泣いてるのを大佐達は見たんだろうか
「あ、あれ…」
―――煙草、火ついてなかったや
吸おうとしてくわえたまま、つけんの忘れたんだ。
何分間、この状態だったんだろ
あの後、確か眠くなって…起きてからは、無意識にこれ咥えてたと思うけど
どれだけ経ったかわかんねぇ
皆出て行った後、俺は何も考えたくなくて一人にしてくれって、
差し入れを持ってきたフュリーに怒鳴ってやつあたりしてたのは覚えてる。
「…らしくねえな」
窓の外を見やり、ぼけっとしていた俺はようやく動かした瞼に手を当てた。
目を閉じると、横から来る香りが鼻をそそる…
花瓶の中の上品な花は、母親が持ってきたものだ。
俺はその花の匂いで、田舎に戻ると言った時の大佐の顔を思い出した。
横で、中尉も辛そうな顔してたのが頭の中から離れない。
大佐が出て行った後、中尉は、そういうバカがいてもいいと言い放っていた。
頭の中で、ついさっきまでのやりとりを反芻する。
やっぱ、重い。
全然、軽くならない…でも、あれでいいんだろ?
言って良かったんだよな
スッキリするんじゃなかったのか?
ずっと…喉元まででかかってた本音と建前を、怒号で全部ぶちまけちまったんだろ
『――――追いついて来い。上で待っているぞ』
―――そんな、言葉が聞きたいんじゃない
中尉の言うとうりなんだよ
あんたバカなんだ、甘いんだよ
ヒューズ准将をどうすんだって
あの人が死んだ重さで、ガチガチに固まってるあんたを、これ以上堅くさせるわけにはいかないって分かれよ
踏み込めない、真っ暗だろ
どうしろっていうんだよ
「チクショ、なんであんな事…」
―――だけど、本当は、嬉しかったんだ…
諦めるのかって言ってくれる、頼もしい上司でいてくれたことが…
死んでたら俺はその言葉を聞けなかった
けれど、俺を欲しがる理由なんてもうないだろ
俺がそこにいて、できることはないんだよ
数日が経った。
その頃になっても沈んだ気のまま、あいかわらず俺は時間を無為にすごしていった。
夕方、退院するめどのついた日程を主治医からはっきり聞いて、
実家近くの病院の手配を改めて親に連絡した。
俺は、まあこれでほんとにおさらばできるってせいせいしたけど、
喉に骨がひっかかったみたいで、気分はますます沈んでいった。
大佐は、あれからもう来ない。当たり前だ。
中尉も同じで、見舞いに来るのは、こっそりと隠れるようにして訪れるブレダや
フュリー達と、親だけになってた。
軍部のあいつらはいい親友だから、忙しいのに無理して来るなと言っても来る。
まだ巡回してくれる護衛はいてくれるけど、状況的にまずいから、
おとつい、いい加減にしろと言って俺は怒ってあいつらを遠ざけた。
それに、おふくろのほうにも来るのは退院する日だけでいいって、ちょっと前に田舎に帰らせた。
実家の店が忙しいのであまり来させるわけにも行かなかったんだ。
気落ちしている息子の顔見るのも、おふくろはしんどそうにしてたから、
俺はせめて心配かけたくなかった。
「あいつらどうしてんだろ、な…」
部屋に落ちてた中尉の忘れ物、落し物のハンカチをひらひらと指にかけてまわしながら、
電気の消えた天井を眺めた。
呟いた言葉に自分で苦笑しながら、もう関係ないって言い聞かせたが、
ぶちまけたあの言葉に今更ながら気が滅入る。
『―――同情なんて…いらねンだよ』
大佐に怒鳴ったのって初めてじゃねえ?
