「――待てなくなっちゃった」  
そういって女はドアを開けた。  
 
「いってらっしゃい――」  
そして、女は笑顔でドアを閉めた。  
 
木の葉が木枯らしに舞う、冬の夕暮れの出来事である。  
 
建設途中のビル郡が立ち並ぶ都市の外れに、ひとつの学園がある。  
その学園で地理教師を担当する男は、年の暮れも近いというのにも関わらず、  
タンクトップと安物のパーカーを羽織っただけの格好で、街の中心へ自転車を走らせていた。  
 
風貌を変える街並みを見上げ、40分ほどこぎ続けた自転車を止めると、  
自分の記憶と、随分変わってしまった景色を眺め、男がため息混じりに言う。  
 
「この街も――随分と便利になったもんだな」  
 
吐く息が、白く視界をかすかに曇らせると、排気ガスの中へと溶けていく。  
 
男のまたがる自転車は、今年出たばかりのカイザー社のマウンテンバイクだ。  
休日の足代わになる程度の安い買い物をするつもりだったのだが、  
陳列されたその車体に一目惚れし、男の少ないボーナスを全て吸い上げた代物だった。  
当初は、寝袋ひとつをもって、山道を颯爽と走る休日を夢に描き、  
自分の名前と社名を繋げてつけた名前のシールを自作したのだが、それも机の引き出しにしまったままだった。  
こうやってコンビニに行く程度にしか使用されていない愛車は、  
半額で並べられていたシティバイク程度にしか、その役目を果たしてはいない。  
 
新米教師とは予想以上に忙しいのが、実際のところなのである。  
 
 
「っしゃいマセー」  
コンビニの入り口で悴む手を解しながら、まずは何時ものように雑誌が陳列されたコーナーへ進み、  
壁一面の飲料水を横目に、惣菜の並べられた売り場へたどり着く。  
何時はスーパーで買っている3パック入りの納豆と、向かいの棚の一番下に並べられた5枚切りの食パンを手に取ると、  
男はポケットの中から1枚の紙切れを出した。  
 
『紙コップ、紙皿、おはし、ジュース、おかし、ワックス(整髪料)、ハブラシ』  
 
そう書かれたメモを見て、陳列台の上から覘くように店内を物色すると、  
目当ての場所に移動し、1つ1つ腕の上に乗せていく。  
途中、コールドケースから1.5リットルのオレンジジュースと茶を手にした時点で、  
何時もと勝手が違うことを思い出した男は、店の端に積み上げられた買いカゴを1つ拝借することにした。  
そして、店員に聞きつつ、整髪料も手に入れた男は、  
メモの最後に書かれた商品を前に、眉間に皺を寄せて暫くの間何かを考え込んだ。  
 
(ハブラシ・・・ハブラシ、か・・・そういうこと、なんだろうなぁ)  
 
その時、メモにも書かれていない、黒い箱が男の視界に飛び込んできた。  
辺りを警戒しつつ、神妙な面持ちで箱を手にすると、書かれた書かれた文字を目でなぞる。  
 
『愛のスキン-XLサイズ(イチゴ味)-』  
 
そして、裏を返して書かれた文章を小さく口にしながら顔を近づけたかと思うと、  
今度は顔を目一杯離し、パッケージをもう一度じっと見つめる。  
「バナナ、味・・・なんてのもあるのか」  
近くに置かれた箱にも興味を向けた男は、驚いたように目を丸くした。  
男にとっては、この商品に味をつける意味が分からなかったのだ。  
そもそも、これを使う時は『ナニをアレに入れる時』であり、  
味覚を伴う『前戯』では使用しないはずだと思っていたからだ。  
 
 
「ありがッシター」  
会計を済ませ、細かいつり銭をレジの横に設けられた箱の中に入れた男は次の目的地を目指した。  
 
羅顔学園の中高等学校の外れに設けられた職員寮の一室に、ベランダから外の様子を窺う1人の女がいた。  
冬休みの学園は静かなもので、部活動に励む声が遠くで聞こえる以外に人気は感じられなかった。  
1つの階には部屋が9つ、それが2階建てで、合計18室はあると思われるこの寮も、  
入居者は半分も居ないのではないかと思わせるほどの静けさだ。  
 
