昼日中、戦闘時のコードネームであえて彼女は話を切り出してきた。  
今の状態の始まりは、狙撃地点を受け持ち、「鷹の目」がついているという  
彼女のバックアップ下での共闘作戦に起因していたせいだろうか…  
「ジャクリーンが…生きてて良かった」  
「中尉…」  
「…帰ってこれたのは大佐のおかげね」  
顔色の悪いリザの声は、陰鬱ものだった。  
普段の彼女は冷静で、表情はさほど豊かではない。  
それゆえ、ここまで重苦しい印象を持って、バランスのぐらつく様を  
目にすることなど予想しなかった。  
彼女がこんなふうに、形式にとらわれずに心情を吐き出すとは意外だった。  
ハボックが、見舞いの品に貰った花を生けた彼女に、礼を言って軽く微笑み返した。  
ちらちらとこちらを見ながら…生けた花を再度整えていたリザは、  
やがて自分の横に椅子を持ち寄りしばらく静かに座っていた。  
だが、それも長くは続かない。  
数十秒後、顔を抑えた彼女はため息と共に、ゆっくりと崩れ落ちたのだ。  
「あの、看病とかいいですから…交代して休んでください。  
ずっといてくださってるでしょう?」  
「ううん…いいの」  
「今、ここ、俺しかいないし…見張りとか、大佐みたいな護衛も必要ないッスよ」  
「私の仕事だもの、最後までちゃんとこなすわ…あなたも今、狙われたら危ないのよ」  
同室のロイ・マスタングは精密検査で朝から半日、この部屋から離れている。  
戦意喪失で半ば戦闘放棄していた自責と共に、重症を負った二人の  
看病にあたっていた彼女はこれまでロイを喜ばせる言葉を中心にかけていた。  
立場上、どちらに重点を置いて接してしまうかもハボックは判ってはいたが、  
先ほどのように心底労われる言葉をかけられるのは始めてだったので恐縮する。  
二人にとって…この場に上司がいないせいか、違う空気がともされる。  
 
「じゃあ、軽く居眠りでもしてていいですよ、大佐が来たら起こしますって」  
「駄目よ…また何かあったら大佐が苦しむわ……  
だから、私がしっかり…してないと…っ…――」  
思いつめたように涙声になった彼女の語尾は、そこで消えていった。  
リザはこれまで我慢していた感情をあふれんばかりに零れさせてしまったのだ。  
今のポジションについて数年…幾度か仕事を共にしてきた戦友であり  
仲間であるハボックの前で、涙を見せるなど彼女自身のポリシーにはなかったことだ。  
だが、相手を気遣い、尊重しあう心根だけは存在している。  
実際のところ、リーダーシップを取るロイ・マスタングがいなければ、  
彼ら二人に階級の隔たりはさほど浮かばない。  
ロイがいれば、彼女自身が刃となって時に、フォワードもバックアップも両方こなす有能な副官であるリザ…  
しかし、ハボックと共にあれば彼女はバックアップのみに徹する傾向が強い。  
その延長上、共に前後を安心して任せられる相手なだけに、  
リザは直接のハボックの痛手に心底同様の衝撃を受けている。  
身内に死なれるのが辛いのはロイと同様で、とにかく生きていること事態に  
今更に安堵してしまったせいか衝動的に涙をためてしまったのだ。  
今、ロイがこれを見れば強く非難するかもしれない…  
絶対に泣くまいと心に決めていたことだけに、  
リザは張り詰めた緊張の連続に立たされていた。  
それを認識していたせいか、ハボックは安らかに応じて咎めようとも思わなかった。  
「心配かけました」  
「だけど、あなたの…怪我…」  
感覚のない彼の足のことについて、リザは食い入るように顔をしかめていた。  
気づかれまいと袖で涙を拭ったが、それでも染み出す水滴は目を埋もれさせる。  
――…泣いたらまた重くなる  
大佐を支えていかなきゃならないんだから、  
ここで彼にも醜態を晒しては呆れた上官だと思われる  
 
前のめりに、頭を抱え込んで椅子に座り込んだ彼女を見てハボックは上半身の手術跡を触った。  
きしむ処置痕に走る刺激が、彼女の心を突き刺すように浮かびあがらせる。  
けっこうきつそうだな…ぎりぎりまできてるんだろうな、中尉  
この数日、ずっとつきっきりで彼女はロイとハボック二人の傍にいてくれる。  
ロイはあきらめるなと…沈む彼女を叱咤激励するが、ハボックはロイを揶揄する他に、  
何も言えないでいた。  
リザは…ロイの保身に対する心配で気が落ち着かない上、  
ハボックの負傷のもたらしたものの大きさに重いものを感じている。  
戦力のあるハボックへの取り返しのつかない過失に、  
ロイはさらに重圧と衝撃を受けているはずだ。  
上に立つ人間であるからこそ、ロイは部下のことに篤くなる。  
ハボックの負傷のもたらした結末に、あの焔の上官は大きな悔恨と  
自責に陥っていることだろう。  
決して彼は顔にも言葉にもださないが、ヒューズの時のことを思えばリザには  
容易に想像がつく。  
同じ轍を踏むまいと、ロイはそれでも強くなろうとしていた矢先のこと、  
今回の作戦で自分は肝心な所で戦闘放棄という失態を作ってしまった。  
あの時の自身の不甲斐なさに対して、ますますロイに…自分に生きろと  
言い聞かせる手間をかけさせてしまったと彼女は感じているのだ。  
加えて、リザはロイの敵対する勢力からできるだけ事態を緩和させ、  
これからもっと彼の周辺を整えなければならない。  
ロイの枷にならぬよう、障害の全てをより防いでいかなければならないのだ。  
生還してから強まった更なるこの思念と使命感を、彼女はそこで改めて覚えている。  
おまけに、これからの作戦を考えるにあたり、私情と公人の割り切りをうまくつけて  
いかねばならないのなら、いっそう使命の重みは増していく。  
立場を振り分けるに、彼女はさらなる精進を強めなければならない。  
だが、今は自責と…削がれた仲間に対する先への心配のみがどうしても先行してしまう。  
今の…ハボックへの心配はまったくの私情であって、使命や公務とはかけはなして  
考えなければならないのだから、複雑なその感情に煮え切らない自分が腹正しいとさえ感じてしまう。  
「中尉、今は…俺、そんなに…酷くもないと思ってますよ」  
「そんなわけないでしょう」  
 
「……命あってのものだねです」  
「愚痴のひとつもこぼさないのね…大佐の前じゃ言いにくいでしょう」  
「ないッスよ、生還できたんだし…」  
乾いた笑いでその場を逃げ切ろうとするハボックを見て、リザが言い足す。  
「足が悪くなって、これまでみたいに走れないなんて…辛くてたまらないはずよ」  
「中尉がそう思ってるだけですって、俺結構平気みたいで…、神経ずぶといみたいです」  
頭を掻きながら苦い笑いを零しているハボックに、リザは手を差し出して彼に触れた。  
急に重なった彼女の指先に、ハボックは心の中で驚いたが…  
やがてそれを心地よく受容した。  
彼の頬に、彼女の細い指先がさらりと伝う。  
目を潤ませる自分に対して、彼は一滴の涙も流さない。  
こうして二人だけで会話をしても「リタイアする」と言った時の悲しげな表情に  
変えることもない。  
強靭な精神力なのか、はたまた軍人としての覚悟の度合いの違いなのか…  
リザはその高い安定性に感心する。  
「泣かないのね…――強いのね」  
「今、中尉が泣いてくれてるから俺は十分ですよ」  
――泣けないって、俺は…あなたの前じゃ  
「我慢しなくていいのに、…大佐は夕方まで戻らないわ。何でも言っていいのよ…  
欲しいものでも、文句でも…ちゃんと聞くわ。有体な言葉しかでない私でごめんなさいね」  
「…そんなの特にないですって」  
「遠慮しなくていいのよ…何かあったら言ってちょうだい」  
「じゃあ、…キスとかしてくれたら嬉しいなあ。この傷じゃあ女の子皆、怖がって…  
当分、彼女できそうにないし」  
言い終えるや否や、きょとんとした目でリザはこちらを見てきた。  
慌ててハボックが、両手を振り回して冗談だと告げて謝罪したが彼は思いもよらぬものを得る。  
ジャン・ハボック…とフルネームを言い残して、リザはそっと自分を眺めるハボックに  
唇を合わせていったのだ。  
 
