テッペリン陥落に成功した英雄たちの宴は、その最後の戦いと同じ日数続けられた。  
 
人類を地上へと導いた彼らも、元をただせば寄せ集めの集団であり、  
敵からガンメンを奪いここまでやってきたのだから、決して品の良い集団ではない。  
戦いの事後処理などはそっちのけで、互いを称える武勇伝に華を咲かせ、  
肩を組んで散っていった者たちへ詩を歌う。  
中には旅を通して恋愛感情が芽生えた男女が、  
キャンプを離れ勤しみ合う声などが聞こえる夜もあったが、  
それは彼らが英雄という名の人間である証拠ではないだろうか。  
 
しかし、そんな宴もそれぞれが『現実』へと向き合う頃になれば、  
残されたのは無数に転がる酒の瓶と焚き火の跡、  
乾いて地面にこびりついた嘔吐物だけであった。  
 
現実は様々な形で目の前に現れた。  
 
無限と思えるほど広い台地、持て余す時間、怯えるものがなくなった自由な世界。  
生きる為に一つの敵を見据えて戦い、  
目標を成し遂げた次に待っていたのは、生きることへの本質的な課題。  
集団で前進することしか知らなかった者たちへの新たな試練。  
 
もはや、大グレン団としての存在意義はなく、  
分散しかかった統率の中、誰しもが途方に暮れそうになった時だった。  
 
「ここに新たな都市を作ろう」  
 
その提案を反対する輩などいるはずもなく  
新たな目標を前に個は再び集団へと変わっていった。  
 
--*--  
 
大グレン団による新都市の建設は、自分たちの戦いと宴の後片付けから始まった。  
 
元より『都』といわれた跡地だけあって、地均しといった基礎工事こそ必要ではなかった。  
しかし、崩落したテッペリンを中心に、何処から手をつけて良いかも分からない荒れようは、  
部分的な修復ではなく、まずは全てを原始へ戻す作業が必要なことを意味していた。  
なにより、彼らが目指すのは獣人たちの権力を誇示する都市の再建ではなく、  
自分たちが住まう都市を建設することなのだから、この工程が必要なのも頷ける。  
 
そんな作業に人手はどれだけいても事足りるということはなく、  
中でもガンメンとパイロットたちは貴重な存在であった。  
 
人手と言えば、螺旋王が敗れたことにより、  
獣人たちの中には人間側へ投降するものも少なくはなかったが、  
螺旋力をもたない彼らは、現在に至ってはガンメンすら操縦することは出来ない。  
ガンメンには操縦する者の螺旋力を動力にする方法と、外部電力で稼動する方法とがあったが、  
後者はテッペリンの崩壊によりその供給を完全に停止しているのだ。  
 
獣人たちは様々な獣の姿を模しており、その能力もかなりのばらつきがある。  
中には、かつて四天王として人間たちの前に立ちはだかったチミルフのように、  
人間の数倍はあるであろう腕っ節の者たちもいたが、  
そういう者たちの大抵は血の気が多く、友好的に話すらできなかった。  
 
ならば、獣人たちが搭乗していたガンメンに外部電源を供給できるよう、  
テッペリンの修復を先行してはどうか…と、夕食の席でそんな意見を言い出したのはシモンだった。  
しかし、獣人たち側からしてみれば人間は未だ盗人であり、自らの平和を崩した敵なのだ。  
そんな者たちに兵器ともなり得るものを渡してしまえば、  
当然の帰結を迎えるだけだ…と、そう反論したロシウの声に、  
新都市の建設が孕む問題の根深さを団員たちは改めて実感した。  
 
 
「――そいつは俺たち人間側にしても同じことだな」  
 
久しぶりに身体を収めた愛機のコックピット席で、  
ダヤッカは昨夜の記憶を探りながら、そうひとりごちた。  
その視線の先には毛むくじゃらの身体を左右に振りながら、  
人の頭ほどの岩を必死に運ぶ獣人がサブモニターの中にあった。  
 
事実、戦いが終結してから地上へ出てきた人間たちは、獣人たちを敵視する傾向が強い。  
家族を失い、過酷な生活を強いてきたその元凶なのだから、  
そうなってしもうのも当然のことなのだろう。  
程度こそ違えど、それは大グレン団の面々とて同じことだ。  
シモンのように済んだこととして、かつての敵と手をとることを唱えるべき時なのかもしれないが、  
自分たちが生きる為に戦ってきた中に『憎しみ』がなかったといえば嘘になる。  
 
「憎しみで戦ってたんじゃない…か、敵わんよ、まったく」  
 
さらに昔の記憶を漁り、そう付け加えたところで、  
ダヤッカの視界にメインモニターで右腕をぐるぐると回すキングキタンが確認出来た。  
それを合図に操縦桿を握り締めると、ダヤッカイザーの主砲が轟音を上げる。  
 
暫くして粉塵に霞む視界が戻りはじめると、  
コックピットのサブモニターにキタンの顔が映り内部音声で通信が入った。  
 
「これでここいらも大方の片がついたんじゃねーかァ?」  
「そうだな、あとは運搬のやつらが来るまで、手堅く壊しておくか」  
 
そういって、ダヤッカは傍らからオレンジ色のゴーグルをとり、  
電子ライフルを担ぎ上げるとコックピットの外へ出る。  
オレンジ色になった視界の端で、同じ出で立ちをしたキタンが見えた。  
 
リーロンをはじめ、レイテやテツカンたちがテッペリンの生産ライン復興に向け、  
今も睡眠時間を削っての作業に着手している。  
そうはいっても現状としてはその目処も立っておらず、  
ガンメン用の弾薬も底をつきはじめているとなれば、使用出来る状況というのも自ずと限られていた。  
その点、電子ライフルは人力でクランクを回せば数発分を充電するのに三十分程度でことが足りる。  
時間と効果を考えれば実戦ではあまり活用できる代物ではなかったが、  
それでも今の状況では十分使いようがあるといえるだろう。  
 
二人がガンメンの上で胡坐をかき、  
手にした電子ライフルのクランクを回しはじめて三分が過ぎた時だった。  
キタンがぽつりとこぼした。  
 
「なぁ、ダヤッカ…オメェ、これ三十分も続ける自身あるか?」  
「答えなきゃならんか、その質問」  
 
大グレン団員の中でもこういった作業が最も不向きと思われるキタンの横で、  
ダヤッカも大きな身体で小さなクランクを回すのは不自由なのか、こめかみに青筋を立てながら応えた。  
二人のため息が静まり返った現場に響いた。  
 
