あの時――――――もし。  
あいつが居たらどうなってた?  
『兄さん、何してる!逃げろよ!』  
死なせてはいけない。だから、俺は。  
死んでも守ろうとしたんだ。大事なものを。  
あいつが居たらどうなってた?  
『じゃあ約束しろ、弟には手を出さないと』  
『約束は守ろう』  
『やめろぉぉぉぉおおっ!』  
あの男は、恐らくその時点で弟への殺意を消していた。  
動けなかったから。  
でも、もし。  
 
見慣れたその綺麗な顔に、無骨な手がかかった。  
―――――やめろ。  
動けない、怖くて。あいつがか?違う、俺が。  
―――――やめろ。  
雨の中、わかってしまうほどの大粒の涙を流すんだろう  
あいつはそれでも止まらないかもしれない。  
俺とアルが、あんな姿になっていたとしたら。  
―――――…れ、ない…  
守れない。  
赤いものが、飛び散った。  
 
 
「――――――ッ!」  
叫びは声にはならず、重い空気だけが喉を通った。  
嫌な夢、を見る事なんて慣れたものだと思っていたけれど、  
エドは、この夢を見るのははじめてだった。  
レパートリーの中にひとつ追加される、極上の悪夢。  
「…くそっ」  
あの時、砕かれた右腕の痛みがよみがえってくる。  
心臓が、ドクン、ではない。ドン、という音のように聞こえるほど、  
重く、早く、高鳴っていた。  
時計は真夜中の3時を指していた  
 
カチ。  
カチ、カチ、カチ、カチ…  
 
心臓と呼吸の音以外に、ようやく秒針が動く音を精神が認識した。  
もう深い眠りは無理だと思いながら、  
頭の中に、出来るだけさっきの夢を残さないようにしながら。  
エドは再び枕に顔を埋め、目を閉じた。 
 
 
 
「おはよっ!」  
居間でくつろいでいたアルに良く通る声が投げかけられる。  
眩い金の髪を揺らした少女が、階段から降りてきた。ウィンリィだ。  
作業着ではなく、白いシャツに黒のスカート。いつもの私服である。  
今日は義肢装具のロックベル、休業日。急患には応じるが、仕事は取り合えず休憩だ。  
その元気さゆえに、寝起きから2,30分はたっていると見られる。  
その笑顔を見てアルは僅かに首をかしげる。  
表情のない彼でも、雰囲気から微笑んだのが伝わるような気がする。  
「おはよう、ウィンリィ。」  
無骨な外見とは裏腹な少年の声が返ってくると、ウィンリィはその笑顔に更に輝きを加えた。  
軽い足取りが気持ちよくトントンっと響く。  
朝食を待っている見知った少年のために足早に厨房に向かおうとしたが、  
ウィンリィはここに彼の姿が無いことに気づいた。  
「エドは?」  
くるっと方向転換してアルのほうを見る。ふわりと揺れる金糸は、何も知らない無垢な輝きを見せる。  
「あ…兄さんなら、多分部屋にいるとおもうよ」  
柔和な雰囲気は崩れないが、その語調のどこかに翳りがあることをウィンリィは悟る。  
1年や2年の付き合いではないから、例え顔は見えなくても悟ってしまうのだ。  
あの兄弟のことで、泣いてしまえる程深い絆を持つ彼女だから。  
「おかしーわね…いつものようにウィンリィ、メシはー?!って声も無いし…」  
エドの真似をしておどけるウィンリィに、アルがほほえましそうに、苦笑を零す。  
彼は朝が良いほうでもないが、アルが「寝ている」と言わないのは恐らく降りてこないだけのこと。  
「ちょっと見てくるね。あ、ばっちゃんに朝ご飯頼んどいてー」  
「あっ、ちょ…ウィンリィッ!」  
アルの制止の言葉は聞こえていたけれど。  
何かつらいことがあっても虚勢をはるエドのことだ、彼女は不安を感じたのだろう。  
特に、最近は。命がけの争いで、何度も自分の身体を傷つけている。  
機械鎧のように代用の効くことのない―――いや、代用の効かない部分を創ろうとして、  
いつ死ぬか、本当に不安定な死線の上を幼い身ふたつで走り抜ける二人の疲れを、  
少しでもやわらげたい、という気持ちが、彼女の足を早めていた。  
 