互いに唇が軽く触れ合った時、少しだけ開いた窓から風が流れてきた。  
流れる風、踊る心、伝わる感触…何もかもが新鮮だった。  
さらりと流れる彼女の細い前髪が自分の額に重なってくる。  
――………  
あまりに柔らかいリザの唇にハボックは心酔した。  
舌こそ含みあわなかったが、触れ合うだけで気持ちに熱を帯びてくる。  
軽く口付けした後、ゆっくりと離れたリザを至近で見つめていた彼は…  
ぼんやりとしながら自分の唇を指で触った。  
残された暖かさ…確かに今、ここに彼女は触れていたのを確認した。  
もう一度、角度を変えて唇を近づけようとしてリザは近づく。  
そこで…ベッドに腰掛け直した彼女の気配に気を取り戻した病人は、本気で謝罪しだした。  
冗談を真面目に実行する彼女…からかった自分を恥じ入り、顔を赤らめて彼は弁解した。  
「すみません…やっぱ、駄目ッスよ…ここ病室だし、誰かに見られるかもしれませんって」  
だがリザは真剣にこちらを見つめてくる。  
目を泳がせてうろたえるハボックはいたたまれない空気に染まりかけているが、  
彼女は強い意志を表した。  
「直すための治療方法を探し出すわ…歩けるようになるまで待ってて」  
「中尉…」  
「分かれて行動してたけど、今回の作戦で私が一番失態を犯してしまったの…  
あなたにも、何か役に立つことをして補いたい…っ…――」  
吐息をもらし、必死に声を震わせながら、彼女はハボックに約束すると言っていた。  
「中尉がそこまで背負わなくていいんですってば…大佐は、ああは言ってるけど…  
めちゃくちゃ中尉を頼りにしてるんですよ」  
首を傾けたリザは悲しげに、言葉を綴っていく。  
「…肝心な所での、私の力のなさに呆れてるわよ」  
「大佐もあれで口は下手だから…心配してるからだ、なんて言わないだけですって」  
胸に秘めた心を言い聞かせるように、リザは目を細めた。  
「私がもっと強くならなければならないのは本当よ…。もう絶対に負けないように…」  
「…これからは俺、外れますけど…大佐のことは頼みます」  
 
「だけど、私は失態があったから尚更、今回のこと全てに関わりたい。  
…部下を置いて、切り離して考えるのが公人であることはわかってる……  
けれど、できるなら公務と共に関わって見届けたい。もしかしたら、  
私のこんな考えなんて大佐はとっくに分かってるかもしれない…  
立場上、絶対に口にはなさらないけれど」  
「そんなことしてたら、中尉大変ですよ…ひとつの失敗がしがらみを作るだけです」  
「でも、…足が動かないなんて…」  
勝手な訴えと思われるかもしれないが本気で心配しているからこそ、  
関与できないロイの分まで助力したいとも彼女は言った。  
ハボックの痛手を、リザは心から憂慮しているらしい。  
上司であるロイも大怪我をしたものの、退院すれば職務に復帰できる体ではある。  
だがハボックは酷い傷跡を残してしまった。  
彼の負傷の一端にリザは心から関わりたいと望んでいるのだ。  
「いいえ、俺のことは気にしなくていいです」  
失態ならば、リタイアしてしまうほどの傷で役に立たなくなった自分のほうだとハボックは思ってしまった。  
だが、リザのこの切実なまでの逼迫した様子にハボックは何を言うべきか判断がつかなかった。  
愚痴でも不満でも聞くと言われるが、それを曝け出せるほど彼自身も  
まだ心の中の整理がうまくできていない。  
だが、耳を傾けてくれるリザの労わりには有難さを感じる。  
相変わらず、周囲への心配りの広いところは健在のようだった。  
しかし、ハボックが十分に歩けないほど戦った証を持つ一方で、  
彼女は銃を連弾した熱衝撃によるかすかな火傷のみ…  
ほぼ無傷で生還していることにやりきれない気持ちを抱えているのだろうか。  
ここで付き添いをはじめてから、本当に申し訳なさそうな姿でいるのだから、  
その心情は手に取るように伝わってきた。  
 
「中尉のせいじゃない…この怪我は俺がうっかりしてたからですよ」  
「大佐もあなたも大怪我してるのに、私は何の役にもたってなかった…看病と護衛しか  
今できなくて、悔しいのは本当よ…勝手な言い分に聞こえるかもしれないけど、  
今からでも報いたい。やれることならなんでもやるわ」  
相変わらず、妙なところで真面目だな…とハボックは苦笑する。  
こんな時でも、完璧さを貫こうとする彼女の真摯さに、彼はほろ苦い感触を覚える。  
それが彼女独特の人柄であり、得難い個性の輝きでもあろうことを改めて確認した。  
あとは土壇場の精神力の補強のみで完成されるのではないかとも推測するが…  
「“鷹の目”は凄かったですよ。狙撃で助けられた俺はそうは思ってません。  
本当に、気にしなくていいんです」  
「でも……っ…」  
戦意喪失で戦闘放棄という醜態を晒した自分が許せないと彼女は言って再度、  
復帰のためにハボックの治療の話を持ち出した。  
「中尉…もう、いいですって…気持ちだけで十分です」  
「これまでのように前線に戻ってこなくてもいい。きっと、大佐も承諾してくれる。  
必ず方法を探してみせるわ」  
「…そんなことしなくていいですって」  
「だけど、あなたの足の治療にも、私は役立つことがしたいの」  
「中尉、駄目です!」  
「……っ…」  
彼女の手を握り締めたハボックは、激しい口調で言い張るリザを制した。  
強い勢いを含んだ彼の言い様に、彼女ははっとする。  
「見誤ったら駄目だ。俺がぶっ倒れても、振り向かないでください。  
中尉はやるべきことがあるはずだ」  
穏便だったハボックの様子が、一転して棘の様に刺さってくる。  
リザがそれを思い起こして目を閉じて呼吸を整え、落ち着きを取り戻そうとした。  
ハボックの言い放つ“優先事項”に染み込むように、彼女は耳を傾ける。  
 