数刻の後、運搬用の大型ガンカーに乗ったキヨウとキヤル、それにギミーとダリーがやってきた。  
人手が足りないとはいえ、ギミーやダリーが乗っている了見を聞くと、  
大人たちが作業に終われる中、放っても置けなかったといったのはキヨウだった。  
 
黒の兄弟の長女であるキヨウは、実に面倒見がよく、  
根っからの性格も相まってか、大らかで『良い母親』というのがどこかしっくりとくる。  
子供など産んだ覚えはない女に、この言葉が褒め言葉になるのかどうかは微妙なところだ。  
 
ダヤッカはこのキヨウという女性に惚れている。  
 
二人の最初の出会いは、彼らがリットナー村を訪れた時だった。  
豊満な胸、輝く金髪、ぽってりと下唇、やさしい瞳、外見の全てがダヤッカを虜にさせた。  
そして、それから旅を共にするようになり、女の内面を知るとその想いは増すばかりであった。  
男の恋愛感情など、一言でいってしまえば『征服欲』であり、  
趣向こそ違えど、惚れた女に何をさせたいか、どうしたいかは決まっている。  
普段は物静かで控えめなダヤッカといえども、男なのだからそれは同じだ。  
 
だが、男にはダイグレン艦長という立場がある。  
いや、あったというべきだろう。  
艦長席で指揮をとるべき人間が、恋愛感情で左右されるべきではないし、  
人間関係に変な爪あとを残すわけにもいかない。  
自由の旗を掲げる戦艦のメインブリッチでそう自分に言い聞かせてきた男は、  
自分を縛る立場から開放された今でも、そのことを言い出せないでいた。  
 
「美味いッ!やっぱよォ、労働の後の飯ってのは格別だなぁ」  
「労働といっても、後半は充電クランクを回してただけなんだがな」  
バスケットからサンドウィッチを一つ口へ運びながら、  
キタンの言葉にそう付け足したダヤッカはダリーを抱え上げ、胡坐をかいた膝の上に座らせた。  
 
「そういえば、ギミーにダリーは夜とか一体どうしてるんだ?」  
「どうって、オレたちもずぅっと面倒見れてるわけじゃないしな」  
 
そう男勝りな口調でキヤルが言うと、  
ダヤッカは弁当箱から好物であるシロスナワニウサギのから揚げを口へ放り込みながら続けた。  
 
「寂しくはないのか?」  
「ダリー、平気だよ・・・ギミーがいるもん」  
ダリーがヤクザウサギの人形をぎゅっと抱きしめながら言った。  
「ギミーはどうなんだ?」  
「平気ーっ、朝まで待てば皆に会えるもん」  
ギミーは食べ物を頬張るのに忙しい口で、何時もと変わらぬ元気な声でそう応える。  
 
ダリーの様子にも、ギミーの言葉には嘘はなかった。  
決して『寂しい』ということを直接言ってはいないにしろ、この子供たちは寂しさを感じている。  
ダヤッカはダリーの頭に手を載せ暫く考えた後、こういった。  
 
「二人とも、今日から俺の部屋に来ないか」  
 
その提案に一同は目を丸くした。  
 
--*--  
 
新都市の建設は七十日が過ぎても、その毎日を整備に費やしていた。  
それでも、人が住まう設備や建物がちらほらと目に付くのだから、大きな進展といえるだろう。  
短期間でそんな進展を可能にした理由は二つあった。  
一つ目は、リーロンやテツカンたちが進めていたテッペリンの生産プラント復旧作業が完了したこと。  
そして二つ目が、獣人たちの脅威から開放されたことで、  
新都市へと集まった人々の数は既に数千人にまで膨れ上がったことである。  
 
しかし、この人口増加は新たな問題を生んだいた。  
村と呼ばれる小規模な世界で自給自足の生活をしてきた者たちなのだから、  
物々交換という概念があればまだ良いが、それすら持ち合わせていない場合が多い。  
ジーハ村やリットナー村のように、村にとっての功績を残すことで何かが支給される感覚の者もいれば、  
アダイ村のように、日々得ることの出来る資源を平等に分け与える者もいる。  
こういった文化の違いにしてもそうだが、価値観が統一されていないのだ。  
 
酷い時はこれが原因で死傷者を出す騒動まで起きており、  
当面はテッペリンで物資の管理と供給を行うことになった。  
しかし、これには獣人だけではなく、人間側にも不平を言う者が現れた。  
テッペリンには大グレン団…それも一部の限られた人間のみが出入りを許されているのだから当然である。  
 
実際、この頃になればテッペリンの内部には大量の食料や物資が確保されていた。  
全ての入退室管理はシステムで行われており、大グレン団の面子といえども私欲を働かせることはできなかったが、  
それを開示しない以上は人々の不安というのも高まるものである。  
それでも人々をテッペリンの内部を開示しなかったのには理由があった。  
具体的に言うのであれば、獣人たちがどうやって産まれるか…といえば察しがつくだろうが、  
その技術や文化はたとえ片鱗といえども、小さな世界で生きていた者たちにとっては刺激が強すぎるのだ。  
しかし、隠されることで欲求が高まるのは人の常で、  
大グレン団には新たな仕事が課せられることになった。  
テッペリン前でガンメンに乗り、門番をすることである。  
 
門番は物資を守るのと同時に人々からの意見箱としての役割も兼ねており、  
集まった意見はシモンやロシウ、他の団員たちの前に提出され審議される。  
ある日、物議を醸したひとつの意見があった。  
 
『お前らは必要なのか?』  
 
お前らとは大グレン団のことを指しており、その具体性にかけた問いかけは、  
延々と堂々巡りの話し合いを招いてしまったからだ。  
こういった時、大グレン団は大きく三つのグループに分かれる。  
キタンを筆頭にした血の気が多い者たちと、それを迎え撃つ冷静な頭を持ったロシウたち、  
そして両者の間で収集を行うダヤッカやリーロンといった感じだ。  
誰でも経験があると思うが、この三角関係で一番苦労が絶えないのは間に立つ者たちである。  
 
持って生まれた向き不向きでそれぞれの役割が変わるのは当然のことなのだが、  
毎日のように殴りかからんとするキタンたちを抑えるのは、  
流石に損な役割を引き当てたもんだと、ダヤッカの顔から疲労が消えることはなかった。  
 
