残された時間は、少ない。  
 
 
地球に帰還した俺たちを出迎えたココ爺が手にしていたのは、薄桃色の美しいウェディングドレスだった。  
ドレスを受け取り、振り返るニア。俺に向ける笑顔は本当に嬉しそうで、一点の翳りも、苦悩も、悲しみもない。  
彼女は強い。俺なんかよりも、よほど。  
だから、そんな彼女に恥じない男であるように、俺も顔には出さない。何も言わない。  
それが俺が彼女にしてやれる、最後のことだと信じて。  
あの日――俺がニアにプロポーズした日に二人で夢見た、幸せな未来を迎えることができる。そのことをただ純粋に喜ぼう。  
 
残された時間は、少ない。  
 
 
悲しむ時間は、いらない。  
 
 
――――――――――――――  
 
帰還から殆ど間をおかずに結婚式を挙げたいと言い出すことに、後ろめたさが少しもなかったと言えば嘘になる。  
ニアを救い出し、アンチスパイラルを倒すために払った犠牲はあまりにも大きかった。  
大切な家族を失った仲間たちが純粋に祝福してくれることに、俺はただ感謝する。  
 
地球に戻ってからの日々を、俺はほとんどニアと共に過ごした。  
「結婚する前からおしどり夫婦ね」とリーロンにからかわれ二人して照れたが、本当はそんなんじゃなかった。  
 
俺は怖かった。ニアと一瞬でも離れてしまうことが。  
俺が目を離した一瞬の隙に、ニアが俺の手の届かないところへ行ってしまうかもしれない。  
そのことをただ、俺は恐れた。  
 
でも、多分ニアは違う。ニアは純粋に、俺と時間を共有することを喜んでいる。  
お互い口に出さないでいる、近い内に確実に訪れる永久の別離。  
ニアの笑顔は、その動かしようのない事実を忘れさせてくれる。俺の心を救ってくれる。  
初めて出会ったときからそうだった。ニアは俺にとって、常に救いだった。  
 
でも、ニアにとってはどうなんだろう。  
俺が笑うことで、ニアは少しでも楽になっているのかな。  
 
 
 
四六時中一緒だとはいっても、それでも一人になる時間はできる。  
そういうときに、俺は声を押し殺してひっそり泣いた。  
女々しいと思う。だけど、そうでもして心の痛みを逃がさないと壊れてしまいそうだった。  
 
初めて出会ったときから、七年間。ニアを愛した七年間。  
アニキが死んで、ニアと出会ってから、俺は一度も人前で泣いてはいない。  
辛いことや苦しいことは沢山あったけど、ニアがいてくれたから。ニアが支えてくれたから。  
ニアには――好きな女の子には、かっこ悪い姿なんて見せたくないから。  
 
目の赤みが消えたことを確認してから俺は部屋を出て、そして再びニアに笑顔を向ける。  
ニアはそんな俺に、優しく微笑み返してくれる。  
 
 
――――――――――――――  
 
ベッドの中で、ニアの華奢な身体を抱きしめる。ニアは白くて、柔らかくて、温かい。  
ニアも俺の背に腕を回して、裸の胸に甘えるように頬を寄せる。  
 
くすくすと笑いあいながら、じゃれあう。  
くすぐったそうに身を捩って俺の腕から逃げようとするニアを引き寄せて、ところかまわずキスの雨を降らせる。  
ニアは笑って、俺の頭を抱きしめて髪を撫でる。  
地球に帰ってから毎晩、ずっとこんな感じだった。  
散々子供みたいにじゃれあって、だけどだんだん吐息や身体は熱い熱を帯びて、やがて情欲のままに互いの身体を貪りあう。  
離れていた、触れ合えなかった時間を埋めるように、ただひたすら俺たちは求め合った。  
 
 
何度目になるのかわからない交わりを終えて、俺はニアを抱きしめる。  
互いに無言だったが、それは気まずいものではなく、むしろ充足ゆえのものだ。  
このまま睡魔に身を委ねようと瞼を閉じかけたとき、ニアが突然口を開いた。  
「シモン」  
「ん?」  
腕の中のニアの顔を覗き込む。  
ニアは微笑んでいる。俺だって、笑っているはずだ。  
「あのね、聞いてほしいことがあるの」  
「なに?」  
「私ね」  
 
 
「私ね、シモンには幸せになってほしいの。これから先も、ずっと、ずうっと」  
 
 
俺の中で何かが弾けた。  
ぼろ、と何かが零れ落ちて、俺を見上げるニアの頬ではじける。  
それが一瞬何なのかわからなくて、でも次の瞬間にそれは俺の涙だと理解して。  
 
