その日は、いつもと同じように訪れた。  
 
自室に戻るように命ぜられ、王の間を後にする。  
何故、いつもより早く退室せねばならないのか。  
疑問が浮かんだけれど、口には出さなかった。  
 
『なにか疑問に思うことがあっても、知りたいことがあっても、決して螺旋王に問うてはいけません。  
 あなたの思慮深さや好奇心を、螺旋王にひけらかす様な言動は慎むように。  
王の命令には決して背いてはなりません。  
よいですね。』  
 
チミルフとの、最初で最後の約束。  
いつも寡黙なチミルフが、そう言って私の肩をぎゅっと握り締めたとき、どうして、と問うよりも先に、頷いていた。  
何故かは分からないけれど、彼が自分のことを思ってそう進言してくれているのだと、その真剣な眼を見たとき、理解したから。  
 
ときに瞳は、言葉よりも、態度よりも雄弁になにかを語る。  
 
頷いた私に安堵したように微笑んで、テッペリンを後にした彼は、そのまま、帰らぬ人となった。  
 
自室へと歩を進める途中、大きな地響きがして、廊下が揺れる。  
こんなことは初めてだ。  
引き返して、何が起こっているのかお父様に尋ねたい。  
何が起きているのか知りたい。  
しかし、それは許されないことであり、死者との約束を反故にすることに繋がる。  
ぐっとこらえて歩みを進めた。  
 
太陽が沈み、夜が訪れる。  
地響きは激しさを増すばかりだ。  
不安は膨らむ。  
落ち着かない。  
部屋の扉の前で、もう何時間も逡巡している。  
いつもなら、もうとっくに床に就いている時間だ。  
それなのに、足が、体が、心が、扉の前から動こうとしない。  
殊更大きな地響きが、王宮全体に鳴り響いた。  
チミルフの低い声が。  
優しさと、思いやりに満ちた声が。  
真剣な眼が、フラッシュバックする。  
 
ごめんなさい。  
 
ドアノブを回し、部屋を飛び出した。  
廊下を一心不乱に駆け抜け、玉座のある王の間へと向かう。  
お父様も、いつもならこんな時間まで王の間にはいない。  
寝室で休んでいるはずだ。  
だれもいない王の間は、明かりを落としているだろう。  
その暗闇をみて、安心したい。  
長い廊下をひたすら駆ける。  
 
ふと、続いているはずの回廊が途切れた。  
いつもは荘厳な扉があるはずのそこが、瓦礫の山と化している。  
何が起きたのか、瞬時に判断がつかない。  
お父様、どこにいらっしゃるのですか?  
瓦礫をよじ登り、辺りを見渡す。  
断崖に、見慣れた姿をみつけ、ほっと息をつく。  
近づこうと駆け寄って、その姿が、いつもとは違うことに気づいた。  
 
長い白刃。  
月明かりに照らされたそれが、お父様の体を貫いている。  
 
対面でそれを握るのは、自分と同じ、角も牙も尻尾も鱗もない。  
わたしと、同じ―――  
 
あまりの光景に、足は竦み、声は出てこない。  
「なるほど…この儂よりも螺旋力が勝っていたということか」  
声は、いつものお父様なのに。  
「ひとつだけ教えてやろう」  
威厳に満ちたその声は、なにも損なわれてなどいないのに。  
「百万匹の猿がこの地に満ちたとき、月は、地獄の死者となりて螺旋の星を滅ぼす」  
不敵な笑みを浮かべ、そのまま後ろに倒れこむ。  
 
「お父様!!」  
震えも怯えも、一瞬忘れた。  
ただ、駆け寄らずにはいられなかった。  
 
暗闇に、お父様が飲み込まれていく。  
断崖から身を乗り出し、呆然とその暗闇を見つめていると、隣に誰かが近づく気配がした。  
この場にいるのは、わたしのほかにはもう一人しかいない。  
闇から顔をあげ、立ち上がり、瞳をみつめた。  
雲が晴れて、満月が覗く。  
その光は闇夜に慣れた目には十分の明るさだった。  
どんな姿をしているのかがよくわかる。  
やっぱり、わたしと同じだった。  
尻尾もないし、牙とか鱗もない。それに、  
「肌も柔らかい…」  
伸ばした手を振り払うでもなく、驚いたようにわたしを見つめるそのまなざし。  
 