 
いつもの黒衣をまとって、その小さな身体をベッドに沈ませていた。  
開け放ったカーテンからさしてくる陽光とそよ風は、揺れるカーテンの柔らかさと同じように、  
疲れた体に癒しを与えてくれる…だけれど、今は。  
ウィンリィに会いたくない、というのが正直な言葉になるかもしれない。  
もしかしたら、自分は。  
彼女の為に、二度と関係を断つという選択肢を心の中に置くかもしれないから。  
だけれど、自分と関わった彼女は、ここに居て危険を回避できるわけでもない。  
でもそれが都合のいい言い訳のような気がして、エドは歯を軋ませて自嘲気味に笑った。  
「…情けねー…」  
眼を閉じると、あの夢がフラッシュバックしてくる。  
たいせつなものを目の前で失う瞬間。  
足がすくんでいた自分が。  
憎くて。  
「エド?起きてる?」  
ドクン。  
風の音と鳥のさえずりだけだった空間に、突如ドアごしに響く、声。  
…夢の中で閉ざされた――――。ぶんぶん、とエドは首を振った。  
いつも、自分を助けてくれる透き通った声だと言うのに、いつのまにか最悪のケースに結び付けてしま 
う自分。  
「…起きてる」  
けだるげな返事。  
元気のある声で返す気分ではない、彼女に負担をかけてしまうのを、言ってから気づいた。  
だけれど、今は。顔を見たくなかった。  
「どーしたの。いつもは真っ先に降りてくるじゃないっ!」  
勢いよく開いたドアはまだ震えている。  
腰に手をあてて、からからと笑っているであろう彼女を見ないように寝返りを打って。  
 
「ちょっと、エド?」  
何か反応があってもいい筈なのに。昨日までは彼はいつものように笑って、怒っていて。  
今もいつものように威勢のいい返事が返ってくると思っていた。  
ウィンリィは何か、もやもやとした感情を覚えて、静かにエドのほうへと足を進める。  
木造の床がきしきしと小気味いい音を立てて。  
それが変に際立つ静かな空間に、ひとつ息を吸う音も混じった。  
いい、今は。  
返事くらいしたらっ!?と、痺れを切らした彼女の声で、良い。  
怒ったように、すぐに部屋を出て行ってくれれば。  
「…どうしたの?」  
びく。と、自分の背中が震えてしまった気がして、エドは歯を軋ませた。ギリ、という音が頭の中に届く。  
その声は、とても優しくて、甘くて。今、自分が最も畏怖する結末に壊される、儚いものそのものだった。  
「機械鎧の神経接合部分、痛むの?それとも…」  
何で、こんな時に限って、自分が最も心の中で惹かれている場所を引き立たせるのか。  
エドは、すぐにでも、逃げてしまいたかった。  
壊れものを、片手だけで支えているような、不安定な感情。  
それが、彼女の優しい声で、心が癒されると同時に…儚いものが手を滑り落ちそうになる気がして。  
「嫌な夢でも、見た?」  
…ドクン。  
今彼女の顔を見たら、全てが崩れていくんだろう。そう思ってしまった。  
心の中にあった強い支えを自分から崩してまで、彼女の軌道を、自分が歩いている獣道から逸らす。  
それが――――たまらなく寂しくて怖い事を知っていて。  
何よりも輝く宝石のような心を持ったウィンリィが。ずたずたにされ…鼓動が消え、輝きを失う。  
もしこのままこの道を並んで歩いていたら―――――  
「……ぇよ」  
 
エドは、臆病になっている自分が許せなかった。  
ウィンリィが自分にとって、アルにとっても、どれだけ大きい存在か知っていて。  
だけれど彼女には戦う力が無いことも…そしてウロボロスの連中が彼女に眼をつける可能性があることも。  
―――どんなことをしてでも元に戻ってやる、そう思ったのに。  
「え…?今、なん…」  
立ち尽くしていたウィンリィは、おず、と手を伸ばした。  
感じた事のないような、冷たい声音。何を言われるとしても不安になってしまう。  
普段は、この態度を見て、すぐに怒って降りていってしまうのだろう。  
エドは、そのほうが良かった、と思う。このままでは、自分は。  
 
だから。  
いっそ、自分で…突き放して、置いていけばいいんだ。  
そうすれば壊れる心配なんてなくなる。  
 
「うるせぇって言ってんだよ!…出ていけ、気分が悪いっ!」  
バン!という音。エドがベッドのサイドボードに生身の左手を叩きつけていた。  
乗っていた花瓶が震動によりカタカタと音を立てている。その音だけで時が止まった気がした。  
やっとのことで見れたエドの顔。涙は流れていないけれど、泣いて怒っている顔で。  
見ないようにしていたウィンリィの顔は、驚いたようで…目尻に僅かな涙が浮かんでいた。  
カタカタカタ。カタ。  
………タン。タンタンタン。  
言葉はなかった。  
派手な言い争いもあってもいいいつもの光景と似ていたというのに。  
エドの言葉が、いつもと似ているようで、違う。  
ウィンリィの受け止め方は、だから違ったのだ。  
扉が、緩く締められて、再び部屋に一人になったエドは、自分の顔を手で覆う。  
熱いとは思わない、ただ、頬を伝う液体の感触がくすぐったくて、笑えた…泣けた。  
 
