むぅ、と考え込んでニアは恋人の寝顔を見下ろした。  
彼女の家、彼女の部屋、彼女のベッドで眠りこける彼女の恋人――シモンの寝顔は、それはそれは気持ち良さそうなものだった。  
半開きになった口は少し情けなくもあるが、無防備なその様は可愛らしいとさえ言える。  
ひょっとしたら、惚れた弱みでそう見えるだけなのかもしれないが。  
 
「シモン、起きて」  
呼びかけてみるが、規則的な寝息は全く乱れなかった。  
思い切って肩を揺すってみたが、むにゃむにゃと口を動かしただけで、またすぐに眠りの淵へと引きずりこまれてしまう。  
挙句の果てには「もう勘弁してくれよ、ロシウ」などと寝言で言い出す始末だ。  
 
(恋人のことを放っておいて、男の人の名前なんか呼ばないで)  
腹立ち紛れに彼の頬をつまんで引っ張ってみるが、目覚める様子は一向にない。  
これでは自分が馬鹿みたいではないか。ニアは自分の姿を鏡に見て、ため息をつく。  
 
眠るシモンの傍らにちょこんと座るニアは、薄いピンクのベビードールを身にまとっていた。  
胸の部分は綺麗な刺繍とフリルで彩られ、胸の切り返しから下は薄く透けている。  
小さなへそや同色のショーツがスカートの向こうにうっすら透けて見えて、それが何とも男心をくすぐる……らしい。  
「らしい」というのは、実際にこの姿をシモンに見せたことがないからだ。  
シモンに見せたことがないどころか、このような――所謂「ナイトライフをより楽しいものに」する目的で作られた下着を身に着けることすら初めてだ。  
「下着一つでパートナーを喜ばせられるのなら安いもんでしょ」とキヨウに言われて、恥ずかしさを振り切りこっそり購入したのだが。  
 
 
 
総司令としての激務に追われる彼が、仕事から解放された後に直接ニアの家へやってくることはそう珍しいことではない。  
珍しいどころか、日常茶飯事。――否、最近はもはや半同棲状態と言ってもいいだろう。  
元々シモンには食生活や身の回りのことに無頓着な面が見受けられたので、世話を焼きやすいという点ではニアにとっても歓迎すべき事態ではあるが。  
 
今日もシモンの訪問は深夜となり、用意された夜食に舌鼓を打ち、風呂に入り……そして、彼はそのまま眠りの国の人となってしまった。  
(いつもだったら、絶対そんなことないのに)  
いつもの彼であれば風呂に入った後、用意された寝巻きも着ないままにニアをベッドに引きずり込んで――そのまま朝まで、だ。  
寝床でのあまりの彼の元気さに、本当はそんなに疲れていないんじゃないかと問うた事もある。  
その時の彼曰く「ニアとこういうことしてるから、どんどん元気が出てくるんだよ」……だそうだ。  
 
 
ニアのことを放って寝てしまったのは仕方がない。今日は本当に疲れていたのだろう。  
だが、何もこんな日に限って寝てしまわなくてもよいのではないか。  
(私、今……すごくして欲しい気分なのに)  
 
キヨウ曰く「男性を興奮させるための下着」とのことだったが、その効果は女性であるニアにもあったらしい。  
シモンから深夜の来訪の連絡を受けて、「今夜がチャンス」とばかりに急いで下着を身に着けて。  
部屋の鏡の前で自分の姿を確認しながら、この姿を見たシモンの反応を想像してみたりもした。  
きっと彼は子供のように目を輝かせて「いいぞ、ニア! すっごくイイ!」とでも言ってくれるだろう。  
そのままいつもの勢いでニアを押し倒して、朝まで愛し合う。ニアも、きっといつもより積極的にシモンを求めることができるはずだ。  
甘い夜を想像して、一人鏡の前で顔を赤くしたりもした。  
 
 
……が、それもどうやら夢に終わりそうだった。目の前の彼は一向に起きる気配がない。  
「せっかくいい思いできるところだったのに、シモンのおばかさん」  
拗ねたように呟いて、ぴん、と鼻の頭を弾くと、シモンはくちゅんと小さなくしゃみをした。  
それが妙に可愛らしく、毒気を抜かれた思いでニアは噴き出した。  
(しょうがないね、また今度)  
ニアに比べて少し硬い髪を優しく撫でると、シモンの寝顔にちゅ、と唇を落とす。  
額、頬、閉じた瞼、そして唇。  
彼から反応がないのはなんとも寂しい限りだが、目覚めたときにはきっと熱いキスを返してくれるだろう。  
「おやすみなさい、シモン」  
 