久方ぶりに、湧き上がった疑問をそのまま言葉にした。  
 
「あなたは、どなた?」  
 
地面がうなり、足元が崩壊を始めた。  
 
〜〜〜〜〜  
激しい吐き気に襲われると同時に、視界が反転する。  
エネルギーが逆噴射し、ラガンの舵が取れない。  
激しい振動が、体を揺らした。  
 
落ちていく。  
 
墜落の衝撃からラガンのハッチが開き、コックピットから投げ出される。  
鈍い痛みが全身に走った。  
谷底に落下したらしい。  
コアドリルを回すと、ラガンは何とか反応して、ガショガショと坂を上っていった。  
このところ止まない雨のせいで、地面はぬかるみ、ラガンの歩みは鈍い。  
しばらく進むと、開けた谷底にたどり着く。  
そこには、無数の大きな箱が置いてあった。  
 
「…?なんだこれ」  
箱には、ちょうどコアドリルに合いそうな穴が空いている。  
なんとなくはめ込んで、回してみた。  
鈍い音がして、箱の蓋が開く。  
ひどい臭いに顔を顰めながら、箱の中を覗いた。  
 
箱の中身は、腐敗した死体だった。  
 
「うわああああああ!!!」  
叫び、後ずさり、辺りを見渡す。  
箱は、一面に点在している。  
あれも、これも、その中も、全部―――!!  
恐怖のあまり駆け出して、ラガンにコアドリルを捻じ込んだ。  
動かない。  
何度回しても、何の反応もしなかった。  
箱は、無数に広がっている。  
こんなところ、一刻も早く抜け出したかった。  
それなのに、ラガンはピクリとも動かない。  
 
ここでこの無数の死体と共に、腐っていけというのか?  
俺には、それがお似合いだって?  
なんで、言うことを聞いてくれないんだよっ!ラガン!!  
 
「―――もういいっ!!!」  
 
ラガンに一発蹴りを入れて、走り出した。  
とにかく、ここにいたくなかった。  
 
お前が俺を見捨てるのなら、俺だってお前なんかいらない!  
ラガンなんか、捨ててやる!!  
 
ラガンを置き去りにしたまま、谷底を駆け抜ける。  
走って、走って、ひたすら走った。  
昼夜といわず、歩き続けた。  
どこへ向かっているのか、どこへ行こうとしているのか、なにも分からない。  
いつの間にか、谷は脱していたようだった。  
 
谷底に落ちてから、数日が経過していた。  
もうずっと、何も口にしていない。  
腹は減っていなかったが、眩暈がした。  
足取りもおぼつかない。  
 
このまま、死ぬのかな。  
それも、いいかもしれない。  
 
甘い考えに支配されながらも、何とか手足を動かす。  
ふと顔をあげると、小高い丘の上で何かが光った。  
何故だか気になって、言うことを聞かない手足を叱咤し、やっとの思いで丘の上に辿りつく。  
近づくと、そこには抜き身の刀が一本刺さっていた。  
先ほどの光の正体は、これだったのだ。  
ここは、まさか―――  
 
ドクンと心臓が跳ね上がった。  
知らないうちに、兄貴が埋葬されたところに辿りついたというのか?  
そんな、馬鹿な。  
 
しかしそれは、確かに兄貴の刀だった。  
見間違えたりしない。  
吸い寄せられるように柄を握り、ぐっと力をこめて、その刀を抜いた。  
ギラギラと光る刀身を見たとき、萎えかけていた闘志が再び湧き上がった。  
こんなところで、死ねない。  
そうだ、俺は、兄貴の仇を討たなくちゃいけない。  
兄貴にならなくちゃいけない。  
やることがあるんだ。  
抜き身のまま帯刀し、丘を駆けた。  
ダイグレンに戻り、グレンに乗る。  
ラガンが動かせないのなら、グレンに乗る。  
どうして、あの機体に他の誰かを乗せたりしたのだろう?  
あれは、兄貴のガンメンだ。  
 
兄貴以外が乗っちゃいけないのに。  
 
〜〜〜〜〜  
獣人に差し込んだ刀を抜くと、赤い血が噴出した。  
ラガンを使わず、直接手を下すのは初めてだった。  
 
獣人の血の色も赤いんだな。  
 
返り血で、上着が赤く汚れた。  
コックピットは血まみれだったが、特に気にならなかった。  
こんなガンメン、どうせダイグレンに着くまでの移動手段に過ぎない。  
このガンメンにも、帰投ポイントまでのレーダーがついており、ダイグレンにはあっさり合流できた。  
血まみれでガンメンから降りてきた自分の姿に、メンバーが息を呑んだのが分かった。  
 
「おい、ラガンはどうした」  
「捨ててきた」  
「はぁっ!?」  
キタンの大きな声が、妙に耳につく。  
「何度コアドリルを捻じ込んでも、何の反応もしない。  
 だったらあんなの、ただのゴミだろ」  
仲間たちが戸惑い、目配せを交わす。  
「で、それがお前の新しいガンメンってことか」  
 