等価交換―――という馬鹿馬鹿しい洒落が浮かんだ。  
あいつの安息と、別れ。  
 
エドは今日で別れを告げるロックベル邸の屋根の上に寝転がり、大空を眺めている。  
あの部屋に居たら、まだ未練が残ってしまいそうだった。  
彼女の見せた顔がまだ頭から離れなくて。でも同時に、あの夢も。  
葛藤は自分の中では終ったつもりでいると、先ほどまで流れた涙は止まっていた。  
「…行くか、そろそろ」  
あと2、3時間で、橙色の空が見えてくるだろう。  
手紙という、本当に自分らしからぬ手段が、妙に情けなく感じて。  
今すぐ破り捨てたい衝動にかられるのが、また。  
「兄さん」  
来た。もう一つのひっかかり。  
弟は、黙って頷いてくれるだろうか。それとも、自分を叱咤するのだろうか。  
どっちも、結末はいいものかもしれない、けど。だけど。  
「アル…俺達」  
「ウィンリィ、泣いてたよ」  
後者か…とため息をついて、エドは自分の顔半分をぱん、と叩いた。  
鎧の眼や口にあたる隙間から漏れる光は穏やかでも、きっと奥底では何かが煮立っている。  
そんな口調だった。  
「喧嘩じゃないよね。兄さんが女の子泣かすような甲斐性があるとは思えないし」  
「…アル」  
エドの口調も、底に何かを感じさせるトーンの落ちた声。  
ため息をつくように鎧の肩を落としたアルは、がしゃんと音を立ててエドの隣に座った。  
屋根の斜面は彼にとって少し厄介なようで、窓の出っ張りの上に。  
 
「だから…出て行く?」  
「二度とここには来ない」  
第二の家でもあるけれど…と、心の中で呟く。アルはため息をついた。  
次の瞬間。  
ゴツッ。  
「痛ぇっ…!てめぇ、アルっ!何す…」  
硬い感触が脳天に響き、ばっと身体を起こして弟を睨みつけた。  
だけれど、その雰囲気に、声を止めた。  
見えた。底に燃える、穏やかな炎が。  
「兄さんが無理だろ?僕たちとここを断つなんて」  
「…そんなこと無ぇよ」  
荒れる息を整え、エドはアルから顔を逸らすと顔を手で覆った。  
「兄さん、泣いてたじゃないか」  
穏やかな声がとても鋭く感じて、それが本当だったこともあってか、エドは言葉を返さない。  
「家を焼いた時も…母さんが死んだ時だって、兄さんは泣かなかったよね」  
鳥の鳴き声が聞こえてから、自分の心臓の音が際立ったように思えた。  
アルも視線をエドと同じ方向に向けると、どこか思い出すように緩く語り始めた。  
「泣きたかったのかもしれないけど…それでも笑って僕の前を歩いてくれてた」  
その言葉もとても重くて、エドは思わずうつむく。  
アルも、この家が大好きで、大切なのは知っていて、罪悪感がエドの中で段々と膨張していく。  
「…ウィンリィから聞いたんだ。僕が…この身体になった時。  
 僕がうらんでないかって、毎日泣いてたって」  
 
―――怖いんだ。  
―――怖くて言えないんだ。  
 
自分が叫んでいた言葉が何故か鼓膜を打った。  
「兄さんは自分の為に、泣いてなかったよ」  
―――俺はそんなにいい人間じゃない。  
―――臆病者だ。  
ふと 自分の頭の中に何かがよぎった  
『……人間なんだよ!ただひとりの女の子も助けてやれない…!』  
大切―――とは程遠い、2,3日の間だった。  
彼女の為に泣いた、とは違うかもしれない。  
助けられなかった歯痒さに。たった、数時間前までは笑顔を見せていたであろうニーナを。  
―――俺はまた、突きつけられるのが怖いだけなのか?  
―――あいつを傷つけて、突き放して、楽になろうってハラか?  
―――あいつの安息の為?  
―――違う  
 
「……アル」  
「うん?」  
「悪かった、それと、ありがとな」  
するりと身体を滑らせて、エドは屋根から飛び降りる。  
表情は見えなかったけど、声とその動きで、大体が把握できた。  
結構な高さではあるが、体術を体得している彼にとっては朝飯前の事だった。  
軽いすとん、という音の後に、足音と扉の閉開の音が聞こえた。  
「全く…兄さんは優しすぎだよ。自分には厳しすぎなのにさ」  
決定的に違う何かを持っている、兄。それと、兄とは決定的に違う弟。  
その関係に今更ながら、暖かく、そして幸せなものを感じたアルは、少し笑って、どう降りるかを考え 
はじめた。  
 
 
――――俺は。  
とん、とん、とん。  
ゆっくりな足音が木造の床から響いた。  
煙草の草の香りがテーブルのあるほうからして、吸い主を見ると、ニヤリとした笑みを返してくる。  
クソばば。―――あぁ、ここは。そう。  
――――ただ。  
ぎしっ…。と、階段を一歩上がる。  
走れないわけじゃないけれど。さっきまでは激しく打っていた心臓の音が、  
あまりにも静かなものだから、つい乱したくないという意にかられる。  
緊張することなど何もないというのに。―――そう、ここは。  
――――自分の弱さを、否定していただけだ。  
たん。再び、平らな床が見える。  
視界はとてもはっきりしていて。だから、迷わず歩く事が出来る。  
当たり前の筈だったのに、あいつに言われるまで忘れていた。  
そう、ここは―――俺達の故郷。よりどころなのだから。  
そうだ。  
――――守ってみせるさ。  
 
