先日、一軒のコーヒーストアが、新興都市の中心にあるステーションデパートにオープンした。  
温かさを感じる白熱灯の明かりに映るインテリアや、ゆったりとしたソファなどで飾られた店内は、  
落ち着いたBGMのせいもあってか、ファースト店とは異なる大人の空間を演出している。  
客層にしても、その雰囲気に似合う、落ち着いた服装の客が多く、  
香ばしい匂いと暖かい湯気に、息をつく声がちらほらと聞こえる。  
 
店の名前はスターモッコス。  
緑の二重円に、少し目の離れた青髪の女がロゴマークの、  
世界規模で展開するコーヒーストアのチェーン店である。  
 
「アイスカフェ・モカのトールと、ツナメルトサンドイッチで・・・830円になります」  
 
また客が来たようだ。  
祭日の午前中というのにも拘らず、スーツに身を固めた客は手早く注文を済ませると、  
カウンターで笑顔を振りまく女店員の顔を見ようともせず、  
トレイを空いた席へと運び、持っていたラップトップパソコンを広げ何かを打ち込みはじめる。  
その横で、新聞を広げ経済の動向に目を配る初老の会社員に、  
束ねた書類に目を落とし、一心不乱に何かを書き込む青年の姿があった。  
この国は、他国から『勤勉』だと指摘される。  
勿論それは、皮肉の意味を込めて、だ。  
店の雰囲気に合った客層というのも、ただ服装が似つかわしいだけで、  
ファースト店との違いなど長時間座れる椅子があるかどうか、だけなのかも知れない。  
 
「いらっしゃいませー」  
 
先ほどの女店員が、カウンターから新たな来客を告げる。  
金髪の髪を後ろで束ね、背筋をピンと張って笑顔を振りまく女の名はキヨウ。  
バイトの経験などなかった女も、既に1ヶ月も勤務を続けた今では、  
店の掲げる精神でもある『サードプレイスの提供』に欠かせない人材に成長していた。  
 
オーダーの確認とレジ業務に勤しむキヨウが、ここの求人広告を見つけたのは、  
在籍する紅蓮大学付属羅顔学園からの帰宅途中のことだった。  
内装工事の続く店に貼られたチラシを見つけ、キヨウはあることを計画した。  
その計画の内容については、親友のヨーコにも伝えておらず、  
今日はその進捗を確認する重大な日でもあった。  
キヨウが頭上の時計を見上げる。  
 
「交代の時間ね・・・さてさて、最初のお給料日、4万ぐらいにはなるのかなぁ」  
 
そう呟き、私的な笑顔を作ったキヨウは、  
窮屈なエプロンの帯を解きつつ、店の奥へと消えていった。  
 
その店の前に、一組の影があった。  
丈の短いデニムスカートにフリンジブーツを履き、灰色のトレーナーパーカーにダウンベスト、  
赤い長髪を後ろで束ね、その目元をオレンジ色のサングラスで覆ったボーイッシュな女が一人。  
そしてもう一方の男はというと、ごついブーツに、穿き古したジーンズを大きなバックルで留め、  
白いタンクトップに青いジップパーカーを羽織ったその顔は、目深に被ったニット帽で表情を窺うことは出来ない。  
 
「なぁ、ヨーコ・・・流石にこれは不味いんじゃないのか?」  
女から借りたニット帽が慣れないのか、額との隙間に指を入れながら男が問う。  
「不味いってなにがよ?」  
「いや、だからだ・・・これってトーカーってやつなんじゃないかって」  
ヨーコと呼ばれた女は男のその言葉にも生返事を返すと、  
壁に背を預け、サングラスの奥から店内の動向を窺っている。  
その様子に探偵ごっこをする子供のような・・・いや、それ以上に他人の色恋沙汰を楽しんでいるような、  
そんな印象すら覚えた男は、不謹慎な考えだと口にはしなかった。  
 
二人がここに来るまでの経緯を少し触れておこう。  
今から三日前・・・金曜日の事だ。  
 
--*--  
 
夕日に照らされた学園の廊下で、生徒に呼び出された担任の男は、  
驚愕に目を見開き、口を上下にカクカクと動かしていた。  
 
「だから!浮気してるっぽいっていってんのッ!」  
 
ヨーコが数秒前に告げた内容を、より端的に言い放つと、腕組をしたまま言葉を続ける。  
「でも、アタシが詰め寄るのも、変・・・じゃない、だからここは先生に言うのが良いと、思ったのよ」  
目の前で、次第に世界の終わりといった表情へ変化していく男を見ながら、  
ヨーコはその『判断』が誤まっていたかもしれないという疑念に駆られ、弱い口調へと変わっていった。  
最初は壊れたロボットのように、ただただ意味の分からない動きを繰り返した男も、  
ようやく事情が飲み込めてきたのか、彫りの深い顔にいっそうの影を落としポツリと呟く。  
 
「・・・まぁ、仕方ないさ」  
 
予想にしなかった言葉に、今度はヨーコの顔が困惑の色に染まる。  
「俺は、アイツの恋愛に口出しの出来る立場でも、ないからな」  
何時もの困った顔をした男が、目元にうっすらと涙を浮かべながら、  
口元だけは貼り付けたような笑みを作って続けると、ヨーコの中で何かが爆発した。  
 