その夜もダヤッカが自分の部屋へと向かったのは日が変わってからのことだった。  
ギミーとダリーを部屋に招いてからというのも、  
二人の寝顔しか見れない日が続いているのも、男の悩みでもあった。  
親のいない彼らに少しでも代わりになる思い出を作ってやりたいと言い出したことなのだが、  
そんななにかをしてやれた記憶がない。  
強いて言うのであれば、先日一緒に朝食を作ったことだろうか。  
切って焼く程度の知識で疲労した食事で、どれだけ二人が喜んでくれたかは分からないが、  
ダリーははじめて作った料理にえらく興味を持っているようだった。  
汗拭きタオルをエプロンのように首から下げ、  
小さな身体で食器を運ぶ二人の姿を思い出し、ヤッカの鼻は思わず膨らんだ。  
 
ポケットから電子ロックのカードキーを取り出し、  
赤い光を放つセンサーへと翳すと、油圧式の大きな扉が音を立て開く。  
廊下の灯りが部屋の中へ一筋に伸びると、障害物の配置を記憶し中へと入る。  
背後の扉がまた音を立てると、ダヤッカの視界は完全な暗闇に覆われた。  
何度か躓きそうになりながら、ようやく辿り着いた寝室には姿の見えない寝息だけが響いていおり、  
ダヤッカは手探りでベッドに腰を下ろすと、何時ものように頭をかいてため息を漏らした。  
 
「なかなか…上手くはいかんもんだな」  
 
ブーツを脱ぎ、解いたガンベルトをベッドテーブルにかけ、  
手探りでベッドの空いたスペースへ身を押し込めると、小さな手が自分の指先をぎゅっと掴んできた。  
自分の掌の半分にも満たない小さな手をそっと離し、毛布を上からかけてやると、  
ダヤッカは自分の腕を枕代わりに、その身体に手を添えた。  
その手が二人の呼吸に合わせ上下に動くのを感じながらダヤッカは考える。  
 
自分がこの子供たちに出来ることとはなんなのだろうか、と。  
 
今はまだ小さなこの呼吸も、いずれは自分と同じ世界を見つめ、そしてその先へ進んでいく。  
ただ生きることだけに終始していた頃とは違い、  
それぞれが自分の道を選ばなければならない世界、以前よりも遥かに広がる多元の可能性。  
その様々な可能性から一つを選らばならなければならない時、  
何かのために何かを捨てることを強いられることもあるだろう。  
それはもうそこまで来ている、いやむしろ始まっているのだ。  
戦いだけが全てであった時代とは違い、自身で見極め決断しなければならない世界は、  
この子供たちには酷というものだ。  
人が決断を強いられた時に用いる材料も、また様々だ。  
思い出や経験がそれにあたることもある…ダヤッカはそう考える。  
だから、自分たち大人にできること、  
それはこの子供たちに様々な経験を与えてやることではないのか、と。  
 
「…俺が父親代わり、か…たいそうな夢だよ、まったく」  
 
ダヤッカは誰に言うわけでもなくそう言うと、  
こみ上げる欠伸を噛み殺し、大きく息を吐いて瞳を閉じた。  
その身体から意識が離れるのに、時間はかからなかった。  
 
ブラインドから差し込む日差しに、ダヤッカは新たな朝が訪れたことを知らされた。  
片手で目覚まし時計を探しながら、眩しさに目が慣れるまでの少しの間、  
今日やること…やろうと思ったことを呼び起こす。  
 
「そうか、今日は…ヨーコがダヤッカイザーに乗ってくれるんだったな」  
 
リットナー村の仲間と鹵獲したダヤッカイザーには、三人ものパイロットデータが登録されている。  
最初の頃こそダヤッカが搭乗していたが、ダイグレンの艦長に抜擢されて以来はキヨウが乗り、  
そして工事に使われるようになってからは、ヨーコも登録を行ったという順になる。  
ガンメンとのインターフェースについてはリーロンから説明を受けたことがあったが、  
なんでも個々の螺旋力や能力に応じプログラムの書き換えが行われるとのことだった。  
『螺旋力』というのも言葉では理解できても、形として見えないものなのだからイメージが掴み難く、  
そんなもので惚れた女との接点ができたものだから、当時のダヤッカにとっては喜んでいいものかも微妙であった。  
しかし、キヨウが搭乗すると言い出した時は、主砲の扱いや機体の癖、  
自分の考えた技をレクチャーする間に、少しは進展できたつもりだった。  
 
「ヨーコに礼を言わんとな」  
 
そういって手探りでギミーを探すと、その手が柔らかく大きなものに触れるのに気付いた。  
何処か懐かしい感触の『それ』を撫でてみたり、突付いてみたり、揉んでみたりしたが、  
ダヤッカの顔にはピンとこない疑問符しか浮かんではこなかった。  
様々な手法で手掛かりを掴もうとしたダヤッカが、懐かしい感触を片手にしたまま身体を起こし、正体を確認する。  
まず視界に入ったのはダリーの横で上下逆さまになって寝るギミーだった。  
そして次に飛び込んできたのは、白いシーツにふわふわとした金髪を広げ、  
うっすらと開いた唇から寝息をたてるキヨウであった。  
 
「ん?あ、あれ…キヨウ?…さんと、オッパ…ィ」  
 
起こした頭を再びベットに倒し、  
まだ自分が夢の中にいるような錯覚を感じながら、掌に力を込める。  
すると柔らかい感触が手を伝い脳へと達すると、毛布の中でもう一人の自分が反応するのが分かった。  
 
(あ…あれ、どうなってるんだ?)  
「…ンぁっ」  
(夢、夢なのか?)  
 
目の前のダリーしか視界に入らない状態で聞こえたその声は、  
聞き間違えることのない惚れた女のそれであった。  
しかも、今まで聴いたことのないような濡れた声に、  
ダヤッカはますます現実から離れていく感覚の中、再び掌に力を込めた。  
 
「っ…ぁぁん」  
「キッキキキ…キヨウさんッ!!?」  
 
次の瞬間、ダヤッカは裏返った声を上げながら飛び起きると、  
ベッドとは反対の壁まで後ずさりをしていた。  
その物音に目を覚ましたキヨウが仰向けの身体を起こし、  
目をこすりながら小さな声を上げながら欠伸をする。  
 
「あ…おはよう、ダヤッカさん」  
 
ブラインドから差し込む朝日の中、キヨウはニッコリと微笑んだ。  
 
その後もキヨウの作ってくれた朝食を四人で囲いながら、  
ダヤッカは自分がまだ夢の中にいるかのような気持ちであった。  
椅子の上でジャンプをするギミーを座らせ、目玉焼きを口へ運んでやると、  
その視界に頬杖をついてこちらを見つめるキヨウが入り込んできた。  
頬が紅潮するのを感じながら、水を一口で煽り、平常を装いながらダヤッカが言う。  
 
「で、キタンから聞いて、見るに見かねて…来てくれたと」  
「ええ、本当は最初に尋ねるべきだったんでしょうけどね…迷惑だったかしら」  
「いっいや、別に迷惑というわけじゃない…です」  
 