「ウィンリィ!」  
ばたんっ、とドアが強く開かれる。奥にある真正面の窓の明かりが射してきた。  
閉じられたカーテンからは光の筋が漏れて、机に突っ伏していた少女の金糸の髪を艶やかに照らしている。  
「…エド?」  
けだるげに身体を起こした彼女の目にわずかに出来た隈は、  
睡眠だけでなく、頬に僅かに残った涙の跡が原因だということを深く告げる。  
エドを見るなりその瞳はまた潤む。だが、すぐにきっと睨むようにその瞳を細めた。  
 
「何よ…あたしまだ設計が」  
「悪かったっ!…すまんっ!」  
ぱんっ、と目の前で。練成するように手を合わせてから、頭を下げるエド。  
頭の後ろの三つ編みが僅かに浮いて、背中に落ちた。  
邪険に扱おうとしたウィンリィは見事に空振り、不思議そうに目をぱちっと開く。  
「どうかしてた…。本当に、あんな風に怒鳴って悪かった」  
「ちょっ…と。話が読めないんだけどっ?」  
頭を下げたままのエドに妙な気迫を感じて、押されていたウィンリィは慌て気味に制した。  
無理もない。今まで喧嘩は多かれど、結局は二人同時に謝って終ったり、  
夕食時にはいつのまにか自然消滅して、笑い合っていることが殆どだったからだ。  
ウィンリィの手はエドの肩に置かれ、落ち着くように軽くゆすって諭した。  
エドは顔を上げて、取り敢えずその姿勢を崩すと二人して深呼吸をした。  
「嫌な夢見た」  
僅かに目を伏せて言う。  
ウィンリィは首をかしげた。エドが時々うなされているのは知っているが、  
それでも部屋から出てくればいつものように笑っている。  
だから、いつも見ているそれとは何かが違うのだろう、と頭の中で片付けた。  
「…どんな、って聞いてもいい?」  
いつもより多少は遠慮がちに問われ、エドは一瞬迷いを見せるが、伏せていた視線を上げた。  
「…助けられなかった。お前を。」  
切り出しにしては唐突過ぎる言葉でも、それ以外に発せる言葉が見つからなかった。  
エドの瞳は真っ直ぐで、返すことなくウィンリィは次の言葉を待った。  
 
それは短く簡潔だったけれど、要点はありありと伝わってきた。  
子供の頃から、人の何倍も勉強できて、だから、言語能力も高い。  
時折皮肉な言い回しにムカつくのも、いつもの光景だったけれど、  
改めてこいつの凄さを知った。  
 
ウィンリィは黙ってエドの話を聞いていた。  
ものの数分だけ。夢の事。どう思ったか。そして、結局アルに説得された、ということ。  
エドは軽く眼を伏せていて、話が途切れると顔を上げた。  
沈痛な面持ちから、アルの話になっていると苦笑を交えて、そして、今度は真剣に。  
だけれど、その眼とウィンリィの眼はすぐには合わなかった。  
彼女もまた俯いていて、左に向いている前髪が垂れて、表情は見えない。  
泣いているようにも何かを耐えるようにも見えた。  
「…ウィンリィ?」  
馬鹿だ、と思ったのだろうか。  
危険に晒している事を黙っていたことを、怒っているんだろうか。  
だけれどここで黙ってしまうのも自分じゃない、と。確かな声でエドは呼ぶ。  
次の瞬間、目の前に星が散らばった。  
 
「…いっ…てぇーっ!」  
今日はよく殴られる日だ、と思った。  
ウィンリィの手から離れて頭にごつんと乗っかったままのスパナ。  
じんじんという痛み。こぶで身長が伸びても少しも嬉しくなんかないのに。  
俯いたまま(手はスパナを放して浮いている)のウィンリィをきっと睨みつけた。  
見える小さな唇が、にっと笑う。  
ふとそんな俯きを見て、どういう状況下か思い出しうっと口ごもるエドに、  
ウィンリィははらりと金色の髪を揺らして顔を上げた。  
やはりいつもの笑みを浮かべていて、エドは不思議に安堵を覚える。  
「…ね、エド」  
「何だよ」  
もしかしたら血がついているであろうスパナを机に放る。  
その声は笑顔の時の少し高めで跳ねている声だった為、エドはいつもの調子をいつのまにか取り戻した。  
「あんた、自分しか見えてないでしょ」  
身体を下げて覗き込むように見てきたウィンリィは、エドの鼻先に人差し指を向ける。  
「…あ?」  
「離れてて不安なのはあんただけじゃないわよ」  
いつものように、機械鎧を壊したときのお咎めのように、きゅっと眉を顰めて言う。  
「もしあたしの居ないところで機械鎧が壊れて―――修理できなくて。  
 ……その時あんた…ちゃんと戦えるの?」  
ふと、自分の手を見てみる。  
確かにこれが動かなくなったら、練成することもまともに体術を行うこともできやしない。  
「だからあんたについてって、いつもサポートできるようにしたい。  
 でも足手まといになるのはわかってるし…でも、いつも心配なの。」  
はは、と苦笑してみせる。その笑顔はどこか寂しいものだった。  
言い返すことも何もしない、ただすべてが重い言葉で。  
自分が思いあがっていることが、改めて露になっていく。  
大切な、家族の一員に、こんな心配をしてくれる人を。一方的に断ち切ろうとしていた。  
――――どこまで、愚かなんだと。  
 
