「お弁当、作ってきました」  
僕の目の前にピンク色の包みが差し出される。にっこり微笑むニアさんと、ありえない異  
臭を放つ包みとの組み合わせが破壊的だ。  
「いろいろがんばっちゃいました」  
蘇る7年前の記憶。味やにおいの記憶は、それ以外のものより強く残るという説を、いま  
僕は検証している。そういうことにしておこう。思い返すだけで軽く5キロは体重を落と  
せそうだ。  
「……………。な、なぜ、突然?」  
「最近ロシウが元気ないって、シモンが心配してました。だから」  
きっと丹精込めた料理が詰まっているだろうその包みを、僕はとうとう受け取ってしまっ  
た。この花のような笑顔を曇らせることなど、誰にもできるはずはない。  
弁当を受け取ってもニアさんは立ち去る気配がない。変だなと思っていたら、なんと、僕  
が食べ終わるまでここに居るのだと言う。気持ちだけ受け取るわけにはいかないらしい。  
腹を括って包みを開ける。蓋を開けると、見た目は恐れていたほど奇抜ではなかった。し  
かしここで気を抜いてはいけない。気を引き締めて一口目を口に運ぶ。爆発した。比喩じ  
ゃない、爆発だ。芸術は爆発だと言った芸術家がいたが、彼だって本当に爆発させたりは  
しなかったのに。  
とにかく口に入るだけ押し込んで、味わわないように無理やり飲み込む。無作法な食べ方  
だがこの際仕方がない。生き残るんだ、どんな手段を使っても。  
 
ぜぇぜぇ、と肩で息をする。辛い戦いだった。弁当箱が小さいのがせめてもの救いだ。  
「どう?おいしかった?」  
妙な達成感を、僕は感じていた。やったぞと快哉を叫びたい気分だ。  
どくん …!  
心臓が妙な脈を打った。体温が上昇し、血が逆流する。体があきらかに異常な反応を示し  
ている。原因はひとつしか考えられない。胸に手を置くと、心臓の鼓動が振動となって伝  
わってくる。どん、どんと扉をノックするように胸が上下している。  
「な、なにを…入れたんです、か?」  
聞かせてもらうぞ、この弁当の謎を。  
「まむし、すっぽん、にんにく、ハブ、冬虫夏草、高麗人参、それから…」  
星でも数えるように、ニアさんは指を折りながら歌うように言った。目の前が暗くなる。  
共通項は滋養強壮、か。  
「そうそう、お父さま秘蔵のおくすり、螺旋力絶大!オールナイトハッスルも入れました」  
手をぱんと叩いて、すばらしいアイデアでしょう、とニアさんは目を輝かせた。それを飲  
むと一晩でも二晩でも、いや一週間ずっとだってシモンさんと愛し合うことができるのだ  
と言う。そんな話はどうでもいい。  
「なぜ、そんなものを」  
「元気になるだろうと思って」  
「意味が違うッ!」  
きょとんとして、ニアさんは僕に近寄った。甘い香りに理性が吹っ飛びそうになる。  
「ち、近寄るなッ!」  
「なぜ怒っているのですか?お口に合いませんでした?」  
後ずさりして離れようとするものの、すぐ壁に行き当たる。すでに血液は一点に集約し、  
理性をぐらぐらと揺さぶっている。否定の言葉を頭の中で並べ立てながらも、僕の目は、  
ニアさんの開いた胸元を凝視し、鎖骨をなぞり、細い手首を眺め、あろうことかドレスの  
下まで透視したいと願っている。  
「これ以上、ち、近寄らないでください。あなたのためだッ!」  
 
「ロシウ、あなたのことが心配なのです」  
顔色を確かめるためか、ニアさんはぐいっと顔を寄せてきた。瑞々しい唇が僕の名を呼び、  
働きすぎだとかごはんは三食食べなくてはとかいう形に動いているが、もはや僕の耳には  
届かない。  
「ほら、こんなに痩せてしまって」  
細い指が僕の頬に触れた。しなやかな体が擦り寄ってきた。あなたは、あなたは何もわか  
っていない!!  
―――…限界だ。  
「そこまで言うのなら」  
僕はニアさんの肩を掴み、近くのソファに押し倒した。  
「あなたが仕出かしたことの意味を、その体で存分に思い知るがいい」  
我ながら安っぽい悪役の台詞が似合うと思う。ヒーロー物ならここで主人公の登場だ。颯  
爽と現れて姫を救い、悪役をたこ殴りにする。はやく来てください、シモンさん。取り返  
しがつかなくなる前に。  
「わたしがしたことの…意味?」  
そう言ってニアさんはゆっくりと目を閉じた。それが信頼の証であることを僕は知ってい  
る。それなのに、僕の手は、僕の意思と無関係に、彼女のドレスを剥ぎ取ろうとしている。  
剥ぎ取って、撫で回し、余すところなく舐めまわして、それから―――。  
そのとき、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。  
「ニアさん、シモンさんが呼んでます」  
キノンが肩を怒らせてつかつかと歩み寄ってきた。一番見られたくない自分の姿を、一番  
知られたくない相手の、目の前に晒している。  
さぁっと血の気が引いた。急上昇急降下。終わることなきバンジージャンプだ。体を起こ  
し、よろよろとソファの背にもたれかかる。  
「まぁ、シモンが?」  
優雅な動作でニアさんは起き上がった。キノンに礼を述べ、何事もなかったかのように「ご  
きげんよう」と、足取りも軽く恋人の元へ向かっていった。  
 
