別に他意があったワケじゃない。
……ただ、彼女が真山のことを頼っているのに少し腹が立っただけだ。
「あ、そっか。まだ聞いてない? 真山、ウチ辞めたの」
「え!? いつ!? どうして!?!」
店番をしていた彼女が、やっと俺を正面から見る。
俺との会話はおざなりなくせに、真山のこととなると真剣になる彼女を見て。
ほんのちょっと、いじめてみたくなった。
「リカさんて、知ってる?」
呆然と俺を見る彼女の体が、ふらりと揺れた。
「…ね、山田さ……わあああ!!」
ガターン、と景気のいい音を立てて、山田さんが後頭部から床に倒れる。
…その後、山田酒店はパニックになってしまった。
「ん? 何の音…あゆーーーーーーっっ!?」
「まぁ、お父さん、どうしたの? あ、あゆみっ!?」
とりあえず彼女を助けようと、カウンターの内側に入った俺に、
ブルドーザーみたいな父っちゃんが猛然と突進してくる。
ヤバいな。下手したら犯人にされちまう。
「急に倒れたんです! 部屋まで運びますから、医者を!!」
先手必勝。先に彼女を抱きかかえて、大声で指示する俺。
「お、おう。母さん、案内を…」
「あ、は、はい! こちらへ…!」
真剣な顔で俺に向かって頷く両親。…乗り切れた…か?!
…山田さんって、名前あゆみっていうのか。
そういや、ずっと名字で呼んでたからな。今まで知らなかった。
…くそ、真山の野郎、俺達には名前隠してやがったな。
あゆみ。あゆ。あゆちゃん。
腕の中でくたりとしている彼女を、心の中で呼んでみる。
顔だけは真面目なままで、そんなことを考える自分に笑えてしまう。
下駄をつっかけて外に走り出した父親に内心で安堵しつつ、
俺は2階の山田さんの部屋に案内された。
カチャリ、とドアを開けてもらって入った部屋は、かわいらしい装飾の。女の子の部屋だった。
そっと、彼女をベッドに横たわらせて。心配そうにのぞき込んでいる母親に声をかける。
「お嬢さんは後ろに倒れたんです。水枕か何か、頭を冷やすモノはありませんか?」
「あ、はい! 何か持ってきます」
母親は何度か頷くと、慌てて部屋を出て行く。ぱたぱたと足音が遠ざかっていった。
ふぅ。
ようやく、一息つける。
無意識に煙草に手を伸ばした俺は、ライターを取り出し…。
「…部屋の中はマズいな」
そのまま煙草を、ポケットにしまい込んだ。
くるり、と部屋を見回す。
少女趣味なインテリア。やけにぬいぐるみが多い。ん、見覚えのあるクマもあるぞ。
…あぁ、そうか。俺が縁日で取ったやつだ。
初めて会ったあの日、ねだられるまま射的で取って渡したぬいぐるみ。
喜んだ顔が子供みたいで、可愛かったのを覚えている。
自分のプレゼントが大事にされているのは、やはり嬉しい。
あの時は、いろいろ渡したよなぁ。真山が取れないモノを取ってあげるのが楽しかった。
確か一番はじめに渡したのは…。
ベッドの脇。すぐに手の届く場所に、ちょこんと座るウサギの目覚まし時計。
…使ってくれているとは、嬉しい限り。
自然と口元が緩む。
目覚ましを手に取ろうとして、同じウサギのぬいぐるみが隣にあることに気がついた。
これは、あの縁日で……
「……真山…」
意識のない彼女の唇が、夢の中でウサギの渡し主を呼ぶ。
真山は先々週、リカさんを追って原田デザインに入った。
紡ぎ出された小さな声が真山に届くことは…もう、ないだろう。
床に座って。ベッドに横たわる眠り姫をのぞきこむ。
「もう、忘れなよ」
そっと前髪をなでると、あふれた涙が頬を伝った。
「夢の中でまで、苦しまなくていい」
彼女を起こさないように、指で涙を静かに拭う。
真山を想ってか、こぼれつづける涙。
…どうして俺の胸まで締めつけられるんだ?
涙を止めたくて。悲しい夢を見て欲しくなくて。俺は彼女のまぶたに口付けた。
もういっそ、このまま眠っていればいいさ。奴が君の前から消えるまで。
そしたら、俺が起こしてあげるよ。茨の森で眠る君を。
眠る彼女の脇に手をついて。俺はそっとそっと、彼女の唇に……。
とん、とん、とん、と階段を上る足音が俺の耳に響く。
あぁ、誰か戻ってきて……はっ?! ちょっと、待て!?
お、俺、今、何、恥ずかしいことやってんの?!
寝てる女の子にキスなんて……今時、高校生でもしないよ!?
自分の行動に我に返った俺がガバッと体を起こしたのと同時に、ガチャリとドアが開いた。
「あゆみの様子は…」
水枕を手にした母親がベッドに近寄る。
「今のところ、落ち着いてるようです」
だ、大丈夫だよな、俺。ちゃんと答えてるよな。変なとこ見られてないよな。
「うぉぉ、あゆーー! 医者連れて来たぞおお!!」
「ちょっと、お父さん! 静かに…」
階下からは聞こえてきた大声に、母親が困ったように部屋を出て行く。
…潮時だな、こりゃ。
もう一度、眠る彼女をのぞき込む。
眉根を寄せて、また一粒こぼれた涙に。…ため息が出ちまうよ。
「よい夢を」
俺の言葉が届くといい。またあの笑顔を見せて欲しい。
これ以上眉間に皺が寄らないように、きれいな額に軽く口づける。
ベッドの脇に並んで彼女を見つめる、ウサギの目覚ましとぬいぐるみ。
ぬいぐるみに眠り姫を泣かせる身勝手野郎の顔が浮かんだので。
ベシッ、とデコピンでぬいぐるみを転がして。
俺は、彼女の部屋を出た。