「ウィンリィ」  
「ん?」  
首を傾げると、その髪がまた揺れた。  
「…ごめんな」  
細められた目はまっすぐで、ウィンリィは少し気恥ずかしいのか眼を逸らした。  
そのせいか、次の瞬間の足のぐらつきが何のせいだか理解出来なかった。  
身長差はあったはず、少し自分のほうが高かったはずなのに、と。  
今触れ合っているエドの肩は自分の肩より少しだけ高くて、追い抜かれていたことを思い知らされる。  
慣れない感じで抱きしめる手も、小さいながらに、とても強かった。  
無論、ウィンリィは抱きしめられた事等ほとんど無いに等しかったために、情報処理は遅れたものの、  
自分の肩にうずまるエドの顔を見ないようにしながら、小声で制止を呼びかける。  
「…エド、ちょっと…」  
「悪ぃ…少しだけこのまま」  
顔は笑ってる。  
そんなエドを見て、ウィンリィにも照れ笑みがこぼれて、そのままエドの背中に手を回した。  
「あんたの機械鎧、あたし達以外に誰が整備するの?」  
「…そーだな」  
「二度と、あたし達が作ったシチューも食べれなくなるところだったしね」  
「それは困るよな」  
「それ食べてないと、ただでさえ牛乳飲まないからきっと身長伸びなくなるわね」  
「…うるせーよ、機械オタク」  
こんないつもの会話が失われるのがとても考えきれない程、この地に足が馴染んでしまっている。  
エドは薄く、自嘲の笑みを浮かべた。離れかけた足を強く踏みしめて、そしてもう少し強くウィンリィ 
を抱きしめた。  
ふと、何かを思いついたようにか、ウィンリィはエドの胸に手をあててぐいっと体を離した。  
「ね…エド。もう二度と、離れたいなんて思わなくなるようにしてみない?」  
「あ?」  
笑みを浮かべながら、僅かにつっかかりぎみに言ってくるウィンリィに、エドは疑問符を浮かべる。  
「あたしはずっとここに居るから…だから、あんたもずっとあんたで居るために」  
「…悪ぃ、意味がわからな…」  
言葉は続けなかった。いや、続けられなかったのだ。  
発する為の唇は柔らかい何かでふさがれ、視界は蒼い輝きでいっぱいになった。  
 
「…っおい、ウィンリィ…」  
離れようとしたが、再び背中に回された手にそれが拒否される。  
目つきの悪い眼はうろたえの色を見せ、その頬も赤い。だが、ウィンリィの顔はそれ以上に赤かった。  
「あたしの前から消えよーとか、馬鹿な事…考えさせないわよ。絶対に」  
僅かに震えた声。その顔は見えないけれど、それにエドは言葉を止めた。  
ふぅ、とため息をつくと、そのまま天井を仰ぐ。  
何だかんだ言って自分も随分変わったもんだ、と―――  
この時はじめて焔の大佐に教えを請いたい、と一瞬思った自分を心の中で思い切り殴り飛ばした。  
 
ふかふかのベッドは、小柄な二人分の体重では僅かな音しか立てない。  
「…いきなりかよ」  
自分が組敷いているというのに、再びのためいきをついて、エドは自分の髪をぐしぐしと掻いた。  
「嫌…だった?」  
「…全然」  
正直に言ってしまう自分もむしょうに恥ずかしかったか、同時に漏れた笑みにそんな気持ちは薄れた。  
「こんなんしか思いつかないのもなんだかな…」  
「悪かったわね」  
ぷー、と膨れてみせるウィンリィの頬に軽く左手で触れると、くすぐったそうにした。  
そのまま顔を下げると、まじまじと互いの顔を見る事になって、礼儀か、それとも耐え切れない恥ずか 
しさか、ぎゅっと眼を瞑るウィンリィの唇に、慣れない唇をひとつ落とした。  
「………っ」  
ぴくりと震える肩に右手で触れてやると、ふぅ、という息遣いが聞こえて、力が抜けた。  
もう一度、もう一度と何度か口付けていく度に、エドは自分の頬が熱くなっていくのを感じた。  
知識はあっても未知の感覚に酔いそうになる自分をつなぎとめて、  
頬に触れていた手を緩く離と、ベッドのシーツに一度ついて、上着の裾に手をかけた。  
生身の腕の感触が素肌に触れると、再びウィンリィの体がこわばり、シーツの上に投げ出していた手を 
エドの体に絡めてくる。  
「…いい、んだよな」  
怯えるような反応に、僅かな罪悪感。  
可愛いと思えるしぐさなのだが、何も言わずに優しく抱いてやれるほど経験豊富ではない。  
デリカシーに欠ける言い方でも、ぎゅう、と黒い服を掴むその手が、肯定の意を示している。  
 