 
ニアはシモンの身体に寄り添うと、その肩に頭を預けた。そのまま瞳をゆっくりと閉じる。  
「うにゃ」  
「っ?」  
間の抜けた寝言が聞こえた次の瞬間、ニアの身体は寝返りをうったシモンの下敷きになっていた。  
そのまま抱き枕よろしくぎゅう、と抱きしめられる。  
「シ、シモン?」  
すやすやと眠る彼に問うても、無論反応はない。  
 
 
シモンには妙な抱きしめ癖がある。  
せっかくツインサイズのベッドを用意してあるというのに、シングルでも二人一緒に眠れるじゃないか、というくらいにニアの身体を引き寄せて眠るのだ。  
これではツインの意味がない――といいたいところだが、その面積の広さはセックスの最中において一応活用されている。  
それはさておき、少しの息苦しさと心地よい温かさに包まれて、ニアは苦笑する。  
意識がないのにニアを抱き寄せる彼の愛に酔うべきか。  
はたまた、意識がないのにしっかりニアの胸の谷間に顔を埋める彼の助平根性に呆れるべきか。  
甘い想いに身を浸しながら、いつしかニアの意識は心地よい闇へと溶けていった。  
 
 
 
「んー……」  
ゆらゆらと意識が浮かび上がり、シモンは寝転がったまま大きく伸びをした。  
はあ、と大きく息をつくと、そのまま脱力する。  
カーテンの隙間から差し込む朝の日差しは爽やかだが、彼の気鬱を晴らしてはくれない。  
昨日の繰り返しになるであろう一日の仕事を思うとなんとも気が滅入った。  
毎日同じ作業の繰り返し。最近ロシウは妙にピリピリしていて、昔のような笑顔を見せることも少なくなった。  
「ロシウも恋人とか作ればいいんだよなあ」  
余計なお世話だと分かりつつ、若干の優越感を胸に抱きながら小さく愚痴る。  
(退屈な日の繰り返しでも、俺が腐らずにやっていけるのはニアがいてくれるからだし)  
 
そういえば、ニアにまだおはようのキスをしていなかった。  
傍らに寄り添う温もりに向けて優しい微笑を向けて――――そしてシモンは固まった。  
 
 
(な、な、な、な)  
 
(なんだこれ??)  
 
シモンに甘えるように身を預けてすやすやと寝息をたてるニア。問題は彼女が身にまとっている下着だ。  
今までシモンが一度も見たことがないものであることは間違いない。  
薄いピンクとフリルとレース、構成する要素だけ挙げるといかにも彼女らしい清楚な単語ばかりだが、下着のデザインはとんでもなく淫靡なものだった。  
形の良い白い乳房は繊細な刺繍とレースで包まれてはいるが、よくよく目を凝らせばその下に隠れる薄桃色の可愛らしい乳首がうっすらと透けて見える。  
乳房から下はそりゃもう露骨に透け透けである。  
衣服としての役目を全く果たしていない薄い生地の向こう側に、細い腰とフリルで飾り立てられたショーツ。  
ショーツは……ほとんど紐なんじゃないかというような代物だった。  
ニアの裸はもう何度も見ているはずなのに、とんでもないものを目にしてしまったという思いを禁じ得ず、シモンはただただ無言でニアの媚態を凝視した。  
 
「うぅん」  
「!」  
ころん、と寝返りを打った拍子にスカート部分が捲れ、小さく引き締まった可愛い尻と、細いながらも女性的な丸みを帯びた太ももがシモンの眼前に晒された。  
見れば、肩紐も半ばずり落ちて乳房がこぼれかかっている。  
普段の清楚なニアとのギャップも相まって、いやらしいにも程があった。  
 
 
いったいニアは何故こんな下着を着ているのか?  
疑問は当然浮かんだが、シモンにはそれよりも先に決めなければならないことがあった。部屋の時計をばっと見上げ、血走った瞳で時刻を確認する。  
仕事の開始時刻。通勤時間。身支度にかかる時間。それらと今の時刻を照らし合わせると――――  
 
 
朝飯抜けば、十分間に合う!  
 
朝飯抜けば、エッチする時間が取れる!  
 
いや、むしろニアが朝ごはんか!?  
 
 
馬鹿げたことを考えながら、シモンはニアの肩を揺すり呼びかける。  
「ニア、ニア!」  
「うぅ……ん、あ、シモン……おはよう」  
「ん、おはよ。それじゃ、いただきます」  
「え? 朝食はまだ……え、あ、ちょっ、やん、待っ――」  
 
 
 
 
 
 
しばしの後。  
遅刻ギリギリでニア宅を飛び出すとき、シモンはしっかり「今夜もあの下着を着て待ってる」とニアに約束させるのを忘れなかった。  
早く帰りたい一心の総司令はその日の仕事をいつもより二時間も早く終わらせて、「やっと僕の誠意が通じたんですね」と補佐官を感涙させたとか、させなかったとか。  
 
 
終  

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