顔をテーブルに向けたまま、背筋をぴんと伸ばし、  
いつの間にか膝の上で綺麗に並べられた拳をぐっと握り締め、ダヤッカは曖昧な返事を返した。  
 
「帰りが遅いから二人を寝かせとようとしたら、つい自分まで寝ちゃって」  
 
ギミーの口元を拭きながらキヨウが言う。  
その横でダリーが大事に抱えたぬいぐるみにウィンナーを食べさせようとすると、  
キヨウはぬいぐるみの頭をなでながら料理の評価を聞いた。  
すると、ダリーはぬいぐるみを暫く見つめ代わりに応えを返す。  
 
(…何か、話をしないとな…なにか、なにか…)  
 
ダヤッカはそんな三人とは別世界の住人といった様子で、必死に何かを話そうとするも、  
出るものと言えば握り締めた拳の中の汗だけであった。  
ダイグレンに乗っていた頃は、もう少しましな振る舞いを出来たものの、  
戦いが終わってからこっちは、まともに目を見て話すら出来ないのが男の小さな変化であった。  
艦長という肩書きから解かれたことで、  
キヨウのことをそういった目で意識し始めたのがその原因である。  
 
「あの、キヨウ…さん」  
「はい?」  
「あ、あのですね…?今日はその、おっ…お暇ですか?」  
 
上擦った声で尋ねたダヤッカに、キヨウは人差し指を唇に当て暫く考える。  
 
「特に予定は…ないけど、どうして?」  
「その、なにか料理を教えてくれないか、と…思いまして」  
「料理を?」  
「えぇ、ギミーとダリーも興味があるみたいで」  
 
後頭部をかきながら顔を俯けたままのダヤッカが言うと、  
キヨウは空になった食器を手際よく積み上げながら台所へと踵を返した。  
暫くして、台所からカチャカチャと食器を洗う音が響く。  
応えを待つダヤッカは顔を伏せたまま、最初は目だけで、  
そして恐る恐る顔を持ち上げキヨウの背中を捜すすと、  
なかなか返ってこない応えに、もともと突き出た顎を一層突き出した。  
結局、応えが来たのは、洗物を全て終えたキヨウがタオルで手を拭きながらこちらを振り返った時だった。  
 
「じゃ、パン…なんてどう?一つ覚えれば色々作れるし」  
 
それを聞いたギミーが再び椅子の上で跳ねだすと、テーブルがその振動でガタガタと揺れた。  
ダリーは相変わらずぬいぐるみと睨めっこをしていたが、  
キヨウと目が合うと何時もは見せない表情で笑った。  
その横でダヤッカは、小躍りしそうな自分を抑えるのに必死であった。  
 
その日は四人でパンを作った。  
ギミーとダリーは大グレン団の皆の顔を形にしているようだったが、  
誰か判別がついたものといえばとんがり頭のキタン、  
眼鏡をかけたキノンに、爆発頭のジョーガンとバリンボーだけであった。  
ただし、ジョーガンとバリンボーについてはどっちがどっちなのかは、  
正直生身であっても難しく、パンで判別できるかどうかは疑問である。  
そしてキヨウは縦長のダヤッカの顔を模したパンを、そのダヤッカは自分の愛機を捏ね上げた。  
 
それぞれのパンをオーブンの中にいれ、皆で観察をする。  
香ばしい匂いに混じって、キタンパンやキノンパンの目に飾ったレーズン、  
ダヤッカイザーパンの中に詰めた様々な果物が、甘い匂いでそれぞれの食欲を刺激する。  
ジョーガンパンとバリンボーパンは頭の部分に空気が残っていたのだろうか、  
焼き始めて数分後には異様に膨れ上がった頭部がポフンッという音を立て、本当の爆発頭になってしまった。  
 
「中身を色々変えれば、色んなパンが出来るのよ…簡単でしょ?」  
「というと、肉とかでも良いのか?」  
「ん〜どうだろう?そのままだとパサパサになっちゃうかな」  
「ギミーはカレーが良いー!」  
「うーん、なかなか奥が深いん…ッ!?アチッチッチチチッ!」  
 
顎に手を当てオーブンを覗き込んだダヤッカは、  
耐熱ガラスに映るキヨウの瞳に気をとられ、額を鉄扉にぶつけてしまった。  
額に走る猛烈な痛みにダヤッカが、キッチンを右へ左へと駆け回ると、  
すっと白い手が何かを掴んで視界に飛び込んでくる。  
その手から水に濡らしたタオルが優しく額に押し当てられると、  
急激な温度差にびっくりした身体を縮こませながら、ダヤッカは目だけを下に向ける。  
 
タオルを掴んだまま下から見上げるような視線を向けるキヨウが、  
ダヤッカの身体に新たな熱を点すと、男の性が頭を埋め尽くしていった。  
背伸びをしながらこちらを見上げる女を上から見下ろしているのだから、健全な男としては当然の発想だ。  
そんな性に背中を押されたダヤッカが、身体を前のめりにしかかった時、  
心配そうにこちらの様子を伺うギミーとダリーの姿が視界の端を流れた。  
 
「おっ俺がこんがり焼けちまうところだったよ」  
踏み止まったダヤッカが冗談交じりにいうと、  
ギミーとダリーは笑い声を上げ、それに続きキヨウも笑いながら言った。  
 
「ホント、なんだか意外ね」  
首を傾げるダヤッカにキヨウが言葉を選ぶ素振りをする。  
「なんていうか、子供っぽいところもあるんだなって思って」  
 
今度は恥ずかしさに頬を染めながら自分の頭をかいたダヤッカに、再びキヨウが笑い声を上げた。  
そして、ひとしきり笑い終えたキヨウがギミーとダリー、ダヤッカの顔を順に眺めて言う。  
 
「これからも、ちょくちょくお邪魔させてもらおうかなー」  
キヨウは手にしたタオルをダヤッカの額から離し、  
まるで熱でも見るように自分の手を押し当てながらギミーとダリーに聞いた。  
勿論、二人からの返答は聞くまでもなかった。  
 
「あとは、ダヤッカさん…どうかしら?」  
「は、はひ…よろしくお願いしまふ」  
こちらの応えも聞くまでもなかった。  
 
--*--  
 
ダヤッカの部屋にキヨウが訪れるようになって三週間が過ぎれば、  
お互い『さん』付けではなく、名前で呼び合うようになっていた。  
そして、それを起点とするように様々なことが変化していった。  
 