柔らかな素肌を這いながらゆっくりと上昇していく手は、くすぐったさと不安を与えてくれる。  
上に行く度に露になっていくそれは、見ているとこめかみが緩く湿っていくのがわかる。  
何もかもが慣れないけれども、怖さは無いが、幼さゆえの足踏みはいかんせん、ゆっくりだ。  
服がとあるラインをこえてまくられると、ウィンリィは恐る恐る、潤む眼を開ける。  
「…ぁ」  
晒されている自分の僅かなふくらみ。羞恥がこみあげてきて、顔を横に逸らした。  
エドは何も言えない。頭の中は興奮に段々と侵食されていっている。壊れ物を扱うかのように、それに 
軽く触れた。  
指がマシュマロに沈むような感触に、エドの指も震える。  
だが好奇心というものからか止まず、年齢にしては小さめの、だが様々な困難によりこわばった指で包 
むようにする。  
大きくはないが、それは小さくもなく、エドの手になんとかおさまる、それほどだ。  
「柔らかいな、すごく…」  
「やだっ…」  
新たな発見、とでも言いそうな口調で。茹で上がった顔を逸らすウィンリィを見るとまたエドも頬を染めた。  
暫く触れていくうちに、未開発の体はゆっくりと快感を認識しはじめていく。  
「…っ…ん…」  
その反応も、掌の中心で硬さを持っていく何かも、"何"かは知っているのに、  
自分は触れる事に夢中で、かかって鬱陶しい前髪をかきあげるにも手が取りつかれたように動かない。  
「はぁ……っ」  
ふくらみを押しつぶすように手を押し上げると、掌に胸の頂きが擦られ、びくっとウィンリィは身をち 
ぢ込めた。  
声をかけてやれば―――と思っていても、頭は既に痺れきっている。それもお互いに。  
ありったけの知識を絞って、手を膨らみから離して、指先で硬度を持った部分を抵抗を覚えながら動か 
してみる。  
 
こわばった体は、何かを耐えるように震える。  
恥ずかしくて顔は直視できず、時折についた膝でベッドが軋む音と、呼吸の音しか聞こえない。  
「エドっ…」  
鼓膜を打つ自分の名前が、エドの背筋を痺れになって走り抜ける。  
露にされた肌にさらりとした髪の感触、その次に敏感な場所が柔らかい何かに包まれた。  
「ちょっ…ぅ…」  
次に、ぬるりと重いものがその上を這っていって、恐る恐る眼を開けた先に、  
エドの頭が其処にあった事で、不意に耐え切れない恥ずかしさがこみ上げてきた。  
「まっ…待って…」  
「…こういうもんだろ…?」  
エドはウィンリィのほうは見ない、が、不敵に笑ったのが見えた。  
必死ではあるものの、僅かな嗜虐心が慈しみに混じっている。  
「でもぉっ…」  
先ほどまでかすかに余裕を孕んでいたウィンリィも、その言葉は微塵も残らなくなっている。  
成すがまま、という言葉がぴったりな現状が、エドの興奮を強く高めて行く。  
「…でもじゃねぇ」  
「ぁ…っ!」  
それにエドの歯が緩く優しく食い込み、びりっとしたものがウィンリィの思考を溶かしていく。  
音は無いが、身体がびくりと震えたのがエドに伝わっただろう。  
ぐっ、ぐっ、と、這いながら往復する舌に、唇、歯。  
「ぃ…ぁ…はっ…」  
肌をすべる液体をはらんだ音が耳に届く。  
何をされているのかわかってしまうのが、余計に抵抗を難しくした。  
「…触るぞ。」  
再びの無愛想な言葉は、何を指しているのかがわからず、言葉を返そうとした。  
「やぁ……!」  
白い腿に当てられた掌が答えのようなもので、ウィンリィはしがみつく力を強めるとともに、  
ぐっと足を閉じる。ふるふると震える肩に、染まった頬に伝う涙が見える。  
 
