ヴィラルの朝は早い。  
日の出ときっかり同時刻に目覚めた彼は、質素な作りの六畳一間のアパートの天井を睨みつけた。  
目覚まし時計を止める必要はない。そもそもそんなものは彼の部屋には存在しない。  
顔を洗いトレーニングウェアに着替えると、日課である朝のジョギングに出る。  
学園の風紀を守るためには体力も必要なのだ。彼の敵は手ごわい。  
一時間ほどの後帰宅し、簡単な朝食を済ませる。ヴィラルは制服に着替えると、再び家を出た。  
 
風紀委員の朝は早いのだ。  
 
 
 
「まだか、カミナ……!」  
ヴィラルはいらいらと校舎の時計を見上げた。時刻は八時二十五分。  
あと五分もすればホームルームが始まる。  
毎朝、登校する生徒たちの身だしなみをチェックするのが風紀委員の役目だ。  
ヴィラルが厳しく目を光らせているため、この学園の生徒たちで浮ついた格好をしたものは少ない。  
……ごく一部を除いては。  
そのごく一部の筆頭たる男の顔を思い浮かべ、ヴィラルはぎりぎりと目を吊り上げた。  
「焦るな焦るな、いつものことよ」  
ぐははは、と傍らで豪快な笑い声をあげるのは体育教師のチミルフだ。彼は生活指導の任にもついている。  
ヴィラルが心より尊敬する師の一人である。  
チミルフ自身カミナには相当に手を焼いているはずだが、ヴィラルとは違い常に余裕の表情だ。  
 
「は。しかしチミルフ先生、私はもはや我慢の限界です!  
飼育小屋のブタモグラを暴走させるわ、校長の盆栽を撃墜するわ、チミルフ先生を骨折させるわ……!  
奴の無軌道ぶり、捨て置いて許されるはずがありません!」  
「無論だ。そのために我らがいるのではないか。……来たぞ」  
チミルフが眼光鋭く前方を見据える。彼方から砂煙をあげて校門に向かってくるのは――――バイクに乗ったカミナとシモン。  
 
「カミナッ! シモンッ! 今日という今日は引導を渡してくれるわあぁぁぁぁッ!!!」  
「どけえぇぇぇぇ! ケダモノ野郎共ーッッ!!!!」  
 
 
――風紀委員の学園での一日は、こうして始まる。  
 
 
 
 
――――――――――――――  
 
 
 
「お呼びでしょうか、校長」  
「うむ」  
 
足が沈むのではないかというくらい毛足の長い真紅の絨毯。年代物の豪奢なソファ。  
この学園の長たる人物が鎮座する場所――校長室。  
黒光りするデスクの向こう側から、向かい合うもの全てを威圧するようなオーラを放つロージェノム校長がヴィラルを見つめた。  
昼休みに校長室に行くようにとのチミルフからの言伝に従い、ヴィラルは今ここにいる。  
だが校長がわざわざ自分を呼びつける理由に、全く心当たりがない。  
気づかぬうちに、何か校長の不興を買うような真似を自分はしてしまったのだろうか。ヴィラルの背に冷たい汗が流れた。  
 
「お前をわざわざ呼びつけたのは、他でもない」  
校長は言葉を区切り……そして言った。  
「ニアのことだ」  
「ニア……といいますと、校長の娘御のニア・テッペリンのことでしょうか?」  
「そうだ、ワシの娘のニアだ」  
ヴィラルは目を瞬かせた。  
(校長の娘のことで、何故俺が呼ばれる?)  
ヴィラルはロージェノムに忠誠にも似た感情を持っているが、その娘のニアとは殆ど言葉を交わしたことがない。  
精々お互い顔と名前を知っている、くらいの関係だ。  
彼の宿敵であるシモンと交際しているとはいえ、彼女自身は文句のつけようのない品行方正な生徒である。  
風紀委員のヴィラルがあえて絡むような相手ではない。  
(……と、なれば)  
「シモン絡みでしょうか」  
びくり、とロージェノムの肩が反応し、そのままぶるぶると震えだす。  
地獄の底から響いてくるような声で校長は言葉を続けた。  
「……ヴィラルよ」  
「はッ!」  
「今日の放課後……………………ニアが、あの螺旋の男と…………デートする」  
言葉の最後は、搾り出すような声だった。気のせいか校長の目じりにちょっぴり涙が浮かんでいるような気がする。  
(……いや、気のせいだ。気のせいに違いない)  
「尾行しろ。――そして!」  
校長の拳がデスクを叩いた。めきめきと机にひびが入り、そのまま中央から真っ二つに割れる。  
何十万もするであろうそれがただの木材のゴミになるのを、ヴィラルは戦慄しながら見つめた。  
「そこで起こったことを、全て包み隠さずワシに報告しろ」  
 