まずは、毎日風呂に入るか、もしくはシャワーを浴びるようになったことだろう。  
それまでは、ダヤッカの帰宅後にまとめて三人で一緒の湯船につかっていたのだが、  
夜遅く帰ることも多い日が続くと、数日身体を洗っていないと言うのもざらであった。  
これに見かねたキヨウが、衛生上よくないと言う理由で言い出したことで、  
脱衣場に『お風呂カレンダー』というものが、何時の間にか設置されていた。  
カレンダーの使い方はこうである。  
ギミーはオレンジ、ダリーはピンク、そしてダヤッカはグリーンのカードに、  
それぞれ日替わりで『なぞなぞ』書かれ湯船に沈めてあるので、  
それを確認し、答えをカレンダーに書くと言うものである。  
勿論、出題者と採点者はキヨウであり、  
カレンダーにはそれぞれの回答に○×のマークが毎日のようにつけられていた。  
 
次の変化は更に三週間が過ぎた時のことだ。  
ダヤッカの帰りが遅い時だけ寝泊りをしていたキヨウが、  
面倒だからと言い出したのが切欠で、部屋に四人用のベッドが用意された。  
 
部屋といってもキッチンとリビング以外に一部屋設けられた簡易なもので、  
ベッドが置かれた場所は必然的に寝室となってしまった。  
ダヤッカにとっては惚れた女と、一つ屋根の下で同じベットで眠り、  
同じ食卓を囲む生活を毎日送れるのだから、これほど嬉しいことはないだろう。  
一つ心配事項があるとすれば、この男が惚れた女と距離がここまで縮まってことに対し、  
どこまで平然とした生活が送れるかだ。  
しかし、初めてキヨウが部屋を訪れた時から約二ヶ月間で培った経験は、  
『さん』付けに戻ることもなく、四人での生活を問題なくスタートさせることもできた。  
 
そして一年が過ぎた頃にはギミーやダリーにも変化が出始めた。  
ダヤッカとキヨウがスケジュールを合わせておいた、仕事休みの朝のことである。  
昨日の疲れを引きずる様に眠り続けるダヤッカとキヨウの耳に、大きな物音が飛び込んできた。  
二人は一斉にベッドから跳ね起き、ギミーとダリーの姿かないことに気付くと、  
物音のしたキッチンへと足早に向かう。  
 
キッチンに辿り着いた二人の目に飛び込んできたのは、床に落ちて割れてしまった卵と宙を舞うパン粉、  
その中でこちらを気まずそうに見つめるギミーとダリーの姿だった。  
キヨウが何をしていたのかと問うと、少しでも早く朝食を済ませ、  
公園で遊びたかったのだとギミーが言った。  
 
ダヤッカとキヨウは二人から『公園に遊びに行く』と約束させられていたことを思い出すと、  
それを忘れ眠り続けた自分自身への背徳感もあってか、頭ごなしに怒る気にもなれなかった。  
子供は新しいことに貪欲で、失敗や怒られることから経験を得て成長し続ける存在だ。  
そう考えたダヤッカは、誤って火傷していたかもしれない事実は見過ごすこともできず、  
軽く握り締めた拳で二人の頭をコツンと叩きながら、『二度としないこと』と口にしておいた。  
 
その日は四人でパンを焼き、公園へと繰り出した。  
 
ある日のことである。  
新都市の基礎工事が完成した祝いで大グレン団の面子はちょっとした酒盛りを行った。  
勿論、ダヤッカにキヨウ、ギミーとダリーも揃って出席した。  
 
ダヤッカがキヨウの方に目をやると、ヨーコや姉妹たちと話しをしながら、  
時折こちらを見てクスクスと笑っているのが見えた。  
思わず視線を逸らし、自分の胸に恥ずべきことがあるかと問うてみる。  
 
(まさか、俺がキヨウを好きなのがバレてて…それで、皆で…)  
 
その時、聞きなれた声がダヤッカの思考を遮った。  
「あら、どうしちゃったの真剣な顔しちゃって」  
ピッチリとしたスーツに身を固めたリーロンの姿がそこにあった。  
 
「…いや、なんでもないんだ」  
ダヤッカは横目でキヨウを見ながら自分の頭をかく。  
その様子にリーロンは何かを察したのか手にしていた皿をテーブルに置き、話を聞きだす体制に入る。  
「なんだかな…最近、子供ってのはすごいと思い知らされる毎日だよ」  
そういってダヤッカはさり気無く話題を変えた。  
 
「へぇ、興味あるわね、何か面白いことでもあったのかしら?」  
「面白いかどうかは分からないが、見えてる世界が違うんだなってな」  
「世界?違う?」  
リーロンは並べられたグラスを手にすると、  
テーブルに腰を預けワインの匂いに目を細めながら言った。  
 
「俺たち…いや、俺がかもしれんが『未来』と言われても、明日…長くても十日先のことを思い浮かべるのが精一杯だ」  
ダヤッカは会場を走り回るギミーと、バリンボーに肩車をされたダリーを順に見つめながら続ける。  
「だが、ギミーやダリーには何年先なのかも分からないことが描けている」  
「夢ってやつね?」  
「あぁそうだ、夢だ」  
「あなたは夢を描けないの?」  
「どうだかなぁ…描こうとしても現実に突き当たることが多くてな」  
苦笑いを浮かべるダヤッカに、リーロンはワインを呷ってこう応えた。  
「一度ペンの使い方を覚えると、初めて絵を描いた頃の味のある絵は描けなくなるの」  
言い終えたリーロンの視界に、疑問符を浮かべるダヤッカの顔が移ると、  
笑いを含ませながら言葉を続ける。  
「子供と大人では夢の描き方も違うと言うことね」  
「子供の夢と、大人の夢が違う、か」  
「得てからは戻れない、取り戻すことができないこともあるって話よ」  
「つまり、夢を描き失敗した経験が邪魔をするってことか?」  
「まぁ、おおまかには合ってるわね」  
流石に技術職と言うべきか、リーロンの言葉には全てを語らないところがあり、  
それが何かの比喩や例え話と様々な形でダヤッカの頭に疑問符を生む。  
先ほどと変わらず眉間に皺を作り、疑問符を浮かべるダヤッカにリーロンは結論を言った。  
 
「早い話が、現実に対する縛られ方が子供と大人では違うの―――」  
リーロンはギミーとダリーを見ながらそういうと、一呼吸おいてダヤッカの方へと向き直る。  
「―――でもね、描く夢は同じ可能性を秘めているのよ」  
 