「触らないと、できねーよ」  
エドの呼吸もじれったく、返答を聞く前に掌を横に返した。  
制止するウィンリィを歯を立てて黙らせると、出来た隙間に手を通した。  
「エド…だめ…っ」  
「…駄目って言われてもな」  
黄金の眼が見上げ、ウィンリィの顔を直視した。  
切れた言葉の続きを求めたのか、うっすらと眼を開けたウィンリィの視線とかち合う。  
「誘ってきたのはお前だし」  
「そういうこと…言うッ…」  
「言う」  
一気に腕が上昇して、黒いスカートの中に吸い込まれる。  
生身の指の温かい感触が腰を這い、手に当たった布の裾に指を引っ掛けた。  
爪の感触が生々しい。止めたかったが頭の奥のどこかがそれを拒んだのか、反応が遅れる。  
布がするりと膝あたりまで落ちると、最早何も言えなくなってきた。  
「………駄目か?」  
小さく問うエドの顔は薄く笑っていて、いじめっこ、と言うものがかっちりと当てはまる顔。  
「………」  
沈黙は肯定であると、そう今まで自分のペースで歩いてきたエドにとって。  
しっかりそのままの意味で受け取ると、手を動かしてスカートに隠された其処に触れた。  
胸とはまた違う柔らかさに、僅かな湿りを持った秘部は指に触れた事のない感触を齎す。  
「…んっ…ぅ」  
胸よりも遥かに敏感な反応が楽しい。  
どこか悦いのかなんてわからないから、適当に指で擦り、埋まる場所を探り当て、指を沈めていく。  
「ひぁ…はっ」  
喉から掠れるように甲高い声が漏れる。それはどこか吐き出すような声でもあって。  
「苦しいか?」  
「……少、し」  
袖を掴んでいた手が背中に回り、ぎゅう、と再び服を掴んできた。  
顔を見せたくないのか、呼吸が直に感じ取れる程顔を押し付けてきて。  
「…なら、大丈夫か」  
 
指に絡み付いてくるぬるぬると湿った感触を感じながら、それをゆっくり、ゆっくりと奥へ。  
第一関節…第二関節。  
「ん…んん…っつ…」  
未開の秘部は多少慣らされてはいようが、異物の進入には多少の苦痛がある。  
肩口に顔を擦り付けて、めくるめく快感と、本当に多少の苦痛を少しでも紛らわせようとした。  
「すげ…熱い…」  
構造は何となしに頭に入っていても、何もかもが新鮮であった。  
その温度も、その感触も、反応も。  
第二関節…根元まで。  
「…はっ…ぁぅ…」  
内部が脈打つのが指に伝わってくる。  
既に蕩けきった甘い声を上げる口を、顔を一度離してから唇を重ねて塞ぐ。  
強く押し当てられた唇同士が軽く擦れ、こじ開けようとする舌を抵抗も無しに受け入れる。  
「んっ…ふ…」  
そんな間にもウィンリィの体内でエドの指は蠢き、音の無い快感で、甘い吐息が唇の間から漏れる。  
舌を絡め取られ、言葉を消されてただその動きに任せるだけ。  
経験した事がなくても、不安は僅かで、不思議とつらさもあまり無かった。  
互いに求めているわけではなかったというのに。  
「…ウィンリィ…」  
切羽詰った、掠れ声なのはエドも同じだったようで。  
離れた唇同士につながった糸はすぐ切れて、熱っぽい感触を残した。  
「そろそろ…我慢できねー」  
ぼやける、潤んだ視界でじっと見つめると、埋まっていた指がゆっくり、ゆっくりと抜かれていく。  
「は…な、なん…の…?」  
「…聞くなよ」  
わかるだろ、と眼を閉じて、照れくさそうに軽く首を横に振るエド。  
「……スケベー」  
「…はじめて言われたぞ、それ」  
ンな状況で今更、と胸中で呟き、エドはウィンリィの膝辺りにかかっていた布を抜き取った。  
 
見たくない―――というか見れなかった。  
今、自分のそこに、宛がわれている熱いなにか。  
「…力抜いとけよ…どんくらい痛いかわからねーから」  
「わかんない…って、ちょっと」  
服を掴む手が強くなる、声も震えているが、眼は開けない。  
「そういうのに関しては、お前のが詳しいだろ…」  
早く、早く―――と、珍しく理性がぼろりと崩れ始めていた。  
シーツを握る機械鎧の右手に力が篭る。  
「…あんたね…ぇっ、それとこれとは…ぅぁ…!?」  
突然、浅い部分にもぐりこんでくる、指の何倍かの圧迫感。  
了解を得ずに侵入をはじめたそれが僅かな痛みを持っていて、ばっと眼を開けて咎めようとした。  
目の前にあったのは、熱に浮かされた太陽色の瞳で。  
「…ぁ」  
「…我慢できねーって、言った」  
その言葉が途切れるとその眼を閉じて、ぐんっと奥まで入り込もうとしてくる。  
何倍もの苦痛で、明らかに窮屈で、呼吸が難しくなってきた。  
「ぁ…ぅ、ま…だ、め…だめ…ッ」  
行為、という意味ではないが、唐突過ぎるために、痛みも快感も精神がきちんと認識しない。  
手加減、というものがあまり感じない、柔肉を掻き分けていく剛直は、ぎちぎちと入り口に締め付けられる。  
どちらかなどわからないが、サイズ違いでもあるのか。痛みがじわじわと先行しはじめた。  
「力…抜け…って!」  
「ぃ…あ…無理…だって、ば…!」  
やめる?そのまま?  
どっち無理で、反発は痛みと、様々なものを生んでしまう。  
きつい肉壁に割り込むそれがひとつ、強い抵抗を覚えたが、それは止まらなかった。  
「…ぃっ…た…ぁ」  
途端におとなしくなったかと思えば、ひとすじ、ひとすじとだけ伝っていた涙の量が増える。  
痛い、という事はわかっているが、下手をすれば長引かせるだけかもしれない。  
定石かもしれないがエドはその行為を悔いる。されど、止まることもないのだが。  
「…悪い…ウィンリィ」  
 