女は立ち上がって部屋の中を改めて見返し、呆れたようなため息を漏らした。  
制服の上着を脱ぎ、シャツの腕をまくると、何から取り掛かるべきかと部屋の中を見回す。  
 
「――よしっ」  
 
まずはあちこちに脱ぎ捨てられた衣類を拾い上げ、  
両腕一杯になったところで、頭で押さえ込むようにして洗面所へと運ぶ。  
モワっとした得体の知れない何かが鼻をつく。  
次に女は、台所から黒いゴミ袋を取り出すと、足場を確保するように目立つゴミの収集を開始した。  
 
 
30分ほどが過ぎただろうか。  
女は膨れ上がった3つのゴミ袋を横目に、ここまで溜め込むことができるものなのか・・・と、  
呆れを通り越して関心すると同時に、改めて自分の居る場所を感じていた。  
女には男の兄弟もいるし、部屋の掃除もしているからわかるのだが、  
男の部屋は汗の匂いや食べ物の匂い、色々なものが混じった独特の匂いがする。  
 
そう、女がいるのは男の部屋だ。  
 
女は鼻を鳴らすと、先の洗濯物は『度が過ぎる』というものだったが、  
部屋に残るこの匂いは好きだと思った。  
兄の部屋に居るときには感じない感情なだけに、好きな男のものだから抱く感覚であり、  
そこに姿はなくとも、ここ数日の寂しさが満たされていく気持ちだった。  
「アタシ、ひょっとして匂いフェチだったりして」  
ポツリと漏らし笑った女は、先ほどベランダで見つけた竹箒に、  
除けておいた穴の開いた靴下を縛り付けると、部屋の壁を叩いていく。  
 
(あれ?これって、この間の・・・)  
 
ふと、机の上で束ねられた写真に気付く。  
文化祭や運動会といった行事で、生徒たちが撮っていたものを貰ったのだろう。  
クラスメイトの顔が満遍なくおさえられた写真の中に、1枚だけツーショットではないものの、  
割と近距離で男と女が一緒に写ったものを見つけ、女はぷくっと頬を膨らませる。  
「額かなんかに入れときゃいいのに」  
と、ぼやきながら見渡した部屋は、そういった類が似合う部屋でもないかと思い、  
写真をもとの場所に戻すと、部屋の隅で埃を被った掃除機を手にした。  
 
コンセントを繋ぎ電源を入れる。  
まずは台所をさっとかけ、続いて居間にとりかかった時だった・・・ベッドの下で何かが当たる。  
四つん這いになって探てみると、予想通りのものが出てくる。  
(お兄ちゃんと同じレベルじゃない・・・なんでこう隠すんだろ)  
1冊は金髪女性が赤い下着姿で、もう1冊は男の上で淫らに喘ぐ女が表紙の、エロ本だった。  
不味いものを見つけてしまったと思う反面、男の趣向を垣間見た女は、  
掃除する手を止め、ベッドに腰を下ろすと興味まかせでページをめくり始めた。  
 
 
「なるほど、ね・・・先生はこういうのがお好きなわけかぁ」  
暫く読み耽っていた女は、本を元の場所に戻すと壁にかけられた時計を見上げた。  
「さっさと終わらして、先にシャワー、借りちゃおっかな」  
男が帰ってくるのに2時間はかかると踏んだ女は、これからの手順を頭の中で組み立てていた。  
 
「おかえりなさーい」  
 
辺りを警戒しながらドアを開けた男を、女は待ち構えていたかのような笑顔で向かえた。  
女の後ろにひろがる部屋は、脱ぎ捨てた洗濯物も、ゴミ箱から溢れかえった紙くずもなくなり、  
変わりに黒いゴミ袋と、まとめて紐で縛られた週刊誌が部屋の隅に置かれていた。  
 
数刻前とは打って変って整然とした自分の部屋に、  
まるで自分が『訪問者』になったような錯覚を覚えた次の瞬間には、男は女の姿に目を丸くしていた。  
「埃まみれになっちゃったから、お風呂と服借りちゃったよ」  
そう、変わらぬ調子で言った女は、男の長袖シャツを頭からすっぽりと被り、  
あまった丈が境界線といった具合に、大きすぎる服にすっかり着られた状態だった。  
口をあんぐりと開けたまま、声にならぬ音を漏らし、上から下へと見返す男に女が続ける。  
 
「シャンプーは持ってきて正解だったわね、いっつも石鹸で洗ってるの?」  
そういって、玄関の段差を利用し、何時もより背の高くなった女が、男の広い額を叩く。  
 
やってくるなり着替えをさせ、台所、居間、洗面所を物色した女に1枚のメモを渡され、  
訳の分からぬまま部屋を追い出された男は、女にまず何から質問するべきかを考える。  
 
