コンコン。  
 
窓を叩く音が聞こえて、わたしは瞳を開けた。黒い瞳と目が合って、クスリと微笑む。……彼だ。飛び起きる。  
最近毎夜同じ時間に彼は病室に忍び込むようになった。  
だからわたしは毎日修ちゃんが帰った後、窓の鍵を開けて彼を待つ。これが日課となっている。  
その時間がひどく待ち遠しい。真っ暗な病室で、窓を叩く音をひたすらに待つのは少し辛くて、でも幸せだった。  
「……ねぇ、どうしてちゃんと扉から入ってこないの?」なんだか照れくさくて、呆れたように言ってやった。  
「うるさいおっさんがいるだろーが。」  
「……ゴメンね。」  
「お前が謝ることじゃないって」  
あの日以来修ちゃんと彼は口を交わしていないようだ。殴られた、殴り返した、とか言っていたけれど、2人の間に本当のところ何があったのかは知らない。  
ただ修ちゃんはわたしをひどく心配してくれている。修ちゃんの頬の赤い痕をみて、胸が痛かった。  
 
「……入って、いいよ」「んー」  
ガウンを羽織って彼を迎え入れる。ふと、わたしは子供の頃に読んだ御伽噺を思い出した。彼なら知っているかな?詳しそうだもんね。  
「ね、ね、“ラプンツェル”の話って知ってる?」「あー、髪の長い女の話だろ?」……やっぱり知ってた。  
あゆが以前に『童話に詳しい男ってどーなの』と呆れていた時のことを思い返して、なんだか面白かった。  
「なに笑ってんだよ」  
「ううん、なんでもない」  
「思い出し笑いなんて、ミニハムやーらしーい!」  
「ちっ違うもん!」  
 
“ラプンツェル”。高い塔に幽閉されたお姫様のお話だ。  
魔女の目を盗んで、王子様とお姫様は逢瀬を重ねるという御伽噺。  
結局は魔女にバレてお姫様は城を追い出されるのだが、再会した王子様とハッピーエンドを迎えるのだ。  
今のわたし達をこの話にダブらせちゃうなんて、ちょっとおこがましいかな。  
 
「お前がラプンツェル?」  
「……ちょっと、思っただけ」  
「へぇ、じゃあ俺が王子様?」  
「そっそんな意地悪な王子様いないもん」  
「そんなにチビなお姫様もいないんじゃねーの?」  
「ひっどぉおおい!」  
 
この病室で2人で逢う時は、互いに絵の話や怪我の話はしなかった。  
避けていた、逃げていたのだ。2人とも肝心なところで臆病だなと、少し自嘲する。  
わたし達はひたすら他愛もないやりとりを続ける。2人でこっそり逢うことにはもう疑問を抱かなかった。逢いたいと思うし、逢えたら嬉しい。  
わたしは彼に恋をしている。  
 
「……じゃあさ、どうして魔女にバレたかお前知ってるか?」  
彼は意地悪く笑う。その笑顔になんとなく嫌な予感を抱きつつ、御伽噺の続きを思い返してみる。  
「えーっと、……どうしてだったっけ」すこし考えてみても、思い出せなかった。塔から髪を垂らす有名な逢瀬の場面ばかりが浮かんで、続きが思い出せない。  
「『王子様とお姫様は互いに激しい恋に落ちました』」  
歌うように物語を語りながら、わたしはすっぽり彼の腕に包まれた。彼の膝に乗る形で、2人ベッドに座る。  
「『密会を続けること、数回。ある日、お姫様は魔女にこう言ったのです。“おばあさん、最近なんだか服がきついの”』」  
「……それ、どういう意味?」  
「簡単だよ。お姫様は妊娠しちゃったんだ」  
 
彼の顔が間近に迫る。心臓が早鐘を打つのが分かる。この瞳には敵わない。わたしはいつもこの瞳に見つめられると言葉が出てこなくなってしまう。  
「……俺たちも、王子様とお姫様見習って、やることやらないとな」  
「ちょ、っ、それなんかちがうー!!」  
「ちがくねーよ」  
 
無理やり口唇を塞がれ、もう声も出せない。いろいろ、考えなきゃいけないこと、たくさん。それもなんだったか思い出せない。  
大好きなひとと2人で逢う、キスを交わす、肌を合わせる。それだけでもう頭の中が麻痺してしまうのだ。  
「やーらしい台詞だよなぁ」  
「く、くわしすぎるよ」  
「そうか?」  
言いながら彼はわたしのガウンを脱がしていく。病室でこんなこと、いいのかな。  
わたしが言っても彼はきっと手を止めないだろうけど。  
そして、もっとどうしようもないことに、わたしも彼が手を止めないことを望んでいる。  
触れて欲しい。もっとあなたを感じたい。身体を重ねて、あなたを知っていけるのなら、こんなに幸せなことはない。  
せめてあなたの前では幸せな恋する女の子でいたいから、だからわたしはその手を止めない。  
怪我のこと。これからのこと。修ちゃんのこと。もういまは何も考えたくない。わたしは彼に没頭する。  
 
2人でベッドに横たわる。彼の温度が愛しい。数週間前まではろくに会話すら出来なかったわたし達なのにね。  
床の下に、脱ぎ散らかした服が見える。月明かりに照らされる彼の肌。なんだか全てが扇情的だ。  
わたしは彼以外の肌を見たことはないから比較は出来ないけど、このひとは凄くきれいな体つきだなぁと思う。  
まるでいつか彼が作っていた彫刻のような体のラインだと、まじまじ観察してしまった。  
「なに見てんだよ」彼が笑う。わたしも小さく笑った。  
 
「わたし、ね……っあ、…ん…っ」  
「ん?」  
「わたし…、もしもまた絵、が描けるなら、」  
彼の愛撫による刺激で言葉すら切れ切れになってしまう。それでもわたしは続けた。  
「あなたとの、こういう、こと……描く」  
「なに、春画?」  
「ちが、くて、っぁあ…」わかってるくせに、どうしていちいち意地悪いうのかな。  
 
言いたいのはつまり。  
あなたとの愛を、あなたへの想いを、わたしの葛藤を。全てを絵にしたらきっときれいだ。  
絵に直すと全ての感情がきっと綺麗に仕上がると思ったから。伝えたいのに言葉がうまく出てこないのがもどかしい。  
そんなもどかしさと焦燥感を抱えたまま、わたしは絶頂を迎えた。  
 
 
「……もう帰っちゃうの?」  
情事の後、彼はいつも慌しく帰っていく。少しの余韻も残さない彼が憎らしい。  
「おっ、寂しいのかハム助」  
ちゃかしたように彼は笑う。なんだか悔しい。ものすごく悔しい。わたしばっかり恋してるみたいじゃない。  
「……うん、って言ったら?」すねたように、わたしは呟いた。  
シャツを着ている彼の手が止まる。わたしの言葉に驚いたらしい。  
わたしはシーツにまるまって、じっと彼を見つめる。少しはわたしのことで頭いっぱいになるといい。  
そんな意地悪なことを考えながら、わたしは彼の出方を待った。  
 
 
 

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