全校生徒数はおよそ千人、なのに幼稚園から小中高大学までを備える学園都市、総じて天元突破学園。 
生徒達の寮は一人一部屋を充分に使えるにも関わらず相部屋だったり、階段の段数が増えたり、校内では家畜の放し飼いをしていたり、地下に大空洞があったり、伝説の樹と呼ばれた大木が一生徒によって倒されたり、校長暗殺未遂事件が起きても外部内部構わず平和だったり、そもそも創立千年も経つというのに校長が変わらないとか老けないとか、とにかく何もかもがおかしい陸の孤島だ。 
そんなおかしい学園、今回の舞台はアーク高等学校である。 
 
 
   08:00 【少女Nの憂鬱】 
 
ここ、アーク高等学校はバス停から近い場所に位置し、つまり朝の登校時間になれば決まった時間に纏まった生徒が登校してくるわけだから、校門から靴箱の間は混雑する。余裕を持って登校したにもかかわらず、この靴箱でタイムロスし遅刻するなんてことがたまに発生するので、例えば学園一の不良を真似して窓から土足で進入する生徒もいた。 
とは言え常に混んでいるわけではないので、バスの到着時間等を考慮した時間帯ならばゆっくりと登校できる。バスを利用しないで学校に来ている生徒、つまりこの辺りの寮や下宿先から通学する生徒ならば出来ることだ。 
その第一次登校ラッシュを過ぎた一時の間、ニアはひっそりと登校した。本当ならシモンも一緒な筈だったが、今日は病気で学校を休むとメールが届き、久しぶりに一人で登校してみた次第だ。だから朝の始まりと言えどホームシックに罹ったように家に、シモンの元に帰りたい気持ちが湧き上がってきていた。 
今日は早く帰って体にいいものを作ってあげよう、それを支えにして、いつものようにニアは靴箱を開け上履きを取り出そうとすると、手に乾いた感触があった。手紙である。 
これもいつものことだと何の疑いもなく、真っ白な封筒を開封する。 
しかし、便箋を取り出した体勢のまま、ニアは凍りついた。 
自らの手の中の手紙と便箋を交互に見て、ややあってから文面に目を落とす。 
その真っ白な手紙には、便箋の一文以外には何も書かれていなかった。その一文も、放課後に指定の場所へ来るようにとだけ書かれたもので、全てが典型的な手紙だった。 
入学してから、ニアは校長の娘だという事を隠していたが、教師の無言の贔屓もあり長くは続かなかった。 
新聞部の月一発行シュレディンガー新聞・彼女にしたい子ランキングのトップに君臨し続けるニアに告白する男共は同クラスのシモンがニアを射止めるまで毎日毎日絶えなかったし、それどころかシモンと付き合っていてなお、あわよくば振り向いてくれるんじゃないかと淡く儚い希望を抱いた者が友達から一歩進んでお付き合いしてみませんかと仄めかしたりするのもいる。それもあってか一部の生徒からはあまり良い目では見られなかったりもした。所謂嫉妬の目である。 
その上から、校長であるロージェノムが無言の圧力を生徒達に振掛けるのであまり大事にはしたくないのだ。 
第二次登校ラッシュの始まりの合図である靴箱に屯する生徒は速やかに教室へ入るよう告げるシベラの校内放送を耳にして、手紙を鞄に押し込んだ。 
このお手紙を出すにあたって、すごく勇気が要ったと思うから、わたしもちゃんと答えないといけない。 
――手紙に指定されていた場所は体育館裏だった。 
 
