軍の攻撃で倒壊しかけた建物の中に二人の男と女が居た。  
女の姿は長く波打った黒い髪と白い肌、胸には万物の円環構造を示す蛇の刻印。  
熟れ切り、存在その物が色香と情欲を喚起させる・・・女の名は色欲。  
女がふと静かに埃の舞う窓際へ目を配せる。  
そこには両の腕を失い、全身より夥しい血を流す満身創痍の男が一人  
腰を下ろしていた。  
その血塗れた姿からは想像出来ぬ程の意思を孕んでいると思えたその瞳が  
一瞬揺らぎ、重く震えを伴って紡がれた言葉は・・・自らの兄に対する懺悔と告解。  
自らを神の代行者とさえ名乗り、幾人もの人間を破壊の右腕で屠って来た男の見せた  
ものは涙だろうか?  
 
何故、自分がそんな気持ちを抱いたのかも分からぬまま  
女は男の元にかすかな衣擦れの音を立ててしゃがみ込んでいた。  
胸に宿るこの感情は・・・あの男の情景が浮かび上がるたびに感じるあの感情?  
褐色の肌・・・男の頬に唇を寄せ傷を癒すかのように這わされた舌。  
血の味がするとさえ思えたそれは、懐かしささえ感じさせる塩辛さと温度。  
「じっと・・・していて。」  
軋む体に僅かに加わった肉の重みを男には不快に感じなかった。  
むしろ、震えで指の先から冷たくなっていくこの体を優しく包むような心地よい暖かさ。  
女は彼女の顔でその妖艶さのまま慈母の様に微笑む。  
だが彼女とは全く違った表情で女の目に浮かぶものは彼女のように愛に満ち足りた  
目ではなく、抱えきれないほどの罪の想いを秘めた悲しげな瞳だった。  
その瞳に映る自分も同じような瞳で自らを映し  
不意に…自嘲の笑みがくっくっと喉を付く。  
女の手が血で張り付いた衣服を掻き分け胸板を滑った。  
「ふふ・・・滑稽な物ね。  
 私自身、何故貴方に触れたのかすら…分からないの。」  
黒血の様な色の唇が男と重なり…やがて水音に溶ける。  
 
深い口付けを交わしていた二人が離れると伝うのは血の混ざった銀色の糸。  
「昔・・・彼女に触れたいと思ったことが何度もあった。  
 皮肉なものだな、彼女は既に此処には居ないというのに。」  
女はその言葉に応えるように薄くふわりと微笑み  
「私が…人間になってもその人には成れないと言ったわよね。  
 何故かしら?」  
衣服に潜り込んだ指が蛇のように血で滑る腹を這い、男の象徴に優しく触れた。  
体は言う事を聞かず、寒いだけの痛みを伝えてくるのに皮肉なものだと思った。  
それは微かながら熱を持ち始めているでは無いか。  
女は視線をそのままに唇にそれを含んでいた。  
「・・・今此処にいるお前の  
 その肉体、器が人間になったとて、お前は彼女ではない・・・  
 ・・・お前のままだ。」  
長らく感じていなかった女の感触に声が掠れる。  
彼女なら決して…この様な愛し方はしない筈だ。  
だが、女は丹念に此れが一期一会とでも言う様に舌を這わせ続ける。  
「そう…貴方らしいわね。」  
女が身を離した時、既にそれは天を仰いでいた。  
「気を使うと言う甲斐性など…持ち合わせてはいないものでな。」  
猛り切ったそれに軽いキスを落とすと女は衣服をぱさりと床に落とす。  
否・・・その脱ぎ落とされた黒いドレスは足元の影に吸い込まれた。  
白く傷一つ無い、体が露わになり・・・その男ですらも一瞬息を飲むような  
人間が目にしてはいけないような美しさ。  
「私は…最強の矛。  
 傷つけるばかりで癒す術は何も持ち合わせていない。  
 あるとすれば・・・この女の体しか持っていないわ…。」  
眉根を寄せた女の表情は熟れた肢体とは折り合わない物。  
「我も・・・似たような物だ。」  
目を閉じ独白する男の表情はある意味清々しく、記憶に浮かぶ  
あの真っ直ぐで不器用な男を思い浮かばせる。  
 
ゆっくりと恥らうように胸を隠していた右手が男の首に回された。  
男は何も言わず、腕の無い肩で女の体を支える。  
女が猛り切ったそれに手を這わせゆっくりと腰を落とすと  
どちらからとも息を呑むような声が漏れた。  
「っ…似た者同士・・・ね。」  
男の腹に手を付いて動く女の太ももに纏わりつくのは滑る血液。その後は言葉など要らず、ただお互いを必死で貪り合っていた。  
動く度にくちゅくちゅと水音とくぐもった嬌声が部屋に響き  
女の胸の上の突起に男が歯を立てると体が仰け反り痛い位に締め上げた。  
その熱で融けてしまうかとさえ思った。  
成り行きで仲間内の相手をさせられることはあったけれど  
ここまで満たされる事など決して無かった。  
抜けていたその心の箇所を埋めてくれた相手は満身創痍どころか両の腕を失い、血に塗れ震える死に行く男。  
下から腰を突き上げられ、気が付いた時には中で放たれた熱いそれに絶頂へと  
持って行かれていた。  
もう少し…  
そうして居たかったが、近づいてくる銃声を聞き取った二人は  
身を整え足音に耳をすます。  
「・・・私たちは  
 一体どこから来て  
 どこへ行くのかしら?」  
以前仲間にも聞いたその自問自答にも似た言葉。  
「さぁな…自分で選び、歩け。  
 彼女の道ではない。  
 それは・・・お前自身の道だ。」  
どこまでも真面目で不器用な当たり前なその答えに  
胸の奥のつかえが取れたような  
・・・そんな気がした。  
「貴方の本当の名前・・・」  
聞いたけれど、神に背いた時に名前は捨てたと男は言い  
独り・・・ただ背を向けて銃声の飛び交う街路へと歩き出した。  
 
暫くして辺りから銃と兵士たちの声が聞こえて来た。  
男の選んだ道は死出の旅路になるだろう。  
もう、止めても無駄なことは分かっていた。  
女の唇から微かに紡がれたのは男に贈る最後の・・・別れの言葉。  
「さようなら・・・スカー」  
東の辺境にある街が赤い光に包まれていくのを女はただ、遠くからじっと見つめていた。  
その光景をしっかりと目に焼き付けるように。自分に出来ることは・・・ただ、その男を忘れない事。  
光が収まった時、そこに残ったものは砂の海と吹きつける風だけ。  
不意に舞った黒髪が一瞬浮かんだ・・・その表情を覆い隠していた。  
 

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