あたしは一体何なんだろう。  
 
300年以上生きていて初めて、こんなつまらない言葉があたしを捕らえている。  
 
今まではただ強くあれば良かったんだ。  
だってあたしは戦うために生まれてきたんだから。  
隙を見せず、逆に他人の弱みは見逃さず、蹴落として、食いついて、ぐっちゃぐちゃになるまで叩きのめして、そうして四天王にまで上り詰めたんだから。  
 
「強いな、女。」  
 
そう誉めてくれたのはチミルフだけだ。  
あたしと100歳も違わないゴリラ野郎は、いかつい顔を綻ばせて言ったっけ。  
 
「お前のような女が出てくるとは、王都も面白くなったもんだ。」  
 
あいつが胸を叩くのは心底嬉しい時の癖だった。  
そんな事を面と向かってあたしに言うのは、後にも先にもあいつだけだった。  
あんな風に笑いかけてくる奴もそれまでいなかった。  
ああ、あたしは一生こいつを憎めないんだろうなとその時分かったんだ。  
 
でもそのチミルフももういない。どこにもいない。  
あたしが帰れる場所も無い。一機で全滅させるどころか、雑魚にやられてこのザマ。  
償おうにもこんな価値のない首で、どうして王に差し出せるだろうか?  
 
情けなくて悔しくて、ぐつぐつ沸騰した血潮が全身から噴出しそうになる。  
水の中でこそ本領が発揮できるのがあたしだけど、それは誰よりも真っ黒なドロドロの中に身を浸しているからかもしれない。  
 
自分の中に煮えたぎる憎悪で窒息しそうになる。  
思えばあたしはここからいつも始めてきた。  
尻尾を振りかざして這い上がってきたのは、ずっとこんなところから抜け出したかったからなのかもしれない。  
 
チミルフ、あんた何処に行っちゃったんだよ?  
あんたが笑ってくれればそれだけであたしは全部忘れられたんだ。  
あんたにつけてた沢山の貸し、一つだって返せてないじゃないか。  
畜生、馬鹿ゴリラ野郎。  
 
もう投げつける物も壊す物も無くなった居室の真ん中で、巨大な寝台の上に大の字になって天井を見る。  
空っぽの身体が酷く重い。何かが零れそうになった時、扉を叩く音がした、  
「アディーネ様、このような時ではありますが、お食事をお持ちしました。」  
糞が付くほど生真面目な声は、チミルフの遺したお荷物坊やだ。頭は堅いけど妙に機転が利く。  
だけどあたしが塞ぎこんでる所にのこのこやってくるなんてかなりの間抜けだ。  
他の部下は絶対にそんな事しない。あたしの尾っぽで頭を叩き潰されるのがオチだから。  
そう言えば前にボコボコにしてやってもこいつは倒れなかった。  
優男に見えて、意外と頑丈に出来てるらしい。  
「…とっととはいんな。」  
「はっ。」  
この時、癇癪に任せて坊やを殺さずに部屋に招きいれたのは、あたしがきっと自棄だったからだろう。  
入ってきたヴィラルは少しの間動きを止めて部屋の惨状を見渡した。  
壁を覆う絹の壁紙も吊り下げられたベルベットのカーテンも引きちぎられていない物は無い。  
床に散らばる陶器のかけらを避けながら盆を持って近づいてきた。  
「そこに置きな。お前は本当に余計なことばかりする。」  
比較的損害の無いテーブルを顎でしゃくる。  
そこに置いてある大きな獣の牙を磨いた置物のまわりだけが綺麗なままだった。  
 
ヴィラルはその側に盆に載った食事をそっと置く。  
 
馬鹿だね、女を慰めるのに食い物は無いだろうに。  
 
こういうところが妙にチミルフを思い出させた。  
無骨で、およそ洒落っ気が無くて。  
何せ贈り物には自分の牙を送って寄越すような男だったんだから。  
ベッドから降りて、盆から葡萄を一房手に取り口に含む。  
じっと黙ったまま突っ立っていたヴィラルを見下ろす。  
小さい男だ。最もあたしから見れば大抵の男は小さいのだけれども。  
あたしを上から見下ろして抱きしめられるのなんて、あいつぐらいだ。  
「ん…はっ!?」  
唐突に唇を合わせると舌を差し入れて果実を押し入れる。  
ザラザラした猫の舌を絡め取った。暫くそうしてから口を放す。  
「あんたが前に言った事、憶えてるかい?」  
それだけ言って身体を突き放すと、ヴィラルの腰にしゃがみベルトを外して股間に顔を埋める。  
中々立派なものを持ってるじゃないか、坊や。  
「はっ…このヴィラル、骨も…うっ…肉も、皮、あぁっも、あなたに捧げて…はっ、お守り…居たし、ます!」  
よく言った。嬲られながら何とか正気を貫こうとする気骨が気に入った。  
袋を強く吸い上げるとドピュッと体液を吐き出す。  
顔を真っ赤にして息を切らせるヴィラルを下から見上げ、そのまま強引に押し倒した。  
金色の瞳の中で瞳孔が広がる。頬を伝い垂れる液を舐め取り、ヴィラルの顎に指を這わせた。  
体毛を逆立て強張らせた身体に脚を開いて馬乗りになる。  
胸の袷を大きく開くと豊かな乳房が零れ落ちる。  
愛玩用に作られたこの胸はいつだて疼いてる。  
綺麗な顔も、人間に近い身体も、本来は男達の為のもの。  
「触っていいんだよ、坊や。」  
そう耳元で囁くと、ぼんやりとしたまま頷いて素直に手を伸ばす。  
無骨な指で、爪を立てないようにおっかなびっくりに愛撫を始める。  
その時はそうして始まる束の間の甘い享楽にただ溺れることにした。  
 
あたしは一体何なんだろうね。  
知ってるよ、女だよ、ただの女だ。  
本当はずっと抱いて欲しかったんだ、あんたの腕に。  
可愛くない態度のおかげで叶わなかったけどさ。  
 
「アディーネ様ァッ!!」  
 
ヴィラルがあたしを呼ぶ声が聞こえる。  
なんだい覚悟が出来てない雑兵みたいに。  
ここは戦場なんだよ?全く、坊やのままだね。  
集中砲火を浴びて燃え上がるコクピットであたしの身体が燃えていく。  
皮膚から臓器から、凄まじい熱でカラカラになって行く。  
チミルフ、自分では大嫌いなこの身体だけど、あんたには喜んで全部あげたかったんだよ。  
 
「もう、貰ったぞ。」  
 
ぶっきらぼうな声が闇に落ちていくあたしをひっぱり上げる。  
たった一つあたしに残されてたみたいに、目から涙が零れた。  
 
「何だ、少し見ない間に随分涙脆くなったな。年か?」  
 
うるさいよ、糞ゴリラ。何だよ、今ごろになって。  
前からあたしはずっと呼んでたのにこんなに遅れやがって。  
 
「相変らずだなあ、お前は。しかしこうも熱くてはかなわん。ほら、行くぞアディーネ。」  
 
ああ、でもあんた、ちゃんと来てくれたんだねぇ。  
礼を言うための言葉なんて知らない。  
ただ最期くらいは素直な女になってみたかった。  
 
「すまない、チミルフ。」  
 
差し出してくれた大きな手と大きな笑顔を掴んで、あたしの最後の意識が途切れた。  
 
 
終わり  
 

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