「・・・部屋を掃除、してくれたのか?」  
幾つか浮かんだ疑問のなかで、1番当たり障りのないものをぶつけると、言葉もなく頷いた女が続ける。  
「まったく、男の1人暮らしってのは・・・よく、病気にならないんですね」  
そう、生徒とも女ともとれる口ぶりに、男がもう一度自分の部屋へ視線を戻す。  
「そ、そうか、掃除をしに来てくれたのか、すまないな」  
再び女へと顔を戻すと、ついつい視線が下へと向いてしまう本能を抑えながら男が言う。  
「で、でだ・・・」  
次の言葉が出てこない。  
と、いうよりも、一つしかない出口に向かって噴出した疑問が、  
喉の奥でで詰まっているというのが、正しいだろう。  
次第に何時もの表情になる男の手からコンビニの袋と、青い包みを取り上げると、  
女はようやく塞いだままの進路を譲った。  
「とにかく、お風呂にでも入って、身体あっためてきなよ」  
そういって、立ち尽くす男の後ろに回りこみ、ぐいぐいと狭い風呂場へ押し込んでいく。  
 
居間に戻った女は、コンビニの袋から頼んだものを1つずつテーブルに置き、  
事前にメールで確認しておいたホットプレートの電源を入れる。  
そして、ホットプレートの中で肉に野菜、魚が次第にコトコトと踊りだすと、  
女は立ち上がって、大きな影がすりガラスの向こうで揺れる風呂場へと向かう。  
脱ぎ捨てられた服を抱え上げ、洗濯機の中に放り込むと、  
洗面台の下から取り出した洗剤を入れ、本日2度目のスイッチをいれた。  
 
――ゴウンッ・・・ゴウーンッ  
水のない洗濯機が空回しを始め、適量を判断し、  
自動で給水を開始する様子を見ながら、女はパチンと指を鳴らした。  
 
「よし、洗剤の量、ドンピシャね」  
 
男の居ないうちに部屋の掃除をして、帰りに合わせて食事を作る。  
そして今は、こうして男の衣類を洗濯機で回している。  
まるで妻になったかのような自分に酔ったのか、女からは自然と鼻歌がこぼれていた。  
とはいえ、洗面所の鏡には男物のシャツ着た自分の姿が映し出されており、  
それが今の2人の関係・・・よくて恋人同士という現実を教えていた。  
 
3ヶ月ほど前、男は『卒業するまで待ってくれ』と言い、女はそれに頷いた。  
今、女がここにいるのは、本当に待てなくなったからではない。  
声が聞きたくなる夜もある、何時になれば、と焦燥にかられることもあるが、  
今夜は少し困らせてやろうと思っただけ・・・ただ、それだけの理由でここにいるのだ。  
案の定、ここに突然訪れたときの男の声、そして買出しから帰ってきたさっきの顔、  
そのどれもが女の予想通りで、正直今も笑いをこらえていたりする。  
女として正当な理由で取り繕った悪戯がバレないよう、  
鏡に映った自分の頬を横に引っ張り、出かかった『笑い』を引っ込める。  
 
女の名誉のために、『嘘』ではなく『悪戯』なのだと、一応に念を押しておこう。  
 
 
「・・・そろそろ、出ようと思うんだがな」  
風呂場のドアが少し開き、男がオールバックにした髪の下で、  
困りつつも照れくさそうな顔を覗かせる。  
「アタシはそのまま出てきてもらっても構わないのに、着替え、ここおいとくよ?」  
そう冗談ぽく笑い、バスタオルと新しい着替えを洗濯機の上に置くと、  
何かを思い出したように、女は居間へと消えていった。  
 
「髪型そっちの方が絶対良いよ、ワックスの使い方教えたげるから、ちょっと待ってて」  
今のうちにと、十分に身体も拭かずトランクスを履く男の耳に、女の声が聞こえた。  
「ワックス?さっきのメモにあった整髪料のことか・・・俺が使うのか?」  
「そう、何時も癖っ毛のまんまでボサボサでしょ?」  
女がこちらに戻ってくる気配がすると、男は薄手のシャツに腕を通し、  
濡れた背中に張り付く服を強引に引き下ろす。  
そもそも男は水泳部の顧問で、夏場に限っては体育授業でも特別講師をしていたりする。  
だから、今になって裸の上半身を見られることは、然程珍しくもないはずなのだが、間に合ったと安堵の表情を浮かべてしまう。  
これも女にとっては予想通りの反応というわけだ。  
 
