「まあ」  
状況を理解していないかのようなニアの声。  
「私、負けちゃいました」  
彼女を見つめるのは、「いいのかこれで」とでも言いたげな表情のヴィラル、顔を青くして引きつらせるシモン。  
そしてもう一人の男はというと、顔を俯かせたまま肩を小刻みに震わせた。  
決してパンツ一丁ならぬブータ一丁で寒いから震えているというわけではない。  
これは――歓喜の震えだ。  
「くっくっく……はーっはっはっは!!」  
「あ、アニキ!」  
 
頭上にパルックのような輪をぷかぷかと浮かせたカミナは、勢いよく立ち上がるとびしりとニアを指差した。  
「残念だったなお姫さん! だが勝負は勝負だ、情けはかけねえと最初に言った! 約束を忘れたとは言わせねえ!!  
さあ脱げ、やれ脱げ、今すぐ脱げ!!」  
「アニキさん、私はお姫さまではありません。ニアです」  
鼻息荒く目を血走らせるカミナの姿は、いつぞやの温泉のときの彼のままだ。  
性欲丸出しの彼の要求に些かも動じることなく律儀に呼び名を訂正するあたり、ニアの大物ぶりもなかなかのものではある。  
そもそも裸コートに抵抗を示さなかった時点で、大物ぶりは十分証明されているのだが。  
(って、そんなことに感心してる場合じゃないだろう!)  
シモンはカミナに対峙するように立ち上がると、未だ雀卓の前にちょこんと座るニアを庇うように立ちはだかった。  
シモンの姿はいつぞやの刑務所での決闘のときのものだった。腰布一枚である。ちなみにヴィラルも同様だ。  
「何だ、シモン」  
「アニキ、聞いてくれ。こいつは、ニアは、俺の大事な女なんだ」  
「……」  
シモンはカミナの目を見つめながら語った。  
カミナならわかってくれると信じていた。弟分であるシモンの女を、まさか公衆の――といっても  
シモンを含めて三人しかいないが――面前で辱めるような真似をするはずがない。  
真剣に話せば、冷静さを取り戻してくれるはずだ。  
 
「だから、アニキ」  
「わかってるさ、シモン」  
ふ、とカミナは笑う。シモンもつられて安堵の微笑を浮かべた――が。  
「わかっちゃいるが、それとこれとは話が別だ! 勝負の世界に男も女も関係ねえ、兄弟仁義も何処吹く風よ!」  
「えええええ!?」  
「さあお姫さん、そのイカすデザインのコートを潔く脱ぎ捨てて、際どい山やら谷間やら一切合財さらけだしてもらおうじゃねえか!」  
「アニキさん、私はお姫さまではありません。ニアです」  
当てが外れたシモンはぐ、と拳を握り締めた。  
(くそっ! 恐るべきは童貞の女体に対する執着心か……!)  
「今なんか言ったかシモン」  
「いいや、何も言ってないよアニキ」  
十四歳のころの笑みを浮かべてシモンは首を振る。  
しかしこのままではまずい。ニアのあられもない姿を、自分以外の人間の眼前に晒してしまうことになる。  
(ならば――人身御供しかない!)  
「アニキ、ニアの代わりにヴィラルが脱ぐってのはどうだ!?」  
「んなぁッ!?」  
突如とんでもない形で矛先を向けられ、ことの成り行きを傍観していたヴィラルはがばっと立ち上がった。  
「ふざけるなシモン! 何故貴様の女の身代わりに俺が脱がねばならんのだ!」  
「ニアは元々テッペリンのお姫さまだ! 都の戦士なら身代わりくらいなんでもないだろ!」  
「ちょっと待てシモン、ヴィラルが脱いだって面白いことなんぞ何ひとつ無えじゃねえか!」  
「わからないぞアニキ! ヴィラルは獣人だし、ひょっとしたらものすごく面白い○○○がついてるかもしれないじゃないか」  
「何だと!? ……それならちょっと見てみたいかもな……」  
「貴様らいい加減にしろおおおお!! そんな面白いモンがついとるかーーーーッ!!」  
 
わあわあと言い争う男達を見上げながら、静かにニアが口を開いた。  
「シモン、でも私はもうお姫さまじゃないし、ヴィラルが私の身代わりになる道理はないと思うの」  
「う……」  
未だ雀卓の前に正座したままのニア自身に正論を言われ、シモンはしょぼんとうな垂れた。  
「ニア自身もそう言っている。諦めろシモン」  
若干気まずそうに、ヴィラルがシモンの肩を叩いた。  
「らしくねえなシモン。お前だってヴィラルなんぞの裸よりお姫さんの裸を見れるほうが嬉しいんじゃねえのか」  
「アニキさん、私はお姫さまではありません。ニアです」  
「俺はこんなことしなくてもニアの裸なんて好きなときに見れるもん……」  
しゃがみこみ、床にのの字を書きながらシモンはぼそぼそと呟いた。  
「何ぃッ!? シモン、お前……しばらく会わねえうちに大人になっちまったのか」  
「お前が死んでから七年も経ったからな。他の奴らもそれなりに変わっている。姿が変わらんのは俺だけだ」  
「そうか……」  
ヴィラルの言葉に、カミナは彼らしくない感傷的ともいえる表情を浮かべた。  
拗ねていたシモンも思わずカミナを振り返る。  
「アニキ……」  
「七年か……。そりゃ、成長するってもんだな。俺と一緒に女湯を覗こうとしていたシモンg」  
「わーーーーーーーーーッ!!!??」  
シモンの中の黒歴史をあっけらかんと言い放とうとした口の中に、とっさに手に掴んだ柔らかいものをカミナの口の中に突っ込んだ。  
「ふごっ!」  
きょとんとニアが首を傾げる。  
「女湯が……何ですか?」  
「なんでもない! 全ッ然なんでもないぞ、ニア!!」  
ちなみにシモンの中の黒歴史には他に、ギミーに掘られたこと、ヨーコへの淡い思いの玉砕などがある。  
覗きの件も含めて、どれも絶対にニアにだけは知られてはならない思い出ばかりだった。  
 
