とある下町の酒場に、その男の姿はあった。  
金色の髪に、虎目石を連想させる金色の瞳、細身の身体に妙に肥大した四肢。  
獣人と呼ばれる種族のその男は、今日もこの酒場の隅で酒を呷っていた。  
名を、ヴィラルと言った。  
 
レンジャー風の出で立ちのその男は、だいぶ酒を飲んでいる様子だった。  
若干呂律の回らないその口調で、隣の席の見知らぬ男に絡み掛かっていた。  
「その時、そいつは何て言ったと思う?  
『俺達には俺達の流儀がある、それが気に食わないなら出て行け、ただし  
此所を出て他に稼ぐ宛てがあるのならな』だと!  
あれが流儀ならば、奴等こそ外道だ、お前もそう思うだろう?」  
 
密猟者ハンターのギルドに籍を置く彼は、その所属機関の方針で他の仲間と揉めていた。  
 
戦争が終わり、世の中が平和へと向かおうとしているこの時代。  
その秩序を乱す密猟者を逮捕するという仕事は、かつて軍隊に所属し、自ら前線に赴いた  
経験のあるヴィラルには、新しい社会に於いてその戦闘能力を活かす事のできる絶好の天職だ、  
そう思っていた。  
 
しかし、実際はそうではなかった。密猟者といえど、安易に悪事を続け逮捕されるのを  
待つ程愚かではない。彼等は、ハンターのギルドと密約を交わしていたのだった。  
密猟をある程度見逃す代わりに、彼等からその見返りを受け取る。  
そうして得た代価で互いの生活が潤う。これが彼等の流儀であった。  
その事が悪循環となり、世の中は荒んでゆく。そんな事は誰にでも理解できる。  
しかし己個人の生活よりも世の中全体の事を優先する者など、そう多くはいない。  
 
戦争によって、この世界は荒んだ。当時軍籍に身を置き、その渾沌に加担していた  
ヴィラルには、それ以上言葉を返す事は出来なかった。  
 
相手の男もかなり酔っているのか、適当に相槌を打ちつつも全く関係のない話題で  
ヴィラルの言葉を返す。ヴィラルもまた、その言葉に対して相槌を打つ。  
端から見れば旧友同士の談笑にも見える、異様な光景を醸し出していた。  
互いに酒の席での会話。明日になればその内容はおろか、相手の顔さえ覚えて  
いないであろう。  
それでも彼は、やりきれないその気持を、酒で紛らわす他は無かった。  
 
酔いが回り、意識も朦朧とする中で、微かに歌声が聞こえた様な気がした。  
意識を手放したのはいつ頃だったか。気が付くと既に夜は明けかけていた。  
酒場の閉店と共に店主から追い出された彼は、いつもの様にとぼとぼと家路へと向かった。  
 
毎日の鬱憤を酒で散らす為に通っていた酒場に、彼が他の目的を持って訪れる様に  
なったのは、それから暫く後の事であった。  
 
彼女は、一月ほど前からこの酒場で歌を歌っていたという。  
 
ガラの悪い連中が比較的多く集まるこの酒場には似つかわしくない、  
清楚で非常に美しい娘であった。  
ひとたびステージに立てば、その容姿に違わぬ美しい歌声と共に金色の髪が  
ふわりと軽く宙を舞う。  
 
人は目に映った物、聞こえる音すべてを認識できる訳ではない。  
脳が対象を認識した時に、初めてその存在を知るものである。  
彼女の姿は、声は、その前からヴィラルの元に届いていたはずなのに、  
それを認識するに至るまで、ひどく時間が掛かった様に感じた。  
耳を澄ませば美しい歌声に、そして彼女の優しい笑顔に、その毎日の鬱憤も  
いつしか薄れてゆく。酒が旨いと思い始めたのもその頃であった。  
彼は、いつの間にか彼女の歌声を聴く為に、その店に通う様になっていた。  
 
しかし、間もなくしてその彼女は店から忽然と姿を消した。  
店主に訊いた所、喉を患い歌声が出せなくなったので、解雇したのだという。  
この街で、仕事を失った女が行きつく先は、そう多くはない。  
嫌な予感がして、ヴィラルは彼女を探す事にした。  
 
夜の街、ひときわ派手な通りの街頭に、彼女の姿はあった。  
歌姫としての仕事を失った彼女は、その鳥籠の様な店の軒先に佇んでいた。  
 
彼女は”商品”として売られていた。  
こういった場に連れて来られた人間や獣人は、ただ器量の善し悪しで査定される。  
良いものは慰みものに、悪いものは臓器に、いずれも商品として  
裕福な者の手に渡ってゆくのだ。  
そして彼女の場合は……、その容姿を考えればおのずとその見当はついた。  
 