「それじゃ、後ろ向いて、少ししゃがんでくれるかな?」  
女がワックスの蓋をキュポンと外した。  
 
鉄筋造りの1階というのは、夜になると夏場は地熱によって蒸し暑く、  
冬は地下冷えの『恩恵』にあやかることができる。  
なにより、この職員寮には学生寮と同じでエアコンが設置されておらず、  
他の暖房器具がなかったこともあってか、ベッドの上で毛布に包まり、  
男の膝の間に身体を収めることに成功した女・・・キヨウ=バチカは、満たされていく自分を感じていた。  
その後ろでスンスンと鼻を鳴らす男・・・ダヤッカ=リットナーはというと、  
赤やら青とカラフルな光を放つテレビをじっと見つめたまま動かない。  
どうやら見ていた映画に感極まったいったところだろう。  
 
 
食事を終え、レンタルショップで借りてきたビデオを見ることになったとき、  
最初はこの体勢を拒み続けた男も、胸の谷間を覗かせ、咳き込む演技をすればイチコロだった。  
 
「ダメだ!そ、それはどう考えても、ダメだ!」  
「えー、でも、寒いんだもん」  
「服を、着れば・・・いいんじゃないか」  
「全部洗っちゃっ・・・ゴホッゴホゴホッ!・・・たし、風邪もひいちゃうし・・・ね?ダヤッカ、先生」  
 
色気だけでなく、教師という立場を利用したのは悪いことをしたと思ったが、  
それでもこのあっけなさは、やはり男ならではなんだろうとキヨウは思った。  
 
 
「――先生?泣いてる?」  
 
2人が見ていた映画は、赤いズボンをサスペンダーで止めた愛くるしいネズミヲモチーフにした会社の、  
『モンスターズ・カンパニー』というアニメーション映画だった。  
少女と大きな化け物たちの『愛』を描いた作品に、キヨウ自身は少し涙ぐみはしたものの、  
後ろにいる男にいたっては、エンドロールが流れる今でも「よかった、よかった」と、泣き声さえ漏らしている。  
裏返った声で感情的な感想を述べ、最後に泣いてないと付け加えるように、ダヤッカが答える。  
「なぁんでそこで嘘つくかなぁ、恥ずかしいことじゃないのに」  
そういってリモコンの停止と巻き戻しボタンを順に押すと、男物のシャツに足まで包ませたキヨウが、  
毛布の中から飛び出して次のビデオテープを青い包みから取り出していた。  
 
円盤型の光ディスクが、磁気媒体の代わりを務めるようになってから随分経つというのにも拘らず、  
男の部屋に置かれたビデオデッキは高い音を上げながら時間を遡っていた。  
デジタルでは生まれないアナログな時間。  
キヨウはそんな過去の産物を眺めながら、男と何か通ずるところを感じたのか、  
寒さに身を捩りながら笑みを浮かべた。  
 
「こういうところが好きなんだな・・・多分」  
小さく漏らしたその声は、ダヤッカの耳には届いていなかった。  
 
買出しの序に『お勧めの』と注文を付け借りてきてもらったビデオは、全部で3本。  
1本は既に見終わっていて、落ちぶれた男がボクシングを通じて復活を遂げる、  
地味でありきたりだが、男の趣向が窺える『グロッキー4』という作品だった。  
そして、キヨウが手にしている最後の作品はというと、  
身分の釣り合わない男と女の運命を、沈み行く船上を舞台に描いた、一昔前に流行った映画だった。  
勿論、今時の女の子であるキヨウは、この映画をレンタル開始時に見ていたし、  
テレビでも『二夜連続』の謳い文句と一緒に、散々見た作品だった。  
そんな作品をわざわざ借りてくるのだから、男は普段、あまりテレビを見ないのだろうとキヨウは想像を巡らせた。  
 
「ねぇ、お勧めっていったのに、さっきの映画といい、見たことないやつ借りてきてるでしょ?」  
 
「何がいいか分からなかったからな、良さそうのを幾つか借りてきたんだが・・・つまらなかったか」  
ようやく泣き顔から普段の顔に戻ったダヤッカが頭を掻きながら答える。  
「そうじゃなくて、先生の好きな映画をみたかったのッ」  
「今の映画も好きになったんだが・・・それでじゃダメなのか?」  
少しムスっとした表情で続けたキヨウに、ダヤッカは意味が分からないといった顔を向けていた。  
 