「意味が分からない!文化祭の時といい、なんでそうなんですかッ!」  
 
男の事情や考えの一切を寄せ付けない声が、狭い廊下に反響する。  
そして、暫くの沈黙の後、呼吸を整えたヨーコが踵を返し、静かに言う。  
 
「・・・月曜の十五時、ステーションデパートの一階・・・絶対、来てくださいよ」  
 
親友から聞いたスケジュールを思い出しながら、  
ヨーコはそう告げると、男の前から立ち去った。  
 
--*--  
そんな先日の様子とは一転したヨーコに、ため息混じりに次の言葉を口にしかけた時だった。  
 
「出てきた!先生隠れて!」  
 
ヨーコに押され裏路地へと放り込まれた男は、思わず情けない声をあげながら尻餅をついた。  
そして、四つん這いのままヨーコの足元から表通りに顔を覗かせた先には、  
どちらが本体かも分からなくなるようなストラップをつけた携帯のサブディスプレイで、  
時刻を確認する私服姿のキヨウがいた。  
タートルネックに膝上まであるニットワンピースを着込み、その裾からはサテン生地のペチコートを覗かせ、  
ヨーコとは対照的に女性らしい可愛さをまとったその姿に、男の顔は本来の目的も忘れだらしなく緩んでいった。  
この後、誰かと待ち合わせがあるのだろうか、  
折り畳み式の携帯を開くと、胸の前で何かの操作を始めるキヨウ。  
 
「誰かにかけてるわよ・・・先生の携帯じゃない」  
 
顔はキヨウに向けたまま、張り詰めた声でヨーコが言うより早く、  
同じことを考えた男が自分の携帯をズボンのポケットから引っ張り出す。  
 
「あ、ゴメンなさい・・・うん、今終わったの・・・そうね10分ぐらい・・・・わかった、西口ね」  
 
移動を開始したキヨウの声が、二人の耳へと微かに聞こえる。  
ヨーコが自分の足元へ視線を向けると、明かりの消えたままのディスプレイを顔の横に並べ、  
何かを言いそうで、何も言えない、情けない男の姿があった。  
「ンもぅ!情けない顔しないの!追うわよッ!」  
「・・・相手は男じゃないかも知れんし、それに・・・俺とキヨウはまだ、別に・・・」  
両手の人差し指を付き合わせ、言葉尻を濁らせながら男が言う。  
「男相手じゃなきゃ「なさい」なんて言い方しないわよ」  
「そういうものなのか?」  
「何より、女の感が騒ぐってのもあるしね・・・それと」  
説得力の無い裏付けを自信に満ち溢れた顔で言ってのけるヨーコに、  
男は疑いの眼差しを向けながら続く言葉を待った。  
 
「キヨウは、ダヤッカ先生の彼女でしょ!」  
 
ヨーコはそう言い切ると、路地裏に停められた一台の自転車へ走る。  
青地を基調としたメインフレームに製造元であるカイザー社のロゴを掲げ、  
『DAYAK-KA-ISER』と自作シールの張られた、ダヤッカと呼ばれた男のマウンテンバイクだ。  
リアサスペンションを揺らし、ハンドルグリップの心地を確かめたヨーコが、  
つま先でペダルを回しながらサングラスをパーカーの首元へとしまう。  
 
「待てよ、お前がそいつに乗るのか?俺はどうする??」  
「先生は走る!足で!」  
そう言ったヨーコは、自分の脚をぱんと叩き、靴底でペダルの回転を止めると、  
サドルには腰を乗せずにキヨウの追跡を開始した。  
ダヤッカは何時もの表情で頭を掻くと、その後ろに続いて駆け足を始めた。  
 
新興都市の中心に位置するステーションだけあって、  
祭日の夕方ともなればカップルたちが肩を寄せ合うようにして歩く姿も珍しくない。  
手を繋いだり、腕を組んで歩くだけならいざ知らず、  
所かまわずキスを交わすものもいれば、抱き合ったまま動かない若者たち。  
 
(俺には到底、真似が出来んな)  
 
そんな景色に目を凝らしながら、ダヤッカはふと・・・そんな雑念に喉を鳴らした。  
ステーションの西口から少し離れたところからキヨウを探す二人は、  
動く景色によって視界を邪魔されながら、右へ左へと捗らない捜索を続けていた。  
 
「――いた、キヨウだ!」  
 
唐突にダヤッカが声を上げる。  
その指差す方をヨーコが確認すると、そこには確かにキヨウの姿があった。  
自分よりも先に、目当ての女を探し出した男に、  
少しほっとしたのも束の間、ヨーコは眼光鋭くキヨウの状況を確認する。  
 
口元を隠しながら笑みを浮かべるキヨウの前には、  
路上に停めた車に腰を預けた長髪の若い男がいる。  
二十代前半であろうその男は、高そうなジャケットに身を固め、  
髪をかきあげる仕草の度に、うざったい程のピアスを耳元で輝かせながらキヨウと何かを話している。  
 
「・・・よく、見えないわね」  
 
ヨーコはそういうとダヤッカイザーから降り、ダウンベストのポケットに忍ばせた折り畳み式のオペラグラスを取り出す。  
その様子に唖然とした表情を浮かべるダヤッカは、『先ほどの印象』が思い過ごしではなかったと実感すると同時に、  
女という生き物の不思議を目の当たりにしたような、そんな気分なのだろう。  
それもそのはず、ここに来るように言った時のヨーコの言葉には、  
返すことも、取り繕うことも出来ないほどの緊張感があった。  
他人の恋愛であるにも拘らず、彼女にそうまでさせた理由は、  
親友に対する憤りよりも、何より『自分の不甲斐なさ』に対してだと男には思えたからだ。  
勿論、ヨーコに今こうしている理由を問うたところで、返ってくる答えはそれなのだろうが、  
その反面、楽しんでいるようにしか見えないのは誰の目で見ても明らかだった。  
 
(まったく、女はどれもこういうモノなのか?)  
 