そうだ、彼は、ロイ・マスタングのやろうとしていることを願っている。  
私がここで彼を支えたら力が分散する  
そうすれば、どこで全力を注いで大佐の背後を守っていける  
――馬鹿だわ、私…何を言ってたのかしら  
見誤るところだった…彼女は混乱していた自分の心を見つめ返した。  
だが、苦虫を噛み潰したように残るこの気持ちの行き先に彼女は唇を噛む。  
自分を思い返すリザを見つめ、ハボックはきっぱりと言葉を積みあげていった。  
「俺が死んでも、前進あるのみです。  
あなたは俺なんか無視して突き進んでいってくれると思ってます」  
――だから、そんな女に惚れてんだって  
「俺みたいなの気にしたら駄目です。今だって…反省してる暇なんかないはずです。  
これ以上…立ち止まったらいけない」  
「置いていけっていうのね?」  
「ええ、役に立たない駒に気をとられてたら、敵につけこまれるだけです」  
「……それは、わかってるけど…」  
繋いでいたリザの手に力が入っていく。  
未だ、乱れていた考えを振り切れないでいる彼女の様子を見て、ハボックが言い足した。  
「正直、…別のことに気ぃ取られて大佐を追いかけてないあなたは俺の好みじゃない」  
「……」  
「切り捨てるのが一番ですよ。…魅力のない女はいらない。かえって迷惑だ」  
「……――そう」  
潤んでいた瞳が曇り、眉間をしかめて唇だけを緩めているリザ…  
動揺を抑えていた彼女を、ハボックは無表情で見返してしまった。  
しかし、そうしているうちに、彼は心の中にあった形のないものが、  
何かさまよってきたことを覚えてしまった。  
入院してから、もやのように整理しきれてなかった深層だろうか…  
わきあがる泉のように気分がぐらつく。  
その気配を悟られないよう、彼は表情にでるのだけは防ぎたいと瞬時に思った。  
這い出る勢いを抑えるので精一杯だったのか…ハボックの額に汗が流れた。  
入り混じる心地に錯綜する彼の手を握り締める一方で、リザは低い呟きを放った。  
 
「余計なこと、…言って…ごめんなさいね」  
「……」  
「私、勢いだけであなたに考えをあてがってたみたい…どうかしてるわ」  
――中尉…  
心配する必要のない女だとでも言われたような感触を受け取り、リザは沈黙していた。  
そして、椅子に座った状態で、重なり合う手をそのままに、彼女は頭ごと端にうなだれていった。  
沈むリザの肩にハボックはもう片方を差し向けようとするが、  
無意識に触ろうとしていた自分を思い起こしてすぐに引っ込めた。  
ついでに、目に映る視界も彼女からはずしてしまった。  
余った彼の手は、リザと繋いだままの片手から伝わる熱を感じながら  
シーツを握ってやりすごす。  
数分…二人は押し黙った。何を話すわけでもない。  
ただ片手だけ繋いだまま、そこにいた。  
握り合った手を離そうとしないのは、どちらをも繋ぎとめる唯一の形を  
ここで失くさぬように作っているかのようだった。  
「……」  
話かけようと唇を開いたが、ハボックは言わずに飲み込んだ。  
言いたいことは山ほどある。だが言うわけにはいかない。  
これまでの台詞もなにもかも…真実、訂正したい。  
――もっと上手い嘘を言えば良かった  
相変わらずの会話能力の欠落さに、彼は自嘲する。  
炒めて食うと美味いとか昔、犬に関してぶっきらぼうな発言で誤解された時と  
変わらぬ言葉のまずさだ…どうにも離れがたいジンクスのようだと彼は思い起こした。  
――欲しいさ、俺のものにしたい…  
せっかく俺のことに力を注ぐといってるんだ  
こんな願ったりかなったりの申し出、断りたくない  
なんならこのまま負い目を植えつけさせて一生縛り付けてやりたい  
――だけど、この人はそれだけでおさまる女であるわけがない  
自由に羽ばたく未来と選択肢が彼女にはまだ残されている。  
まっすぐに突き進む焔の男の傍で彼女の能力は更なる輝きを放つだろう。  
理想と夢の実現に、もっとも近しい場所にいてこそ輝けるリザを見て、  
その傍で自分も活躍するのが本懐だった。  
 
だが、自分がリタイアしても、まだまだリザは削がれることなく前進できるだろう。  
いや、もしかすると、ますます自分を必要とせずにロイの周辺を補強する実力を  
持っているかもしれない。  
己がその羽を掴むわけにはいかないのだ。  
彼女の本領発揮を促す糧となるなら、それこそ自身のいた意味も功をなすのではないか…  
――しかし、そこに自分の姿はない  
「だから…」  
続きを言おうとしてハボックは、声が掠れてでこないことに気づいた。  
ようやく発せた音なのに、どうにも喉が振るわなかったらしい。  
「…っ……――」  
何を言わんとしているのか本人にもわからなくなった。  
少々、内なる意識の混乱に彼は戸惑い、考え込むように…重ねられていた手を  
力をこめて握り返した。  
「…ハボック少尉?」  
破られた森閑から、静まっていたリザはこちらを見てきた。  
――あれ…何、言おうとしたらいいのかわかんなくなった  
瞬間、ぬるい感覚に彼は襲われる。両目が溺れかけるような涙の存在に見舞われたのだ。  
泣き止んでいたリザを引き継ぐようにハボックの頬に涙が流れた。  
リザはそれを…憂うように見つめてしまった。  
作っていた彼の強さが暗転し、予想以上の深い溝となってハボックの表情に表れている。  
傷痍軍人などこれまで彼女も多く目にしてきたが、  
ハボックはあまりにも不感応に軽く笑い散らしていた。  
感覚がないと言った時以来、真剣な眼差しを浮かぶことは途絶えていたが、  
既にどこかで心の割り切りをつけているのではないかとリザは触らぬように配慮していた。  
しかし、それがかえってリザの盲点を深めていたのかもしれない。  
片手で口を押さえながら、痙攣している喉元を閉じさせようとする仕草を残し、  
ハボックは思いとはかけ離れた台詞を作っていった。  
 
「だから、それで…今となっては中尉が無事で良かったって思う俺を許してください」  
「……ハボック、少尉――」  
――どうして、…そんなこと言うのよ、泣いてるじゃない…あなた  
「大佐もどっかぬけてそうで、あの時、もしかしたら全員やばいかもって死ぬに  
死にきれなかったなぁ…なんて思ってたり、…してたんスよ」  
――自分のこと、零していいのに  
枯れた冗談で場を作ろうとしているハボックの手を握っていたリザが、  
心細そうなハボックの言葉の節々に…いたたまれない気持ちを募らせていった  
こんな時でも自分やロイのことを労い、誤魔かす彼に胸が痛み、震えてくる。  
「あの場では俺も中尉も大佐も…全員、危険と背中合わせだったんです。  
生きて戻ってこれただけでもラッキーですって、それに…っ」  
「もう言わなくていいのよ――」  
リザが椅子から立ち上がって彼を抱きしめた。  
自分の顔の神経の様子がおかしいことを感じ取り、  
ハボックは嗚咽まじりに言葉を繋げていく。  
「俺…なんか、変な顔してません?…さっきから息、しにくいんですけど……っ…」  
「何も言わなくていい…」  
枕元から両手を回したリザに抱擁され、口を閉ざしたハボックは  
喉を震わせて、彼女を緩やかに抱きしめ返した。  
損ねたものに対して、抱きしめられることでようやく込みあがった感情に、  
ハボックが消え入るような唸りを零し始める。  
枕に流れて行く涙をぬぐうように彼女は彼の頬を手のひらで暖め、  
同時に口付けをしてくれる。  
好きなだけ預けられる彼女の暖かさを、彼は求めてしまった。  
こんな温もりを、貰えるなんて思っていなかったのだ。  
…置いていくのは当然だってわかっていたはずなのに  
今まで、考えないようにしていた悲しさが湧き上がってきた。  
自身の額をあてがい、リザはハボックに優しい言葉を…だが、刻むように語っていく。  
 