あの顔、あんな台詞…言われたほうはどうすればいい
思いっきり被害者面して、労ってきた相手に俺はわざわざ噛み付いて、
中尉の悩みの種を増やさせたんじゃないか
でも、割り切りつけたかったんだ。
大佐がいろいろ苦労してるの知ってたし、ヒューズ准将のことで躍起になってる姿も見てた。
邪魔になりたくないから、俺みたいな枷を解いてやったって思うのは傲慢だろうか…
うとうとしながら目を瞑り、時間の流れを忘れていった。
そうして夜中にさしかかった頃、ドアを開けて忍び込んできた人の気配で俺は起き上がる。
消灯時間が過ぎているので、暗くて相手がはっきりわからない。
だけど、扉にもたれかかって立ちすくんでいる相手の佇まいで、それが誰だかすぐわかった。
中尉だ…
わかるさ、彼女の気配を俺はしっかり覚えているから…どんなに暗くても、見分けられる。
俺はなんとなく、口元が緩んだ。
あれから何日かたつけれど、多分、これがもう最後の別れだから
もう会うことも無くなるのかと思うと寂しいが、俺がこの町を出て行く最後に、
こうして話せて良かった。
「そんなとこで、どうしたんスか」
「…起こして悪かった?」
「いいえ、退屈してました」
「ごめんね…急に」
月明かりの中、私服でいる彼女から、少しプライベートな面を感じる。
おろしたサイドの髪に見慣れないヘアピンがひとつ、
よくわからないけど髪飾りとかいうやつが飾ってあった。
この人は、飾るような小物をあんまり欲しがらないって大佐から聞いた。
贈られたものを真面目に身につける時はたいてい贈ってきた大佐のためであって、
今日も今まで大佐といたんだって証明だと俺は認識してる。
まあ、他人にはわからないような事実なんだけど、うっかりこんなささいなことに
さっさと気づく俺は馬鹿だよな
「大佐、傷大丈夫ッスか?あれで退院したっていうから、医者や周りが心配してるみたいですよ」
「さっき、帰ったら少し熱っぽかったんで休ませてきたの…週末くらいたまには、休んで欲しいから眠ってもらったわ。
救急に、予備の薬を念のために貰いにきたのよ」
「そっか…無茶してんだ、あいかわらず」
「そういう人なの」
「部屋の電気、つけると誰かに気づかれるんで…小さいのだけですけど、つけていいッスか?」
軽く頷いた彼女に椅子に腰掛けるよう言いながら、サイドテーブルにあった小さいスタンドを俺は灯した。
深夜、巡回する警護と看護の人はさっき来た。当分、誰も入って来ない。
この灯りをつけて、中尉と会話するんだから、さっきまでの
ぐだぐだした俺はもう見せないでいよう。
薬取りに来たって言うし、ちょっと彼女はここに寄ってくれただけなんだ。
しばらく話すだけだろうし、それくらい鎧はかぶれる。
ぱっとつけたほのかな光にともされた中尉に、俺は瞬きと共に目をこする。
座る仕草で小さく翻った中尉のスカート…揺れが滑らかで、目に飛び込んできた。
カーデガンを羽織ったブラウスと、白いスカートを着用している彼女の姿に、
俺はなんとなく眩しさを味わう。
子供の頃、若かったおふくろがああいうカッコでいたのを思い出した。
エプロンを巻いた腰の紐がリボンみたいだったのが印象的だったと思う。
柔らかい布がくるくる回って、あの服装で踊るように家事をしてたっけ
庭先で、風で吹き飛んだ洗濯物を追いかけてる母親の姿とか、物干し竿にかけてある
沢山の洗濯物が風で飛ばされかけてるのを、俺は一緒になって押さえてたっけ
今の中尉のスカートがそこまでふわふわしてるわけでもないけど、雰囲気が似てた。
その時、惚けてた俺はどんな顔してたのか覚えていない。
かぶったはずの鎧はどうしたんだろうって自問した。
なんでこんなに心細くなるんだって判らなかった。
あの日、一緒に来いよって手を引いた中尉の服装が、今と同じ感じだったことを、
続いて思い出しただけなんだ。
家出ごっこで、あの長男の目の届かない所に連れて行こうとしてた、青臭い頃の俺が懐かしくなった。
――あの時は、まだ走れたんだ
こんな情けない姿じゃなかった…
悔しい
今の自分が、墜落して壊れた体みたいでばらばらで…