しばらくふごふごと呻いていたカミナだったが、いいかげん苦しくなったのか口の中に突っ込まれたものを勢いよく吐き出した。  
「何しやがんだシモン! 死んでなかったら窒息して死んでたところだったぞ!」  
「ご、ごめんアニキ。死んでるからいいかなと思って」  
「シモン貴様、さっきから何気に酷い言動ばかりだな……。ところで」  
呆れたようにヴィラルが、カミナの手元を見つめながら言った」  
「貴様らの友人が目を回しているが。大丈夫なのか?」  
「え?」  
ヴィラルの言葉にカミナとシモンは、視線を落とす。  
シモンが咄嗟に手に取りカミナの口に突っ込んだもの――それは、カミナの下腹部に張り付いていたはずのブータだった。  
「ブータああああ!?」  
「ごめんブータ! うわ、涎まみれだ!」  
「いや待てシモン、それより股間にくっついてたブータを口に突っ込まれた俺の立場は」  
「ご、ごめん。でも自分のだから汚くないよな?」  
シモンの言葉に更に言葉を返そうとし――ふとカミナはあることに気づく。同時にシモンも。  
「股間にくっついてた……」  
「ブータ……?」  
 
顔を見合わせ、次に雀卓の前に未だ正座するニアを見遣る。  
ぱちくりと開かれたニアの視線の先、ちょうど彼女の視線の高さでぶらぶらと揺れるもの。  
「うわーッ!?」  
「ぶみゅっ!?」  
シモンは慌ててブータを再度カミナの股間に張り付かせた。哀れブータは未だ目を回したままである。  
清純な佇まいのニアにまじまじと一物を見られ若干照れないでもなかったが、カミナは無意味に胸を張り誇った。  
「ふっ、どうだお姫さん。男のシンボル見られても動じねえ、これが俺の生き様よ!」  
ぱちぱちと目を瞬かせると、ニアはにっこりと微笑んでいった。  
「人間の男性のを見たのは、アニキさんが二人目です」  
「おう、そうか」  
「アニキさんのって……シモンに比べると少しコンパクトですね!」  
「んなあッ!?」  
 
全く悪気の無い、無邪気な微笑で告げられた残酷な真実。  
 
コンパクトですねコンパクトですねコンパクトですね……。  
 
ニアの声が何度も繰り返し木霊し……そしてカミナは、あの最期の日のように真っ白に燃え尽きた。  
「あばよ、ダチ公……」  
「アニキーーーーッ!!?」  
ジョーフェイスのまま動かなくなってしまったカミナをシモンが揺さぶる。  
ヴィラルはふと、先ほどのニアの言葉について問うた。  
「人間の、とわざわざ言ったということは、獣人の……その、なんだ、あれを見たことがあるのか」  
「ええ。昔小さいころに、一度だけ。チミルフと一緒にお風呂に入ったときに」  
「何だってえッ!?」  
初めてシモン・カミナ・ヴィラルの叫びが一つになった。カミナにはいつの間にか色が戻っている。  
「家族で仲良くお風呂に入る絵本を読んで、真似したくなったんです。  
でもお父様は私にとって遠い方だったから、そんなことお願いできなくて」  
「それでチミルフに頼んだのか、ニア……」  
「あのおっさん、ゴリ面のくせに泣かせるじゃねえか……。上に帰るときに土産でも持ってってやるか」  
「ふっ、チミルフ様らしい。部隊にいた頃を思い出す」  
懐かしげに呟くヴィラルに、カミナが訊ねた。  
「なんだお前、あのおっさんの背中でも流してたのか」  
「いや、チミルフ様とは限らなかった」  
「どういうことだ?」  
「チミルフ様の部隊では団結をはかるために、地位の上下を問わず寝食を共にするのが常でな。風呂も例外ではなかった」  
「皆で一緒にお風呂に入っていたのですね。素敵です」  
「背中を流すときはメンバー全員で輪になって洗いあったものだ」  
「チミルフみたいな大きな奴でも大変だけど、毛むくじゃらの獣人の背中を流すのは大変そうだなー」  
「うむ。あいつらどこが顔でどこが腹かもわからん分際でやたらとうるさくてな。  
この部位はシャンプー、この部位はボディソープと注文が多かった」  
昔をなつかしみながらヴィラルはふと思う。  
アディーネがやたらとニアを目の敵にしていたのは、風呂の件が最初のきっかけだったのではないか、と。  
(いや、まさかな。アディーネさまほどの方がそんな子供じみた嫉妬をするはずもない)  
 