(……何故俺がこんなことをしなければならないんだ?)  
至極もっともな疑問を胸に抱きながら、ヴィラルは初めて触るデジカメをもてあましつつシモンとニアの後姿を追った。  
当然デジカメはヴィラルのものではない。ヴィラルが敬愛するもう一人の教師、アディーネに無理を言って貸してもらったのだ。  
「壊したらただじゃおかないよ!」と怒鳴るアディーネの麗しい姿を脳裡に浮かべながら尾行を続ける。  
(校長はあの二人の仲に関しては黙認しているものだと思っていたが、何か思うところでもあったのだろうか。  
……いや、余計なことは考えるまい。俺は俺の任を遂行するのみだ)  
尾行が風紀委員の仕事かどうかは、果てしなく疑問だが。  
 
そして二十分後、シモンとニアが仲良く手を繋ぎながら行き着いた先は―――  
 
(ら、ら、ら、ラブホテルだとおぉぉぉッ!!?)  
いくら朴念仁と呼ばれるヴィラルでも、そこで何が行われるのかくらいは知っている。  
(カミナならまだしも、シモンだと!? シモン、俺は、俺は貴様は硬派だと信じていたのに!!)  
裏切られたような思いで、それでもヴィラルは必死にデジカメのシャッターを切る。  
シモンとニアが手を繋いだままホテルの門をくぐり中に消えていくまでの様を、ヴィラルはしっかりとその手におさめた。  
「……」  
任務は終わった。  
(俺がこのデジカメを校長のもとへ持っていけば……シモン、お前は間違いなく殺される)  
手元のデジカメをヴィラルはじっと見つめる。彼の宿敵の一人が校長の手によって――否、こんな小さな機械によって葬られるとはお笑い種だ。  
ヴィラルはデジカメを見つめ――そして、二人が消えたホテルを見上げた。  
 
 
 
(まったく、俺もよくよくお人好しだな!)  
埃臭い天井裏へ侵入を果たしたヴィラルは、手持ちの鉈で開けた穴――鉈で穴が開けられるのかとつっこんではいけない――から、眼下の様子を窺った。  
 
校長に嘘の報告をするなどという選択肢はヴィラルの中にはない。  
さりとて、このままデジカメを持ち帰っても彼の中で何かが納得いかない。  
自分の宿敵を、こんな形で倒したくなかったのだ。故にヴィラルは一縷の望みに賭けた。  
 
二人がホテルに入ったことは紛れもない事実だ。  
しかしその密室の中、何が行われて、何が行われなかったのかは、通常は本人たちしか知り得ない。  
ならば、校長の逆鱗に触れるような行為が行われなかったことを証明すれば、ギリギリセーフのはず……だ。理屈の上では。  
こんなところにまで来て「それ」が行われない可能性など皆無に等しいが、もはやその可能性に賭けるしかシモンが生き延びる術はない。  
(シモン、生き延びたければするな! お前はこの俺の手で葬られるべき男だ。こんな形で失いたくはない!)  
 