「中尉…俺…――」  
「私達は武器を持って戦ってきたわ。ホムンクルス達のように特殊技能が  
あるわけではない…実戦で、彼らとの落差に怖いと思ってもしょうがないの。  
生身の体に武器で対抗していくにも限界があるかもしれないから」  
「………」  
「失くしたもので、怖くて悲しいと感じるのは人間だからよ…心があるんですもの。  
だから、痛いものを背負って平気でいられるほど強くなくてもいい…  
強いなんて言ってごめんなさい…」  
無神経だった自分の発言を悔やむようにリザが謝ってきた。  
両足に酷い損傷を受けてどうして冷静でいられる  
平気だなんて言えるわけがない  
彼は私に置いていけというが…あなたは本当に、それで何にも思わないはずがない  
役に立たないから切り捨てるなんて、あなたはそこまで道具じゃない  
――大切な仲間なのよ…  
大の男が泣くだなど…ハボックはそれを恥じ入る部分を持ってしまったが、  
リザは構わず真っ直ぐ向き合って接してくれる。  
これまでのやりとりによる形勢が逆転したような感覚でいたが、  
彼はリザの心根の奥深さを心底有難がった。  
自分に欲しい言葉を彼女は与えてくれる。  
優しさや同情だけで接しているのではなく、ただ自分を本当に大切に  
思ってくれているという一心さだけが感じられた。  
 
―――時間が数分流れた。  
縋ってしまったハボックは、落ち着きを取り戻した頃にリザの顔をくすんだ瞳で見返した。  
そして自然と彼は、彼女の美しい頬が濡れていたのを見つけて自身の指で撫で返す。  
「やだ、私も泣いてたの…さっきから涙腺ゆるみっぱなしでほんと駄目ね…私…」  
ロイが駆けつけた時、号泣していたリザがいたことを、ハボックはアルフォンスから  
密かに聞いていた。  
ロイに向けて放たれていただけの涙が今、自分のためにも流されていたことに気づき、  
彼は嬉しさのせいか穏やかに唇を綻ばせた。  
だが、それ以上を望んだら、彼女は離れていくだろうか…そんな気持ちに彼は佇む。  
募らせた想いの力で、覆いかぶさるような姿勢でいたリザをハボックは強く引き寄せた。  
そこで、横倒しに寄り添う彼女と唇を重ねようとした。  
いて欲しいときにいてくれる最愛の人…彼女を心から慕ってしまう自分を表したい。  
言って許されることだろうかと思案した彼だが、戸惑いつつも次第に心を決めていった。  
「ハボック、少尉…?」  
――伝えたい…聞いて欲しい  
「最初の冗談…訂正します。本気だった…」  
「……――」  
「迷惑だなんて、嘘ついてすみませんでした…本当に――」  
――まっすぐに、俺を見てくれ  
「――本当に、あなたはとても…魅力的だ」  
溶かすように熱のこもった瞳を放たれた。  
続いて眼前で愛を囁かれたリザ…瞬間、彼女の白い頬は射抜かれたように紅く染まった。  
近づけられたハボックの眼差しに捕らえられたリザは、  
…やがて、柔らかに瞼を閉じて、近づけられた唇で自然と彼を重ね受けた。  
 
 
俺は、泣いていたと思う。こんなキスなんか初めてだ。  
心底、自分はおびえてた。先が暗くて、前がなくてしんどかった。  
それでも必死に道を探していた  
巻き込みたくない、引きずらせたら…彼女を止めてしまう。  
だから、途中で悔しくて、自分の喉下を切りたくなって…もがいたんだ。  
柔らかくてたどたどしい彼女の指先が、自分の喉に触れてなかったら  
迷わずそうしてた。  
自分のこの口は…口付けをしながら、何度も好きだと言ってたのだから…どうにもならなかった。  
やめられなくなった行為を止めるに、それしかないんじゃないかって必死に考えた。  
だけど、伝え続けた。  
安らかになりたい…この時をずっと、…ずっと待ってたんだと  
「好きだ…あなたがずっと好きだった」  
言ったら彼女は慰めてくれる。  
自分よりも、何よりも…周囲に気を配り、滑らにする彼女…  
死にかけて、泣いた人間を放っておく女じゃないのを知ってるからだ。  
――……  
縋る男を受け止め、自分を愛していると告げてくる相手の抱擁に、リザは好きなだけ応じていった。  
 
口付けの途中から自分の目線より上のほうから流れてきたハボックの涙が彼女を、更に捕らえていた。  
ますます力が入らなくなり、彼女の全身が包み込まれる。  
熱に重なると、翻弄される…あまりの強い求めに彼女の喉には息が通る隙さえなかった。  
「…ぅ、ん…っ――-」  
息の合間を取り戻せなくなるほど、彼に飲まれていたリザ…  
腰掛けた寝台に、横倒しになった姿勢でハボックの求めに応じていた彼女はやがて、  
困惑したように呼吸をもらした。  
十分な力ではないが、乗りかかって求めてくる…病人とは思えぬほどの強い腕の力、  
彼独特の仕草と、知らなかった男の匂いにリザは直面する。  
「…ハボック…少、尉…っ…」  
その時、服の上から愛撫が激しく連なってきたことで、彼女は初めての行為に身震いした。  
胸を揉み、まさぐる彼の手の行き先に体が震えた。  
揺らぐ意識の裏側で、肉欲への誘いに問われてしまったのだ。  
「…、――…っ…や、ぁっ」  
「ごめん…――」  
「……っ」  
戸惑いがちな行為をぽつぽつと返す彼女を見かねて、ハボックがようやく口を離した。  
掴んでいた細い肩が静かに揺れている。…男が初めてなのだろう。  
力の入らない彼女の様子からは、異性と熱い口付けなど交わしたことのない空気が  
漏れていた。  
美しい女性として軍内部でも目立つ女性だったが、高嶺の花のような存在で  
ありすぎたためか、かえって遠巻きにされているのだ。  
それゆえ、男性経験はなかったのだろう。  
ハボックに最初、キスを望まれた時、彼女は自分から軽く触れてそれに応じた。  
だが、あれは実際のところ、彼女にとっての単なる皮膚の重なりにすぎなかった。  
悲しんでいる子供や動物をあやせるといった行為に近かっただけなのだ。  
しかし今、深い交わりを持つことと、それらはまるきり様子がちがう。  
これほど激しい行為だったのか…と、彼女はハボックとの接吻に動揺し、かつ  
翻弄されてしまった。  
 
またハボック自身も、リザの男性経験の皆無な状態を自覚したせいか、  
その有難みで悦に浸ってより突き進んでしまった。  
「…中尉、ごめん……」  
ごわついた感覚の制服があった。  
きっちりとしていた彼女の上着は皺だらけになって崩れている。  
本能的に脱がせかかって、愛撫してしまったせいか、途中で我に返った余裕のない自分…  
それに対して、息切れしながら胸をひくつかせて倒れこむ彼女…  
ハボックは目の前の彼女の肉体の誘惑と思慕の念に揺らされる。  
放さないと…、早く行かせてしまわないと…掴んだら駄目だ  
悔やむような表情でハボックが再度謝りながら、  
…触れていた彼女の肩を儀礼的に遠ざけた。  
「服、皺になってる…整えてください」  
息の落ち着かない様であるリザを見ないように、目をそらした。  
見るのが苦しい。  
妖艶で美しい彼女の蒸気した頬や唇を目にするだけで、理性に歯止めがきかなくなる。  
白い首筋には、髪留めから零れ落ちたひとふさの髪が艶やかに流れている。  
これほど情欲をそそり立たせるような女の姿に、正気でいられなくなる。  
彼は両手でリザを…すっと…壊れ物でもあつかうかのような仕草で押しのけた。  
そして、露にしてしまった心に反して、行かせようと…あえて臨んだ。  
喉に骨が刺さったようだが、言わねばならない。  
「行ってください」  
「……」  
低い声で、重く言った。はやく、切らなければ自分のほうがえぐられる。  
乱れた上着の襟を両手で押さえたリザは、体を震わせ言葉をたどる。  
瞳を曇らせながら、彼女はゆっくりと起き上がった。  
そして、片手を…震わせながら、シーツを掴んで手に力を込めた。  
 