そう思考に蓋をし、本来の目的に頭を切り替えたダヤッカが、  
キヨウの方へと向き直った時、ヨーコがひときは大きな声を上げた。  
 
「あーっ!!」  
「ど、どうした?」  
「キヨウが車に乗るわ・・・あれ・・・でも、なんで?」  
 
既に身体の一部になったかのようなオペラグラスから目を離し、  
瞬きを数回したかと思うと、また接眼レンズへと顔を近づける姿にダヤッカが怪訝そうな顔で言う。  
「だから、どうしたっていうんだッ!」  
珍しく苛立った声をあげる担任に、はっと我にかえったヨーコはオペラグラスを下ろすと、  
目だけはキヨウたちへ向けながら、その目で見た光景の要点だけを述べる。  
 
「相手の男・・・ナイフ、持ってる・・・よ?」  
 
未だ整理の付かない様子のヨーコからオペラグラスを奪い取ると、  
ダヤッカは皺を作った分厚い眉間にそれを当てた。  
倍率が調整された視界が目に馴染むまでの数秒すら長く感じる中、  
その目で男の手に光るモノを確認したダヤッカは、次の瞬間には自分の愛車に飛び乗った。  
 
「ヨーコは警察へ行け、俺は・・・アイツらを追う」  
 
放り投げられたオペラグラスを受け取り、何かを言いかけ歩み寄ろうとしたヨーコの足が止まる。  
静かに言ったその口調とは裏腹に、怒りに口元を震わせながら、  
ニット帽を握り締めるように脱ぎ去った男の目に、明らかな殺気を感じたからだ。  
学園では決して見せることのなかったその表情に、  
ヨーコは近づくことも、声をかけることも出来なかった。  
 
--*--  
背にナイフを突きつけられ、無理やり車へと乗せられたキヨウは、  
車の後部座席から突然現れた小太りの男に両腕を押さえられながら、  
バックシートの上で仰向けに倒され、身動きの取れない状態にいた。  
 
自分の上に跨り、荒い鼻息を吹きかけるこの男の顔に、キヨウは見覚えがあった。  
 
三週間ほど前、バイトからの帰り道で自分を襲おうとした男だ。  
そして、角度を変えたバックミラーから下卑た笑み覗かせ、  
車を運転するピアス男は、その時キヨウを助けてくれた男だった。  
自分を襲った男と助けた男が、同じ『欲望』に駆られた瞳で自分を見ている。  
最初は意味がわからなかったが、次第に落ち着きを取り戻したキヨウが行き着いた答えはこうだ。  
 
(グル、だったんだ・・・コイツら)  
 
「ま、悪く思わないでくれよ?オマエが俺の誘い断るから、ちょっと乱暴なことになってるけどね」  
車を運転する男が悪びれた様子もなくそう言う。  
 
「あの時助けたのも、最初から計画・・・してたのね」  
 
一方が強姦魔を演じ、もう一方が正義のヒーローを演じることで心の隙を作る。  
あとは女の元に通い詰め、『興味のない話』に相槌を打ち、話を合わせてやれば落とすことは簡単だ。  
既に、同様の手口で何人もの女の身体を堪能した男たちの目的は、  
愛を語る甘ったるい時間でもなければ、個としての女ではない。  
刹那の欲を手っ取り早く満たし、かつ同じ欲を抱えた男どもから金を巻き上げ、  
自分たちの更なる欲へと還元させるための道具の調達であった。  
 
運転席から家庭用のビデオカメラを後ろ手に振りながら、  
サイドウィンドから差し込む夕日に耳元のピアスを光らせ、偽のヒーローが言う。  
「オイオイ、あんまりガッツクなよ?まだカメラ回してないんだぜ?」  
「へっ・・・へへへ、心配するなよ、俺ぁ撮られてネェと、勃たねぇんだヨ」  
「ま、盗撮風ってのもいい加減飽きたしね、今回は二人で犯っちゃいますかね」  
「それより、今日はどこで犯るんだ?」  
「貨物ターミナルなんてどうよ、この時間なら人もいねぇだろうし、な」  
ピアス男の提案に、小太りの男が股間の膨らみを太股に押し付け、キヨウの頬を舐め上げた。  
 
「アンタたちなんかに、喘ぎ声一つ・・・くれてやるもんか!」  
キヨウはその不快感に思わず身を強張らせながらも、気丈な表情で返した。  
しかし、その言葉に返されたのは、密閉された車内に響く二人からの嘲笑だけであった。  
実際、身体は身動き一つとれない身体でどれだけの啖呵をきってみたところで、  
震えた声と身体では虚勢と呼ぶにも程遠かったからだ。  
 
(・・・隙さえあれば・・・こんな奴らッ)  
 
そう心の中で吼えたところで、この狭い車内の中では対処可能なことなどそう多くはなかった。  
自分の上に跨る小太りの男を例え伸すことが出来たとしても、  
走り続ける車の中では次の行動が見つからない。  
幾つかの手順を頭に巡らせたものの、結局は今よりもひどい仕打ちを受ける自分の姿に行き着いてしまい、  
キヨウは脳裏に浮かんだ男の名を心で叫び、瞳を閉じることで現実から自分を遠ざけた。  
 
(ダヤッカ!助けてッ!)  
 