 
   11:45  【不良Kと優等生Eの逃避】 
 
まずはヌメリブドウカバを怒らせないように校舎へ誘導する。そこで初めてヌメリブドウカバにストレスを溜めさせ、怒らせる。その時分泌された体液には鉄をも溶かす酸のようなものが含まれており、採取して一定の時間内であればどんなに厳重にロックされた牢だって腐蝕させ開けることが可能だ。悪知恵だけは働くキタンは廃棄されていたビーカー(割れていたが、リーロン先生に見てもらったら使えるまでに修復してくれた)に溜めた体液で、屋上へ繋がる扉に施錠されていた鍵諸々を破壊した。 
こうして屋上は絶好のサボり場所となった。フェンスの前で大げさに両腕を広げ、キタンは青空を仰いだ。 
「今日からここが俺達のアジトだ!なーんてな。いい眺めだろ」 
奪い取った自由と景色は、いつも以上に清々しい。ここは常時施錠されていたから、屋上への階段に近寄る者は殆どいない。後ろを尾行されてない限り、ここもばれないだろう。そもそも授業中にうろついている訳だから人目に付くことはないのだ。もしばれたとしても、この扉はノブごと溶かしたので修理にも時間がかかるし、その間はいつだってサボり可能だ。万一があっても最初から扉はぶっ壊れてたと言い訳すればいい。 
「カミナの野郎、驚くだろうな」 
「ほんと、シモンにも見せてあげたいくらい良い眺めね」 
サボりをいいことに、腰部分を巻き上げて限界まで短くしたスカートをはためかせてヨーコは髪を掻きあげた。お偉いさんがいる前では規則通りの長さをキープしたスカート丈でいるが、そいつらの目が届かない場所なら話は別だ。授業は体調不良を理由に抜け出した。授業を抜け出してまでここに来ることには何のメリットも無いが、シモン、そしてカミナのいない一日というのはあまりにも珍しく、ちょっと静かな時間を満喫したい気分だったのだ。怪しい工作活動をしていたキタンを発見してしまったが。 
「眺めっつか…その、眺めがふ」 
キタンの視線が下肢に注がれたのを感じて、顔面に焼きそばパンを投げつけることで黙らせヨーコは少々早い昼食のコロッケパンを頬張った。 
「それにしてもシモンが病気なんて珍しいこともあるのね。今日は天変地異でも起きちゃうんじゃない?…カミナまで休むのはちょっとアレだけど」 
「ああん?俺だって大事な妹達が体調不良なら休みたいくらいだぜ」 
「二人ともサボる口実を作りたいだけでしょ。あたしだってあんたたちの頭の悪さが移ったのかしら、頭が痛いわ」 
「保健室行きゃいいじゃねえか。リーロンにでも見てもらえよ…って、ありゃ理事長じゃねえか」 
いかにも怪しい風貌の、やはり怪しくこそこそと体育館に消えていく姿を目で追いながら、ヨーコは興味なさそうにパンに噛り付く。二つ目だ。 
「理事長の姿見れたら一日幸せだってね。よかったじゃない」 
「なんだそりゃ」 
「四葉と一緒よ。あんたはラッキーってこと。」 
「理事長見つけたって嬉かねえよ。もっとレアなもんが良いに決まってるだろうが」 
「そうね、レアっていうなら…体育館に入っていくところとか?今までグラウンドの真ん中で寝てるところしか見たことないもの」 
「気持ち悪ィな…。しかしなんたって体育館に?更衣室の盗撮か?」 
「もっと気持ち悪いじゃないのそれ。どうなの、何か持ってた?」 
首を振る。元々形容しがたい姿である理事長に、持ち物の有無など関係するだろうか。 
「何もなければ良いけど、あったらあったで弱み握ってるわけだし、いっか」 
ヨーコがうんと背伸びをする。冷たい秋の風が赤い髪を靡かせ、スカートも捲れ上がり――見えた。 
見るつもりではなかったが、視界に入ったのだから仕方がない。スカートの短さと、風が吹いたのと、理事長を見たのと、屋上に居たのだ。確かに今日はラッキーらしい。この瞬間、カミナを超えた。それが見えなくなっても、スカートから目が離れなかったほどの歓喜に打ち震えたキタンの顔面を襲ったのは、ヨーコの容赦ない回し蹴りだった。床に沈みながら走馬灯のように頭をよぎっていくあれは、あの雲のように真っ白だった。 
 
