天の光はすべて敵。  
無数の星々を見上げながら、船の主がいつか言った言葉を彼は思い返した。  
そのとおり。ゆえに戦いの日々は今日まで続いてきたし、明日からも続いていく。  
ただ、いまこの瞬間においては彼と船を包む宇宙の暗闇は沈黙を保っていた。  
敵もさすがに休息が必要なのか。それとも嵐の前の静けさなのか。  
 
 
どちらでも構わなかった。例え何が起ころうと、彼が為すことは唯一つ。  
あの男を信じて、従うのみだ。  
彼はゆっくりと、主のみが座ることの許される席を見上げる。しかしそこに彼の姿はなかった。  
どこに行ったのかなどと詮索する必要はなかった。主には癒しが必要だ。彼はそう考える。  
(当の本人たちには、癒している自覚も癒されている自覚もないのでしょうがね)  
 
 
 
 
しかしこの時、彼の主――シモンは、彼――副官が予想した場所にはいなかった。  
シモンが訪れていたのは温室だった。  
『温室』などといっても、それはほとんど人工庭園の様相を呈していた。  
競い合うように咲き誇る鮮やかな花々、茂る葉の様々な緑。少し篭った空気の味は、艦内のものと明らかに違う。  
ちょっとしたホールの如き室内には、誰が造ったのかは知らないが噴水すらあった。  
いや、「噴水すら」などと言うのはこの船に失礼か。シモンはぼんやりと考える。  
 
空に浮かぶ月とほぼ同じ巨大さを誇る戦艦に、無い物など無い。  
 
 
「あら、珍しいお客さんが来てるわね」  
唐突にかけられた声にむっつりと振り返ると、そこには最も付き合いの長い戦友の一人――リーロンがいた。  
シモンがブータと――そして、今は亡きあの人と共に地上に出たばかりのころに出会った天才メカニック。  
シモンの過去の姿をよく知るという点で付き合い易くもあり、付き合いづらくもある。  
「リーロンか。お前こそどうした。メンテナンスに葉っぱや花が必要とも思えないが」  
「あらいやね、仕事のことばっかりの男は。美しい人は美しいものを自然に愛でたくなるものなのよ」  
 
自分は昔に比べると随分変わってしまったが、目の前のこの人物は全く変わらない。  
毒気を抜かれて口元に笑みを浮かべようとしたが、うまくいかなかった。  
 
「あなたこそどうしたの? いつもならお姫様のところでしょ?」  
……観察眼もまったくの衰え知らずだ。  
「構うな」と言い放つことは簡単だし、そう言えばリーロンはそれ以上何も訊ねてはこない。  
だが、シモンはそうしなかった。  
しばらく迷ったあと、言葉を口にする。飛び出た声は我ながら頼りない響きのものだった。  
シモンを畏怖し敬愛するクルーたちには、とてもではないが聞かせられない声だ。  
 
「……最近、何を話せばいいのかわからない」  
「ふうん」  
「昨日も口論になって、最後は泣かれた」  
「へえ」  
「俺の顔を見るたびに嫌な顔をする」  
「なるほど」  
 
事実を事実として述べているだけなのに、改めて言葉にするとずしりずしりと心に重石が乗せられるようだった。  
忌々しいことこの上なかった。  
何千何百の敵を眉一つ動かさずに屠ってきた彼の気鬱は、たった一人の娘によって引き起こされている。  
 
脳裡に彼女の姿を思い浮かべる。  
滝のように流れ落ちる柔らかな巻き毛に、ガラス細工のような不思議な煌きを持つ大きな瞳。  
その瞳には常に怒りと悲しみが宿り、暖かな感情を宿してシモンを映したことは一度もない。  
磁器の肌に真珠の歯、桜の唇に薔薇の頬。  
彼女の美しさはシモンの胸を締め付け、心を縛り、乱し、苛立たせる。苦痛を与える。  
しかしその苦痛はひどく甘美な疼きを伴ったもので、麻薬のように彼を蝕み続けている。  
 
 
 
「放り出しちゃえば、楽になれるとは考えないのね」  
シモンはリーロンの顔をぎょっとして見つめた。リーロンらしくない過激な発言だった。  
「もともと拾い物でしょう? それに」  
言葉をわざと区切る。  
「貴方の憎い男の娘。情けをかける必要なんて、本来なら全然ないはず」  
「情けをかけた記憶はない」  
「あら、そう?」  
 