キヨウの首筋にねっとりとした蛭のような舌が音をたて、糸を引いた。  
 
--*--  
右腕でグリップタイプの変速レバーを回すと、リアディレイラーが機械的な音を上げる。  
チェーンがスプロケットに噛み合うのを脚に感じながら、  
ダヤッカは目の前を走る車との距離を詰めれない苛立ちの矛先を、自分の足元へと向けた。  
 
人間の足の裏には、神経が集中しており、そこから得られる感覚によって、  
地面の傾きや歪みを感じ、倒れる力を利用しながら、  
ロボットでは難しいといわれる動歩行を無意識のうちに可能としている。  
自転車を漕ぐという行為にしても、それは同じだ。  
ペダルの踏み込み具合や身体の傾き具合を足の裏で感じ、次の一漕ぎへと繋ぐ。  
 
しかし、男の穿いている底の厚いブーツでは、そんな『本来の役割』を望むこと自体がお門違いで、  
踏み込み過ぎた足にバランスを崩しながら、全速力を出せずにいるのだ。  
そして、そんな事情など意に介さずといった様子で、  
目の前の車は交通の少ない道を選び速度を上げつつあった。  
 
(早い内になんとか・・・だが、どうやって止めるッ!?)  
 
相手は足を踏み下ろせば速度を上げ、燃料が尽きるまで走り続ける乗り物に対し、  
こちらは人力で走る乗り物なのだから、長期戦では圧倒的に不利なことは分かっている。  
しかし、だからといって短期戦に出たとして、どうやって相手を止めるのか、  
体力と筋力には自信はありながらも、知力はあまり褒めれたものではない男が内心で舌打ちをした。  
 
(高速に乗られたら、一貫の終わりだな・・・クソッ!!)  
 
せめてもの頼りだった『信号機』も、ダヤッカの意図した通りには全く働かず、  
オールグリーンの進路を示すばかりだった。  
目の前の車がリアウィンカーを点灯させ、左折する予備動作を告げると、  
絶好のチャンスが訪れたにも拘らず、それに合わせるようにダヤッカイザーの速度は落ちていった。  
追いついたところで、以後の走行を止める策を持たぬダヤッカにとっては、  
キヨウに自分の存在を感づかれる方が危険だと判断したのだろう。  
そうはいっても、サイドミラーなどで追跡者の存在に気付くのは時間の問題であった。  
 
車輪と一緒に回転する円盤を液圧式のブレーキパッドで押さえつけ、  
タイヤを横滑りにしながら、ダヤッカは次に自分の頭を高速に回転させた。  
すると、その視界に緩やかにカーブを描く一本の道が開ける。  
この街の物流を支える貨物ターミナルへと続く道路は、  
日中はその広さに反して閑散としており、数台の車しか走ってはいなかった。  
 
道路にタイヤ跡をつけ、ダヤッカイザーが停止すると、ダヤッカはジーンズから携帯電話を取り出し、  
何かの操作をしたかと思うと、それをすぐさまポケットへと戻す。  
そして、今度はブーツの紐を引き千切るように脱ぎ捨てると、  
靴下だけになった足をペダルに乗せ、再び力を込めた。  
 
「――もしもし、先生!ちょっと聞こえてますか?先生ッ!?――」  
 
ジーンズのポケットからは、ヨーコの声が微かに聞こえた。  
 
--*--  
「――続いてのニュースです」  
 
原付きに跨がった茶髪のやんちゃそうな男が、隣の車線に並んだタクシーから聞こえるラジオに耳を傾けた。  
キャスターが続いて自分たちの住む街の名を読み上げたのを聞くと、  
反対側でエンジンを吹かす青い長髪が特徴の優男に声をかける。  
 
「おい、ニュース、この街だってよ」  
「へぇ・・・で、どんなニュースよ?」  
「ちょっと待てよ」  
 
そう言って半分だけ被ったヘルメットのベルトを更に緩めると、  
シートから腰を浮かせ、その音源へと身体を近づける。  
その様子に、タクシー運転手がタバコを吹かしながら訝しい顔を向けたが、  
茶髪の男は愛想笑いを浮かべながら、ラジオの音を上げるようジェスチャーで示した。  
 
ニュースの内容は、最近街を賑わしていた連続婦女暴行事件の続報であった。  
未成年をターゲットにした犯行の被害者は、年の暮れを皮切りに、  
現在までで六名にまで上っており、警察がその似顔絵を公開し一般からの情報を求めているといった内容だった。  
 
「興味ないね」  
 
そう言いながら、青髪の優男がスロットを回すのを止めた手でタバコを取り出すと、  
原付のハンドルへと身を預けた茶髪の男が鼻で笑ってそれに返す。  
「ラジオで似顔絵って言われてもなぁ・・・つまんねー」  
「まったく、レディに対する接し方すら知らないなんてな・・・どんな育ちしてんだかねぇ」  
冗談ぽくそういった言葉とは裏腹に、何か自信に溢れたその様子に、  
茶髪の男がスロットを捻り、マフラーが鳴らす騒音で言葉をかき消した。  
 