ああ、俺、とうとうニアの前で泣いちゃったのか。  
 
理解した瞬間、頭の中が真っ白になった。  
そして俺は、今までこらえていたものを吐き出すように声をあげてわんわん泣いた。  
 
 
優しいニア。  
可愛いニア。  
綺麗なニア。  
 
こんなに尊い女が、なんで消えてしまうんだろう。  
どうして彼女が、こんな運命に生まれてしまったんだろう。  
嫌だよ。消えるなよ。  
お前がいなくなったら、寂しい。苦しい。  
何で俺に、こんな思いをさせるんだよ。  
 
咽び泣きながら、ニアの身体を抱きしめる。そうすることで、繋ぎとめられるんじゃないかと淡い夢を見て。  
 
コンテナの中から現れた、夢みたいに綺麗な女の子。  
見つめられるだけで胸が高鳴った。傍にいてくれて、嬉しかった。  
俺は彼女を好きになって、彼女も俺を好きになってくれた。  
初めてキスした日。初めて愛し合った日。嬉しくて嬉しくて、眠れなかった。  
繋いだ手、見つめる瞳、優しく揺れる髪。全部全部忘れない。  
 
 
七年間、俺は本当に、本当に幸せだった。  
それは、ニアがいてくれたからなのに。  
それなのにお前は、これから先も――お前を失った後も、俺に幸せでいろと言う。  
そんな無茶なお願い、聞いたことがないよ。  
 
 
ニアは泣きじゃくる俺を、ただ無言で優しく抱きしめてくれた。  
ニアは最後の最後まで、泣かなかった。ただ優しく、いつもよりほんの少しだけ寂しそうに、微笑んでいた。  
泣き疲れた俺は、その微笑みを見つめながら眠りの淵へと引きずりこまれた。  
 
 
――――――――――――――  
 
夢と現の狭間で、幸せな光景を見た。  
 
質素だけど、温かい家。  
髪を束ねキッチンに立つニアが「もう少しだからね」と俺に優しい笑顔を向ける。  
俺は居間で、可愛い赤ちゃんをあやしながら「ああ」と返事をする。  
 
 
ああ、いいな。  
すごく、いいな。  
 
閉じた瞼から、つう、と涙が伝う。  
あれだけ泣いたのに、まだ出るのか。まどろみながら口の端だけで笑ったとき、俺の頬にぽたりと何かが落ちた。  
 
水――いや、涙?  
 
ぽた、ぽた。  
涙は俺の頬に落ち続ける。眠る俺の顔を見下ろす――ニアの瞳から。  
 
 
なんだ、やっぱりニアも悲しかったんじゃないか。  
俺の胸を、悲しい安堵感が満たす。同時に、罪悪感も。  
 
ごめんな、お前は笑ってくれてたのに。  
俺が先に泣いちゃったら、そりゃお前だって泣きたくなるよな。  
もう俺、泣かないよ。その日が来るまで、最後の最後まで、笑ってみせるよ。  
二人揃ってこんなに泣いたんだ。明日からはきっと、本物の笑顔を見せられるよな。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
残された時間は、少ない。  
 
 
悲しむ時間は、いらない。  
 
少しでも二人で、笑っていられるように。  
 
 
 
終  
 
 
 
 
おまけ。  
鬱エンドでやってらんねーよゴルァという方は読了後にこちらをドゾー  
 
――――――――  
 
「……?」  
ソファで俺は目覚めた。子供をあやしているうちにうたた寝してたみたいだ。  
俺を優しく揺り起こしたニアが、ぷぅ、と頬を膨らませて顔を覗き込む。  
「シモン。こんなところで寝てたら風邪をひいちゃいますよ」  
「ああ、悪い。なんか変な夢見てた……あれ?」  
身体を起こして目を瞬かせた瞬間、俺の目からつう、と涙が伝った。  
ひどく胸が痛かった。俺が見ていた夢はそんなに辛いものだったんだろうか。  
思い出そうとしたが、もう内容は頭の中から消え失せていた。とても、とても大切な内容の夢だったような気がするのに。  
「あらあら」  
どうしたんですか、と心配そうなニアを見ると、また泣きたいような気持ちに襲われる。喉の奥がごつごつする。  
目の前にいる妻の存在がひどく尊いものに思えて、俺は胸の痛みに突き動かされるままニアを抱きしめた。  
少し驚いて、でもニアは俺の背に優しく腕を回してくれる。  
「ふふ、今日のシモンはとっても甘えん坊さんですね」  
くすぐったそうに笑って、ニアは俺の頭を撫でた。  
 
 
・・・・・・  
 
 
「そして、その日の夜にできたのがあなたなんですよ」  
「……両親の性生活ほど耳に入れたくないものはないもんだよ、母さん」  
「ニア、息子にのろけるのはいいかげんやめてくれないか」  
 
おまけ 終  
 

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