ヴィラルは、堪らずその店に足を踏み入れた。  
しかし、店の男に事情を聞こうとするも、”商品”についての詳細など  
教えて貰えるはずもない。  
「ならば俺がその”商品”を買おう。幾らだ?」  
ヴィラルがそう切り出すと、店の男は急に愛想を良くして彼を店の奥へと案内した。  
 
店の元締めと交渉をすべく、奥へと案内されたヴィラルは愕然とした。  
 
そこには見知った男が居た。ギルドに何度か足を運んだ事のある男だ。  
その男は、ギルドと密約を交わしていた密猟者団体の一人だった。  
彼の所属する組織が見逃していた密猟者は、動物だけではなく  
人をも狩っていたのだった。  
 
男はヴィラルを一瞥すると、下卑た笑みを浮かべ、親しげに話し掛けてきた。  
ヴィラルは、この男に殴り掛かりたい衝動を懸命に抑えていた。  
此所はいわば敵地だ。揉め事を起こしては彼女の身が危うくなる。  
それにこの場での交渉が決裂すれば、恐らく彼女と会う事は二度と出来なくなるだろう。  
 
彼は、暫しの交渉の後、財産をかき集め、彼女を”買い取る”事となった。  
その代価は、一介のハンターである彼にとって、決して安い額ではなかった。  
だがヴィラルは、そんな大金を惜しげも無く支払うと、彼女を連れて一直線に帰路についた。  
道中は重苦しい空気が漂い、互いに無言のまま口を開こうとはしなかった。  
 
繁華街から暫く離れ、月明かり以外に光の見えない路地裏に、ヴィラルの住処があった。  
そこは彼が睡眠を取り、僅かな所持品を置いておくだけの味気ない空間だった。  
 
部屋へ入り、明かりをつけると、改めて彼女がひどく怯えている事に気づいた。  
目は虚ろで、体は震え、足元もおぼつかない。顔色も何処となく青ざめている。  
ヴィラルが手を引いてはいたものの、歩いてここまで辿り着いた事が信じられない程だった。  
「心配するな、俺は何もしやしない」  
ヴィラルがそう言うも、彼女は顔を上げようとしない。  
 
仕方ない、と、ヴィラルは彼女に毛布を渡し、ベッドで休む様に促した。  
「生憎ベッドは一つしかないからな。俺は此所で休ませてもらう」  
ヴィラルはそう言うと、部屋の隅に腰を下ろし、壁に凭れ掛かった。  
 
「……本当に、何もしないのですね」  
暫く時間が経って落ち着いてきたのか、彼女がようやくその重い口を開いた。  
「当たり前だ。先程から何度も言っているだろう」  
ヴィラルは壁に凭れたまま、静かに答えた。  
すると彼女は、続けてこう訊いてきた。  
「それなら何故、あなたはあんなに大金を支払ったのですか?私などの為に」  
 
「君の歌声が、俺の荒んだ心を癒してくれた。それだけの価値はある。それに……」  
彼は僅かに声をくぐもらせ、更に言葉を続けた。  
「君があんな場所に身を置く羽目になったのは、恐らく俺の所為でもある。  
こんな事で許しを乞うつもりは毛頭ないが、今の俺に出来る事はこれくらいしかない。」  
 
そして、ぽつりと呟いた。  
「……本当に、済まなかった。」  
 
その言葉を最後に、この晩はそれ以上会話が続く事は無かった。  
夜の静寂が、再び彼等を包み込んだ。  
 
翌朝、乗り合いガンカーの発着場に彼等の姿があった。  
「君はこの町を離れろ。そしてどこでもいい、此所よりもましな土地へ行け。」  
そう言うと、昨晩その財産の殆どを使い果たしたヴィラルは、  
残りのなけなしの所持金を彼女に手渡した。  
「俺はこの地で、けじめをつけなければならない。  
それを終えたら必ず君の元へ向かう。君を解放した責任は負うつもりだ。」  
 
ヴィラルはそう告げると、発着場を後にすべく、踵を返した。  
本当はもっと伝えるべき言葉があったというのに。  
 
「君の事を、愛してしまった」  
この不器用な男は、たったこの一言が言えなかった。  
 
すると、背後から彼を呼び止める声がした。  
振り返ると、一輪の小さな白い花を持って駆け寄る彼女の姿があった。  
「本当にありがとうございました。  
私の名前はツーマ、貴方の事はいつまでも待っています。」  
ツーマはヴィラルの手をとり、その花を手渡した。  
彼女の方から手を触れてくれたのは、これが初めての事だった。  
 
やがて、彼女を乗せたガンカーが遠ざかってゆく。  
ヴィラルは、その車両が視界から消えるまで見送った。  
そして、僅かに彼女の温もりが残るその手に握られた、花を見遣った。  
何も持たぬ彼女が、道端で手折ったものだが、それでも彼はとても嬉しく感じた。  
 
花の名前はシロツメクサ。花言葉は『約束』。  
この二人が再び出会い、そして平穏な家庭を築くのは、もう少し先の話になる。  
 
== 終 ==  
 

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