私、何をしてたの?  
私を捕らえたあなたに…私は…何を言えばいいの  
ここにいるのは“ジャクリーン”ではない  
私が認識する対象は、コードネームでも仲間でもなくなった。  
もうひとりの惹かれたような感じのする…新たな存在…それは一体…―――  
「…少尉、…私は――」  
「いいから行ってくださいって」  
「…私はあなたに、何をすれば…――――」  
「行ってくれ!」  
大声が響き、突如として腹の底からその一声は発せられた。  
「……っ」  
彼の怒号に、びくりとしたリザがおののくように立ち上がる。  
何か怒らせるようなことをしたのだろうか  
いや、好きだの愛だの適当な言葉に迷い、本来の道を忘れ…  
甘んじて応じてしまった馬鹿な女だと…咎めているのだろうか…  
――あ……  
途端、彼女はそんな自分がやるせなくなり、伏し目がちにそろそろと歩いて離れた。  
ほのかな香りが消えていく。抱きしめていた熱が抜けていく。  
ハボックはそれと同時にうずくまる。  
そして、愚かなことをした自分に沈みながら、  
代わりにリザに上がってもらうことを伝えた。  
焔の男と共にある、強い彼女に…勇猛果敢で美しい…あの颯爽とした、快活な姿に託した。  
「進んでください、俺よりも…」  
心の中で割り切るために、消え入る声で彼は言っていた。  
行ってくれ…  
こんなくすぶった自分につき合わせたら駄目だ。  
先が大事なら、夢が大切なら…祈ろう。  
走り続けて、幸せをつかめと願うだけだ。  
――畜生、なんだよこれ…ほんと最悪だ、女運なさすぎだって  
目をつぶり、折れ曲がった状態で彼はベッドでうずくまった。  
 
扉に近づいた彼女がドアノブに手をかけた気配が聞こえる。  
行けよ。はやくいなくなったほうがいい  
とっとと忘れて、呆れてくれ…  
言ったことの、ただひとつの真実も…自分で伝えて、あっさり壊して俺は何様だっての  
どなるくらいなら最初から何も言うなって…  
怒鳴った時の、最後の一声…  
吐き出すように、渋った自分の様子に…苦しげな表情を浮かばせていたリザを思い出した。  
あんな顔させるために、言ったんじゃない――――  
もう何も感じ取りたくない  
「最低だって…」  
耳を塞ぎ、目を閉じて…ハボックはその場から自分を遠ざけた。  
やがて、外界の知覚を放棄していた彼は…リザがいなくなったであろう数分後にそっと起き上がる。  
目を開けると、いつもの視線に彼女がいない。  
――…良かった…出て行った  
だるい息をはきながら、頭を抱え込んだハボックが再度、うなだれた。  
前のめりに体を折ると、少し傷跡が疼くが、あれから随分経つし、  
入院当初ほど派手に激痛が走るわけでもない。  
前は焼かれて塞がっているし、縫合跡も加わり処置もなされてあるので、  
周りが心配するほどたいしたこともないと自身は思っている。  
ただ、残った足の神経の障害が最も不快である程度で、さっきのように、  
大きく上半身をゆらしても傷自体はそんなに気にならなかった。  
いつか吸いたいと思って…隠していた枕元の煙草の箱を掴み取り、  
おざなりに口に銜えた…  
だが、オイルの入っていないライターで、カチカチと  
火をともそうとしていたことに気づき愕然としてしまう。  
打ち火すらでてこない。  
何もかもが決まらない自分であるのか、自嘲さえ浮かんでこなくて気が滅入る。  
続いて、しばらく挟んだ煙草を唇であやしながら、考え込んだ。  
もう、どうでもいい…  
見舞いとか看病とか…不要の自分に護衛など完全に必要なくなったとすら思う…―――  
存在自体、捨ててしまいたい。  
 
大佐とは別の部屋に変わろう  
顔、合わせるのも困るだけだ。さっさと退院して田舎にこもろう  
「……――――?」  
しかし、彼は小さな気配…残された空気に混じる人影に目を見はった。  
自分のいる場所からは隣にロイの寝台があるせいか、  
ドアの入り口の真下が死角になっている。  
目を凝らして見えたものに、彼は掴んでいたライターを床へ転がしてしまった。  
無機質な音がベッドの下から跳ね返り、人影の主に気づかせてしまう。  
自分がそれに気づいたことに、残っていたその気配のありかを伝うかのように…  
「――…中…尉」  
よく見ると、そこにうずくまるようにドアノブに手をかけた状態で、  
座り込んでいるリザが残っていた。  
覗き込むと…喉をしゃくりあげて、声を塞いで涙する彼女の後姿がある。  
いる…行かなかった?  
口に銜えていた一本が落ちていく。体の中に呼び覚まされるあの感情…  
もう一度、彼は彼女の名を呼んだ。  
確かめるように発声し、声でその存在を確認しながら唇を動かした。  
――…憂い、そういった気持ちに彼は高まっていった。  
なぜか、隠れるように必死でいた彼女は、自分の呼び声に肩をびくつかせ、  
もれ出る声を飲み込もうと抑えてしまう。  
踏み出せる力を持てない彼女の状態…  
立ち上がれなくなった自分を制しきれない様子で、リザは胸の奥を掴んでいる。  
背をのばさなくては――  
誓ったはず、私にとっての大事な使命を何よりも…誰よりも  
だから、立たなきゃ…ちゃんと受け取った彼の信念のためにも、  
なのに、ここに来て力が入らないなんてどこまで情けない上官なのよ  
体が小さく崩れた状態に陥ったリザ自身の混乱に、ハボックは通じるものを感じ取った。  
 
怯え、惑い…意志と使命の重さを抱え、貫こうとする人間…  
見える強さの中にある脆さという側面に…淡く、はかない彼女の姿に惹きつけられる。  
知ってしまったもうひとつのリザの姿…いつもの冷静で優しい、  
そして自分を心配してくれる強い女性の中に隠されていた、倒れ掛かるほどの重苦しい状態…  
加えて、自分の言葉に動揺し、届けた気持ちに悩んでいる彼女の軋んだ様子…  
恋焦がれた気持ちが、彼女に対してさらに強まった。  
抱擁された時、言われた言葉…自分に欲しい言葉を彼女は与えたが、  
あれは彼女自身にあてはまることでもあろう。  
痛いものを背負って平気でいられるほど強くなくてもいいと言っていた。  
とうに、はじめから背負いすぎた彼女にとって、これまで様々に苦悩していたはずだ。  
あれは自覚できる部分があったからこそ、自然と放たれた台詞なのだろう。  
しかし、こうして見るとその重圧に潰されそうな気配をひしひしと感じてしまう。  
あの姿を守りたい。  
再起不能の自分ができることを今、行いたい。  
ここで見守るだけではなく、臆することなく行けるように絆にして…  
暖めて送り出したい。  
愛しているからこそ、守りたい。しがらみを作るために託したのではないのだ。  
心から願える存在であってほしい。  
泣ける場所も、休める場所もないほど強くならなくていいと思う。  
それを作って、時々は、翼を休めてやれることくらいさせてやりたい。  
だから、さっきの自分のように、遠くで思う人間との距離で彼女を縛っては駄目だ…  
伝えたことを今更、後悔するのはもうやめようと彼は思った。  
そして、さらけだすことに躊躇う自分を消すことを、誓っていった。  
小さな背中、あの姿に刻みたい。  
自分はここにいる。ここから彼女を守り抜く…  
まだ間に合う。  
夢を追いかけ続ける、そのためにあの背を押してやりたい  
一人で行かせてやるためだけでもなんでもいい、その力になってやりたい。  
こんなに声の届く範囲にいて、何を躊躇うことがある。  
手を伸ばそうとした彼は、壊したものを取り戻そうとした。  
ありのままに、思いのままに…  
ぞくりとするほど、彼の意識に強みを帯びて、それが深まっていく。  
 