「はいはい、色男様にはかなわねぇな・・・でもな、今日の勝負は俺が勝つぜ」  
「27戦して、俺の21勝・・・アインザーの勝ちは決まったようなもんだろ?」  
そういって自分の跨る相棒に貼られたステッカーを指でなぞり、  
余裕の表情を浮かべる優男に、やんちゃな茶髪が負けじと食らいつく。  
「いいや、今日はキッドナックルが、勝つ!言っとくが今日の勝負は50ポイントだからな!」  
「おいおい、それで負けたら、逆転どころの話じゃないって・・・自分で分かってるのか?」  
そういって青髪の男は後頭部のヘルメットを被り外部の音を遮断する。  
それに続くように、茶髪の男もハンドルに預けた身を起こし、  
同じく自分の世界へと潜行を開始する。  
目の前を通り過ぎる人や車の流れが止まり、次第に視界が広がる。  
 
その時だった。  
 
何かの影が二人の横を通り過ぎた。  
そして、自分たちに似たもう一つの影が、  
それを追うように交差点へと進入する寸前、信号は青へと変わっていた。  
 
--*--  
ダヤッカはブーツを脱ぎ捨てることにより、  
その足に本来の感覚を取り戻すことで、目標の追跡を可能にしていた。  
しかし、踏み抜く度に靴下は疎か、足裏の皮膚さえ引き裂き、  
肉へ食い込むペダルのエッジは、その『感覚』を次第に奪っていく一方であった。  
 
(何か策、策は・・・ないのかッ!?)  
 
目の前の車と20メートル程の距離を空け、疾走するダヤッカイザーの上で、  
ダヤッカは焦りに奥歯を噛み締めた。  
そして、回転数を上げる車輪に比例して思考力はどんどん低下する。  
 
(前に出る・・・気付かれないように・・・止める)  
 
そう同じ言葉を頭で繰り返し唱えた視界に、次の交差点が目に入った。  
ダヤッカは周辺の地図を頭に呼び起こしつつ、車のテールランプに注意を向ける。  
そして、左右どちらのランプも点滅することなく、車が交差点へと進入していくと、  
左手でブレーキレバーを軽く絞り、後輪のディスクブレーキを作動させた。  
 
ダヤッカイザーが30km/h程度のスピードを保ち交差点へと進入すると、  
今度は右手で前輪へ繋がるブレーキレバーを握り締める。  
速度の落ちきっていないダヤッカイザーが、前進する力を急激に抑えられたことによって、  
前輪を支点にその車体を前のめりに浮かせ始めると、フロントサスペンション内部の空気へ圧力が加わり、  
今度は車体を下へと沈ませながらその衝撃を吸収した。  
 
すると、ダヤッカはサドルから浮かせた腰を後方へとずらし、  
姿勢を低く保ち、胴体を捻るようにしてその力を横へと流す。  
そして車体が90度曲がったところで、両脚で車体を道路へと押し付けた。  
空中で回転を続けていた後輪が、再び道路と摩擦音を上げると、  
両手のブレーキレバーを離し、フロントディレイラーを一段下げ、  
車体を横に滑らしながら再びペダルを踏み込みはじめる。  
 
チェーンとギア噛み合い、重い負荷が再び脚へと伝わると、大きく空気を吸い込みダヤッカは吼えた。  
 
「止めてやるッ!体当たりしてでもなッ!!」  
 
自分に言い聞かすように、そう言ったダヤッカの姿は細い裏道へと消えていった。  
頭の中に呼び起こされた、キヨウを乗せた車が走る『大きな弓なりの道』と、  
その両端に繋がる『弦のようなこの道』が、その終端で再び交わると信じて。  
 
疲労と痛み、そして寒さに下半身の感覚が奪われていく中、ダヤッカは最後の賭けに出た。  
 
夕方の貨物ターミナルは、数刻後より始まる搬出作業を前にし、  
徐行運転をする列車の緩やかな音だけが響く、嵐の前の静けさといった様子を呈していた。  
勿論、既にターミナルの倉庫へと運び込まれた搬出物資を、  
貨物列車への積み込みが始まる頃になれば、先の言葉通り『嵐のような慌しさ』に賑わうのだろう。  
 
そんな貨物ターミナルへと続く道を、一台の車が走っていた。  
視線を車の進行方向へと向けると、反対車線を車線を走る一台の自転車の姿があった。  
その上で息を切らしながら大きく身体を左右に振りる男の足元からは、  
ポツポツと赤い斑点を道路に落としている。  
 
お互いが一定の速度を保ちつつ、徐々にその距離を縮め、  
その影が交差する瞬間、車は甲高いブレーキ音を上げていた。  
自転車に跨る男は対向車線から車が近づくと、急角度で車線を変更し、  
腕の力で前輪を持ち上げ、そのまま車の正面へと飛び込んだのだ。  
 
上がりきった前輪が車のボンネットに乗り上げ、  
メインフレームがバンパーと接触した衝撃で自転車はバランスを失い、横倒しの状態で車の上を滑った。  
そして、フロントガラスへ前輪を叩きつけると、  
青いパーカーを着込んだ男が放り出されるように後方へと消えていく。  
残された自転車が、今度はその車体全体をフロントガラスへ打ち付け、  
その部分を中心にくも膜下状の亀裂を作り、車を運転する男たちの視界を奪った。  
 