ああ、本当に、悪い。  
守りたいものに、苦痛を与えてでも、止まらない自分が。  
「…ッ…ばか…」  
「…わかってる」  
咎める言葉に、ぐっと抱きしめて返した。  
交わった部分から、ウィンリィは苦痛と快感、エドは快感と、僅かな罪悪感で。  
それでも、離したくない。  
二度と揺るがぬようにと。  
「馬鹿で、ごめんな」  
「……もう」  
引きつった声ではあったけれど、ともに、確かに、大切で。  
失ってはならぬものだと頭が告げているから。  
「痛い分……今度の整備代から差っ引いとくわ」  
痛みに堪えた涙を目尻に浮かべながらも、その笑みは大切だった。  
「…かわいく、ねぇ」  
くくっと笑ってみせるそれもきっと。  
 
「…んっ…ぅ…ぁ」  
軋む音。  
出来る限りの幼い互いの動きは、段々と快感を強めていく。  
「…っは…」  
ぞくっと背中に走るもの、押し付けていた躯が震える。  
「…まだ…痛むか?」  
「へ、ぃ…きっ…」  
身体に捻じ込まれていくそれは、溺れるほどの快楽というものには程遠い。  
慣れないそれに痛み、だけれど今までで一番大きい快楽の波も混ざっている。  
確かにあることを確かめていく。互いに互いを貪りながら。  
柔らかさも現実味も儚さも―――  
「っはぁ…エド…んっ…ぅ…あっ」  
動くたびに押し上げられていく。内壁が擦られるたびにびりびりと痺れていく。  
口端からだらしなく流れる液体を舐め取って、その細い体躯を痛い程抱きしめた。  
「んっ…ぁ…あっ、あ…!」  
震える度に、埋まったそれが強く締め付けられて、また押し上げられる。  
止まらないそのサイクルは当然のように果てまで登りつめて。  
「…っ…エド…エド…ぉっ…!」  
長い金糸の髪が、閉じたカーテンの隙間からさす光に反射して見えた。  
一層、甲高い声が鼓膜を打つと、ぎゅっと体内も縮まる。  
その締め付けに、押し上げられていたものが限界のラインまで達したのか、  
エドの背中に強く爪が立てられ、痛みも省みずにまた、エドはウィンリィを抱きしめた。  
びくり、と体内に脈動と流れ込むものが、鈍感になりゆく神経からも理解出来た。  
「………ウィン、リィ」  
がくり、と頭を垂れて、見たのは。  
赤く染まった顔で遠慮がちに笑う、まもるべきもの。  
「…帰ってきてね…絶対に」  
「わかってる…」  
言葉を交わせど、終始真顔では居られない。  
まだ陽があるならば、顔を合わせて笑って、暫く息を整える。  
 
…  
 
結局はいつもの光景だった。  
エドとウィンリィは夕食中にやっぱり機械やら錬金術やらで言い合いになったり、  
やかましそうに見てるピナコ婆ちゃんや、アルもやはり、いつもの事だからこそ安息を覚えた。  
何が変わったのか?  
恐らくは何も変わっていないのだろう。ただ、確認しただけで。  
 
遠くに登り行く陽が見える。  
まだ朝は早い。だけれど、いそがなくちゃならないから。  
「いつでも面倒見てやるからね。調子が悪くなったら帰ってくるんだよ」  
「わかってるよ。ま、なるたけ世話にならんよーにしたいけどな」  
キセルから昇る煙は風に消えてゆく。  
皮肉めいた言葉を返すと、エドはいつものように怒りマークを浮かべて、アルがそれをなだめた。  
デンが尻尾を振って再び旅路に立つ二人を見て、ウィンリィは。  
「エド」  
「あ?」  
―――何も変わっちゃいない。ただ、確認しただけで。  
「いってらっしゃい」  
その笑顔を、居心地のいい家を守ろう。  
「…あぁ。」  
この宝石は絶対に傷つけちゃいけないものなんだ。  
「アルもがんばってきなよ!」  
「うん」  
微笑む声で、アルは身を翻す。エドもまた。  
「――――行って来る」  
愛してる、とか、好きだ、とか。そういう言葉は今は必要ない。  
また、ただいまが言えること。また、おかえりが言えること。  
それが今守るべきもの――――――  
 
終  

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