「違うよ」  
キタンが怪訝そうな表情で、こちらを見ている。  
「俺が乗るのは、兄貴のグレンだ」  
 
有無を言わさぬ不躾な物言いに、キタンは大いに気分を害したようだった。  
しかし、ロシウがあっさりコックピットを譲ったために、何も言い出すことが出来ない。  
あんなバカで甘ちゃんな男に、リーダーなんてまともに勤まるわけがない。  
多分、そのうち何かやらかす。  
そのとき、リーダーの座は奪えばいい。  
 
大グレン団のリーダーは、兄貴だ。  
 
リットナー村でもらった、青いジャンパーに、べっとりと赤い血が付いていた。  
錆びた鉄のようなにおいが不愉快だった。  
「リーロン、これ、汚れた。  
洗っても取れそうにないから、代わりの何か出してよ」  
差し出されたそれを悲しそうに見つめて、リーロンはいくつか上着を出してくれた。  
その中には、前のものと同じような青い上着もあった。  
 
しかし、手に取ったのはそれではなく、丈の長い真っ黒なコートだ。  
 
「これがいい」  
「あら、それでいいの?少し大きすぎない?」  
「すぐに俺が大きくなるよ。それに」  
青に染み付いた赤。  
昼間の空と同じ色の上着では、獣人の血の色が目立ちすぎる。  
「黒だと、汚れが目立たないだろ」  
 
宣言どおり、コートはいつの間にかちょうどいい大きさになっていた。  
まだ少し袖が余るけれど、それはこれから大きくなる分だと思えばいい。  
 
コートの黒は、年月と共に、染み付いた血の色で深みを増していった。  
 
〜〜〜〜〜  
螺旋王を殺してから、丸一週間が過ぎていた。  
念願の復讐を遂げたというのに、爽快とは程遠い自分の心のうちに、首をかしげる。  
これから何をやればいいのか。  
目標がなくなってからというもの、地図を持たずにひとり迷子になった小さな子供のような気持ちだった。  
対処しなければならない問題は、むしろ山積みだというのに。  
 
「まさか、螺旋王に娘がいたとはな」  
「テッペリンのお姫様ってか」  
「あの子、どうするんだ?」  
リーロンに数日かけて調べてもらった結果、どうやら彼女は螺旋王の実子で、俺たちと同じ人間であるらしいことが判明した。  
そのことが、大グレン団に波紋を投げかけている。  
「とりあえず、部屋に幽閉しておこう。これからのことは、追々考える。」  
ようやく兄貴の仇を討ったというのに、心の穴は、埋まらない。  
兄貴が死んでから、螺旋王に復讐することだけを考えて生きてきた。  
奴さえ倒せば、すべて終わる。  
そう思っていたのに、螺旋王を倒しても、心は晴れない。  
憎しみは、消えるどころか、反対に増していく。  
この怒りの源が、なにからきているのか、どこから来ているのか、自分でももうわからない。  
 
すごく、綺麗な女の子だった。  
 
雲間から覗いた月明かりで、きらきらと照らされたお姫様。  
その美しい容姿は、今も目蓋の裏に焼きついて離れない。  
伸ばされた手の、ほっそりした指の柔らかさを思い出すだけで、あのときと同じように頬が火照りそうだ。  
 
神の祝福を一身に受けたような―――  
 
金の巻き毛は蒼い影を落とし、大きな瞳はまるで宝石のようだった。  
 
美しく伸びた白い手足は、少しでも力を加えたら折れてしまいそうなほどに細い。  
大切に育てられ、守られて、苦労など何も知らないのだろう。  
 
兄貴を殺した神様は、螺旋王の娘には祝福をもたらした。  
 
突如心の中に、どす黒い憎悪の感情が湧きあがった。  
どうして、螺旋王を倒しても、兄貴の仇をとっても、心が少しも晴れないのかが分かった。  
螺旋王の娘が、生きているからだ。  
いや、彼女だけじゃない。  
兄貴を殺した、獣人。  
奴らの仲間は、テッペリンが崩壊すると散り散りになって王宮から逃げ出した。  
ちょうどテッペリンの崩壊が終わる頃に夜明けが来てしまい、眠っている間に獣人たちを捕らえることが出来なかった。  
 
アレを、根絶やしにしなければ―――  
 
なんだ、俺にはまだまだやることがあるんじゃないか。  
 
〜〜〜〜〜  
日が沈み、夜の帳が下りる。  
闇夜にまぎれて、王女の部屋のベランダまでたどり着いた。  
『王女を殺す』  
そう言ったときのメンバーの顔が忘れられない。  
信じられないというように目を見開いて、非難の色の混じった顔で、こちらを見ていた。  
 