ブレーキ音を響かせたまま、暫く迷走を続けた車が街路樹に衝突すると、  
車の上に残った自転車を前方へと吹き飛ばし、その動きを止めた。  
一方、後方へと飛ばされた男は、とっさに身を丸めたとはいえ、  
最初は肩・・・続いて背中を道路へと打ち付け、  
ボールのように浮遊と落下を数度繰り返すと、うつ伏せのまま動かなくなった。  
 
全てが停止し、訪れた暫くの沈黙を、  
遅れて道路へ落下するナンバープレートの軽い音がそれを破る。  
続いて、街路樹に衝突した衝撃で馬鹿になったドアを蹴り開け、  
高そうなジャケットの乱れを直しながら、後頭部に手を当てた男が運転席より出てきた。  
後部座席からもう一人の男が、何者かの足に顔を蹴られながら、  
のそりのそりと太った身体を後ろ向きに姿を現すと、車内からは女の喚き散らす声が聞こえた。  
暴れる女の足に苦戦しながら、なんとかそれを車内へと押し込めると、  
小太りの男がドアを乱暴に閉める音が響いた。  
 
「おぉい、おいおいおい、なんだよコレ、自殺かなんかかよ・・・ったく、勘弁しろよなァ」  
ピアスの男がそう言いながら、神経質そうに首元を掻き毟った。  
その傍らで、小太りの男は辺りの様子に目をやったが、  
倉庫の並ぶこの一帯に住宅はなく、事故の目撃者や、  
音を聞きつけた野次馬どもがいないことに胸を撫で下ろした。  
「オイ、早くズラかった方が良いんじゃネェか?」  
「アァ?・・・だったら女も連れてくぞ・・・こんなハズレクジ引かされたんだ、スカっとしねぇとな」  
そう言ってこめかみに怒りを称えたまま、ピアス男が合図を送ると、  
辺りを警戒しつつ小太りの男が再び後部座席のドアを開いた。  
 
その時、うつ伏せで倒れたままのパーカー男の指が、微かに動いた。  
 
ビデオカメラで撮影されるのとは別に、思い通りにならない『モノ』を力でねじ伏せ、  
屈服させるのも、この小太りの男の趣向――いや、大半の男がそうなのかも知れないが――なのだろう。  
そんな趣向を満たす絶好の材料となった女を前に、  
小太りの男は顔面に数発蹴りを喰らいながらも再び息を荒げ始めていた。  
 
「そのか細い腕で?えへッ、俺をどうしようしようって――」  
 
その時、何かが小太りの男の身体ごと、その言葉をキヨウから遠ざけた。  
胴の辺りを襲った重い衝撃に、小太りの男は開いたままのドアをへし曲げ、  
傍らにいたピアスの男を巻き込んで派手に吹っ飛んでいく。  
空中で身を絡ませた二人の男が道路に身体を打ち付けると、その衝撃の主が言い放つ。  
 
「キヨウに・・・手はッ!出させるものかッ!」  
 
その声を後部座席で聞いたキヨウは、その主が誰なのかが直ぐに分かった。  
あの男だ、自分の本当のヒーローが来たんだ、と。  
そして、背凭れに手をかけ一気に身を起こすと、肌蹴た胸元もそのままに車の外へと飛び出した。  
 
ボロボロのパーカーを羽織り、裸足のまま立っているのもやっとといったその姿に、  
キヨウは己の身に降りかかった脅威が払われるのと同時に、  
絶叫したいほどの新たな恐怖に、身体を凍らせた。  
 
道路に倒れた悪党たちは、小太りの男が下敷きになってクッションの役割を果たすと、  
その上でピアスの男が懐から取り出した折りたたみナイフを取り出していた。  
そして、反対の手で首元を毟りながら、ナイフの刃先に夕陽の光を反射させ、  
溢れる感情を噛み殺したような声で言う。  
 
「テメェら、よくないね・・・オレ、思い通りならないのって、イラッイラァすんだよねェエッ!」  
 
ナイフを握り締めこちらへと突進してくる相手に、ダヤッカは倒れこむように身体を前に投げ出すと、  
男の右手を脇の下に抱え込むようにしてその動きを止めた。  
しかし、ピアス男は固められたままの姿勢でナイフを逆手に握り直し、  
自由の利く手首だけを使って、ダヤッカの脇腹の肉を抉った。  
 
「キヨウはッ・・・キヨウは、お前たちの女じゃネェッ!」  
脇腹に走る痛み奥歯をかみ締めながらそう叫ぶと、体勢を低くし、  
空いた右腕で相手の脇腹めがけ、渾身の力を込めた拳を打ち上げるように放つ。  
呼吸という行為を強制的にその身体から切り離されたピアス男は、苦しさと込み上げる嘔吐感に顔を歪める。  
続いてダヤッカが、長身から一気に振り下ろした頭突きをピアス男の鼻へと見舞うと、  
グシャリという音とともに鮮血を撒き散らし、鼻に走る鋭い痛みに身を硬直させた。  
同時に、脇腹へと刺さったナイフの刀身がズルリと抜け落ち、硬質な音を上げて道路へと転がった。  
 
既に自分が立っているのかすら定かではない意識の中、  
唾液を垂らしながらする犬の『それ』を思わすような激しい呼吸音を上げながら、  
ダヤッカの怒りは静まることはなかった。  
足元で蹲ったままのピアス男の胸倉を掴み上げ、そのまま仰向けに突き倒すと、  
その脚の間へ自分の身体をねじ込ませ、両脚を脇腹にがっちりと固定する。  
 