 
   16:30 【不審者Xと少女Nの邂逅】 
 
放課後、体育館裏で待つ。 
授業を終え、ニアは真っ直ぐここにきた。教室からは死角になっており、誰にも気づかれないだろうから差出人はここを選んだのだろう。 
「どなたか、いらっしゃいませんか?」 
聞くまでも無く、男がそこにいた。崩れた木箱の山にゆったりと腰掛け、陰が掛かって顔が見えない。こんな格好の用務員さんはこの学園にいただろうかと記憶を巡らせ、当てはまる人がいないと結論付ける。 
「おっと、君はどうしてここに?」 
急に声を掛けられたことに驚いたのか、男はややオーバーに反応してみせる。 
「ええと、貴方がこのお手紙の差出人さん?」 
ここが噂に聞く『不良の溜まり場』なのだろうかとニアが首を傾げながら、彼自身を少しも怪しむ素振りを見せず、ただただ単純に聞いた。 
「いいや、その差出人さんとやらは大事な用事で来れないみたいでな。それより…早く帰ってあいつのところに行ってやりな」 
「シモンを知っているのですか?」 
「ただの知り合いさ」 
男はニアの真っ直ぐな視線を受け止めて、事も無げに笑う。ニアは男の言葉を真っ直ぐに受け止めて、待ち人を案じるように手紙の文面に目を落とした。 
「……でも、いいのでしょうか、勝手に帰ってしまっても」 
心を決めかねていると、男は音もなくニアの側に寄りニアの頭をそっと撫でた。不思議と嫌な感じのしない手を感じながら男を見上げると、どこか違う世界を見るように視線を彷徨わせていた。 
「構いやしないさ。…じきにここも無くなる」 
「? どういう…」 
最後にぽんと軽く頭を撫で、ニアの手から手紙を奪い取り、幾重にも折りたたみポケットに突っ込ませる。 
「危ないから、早く帰ったほうがいいぞ」 
「…一つ、教えていただけませんか?…貴方は、どなた?」 
 
 
   17:25 【校長Rと新聞部Sと生徒Vの始動】 
 
一見質素だがよく見ると豪華な玉座のような椅子にどっかりと腰掛けたロージェノム校長が、レポートそっちのけで鉛筆をゴリゴリしていた少年に下がるよう命じた。 
彼――すしお少年は訳アリで保健室登校だったが、特別に校長室に置いて貰っているというところだ。彼が校長に頼み込んだから校長室登校が通ったのか、校長が気まぐれで彼を拾ったのかどうかは定かではないが、どちらにしろこれは少年にとっては幸せだということに変わりはない。 
その校長への崇拝っぷりはあのヴィラルよりも(ベクトルは違えど)強く、暇があれば小脇に抱えたスケッチブックと学ランの内側に隠し持つ4Bの鉛筆で校長の姿を描くほどだ。いわばどちらがより校長を愛しているか、という点でヴィラルと争っているわけだ。顔を合わせればヴィラルは威嚇するわすしお少年はスケブに微妙な似顔絵を描くわの方向性正反対な戦いを繰り返す。比較的無害な部類に入る争いだが、面倒なので二人を会わせてはならない――それが教師達の暗黙の了解だった。すしお少年を下がらせたのは報告書を提出しにくるヴィラルがこの校長室を訪れるからだ。 
(勿論すしお少年はそれを知った上で「ヴィラルざまぁ」とほくそ笑みながらここにいた)秒針がゼロを指した瞬間、ノックの後、扉が開けられた。やっぱりヴィラルである。 
「失礼します。今日はやっかいなことが起きたようです」 
いつもならば平静を装うヴィラルも、今日はやけに興奮していた。いつもならば紙一枚で済む報告書は、今日はやけに厚みがある。 
「言え」 
「はっ。今朝、ニア様の靴箱に手紙が入っていた模様」 
「ほう?」 
「手紙の内容は確認できませんでしたが、今し方体育館の方にニア様が向かうところを目撃したとタレコミが入りました。が、同時に体育館にアンスパ理事長が入るのを目撃した生徒が数名」 
それを聞き届けると、ロージェノムは瞑想するが如く深く目を閉じてから重い腰を上げた。 
「…わしが出よう。ヴィラルよ、お前は指示を待て」 
まるで軍隊のように足をそろえて答えるヴィラルには興味が無いと言ったように、こっそり覗き見していたすしお少年はあくびを漏らし、スケブを小脇に抱えた。 
 
