「よし、これで終わりっと」  
 
赤、黄色、緑、白いチョークは二本。短くなったものを片付け、かわりに新品の  
チョークを箱からとりだして並べたヨーコは、自分の仕事を確認するかのように  
呟いた。  
黒板は今日一日酷使された形跡などどこにもないかのようにキレイに拭いてあるし、  
黒板拭き自体も窓の外に腕をめいっぱいに伸ばし、バンバンはたいて粉を落として  
ある。  
ついでのように明日の日直の仕事である黒板の日付も更新し、花瓶の水も替えてきた。  
 
完璧だった。  
 
とうとうやることが無くなってしまい、ヨーコは黒板を睨みつけたまま深呼吸する。  
落ち着くのよ、私。  
そして、可能な限りのさりげなさを装って振り向いた。  
視線の先、窓際に座っているのは、いままで全身で気にしつつも全霊をかけて  
無視してきた、教室内にのこる残留者。  
 
「あんたはまだ終わんないの、カミナ?」  
 
今日中に提出しないと進級はないと思え、と担任から脅しの言葉とともに渡された  
課題を広げ、ひたすら呻いている学園イチの問題児に投げかけた言葉は、思っていた  
よりもずいぶん『あきれた』響きを伴っていた。  
 
「だからね、そこはさっきやった公式の応用でしょーが。倍角の公式!」  
「知るか。漢たるものヒトサマに決められた公式なんぞにはまってどうする」  
「あんたをはめなくてもいいから数字をあてはめなさいよ……」  
 
遅々として片付かない課題に、元来の世話焼きな性格も手伝って横からアドバイスを  
試みているものの、今のところ少しも役立っているとは思えない。そんな状態が、  
もう数十分ほど続いていた。  
帰り際、担任教師にあとのこと頼むな、と軽く言われてしまい、快諾とまではいかない  
もののハイと答えてしまった自分をヨーコは呪った。  
 
すいません、確かにシタゴコロはありました。  
想いを寄せる相手と、放課後の教室に二人きり。  
誰がどう見てもおいしいシチュエーションだろう。  
しかし、昼休みの騒がしい教室だろうと放課後の夕陽差し込む教室だろうと、自分たち  
は基本的に変わらないのだということを痛感しただけだった。  
いくら最初は意識しまくって緊張していうようとも、結局は口げんかのような言葉の  
応酬になってしまい、ほんの少しだが期待していた甘い雰囲気なんてものには程遠い。  
夢と現実には、それこそ天と地ほどの差があった。  
 
はあ、と溜息が零れ落ちてしまうのも無理はないと言えよう。  
 
「あのな、そんなに嫌なら帰ればいいだろ。つーか帰ってくれっと俺も帰れる」  
「……先生に頼まれてるし。これ出さないと進級できないんでしょ」  
「まーそんなこた気にしねぇけどな。留年しまくってたらシモンとクラス一緒に  
なれっかも知れねぇし。それはそれで面白そうだ」  
 
けろりとそう茶化すカミナに、「あんた何回高二やる気?」と返す。  
胸中には、カミナの弟分であるシモンへの嫉妬めいた感情が染み出していたが。  
 
「……一緒に進級したいじゃない」  
「へーへー学級委員長殿はご立派なこって」  
小指を耳につっこんて適当な返事をするカミナに、この鈍感馬鹿男、と心の中で  
毒づく。意地を張って本音をなかなか口に出せないあんたも原因よ、とつい先日  
保険医に言われたことは棚に上げて。  
 
「いいからあと2ページさっさとやんなさい」  
口を出していたらいつまでたっても終わらない。  
そう悟ったヨーコはヒントになる教科書の該当箇所をシャープペンの先で示し、  
やや投げやりにそう言うと、カミナの前の席の椅子に腰を下ろした。  
 
鉛筆を握りつぶさんばかりに目の前の課題と格闘するカミナは、時おり奇声をあげ  
ながらツンツン頭を指で掻き混ぜている。いくら乱してもすぐに元の形に戻っていく  
その青い髪は、どうやら整髪剤を使っているのではなく天然でこの状態らしい。  
少し前に衣替えした冬服のブレザー、その下のシャツは第二ボタンまであいている。  
申し訳程度に揺れているネクタイは、着ける着けないで学園中を巻き込んだ鬼ごっこを  
風紀委員と繰り広げた結果だ。  
そういえば、どつき合うことは多々あっても、こんなにまっすぐはっきりと真正面  
から、この男を見たことは無かったな、と本当に今更だがヨーコは気付いた。  
青い前髪の隙間に見える、校則違反この上ない赤いサングラスの奥の瞳は、いつも  
ヨーコではない何かを見据えて揺るがないからだ。  
西陽が射し、橙色に染まっている教室内ではサングラスは意味を成さないだろう。  
要するに単なるかっこつけよね、とヨーコはぼんやりとそう考え、そのままふと  
思考がシフトする。  
 