「キノン、これには深い訳が」  
「………………。」  
キノンはむすりと押し黙ったままだ。  
考えをまとめようにも、まとまらない。どう説明すればいいのか、いや未遂に終わっただ  
けで僕の罪は、やはり裁かれるべきか。  
ニアさんの手料理と、オールナイトハッスルと、罪悪感と情けなさと絶望とが一緒くたに  
なって、胃袋の中でぐるぐる渦を描いている。気持ちが悪い。吐きそうだ。  
はやくトイレに駆け込みたい。ただ、いまそれを実行すれば、悪い意味で誤解を招くこと  
は必至だ。  
額をだらだらと嫌な汗が滑り落ちていく。  
「…わかってますから」  
重い沈黙を破って、キノンは呟いた。おもむろに制服を脱ぎ始める。  
急展開についていけない僕の目の前で、キノンはあっという間に下着姿になってしまった。  
気だるく、それでいて情熱的なパッションを感じるデザインに、色は深海を思わせる深い  
ブルー、さながら真珠の海に沈んだ人魚の涙のようだ。自分でもなにを言っているのか分  
からない。要はそれだけ混乱しているということだ。  
「わたしじゃダメですか?」  
僕の足元に跪き、胸の前で手を組んで、許しを請うようにキノンは言った。耳まで真っ赤  
にして、潤んだ瞳で僕を見つめる。理性が白旗を揚げて逃げ出そうとしている。待ってく  
れ、お前たちはここに居残るべき存在だ。混乱と自制と劣情と欲情と情欲と欲望とが加わ  
って、渦はさらに大きく激しくなる。  
こみ上げる胃液を必死にこらえた。  
僕の沈黙をどう解釈したのか、キノンは僕の上着のすそをまくり、手を、いや顔を、いや、  
胸が僕の腿に当たって……。  
吐いた。  
キノンの背中に、ほとんど消化されていないニアさんの手料理が並べられている。胃液と  
謎のにおいとが混ざり合って、鼻が曲がりそうだ。  
 
「……ごめん、キノン」  
体はずいぶん軽くなったが、僕は泣きたい気分だった。さすがのキノンも笑顔を引きつら  
せたままだ。どこまで醜態を晒せば許されるのか。絶対的絶望キャンペーンは未だ続行中  
なのだろうか。  
ハンカチで彼女の背中の汚れを拭いながら、ひたすら謝り続ける。  
「君が許してくれるならなんでもする」  
ぴくりとキノンが反応した。本心を、誠意を伝えたつもりだったのだが、まさかそれがあ  
んなことになるとは、このときの僕には思いもよらなかった。  
「………。じゃあ、洗ってくれたら…」  
「洗う?」  
「わたしの、からだ…洗ってください」  
神はどこまで僕を試す。  
 
 
たとえば、入浴、食事、排泄などの行動に支障のある人を介護し、支援することを職とす  
る人々がいる。  
あるいはそう、ギミーとダリーが小さかったころのことを思い出す。怖がりだったダリー  
はなかなか一人で入浴できなくて、3人で入っては髪を洗ったり体を洗ってやったりしたも  
のだ。  
だから、これもそういうことの一つなのだ。  
白いうなじ、華奢な肩、小さな肩甲骨、すぅっと筆で線を引いたような腰のくびれ。僕は  
念入りに泡を立ててそれらを覆い隠していく。現状から目を逸らして見ない振りをするこ  
とも、政治家には時として必要なのかもしれない。  
「前は、その、自分で」  
背中側から手を伸ばし、泡のついたスポンジを手渡そうとする。ふと顔をあげて青ざめた。  
ちょうど目の前に、ちょうどいい高さで、鏡がある。水滴ひとつ付着しない鏡には、キノ  
ンの肩越しに顔を出している間抜けな自分の顔がはっきりと映っていて、だから当然なの  
だが、僕の前に座っているキノンなんかもう。  
 
