「うーん……」
形の良い眉をハの字にして、ニアは寝室の姿見に映る自分の身体をしげしげと眺める。
ショーツ一枚だけのなんとも無防備な姿だが、そんなことに構っていられないほどに彼女は真剣だった。
風呂上りの肌は薔薇色に上気し艶めいて、若い娘らしい健康的な色香を漂わせている。
すらりと伸びた手足は細いが、シモンと出会った頃とは違って女性的な丸さを帯びており、かつての十代の少女特有の硬さはもはや微塵も感じられなかった。
しかし今の彼女にとっては、それはどうでもいいことだった。
シモンの心を虜にする美しい双眸も、何度吸われたかもわからない薄紅色の唇も、愛し合うときに幾度も口付けられたきらめく髪も、ニアの関心の対象ではない。
姿見に映った自身の、胸。
ただその一点だけを、彼女はこの上なく真剣な眼差しで、じいっと見つめていた。
(形は悪くない……よね?)
丸い乳房を見つめながら自問する。
きめ細やかな肌は風呂上りの水分と汗が残り、ふっくらと柔らかい。
白い肌に点々と残る赤い痕を見、ニアは頬を紅潮させた。ここしばらくの間、自分の肌が本当の意味で「真っ白」になったことがないことに思い至ったからだ。
乳房は綺麗なお椀型の曲線を描き、頂点はつんと上を向いている。
(シモンはここがすごく好きみたいだけど……)
指先でそっと擦ってみるとくすぐったいような刺激を感じたが、昨夜彼に与えられた快楽の比ではない。
何度も吸われ舐られて、指先で焦らすようにいじられて。
そんなに強く吸われたらいつか先っちょが取れちゃう、と小さく文句を言ったら、彼は大笑いしていたが。
(取れないにしても、色が黒ずんじゃったりしたら嫌だなあ)
鏡に映る小さな乳首は綺麗なピンク色で、今のところそのような心配はなさそうだ。
(形はいいけど……大きさは?)
そのことに思いをめぐらせると、ニアの眉間に皺がよった。
多分、決して小さくはない。……が、とくに大きいというわけでもない。
鏡の中のものではない、自分の乳房を見下ろす。柔らかな曲線を描く二つの膨らみを、ニアは掌でふにゅ、と押しつぶしてみた。
柔らかなそれは、掌に吸い付くように動きに合わせて形を変える。
ふよ。ふにふにふに。
(自分で触ってもあまり何も感じないのに、シモンに触られるとなんであんなふうになっちゃうのかな……)
大きくて少し骨ばったシモンの手を思い出すと、ニアの胸の奥が疼いた。
昔と違って泥に塗れることはなくなったけれど、どこか不器用な彼の人となりを表しているあの手が好きだった。
細く長い指は職人めいた表情をもっており、生き物のようにニアの身体を這って高みに追い詰める。
夜に限ったことではない。頭を撫でられること。抱き寄せられること。頬を優しく愛撫されこと。
彼からの接触全てがニアにとっての快感だった。
不意に小さなくしゃみが出た。
裸のまま鏡の前であれこれ考えていたのだから当然といえば当然か。ニアはもそもそと寝巻を着込んだ。
寝巻の上から再度胸を撫でてみる。
思えば、これでも随分大きくなったのだ。
当時は全く気にしたことがなかったが、シモンと出会った頃のニアの胸は同年代の少女たちに比べて随分控えめだったに違いない。
(シモンにたくさん触られたから大きくなったのかも)
「胸は揉まれると大きくなる」というのはどうやら俗説らしいが、自分に限っては例外なのではないかとすらニアは思う。
初めてシモンと肌を重ねた頃、ニアの胸はほんのささやかな膨らみしかなかった。
それが、揉まれて吸われて触られまくった結果。
(Cカップ、だもの)
ブラの内側のタグに表記された「65C」を脳裡に浮かべ、ニアは再度形の良い眉をハの字にした。
元々、ニアは自分と他人を比較してあれこれ気にする性質ではない。
容貌や身体的特徴についてもそれは同じで、誰かを羨んだり自分に足りないものを気にしたりすることはなかった。
それが今このように悩んでいるのは、先日キヨウ、キヤルらとショッピングに繰り出したときからだ。