そしてようやく巻き戻しを終えたテープがエジェクトされた時、ダヤッカが気まずそうな声を漏らす。  
 
「それで・・・キヨウ、バスがなくなるといけない・・・そろそろ送っていくよ」  
「あれ、今日は泊まるよ?明日学校でやるバスケの試合、応援の用意ももってきてるって、言ってなかったっけ?」  
ダヤッカはキヨウの口から直接そんなことは聞いていなかったが、  
買出しのメモに書かれた『ハブラシ』から、ある程度の予想はしていた。  
さっきより一段と困った顔が、女と時計を何度か往復する。  
「それは、な?前に言ったとおり待って――」  
そこまで言った時、女の顔が今にも泣き出しそうな寂しさに曇った。  
「あ゛ぁぁぁっ!待たすばかりは、ダメだよな・・・そうだ、そうだな」  
慌ててベッドから立ち上がりキヨウの傍へ行こうとしたが、  
布団に足をとられたダヤッカは、次の瞬間には大きな音と共に床に転げ落ちた。  
 
ドッシーンッ!  
 
「――いて、ててててっ」  
「じゃ、今日はお泊り、OKってことですよね?」  
ダヤッカが痛みにしかめた目を開けると、そこには自分のシャツから覗くキヨウの下着があった。  
転んだ拍子に鼻を打ったのか、目の前の景色に興奮したのか、  
鼻から赤い筋を垂らし、やられたと思いながらもダヤッカが答える。  
 
「オウ・・・ケィ、です」  
 
どこからか隙間風が入っているのだろうか。  
何時もより冷える部屋には、洗濯物が窓の外で揺れる音と、  
身体の大半が毛布からはみ出した男が鳴らす歯の音だけになっていた。  
 
「風邪、ひいちゃいますよ?」  
「心配はいらん、身体は丈夫だ」  
こちらの様子を窺うように身を起こしたキヨウに、背を向けたままのダヤッカが答える。  
「泣き虫のくせに」  
「それは、関係ない・・・だろ」  
少し不貞腐れたようすの声に、キヨウが小さく笑う。  
 
女は男を、男は壁を見つめたまま少しの沈黙が訪れる。  
 
「――先生、地理の特別授業・・・お願いしちゃっても、良い?」  
「特別授業?冬休みの宿題もないのにか」  
そういうと、ダヤッカはベッドから身を起こし、ベッドランプの明かりを点けた。  
そして、机の上のから授業で使っている教科書に手を伸ばすと、  
2学期に教えた最初のページまで指で送る。  
地理という科目は、公式や文法といった『考え方』を学ぶ科目とは異なり、  
基本的には暗記であり、、疑問に思うこと自体が少ない上に、教科書を開けば答えが載っている。  
そのため、この科目を担当する教師として、授業以外で講師をお願いされた記憶もなく、  
教科書に書かれた小見出しを読み上げるダヤッカは、少し嬉しそうであった。  
 
「教科書は・・・いりませんよ」  
毛布に包まったままのキヨウは、ダヤッカの手から教科書を取り上げると、少し赤らめた頬を手のひらの上にのせる。  
「生まれ故郷のことを、教えてくれませんか」  
「俺の生まれ故郷の、授業・・・ってことか?」  
「担当教科じゃないけど、歴史・・・先生の子供の頃とかも聞きたいかな」  
 
窓から差し込む月明かりが、恥ずかしさではにかむキヨウの表情を照らす。  
それを見たダヤッカは、頭を掻いて何時もの表情を浮かべると、胡坐をかいた両膝に手を沿え、少し真剣な声で返す。  
「ノート、とらなくてもいいのか?この授業の教科書は本屋なんかに売ってないからな」  
「文字に書くのは、忘れることが前提だから・・・だから、今は必要ないよ」  
「教師としては、複雑な心境だな」  
普段の授業風景を思い出しながら、ダヤッカは苦笑いを浮かべた。  
その様子に、最初は小さく、そして声を出して2人が笑う。  
寝転んだままの姿勢で、片手を挙げたキヨウが、教師へ最初の質問を投げかけた。  
 
「生まれた街は、どこですか?」  
 
1時間ほどが過ぎただろうか。  
生まれ故郷の場所から始まったキヨウの質問は、子供の頃の思い出を経て、  
過去の恋愛経験、そして今の男に対する質問へと変わっていた。  
 