ようやく相手の言いたいことが飲み込めたダヤッカは、リーロンの瞳をじっと見つめ、  
そしてギミーとダリー、最後にキヨウを見つめこういった。  
 
「俺の夢も描いてみるか」  
鼻を鳴らしながらそういったダヤッカは、もう一度三人の顔を眺めていた。  
 
--*--  
 
それからさらに一年を経た頃には、新政府という名の組織案が大グレン団の前に現れた。  
新都市の建設も順調に進む中、それを統治するためロシウが画策した組織図は、  
大きく分けて七つの組織に分かれており、それぞれが独立した機関を成していた。  
独立といっても各組織には局長と言う座が設けられており、  
大グレン団メンバーの中で他薦自薦のもと、それぞれが就任を予定している。  
また、シモンには各組織をまとめる形で総司令という席が用意されており、  
それを補佐する副指令にはロシウが名乗りを上げていた。  
 
それぞれの機関のうち、法を定め民の自由と権利を保護する法務局には、  
意外にもキタンが局長を務めることになった。  
そして人民局には粗暴ではあるが、何かと面倒見の良いジョーガンとバリンボーが立候補をし、  
技術局にはリーロン以外の適任者はいないというのが皆の意見であった。  
候補としてレイテの名も挙がったのだが、これは本人による待ったがかかった。  
というのも、レイテは同じ職人気質である大グレン団のマッケンと惹かれあい、  
その身体には新しい命を宿しており、今はそれどころではないというのが本音なのであろう。  
ひょっとすると、柄ではないというのも少なからずあったのかもしれない。  
食料局にはダヤッカが就任することになったのだが、  
本人からしてみれば響きの飲み込みやすさとは裏腹に、具体的に何をするのかと疑問符を浮かべていた。  
 
こうして、組織図としては文部局、公安局、情報局、財務局の局長が空白のままではあったが、  
一応に線引きだけをするに留まったもう一つの新都市案が動き出した。  
 
 
そして、新都市の建設が大まかな『完成図』を人々に描かすことが可能なまでに形作られたところで、  
ダヤッカのもとに一つの仕事が舞い込んできた。  
ガンメンに乗り重機を運ぶことでも、リーロンに新しい発掘品の実験体にされるわけでもない、  
今までになかった仕事…食料局局長としての初めての仕事である。  
ロシウから渡された分厚い書類の束に書かれた内容を要約すると、  
食料となりえる動物の生態調査及び、個体数の調査というものであった。  
書類と一緒に渡された地図には、新都市を中心にガンスピナーでも五日以上はかかる範囲がマーキングがされており、  
初任から骨の折れる仕事になりそうだとダヤッカは唸り声を上げた。  
 
家に帰りキヨウたちにそのことを報告すると、四人分の荷支度が始まった。  
そう、これを機会にちょっとした旅行も兼ねることになったのだ。  
 
「色んな動物がいっぱいいるんだぜ!」  
ギミーが自分の洋服をキヨウに渡しながらダリーに言う。  
「色んな動物…噛み付くのもいるのかな?」  
「大丈夫よ、なにかあったもダヤッカがいるじゃない」  
不安にヤクザウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめたダリーに、  
キヨウは荷物を詰め込む作業の手を止めずに返した。  
 
(一家団欒…ってのはこういうものなのかもな)  
 
一人遅い夕食を食べていたダヤッカは、三人の様子を眺めながら口元を緩めていた。  
下がった眉を更にへたらせた顔は、  
口元を隠せば困っているようにしか見えないのは何時ものことであった。  
 
「ねぇちょっと、聞いてる?」  
「あ、あぁ、そうだな…それより、キタンに話だけはしとかないとな」  
 
そういって何時の間にか向かいに座ったキヨウにドキっとさせられたダヤッカは、  
微かに耳に残っているキヨウの問いかけに返事をした。  
 
「お兄ちゃん?それなら心配ないわよ」  
「ん?どういうことだ?」  
「オレはアイツを信用してる…ここに寝泊りするようになった時にそう言われたのよ」  
 
それを聞いたダヤッカはその言葉を何度か頭で反芻しながら、  
昔キタンに言われた言葉を思い出し、苦笑いを浮かべた。  
その時のキタンの言葉を一部だが抜粋するとこうである。  
 
『テメェとは付き合いも長い、だからどういう男なのかも分かってるつもりだ  
 なんも心配もしてねぇし、他の男んところに世話になるよかよっぽどましだと思ってる  
 だがよ…万が一の時は、そん時ぁ…な?ダヤッカ、わかるよな?この野郎…』  
 
なんとも妹想いな言葉だが、それを言われたダヤッカは背筋に冷たいものが走る思いでいた。  
それもそのはず、ダヤッカが誰にも言えない恋心を抱き始めたのはずっと前からの話で、、  
キヨウが寝泊りするようになることに下心がなかったわけではなかったわけではないからだ。  
 
(こっちの気も知らんで言ってくれるよ、まったく…)  
 
そんなことを考えながら、ダヤッカは咳払いをしてからコップの水を飲み干し、食事を終えた。  
 
「やっぱり、ちょっとはエッチなこと考えてたりするの?」  
 
ダヤッカが食べ終えた食器をを片付けながらキヨウは悪戯っぽくそう言う。  
変化といえばこのところ、このところキヨウが前以上に色っぽい仕草をするようになった。  
相手の気持ちを知ってか知らずか、それともキヨウ自身もこの男に惚れているのか。  
どちらにしてもキヨウの目の前には水を噴出し咳き込むダヤッカがいるのだから、  
悪戯だとすればその成功率の高さは言うまでもない。  
 
「そっそそ、そんなことあるわけないだろ」  
ダヤッカが咽返りながら涙目で言う。  
「あら、ちょっと期待してたのに」  
「…ばふぅッ!?」  
「なーんでもないのよ、こっちの話よ」  
 
キヨウがもう一度悪戯っぽくそういうと、  
更に咽返ったダヤッカを置いて食器をキッチンへと持っていく。  
その後姿を見ながら呼吸を落ち着けるダヤッカに、荷物を詰め込んだリュックを担いだギミーが言う。  
「エッチなことってなにー?」  
その横でぬいぐるみを抱えたダリーもこちらを見ているのに気付いたダヤッカは、  
その純真な瞳に射抜かれ誤魔化す言葉も出てこなかった。  
「ちょっと考えてるの?」  
今度はダリーが言った。  
キヨウと違って性質が悪いのが子供は言葉の意味を知らないことで、  
無邪気な悪魔とはまさにこのことだった。  
 
「おっおい、キヨウッなんとかしてくれ!」  
 
ダヤッカの悲痛な叫びを他所に、キヨウの笑い声がキッチンから響いた。  
 
--*--  
 
食料局局長最初の仕事という名の旅行は色々なことがあった。  
河を見つけキャンプを張り、捕まえた動物でバーベキューもしたし、  
様々な動物の写真を撮ったり、洞窟を探検したりもした。  
 
