情後の波が去り、汗の引情後の波が去り、汗の引く感覚に、ツーマは寒さを覚えた。  
虫の声が耳に染み渡る。秋も中旬に差し掛かった今、夜半を過ぎれば広大な草原だけが延々と横たわるこの地方は結構底冷えする。  
明かりの消えた室内を照らすものは、窓から零れ落ちる月明かりのみだった。  
ツーマがぶるり、とひとつ身を震わせると、傍らに寄り添っていたヴィラルが心配そうに覗き込んだ。  
「大丈夫か?」  
そんな彼に彼女は、ええ、ありがとう。と微笑んだ。そしてヴィラルの裸の胸に身を寄せる。  
こうしていれば暖かいから平気。  
そう言うと、暗闇でよくはわからないが、彼はかすかに頬を染めたようだった。  
照れたように身じろぎをするが、それでもその腕は力強く抱き締め返してくれる。  
 
ねぇ、私そろそろ二人目が欲しいわ。と、ツーマが言った。  
唐突な言葉に、目をきょとんと瞬かせるヴィラルに対し彼女は、やっぱり今度は男の子よね。と続ける。  
一瞬の後、ヴィラルの照れ交じりの苦笑が聞こえた。  
「そればかりはどうしようもないだろう。運を天に任せるしか」  
あら、産み分けは出来ないことじゃないらしいわよ。と彼女は言う。  
メムスを授かったときは、あなたまだぎこちなかったじゃない。だから今度はじっくり取り組めば…  
「お、おまえなぁ…」  
案の定、ヴィラルは真っ赤になって脱力し、枕に顔を埋めた。  
その様子を見てツーマはくすくす笑う。  
本当に何年経っても彼はこんな調子のまま変わらない。  
まったく一児の親とは思えないわね…  
そして自分は彼のそんな反応が見たくて、ついこんなふうにからかってしまうのだ。  
ひとしきりくすくす笑い続けた後、ツーマはふっと真顔になって呟いた。  
…でも、結局のところ元気であればどちらでも構わないけれどね。  
「そうだな…」  
ヴィラルも頷く。  
そう。それが彼女の本心だ。  
特別なことは望まない。家族が皆元気で、ただ一緒にいられればそれでいい。  
たったそれだけでいいのだ。たったそれだけで、自分は幸せでいられるのだ。  
――けれど。  
 
ねぇあなた。私たちは一体いつまで一緒にいられるかしら。  
 
「…ん。なにか言ったか?」  
見ればヴィラルは既に朦朧とした様子だった。  
そんな彼に、いいえ、なんでもないわ。と彼女は首を振る。  
「そうか…なら、おやすみ」  
おやすみなさい。良い夢を。  
ツーマは眠りに落ちてゆくヴィラルにそっと微笑みかけ、その髪を撫でた。  
しばらくそうしていたが、やがて彼女は寝台の上に身を起こし、窓に目をやる。  
そこからは、驚くほど澄み渡った秋の夜空と、煌々と輝く満月を眺めることが出来た。  
彼女はその月を見上げながら、ぽつりと呟く。  
 
…無駄だと思いますよ。  
 
傍らのヴィラルはいぜん寝息を立てている。この部屋に彼と彼女の他に人影はない。  
だが、彼女はなおも、そこに居ないはずの何者かに向かって、囁くように語り掛ける。  
 
例え貴方がどれだけ全知全能に近い存在であろうと。  
ありったけの小細工を駆使し、幸福な箱庭の中に閉じ込めてしまおうと。  
この人はいつか眠りから覚めるでしょう。  
 
…自分は知っている。ここは現実と幻想の境界に立つ箱庭。  
人の認識と、「あったかも知れない僅かな可能性」だけで成り立っているおぼろげで不確かな、陽炎のような世界。  
ヴィラルがこれを夢だと認識してしまえば、文字通り夢と消えてしまう、はかない幻。  
――そう。この自分や、娘でさえも。  
彼と出会ってから今までの記憶は全部ある。  
きごちないプロポーズの言葉も、結婚式の日の照れくさそうな表情も、娘が生まれたとき初めて見せた涙も、自分は全て覚えている。  
それらは全て、植えつけられた幻にすぎないことも、知っている。  
――けれど。ああ、けれど。  
それが一体なんだというのだろう。  
この世界が彼を閉じ込めるために用意された檻で、自分や娘がそのパーツにすぎない存在であろうと。  
この人を愛しいと思う、この自分の心は紛れも無い本物なのだ。  
何もかもが不確かな中で、それでもこの世にたったひとつだけ確かなものがあるとすれば、それはこの自分の心に違いない。  
これだけは、こればかりは絶対に、神にさえ否定させはしない。  
 
頬に冷たい感触が伝わり、彼女は自分が泣いていることに気づく。  
――泣かない。  
彼女はそっとその涙を拭う。  
自分は泣いたりしないのだ。この人が、いつか夢から覚めて旅立ってしまうそのときまで。  
おびただしいほどの愛と、抱えきれないほどの幸福を彼にあげるのだ。  
だから泣かない。きっと、去っていくその瞬間も。  
 
ヴィラルの安らかな寝顔を見つめ、ツーマはもう一度微笑んだ。  
 
ああ あなた  
たとえ夢から覚めてしまっても 私のことを 私たちのことを どうか忘れないでね  
 

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