 
   17:30 【少年Vと保険委員Xの接触】 
 
ヴィラルは部活を終える生徒たちをぼんやりと眺めていた。 
木枯らしの吹く校内を何周も走り続けていた陸上部を見て、無意識の内に唇をなぞっていた自分の指の腹に乾きを感じた。 そろそろ荒れてくる時期だとは思っていたが、然して気にすることもなく舐めておけば何とかなると毎年乗り越えてきたし、それで何の不自由もなかった。 
視線を横にスライドさせれば一つのベンチが見える。騒がしい場所に置かれるより静かな場所に置くほうが確かに好まれるであろうが、静かを通り越して寂しい、校舎と体育館に囲まれた中庭に置かれたベンチは、すっかり寂れて枯葉を乗せてしまっている。あのベンチに腰掛けて見えるものといえば体育館と木々くらいだ。 
あれには忌々しい話がある。 
樹齢千年、学園創設の際からずっとそこに聳え生徒達の成長を見守ってきた樹・テッペリンの下で告白したカップルは結ばれる。だが先日、その伝説の樹は木材とあのベンチに姿を変えた。どこかの馬鹿が飛び蹴りをかましたせいで、その巨木は倒れたのである。 
なんでも、千年立っていられたことが不思議なくらいの巨大な空間が丁度樹の真下にあったらしく、強い衝撃を与えられたことで耐えられず、と言うことだと聞く。縁起が悪いので全部燃やして灰にしてしまえとアンスパ理事長は言ったが、資源は大切にすべきだとロシウ率いる生徒会の連中がああやってベンチにしたらしい。 
どちらかといえば灰にして欲しかったが、最高権力ともいえる生徒会には逆らえない。校長の側で働けるというこの役目を奪い取ったのも全て普段の素行と努力のお蔭だ。下手なことをして減点を食らったら困る。どこかの不良が叩き割ってくれないかと密かに願うばかりだ。 
踵を返さんと体を反転させ―― 
「痛ぇ!」 
派手にすっ転んだ。 
床のぬめりに足を滑らせ、自分でも信じられない情けない声を上げる。いつもなら受身の一つや二つは軽く取れたものの、考え事をし過ぎたせいで腰を強打した。 
廊下になぜぬめりが、とよく液体を観察する。ぬるぬるした液体が移動した跡は一直線に外へ向かっている。これはアレの涎だと判断した。校内への家畜、特にヌメリブドウカバの連れ込みは禁止だとシベラに何度も放送させたはずだ。 
誰にも見られなかったことに安堵したが、涎が制服や腕の包帯に染み込んで実に心地が悪い。きっと保健室はまだ開いているだろうから、こっそり包帯を拝借しよう。それとひとつの矛盾した感情を抱いてヴィラルは保健室へと向かった。 
 