海に出たときは素潜りで海の生き物も調べた。  
生息ポイントを調べ、大まかな個体数、  
生態を書き示した報告書が増えるのと一緒に写真も山のようになった。  
勿論、写っているものは仕事が半分、残りの半分は私的な写真である。  
旅行の間、私的な写真の当番をしていたのはもっぱらギミーであった。  
だからどうしても低くなるアングルでとらえられた被写体は、  
頭半分が切れていたりしたものも多かったが、それはそれで思い出といえるだろう。  
 
四人が新都市へと帰ってきたのは半月が過ぎた頃だった。  
工事の進む新都市に到着したガンスピナーが土埃を巻き上げながら着陸すると、  
空いたハッチからギミーに手を引かれキヨウが出てきた。  
なにやら楽しげに笑い声を上げたかとおもうと、  
ギミーが大きな声で歌い出し、それに合わせてキヨウも歌う。  
少し遅れてダヤッカが、寝息を立てるダリーを抱いてコックピットから姿を現すと、  
ハッチから大きなトランクケースを幾つか取り出し、ガラガラと音を立ててその後に続く。  
 
夫婦でもなければ、血の繋がりもない四人の姿は、  
誰の目に見ても家族と写ったのではないだろうか。  
 
 
それからも様々なことがあった。  
テッペリン攻防戦で死んだと思っていたヴィラルが再び自分たちの前に現れたこと。  
立ち上げたばかりの新政府に対し暴動が起こることも少なくはなかったし、  
獣人たちが反乱を起こすこともあった。  
決して嬉しいことばかりではない、本当に様々なことが走るように駆け抜けていった。  
同じくダヤッカやキヨウ、ギミーとダリーにも様々なことがあった。  
それは決して大それたことではない、  
見落としてしまいそうな小さな変化と、些細な幸せの連続であった。  
 
-*--  
 
そして更に四年という日が流れたある夜、  
ダヤッカの帰宅に合わせて遅い夕食を四人で囲んだ後のことだ。  
 
「あの、ダヤッカ・・・さん、キヨウさん」  
急に改まった態度で切り出したギミーは次に続く言葉を出せず、隣に立つダリーへ助けを求めた。  
しかし、ギミーのそんな要求に気付きつつも、  
気の利いた言葉が思いつかず、つい視線を床へと落としてしまう。  
 
「どうしたの?急に『さん』なんてつけちゃって・・・欲しいものでもあるの?」  
「あまり高いものは勘弁してくれよ」  
空気を察してか、キヨウはソファへ腰をかけつつ、当たり障りのない言葉で二人へ助け舟を出す。  
その横で、酒の缶を口元に持ち上げキヨウの言葉に続いたダヤッカは、  
子供のおねだりに困る父親のように頭を掻く。  
そして、暫く俯いたままのギミーが顔を上げて切り出した。  
 
「俺たち、この家を…その、出ようと思ってるんです…」  
 
あまりにも突然のことに、問い返す言葉も見当たらないダヤッカとキヨウにダリーの言葉が続く。  
 
「その、ね…私たちも、そろそろ自分たちの力で生きていかなくちゃならない…」  
「二人にはすごく感謝しています…けど…ッ」  
「…だけど、決めたんです―――」  
 
交互に言葉を紡ぎながらも、決してぶれることのない二人の意思。  
何時からそんな相談をしていたのかをダヤッカとキヨウが知る由もなく、  
ただ目を閉じその言葉に耳を傾けた。  
 
「―――それで、ダヤッカさんも、キヨウさんも俺たちの幸せだけじゃなくて…そのっ…」  
「お二人の幸せも見つけて欲しいんです」  
 
目を閉じ、二人の言葉が終わるのを待っていたダヤッカがゆっくりと目を開けると、  
拳をぎゅっと握り締め潤んだ目から涙を零さぬように顔を顰めたギミーと、  
その拳に手を添えるダリーの姿があった。  
 
「…そういうことだったの」  
そう言ったキヨウは、向かいのソファで俯いたダヤッカに目をやり、  
その表情から何かを察すると静かな口調で続ける。  
「巣立つ時はいつか来るもの、今がその時なら止めないわよ」  
そして、青い瞳で二人を見つめながらこう付け加えた。  
「でもね、一つだけ忘れないで」  
決して反対はされないと、大よその結末を予想をしていたギミーとダリーは、  
その後に続く言葉に、自分たちはまだ子供だということを思い知らされた。  
 
「貴方たちの幸せは、アタシたちの幸せでもあったということを…ね」  
 
涙だけは流さない、ありがとうと感謝の言葉で旅立と決めたはずなのに、  
ギミーとダリーにはそれが出来なかった。  
こみ上げるシンプルな感情は、言葉にしようとすると涙へと変わってしまうのだ。  
そんな二人に、ずっと黙り続けていたダヤッカが後頭部へ手を当て、何時もの口調で言う。  
 
「まぁ、たまには飯でも食いに来るんだぞ」  
「…はいっ!」  
 
ギミーとダリーは涙を袖で拭いながらその声に応えた。  
 
新都市建設も五年が経てば、人間たちの居住地区もかなり整備されており、  
政府が貸し出すアパートメントが幾つも存在していた。  
ギミーとダリーの二人も、翌日には入居手続きを済ませ、家を出て行った。  
その素早い対応は政府が名ばかりではなく、役所として機能しているから可能なことだと、  
新政府の一員としてダヤッカは嬉しい反面、物悲しくの感じていた。  
数年前に始動したシモンを総司令にした新政府は、様々な分野に機能を拡張しており、  
ギミーとダリーも今後は副指令直轄のグラパール隊で生計を立てるとのことだった。  
 
「出て行っちまったな…アイツら」  
 
リビングに飾ってある写真立てを手に取り、ダヤッカがぽつりと言った。  
その写真にはオレオレサギの群れを指すキヨウと、  
首にかけたタオルで汗を拭くダヤッカの姿が映っている。  
四年前、皆でいった『旅行』で撮った一枚…今のギミーが撮ったのであれば、  
決して真似のできない下から覗きあげるような写真。  
 