どう見ても人間の、まだあどけない女の子。  
数多の獣人を手にかけてきた面々だというのに、その親玉の娘を殺すのに躊躇うなんて。獣人は殺せても、人間を殺すのは嫌だというのか。  
馬鹿馬鹿しい。  
それとも、あの美しい容姿に魅了されたか。  
情けない奴らめ。  
 
『とにかく、もう少し待ちましょう。  
 いつまた獣人たちが決起するか分からないのよ。  
 そのとき、切り札として利用できるかもしれないわ』  
リーロンの理性的な意見が賛同を得て、王女の処遇は保留になった。  
けれど、自分はここにいる。  
彼女を、殺すために。  
 
兄貴が死んだあの時から、耳鳴りがうるさくて、よく眠れない。  
頭痛が治まらない。  
螺旋王の娘が生きているから、俺の復讐が終わっていないから、だから俺の心は、あの日のまま、今も雨が降り続いているんだ。  
 
待てなかった。  
 
一刻も早く殺したかった。  
今すぐこの世からいなくなって欲しかった。  
 
はやく殺したいんだよ!俺は!!  
 
獣人の蜂起など、待っていられなかった。  
 
〜〜〜〜〜  
螺旋王が死んで、テッペリンは崩壊したが、すべてが粉々に砕け散ったわけではなかった。  
都の中枢は特に頑丈に作ってあったらしく、技術室や宝物庫などはそのまま残っている。  
王族の私室、つまり螺旋王の娘の部屋も、無事だった部分のひとつだ。  
 
いびつに歪んで聳え立つ王宮。  
王女の部屋の前には、見張りをつけてある。  
門から普通に入るのでは、見咎められてしまう。  
壁を蔦ってバルコニーまでのぼり、窓から侵入した。  
足元に転がる石で鍵を壊し、こじ開ける。  
壁紙や家具が女の子らしい色で統一された、パステルカラーの部屋。  
大きな天蓋付きの白い豪奢なベッドが、一番に目に付いた。  
 
「―――どなたですか?」  
 
美しい声が、薄暗い部屋に響いた。  
 
 
「螺旋王の娘か」  
「あなたは、あのときの」  
 
就寝前の間接照明のほのかな明かり。  
そんなささやかな明かりに照らされて、王女は、やはり美しかった。  
シンプルな寝巻きを身に纏い、装飾品の一切を外している。  
初めて会ったときに比べると、簡素極まりないいでたちだ。  
しかし、照らされた巻き毛はきらきらと輝き、赤い十字の虹彩を宿した瞳は、やはり、宝石のようで。  
熟れた果実のような唇が、妙に意識に引っかかる。  
 
もう一度その姿を目に入れただけで、頬が熱くなるのを感じた。  
この頬の火照りが何に由来しているのか、即座に、過去の苦い思い出が甦る。  
 
違う、これは、そんなんじゃない。  
 
兄貴が死んでから、そんな感情を誰かに抱いたことなどなかった。  
思い出したくもなかった。  
アレは、危険な感情だ。  
意志を鈍らせ、判断を遅らせ、時に、戦う気力を奪う。  
 
ダメだ、好きになるな。  
好きになっちゃダメだ。  
 
「わたしを、殺しに来たのですか」  
 
凛とした王女の声が、耳に飛び込んできた。  
驚いて顔を上げると、彼女の大きな瞳が、まっすぐ自分を見つめていた。  
「…どうして」  
「ダヤッカさんという方から、色々聞きました。  
 角も牙も鱗も尻尾もない、あなたたちはニンゲンで、わたしも同じ、ヒトだということ。  
 地上にはヒトがたくさんいて、お父様が彼らに酷い事をしていたということ。  
 獣人はガンメンという武器でニンゲンを傷つけ、地下に追いやっていたということ」  
王女の声は淡々としていた。  
 
「それでは、憎まれても仕方ありません」  
 
「ダヤッカの言葉を、信じたのか?」  
「あの方は、嘘を言っているようには思えませんでした。  
 わたしは、お父様が何をしていたのか存じません。  
 すごく小さい頃に、一度だけ尋ねたことがあったのですけど、答えていただけませんでした。  
それから、わたしはお父様に何かを尋ねたりしたことはありません」   
だから、信じたというのか。  
自分の父親を殺した一味の言葉を。  
 
華美な装飾品を一切身につけていない。  
今の彼女は、亡国の王女というよりは、同じ年頃の女の子といった感じだ。  
しかし、ピンと背筋を伸ばしたその美しい立ち姿から、彼女の非凡さがさまざまと伝わってくる。  
自分を見つめる覚悟の色を宿した瞳は澄み切っていて、自分の濁った瞳の矮小さが際立つようで、悲しかった。  
怒りと憧憬が、ない交ぜになって胸のうちで膨れ上がる。  
 
細い顎を片手で掴み、間近で睨みつけた。  
口をきゅっと結び、しかし彼女は、泣いていなかった。  
「…気丈だな」  
自分を見つめる、真摯な眼が憎たらしい。  
言葉に、立ち振る舞いに宿る、魂の高潔さが憎い。  
その存在に、自分の心は先ほどから掴まれたままだ。  
―――クソッ!  
 