酷く惨めで、一生好きになれそうになくて―――
だけど、時間はどんどん過ぎていって、それと向き合うのが苦しくなったのは本当で
「あ、の…俺―――」
「…自分を、体たらくとか思わないでね、ハボック少尉」
ゆっくりと歩み寄った彼女が、空気に溶けるように俺を抱きしめてくれた。
彼女の温もりに気づいた時、張り詰めてた神経がようやく休まる感じがした。
覚えててくれたんだ、あの時の俺の言ったことを
「言ってから、自分でしまいきれないものなんて痛いでしょ…私はそれを、ずっと考えていて…」
「中、尉……っ」
「ここでこうして、何を言ったらいいのかわからなくて、ごめんね…うまく言えなくて」
「―――……っ…」
それ以上、何も言わずにいた彼女…自分の胸の中に俺の頭をぎゅっと包んでくれる中尉は、暖かかった。
俺は、いつからか目が熱くなっていて、流れているのが天井からの雨漏りとかじゃなく、
自分の涙だって抱きしめられてからようやく気づいた。
刺された時も、重症で激痛に見舞われた時も絶対、泣かなかった。
足が動かないって判った時もそうだった
おふくろの前でも、それは同じで男が泣けるかよって元気なふりで乗り切ったんだぞ
なのに、今…抱きしめてくれる彼女の胸で、視界がかすんで、
目がぼやけて息が熱くて
受け止めてくれる彼女が有難くて…
考えることが多すぎて、弱音のひとつも吐けないでいた自分がこんなにあっけないとは思わなかった。
「ごめんね、…私まで泣いて…私が泣いてちゃいけないのに」
「……っ」
あれから大佐もずっとガチガチで、中尉も同じで、俺もそうだった。
死ぬんじゃないかって思ってた恐怖感がはみ出てきて、俺はそれを仕舞い込めなくなった。
無力すぎて、生きてきた自分が正面から否定されてみたいで力がでなかった。
昏睡状態から目覚めた頃から、隠してた本音が一斉に浮かんでくる。
誰も怖かったなんて言わなかったんだ。
意地っ張りで絶対に弱音はかない性格だから、強がりの大好きな人間同士、
こういう雰囲気に陥ると泣くのが抑えられなくなる。
泣き慣れない人間がいざ泣くと、どこまでも弱くなるって心底実感する。
中尉のブラウスにゆるくなった目頭をあて、俺は抱擁してくれる彼女の服ごと
柔らかい体を握り締め、深く顔を埋めた。
「本当に、ごめんね」
「…っ…何がっスか」
「私もバカなの」
―――捨てられない
それを聞いて、見上げた俺は、彼女の潤んだ瞼から溢れる涙の筋を見つめていった。
指でなぞっていった濡れた頬に口付けて、彼女の髪を両手で包む。
柔らかい、綺麗な髪が波打って、いい匂いがする。
「―――知ってる、俺もだ」
「…っ……うん」
小さく微笑む中尉に、俺はますます泣いて甘えた。
そして、ベッドにもたれかかって中腰だった彼女を、俺は深く手繰り寄せて横に座らせた。
――あんたはもう、大佐の前では泣けないんだろ
だったら最後に、ここで迷いを捨てるつもりで泣いて、それから走っていけ
あの長男は、有能な長女がいないと走れないんだ
必要とされてる人間は、もっといるべき場所にいてこそふさわしいし、
ずっとそこで愛されてくれればいい
俺は、もうそこでいられないから、彼女の傍から離れるしかないんだよ
まどろみの中で彼女をいとしく思い、だんだんと吐き出した涙が引いた頃に、
俺は中尉の顔に近づいて向き合った。
心の中に抱く、小さな布石に気づくまでは、俺はまだ数日前までのことにこうして嘆いて、のたうっていた。
抱き合って、触れた所の体温があったかい。
生まれる前の水の中で浮いてるような夢心地にひたってたけど、
そのうち中尉が俺より身震いを落として、目を合わせなくなっていった。
俺に感化されたのか、それとも何か彼女は不安に思うものがあるのだろうか
見えない壁を取り払いたくて、そうすれば彼女が少しは楽になれるのかと、
戸惑いながらも俺は不安を言ってくれと呟いた。
俺のことを諭して、今もこうして泣くのを馬鹿にしないで包んでくれた彼女に、
俺はもっと近づきたくなったんだ。
顔を振ってなんでもないと言ってた中尉だったけど、俺はそれでもやっぱり気になって、
