「寂しくなっちゃいましたね」  
ロシウははっとして手を止めた。キノンが執務室の窓から遠くを見つめている。青い空と  
雲ばかりの景色に、彼女が何を思ったのか、改めて尋ねるまでもない。譲られたばかりの  
この椅子は、まだ体に馴染まない。  
「うん…けれど、僕には君がいる」  
背もたれに体重を預けると、ぎぎぃっと軋んだ。まるでこの場所はお前にはふさわしくな  
いと、椅子に否定されている気分だ。机に手をつく。またぎぃぃっと嫌な音。  
「……っ」  
顔を赤くさせて、キノンはちいさく「ばか」と呟いた。  
「さみしいって顔に書いてあります」  
「そうかな?」  
ロシウはつるりと顎を撫でた。とぼけたふりをして心の内を読み取らせまいとする、彼の  
常套手段だ。いくら平気なふりをしても、キノンには分かる。彼がどれだけ仲間思いで、  
どれほどシモンを必要としていたか、知っているのだから。  
「書いてありますよ、ここと、ここと…ここにも」  
キノンは、ロシウの額や頬を順に指でなぞり、最後に唇に触れた。もう片方の手が、机上  
に置かれたロシウの手に触れる。そのまま顔を近づけて、ゆっくりと唇を重ねた。  
拒否されるか、叱責されるか、どちらかを覚悟していたキノンだったが、意に反して、ロ  
シウは静かに受け入れてくれた。  
重ねられた手が、絡みつく。何かを追い求めるように強く握り締められた。呼応するよう  
に、抱き寄せられ、強く唇を吸われた。  
「……んっ」  
思わずキノンは吐息を漏らした。勤務時間中ですと言いかけて、やめた。言い尽くせない  
喪失感を、ロシウが伝えようとしているのを感じた。  
(ほら、やっぱり、さみしいって書いてある)  
目の辺りにも、眉間にも。きっと全身に書いてあるに違いない。心に空いたその穴を、埋  
めることはできなくても、せめて手をとって共に歩みたい。愛しさを込めて、キノンはロ  
シウの背中に腕を回した。  
 
タイミングの悪い男がいるもので、ギンブレーはまさにその典型といっていい。上司とそ  
の秘書とのラブシーンの真っ只中に彼は飛び込んだのだ。  
「ロシウ補佐官、それにキノンさんも。勤務中にそういう行為は慎んでいただきたい」  
声は振るえ、冷や汗が滲んでいる。それでもギンブレーはきっぱりと言い切った。せわし  
くメガネを上下させながら。  
「わかっているよ、ギンブレー」  
決まりが悪そうに、ロシウは言った。やれやれ、これではいつかのシモンさんと同じじゃ  
ないか。でもこういうのも悪くはない、かもしれない。  
「…ロシウさんのお株、盗られちゃいましたね」  
真っ赤になった顔を書類で覆い、その奥でキノンはくすりと笑った。上司のふしだらな行  
為を諌めるのは、そう、ロシウの役目だった。  
「僕の後をしっかりと引き継いでくれてうれしいよ、ギンブレー」  
緊張で強張っていたギンブレーは思わぬ言葉に顔を輝かせた。キノンが堪えきれずに吹き  
出した。つられるようにロシウも微笑んだ。  
 
 
人の心に空いた、暗くて深くて恐ろしい穴。それが新しいトンネルになる。  
窓の外を、やわらかな桃色の花びらが、ふわりと舞った。  
〔終〕  
 

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