サングラスって、キスするとき邪魔になるのかな。  
 
とりとめのない思考の一部が言葉となって口から出ていたことに気付いたのは、  
 
「は?」  
「あ」  
 
タレ目を思いきり見開いたカミナが間抜けな声を発した、その数秒後だった。  
 
やばい。  
今、あたし何言った? 何言っちゃった!?  
なにやらとんでもないことを言ってしまった。  
確かなのはそれだけだったが、それだけ分かっていれば十分だった。  
夕陽のせい、とは言い切れないほどに顔が赤くなるのをヨーコは自覚する。  
恥かしさで死にそうだったヨーコが意識を手放さなかったのは、その前にカミナが  
動いたからだった。  
立ち上がったカミナが動かした椅子の音は、がたりと静かな放課後の校舎に響く。  
びく、と肩を震わせたヨーコはとっさに自分も立ち上がり、反射的に逃げ出そうと  
した。  
が、駆け出す寸前にカミナに腕を捕らえられる。  
 
「今の、本気で言ってんのか。さっきのアレ、一緒に進級したいってやつも。  
もしかして、そーいう意味?」  
茶化すように尋ねられたその質問に、ヨーコは状況を一瞬忘れた。  
羞恥心から逸らしていた顔を、へらっと笑っているカミナへと向ける。  
言おうと意識しての言葉ではない。けれど本心からの言葉を、笑って誤魔化せはしな  
かった。  
 
睨みつけるように視線を合わせると、カミナはたじろぐように笑みをひっこめた。  
目尻には涙が滲んでいたかもしれない。構いはしなかった。  
?まれた腕を振りほどき、そのまま揺れているネクタイを掴んで思いきり引っ張る。  
うお、と間の抜けた声を出しながら姿勢を崩すカミナにあわせ、自分も少し爪先立ち  
になる。  
睨みつけたまま、唇を重ねた。  
 
「……少しは察しなさいよ、ばか」  
長いとも短いとも判断できないその数秒間の後、ヨーコはごく小さな声でそう言った。  
額や鼻がぶつからなかったのが奇跡的なほどに勢いのよかったその行為に、よほど  
驚いたのかそのままの姿勢で固まっていたカミナの見開かれた瞳に、徐々に光が  
戻ってくる。  
それと同時に腰に腕を回されて抱き寄せられた。  
「あー……悪かったな。それで、邪魔だったか?」  
「っ!? そんなの」  
わかんないわよ。  
顎を掴まれて上向けられ、続く言葉はカミナによって封じ込められた。  
 
二度目のキスは深く長いものだった。  
唇を割り、カミナの舌がヨーコの口内を侵略する。我が物顔で動きまわるそれを  
とっさに追い出そうとし、しかし歯列を撫でられて力が抜けていく。  
奥で縮こまっているヨーコの舌を絡めとり誘い出し、どちらのものか分からなくなる  
ほどに唾液を交換し合う。  
飲みきれない唾液がつ、とヨーコの唇の端から零れ落ち、それが合図だったかのように  
カミナは唇を離した。  
解放されたヨーコは方を上下させて失った酸素を取り込もうと荒い息をしている。  
ヨーコの顎をとらえていた右手をそっと離し、カミナはサングラスを外した。  
かたり、と赤いサングラスが机に無造作に置かれるのに気付き、ヨーコは不思議そうな  
顔をした。  
 
「……なんで外してるの?」  
「あ? キスには邪魔じゃなくてもその先には邪魔だろうが」  
その先。その先って、どこ?  
火照った頭でそうぼんやり考えたヨーコは、『その先』に思い当たった瞬間全力で  
カミナの腕の中から逃れようとした。  
いきなり暴れだしたヨーコに、しかしカミナは動ずることもなく、さらに抱え込んで  
細い首筋に顔をうずめる。耳たぶを舐め上げて肌を吸われる、それだけでヨーコは  
全身から力が抜けていくのを感じた。  
 
ぞくぞくと、寒気に似た痺れが背筋を伝わって下におりていく。  
立っていられなくなり、ヨーコは背後の机に腰掛けるように体重をまかせる。覆い  
かぶさってくるカミナの胸板を必死で押し返そうとするが、逆に両手首をまとめて  
掴まえられてしまう。  
 