「…人間が、自分たちを地下へ押しやった獣人たちを憎まないとでも思っているのか?」  
清く、正しく、揺らがない瞳を傷つけたかった。  
「獣人を殲滅させるのなんて簡単だ。人間を地上から解放するときに、いかに獣人がひどい奴らか、もうガンメンを持つことのできない獣人がいかにひ弱かを、教えてやればいいだけなんだからなっ!!!!」  
 
頬を打つ乾いた音が、部屋に響いた。  
 
「…なんて酷いことを!!」  
左頬が、ジンジンと痛む。  
「そうだ!酷いことだ!!お前の親父が、獣人たちに命じていたことと同じだ!!」  
 
細い手首を掴み、部屋を占領する馬鹿でかいベッドに押し倒す。  
スプリングがきしみ、少女の体が沈む。  
その上に馬乗りになって、刀の切っ先を、のど元に突きつけた。  
 
なんてあっけない。  
 
今自分は、彼女の目にどう映っているのだろうか。  
野蛮な簒奪者?残虐な殺人犯?  
それを思うと胸が締め付けられるように痛い。  
 
でももう知るかよ。  
 
どのみち彼女にとって、最初から俺は父親を殺した憎い男なんだ。  
彼女が俺を、好きになってくれるわけない。  
頑張って、認めてもらおうとした。  
でも、最初から最後まで、兄貴しかみてなかった。  
好きになってもらえなかった。  
一番になれなかった。  
そんな俺が、こんな出会いで、こんな綺麗な子に、好きになってもらえるはずない。  
選ばれるはず、ないんだ。  
 
白刃を受け入れる覚悟を決めた彼女。  
その瞳に、僅かに哀れみの色が浮かんだ。  
これから殺されるのはお前だというのに、なぜそんな目で俺を見る。  
 
ここで彼女を殺して、俺は満足するのだろうか。  
清らかな彼女を、清らかなまま葬って、それで、俺の復讐は本当に終わるのだろうか。  
 
―――否。  
 
螺旋王をただ殺しただけでは、心は晴れなかった、そのことを思い出す。  
そうだ、なにも殺すことだけがダメージを与えることじゃない。  
死、以上の恥辱を、与えることだって出来るはずだ。  
誰にも何にも壊せないような、高貴な雰囲気。  
これを滅茶苦茶にしたら、どれほど愉快だろう。  
 
少女は自分の下に組み敷かれている。  
呼吸に合わせて、静かに上下する美しい胸。  
 
めくれ上がったうす絹の裾から覗く、白い足。  
柔らかそうな唇は、赤く自分を誘う。  
 
のど元に突きつけた刀をそのまま襟元にずらし、ピッと切込みを入れ、ベッドサイドに投げ捨てる。  
切込みから両手で、一気に布を引き裂いた。  
 
「―――っ!!!」  
閉じた少女の瞳が大きく開かれ、そこに、隠し切れない怯えの色が浮かぶ。  
「どうし、て、何、を」  
人間の存在を、一週間前まで知らなかった彼女。  
そんな彼女が、男女の営みなど知っているわけがない。  
「どうして、服を、脱がすのですか?」  
顔は恐怖で青ざめ、声は震えている。  
「脱がす、なんて優しい動作か?これが。  
 俺は、引き裂きたいんだ。  
 お前の心も、体も、全部全部引き裂いて、無茶苦茶にしたいんだよ!!」  
「…引き裂く?引き裂くとは、どういうことですか?  
 死でも贖えない罪を、償えということですか?  
 あなたは、わたしがどうなれば満足するのですか?」  
「それを今から教えてやるって言っているんだ。少し黙れよ」  
唇を重ね、少女の口を塞いだ。  
想像以上の柔らかさに、脳が溶けそうになる。  
その柔らかな感触を、食むように味わう。  
歯列を割り、舌先を進入させたそのとき、鋭い痛みと血の味が、口の中に広がった。  
少女が、俺の舌を噛んだのだ。  
 
