両腕を組んで廊下に立つ大柄な男。
数年前に比べ随分と後退してしまった額は、テカテカと照明の光を照り返させている。
「―――どうしてパパの前であんな事を言ったの?」
ドアの向こうから何かを問い詰める声が聞こえると、
姿は見えずとも、その言葉には少し怒気を孕んでいるのが男には分かった。
自分の愛すべき妻の声なのだから、分かって然りといったところだろう。
「だって…だって、パパのパンツと一緒に洗ったら…」
「洗ったら…なんだっていうの?」
少し弱い口調になったもう一つの声に、妻が今度は呆れ返ったような声で聞き返した。
男は頭の中で二人の立ち居地を想像する。
まずは妻のキヨウが仁王立ちで腰に手を当てながら、スリッパで床をパタパタと叩く姿が思いついた。
そして、次に姿を現したのが、両手を身体の前できゅっと握り締め、
口を尖らせた可愛らしい膨れっ面で、身を縮める愛娘だった。
その愛くるしさに、本題を忘れた男の鼻が自然と膨らむ。
娘の名前はアンネ、今年で13歳になる。
妊娠したことが分かった時には、周囲にえらく歓迎をされたものだった。
しかし、産まれてきたのが女の子だったとわかると、
その歓迎は『父親に似なくて良かったな』という一種の冷やかしへと変わっていた。
そして、出産と同時にやってきたのが、全ての生命に向けた絶望という名の脅威だった。
男自身も当時はその渦中の主要人物であっただけに、そんな冷やかしを蚊ほども感じる余裕はなかったのだが、
すっかり成長した今の姿を思い浮かべ、ほっと胸を撫で下ろしているだろう。
「あっはっはははっ!」
急にドアの向こうから妻の笑い声が響いた。
大事なことを聞き逃した男は、今度はドアにへばりついて中の様子に意識を凝らす。
「学校の皆が言ってたんだもん!」
「それで、真に受けちゃったの?」
(なんだ?パパのパンツと一緒に洗いたくなかった理由を…頼むからもう一度言ってくれ!)
「でもまぁ、分からなくはないか」
(なっ何が?何が分からなくもないんだ!?)
「…うん、やっぱりそうだよね…でも、パパ怒ってるかな?」
(怒ってない、怒ってないから言ってくれ!!)
「そう思うんなら…謝らないとね?」
最後に少し気まずそうな返事をするアンネの声が聞こえたかと思うと、
続いてこちらに近付いてくる足音が男の耳に飛び込んできた。
「っ!!!?」
声にならない呻きをあげ、男は瞬時に『戦略的撤退』を選んだ。
その判断は、過去にこの星を救った幾多の戦いで、
巨大戦艦で艦長を勤めていた男らしからぬ…実に情けない姿であった。