 
   17:33 
 
部活動を終えた生徒達は既に下校し、人影も疎らな廊下を早足で渡りながらシャツの袖を捲くり包帯を解いていく。学ランを肩に掛け、そのまま立て付けの悪い保健室の扉を開く。 
しんとした特有の匂いが鼻腔を擽り、世界が切り離されたように隔絶された空間には保険委員の少女が一人パイプ椅子に腰掛けて読書に耽っていた。ヴィラルの姿に気づいて本を閉じると、ヴィラルが口を開くより手の中の汚れた包帯を見て把握したように棚から包帯が入った救急箱を取り出す。 
「すまないな。頼む」 
一人で腕に包帯を巻くのは至難の技だが、他人にやって貰えば簡単である。 
ぱちん。 
彼女が居なければ少々寂しいのだが、いたらいたで気まずいのだ。 
ぱきん。 
放課後、二人っきりの保健室。閉じられたカーテンが部屋を薄暗く、より冷たい場所へと変えていた。これは医療行為のようなものだと言い聞かせてはいるが、思いを寄せている相手に直接触れられ、会話以上に近い距離で手当てをされて意識しないはずがない。果たして彼女の方は異性の肌に触れることについて意識しているのだろうか。丁寧な仕草で巻かれる包帯に乱れはなく、恐らく、意識しているのは自分だけだと思い益々緊張し、酷いループに陥る。 
パイプ椅子の軋む音がやけに耳に響き、健康で優良な男児であれば変な気を起こしても仕方が無い、とまで脳内に浮かぶほどだった。平静を装いながら暗記した校則と素数を必死に並べる。 
しかし包帯を巻き終えた彼女が立ち上がろうとするのに、思わず手を伸ばしてしまった。 
ぱちん。 
彼女は自らに伸ばされた手を見て、疑問符を浮かべ一度、二度と瞬いて、パイプ椅子に再び腰を下ろす。 
ヴィラルは一人で赤くなったり青くなったりしながら、僅かに腰を浮かせたまま引っ込みがつかないその手をそのまま彼女の肩に置くと、今までは喉で塞き止めていた、迷信など女々しいものに囚われて先延ばしにしていた言葉を吐き出す。 
「俺はお前が好きだ」 
肩に手を置いてしまっては逃げることすらできない、脅迫のような状態ではないか。胸の前で祈るように重ねられた手に、内心舌打ちやら後悔やらしながら、それでも一欠の希望に無様に縋る。 
彼女からは拒否という感情が一遍足りと無かった。ふわりと微笑みゆっくり頷いて、頬を染めて潤んだ瞳がこちらを見つめる。 
その瞬間手のひらに伝わる彼女の体温がそのまま移ったかのように、自分の顔が紅潮したのがわかった。 
ニアを陰ながら守り、伺い、一挙一動を校長に伝え続けてきた。裏表のないニアのころころと変わる表情の中にも、様々な感情が渦巻いていた。如何なる感情の機微も見逃さないようにしてきたつもりだ。 
だから目の前の柔らかな唇を奪った。 
彼女の体が強張るのを感じたが、幾度も角度を変えて唇を重ねるうち、段々と和らいでいった。目を閉じ、与えられる情報に身を任せていた。触れ合わせただけの唇を静かに離し、それ以上は求めなかった。 
「…ありがとう」 
彼女は半ばぼんやりしていたようだが、徐に胸のポケットから取り出した何かを、同じくヴィラルのシャツの胸ポケットに差し入れ、そして輪郭がぼやけた。 
「な、な、何…を、何を」 
唇を走った温かな感触が、何をされたかを物語った。 
混乱する思考の向こうで、彼女は舌を出して笑う。どうしようもなく嬉しいのか愛しいのか分からずに彼女を思い切り抱き締めた。決して照れた自分を恥じたからでなく、どうしてもそうしたくなったのだ。やっぱり自分は女々しいのだと思った。 
彼女の流れる金の髪からはいい匂いがして、今更自分が彼女を手に入れてしまってよかったものかと恐ろしくなったくらいだ。 
ばきん! 
何かが弾けた音に、腕の中の彼女がびくりと肩を震わせる。羞恥や驚愕に弾かれたようにヴィラルの腕をすり抜けて、その音の発生源にカーテンを開け、辺りを見渡す。 
外は赤く、白かった。口元に手をやり、ふらふらと後ずさる彼女の体を支えた。縋るようにヴィラルの袖を握る。彼女に頼られているという甘い感情に酔っている場合ではなかった。窓の外、これは夕焼けのせいではない色だ。 
二人は見た。体育館を侵食する炎を。 
 
 
   17:40 【生徒会長Rと化学教師Rの対話】 
 
「あの地下の巨大な空間は体育館の辺りまで続いてるそうで、あまり激しい振動を与えると崩落する可能性があると大学から調べが出ました。建物自体古いですし、取り壊して新たに体育館を建てるべきかと」 
「施錠されたドア蹴破って突入するくらいだし、懸命だね。取り壊すにはあの馬鹿どもを利用したら手っ取り早いんじゃないの?」 
「すみません…彼らのことは何とかしたいと思ってはいるのですが」 
ロシウはその馬鹿達の姿を脳裏に描いた。学校には来てるようだが、授業には全く出てこないくせに休み時間や部活では大はしゃぎのカミナ達のことだ。 
「ほら、こないだ機械油と虫眼鏡で目玉焼き焼こうとして小火騒ぎ起こした馬鹿がいたろ?グレンカミナとか言いながら腕の包帯にアルコール引火させた大馬鹿もいたね。理科室にゃ勝手に入るなとあれほど言ったのに」 
職員室へ向かう途中に鉢合わせたレイテの話を聞きながら、ロシウは眉間にまた一つ皺を増やす。 
「その件ですが、最近何か道具が減ったとかはないですか?」 
「悪い、ビーカー割らかしたんだわ。一応連絡しといたけど」 
「珍しいですね、先生がそんなミスを…。何かあったんですか?」 
「コーヒー淹れようと思ってね」 
レイテ先生、貴方もですか。貴方も本当は馬鹿なんじゃないですかとロシウは心の奥底でひっそりと呟いた。 
「…それは結構ですが、気をつけてくださいね。薬品が付着してたら危険ですから」 
「肝に銘じとく。で、体育館は…ん?……見な、ロシウ。もしかしたら朗報だよ」 
「はい?」 
「こりゃ取り壊す必要が無くなったみたいだね」 
あの辺りには火の気はまったく無い。体育館が燃えているなど俄かに信じがたいが、この目で見ているから信じるしかないだろう。慌てふためくロシウそっちのけで白衣のポケットからたばこを取り出し、咥えるに留めた。 
 