「じゃ、好きな料理は?」  
「好きなのは肉だろ、卵、あとは米と納豆だな」  
「それは料理じゃないよ」  
「言われてみればそうだな・・・料理、料理ならカレーとハンバーグ、他には・・・」  
「意外と子供っぽいんですね」  
「笑えるだろ?よく言われるよ」  
髪を指で遊ばせ寝転んだままのキヨウが笑う。  
ダヤッカも胡坐をかいたまま、頭を掻いて笑った。  
 
「じゃーさ、お弁当、アタシの作ったお弁当で好きなおかずは?」  
「そうだな、玉子焼きだろ、それから・・・あ、いや、全部美味かったんだが、アレが好きだな」  
「アレって?」  
「何時かのに入れてくれただろ?アルミにはいった小さなグラタン」  
「あー冷めててベチャベチャじゃなかった?」  
「いや、冷凍物でしか口にしない俺には、美味かった」  
文化祭の一件以降、週に一度は『余り物』と称したキヨウの弁当の差し入れがあった。  
一部の事情を知る職員たちから冷やかしを受けながら食べた味を思い出しながら、ダヤッカが照れくさそうに言う。  
 
「俺からも、質問したいんだがな」  
「あれ、今度はアタシが先生?」  
「あの・・・な、そのだな」  
「コラッ!質問は大きな声でハッキリする!それとも何を聞きたいのかも分からないのかね?」  
何時もの困った顔に戸惑いの色を合わせてダヤッカが続ける。  
「こうすることで、待ち続けられるものなのか」  
「・・・どうかな、先のことは分からないよ」  
少し考えて、キヨウはあっさりとそう言った。  
 
「ボヤボヤしてると、他のご指名が入っちゃったりして」  
「かもしれん、な」  
「先生はそれでも良いの?」  
「うーん、そいつは答えにくい質問だが・・・なんとかするよ、そうならんように、な」  
そういって、ダヤッカは質問の核心を避けた。  
 
文化祭の日、男は女に待ってくれと言った。  
それは本人に言わせれば体裁を守るための我侭であり、  
それが女を縛ることにはならないか・・・それだけが男の心配であった。  
勿論、待つ間に女が違う男に惹かれたならば、引き止めることができる立場ではない。  
待たせるというのはそういうことだと、男は思う。  
そして、女にこのことを説いたところで、危惧している結果にしかならないこともわかっている。  
 
女にしても、核心を避けた男の考えは薄々分かっていた。  
目の前の男はあの日の言葉どおり、卒業まではなにもしてこないだろう。  
待つ身でありながら、こうして家に押しかけた自分の行動が、  
男にとってどれだけ『悩みの種』になるのかも簡単に想像がつく。  
それが分かっているのに、物理的な距離でしか満たされない自分が出てしまうのは、  
どうしようもない女の性であると同時に、後ろめたさも感じていた。  
 
じっとダヤッカの顔を見つめたキヨウは、その後に続く質問は止めておいた。  
 
「――そろそろ寝よっか」  
「そうだな、明日の試合は10時だったっけな」  
「うん、寝坊しないようにしないと」  
 
そういって瞳を閉じたキヨウを暫く見つめ、ダヤッカはまた壁を見つめるように身体を横にする。  
すると、不意にキヨウの手が背中から腰へと回され、  
ダヤッカは一瞬ビクリと身を揺るがしたものの、制する真似はしなかった。  
 
「おやすみなさい」  
背中に身体を寄せたキヨウが言った。  
 
 
「――んぁアッ・・・ぃ、イ、タイ――」  
 
腰を突き出す動作を止め、ダヤッカは自分の下で痛みに顔を歪める女を覗き込んだ。  
そこには何時もの快活な印象は形を潜めたキヨウが、紅潮した頬に涙を浮かべていた。  
少し手順を間違えただけで壊れてしまいそうな脆さに、男としての本能がかきたてられる。  
 
どういう過程でこうなってしまったかは覚えていない。  
気が付けば舌を絡ませ、胸の双丘を揉みしだき、肉壁の内部で指を躍らせる度に、  
切ない声をあげ身を捩るキヨウに、込み上げる衝動を抑えきれなくなっていた。  
そして、今はそんなキヨウに覆い被さるようにしている。  
慎重に自分の剛直を蜜で濡れたキヨウの尻へあてがうと、ゆっくりと侵攻を開始する。  
そして、締め付けられる感覚がようやく亀頭を全て包んだところで、口付けをし、さらに奥を目指す。  
無理な拡張を強いられた女の秘部から、悲鳴と粘液が絡み合い淫靡な音がたてている。  
 