「ちょ、カミ、ナっ、ここ学校……!」  
震えながらどうにかそう言うと、自信に満ち溢れた顔でカミナは答えた。  
窓から差し込んでくる夕陽に負けないほどの熱い炎を秘めたその赤い瞳に、不敵な  
光が灯っている。  
「ああ、燃えるだろ?」  
「そういう問題じゃ、あッ……」  
 
早急な、しかし意外と丁寧な手つきでカミナはヨーコのブレザーのボタンを外した。  
ブラウスのボタンに手をかけつつ、その上で揺れているリボンを引っ張り外そうと  
する。ぐいぐいと力任せに引っ張って無理矢理頭を通すと、ヨーコのポニーテールに  
ひっかかり髪留めを巻き込んだ。  
ふわり、と広がった長い髪が素肌をかすめる。耳たぶを甘噛みしていたカミナは  
唇を少しずつ下ろしていく。  
しろい首筋を舐められる。  
浮き出た鎖骨に歯を立てられる。  
そのひとつひとつの動きに、敏感に反応を示して身が震えてしまうのを、ヨーコは  
抑えることができなかった。  
 
「……は、ぁ」  
 
零れ出る吐息の甘さに羞恥心をかきたてられ、堪えられなくなったヨーコはぎゅっと  
目をつぶった。しかし、それは逆効果にしかならない。視覚が遮断されたために  
他の感覚器官が敏感になる。たとえば、聴覚や触覚が。  
カミナの筋張った指先が、ヨーコの柔らかな肌を走っていく。  
肌蹴られたブラウスの中を滑る手は、ヨーコの背中に回ってブラの留め金を外した。  
迷いの無いその手つきに、慣れてるのかな、と思う。……ただ単に本能に突き動か  
されているだけかも知れない。  
 
「おい」  
「ひゃぁあ!?」  
 
突然、強い声で話しかけられ、逃避しかかっていたヨーコは素っ頓狂な声を上げた。  
閉じていた瞼を開ける。驚くほどに近くにカミナの顔があった。  
 
「集中しろよ」  
「しゅ、て…むり言わな、……ぁんッ」  
カミナが留め金を外されたブラを、ぐい、と押し上げる。ワイヤーが敏感な頂を  
かすめ、知らずあげてしまった声は、自分でも驚くほどに淫らに響いた。  
喉元まで押し上げたブラはそのままに、カミナはヨーコの乳房に指をうずめる。  
やわやわと揉まれてまるでゴム鞠のように自在に形を変えるその感触を堪能すると、  
先ほどからの焦らすような愛撫でかたく立ち上がっている突起をつまんだ。  
「ひあっ」  
神経をそのまま触られたと思うくらいの強い刺激にヨーコは声をあげる。  
カミナは指を動かしながら、もう片方の頂を口に含んだ。唇で乳輪をなぞるように  
撫で、乳首に軽く歯を立てる。  
 
「や、…ンんっ」  
まるで経験したことの無い快感に全身をがくがくと揺さぶられ、自分で体重を支え  
きれなくなったヨーコの身体は机から崩れ落ちる。  
背中に腕をまわして抱きとめたカミナは、いつの間に脱いでいたのか、自分の着ていた  
 
ブレザーを乱雑に床に敷くと、そのままゆっくりとヨーコを教室の床に横たえる。  
リノリウムの冷たさは、ヨーコの火照りを少しも冷ましてくれない。それどころか、  
自分が今おかれている状況をあらためて自覚させ、ますます顔があつくなる。  
グラウンドでは運動部が活動している。  
遠くブラスバンドの調子はずれな音が聞こえる。  
窓から差し込む西日に、影はずいぶん長い。  
放課後の、教室。  
燃えるだろ?  
ほんの数分前にカミナが言った言葉がリフレインした。  
 
「……ぁ、んぁッ」  
不意に、背中にまわっていた腕が脊髄をつたってするすると動いた。同時にぞくりと  
痺れが走る。ゆっくりと下りていく指をまるで追いかけるように、その痺れは全身  
から下腹部の一箇所へと集まっていく。  
カミナの右手はウエストまで到達すると、そのままスカートのひだをなぞるように  
身体の脇のラインを撫で、スカートの中へともぐりこむ。  
滑らかな腿をかすめるように触れるその指に、ヨーコは両腿を擦り合わせる。  
まったくの無意識のその行為が、カミナを煽る。思わずごくりと喉を鳴らしたカミナは  
今までに無い性急さで指を進めた。  
ヨーコのそこは、下着のうえからでもはっきりとわかるほどに湿り気を帯びていた。  
 
 
 

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