(キヨウさんの胸、すごく大きかった)
三人連れ立って訪れたランジェリーショップ。下着の見立てをして欲しいと引きずりこまれた試着室で目の当たりにしたキヨウの胸は、それは見事なものだった。
ニアとは違い大きなカーブを描き、ブラから白い乳房が溢れんばかりであった。――実際、このとき試着していた下着はサイズがキヨウには小さかったようなのだが。
それでも印字されたカップ数はニアより三つも四つも大きかったし、カップそのものにはメロンくらいなら楽々収まりそうに見えた。
否、キヨウの胸が大きいことなら昔から知っている。ヨーコの胸だって負けず劣らず大きい。
ニアが本当に衝撃を受けたのは、キヨウの胸の大きさではなかった。
(……とっても柔らかくて、気持ちよかった)
試着を繰り返して、きゃっきゃとじゃれ合っているときに偶然触ってしまったキヨウの胸。他人の胸を触るなど勿論初めての経験だった。
ニア自身の肌も十分柔らかいはずだが、やはり自分で自分の肌を触るのとはわけがちがう。
張りがあって、柔らかくて温かい。少し力を入れただけでふにゅっと形を変えて、指が埋もれる。
女のニアがこれだけ気持ちいいと感じたのだ。あの柔らかさを持ち得ないシモンが、自分の乳房に夢中になるのにも得心がいくとニアは思う。
しかし得心がいったらいったで、新たに疑問が湧いたのだ。
(シモン、この大きさで満足してるのかなぁ)
ニアの胸よりも、キヨウの胸のほうが揉み甲斐――というのもどうかと思うが――があるのは、多分間違いない。
シモンから胸の大きさについて何か言われたことは一度もない。
仮に何か思うところがあったとしても、彼はそんなことを絶対に口にしたりはしないだろう。
だからこそ、気になる。
実はもっと大きい胸のほうが好きなのではないか。「大きい胸でしかできないこと」をしてみたいと思っているのではないか。
キヨウから教えてもらった「それ」を思い出して、ニアは顔を赤くした。
ランジェリーショップを出た後、キヨウの胸についてニアが素直に感嘆したことを告げると「胸が大きいとそれはそれで大変なのよ」と色々なことを話してくれたのだ。
曰く。
胸が収まることを前提に下着を探すから、選択の余地がない。
可愛いブラを見つけても、そもそもメーカーがサイズを作っていない。
ストラップがゴツい。
胸が重くて肩がこる。酷いときは毛細血管が切れて内出血をおこす。
胸しか見てない男が寄ってくる。
バカだと思われる。
等など。どれもニアには未知の体験だった。
しかし、最後にキヨウはにっこり笑って言った。「でもね、胸が大きいからこそしてあげられることもあるのよ」と。
好奇心に目を輝かせるキヤルを「あんたはまだ彼氏いないでしょ」と制して、キヨウがぽしょぽしょとニアに耳打ちして教えてくれた「それ」。
(胸の谷間に、男の人の……を、挟んで……)
そんな行為があることを、今までニアは全く知らなかった。
シモンも知らないのだろうか。ちらりと考えて、ニアはその可能性を否定した。
手での奉仕、口での奉仕、様々な体位。全てシモンによって教え込まれたのだ。
一体彼がどこからそういった知識を得ているのかはよくわからないが、胸での奉仕だけ知らないということはないだろう。
(あえて要求しなかったのね、シモン)
彼はあまり自分の欲求を率直に表すタイプではないが、夜のことに関しては自分がリードしなければならないという気負いがあるのか積極的な態度を見せる。
ひょっとしたら単に好色なだけかもしれないが。
(キヨウさんは、Cカップでも出来ないことはないって言ってたけど)
ぽよ、と両の乳房を寄せてみる。……正直、なかなか厳しいような気がした。
できないとなるとしてあげたい。してあげられない自分が悔しい。
ニアは、彼女にしては珍しく不貞腐れたような思いでベッドに潜り込んだ。
「……どうした? ニア」
腕の中の恋人の頬を撫でてシモンは問いかけた。明かりを落とした寝室の中、見下ろす彼女の表情は冴えない。