どれぐらい時間が経っただろう、キヨウの表情を窺いながらじわりじわりと続けた侵攻は、  
ダヤッカ自身の6割程度が挿入し終えたところで、先端が何かに当たる感触が最奥に達したことを伝えた。  
正常位の格好のまま汗にまみれた身体を起こすと、今度は腰を後ろへ引いていく。  
 
「はァああっ・・・ァ・・・ン!」  
広がった傘の部分に複雑な内壁を引っ掻かれたキヨウは、  
大きく背を反らすと、じんとした疼きの代わりに、切ないような、寂しいような情動に瞳を潤ませた。  
「・・・これで、やっと、繋がったね」  
その言葉を受けて、嬉しさと照れくささで苦笑いを浮かべたダヤッカは、  
自分たちの繋がった部分に目をやる。  
「少し、動くからな・・・痛かったり、苦しかったら言うんだぞ」  
そして、もう一度キヨウに口付けをしようとした、その時だった。  
 
「なぁにチンタラやってんだよ!この玉無し野郎がァッ!!」  
 
さっきまでそこに居たキヨウとは別人の、見覚えのある顔がそこにあった。  
「ア、ディーネ・・・先生??」  
「オラァ、もっと腰使えつってんだよ!テメェだけ悦にはいってんじゃねぇヨッ!コラァアッ!」  
ダヤッカは意味も分からないまま、もう一度、女の身体を上から下に見る。  
繋がってる部分も含めて何度か往復する間に、アディーネによって体位は正常位から騎乗位へと変わっていた。  
「こっちのがじっくり味わえるってモンさ!テメェもボケっとしてないで、腰使えつってんだろォがよぉお!」  
 
そういって、アディーネが拳を振り下ろす。  
未だにことが把握しきれず、唖然としたままのダヤッカは、その拳を顔でうけるハメになった。  
 
ゴツンッ!  
 
「――ッ!?」  
 
頭に鈍痛が走ると、目の前には見慣れた天井があった。  
カーテンの隙間から入る日の光に目を細め、まずは自分の状況を確認する。  
正面には寝ていたはずのベッドが見え、横を向けば床に置いたダンベルが見えた。  
 
(な・・・なんだ、夢・・・か?)  
 
そう安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間、次の不安が脳裏を過ぎり、  
身体は起こさず手でトランクスをまさぐり、最後に頭を起こして目で確認をする。  
 
(流石にこの歳でそれはない・・・あっちゃ困る)  
 
今度は安堵の溜め息を吐き、身体を起こしベッドの上を確認する。  
「キヨウ、朝だぞ・・・って、アレ?キヨウ??」  
呼んだ名前の主はベッドの上にいなかった。  
ダヤッカはキヨウが寝ていたであろう場所を触ってみたが、  
冷え切ったシーツがここを出て随分経つことを教えている。  
 
ベッドの方に身体を向けたまま、頭だけを後ろの壁に向けると、  
上下反対になった時計が10時半を告げており、わかりきったことを口にした。  
「俺が寝坊をしたのか」  
大きな欠伸をしながら顔を正面に戻すと、1枚の紙が2つ折にされてベッドの上に置かれているのに気付く。  
キヨウの置手紙かと思いながら、その紙へと手を伸ばし、開いた。  
 
『グラタンがトースターの中に入ってます、温めて食べてね  
 絶対に電子レンジで温めちゃダメだからね!  
 それと、キスは頂いた  ――怪盗キヨウ―― 』  
 
若い女を思わす、型の崩れた可愛らしい字体でそう書かれた手紙には、赤ペンで唇のマークまで書かれていた。  
「責めるわけにもいかんな、これは」  
自分のみた『夢』に対する罪悪感も手伝ってか、  
何時以上に困った顔でそう言うと、立ち上がり背伸びをしながら台所へと足を進める。  
レンジの横に置かれたトースターを開けると、連動してせり出した台の上に、アルミで作られた皿に入ったグラタンがあった。  
耐熱式の皿などがこの家にないのは、キヨウも承知のだったのだろう。  
焦げ目のついた表面からはパンが顔を覗かせており、  
冷蔵庫に大した食材などなかったことを思い出しながら、ダヤッカは感動すら覚えた。  
「このご馳走は、今日の晩飯だな」  
そういって、何時ものように炊飯器から冷えた飯を茶碗へ移し、  
納豆を乗せ一気にかきこむと、牛乳をパックから直接飲んで流し込む。  
口の周りの粘りを手の甲で拭い、ベランダから取り入れた半乾きのジャージに着替えると、  
次は洗面所で歯磨きをする。  
何時もの朝と同じ行動は、僅か5分たらずで完了してしまう。  
 