…ファーストキスは、血の味でした。  
 
カッとなって、親指を少女の口内に侵入させた。  
顎を固定し、もう一度唇を重ね、舌を侵入させる。  
ぬるりとした感触が重なる。少女は苦しそうに眉根を寄せた。  
唇を合わせたまま、左手を胸の膨らみに伸ばし、形のいい乳房をまさぐる。  
発展途上の少女のそれは、自分の手の中でふよふよと形を変える。  
その柔らかさに、下半身に血が集まるのを感じた。  
充分に味わった唇を解放してやる。  
息継ぎがうまく出来なかったのか、少女の呼吸は乱れている。  
親指で、美しい桜色の頂をグリグリ押さえると、少女の口から、淫らな喘ぎ声がもれた。  
手のひらで必死に体を押し返そうとするが、女の力で男に勝てるはずがない。  
愛撫にもれる小さな喘ぎ声を恥じ、必死に押し殺そうとするその様が健気で、嗜虐心が煽られる。  
唇で首筋をなぞり、赤い跡を点々と残しながら、もう片方の乳房へたどりつくと、その頂を口に含み、強く吸った。  
「ああっ」  
少女のため息に、隠しきれない快楽の色が滲んだ。  
 
彼女が感じていることを確認したくて、彼女の体に密着させた自分の腰を浮かせた。  
もうほとんど衣服としての役割を果たしていないうす絹の裾から手のひらを侵入させ、硬く閉じられた太ももに無理やりねじ込む。  
スリットを下着の上から軽くなぞり、直接そこに触れようとした瞬間、ものすごい力で抵抗された。  
 
「やだぁっ!!」  
 
足をばたつかせ、全力で体を捻る。予想外の強い力に一瞬ひるんだ隙をつかれ、組み敷いた体がするりとベッドを離れた。  
扉に飛びつき、必死でドアノブを回す。鍵は内側からは開かない。  
当たり前だ、ここは彼女の軟禁部屋なのだから。  
バカなやつ。バルコニーの窓のほうへ行けば、逃げられたのに。  
さっき俺がどこから侵入したかも忘れたらしい。  
「誰かったすけ…んむっ」  
少女の華奢な体を後ろから羽交い絞めにして、口元を左手で覆う。  
鍵のかかった扉に押し付け、立ったまま後ろから秘所をまさぐると、指にぬるりとした感触がまとわりついた。  
 
濡れている。  
 
その熱い潤みに満足し、更に弄ぼうと指を進めようとしたとき、口元に当てた手のひらに、痛みが走る。  
 
噛み付かれた。  
 
可憐な、他人を傷つけることを知らないような、暴力とは、無縁の世界の生き物のような―――  
そんな少女が、さっきから随分な仕打ちをしてくれるじゃないか。  
そんなに、この行為が恐ろしいか。  
それとも、俺が嫌いか?  
当たり前だ。  
こんな風に抱かれて、悦ぶ女などいるはずない。  
 
手のひらの痛みを無視して少女の口元を押さえたまま、秘所の蕾にもう片方の手をのばす。  
 
拒まれたことにチクリと胸は痛んだが、拒絶しようとしても彼女が自分の腕の中から逃れられないことに、言い知れぬ征服の快楽を感じた。  
獣人に対しても、ここまで残虐な気持ちになったことはない。  
 
「逃げるな。  
獣人たちがどうなってもいいのか」  
 
耳元でつぶやくと、少女の体から力が抜けた。  
下着をずり下ろし、直接触れる。  
ぬめった膣は、複雑な襞で指を迎え入れる。  
その柔らかな絞まりに、恍惚とした。  
くぐもった息が、口元の手のひらを暖める。  
一本…二本…ぐしゅぐしゅと音を立てながら、そこが指を飲み込む。  
出し入れのたびに、腕の中の少女が、びくびくと震えた。  
 
抱きかかえ、もう一度ベッドに押し倒す。  
豪勢なベッドだ。  
生まれてからずっと、彼女は毎日これを当たり前のものとして享受してきたのか。  
冷たく暗い穴倉で寝起きしていた俺たちとは、ずいぶん違うじゃないか。  
 
頑なに閉じようとする足を開き、体を割りいれ、貫いた。  
 
「いッ―――」  
 
少女の顔が、苦痛で歪む。  
痛みのあまり、蒼白の面。  
悪いな、俺は、気持ちよくておかしくなりそうだ。  
今まで味わったことのない快楽に、夢中になって腰を振る。  
豪奢なベッドがギシギシとしなる。  
押さえきれず漏れる、少女の喘ぎ声が、耳に心地よい。  
 
何度も、何度も、突き上げた。  
 
〜〜〜〜〜  
意識を手放した少女が、隣で体を丸めて眠っている。  
美しい寝顔をぼんやり見つめながら、空虚な心を持て余した。  
 
「う…ん」  
小さく唸りながら、唐突に少女が寝返りを打った。  
唸り声は、止まない。  
うなされている様だった。  
 
「お…と……さ、ま」  
 
ぽろぽろと転がり落ちる丸いしずく。  
「…お父様、どこ…?」  
行為の最中も、破瓜の瞬間でさえ、一滴の涙も流さなかった。  
そんな少女が、夢の中で父親を捜し求めて泣いていた。  
どこを探しても見つからない。  
もう二度と、会えない。  
 