 
一思いに殺されるよりもまだ辛い目にあわせたのは本当だった。  
崩落するテッペリンの宮殿の最深部、絹やレース、甘ったるい砂糖菓子、愛らしい人形、きらめく宝石に抱かれるようにして守られていたのが彼女だった。  
人としてあり得ないとさえ思った美しさに初め何者なのか全く分からず、しかし彼女が螺旋王ロージェノムの第一王女であることを知るや否や、シモンは甘い揺り篭の部屋から引きずり出すように彼女を連れ出した。  
何度殺しても殺し足りない憎い男の娘。あの人を殺した男の娘。  
何も知らない様子の彼女に彼女の父の悪行と恨み辛みをぶつけ、罵り――そして犯した。  
 
犯し続けた。  
 
宇宙に出た今も、それは続いている。  
 
 
リーロンの言うとおりだった。放り出してしまえば楽になれるのだ。  
何も話すことがないのなら、話さなければいい。  
話さなければ口論にもならないし、彼女の泣き顔を見ることもない。  
会いに行かなければ、嫌な顔をされることはないのだ。  
 
「そこまでわかってるんだったら、何で放り出さないのよ?」  
心を読んだのかと思うような問いかけをリーロンがぶつける。  
 
放り出さない理由。艦内の最奥に用意した彼女の部屋に、わざわざ毎日会いに行く理由。  
 
 
何かを話したいのだ。何を話せばいいのかはわからなくても、何かを話したい。  
口げんかになっても、泣かせてしまっても。会いに行くたびに嫌な顔をされても。  
欲を言えば口論もせず、彼女の泣き顔を見ることもなく、そして――叶わないとはわかっていても、笑顔で迎えてくれればどんなにいいだろうと願っているのだ。  
 
 
「辛いわね」  
心の内を見透かされて、しかし怒る気にはなれなかった。  
ふと咲き誇る花の中の一つに目がとまる。薄いピンクの可憐な花だった。  
どことなく彼女を思わせるようで、シモンは無造作に手を伸ばすと茎を手折った。  
「あっ、ちょっと。欲しいんだったらちゃんと剪定してあげるから言って頂戴。お花だって生きてるのよ」  
 
咎められ、手折った花に目を落とす。手の中の花は変わらず美しいが、力任せに引きちぎられた茎はどこか痛々しく見え――シモンが彼女にした行為を、そのまま表しているように思えた。  
彼女に似ている花だと感じたのに、優しく愛でることもできず、力任せに自分のものにした。  
結局自分はそういう男なのだ、とシモンは思った。  
今更誰かに優しくすることなど出来はしない。どうすれば他人に優しくすることができるのかも忘れてしまった。  
指先で花びらを弄ぶ。可憐だが、もう死んだ花だ。花瓶にでも活けてやれば数日はもつのだろうが、人が管理してやらないとあっという間に枯れてしまう。  
 
あの女だって同じだ。シモンはそう思い込もうとした。  
 
俺が生かしてやらなければ、テッペリン戦で父親と共にその命は散っていた。運よく生き延びたところで、自分と同じような性質の悪い人間の慰みものになる運命しかなかっただろう。  
死んでいたはずのところを、俺が生かしている。  
旨いものも食わしてやっている。  
身を飾るドレスや宝石も、テッペリンにいた頃と遜色ないものを用意してやっている。  
自由だけは与えてやれないが――もし、彼女が俺の傍らに寄り添って、微笑むことを拒まないのであれば。  
 
そのときは、あの部屋から出してやってもいい。  
 
 
俺がいなければ、とうの昔に散っていたはずの花だ。だから、どう扱おうと俺の勝手だ。  
 
 
「それ、どうしたんですか?」  
いつもどおりの曇った表情でシモンを迎え、しかし次の瞬間にはどこかきょとんとした瞳で、ニアはシモンの手元を見つめた。  
シモンの手には、先ほど彼が手折った花があった。リーロンの手前その場で捨てることも出来ず、結局ニアの部屋まで持ってきてしまったのだ。  
彼女からしてみればさぞかし珍妙な取り合わせだろう。父の仇である血も涙もない男が、小さな花一輪を携えて自分の前に立っているのだから。  
「やる」とも言えずにシモンが指先で花を持て余すと、ニアはそれを受け取った。  
精緻な細工が施された一輪挿しに彼女が水を注ぐ様を、シモンは無言で見つめた。  
 
 
「綺麗ですね。私、お花は好きです」  
テーブルに置かれた花を見つめる彼女の口元に、小さな笑みが浮かんだのをシモンは見逃さなかった。  
 
 
花が好きだったのか。知らなかった。他には何が好きなんだろう。  
たかが花一輪で笑うのか。俺が何を言っても口をへの字に曲げたままのくせに。  
もっと沢山の花を持ってきてやれば、もっと嬉しそうに笑うのか。  
いや、花を持ってくるなんてまどろっこしいことをせずに、あの温室に連れて行ってやればいい。  
花だけじゃない、綺麗な蝶だってたくさんいる。見せてやればきっと喜ぶ。  
 