ふと、鏡に映る自分の顔を見て、何かを思い出す。  
そして、蛇口を捻るとその下に頭を突っ込み、軽く濡れた髪を手串で後ろへと流すと、  
洗面所に置かれた整髪料を手にし、教えてもらった手順を復唱するようにセットしていく。  
昨日と同じ髪型を再現するのに10分はかかっただろう。  
色々な表情を作る自分の顔を鏡で見ながら、ダヤッカはため息を1つ漏らし、その場を後にした。  
 
「3学期からは、少し早起きせんといかんな」  
 
財布と鍵を手にし、出かける準備が整ったことを指差しをしながら確認すると、  
――と、いっても、確認することなど然程ないのだが、男の習慣なのだろう――最後にキヨウの手紙を手にとる。  
 
素足のまま履くスニーカーに何時も以上の冷えを感じながら、開いたドアの先は白で塗りつくされていた。  
 
「雪が降ったのか」  
 
ドアの鍵を閉め、白一色になってしまった景色をもう一度眺める。  
そこにはキヨウの足跡が残っていた。  
口元を緩め、尻ポケットから財布を取り出し、その中から1組の男女が写った写真の切り抜きを取り出す。  
そこには体育祭で行われたフォークダンスの1コマであろう、  
慣れない様子で手を取るダヤッカと、それをからかうような笑みを浮かべるキヨウの姿があった。  
先ほどの手紙に写真を挟むと、レシートばかりが目立つ財布の中へもどし、  
体育館を目指しジョギング程度の速さで走り出した。  
 
 
体育館の2階に、声を荒げているダヤッカの姿があった。  
眼下で繰り広げられる、羅顔学園と安州羽高校のバスケットボールの試合は、  
第2クォーターも残り3分をきったところで、26対29と抜きつ抜かれつ展開を見せていた。  
自分の顧問でないスポーツとはいえ、テレビでは味わえない生の熱気に飲まれながら、  
点が入ると歓喜のガッツポーズを、点を奪われれば柵をバンバンと叩いている。  
勿論、体育館全体がその熱気を放っているのだから、その行動が誰の目に留まるわけもない。  
 
ピーッ!  
 
審判のホイッスルが響きハーフタイムへと突入すると、  
15人ほどの女たちが一斉にコートの中央へと踊りだした。  
先頭を切る2人が側転やバク転といったタンブリングを織り込んだ登場を決めると、  
残ったメンバがそれぞれの配置へつき、動きを止める。  
 
「GO!GO!GO FIGHT WIN!!」  
 
その掛け声が体育館に響き渡ると、一斉に顔を上げ音楽に合わせたチアリーディングが始まる。  
メンバと息を合わせて行うパートナースタンツの中には、2階を超える高さにまで人が飛び上がり、  
快活という名前を冠にしたスポーツだけあって、見ている側も元気になる反面、ダヤッカにとってはハラハラとさせられる場面が多い。  
と、いうのも副部長を務めるキヨウは先の登場でも、派手なアクションを決めており、  
今も自分が見上げる高さにまでジャンプしている。  
着地に失敗しないだろうか・・・そんな不安を感じているのだろう。  
柵から身を乗り出しオロオロとするダヤッカの視界に、空中に舞うキヨウが一瞬こちらを見た気がした。  
 
笑顔のキヨウが、声は出さず1文字1文字はっきりと、その形に口を動かす。  
実際に耳で聞いた言葉ではないので、そういったという確信はなかったが、ダヤッカも声に出さず応えた。  
 
「お・は・よ・う」  
 
 
結局、試合は56対69で負けてしまった。  
第3クォーターが終わった段階では、僅か2点差ではあるものの羅顔学園がリードしていたのだが、  
インターバルに敵監督から体育館を震撼させるような叱責が飛んでからは、防戦一方に転じてしまったのだ。  
 
「負けることなど否ッ!否否否ァア!断じて否ァァァア!!」  
 
教師としては生徒たちすら否定しているようにも聞こえるこの発言は、  
聊か気に食わなかったが・・・結果は安州羽高校が勝ち、羅顔学園が負けてしまった。  
教育や指導、評価するということは、結局のところ決められた形などないのかもしれない、  
そんなことを考えたダヤッカは、こちらに手をふるキヨウに気付くと、大きく手を振っていた。  
 
 
-終われというておろうが、この虚け!-  
 

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