せめて何か話をしようと詰め寄った。
「中尉…」
「…いいの、私は大丈夫…あなたの怪我に比べたらなんでもない」
髪に手をやり、俺は迷いつつも黙って見つめていった。
すると、中尉は零した涙を増やして、閉じていた扉をゆっくり開いてくれた。
俯いて、長い睫を濡らす彼女は変わらず綺麗で、俺が好きなそのままの姿で…
でも、陰りがそれを責め立てていた。
「―――大佐が、悲しむの…前にあの人は泣いてた。空を見送るあの人が、
苦しんでいるのを私は心配するしかできなかった。
もう、泣かないで欲しい…必ず、私が守るからって誓ったのに」
知ってるよ
俺はそんな風に生きる彼女の姿が好きなんだ。
でも、こうして力なく泣き崩れるあんたもそれ以上に愛してる。
「だけど…大事な人がどんどん消えていくの、いなくなって皆ばらばらになる。
守りたいのに、失くしたくないのに、私は…怖くて…」
押し流されるかのように、溢れた心を彼女は俺に、おそるおそる話している。
先に感情的に泣いて胸の中で慰められてた俺は、
暖かかった抱擁をくれた中尉がこんなに怯えていたのを初めて知った。
震えている彼女の両手を、俺はしっかり支えるように掴んでいたが、
青白く震える表情を覗き込んでは釘付けになる。
お互い、内に秘めた心情は死線をくぐりぬけただけあって、
底が深くて足をすくわれそうな錯覚を抱きあってしまう。
そこで俺の中の、動悸が激しくなった。
何か、ひっかかる。
あんまり良くない前兆だ。
考えたらいけないものが俺の不安を大きくさせてきた。
嫌な予感、もしかしたら当てられるんじゃないかって…
俺は彼女の声をどこで止めればいいのか二の足を踏んだ。
彼女の肩は震えていて、俺が手をかけても軋むその様子は、何の安堵も吸い込もうとはしない。
いいのか、このまま進んでも
言わせて、戻れるか?
取り戻すあてもないのに、そこにたどり着いて平気でいられるだろうか
「中、尉……」
「…大佐が、私の膝に苦しそうに顔を伏せるの…苦しいなら、
泣けばいいのに私を抱いてごまかして、悲しそうに笑って見せるのよ」
俺は、言葉がでなくて…唾をごくっと呑み込んで聞き入った。
「もしかしたら、ハボック少尉が自分を…―――う、恨んでるんじゃないかって、
眠っていた時呟いているのを聞いて…」
言うなよ、それ以上続けたら―――
心臓を掴まれて、命が縮むような感覚に俺は冷たい汗でぎっしりになった。
この次が危ないって、サイレンが鳴り捲ってて
「それで、私は…ヒューズ准将やあなたがそれを思ってたら―――どうしようかと」
恐ろしくて…と彼女はそれを弱々しく零して言った。
下を向いて目を合わせなかった彼女は、数秒してから、俺に向かって顔をあげる。
乱れた髪から鮮やかだった髪飾りが零れるように落ちて、床で音を立てた。
泣いて、でなくなった声と力の彼女は、蒼白な面差しで俺に差し向かってきて―――
「だから、怖いの…もし、二人がそうなら、私もいつか…そうなるの、って…―――」
「言うなよ、いいって…もう、喋るなよ!」
好きな女にこんなこと言わせたくなかった。
ましてや、ただの予想でもタチが悪すぎる。
彼女に、好きな男に対してそんな気持ちを抱くかもと――――俺が、それを怖がらせてるなんて思いたくなかった。
「あ、ハボッ…ク少、尉」
「言うな」
俺は、そこで彼女を力いっぱい抱きしめて、すくんでいる体に重なった。
恨むわけないだろって、散々言い聞かせた。
ここ最近の混乱と不安で、神経質になってるだけだって宥めてやった。
―――俺、そこまで中尉が怖がってるのを知らなかった
でも、薄々気づいてたかもしれない
俺がわめくと、いつかこうなるんじゃないかって、あの日から予想はしてた
大佐はもしかしたらあの時、それを聞きたかったのかもしれない。
だけど、そんなこと中尉の前で聞けるわけなくて、俺は捨ててけって…夢中に怒鳴り返した。
それでも…
死んだヒューズ准将が彼女に答えれるわけないなら、尚更、
生きてる俺が目を伏せずに今、答えてやるのがいいのか?