今日一日、どこか浮かない顔をしているのには気づいていた。
彼女のほうから何か言ってくるのではないかと思っていたが、結局何も言わず、それどころか「何も聞いてくれるな」とばかりに普段どおりに振舞おうとする。
ゆえにこちらとしても何も出来ず、夕食をとり風呂に入って、いつも通りニアを閨へと誘った。
なんとなく拒まれるのではないかと思っていたが、彼女は少しの逡巡の後、結局いつも通りシモンに寄り添った。
が、口付けを交わし、シモンの指が乳房をやわやわと這ったとき、ニアは突然身体をびくりと震わせた。
「ん、やっ……」
拒むように小さな声すら出して、シモンの身体の下で身を捩る。そのまま腕で乳房を隠すようにして顔を背けてしまった。
「……?」
答えてくれない恋人は、どこか拗ねているように見える。
触れ方がまずかった、ということはないだろう。
関係をもったばかりのころ、我を忘れてむしゃぶりついて「痛い」と泣かれて以来、ニアへの触れ方にはいつも気をつけているつもりだ。
生理前は胸が張って触られると痛いと以前言っていたこともあるが、予定日はまだ先のはずだった。
「ニア、言ってくれなきゃわからないよ」
耳元で囁いて、かぷ、と耳朶を食む。甘えたような声を出してニアはむずがった。
そのまま伏せた瞼、頬、額に唇を落とし、唇に触れるだけのキスをした。
角度を変えて、わざとちゅ、ちゅ、と音を立て、何度も何度も繰り返し口付ける。
宥めるようなキスが功を奏したのか、桜色の唇もやがてシモンを求めるように蠢き始めた。
唇で求め合う音に唾液の混ざり合う音が混じり始める頃には、ニアの腕はシモンの背に回されていた。
「で、どうしたんだよ、ニア?」
絡み合わせた舌を名残惜しい思いで離すと、シモンは再度ニアに問うた。
散々舐り合い、キスだけで軽く達したニアの表情はひどく扇情的だった。
涙に濡れて潤んだ瞳。薄く開けられた唇は今なお誘うように赤く、いつまでだって吸いついていたいとすら思う。
こんな問答などさっさと終わらせて、早くニアを抱きたい。
ニアの口からどんな言葉が飛び出てくるのかとシモンは身構えたが、ニアの口から発せられた言葉は全く彼が予想していないものだった。
「シモン……あのね、シモンは」
「うん」
「パイズリとかしたいって思う?」
「ぶっ!!」
シモンは勢いよく枕に頭を沈めた。
……言葉の内容もそうだが、ニアが「パイズリ」などという単語を口にしたという事実のほうが、どちらかというとシモンの心を打ち砕いた。
よろよろと頭をあげて、きょとんとした表情のニアに訊ねる。
「ニ……ニア、どこでそんな言葉を」
「キヨウさんに教えてもらったの。男の人はみんなパイズリが好きなんだって。ね、シモンもしてほしい?」
「ニア、頼むからパイズリって言うのはやめてくれ」
彼女の口からそんな卑猥な言葉を聞きたくない、という男心をいまいち分かっていないのか、ニアは困ったようにシモンを見つめている。
(困ってるのは俺のほうだよ)
したいかしたくないかと言われれば、「興味がないと言えば嘘になる」としか答えられない。
ニアの乳房に自分のペニスが挟まれてしごかれる様は、それはそれは背徳的で淫靡に違いない光景だろう。
ただ、今までそれを彼女に要求しなかったことに深い意味はない。
(どう答えたもんだろ)
「したい」と答えたら、してくれるのだろうか。それはそれで嬉しいような気もするが、男としてどうなのかという疑問も残る。
身勝手な願望かもしれないが、こういうことは男の自分のほうから要求して、ニアが戸惑いつつ受け入れるという形が最も理想的だと思うのだ。
彼女が積極的なのは大いに喜ばしいことではあるのだが。
シモンが上手く答えられずにいると、ニアは視線を逸らし、おずおずと訊ねた。
「シモンも……やっぱり、大きい胸が好き?」
「え?」
「キヨウさんやヨーコさんみたいに、大きい胸のほうがいい?」
(……ああ、そういうことかぁ!)