永遠に迷子の、子供。  
自分と、同じ―――  
 
ベッドサイドに脱ぎ散らかしたコートを拾い、体にかけてやる。  
 
黒いコートが、少女の破瓜の血を吸った。  
 
少女の涙を見た瞬間、心を支配していた黒い憎悪は消えていた。  
残ったのは、罪悪感と、深い悔恨だけだ。  
いたいけな寝顔を見つめていると、愛しさと、やりきれない切なさがこみ上げてきた。  
 
取り返しのつかないことをしてしまった。  
 
体中を倦怠感が襲う。  
疲れた。  
眠い。  
目蓋を閉じる直前に、兄貴の刀が視界に入った。  
窓の鍵は、壊れたままだ。  
彼女が先に目覚めたら、アレで俺を刺し殺すかもしれないな。  
でも、もういい。  
 
久しぶりに襲ってきた睡魔に、抗えるはずもなかった。  
 
あの少女に殺されるなら、それはそれでいいかもしれない。  
もういい。  
殺したいなら殺せ。  
逃げたいなら逃げろ。  
憎みたいなら、憎めばいい。  
 
心地よい闇に、意識が吸い込まれていった。  
 
*****  
 
花びら舞い散る陽だまりの中、成長した彼女が俺の名前を呼び、笑いかける。  
薄桃色のドレスが、よく似合っていた。  
花嫁のヴェールをかぶり、はにかんだ笑顔で、彼女は俺にそっとささやく。  
 
「愛してるわ」  
 
甘美な言葉に、涙が溢れた。  
 
*****  
 
一体、どこで間違えた?  
どうして、こうなってしまったんだ?  
兄貴、兄貴、兄貴、  
どれだけ獣人を殺しても、復讐のために螺旋王を殺しても、俺の中の兄貴は笑わない。  
喜んでくれない。  
 
間違っていることなんてわかっている。  
死んだ人間に拘りすぎて、生きている人たちを大切にすることを怠った。  
兄貴を理由にして、憎しみに身を任せ、たくさんの命を奪い、兄貴の魂まで汚してしまった。  
情欲の突き進むまま、父親を亡くしたばかりの女の子に酷いことをした。たとえ憎まれていても、一番優しくしなければならない相手だったのに。  
 
だけどもう、どうすればいいのかわからない。  
わからないんだ。  
 
〜〜〜〜〜  
まどろみから目覚め、上半身を起こす。  
体の奥に、ジンとした痛みが走った。  
自分の乏しい知識では、そこは、排泄のための器官であり、決して他人に見せたり、触られたりするための場所ではない。  
 
ましてや―――  
 
屈辱が自分の心を蹂躙する。  
その行為の最中に、今まで感じたこともない快楽が襲ってきて、はしたない声をあげてしまったことも、一層それを強めていた。  
 
ふと隣を見ると、彼が無防備な寝姿を自分にさらしている。  
自分を拘束せずに眠る、その無頓着さに少し呆れた。  
自分はそこまで侮られているのか。  
寝台の横に、お父様を刺した刀が転がっていた。  
 
今なら、簡単に殺せるのではないか?  
 
頭に浮かんだ、恐ろしい考え。  
そんな考えが、自分に思い浮かぶなんて―――  
 
しかし、この人は獣人を殲滅する、と言っていた。  
身の回りの世話をしてくれていた、物言わぬ侍女。執事。厨房の料理人。  
王宮の中で、たくさんの獣人たちと共に生活してきた。  
彼らは、わたしにとって大切な存在だ。  
そんな彼らを、迫害し殺そうとしているこの人を、そのままにしていいのか?  
それに、お父様を―――  
 
納得させたつもりでも、やはり、悲しい。  
お父様は、自分の世界のすべてだった。  
透明な壁を一枚隔てた先にいる、そんな存在ではあったが、自分のすべてだったのに。  
 
寝台の横に転がるそれに、そっと手を伸ばした。  
彼が自分にしたのと同じように、馬乗りになって、のど元を狙う。  
 
寒くもないのに、ガチガチと歯が鳴り、腕はみっともなく震えた。  
涙が滲んで、視界が歪む。  
 
後はただ、振り下ろすだけだ。  
 
どうして、迷っているの?  
殺したくないの?  
憎くないの?  
 