「俺の・・・ッ」  
ダヤッカの身体がその場で足踏みをするように、ゆっくりと回転を始めると、  
次第にピアス男の身体が宙へと浮き始める。  
 
「キヨウ・・・はッ!!」  
回転は速度を上げ、ダヤッカは重心を徐々に後ろへ移動させることで、  
振り子のように回り続けるピアス男とのバランスをとった。  
そして、右足の踵をまるで独楽の中心軸のように一点へ固定し、  
空いた左足で更に加速をつけると、ピアス男の腕がダラリと回転の外へ放り出される。  
ダヤッカが最後の力を振り絞り、憎帽筋、広背筋、大臀筋、大腿二頭筋、  
腓腹筋とヒラメ筋で形成される下腿三頭筋など、身体の背面に位置する筋肉を総動員させ、  
ピアス男の身体を自分の頭より高く放り投げ、叫んだ。  
 
「宇宙一ッ!スウィィィィンッグ!!」  
 
ピアス男の身体が空中を錐揉み状に舞うと、  
そのまま数メートル離れたガードレールに叩きつけられ、ずり落ちるように行動を停止した。  
一方のダヤッカはというと、ボロボロになった身体を遠心力に振り回されながら、  
その場に尻餅をつくと、そのまま仰向けに倒れていった。  
 
愛した男が目の前で、今にも死にそうになっている。  
襲い掛かる新たな恐怖を振り払うように、  
キヨウは状況の整理を後回しにしてダヤッカの方へと走り出した。  
 
その時だ、最初に吹き飛ばされてから動かなかった小太りの男が、  
後頭部に走る鈍痛に頭を振りながらも、殺意を宿した瞳をこちらへと向けていることにキヨウは気付いた。  
道路に仰向けで寝転んだまま、ただ腹部を激しく上下させるダヤッカはそれに気付いておらず、  
もし気付いたところで、相手をするだけの力は残っていないのは明らかだった。  
しかし、キヨウは走りながら、その考えを否定した。  
 
(でも、気合でなんとかしちゃうだよね・・・だから!)  
 
自分の本当のヒーローはきっとそうするはずだ。  
例えそれが己の身体に新たな傷を残すことになろうとも、何度でも立ち上がり盾となってくれる。  
しかし、その裏側にある『失うことの恐怖』を知ったキヨウは、自分の拳を握り締めた。  
 
(だから、今度はアタシの番!)  
 
キヨウはロングブーツの踵を鳴らしながら、道路に大の字で寝転ぶダヤッカの上を飛び越えた。  
ダヤッカの視界に、ペチコートから覗くキヨウの下着が横切ると、  
鼻筋に新たな鮮血を噴出させながら上半身を起こし始める。  
その視界には、対峙した小太りの男へ突進するキヨウの姿が捉えられた。  
 
「アタシのダヤッカも宇宙一ッ!ボンッバァーッ!!」  
 
ウエスタンラリアットのように繰り出されたキヨウの右腕が、立ち上がった小太りの男の首を打ち付けると、  
小太りの男からカエルが押し潰されたような声が漏れる。  
そして、キヨウが衝撃によって後方へ持っていかれそうになる右腕を振り抜くと、  
その部分を支点に小太りの男の身体を宙へと舞わせ、頭から道路へと落下すると、  
泡を吹いた顔を晒しながらピクピクと痙攣をするばかりになってしまった。  
 
「キ、キヨウ?」  
 
上半身を起こし、鼻から流れる血筋を拭いながらダヤッカは自分の足元へと声をかけた。  
キヨウは、その声にはっと我に返ると、目の前で痙攣する小太りの男を尻目に、  
自分だけのヒーローの元へと駆け寄り、膝をつく。  
 
「アタシ、ちゃんと守ったからね・・・大事なもの、ちゃんと守ったよ」  
 
その言葉に、キヨウの無事を確認したダヤッカが、  
眉のない額の力を抜き、大きく呼吸を吐いた。  
 
「そんなことより――」  
「――なに、あんなに・・・動けたんだぞ、なんてことないさ」  
 
続くキヨウの言葉を遮ると、起こした上半身を再びに横にしながら、  
呼吸を整え、ダヤッカは血の気のない顔で笑みを作った。  
幸い、喋れるということは、先ほどのナイフも肺には達していないと判断するだけの知識はあった。  
車と衝突した衝撃で、どこかの骨を折っているかもしれなかったが、  
それは先の言葉通り、『現状』が生命への危機に値するものではないことを実証していた。  
そうはいっても、脇腹の傷からは未だ血が流れており、  
直ぐにでも処置しなければならないことに変わりはない。  
キヨウが車の中に置いたままにしたカバンと携帯の存在を思い出し、立ち上がろうとした時だった。  
微かに聞こえるサイレンの音が、二人の耳に飛び込んできた。  
お互いの顔を暫く見つめ合った後、今度はダヤッカが思い出したかのように、  
ジーンズのポケットから自分の携帯を取り出す。  
無残にも半分にへし折れたそれは、車との衝突の際に壊れたのだろうが、  
それでも十分に役割を果たしたこと教えるように、サイレンの音は二人の方へ一直線へ近づいていた。  
 