 
   17:42 【不良Kと書記Gの口論】 
 
ここ最近冷え込んできていると言うのに、女生徒のスカート丈だけは夏も冬も変わらないものだと呆れるしかありません。 
校則で定められた丈をオーバーするかしないかのギリギリのラインを維持する女生徒に、まだ一年でありながら生徒会長の座についたロシウがまた胃を痛めるのではないかと酷く同情します。そう思いませんか、ギンブレーさん? 
放課後になれば、カーディガンの裾から少しだけ覗く程度にまで上げられたスカート。 
それで一体どこに繰り出そうというのか。というか、そんなに短いスカートで階段を上らないで貰いたいのです。あんなに短くしているのに裾を手で押さえたり、ちらちらと後ろを気にして、 
ただ後ろを歩いているだけなのに変態呼ばわりはあんまりです。見てもないのに変態と呼ばれるのならば、見ておけばよかったのだと後悔しました。男なら見たくなるものですよね、ギンブレーさん? 
短いのが悪いと思います。見られるのが嫌なら、短くするなと言いたいです。といいますか、欲情する変態が現れたら大変だと思うのです。妹たちに変な虫が付いたらかなわないから早々に取り締まるべきです。何か異論はありますか、ギンブレーさん? 
そういった内容を原稿用紙に熱く走らせ、熱意たっぷりに読み上げたら、ギンブレーに汚い物を見るような目、或いは何か憐れむような目で切り捨てられた。 
「これのどこが反省文なんですか?」 
「反省する必要がどこにあるんだ? 
俺はな、見えるか見えないかどっちか選べと言われて、平和の為に見えない方に妥協しようと言ってんだ。それともお前ら生徒会は、パンチラは許容すべきと思ってんのか?だったらそれは見られても罪にならないと――」 
「ああもう結構です。貴方に妹さんがいらっしゃるのは承知ですが、反省すべき部分がずれているでしょう。どうして貴方は屋上で寝ていたのですか」 
「だから言ってるだろ!寝てたんじゃねえ、気絶してたってよ」 
「ギンブレー!」 
勢いよく開けられる扉の音と、その声にキタンはまたややこしくなるだろうと半ば観念するも、普段からは想像できない生徒会長ロシウの表情に、二の句が継げなかった。 
 