しょぼんと俯きながらシモンの答えを待つニアに、愛おしさがこみ上げる。
今日一日の浮かない顔、拗ねたような態度が途端にいじらしく思え、胸がきゅう、と締め付けられた。
(ニアでもそんなこと、気にすることがあるんだな)
不安げな彼女とは対照的に、油断するとニヤニヤとだらしない笑顔を浮かべてしまいそうだった。
胸の大きさなんて全く気にしたことがなかった。
いや、例えば情事の最中や事後に彼女の乳房を見て「随分大きく育ったなあ」と妙な達成感に浸ることはある。
が、それはあくまで昔のニアと比較して大きくなったということを実感しているだけであって、小さかった頃は小さかった頃でその時のシモンにとってのベストだったのだ。
大きさなんて関係ない。好きな女の胸だからいいんじゃないか。
(……いや、まあ、そりゃ、子供の頃は大きな胸に目がいってたこともあるけどさ)
ニアと出会う前のことを思い返すと、ちくりと胸が痛む。温泉での出来事などは彼女には口が裂けても告白するわけにはいかない。
惚れた女の前では常に「かっこいいシモン」でいたいのが本音だった。
「ニアは」
シモンは固くなった己を、ニアの下腹部に押し当てるようにして問う。
「俺のコレが、もっと大きかったらいい、なんて思う?」
「……思わない」
目をぱちくりさせて、ニアは答えた。
「それと同じだよ。俺はニアの胸だから好きなんだ」
さっと彼女の頬に朱が差して、はにかんだような、照れたような笑顔がシモンを見つめた。
「シモン……私も」
美しい唇が開き、告げる。
「私もシモンのおちんちんだから好きです!」
「ぶはっ!!」
ごす、と再度シモンは枕に突っ伏した。
「ニ……ニア、頼むからそういう単語はあんまり……」
「はい?」
やはりいまいちよくわかってくれていないらしいニアの顔を覗き込み、シモンはまあいいか、と気を取り直す。
「ニア、そろそろいい? 俺ずっと我慢してるんだけど」
「あ……うん」
恥ずかしそうに答えるニアに再度の口付けを落としながら、シモンは考えた。
今日のところは見送りだけど、ニアさえよければいつか胸で奉仕してもらうのも悪くないかな、と。
終
多元宇宙なおまけ
不満だった。大不満だった。
そりゃあ、確かに自分は昔「胸の大きさなんて関係ない」という旨を彼女に言ったし、その考えは今でも変わっていない。
しかしあんなに大きくたわわな彼女の乳房を目の前にして、揉むな触るなとはあまりに酷い話ではないか。
せっかく大きくなったんなら、そりゃ揉みたい。触りたいに決まっている。まったく拷問と言っても差し支えない状況だ。
しかも今彼女の乳房に吸い付いているのは、自分ではない別の人間なのだ。
一日中彼女の胸を独占し、夜でさえ好き勝手に彼女を呼びつけてその乳首に吸い付く。
「たくさんおっぱい飲みましたねぇ」
甘ったるく優しい声は、自分ではなくそれに対して向けられたもので。
「げっぷしましょうね〜」
「けぷ」
……彼女の胸に抱かれた小さなそれは、可愛らしいげっぷをした。
すっかり母乳を吸われた乳房は、以前と同じ大きさに戻ってしまっている。しかし母乳で張っているときは痛くて揉めるものではないらしい。
残念だ。つくづく残念だった。
「はーい、パパに抱っこしてもらいましょうね」
ニアの腕から、彼女の胸を独占する憎らしい小さなそれを受け取り、シモンは言った。
「たくさん飲んで早くおっきくなれよ〜。練習用のドリル、もう用意してるからな〜」
終