 
数分の後、駆けつけた数人の警察官によって、道路の上で伸びたままのピアス男と、  
小太りの男は捕らえられ、この街を騒がせた一連の事件に終止符をうった。  
パトカーに同乗していたヨーコが遅れて二人の元へ駆けつけると、  
慣れた手つきで懐から手帳を取り出した刑事が、ペンの背でこめかきをかきながら言う。  
「お手柄・・・という訳には行きませんよ、これは」  
現場を振り返り、一体何が起こったのか・・・といった様子で鼻を鳴らした刑事の横に、  
遅れて駆けつけた救急隊が担架が並べる。  
「全くですよ、一歩間違えれば・・・死ぬだけならまだ良い結果になっていたかも知れない」  
不謹慎な言葉で遠巻きに相槌を打った若い警察官が、  
救急隊の咳払いにばつの悪そうな顔を浮かべながら、歩道に転がるダヤッカイザーを担ぎ上げた。  
 
「はぁぁぁあっ!おっ俺のダヤッカイザーッ!?」  
 
担架へと移されながら、無残な姿となった愛車を見たダヤッカが声を上げたが、  
その余りにも素っ頓狂な声に、刑事や救急隊、そしてキヨウさえもが声を上げて笑った。  
 
「残念ながら、あの車は盗難車のようで、保険は利かないでしょうねぇ」  
そういってダヤッカの表情を暫く観察した刑事が、小さく噴出すと、  
何かを堪えるように咳払いをひとつ、言葉を続ける。  
「保険は利かなくても、恩赦ってのがあるがね・・・なに、元通りになりますよ」  
メインフレームは衝撃でぐにゃりと曲がり、前輪に至っては原形を留めていないダヤッカイザーを、  
何時までも心配そうに見つめるダヤッカに、キヨウの手が添えられる。  
「大丈夫、ちゃんと元通りになるわよ」  
そういって微笑むキヨウの顔が、何かを思い出したよう輝くと、  
ダヤッカは疑問符を浮かべながら首を傾げた。  
「アタシね、マウンテンバイク買おうと思って・・・それで、一緒にどこか行こうって」  
「その為に、バイトをしてたってのか?」  
 
「うんっ!」  
 
キヨウの顔が夕日を受け、一段とまぶしく輝いた。  
 
病院へと向かう救急車の車両室内で、脇腹や外傷の手当てを受けたダヤッカは、  
観察用機材などはつけられず、傍らで手を握るキヨウと、  
その親友であるヨーコとこれまでの経緯について話をしていた。  
 
まず、連続強姦事件の被害者になりかけたこと、そして犯人たちの手口とも知らず、  
ピアス男と仲良く話していたキヨウを偶然見かけたヨーコが、浮気をしていると誤解してしまったこと。  
因みに、犯人たちがキヨウの気を引くためにつかった『話題』とは、マウンテンバイクの話であった。  
実際、バイト帰りのキヨウと待ち合わせをしていた理由というのも、  
知り合いにショップを経営するものがいるから、紹介してやる・・・といったものだったようだ。  
 
強姦魔から自分を助けてくれた男が、自分と同じモノに興味を持っていると知ったキヨウが、  
数度会う内に心を許してしまったのも無理のない話しである。  
三人がそれぞれの事実を持ち合わせ、ようやく一本の筋が通ると、  
それぞれの顔にどっと疲れが押し寄せる。  
なにより、キヨウとダヤッカに至っては、病院で刑事からの聴取が待っている。  
自分たちが加害者ではないにしろ、ドラマの中でしか見たことのないその光景に、  
お互いが苦笑いを浮かべた。  
 
キヨウが、すんと鼻を鳴らし言う。  
「ね、危険な状況下で実った恋は長続きしない、って言うけど、アタシたちは大丈夫だよね」  
「あれ・・・どっかで聞いたセリフだな?確か映画、見たことあるヤツだ」  
「本当?」  
「ああ、その映画も結局はハッピーエンドだったじゃないか」  
「あれ、見てないの?二作目・・・?」  
「二作目?」  
ダヤッカが宙を見上げ、暫くすると首を横に振る。  
その様子に、キヨウは大袈裟に溜息を付くと、、  
車窓から見える沈みかけた夕日に目を細めながら言った。  
「別れたよ、あの二人・・・二作目では違う男の人と付き合うの」  
「あ、あぁ・・・ん・・・うん?おっおいおい、どういう意味だ?」  
鈍いながらもキヨウの言葉が意味することに遅れて気付いたダヤッカが、  
目を大きく開き、慌てて切り返す。  
「因みに、アタシはそっちの男優の方が好みだったりするのよね」  
 
「うーん・・・人生に、にっ二作目なんていらないじゃないか」  
 
次第に、三日前にも見た表情へと変わるダヤッカの様子に、  
思わず笑い声を上げたのはヨーコだった。  
「先生、顔、顔・・・余裕なくなってるわよ」  
「そーね、大事なのは今だもんね・・・何時までもヒーローでいてね」  
遅れてキヨウが堪らず笑い声を上げると、担架に横たわるダヤッカの胸に顔を乗せ微笑む。  
 
「ま、何にしてもアレね」  
「ん?」  
「家族に合わせる、口実が出来たじゃない」  
「おいおい、話がえらい方向へいってないか?」  
「全然、順序通り、予定通り」  
 
 
後日、ダヤッカとヨーコはこの事件のお礼という意味合いで、  
バチカ家の食事会に呼ばれることになるのだが、それはまた次のお話し。  
 

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