 
   18:00 【理事長Aと校長Rの対決】 
 
「――久しぶりだな、ロージェノム」 
二人の男が対峙する。歴史を感じさせる木造の体育館は、燃え盛る炎によって今にも崩れ落ちそうである。 
「見ろ。全てを無と還す炎を」 
「ニアはどうした」 
「ここがお前の墓となるのだ」 
「ニアはどうした」 
「いい加減子離れをしろ」 
「余計なお世話だ。お前も可愛い娘を持てば解るだろう。ニアはどうした」 
「知らんとだけ言っておこう」 
「シモン?あのガキか。あれなら病気という名目で今日は休んでいると聞かなかったか?」 
「何ィ?」 
改竄したのかとの問いに、無言で肯定する。 
「あれの家にカミナという不良生徒を送り込んだ。二人そろってサボりなら、さぞかし静かな一日だったろうな」 
「…肝心な時に役にたたん奴め。やはりあの小僧にニアはやれんな」 
「今日の帰り、その小僧の家に寄るつもりだったらしいが?」 
アンスパの顔の横を、凄まじいスピードで何かが通り抜けていく。壁に当たって跳ねるまで、それがバレーボールだとは気づけないほどの速さだ。 
「何年振りだ。また決着を付けるときが来ようとは」 
「前回のジャンケンは危うかったが、お前は私に勝てない」 
「この儂を恐れるか。いつまでも過去の栄光に捕らわれているのはお前だ」 
ロージェノムが用具入れを素手でぶち抜くと、バスケットボールにゴルフボール、縄跳び、バトン、ありとあらゆる道具が散乱する。 
「それは否!断じて否否否否否否否否否否否否ァ!」 
転がってきたバレーボールを投げてくるアンスパを尻目に、ロージェノムは考えていた。どうしたら勝てるか。力か、速さか、技術か、頭脳か。生まれてから持つ才能か。三角コーンでフラフープを射抜きながら相手の動向を探る。何枚も重ね、イレギュラーな放物線を描くフリスビーを打ち落とし、そのまま落下するのを投げ返す。 
彼らのやるドッジボールと呼ばれるそのスポーツは常軌を逸していた。予測不能な放物線を描くラグビーボール、速さを重視したフリスビー、跳ね回り妨害をするピンポン球、絡みつくバレーのネット、球、つまり武器となるものは体育館にあるもの全て、そしてフィールドはこの体育館。 
――とにかく相手に一発当てれば勝ち、という基本的なルールは変わらない競技である。端的に言って子供が駄々をこねて手当たり次第の物を相手にぶつけるのと同じレベルでもある。 
いい年したおっさん二人が何故このような行為に及んでいるか。それは学園創立時代からの因縁、元はこの学園を手にする者の座の奪い合いであったが、今となっては理由など要らなかった。 
「ふははははははは!」 
怒髪天を突くというか毛は毛頭ないとか、頭に火が上るというか頭が燃えているとか、超常現象を引き起こし高揚したロージェノムの高笑いを響かせた体育館は、 
突如巨大な穴に飲み込まれた。 
「おーい、生きてるかロージェノム。まだ死なれちゃ困るぜー」 
 
 
   18:20 
 
落下中に空耳が聞こえた気がしたが、多分気のせいだ。瓦礫の上に大の字になり、円形に切り取られた夜空を見上げている。もう夜が早い季節かと思い出したが、そんなことはどうでもよかった。 
「今回は私の勝ちだ」 
どうやらアンスパもそこに伏しているようで、声が反響して気味が悪い。 
「その台詞は何度目だ。今度は貴様の負けだ」 
「一つ教えてやろう。既に情報が耳に入っているだろうが、ニアへの手紙は私が出したものだ」 
「何ィ?このロリコンめ。ただではおかんぞ」 
「子供に興味はない。…恋人との時間を邪魔される、それが忌わしきアベック達への絶望だ」 
「成る程。ならばこの勝負、貴様に譲ってやらんでもない」 
「そうか。戦歴に一勝を追加しよう」 
「勘違いするなよアンスパ。やらんでもない、だ」 
「ならば再戦といこうではないか。私があの二人を応援することも、貴様にとっての絶対的絶望だ」 
「…やはり土の中に帰れィ!」 
結局この戦いは、捜索隊に発見されるまで続いた。 
 