「大きくなったもんだ、本当に」  
 
もう一度ダヤッカが漏らすように言う。  
寂しそうな背中に反して、その表情は何時もの『困り顔』とは違い、  
どこか誇らしげであり嬉しそうでもあった。  
「なんだか、ガランとしちゃったわね」  
「ダヤッカ…さん、か」  
「なによ?大グレン団の頃はそう呼ばれてたじゃない」  
「いや、父親にはなれなかったんだなと、思ってな」  
キヨウのあっけらかんとした言葉に釣られ、  
寂しげな背中の理由を取り繕うこともなく言った。  
キヨウはダヤッカが何を考え、どんな夢を描いてギミーとダリーを引き取ったのか、  
その想いを言葉で聞いたことはない。  
しかし、五年という月日を共にしていれば、想いなどは自然と伝わるものだ。  
知っているからこそ、敢えて合わすような言葉で濁すようなことをキヨウはしなかった。  
 
「どうやったって、本当の父親や母親にはなれないよ」  
写真を見つめるダヤッカの後ろに立ち、そっと腰へ手を回す。  
「でもね、思い出は作って上げられたと思うの」  
そういってキヨウはその背中に自分の頬を押し当てた。  
「…何時までも忘れない、子供時代の思い出…アタシはそれで満足よ」  
「あぁ…そうだな」  
身体を震わせ、上擦った声でダヤッカは応えた。  
 
暫くすると鼻を啜る音と、涙を拭くガサゴソと言う音が聞こえ、  
ダヤッカの背中の震えが止まったことを確認したキヨウは、明るい声で話題を変えた。  
「さて、アタシたちもこれからのこと考えなきゃね」  
「これからのこと?」  
ダヤッカは鼻声でそういうと、首だけを回して背中に張り付いたキヨウを見る。  
 
「そう、明日のこと、明後日のこと・・・ずっとずっと先のこと」  
言い終えてダヤッカの背中から顔を離し、その顔を見上げながらキヨウが続ける。  
「二人が言ってた、アタシたちの幸せについて考えなきゃ、ってね」  
 
その日の夕ご飯はキヨウが自慢のシチューが作ってくれた。  
ギミーとダリーが居た頃は狭かった食卓も、  
二人だけになってしまった今は驚くほど広く感じられた。  
湯気が消えても半分も減っていないシチューをじっと眺め、  
キヨウの向かいに座ったダヤッカは時折、何かを言い出そうとしているようであった。  
その様子を不思議に見つめるキヨウは、特に急かすような真似はせず、  
自分の食事を済ませただじっと待っていた。  
 
そして、キヨウが先に食後のコーヒーを煎れようと席を立ったときだった。  
「キヨウ…少し、良いか」  
「ん?」  
イスから半分立ち上がった姿勢で、ダヤッカの方へと振り返るキヨウ。  
暫くしてダヤッカの目がキヨウの顔を捉えると、  
互いに見詰め合ったまま、また暫くの沈黙が流れる。  
そして、その目をまたテーブルに落とし、ダヤッカがゆっくりとした口調で言った。  
 
「二人が出て行ったからとか、そういうんじゃないんだが…な」  
そこまで言い終えると、再び顔を上げキヨウをじっと見つめる。  
しかし、なかなか上手い言葉が見つからないのか、口をもごもごと数回動かした後、  
ダヤッカは意を決したようにテーブルの上に置いた拳をぎゅっと握り締めた。  
 
「俺と結婚してくれ」  
 
不器用だが飾りのない率直な言葉。  
ダヤッカが数年がかりでいえた言葉であり、想い描き続けたもう一つの夢。  
「…アタシの幸せは、ダヤッカと…か」  
そんな言葉を前に、何かを考える素振りを見せたキヨウだったが、応えは直ぐに出ていた。  
もとより、女自身もその『言葉』をずっと待っていたのだろう。  
 
「スープ、温めなおしましょうか」  
 
それがキヨウの応えであった。  
しかし、ダヤッカにしてみればどう判断していいのか分からず、  
じっとキヨウの顔を見つめたまま、顎を突き出し野暮なことを口にした。  
 
「あの…えぇーっと、つまりその…」  
「これからも大事にしてね」  
 
キヨウはこの時も何かを含めた言葉で返しておいた。  
大事なのは言葉の意味ではないからだ。  
次の瞬間、ダヤッカはイスを後ろに倒しながらキヨウへと抱きつく。  
 
「ありがとう!」  
「これからも、よろしくお願いします」  
「あぁッ!俺こそ、頼むよ!!」  
 
やはり締まりのない言葉に少し困った顔したキヨウの手が、  
本日二度目となる男泣きを披露してしまったダヤッカの背中に回される。  
そして、少し息苦しい程の抱擁に、瞳を閉じて暫くその身体を預けた。  
 
--*--  
 
新都市の郊外にある住宅街に一軒の家がある。  
リットナーの姓で括られたポストの下には、ダヤッカとキヨウの名が並んで書かれたいた。  
二人は結婚と同時に、アパートメントから郊外の一軒家へと愛の巣を移したのである。  
実はダヤッカとキヨウが結婚をしたのは、告白から更に一年という日を重ねてからであった。  
なぜ一年もの期間を空けたかかというと、  
恋人としての思い出も作りたいからとキヨウが言い出したからである。  
 
住宅街というだけあって緑も多く、ゆったりとした空間。  
庭には小さな花壇が設けられており、赤や黄色の花々が見られるのは『新婚真っ盛り』といった感じだろうか。  
家の中はというと、こちらも可愛らしい観葉植物がそこかしこに置かれており、  
家具にしてもどちらかというとお洒落なものでまとめられている。  
どうやらキヨウの趣味なのだろう。  
 
リビングルームに目を移すと、ソファに腰をかけ持ち帰った仕事の書類に目を通すダヤッカの姿があった。  
その横でダヤッカに凭れ掛るようにして、料理本に折り目をつけるキヨウ。  
テーブルに置かれたお揃いのティーカップからは、  
香ばしい香りのするコーヒーが湯気を立てていた。  
 
誰かの訪問だろうか、リビングに設置されたインターホンが呼び鈴を鳴らすと、  
キヨウは飛び上がるように玄関へと小走りに消えていく。  
ダヤッカもコーヒーを一口啜ってから立ち上がると、  
同じ姿勢で凝り固まった身体を鳴らし、  
キヨウの読んでいた本と仕事の書類を一つにまとめてサイドボードの上へ置いた。  
そして、サイドボードの上に並べられた写真たてに目をやる。  
そこには真っ白いウェディングドレスにを身にまとったキヨウと、  
タキシードで固めたダヤッカが並ぶ写真を始め、様々な写真があった。  
思わず照れ笑いを浮かべたダヤッカの視界に、もう一枚の写真が飛び込む。  
そこには、ギミーの撮ったあの日の写真があった。  
 
「お久しぶりです」  
「お邪魔します」  
 
その背後で随分と成長したギミーとダリーの声がした。  
 

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