校長への忠誠心から、デジカメはしっかり構えたままだ。  
眼下の部屋の二人――シモンとニアは、すぐに行為を始めるでもなくベッドに腰掛けて他愛ない会話を楽しんでいるようだった。  
そのまま二時間ぐらい喋っていればいい、とヴィラルは思う。  
しかし彼の思いは裏切られ、ニアは腰を上げると――おそらくはシャワールームがあるのであろう方向へと消えていった。  
ヴィラルの胸に絶対的絶望がもたらされる。  
これでタオル一枚にでもなったニアが戻ってくれば、もはやヴィラルが馬鹿げた出歯亀行為を続ける意味はなくなる。  
写真を撮る必要すらない。ホテルに入っていったときの写真があれば十分だ。  
 
 
しかし、シモンの元へ戻ってきたニアの姿を見てヴィラルは固まった。  
 
……ナース服だった。  
 
ニアに良く似合う薄いピンクのナース服。いやにスカート丈が短いのが気にかかるが、それは間違いなくナース服だった。  
(何故看護婦……じゃない、看護師の格好になるんだ? 一体こいつらは、ここで何をするつもりなんだ?)  
ヴィラルの頭が疑問符で埋め尽くされていく。彼の知識にコスチューム・プレイという言葉は無かった。  
ゆえに、「これから何が行われるのか」がさっぱりわからなかった彼は、眼下の光景の観察を続行したのであった。  
 
 
 
 
次に彼が意識を取り戻したとき、すでに部屋にシモンとニアはいなかった。  
ヴィラルの元に残ったのは、彼の鼻血に塗れたデジタルカメラのみであった。  
 
 
――――――――――――  
 
「あれだけ壊すなと言っただろうがこの馬鹿ちんがァーッ!!」  
「申し訳ありませんアディーネせんsゴハァッ!!」  
 
ヴィラルの鼻血によってカメラは昇天してしまったが、ヴィラルは校長にありのままの事実を告げた。  
その時の校長の様子は筆舌に尽くしがたいものであった。ヴィラルはアディーネの責めを受けながらシモンの姿を脳裡に浮かべる。  
(お前との決着がまさかこんな形でついてしまうとはな……。さあ、どう出るシモン……!)  
「聞いてんのかこの役立たずっ!」  
「本当に申し訳あrぐはぁッ!!」  
 
 
 
気づけば外は夕暮れに染まっている。  
今日も風紀委員として多忙な一日だった。廊下を歩きながらぼんやりとヴィラルは物思いに耽る。  
彼が今向かっているのは保健室。アディーネの愛の鞭により傷ついた身体を手当てするためだ。  
アディーネの元から保健室に向かうこの行為もまた、彼の日常によくある光景だった。  
 
保健室の扉に手をかけ、ヴィラルは祈るように目を閉じる。  
保健室は彼にとって天国にもなり、また地獄にもなる。その中で待っている人によって。  
(――せいッ!!)  
心の中で気合いを飛ばし、彼はがらっと扉を開けた。  
 
 
 
勢いよく開けた扉の向こう、少し驚いたような表情をして――しかし、次の瞬間には控えめな微笑みで迎えてくれたのは。  
 
迎えてくれたのは、金の髪が美しい保険委員の娘だった。  
(……天国だったか)  
ヴィラルの顔から、自然に緊張が抜ける。何故だか、この女の前では肩の力が抜けるようだった。  
彼女は無言でヴィラルに椅子をすすめる。ヴィラルが彼女に手当てを受けるのも、もう何度目になるのかわからない。  
(あの妖しい保険医じゃなくて本当に良かった)  
くねくねと蠢く保険医リーロンを思い浮かべてヴィラルはげっそりとする。  
勿論、彼――いや、彼女? どちらでもいい――のほうが手際は良いのだが、どうも生理的に苦手なのだ。  
 
手当てが終わり、娘のほっそりした指が自分から離れる様を、ヴィラルはどこか名残惜しく見つめた。  
「いつもすまないな」  
柄でもない感謝の言葉に、娘はやはりおとなしい笑顔を返す。  
ヴィラルはこの娘の名前を知らない。それどころか、ろくに声も聞いたことがない。  
だが彼は、この微笑みをこうして同じ世界、同じ場所で見ることが出来るというだけで不思議と満足だった。  
 
(俺は貴様と違って足るということを知っているからな、シモン)  
人生最大の危機が迫っていることを未だ知らぬライバルに、奇妙な優越感を抱いてヴィラルの一日は終わりを告げようとしている。  
 
 
完  
 

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