「ごめん」と言って僕は慌てて目線を下げた。スポンジを差し出している手が痺れてきた。  
はやく受け取ってくれ。君が残りの部分を洗い終えたら、シャワーで泡を流し落とす、そ  
れが僕の最後の義務だ。タオルで拭くとか着替えとか、そんなことまでは要求されないは  
ずだ。  
スポンジが僕の手から離れて、ようやく安堵のため息を漏らす。それも束の間。  
「な、なっっ!!???」  
空になった手が、やわらかな何かにぎゅっと押し付けられた。キノンが僕の手をとって、  
上から押さえつけている。柔らかくて、弾むようで、吸い付くようで。だから、これは、  
つまり、こ、この、このふくらみは…!!  
「……そんなに、気持ちわるい、ですか?」  
現状はすでに、僕の許容範囲を軽く11次元くらい超越している。羊の数をかぞえて、はや  
く眠りにつこう、そんなことを考えていた。  
「わたしのからだ、吐いちゃうくらい、いや…?」  
彼女の手が、僕の手を強く握り締めた。声が少し震えている。  
無茶な要求を突きつけてきたことも。  
その要求を、強引に実行に踏み切らせたのも。  
鏡の前を選んだのも。  
こんな大胆な行動に出たのも。  
それほどのショックを、僕はキノンに与えてしまったのだと気づく。  
「…………きれいだ、とても」  
やわらかくて、いいにおいがして、心地よくて、とても―――エロティックだ。  
このまま押し倒してしまいたい、と僕は正直に告白した。もはや理性を総動員しても、本  
能の蓋を閉じることは不可能だ。ゆっくりと蓋が開き、なかから巨大な欲望が頭をもたげ  
てくる。書類の山も会議の時間もなにもかもが吹っ飛んだ。  
「制服が濡れてしまってもいいなら…」  
「もうびしょびしょだよ」  
外側はもちろん泡でびちょびちょ、内側も―――この際正直に記そう、汗やら汁やらでぐ  
しょぐしょだった。  
くすりとキノンが笑ったので、ほっとする。君に泣かれるのが一番、僕は苦手だ。  
 
後ろから抱きすくめたまま胸を揉む。石鹸でぬるぬるして、どんなに強く掴んでもつるん  
と逃げてしまう。硬く尖った乳首をつまむ。石鹸を擦り付けるように擦り上げると、キノ  
ンは高い声をあげてのけぞった。  
肩越しに鏡を覗くと、その表情もからだも、なにもかもを、あますところなく観察できる。  
太ももに手を差し入れて足を開かせる。  
「ひゃっ、やぁ、や、だ…ぁ」  
はずかしいと言ってキノンはからだをよじらせる。が、後ろからまわされた腕を振りほど  
くことはできなかった。足を高く掲げると、ぱっくりと開いた秘所が映し出される。秘書  
の秘所だなどとくだらないことを考える。  
外側の花びらをひっぱり、焦らすように愛撫する。耳たぶをかみ、そのまま首筋へと舌を  
這わせた。「あ、あ、あぁ」か細い声でキノンが鳴く。この声が僕をたまらなくさせる。指  
を彼女の中へ侵入させ、くちゅくちゅと卑猥な音を立ててかき混ぜる。声が高く、大きく  
なり、びくんびくんとからだが跳ねた。  
「ロシウ、わたし、わたし、もう……っっ!」  
そろそろいいかと尋ねると、キノンはこくんと頷いた。彼女の腰を抱え、ゆっくりと僕の  
上に乗せる。僕自身が飲み込まれていく様子が、鏡にはっきりと映っている。  
鏡の中でキノンが腰を振っている。乳房が揺れて、髪が振り乱れている。リズムに合わせ  
て僕も動いた。いやらしい音が浴場内に響き渡る。  
「あぁああぁぁぁんんっっっ!!」  
キノンが大きくからだを仰け反らせた。ほぼ同時に僕も果てる。キノンがからだの向きを  
変えて、甘えるように僕の胸に頭を乗せた。幸福で、満足をしつつも、頭のどこかで、なにかが間違っていると警告が発せられていた。鏡に映った僕の顔は、不信感の塊だった。  
 
 
「実はさ、これ、マジックミラーなんだ」  
シモンさんがいった言葉を、僕は理解しようと躍起になった。  
あのあと、キノンと一緒にシャワーを浴びて、びしょぬれになった制服を手に善後策を考  
えていたときだ。浴場の扉がノックされ、開けるとそこにシモンさんとニアさんがいたの  
だった。手には僕とキノンの着替えを持って。  
 