「……兄貴」  
 
つぶやかれた小さな声。  
彼のまなじりから、涙がこぼれた。  
透明なしずくが次々に流れ、彼の頬を濡らす。  
とめどなく涙を流すその寝顔が、驚くほど幼くて。  
それを見たとき、振り上げた両の手から、力が抜けていった。  
刀が、枕元に落ちる。  
 
殺せない。  
 
何も握らない手のひらで顔を覆い、慟哭した。  
込み上げてくる嗚咽を、我慢することが出来ない。  
 
『なにか疑問に思うことがあっても、知りたいことがあっても、決して螺旋王に問うてはいけません。  
 あなたの思慮深さや好奇心を、螺旋王にひけらかす様な言動は慎むように。  
王の命令には決して背いてはなりません。  
よいですね』  
 
チミルフがどうして、あんな約束を取り付けたのか。  
今ならよく分かる。  
彼がどれだけわたしのことを案じていてくれたのかも。  
 
ありがとう。  
 
けれどわたしは、この約束をしてはならなかった。  
守っては、ならなかった。  
チミルフの優しさに、甘えてはならなかった。  
お父様を、お諌めせねばならなかった。  
お止めしなければならなかった。  
お父様のしていることに、もっと早く気づかなければならなかった。  
たとえそのことで、お父様との間に、亀裂が生じてしまったとしても。  
それは、わたしの義務だったのに。  
 
眠るわたしにかけられていた黒いコートに、気づかなければよかった。  
 
隣で眠るその人に、そっと手を伸ばし、胸元に触れた。  
手のひらに心臓の音が伝わってくる。  
生きている。呼吸している。―――心だって、きっとある。  
 
お父様の仇で、獣人を滅ぼそうとしているこの人を、殺せない。  
自分の体を辱め、侮辱したこの人を、どうしても憎みきれない。  
あの恐ろしい行為の最中にも、彼の瞳は時折、見ているこちらが苦しくなるような、悲しげな色を浮かべた。  
その悲しみの理由を知りたい。  
溢れる涙のわけを知りたい。  
 
わたしは、この人のことを、もっと知りたい。  
 
だって、この人に、こんなことをさせたのは誰?  
こんなところにたどり着かせてしまったのは―――?  
 
夜明けが近づいていた。  
泣き腫らした目に、朝日が沁みる。  
 
わたしの、すべきことは一体なに?  
何か出来ることがあるのだろうか。  
 
〜〜〜〜〜  
白い光のまぶしさに、目がくらむ。  
少女が窓辺で、小鳥に餌をあげていた。  
たおやかな横顔。穏やかな微笑み。  
楽しそうで、幸せそうで、ずっとこのまま見ていたかった。  
 
「…逃げなかったのか」  
つぶやくと、少女の顔から笑みが消え、こちらに振り向いた。  
「ごきげんよう」  
こわばった顔の、口の端がぎこちなく歪む。  
笑おうとしているらしかった。  
その気丈さが、今はただ悲しい。  
 
窓の鍵は、壊れたままだ。  
逃げようと思えば、いつでも逃げられたはずなのに。  
「どうして、逃げなかった?」  
「…逃げたらあなたは、獣人たちに酷いことをするのでしょう?」  
「美しい自己犠牲だな。  
 奴らはお前のことなんて、何とも思ってないぜ?」  
 
「知っています」  
 
彼女は、俺の言葉になんか、びくともしない。  
「彼らがかしずいていたのはお父様で、わたしにではありません。  
そんなことは、分かっています。  
けれどわたしは、彼らが苦しい思いをするのは嫌なのです」  
 
「…そうか」  
 
兄貴の刀を手に取り、綺麗にたたまれた黒いコートを羽織る。  
彼女がたたんでくれたのだと気づき、少し胸が熱くなった。  
 
少女が小鳥と戯れている、鍵の壊れた窓に向かう。  
近づいても、彼女は窓辺に佇んだまま、動く気配は見せなかった。  
 
「…俺たちに従う獣人に限り、生かしておいてやる。  
 お前も、殺さない。  
 獣人たちと争うようなことになったとき、利用できるかもしれないからな」  
静かな瞳が、俺を見つめる。  
「ここが壊れていることは、誰にも言わないでいい。  
 抜けてる連中だから、言わなければ、窓の鍵が壊れていることになんて気づかない。  
お前に会いに来るたびに、鍵を壊すのは面倒だ」  
「わたしを、信じてくれるのですか?」  
「逃げたら、宇宙の果てまで追いかけて捕まえるまでだ」  
 
「ありがとう、ええと……」  
 
「………シモン」  
 
「ありがとう、シモン」  
ほんの一瞬、ほんの少しだけだけれど、彼女は、そっと口元を緩めた。  
そういえば俺は、彼女の名前も知らない。  
 
「お前は?」  
「?」  
「名前」  
問うた瞬間の不思議そうな表情に、頬が紅潮する。  
 
 
「―――ニア」  
 
 
その名前を聞いたとき、ほんの少しだけ、何かを取り戻せた気がした。  
 
 
 

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