こみあがった気持ちのハボックに対し、リザはつかえた喉でいくつか言葉を繋げていった。  
「少尉、…私…今、行くから。ちゃんと出て行くから…っ……」  
――行けるのか…行かせるのか、あの状態で?  
再度、手のひらで掴みかかったノブに体重をかけようとするが、足がすくむリザ…  
空ぶる彼女の動作にハボックが心細そうに感じ取り、憂う思いをめぐらせる・  
歩き出せない彼女は嗚咽をこぼしながら何度も同じように立ち上がろうとしていた。  
だが、本当に涙を流す行為に体を奪われ、歩みだせる機会がつかめない。  
いそいで出て行こうとしたが、むせび泣くことが止まらなかった。  
ついで、部下の前で更なる醜態を晒している自身が惨めで、気が狂いそうな自覚に陥った。  
強くなる、前に進む…そう決めていたことなのに、  
こんな時からそれでどうするという思いで自分が嫌になる。  
「馬鹿な、上官でごめんなさい…」  
――…俺ができることなんて…  
彼女は孤独で、自分も独りでそれぞれに立場と責任の取り方も違う…  
理屈ではそう分かっているが、小さい肩を震わせて座っているのを見ると  
ハボックの感情は収まりそうにない。  
そして馬鹿な上官と己で言わしめるほど、怒鳴ってしまった先ほどの自身を彼は悔いた。  
口元を押さえ、涙に塗れる尊い姿…それを告白で惑わせ、ある意味、  
あそこまで追い詰めたのは自分のせいではないのか。  
勝手に告白して、突き放した…ついでに声まで荒げてしまったことを省みた。  
ただでさえ、自分やロイのことで頭を抱えていたリザだったのに…  
気の張り詰めた彼女が今、ああも崩れてしまったのはそもそも自分のことが原因ではなかったのか…  
――…一方的に触れて、突き放し…困惑させて放棄した自身  
責めることなく彼女はいてくれたのに  
あんなに泣かせてる…もう駄目だ――――――  
瞬間的に体を震わせたハボックは、身を乗り出した。  
どさりとした重い音がリザの背後で聞こえてくる。振り返った彼女はその光景に驚く。  
「何を…駄目よ…動いたら……っ――」  
怪我に障るといい、彼女は顔をこわばらせた。  
なけなしの力でベッドから床にずれ落ちたハボックに、リザは歩み寄ろうと  
目をこすってこちらに向く。…わななく膝を立てようとするが…  
そこで、来るなとハボックが言い返す。  
 
「俺が行く、あなたは動くな」  
歩ける、足くらいなくてもそっちへ行ける  
這ってでも行ってやる  
俺が作った距離だ…俺が泣かせた女だ  
両手を宙に持て余し、泣き崩れた顔で頬を濡らしていたリザがその姿を見つめ続けた。  
膝立ちでいる自分に近づいてくるハボックの這い動く音…  
「……っ――」  
残された全身の力で足をひきずりながらも懸命に辿ってくる…  
その真摯で切実な彼の心情…自分にはない彼の底の深さ…  
彼女の気持ちに刻み付けるようにハボックは舞い降りた。  
どうしてそんなに、失ってないかのように錯覚させる。  
強くなろうとしているから…?  
ならば、今の私よりも…ずっと大きい。  
――こんな私を想ってくれる  
それでも動き、来てくれる  
私が泣ける場所を守ろうとしている。  
「…少尉…っ…」  
広げた両手に抱え込むようにリザは、ようやく届き、転がりこんだ彼を受け止めた。  
汗ばんだ彼の額に安堵の光が広まっていく。  
あまりにいとしいその姿に彼女はありのままに応じて言った。  
「私、…私はここにいる…ここから歩く、ずっとずっと追いかけて…必ず掴むわ」  
夢と現実の交じり合う世界、彼女は彼の優しさに喜びを感じ、  
…消えかけたものを、しっかりと受け継いだ。  
彼女の胸に顔を預けた彼は、軋んだ苦さで自重の声をあげている。  
「……泣かせたのは俺のせいだ」  
「いいえ、怖いからよ…あなたのせいじゃない…押しつぶされそうでいたのは私のほう…」  
脆くて悲しい…抱きしめたものがあまりに優しい。  
どちらも感じ取れるのは、私にかけがえのない存在であるからだ。  
 
彼は、自分を愛していると囁いた。  
熱い声で言われたとき、まっすぐに思慕が伝わってきた。  
本当に淡く、ほのかなものが見え、言えない、言い表せない感情に包まれた。  
縋られた時、人がなんて弱くて小さなものだと思えたが同時に、  
悲しいと思えるその存在は尊かった。近かった。  
既視感だ…はかなさゆえに愛しい気持ちが募ってくる。  
なぜなら、似てるから…私が持ってたわだかまりをあなたは届けてくれた。  
自分が薄々感じていた損失への恐れや、背負うことの不安を目の当たりにして、  
躊躇っていたのだから…  
彼は自分にはない底の深さがあるが、いざ自分の場合となるとどうなることか…。  
危険と隣り合わせで、彼のように負傷するのは誰にでも起こりうる。  
今後、戦闘放棄しないための精神力の強さが持てるかどうか疑問でしょうがなくて…苦しかった。  
何よりロイ・マスタングにとって有用な副官でいられる自信に揺らぎが生じて怖かった。  
強くなると誓っても、言うのは容易い。  
行えるくらいの跳躍力を彼女は未だつかめないでいたのだ。  
だが、届けられた。慰めや同情で向き合うのではない。  
ただ自然と、愛していると囁かれ、近づいてきたハボックと同期した心が  
愛情に変わっていくことに彼女は、そんな形もあるのだと、受け入れていっただけなのだ。  
床で座り込むリザに、ハボックはかぶさるようにのしかかっっていた。  
息切れの落ちつくまで、そのまま彼は目を細めてこう告げた。  
彼女の胸から膝の奥に顔をうずめ、腰に両手を回して辿り着いたものを抱きしめた。  
「今だけでもいい…こうしていたい」  
「ええ」  
「俺、歩けた…?」  
「ええ、ちゃんと来れたわ」  
――私のところに  
 
 
 
扉の鍵を閉め、彼らは激しい行為に向けて肌を合わせていった。  
ハボックの愛情に、リザは同じものを返していく。  
たどたどしい仕草であったが、口付けからだんだんと甚だしい動きに二人は変わっていった。  
「……ッ」  
「こんなところですみません…」  
微笑み返してリザはかまわないと答えてくれた。  
床に座らせ、壁に追いやった彼女をハボックは横からできる範囲で愛撫していた。  
やがて、彼自身が壁に背をかけてもたれるようにした状態で、  
上を脱がせたリザと向かい合って、膝の間に移らせる。  
傷跡に触らぬように彼女のしなやかな体が膝の上に近づいた。  
「んぁっ……」  
悩ましげな部分に走る刺激でリザがおののいた。  
背中が弱いらしい彼女…続けて下半身を纏うものを一枚のみにして  
するすると脱がせたハボックが手で腰を縦になぞる。  
「やぁ、あっ…」  
すると、リザはもたれかかるほどに力が抜けて自分に近づいてくる。  
薄茜のように色づいた彼女の肢体…全て取り払って裸身にすると、  
彼女は、本当に美しくてまぶしかった。  
理屈を彼らは脱ぎ去った。この瞬間、刻むように一瞬だけを燃え上がらせようとした。  
「あ、怪我、大丈夫…?」  
のしかかって乳房を揺らした彼女の胸に顔を埋めたハボックは、  
時間を惜しむかのように大丈夫だと告げて彼女を愛撫していった。  
やがて自分の両足に跨り、ハボックが触れやすいように、  
体重を預けない形で膝を立てたまま、彼女は浮かび続けようとしてきた。  
そんなリザに彼は寄り添うように触れていった。  
 