 
   After 【翌日の彼ら】 
 
朝から学園を賑わせていたあの騒ぎも一段落つき、穴の周りは黄色いテープでと柵で囲われている…筈だった。 
「だからな、何であんなでっけェ穴が開いてんだって聞いてんだ!」 
頭から血を流しながら中腰で生徒会長に詰め寄る男にコットンやガーゼを宛がい、苺の香りがする保険委員の少女は治療に専念する。 
「でーすーかーらー、斯く斯く云々。新聞読んでください、ほら」 
「んなもん読めるか!このデデデデコスケッ」 
流れ作業のように渡された新聞を丸めて窓から暴投する、もう昼だというのにようやく登校してきたカミナ。 
「ああっ額でスクラッチしないで下さい!穴があると解っていながら、どうして落っこちるんですか!」 
昨日と今日の処理でてんてこまいなロシウは、騒ぎを更に騒がしくする男の到来に眉間に皺を刻んだ。 
「ようやくお目覚めかサボり男」 
屋上の件はどさくさで有耶無耶になったキタンは、学園一の不良生徒に絡まれる生徒会長に同情を禁じえない。 
「あんたが言う?」 
スカート丈を伸ばしたヨーコは自分のことを棚に上げたヒヨコ頭に手刀を食らわせる。 
「カミナ!今日という今日こそ決着をつけさせてもらうぞ!」 
カミナがいると聞き威勢良く飛び出してきたヴィラルは、カミナの頭に包帯を巻く彼女の存在に一瞬怯んだ。 
「出たなケダモノ野郎!俺ぁこの目で見せてもらった!このネエちゃんに口紅塗ってもらうたぁいい趣味してんな!」 
ヴィラルから漂った苺の香りにカミナあんたリップクリームも知らないの?とヨーコは冷たい視線を送る。くすくすと笑う保険委員の少女と、一連のやり取りに真っ赤になるヴィラルを更に囃し立てるカミナが振り回した木刀が、警報ベルに当たって校舎中に騒音を鳴り響かせるのも、そのまま通りすがりのレイテが彼らを外に追い出すのも、校庭で日光浴しているアンスパが気味悪がられるのも、この天元突破学園では日常茶飯事なのである。 
そして。 
 
 
 【シュレディンガー新聞11月号・号外 
 …燃え盛る体育館内ではロージェノム校長とアンスパ理事長がスポーツをしていたらしく、原因究明中。校長、理事長共に奇跡的に無傷。出火の原因は未だ解っておらず、学園に恨みを持つ者の犯行との見方も出ている。 
 …テッペリンが倒れた際に発見された巨大な穴。超地研(超銀河大地下研究会)の発表によると、この穴は人工的に掘られたもので、まだ新しいものだと判明。 
 …同時刻、付近で不審な男が目撃された。マント姿に柄の長いドリルを持った男で、男の行方を追うと共にこの地下の穴との関連を未だ調査中……】 
 
校舎の騒がしさもこの中庭では遠い場所の出来事のようで、枯葉の擦れあう音にかき消される程だ。二人は一つのベンチに腰掛け遅い昼食を取っていた。ニアの膝の上には可愛らしい布に包まれた弁当箱が一つ、シモンの隣には空箱が一つと手に一つ。どこかから転がってきた紙の球もとい、膝上の広げたくしゃくしゃの新聞を眺めながらシモンは二箱目の弁当を胃袋に収めていった。 
「俺が休まされた間に凄いことがあったんだね…」 
頬についたご飯粒を横から摘みながら、ニアが神妙な顔で話し始めた。 
「シモン。貴方に会わせたい人がいます」 
口に運ぼうとした卵焼きがぽろりと落下した。とうとうお義父さんと真っ向から対決する時が来たのか、いや、それともニアにまさかそんなとシモンの脳裏に様々なイメージが駆け巡る。風が膝の新聞を奪っていくと、ニアは小鳥のように首を傾げにっこりと微笑んだ。 
「名前も知らないのだけれど、わたしの恩人です。今日はいらっしゃらないようですけど、いつかきっとお弁当を食べに来てくれます。…とても、シモンに似た人だから」 
折り目だらけの便箋には『放課後、体育館裏で待つ』の文字の下、 
『いつか美味い手料理を食わせてくれ』の文字が浮かび上がっていた。 
 
-終- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   【不審者――名も無き男Xの旅路】 
 
「これにて一件落着、だな」 
「ブー、ブィ?」 
「いいんだ。手料理はちゃんと食ってるよ」 
「ブ、ブゥ」 
「…ああ。ここは少し懐かしい空気がする世界だった。悪くない所だったな」 
「ブゥ、ブ…あれ?シモン、落ち着いて!螺旋力が漏れてます!」 
「おっといけねぇ。やっぱり気を抜くとなんか出ちまうなぁ」 
「…本当に大丈夫ですか?この世界に影響が出る前に」 
「そうだな。行くぞブータ、しっかり掴まってろよ――」 
陥没した体育館跡である深い穴にドリルの杖を向ける。すると魔法のようにこんこんと眩い緑の光が溢れ出し闇を照らす。そして、ゆっくりとその光の中へ飛び込んだ。 
それきり男はこの世界から姿を消した。 
 

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