「マジックミラーって、片方からは普通のガラスみたいに透けて見える、あの?」  
「さすがキノンさん、よくご存知ね」  
そうじゃない。いま問題になっているのは、そういうことじゃない。  
「ロシウが本当に元気になったかどうか、シモンが見に行こうって」  
見ていたのか、それも二人して。悪趣味な。  
「元気になってよかったですね、ロシウ」  
にっこり微笑むニアさんの首元に、紅い跡がちらちら覗いている。鏡一枚隔てた向こう側  
で何が起きていたのか、想像に難くない。なんてハレンチな。  
「そんな顔するなよ、ロシウ。次は反対になればいい。それでおあいこだろ?」  
僕に分かる言葉で話してください。何が反対で、何がおあいこなんですか!?  
「それはとっても素敵ね、シモン」  
わたしもシモンとああしてみたいって思っていたの、とニアさんが目を輝かせる。  
「わ、わたしも、いいと思いますっ、そういうの!」  
君まで…! 真っ赤になって何を言っているんだ、キノン。  
三人は、まるで誕生パーティの打ち合わせでもするかのような賑やかさで、ひどく下品でふしだらなアイデアを出し合っている。まさに四面楚歌だ。  
「じゃあ、決まりだな」  
「ぼ、僕がそんな要求を飲むとでも思っているのですか!?」  
口の端がひくひくと痙攣している。しかしこれは盲点だったはずだ。あなた方の計画は脆  
弱だ。  
「なに言ってんだ、ロシウ。三対一だぞ」「そうです、民主主義です」  
あなた方こそなにを言っているのですか。  
「この前ロシウさんが提言した、大統領制のことです」  
少数意見は押し潰される、そんなものが民主主義であるはずがない。いずれ直面するだろ  
うと予測していた難問に、こんな形で出会うとは。  
「で、いつにする?」  
身をもってその難問に立ち向かえということか。抹殺される少数意見の、その痛みと苦し  
みを知るいい機会になるだろう。そう思わなければやってられない。  
わくわく、という音が聞こえてきそうな三人を順に見やって、僕は渋々予定の入っていな  
い日時を口にした。  
 
 
以上は、ロシウ・アダイ著『我が闘争――銀河螺旋族平和会議に至るまでの間断なき努力  
と苦難の軌跡』の失われた第一稿の一部である。添付されたメモには、なぜ初稿が破棄さ  
れたのか、その経緯が記されていた。すべてをありのまま後世に伝えるべきだという大統領  
と、公にすべき内容ではないと主張する秘書官との、延々数時間に及ぶと思われるやり取り  
が克明に記録されている。  
驚くべきはその破棄された内容である。上記の箇所がまるで子供だましかと思えるほど―  
――大統領自身の口癖を借りるならば―――破廉恥である。これが世に出たとすれば、一  
大スキャンダルとなったであろう。そういう意味で、秘書官の判断は正しかった。  
しかしこの第一稿は、いまとなってはその名を知るものすら少ない、だが我々が記憶しな  
ければならない男の、貴重な記録でもあるのだ。想像が過ぎるかもしれないが、大統領自  
身も、そのためにこのように破廉恥な回顧録を記したのではないかと推測する。  
初稿のみを見れば、政治の表舞台には決して顔を出さず、ただひたすら大統領に性的な嫌  
がらせをするために現れる―――そんな男が、この世界を、宇宙を救ったのだと言っても、  
誰も信じないだろうか。  
 
ここまでペンを走らせて、歴史研究家は手を止めた。人間と違い、大きな鍵爪を持つその  
手は、ペンを持つにもいささかの苦労を必要とした。  
古ぼけた紙に記された名前はどれもこれも懐かしいものばかりだ。世に出すべきかどうか、  
まだ迷っていた。しかしいずれ出すだろう。どんな形になるかは分からないが、それが、  
気が遠くなるほど昔に、自分に嵌められた枷であり、生きる寄す処でもあった。  
―――こんな内容でなければ、な。  
一読してうんざりして、再読してあきれ果てた。ようやく苦笑できるようになったばかり  
だ。にやりと口を開くと、独特のノコギリ歯がのぞく。彼は大きく伸びをして、再びペン  
をとった。  
 
 
余談ではあるが、螺旋王が遺したオールナイトハッスル、もとい螺旋力増幅補填循環剤。  
その効果を適度に抑えた"螺旋の力"ドリンクは、銀河を超えて大ヒットした。螺旋族の源た  
る螺旋力を衰えさせず、また循環させることでスパイラルネメシスをも防ぐという一石二鳥  
のすばらしい効能が判明して以来、地球には続々と注文が殺到している。  
そのあまりの売れ行きに初代大統領は「なんて皮肉にできている」と眉をしかめた、らしい。  
 

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