彼の上にあまり重なってはいけないと、心配そうな顔をして伺ってきた彼女を、  
ハボックは安心させようとしてこう言い放つ。  
「膝に乗って、暖めてくれるほうが俺は気持ちいい」  
軽い彼女を自身の上に抱き上げるくらいの甲斐性はこの体にはまだ残されていたらしい。  
その薄いであろう幸運に、彼は小さく悦んでいた。  
薄く、冷たくなったあの神経の上に彼女が熱く触れるならそれだけでも自分は嬉しくなる。  
たいして痛みも感じない部分だからこそ、暖かさがそこに  
代わっていてくれるように感じとれると思う。  
肌蹴た自分の体に近づいて、リザはハボックの首筋に唇をたどらせてきた。  
先に同じ行為をしたハボックの真似をして、舐めることで欲情を高めてくれようと  
健気に返してくれているらしい。  
ざらざらとした彼女の小さな舌が不器用に舐めてくれるのをハボックは抱きしめ返した。  
「俺、あんま風呂入ってないから…もういいッスよ」  
あまりに丁寧に、だがぎこちなくも懸命に仕草をこぼす彼女をハボックは制してしまった。  
どうにも…自身の中で奥深く、大きな劣情を持ち抱いてしまったのだ。  
そんなに丁寧に接してくれると自分の調子が狂う。  
乱れる彼女、感じている彼女…色めいた熱い体…早く導きたい。  
この身と繋げて愛し合いたい。  
「あ、っやぁ…」  
「今度は、俺にもさせて」  
引き寄せて、乳首を舐めあげた。  
こぼした声に艶が這い入る。時間が止まって欲しい。  
愛し合うこの時間が、今まで巡った中でも最高の悦びだ。  
「んっ…っ…」  
続いて首を舐めて耳元を甘く噛んだ。そして口付けに及ばせる。  
荒い息、漏れる濃厚な口の中の交じり合い…深く探り合うように舌が絡んでいった。  
やがて腕の中で、寄せた拍子で乱れた髪をリザが気にして整え直そうとしたが、  
ハボックがそれを見て、自然と願った。  
 
「下ろしたの見たいです」  
髪留めを外し、リザは流れる髪を表した。ハボックがその一房を掴んで唇を当てる。  
毎晩泊り込みで看病してくれてるのか、病棟のシャワーを彼女は使わせて  
もらってるらしい。  
午前中に髪をそこで洗ったのだろう…湿って艶やかな香りが漂ってくる。  
感じ取れる嗅覚で…一気にその香りで彼は欲情に躍り出た。  
続いて、自然とふたりはそのまま勢いづいた様子で唇を再度重ねた。  
片方はリザの顎を捉え、もう片方の手は愛撫で余すことなく戯れていった。  
「はぁ、あ…あ…」  
光に照らされた昼の空間では、彼女の裸体はじっくりと色づいているのが分かる。  
豊満な体に顔をうずめ、口で彼女の乳首をつまみ、歯で遊ぶと、  
リザが背をそらして震えていく。  
染み出す彼女の花園に指をつけると、恥じ入った彼女は腰を浮かせて離れようとした。  
「ッ…あぁ…!」  
少し強引だったが、ハボックが浮いた彼女を引き寄せて指をなじませていった。  
「ん、痛っ……」  
はじめて進入される男の指に、彼女は眉を顰めてこらえていった。  
襞にからみつくざらりとした部分に当たった時、  
膝にかかる自身の重みで倒れかけた彼女は震えながら懸命にバランスを持ち直そうとしていた。  
疼く体を持ちながら、跨る角度でいるにはあまりにも刺激が強すぎる。  
「あ…ん、ぅっ」  
「力入れないで下さい…もっとよりかかって大丈夫ですよ」  
「だけど…でも…あんまり、見ないで…は、恥ずかしいの」  
「怖い?」  
動揺する心を押し戻しながら、目を細めて覗き込んだ彼に彼女は口付けを返して言った。  
「…怖くないわ」  
「無理…しなくても…俺とで本当にいいんスか?」  
最初に体を繋げる男に自分を…  
満足に愛してつくせないであろう自身を選んでくれる彼女に、ハボックは思いを巡らせた。  
本当は、初めて抱かれるのにこんな風に上から貫かれる姿でさせたくない。  
だが、今の自分で丹念に愛しあげるには、下から抱くしかできない。  
 
足をこれほどまで強張らせ、自分で落とさせるほど彼女は性に馴染んでいないだろう。  
本当は、戸惑いに満ちた心境でいっぱいなはずだ。  
不安にさせて抱く行為に、ハボックがぐらついた心持ちになる。  
満足に愛し導けないことに申し訳なく感じてもいる。  
脱がせてから、よりいっそう愛撫を晴らしていったが、  
楽な姿勢にいられない彼女の姿はずっと震えている。  
心の中で、初めての行為で困惑しているだけでなく、動きまで探りながら戸惑って…  
それでも懸命に、男と接しようとさせてしまう。  
「いいの…あなたがいい」  
ハボックに身を寄せた彼女…預けられる声、温もり…  
強張りを投げ打ってはいるが、おそらく不安なはずだ。  
波打つ彼女の髪を梳かし、彼はひたむきにそれを捉えた。  
そして、全てを補うほどに彼は彼女を愛撫で返した。  
脚の付け根に再び指で這い入ると、渋い涙声をあげてリザが喉を鳴らした。  
やがて、乗りかかった姿勢でいられなくなって、がくりとハボックに重みを預け、  
彼の腕の中に納まった彼女は激しい愛撫で中を撫で回されてはかなげに吐息を漏らして言った。  
「あ…んぅ、アァ…ごめん、な…さい」  
「平気ッス。傷なんか塞がってるんで、掴んでていいです」  
遠慮がちに、ハボックの背の縫合跡を彼女は確認した。  
膣内を通ず彼の愛撫から、落ち着かなく震え続ける指先でもわかる。  
ここに大きな穴があいて、脊髄に損傷が走り…彼の足が…  
本当に、こんなことしていいのだろうか…  
この状況で性欲を満たすなど、病人には不快な行為に代わってしまうだけではないのか?  
けだるい体を持ち直そうと、リザはハボックの様子を見直したが、彼は熱い顔で微笑んでいる。  
「ね…痛い?」  
「中尉は?」  
「そうじゃない、だって…あ、あァ…っ」  
指で触れた先を示した彼女は、喘ぎながらも不安げに見つめていた。  
だが、中ですぼまった部分を濡らして感じ入った仕草で何も考えられないように  
喘いでしまった。  
 