多分、それを知らない振りして、何も気づかない顔して田舎にひっこもろうって紛らわしてたんだ。
「変なことを聞かせてごめんなさい…あなたが一番辛いのに」
「…中尉、俺は……」
何を、どう伝えたらいい
申し訳なさそうに見つめ返してくる中尉が、泣いて縋ってくる。
俺は、たまらなくなって唇を合わせた。
考えると口の中が苦くなって、何の答えもでてこない。
駄目なんだ。
彼女の口が甘いのを判っていながら、自分の答えが苦いんじゃないかって怯えて、
馬鹿みたいにキスを欲しがってしまう。
拒まれてもいい。
彼女は大佐のもので、俺は彼女の一番じゃない。
愛し返してくれない彼女だって判っていたけど、俺はキスが欲しくなった。
「ん、…っ…ハボッ…少、尉」
「もう少尉じゃない、ジャクリーンでもない」
――逃げてほしい、彼女に…大佐のいるフィールドから
そう思いながら俺は泣いてる女の悲しみと不安の中に、今だけでもいいから愛してくれって縋りついた。
両手で中尉のブラウスを探るように撫で、舌を絡ませながら抱きしめた。
息を忘れるほど唇を重ね、交えていった。
だけど、腕にこもった力が、背中から加わらない。
受けた傷が痛くて、息があがる。
――やっぱり体が動かない
怖い、体力が落ちて衰えていくみたいでぞっとする。
―――今まで獲得した何もかもを失くして、
この人の目の前でみっともないのをもっと悟られて、俺っていう影が消えていく
薄まっていったキスの感触に気づいた中尉は、俺の勢いがそこから進まないのを見て、
目を細めて俺を見ていた。
すると、何も言わずにいた彼女は…俺の寝巻きの襟の中に指を運んできたんだ。
「…中尉……」
俺は、驚きながら彼女の仕草を見ていた。
無理だ、それ以上はやめないと虚しくなる。
こんな男、愛せるワケないだろって非難をこめてわざと呟いた。
大佐とやるのとわけが違うんだよって、皮肉まで遠まわしに込めて言った。
言ってから―――かなうはずのない自身の空しさに、俺はどこまでも苦しくなって、
愛している女の前で息を噛んだ。
喉がおかしくなって、声が詰まって息苦しい。
両手を握り締めても、がたがたとした揺れが止められなくて…
情けない顔して中尉より泣いてるのを、ありのままに見せてしまって、
どこまでも醜態が止められなかった。
傷が、痛くて信じるものが判らない
ないんだ、どこにも
今の自分に…――――
俺はやっぱり、そこで彼女の手首を掴んで振り払わせてやった。
俺に、合わせようとしてくれる彼女の肌を近づけまいとやめさせた。
抱けるかどうかもわからない男に、つきあわせたくなかった。
愛されたいのに、愛せない体なんてしゃれになんねえよ
「どこまで、無様なんだろ…っ……」
「言わないで…そんなことないのよ」
キスをくれる中尉の唇が、甘くて優しくて、俺はたどり着けないものを望んでしまう気持ちでいっぱいだった。
彼女の指が、俺の頬をそっと包んで離れないでいてくれる。
俺のありかを待ってくれる。
捨てられないって、バカが二人してそう言ってるのが聞こえたようで嬉しかったけど、
それでも体が追いつかないんだ。
長男も次男も、長女をどこまでも愛している。
長女が好きで大事にしたいけど、守ろうと必死になるのは、
三人とも同じものを信じていたからこそできるんだ。
けれど、この足でどうしろと
この体で何ができる
―――要領が悪くて、できそこないの次男坊に、帰れる場所なんてないんだろ
ずっと、そう思ってたんだ。
本当に、今の俺ってそうなのかって
「あ、…俺は………」
合わさった唇の奥深く、俺の体が寂しさにうめいて、彼女の体に折れていった。
―――けれど、それでもいい
あそこで、あの場所で、必要とされたかっただけなんだ
続く