「なにはともあれ、です」  
話を元に戻すかのように、ニアが言った。  
「約束は守らなければいけません。最初の約束どおり、負けた私は脱がなくちゃ」  
「ニア……! せっかく話がうやむやになりそうだったのに」  
「だめよ、シモン。けじめはつけなくちゃ」  
ニアが微笑む。シモンも悲痛な思いでその笑顔を見つめ返した。  
「さすがだ、お姫さん。……いや、ニア。シモンが惚れただけのことはある」  
「アニキさんにそう言ってもらえて嬉しいです。じゃあ、脱ぎますね」  
「ニア……」  
心配そうに見つめるシモン、目を血走らせたカミナ。あまり興味のなさそうなヴィラルの視線の先で――  
 
 
ニアは、右足の靴を脱いだ。  
 
 
 
「え……?」  
「な……?」  
「……」  
「はい、脱ぎました」  
ニアがにっこりと笑う。  
「ちょ、ちょっと待てええええええええッ!!!!!」  
ばしんと雀卓に両手をついてカミナは叫んだ。  
「裸コートだろうが、は・だ・か・コ・オ・ト!! なんで靴なんぞ履いとるんじゃあああああッッ!!」  
「あ、それについてはこれを見てください」  
ニアが懐から取り出したのは、一冊の本だった。  
「あ、これって今度発売する……」  
「はい、私の写真集です。このページのコートの私、見て?」  
「……あ」  
「靴を履いてるな」  
本を覗き込んだシモンとヴィラルは、確かに裸コートに靴を履いているニアの姿を確認した。  
「今日の私はこっちに準拠した姿なんです。だから靴を履いてるの」  
「なるほど、そうだったのかー」  
「指輪もしてるから、まだまだ戦えるわ」  
「いや、俺達が戦えないだろう」  
「納得できるかああああああッ!!!!」  
 
カミナの絶叫が響き渡ったそのとき、ようやく目を回していたブータは意識を取り戻した。  
記憶が曖昧になってはいたものの、酷い目に合ったことだけは覚えていた彼は「もうたくさんだよ」とでも言わんばかりにカミナの股間から離れた。  
ぴょんと跳躍した先、目指すは正面にいたニアの肩。  
――が、目測を誤ったのか、飛びついた先はニアの乳房の上だった。  
「あっ、ブータ」  
「まあ、くすぐった……あっ」  
「あ」  
「ッ!!!」  
ブータが乳房から肩に駆け上がったそのとき、ニアの身体にはぶかぶかだったコートの布地が一瞬揺れた。  
 
その瞬間、カミナは確かに見た。  
現世の時間にして七年前、温泉の戦いの後に見たヨーコの麗しい山と谷。膨らみこそそれに少し劣るものの、白桃のような瑞々しさをたたえた肌、  
その頂点でつんと上向き存在を主張するピンク色の可愛いさくらんぼを、カミナは確かに網膜に焼き付けた。  
そして、彼は。  
「アニキ!!」  
「カミナ!」  
「アニキさん!」  
 
カミナの姿は、淡い光に包まれて天へと上っていった。まるで「これで満足だ」とでも言うように。  
「アニキさん……」  
「欲望が満たされて満足したのだろう。安らかに眠れよ、カミナ……」  
沈痛な面持ちでヴィラルとニアは空を見上げた。  
その傍ら、シモンは妙な引っ掛かりを覚えた。  
(あのアニキが、ニアのおっぱいを見れただけで満足するのか……?)  
自分がカミナの立場であれば、これでは終わらないだろう。  
見るだけでは満足できようはずもない。触ったり、揉んだり、しゃぶったり……いろいろしたい。  
「あ」  
シモンは一つの結論に至った。  
「もしかして、アニキ……」  
 
 
 
 
 
本土から離れた小さな島、コレハナ島。  
島に一つしかない学校の、これまた一つしかない宿直室。一人しかいないはずの部屋から、何故か二人の人間が言い争う声が聞こえてくる。  
 
「ヨーコ、待たせたな! 十倍返しに来てやった! というわけで、さっさと脱げ!」  
「馬鹿言ってんじゃないわよ! 大体何なの、その頭の上のパルック! 冗談は存在だけにしてよね、バカカミナ!」  
「ふふん、七年の間に随分生意気な女になったじゃねえか。言っとくがお団子弾はもう俺には通用しね……いてェッ!」  
「思いっきり効いてるじゃないの! さっさと天国に帰んなさいよッ!」  
「ちょ、お前、実弾はやめろーーッ!」  
 
「……!」  
 
「……!」  
 
 
 
 
コレハナ島の学校に、七年越しの十倍返しの妄念を晴らそうとする幽霊が出るようになったのはこのときからである。  
 
 
終  
 
 

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