「ハ、ァ…ッアン」  
「気にしないで下さい、大丈夫…」  
実際のところ、ハボック自身も今の体調でどう感じるのかも予測できなかった。  
大怪我のせいか、妙に生命の領域を悟った感を持ち、性欲が減退していたのは確かだ。  
はじめは、彼自身も抱けるかどうかも分からなかった。  
だが、この手で動き、なぞると感じ浸るリザの姿で十分にその不安は消えていった。  
男として機能できることを確認できる喜びを持ったが、  
同時にそれをつきあわせることになってしまうのではないかとも思い返した。  
そのため、初めて抱かれるリザをこれ以上煩わせるわけにはいかない。  
はっきりと欲していく様を彼は表した。  
「不思議なことに、痛くないです…むしろ熱い。早く欲しいくらいだ」  
「優しく、するわ…」  
「いいえ、それは俺の台詞です」  
「んっ…ぁ」  
粘液をくみ出すように、被さる彼女の秘所を探りながらキスを交わした。  
これで幾度目の接吻であろう…数え切れぬほどに触れ合っている。  
甘く、せつない恋のようにたどっていく感触が、本当に心地よかった。  
足りないものを補えるかのような錯覚で、夢のように熱いひと時…  
指をふやして彼女の中を練ると、  
「ハァ、あ…や、ゆっくり…し、て」  
苦悶に混じ入るその表情、…ゆらめく丸い妖艶な体…愛していると囁くと  
嬉しそうにリザが嬌声をあげていった。  
入り口の粘液をあふれさせた頃、…彼は彼女の腰を両腕で持ち上げた。  
「…っ…――」  
「力、抜いてて…」  
立ち上がったもので、リザを下から抱こうとした。  
挿入の途中まで、強張っていた彼女の手は、  
…中に含んでいくとだんだんと強く、彼に触れた肌を無意識に握りこんでいった。  
 
「…アッ、…―――!」  
十分に抱いてやれない…まして初めての彼女に負荷を感じさせたくない。  
痛みに堪えるリザの姿にハボック自身も顔をしかめて、食い入るように接合に至っていた。  
「ひぃ、あ、あぅ…っ…」  
もがいて、足掻いて苦しんだ。周りが見えなくなるほど、暗くて辛かった。  
それから見えたひとつの答え…導いた気持ちに偽りはない。  
全てを彼は反芻し、彼女の体と重なった。  
今ここでもっと愛して感じさせたい。自分のことを、彼女の体を…  
「や、あぁあっ」  
収まった結合に対して、熱いものを得ようと、彼女の腰を持った彼は動かしだした。  
滑らかに潤っていた蜜が関わり、彼女を貫かせていたが、  
最初はかなり苦痛らしく、彼女は息をするのもできぬほどに痛がっている。  
「…っ……」  
「もっともたれかかって…首、掴んででもいいですから…少し我慢しててください」  
「あ…っ…」  
添えた手が震えて自身に縋ってくるのをハボックはしっかりと受けとめ、  
彼女の中を動かした。  
子宮に向けて派手に動かして、中を掏っていくと敏感な部分に向けての快楽が  
苦しさの中に生まれていく。  
「ああぁ…い、あぁっ!」  
走る男の塊に、リザが堪えきられなかった嬌声で啼きだした。  
喘ぐ彼女の体を、ハボックが器用に貫きながら動かした。  
器官の先でなじんだ部分で、彼は彼女のびくびくとした感覚から  
そこを突き崩すように擦り込ませた。  
「ア、アァ…っ―――」  
張り裂けそうな声と共に、締められた部分に走る苦痛の中の官能にリザが  
涙を零して応じていった。  
「中尉…リザ…」  
リザ・ホークアイという愛しい名前を彼は酔いしれながら告げ、  
溺れたようにその体の中を抱きつくした。  
 
「あ、はあ…ん、あっ…」  
収縮する襞の中に、打ち込まれたものを全て彼女は感じ取っていく。  
痛かったが、激しく揺さぶられることで熱く放たれた快楽にあがっていく。  
「あ、やあぁ…っぅ」  
揺れた彼女の乳房が汗ばみを零し、ハボックがその姿で喉を鳴らしている彼女を見上げる。  
やがて、また倒れこむように感じて、崩れていく艶やかな姿に見入ってしまった。  
綺麗な…夢にまでみた瞬間だ  
自分の中に刻まれる美しいリザの姿…記憶の中に溜め込んで、  
今だけを、はっきりと焼き付けるよう余すことなく抱いていこう。  
うつろな世界を共有するだなどと、刹那的でまったく前進性のない行為かもしれない。  
すぐに手放すから、…今はこうさせてくれ  
ただ生きるだけの力を、臆することなく行かせることができるように抱きたかった。  
安心して進んでほしい。  
疲れて眠る場所くらい、隠れて泣くくらいなら自分にだって作ってやれる。  
ずっとではないが、本当にどうしようもないくらい溜め込んだら  
自分を思い返してくれる存在でありたい。  
「ハボック…少、尉……ジャン…、アァッ…――」  
どくどくとした体中の拍動で、リザがひとつに集約されていく。  
放たれた快楽の狭間に届く瞬間、彼女は迷うことなく過ぎる熱に、悦びの声で答えていた。  
絡みついた部分でハボックが抱いて揺さぶり、  
早鐘を打つような声を漏らす彼女と共に、蕩けていった。  
―――全てが記憶の中に刻まれて…  
 
 
 
やがて、行為の行き着く先を叶えた二人は、脱ぎ去った服を纏っていった。  
ハボックが元の寝台に戻ってから、彼らはそれと同時に、惜しむように時間を取り戻していった。  
甘苦く、だるい体であったリザだったが、ひとつの輝きを持ち合ってすごした瞬間から  
それをいとおしく身に焼き付けている。  
――興奮から醒めることで時間が戻る。  
互いに向き合って…別れを、旅立ちのために彼と手を重ねた彼女は、  
涙を流して最後に口付けを行った。  
永久に離れるわけではない。  
夢を掴んで、取るべきものを得てから…その時、また考えればいい。  
今は夢から戻るだけ…思い出を、いつか何かの形になることをどこかで思って今は行こう。  
離れても、この記憶がある。一人になっても、同じ世界にいる。  
支えてくれた、溢れた気持ちで遂げた夢で私は嬉しかった  
だから、泣いて行かないでせめて笑顔でここを去ろう  
向き合い、片手を合わせて、手のひらを互いに掴み合った。  
見えた、見詰め合った先から感じ取れる気持ちに、  
二人は口元を緩ませ穏やかな心を最後に交わす。  
溢れた涙が走り落ちているが、彼女の表情は強い意志で覆われて美しかった。  
「――………」  
行くなと言いたい…握り締めた手で、一瞬だけハボックは思った。  
だが、美しい彼女の世界のひとつでいることにやがて自身を覚えさせた。  
送る自分ができること、祈る自分が託すもの…悲しいと、はかないとも思えるが、  
リザの背負うもののほうが先だ。  
自分ではない、得ようとする彼女の走り行く未来の支えとなれた世界のひとつであろう…  
彼はそこに、やがて辿り着いた。  
自然と交わした最後のキス…甘く、とろけるように熱かった。  
 
行こうとする彼女の頬を、片方の手で指をなぞると最後の一滴がそこにつかめた。  
大丈夫だ…もう泣き止んだ  
「俺はここにいる、あなたの一番の隠れ場所を作ってる」  
「ありがとう、でもしばらくは大丈夫…十分な力があるもの」  
「行けますね?」  
強く頷いた彼女を見て、ハボックが静かに見つめ返した。  
やがて、立ち上がった彼女…そろそろロイの検査も終わり、  
迎えにいかねばならない時刻だ。  
その後、護衛を交替してもらい、休息の後、彼女はまた仕事に続くだろう。  
ここに来て、その時、互いに会わせる顔は前と同じに戻ることになる。  
去りいく間際、リザはこう告げた。  
「行ってきます」  
ハボックは微笑んだ。行ってらっしゃいと返して、彼は見送る。  
彼女は立ち上がり颯爽と歩いて行った。  
迷いがない。新しく羽ばたく姿を残して、最愛の人は行く。  
そして彼もまた、自分の道を選んでいく。  
それぞれが飛び立ち、別のものへとめがけて歩みだす。  
ただ思い返せるのは、夢のようなあのひとときだけを共有していることだけだ。  
決して、記憶の中に刻んだことを忘れはしまい。  
なぜならあれが彼らのかわした絆であり、強い信念と魂の誓いなのだから  
――愛してる、いつまでも  
 

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