それに、いつか地上に戻ったら。  
彼女に本物の花畑を見せてやろう。温室で手折ったあの花が、大地に根を張る様を見せてやろう。  
咲き誇る薄いピンクの花々に囲まれる彼女はきっと美しい。  
 
 
様々な思いが胸に浮かび、その内のどれを口にしていいのかよく分からず、それでも何かを言おうとしてシモンはニアの傍に歩み寄った。  
ニアの笑顔をもっと近くで見たかった。  
 
 
しかしそれは叶わなかった。  
視界にシモンのコートが入るや否や、彼女はびくりと身体を震わせ怯えを孕んだ瞳でシモンを見上げる。  
気丈にシモンの瞳を睨みつけるが、その両腕は自分を守るかのように――シモンとの間に少しでも壁を作るように、ニア自身の身体を抱きしめていた。  
先ほどまでの笑顔は、もはやどこにも見る影はない。  
 
 
手酷く裏切られた気がして、シモンは失望した。自分になのか、彼女になのかはわからなかった。  
だが、失望の後に胸に広がったのはニアに対する身勝手な怒りだった。  
 
何も乱暴なことをしようとしたわけじゃない。  
ただ傍に寄り添っただけだ。  
それなのにお前は、俺を拒絶する。俺を征服者だと決め付ける。  
 
怒りに任せて細い手首を捻りあげると、小さな口からきゃ、と悲鳴があがった。  
開いた口から赤い舌が見え、シモンの身体に暗い興奮が走る。昨夜この唇に嫌というほど奉仕を強要したばかりだった。  
 
細い身体を乱暴にベッドに引き倒し、力任せにドレスの胸部を引き裂いた。  
なにも構うことはない。元々俺が用意してやったものだ。そしてそれ以前に、ニアは俺の女だ。  
俺が俺の女に何をしようと、俺の勝手だ。誰にも文句は言わせない。  
 
引き裂かれたドレスからは丸く柔らかな乳房がふるりとこぼれる。白い肌には昨晩の愛撫の痕が色濃く残っていた。  
昨晩だけではない。その前の夜も。更にその前の夜も。  
彼女の身体から、シモンの証が消えることなどない。そんな日は来ない。  
 
 
「いやあ……!」  
喉の奥から搾り出すような悲鳴をニアがあげる。もう何度も何度も犯されているというのに、それでも彼女はシモンに抵抗することをやめようとはしない。  
 
そんなに俺のことが嫌か。嫌いか。  
いっそへし折ってやろうか。あの花の茎のように。  
 
両手首を押さえつけて抵抗を封じ、ニアの身体を貪りながら思う。  
酷くニアが遠かった。  
肉体の距離はこんなに近いのに。何度も交わって、身体のことならなんでも知っているのに。  
 
心が酷く遠かった。  
ニアの心は俺のほうを向いていない。どこを向いているのかさえわからない。ニアが何を考え、何を思い、何を感じているのかがわからない。  
 
何が好きか。何が嫌いか。何がしたい。何が欲しい。  
 
俺が憎い? 俺が嫌い? 殺したいくらい?  
それとも――俺がお前に感じているような情を、ほんの少しでも持ってくれているか?  
 
 
ニアの涙の痕をそっと拭うのが、ニアを抱いたあとのシモンの習慣だった。勿論ニアに意識はない。  
寄せられた眉根は苦しげで、安らかな眠りとは程遠い表情だった。  
 
寝ている間くらい、辛気臭い表情をやめろ。  
ニアの眉間をぐりぐりと指先で押してやるが、寄せられた皺はとれそうにない。  
 
あきらめて、ぐいと身体を抱き寄せる。  
意識を取り戻すと逃げるようにベッドの端で縮こまってしまう。柔らかな温もりを感じていられるのも今のうちだけだった。  
結局今日も、自分と彼女の距離は縮まらないまま。変化のないまま。  
自分は相変わらず彼女に優しくすることができないし、彼女は相変わらず俺を信じてくれない。  
 
だが、一つだけ変わったこと――いや、わかったことがある。  
それは、彼女が花が好きだということだ。  
 
やっぱり、この部屋に花を運ばせよう。  
自分に向けて笑顔を向けてくれるとは思えないが、花になら笑うはずだ。  
いつか自分も、そのおこぼれに与れる日がくるかもしれない。  
 
 
何万もの敵を駆逐する月戦艦の艦長が、ちっぽけな花に頼らなければならないとは情けない話だ。  
シモンはテーブルの上の一輪挿しを見つめて、ふっと笑った。  
 
温室では作れなかった笑顔が、自然に口元に浮かんだのが不思議だった。  
 
 
 
終  
 

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