――人里離れた山奥の温泉宿。切り立った崖地と深い森、俗世と断ち切られたかのような秘境の地。  
多少の喧騒はその深い懐に呑み込んでしまうはずだが、今はそのキャパシティを遥かに上回ったどんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。  
 
 
「ビール足りてないぞー! どんどん持ってこーい!」  
 
ぐでんぐでんに酔っ払いながら叫んだのはガバル、その隣でひっくり返っているのはメタボリックな腹を浴衣からさらけ出したテツカンである。  
小さめの体育館ほどはあろうかという畳敷きの宴会場には、どこもかしこも浮かれた酔っ払いたちの顔があった。  
宴会場の入り口、すでに何者かによって蹴り倒された案内板には、「天元突破グレンラガン螺厳篇公開記念&超☆天元突破打ち上げ〜大グレン団御一行様〜」と、黒々とした筆書きの跡がある。  
 
そう、つまりはそういうことであった。  
 
 
 
 
「そういうことなんだよ! 細けえことは気にすんな!」  
「誰に向かって言ってんだお前」  
「いやなんとなく」  
意味もなく胸を張って叫んだのは、あいかわらず頭上にパルックのようなものを浮かべたカミナである。  
傍らで突っ込みを入れたキタンの頭上にも同じものが見える。  
 
「おめーら、まるでおそろいじゃねぇか」  
「フッ、お似合いだよ二人とも」  
からかうように言ったのはキッド、続いたのはアイラックだ。二人の頭の上にはパルックは浮かんでいない。  
周りでそのやり取りを笑いながら見ている他のガンメン乗りたちにも、だ。  
 
「ったくよー、展開の都合だかなんだか知らねえが、お前らだけちゃっかりコレはずしやがって」  
「いいんじゃねーの、部屋の電球が切れたときそれ便利そうだし」  
「おお、そりゃそうかもな」  
「馬鹿、あの世でそんなシチュエーションにお目にかかるほうが珍しいわ」  
 
男だけでどうでもいい会話をしながら、ダラダラと酒を飲んでいる――わけではない。少なくともカミナは、だ。  
キタンらとじゃれないながらも、彼は宴会場のある集団の動向を注意深く伺っていた。  
向こうが腰を上げたときこそ――カミナも次の行動に移らなくてはならない。  
そして、カミナの視界の端でついにその動きがあった。  
ヨーコ、ニアを初めとする大グレン団の女性陣――そのほとんどが、連れ立って宴会場を出て行ったのである。  
 
「ついに、この時がきたか……」  
「あん?」  
静かに呟き立ち上がったカミナを、キタンが不審な目で見上げる。  
「悪りぃが、俺は行く。お前らも付いてきたいってんなら止めやしねえが、てめえの命張る覚悟ないならやめておけ」  
「なんだってんだよ、カミナ。お前どこに行く気だ?」  
眉をひそめて問うキッドに、カミナは血走った――燃える瞳で言った。  
 
 
「決まってんじゃねえか……女湯だッッ!!」  
「女湯って、ちょ、おまッ……どういうつもりだてめえ!」  
「声がでけえよ馬鹿! 気づかれたらお団子弾じゃすまねえんだぞ!」  
場所を廊下に移し、こそこそと円陣を組みながらカミナとキタンはどつきあう。  
それを遮るようにゾーシィが口を挟んだ。  
「つまり、覗きってわけかァ?」  
「いくらなんでもそりゃちょっと……なあ?」  
「フッ、俺はごめんだよ。レディーを辱める真似などできないからね」  
「たりめーだ! てか今風呂に行った中にはキノンもキヤルもいるんだぞ! もしそんな真似したら、てめえら末代まで祟ってやるからなァァ……!」  
今にも悪霊と化しそうなキタンににじり寄られ、ジョーガンとバリンボーが「そうだそうだー」「覗きはよくないぞー」といつになく小さな声をあげる。  
「カミナもよォ、ガキじゃねえんだし……」  
「ま、お前らが来ないってんならいいけどな」  
しれっとした顔でカミナは言い放つ。  
「ヨーコのデカパイは俺がしっかりこの目に刻んできてやるさ」  
 
(ヨーコの……!)  
 
(デカパイ……!?)  
 
ガンメン乗り達の間に稲妻のような衝撃が走ると同時に、スペースルックに身を包んだヨーコの豊満な肉体が瞬時に脳内に浮かび上がった。  
ヨーコの成熟した肢体を間近で見てきたのは、カミナよりも彼らなのであるから当然だ。  
「いいよなぁ、あのでかいおっぱい。七年前からぷりぷりしてたが、まさかあれ以上に成長するたぁ俺も思わなかった。  
あの際どい山やら谷やらが湯煙の向こうから見えたらたまんねえよなぁ」  
 
わざとなのか素なのかはわからないが、カミナは大仰なため息をついて言った。  
「まあお前らが来ないってんなら仕方ねえ、俺ひとりで……」  
「待て、カミナ」  
踵を返したカミナの肩に手を置いたのは、ゾーシィだった。その目は先ほどのカミナと同じく血走って、異様な威圧感を帯びていた。  
「俺はのるぞ」  
「俺たち、この世とあの世に分かれちまったが魂はいつでも一蓮托生だよな……!」  
「キッドが行くというのなら、俺も行かないわけにはいかないね」  
「そうだそうだー!!」「男は助平でなんぼだー!!」  
「お前ら……!」  
にやりと笑いカミナが拳を突き出すと、それにあわせるように男たちは力強く拳を合わせた。  
動機の純不純を問わないのであれば――違う人間同士がこれほどまでに思いを同じくできるのかと、ニアなどであれば素直に感動の意を示したかもしれない。  
 
「ん? キタン、どうしたんだ?」  
カミナがきょとんと見やった先で、キタンはしゃがみこみ頭を抱えて何事かぶつぶつと呟いていた。  
「ヨーコのデカパイ……いや、しかし覗きなんて、キノン、キヤルっ……! だがヨーコの乳がッ……!」  
 
大切な妹たちを守らなければならない、しかしヨーコのおっぱいは見たい。  
もしバレたら。メガネの奥から冷たい視線で「お兄ちゃん、最低」とはき捨てるキノン。キヤルももう無邪気に懐いてくれないかもしれない。  
「兄ちゃんのパンツ、洗濯機で一緒に洗いたくない!」とか言い出すかもしんない。  
なによりヨーコ。表向きは「何やってんのよ、馬鹿!」と怒る程度で済んだとしても、彼女の中での自分への信頼は失墜もいところだ。  
だかしかし。いやしかし。見たい。見たい。この思いは止められない!  
 
「うがああああああッッ!!!」  
「おわぁっ!?」  
煩悶の末、キタンはとうとう頭から煙を吹いてその場に突っ伏してしまった。  
「おーい。キターン」  
「起きねえだろ、こりゃ」  
「しょうがねえ、俺たちだけでもいくか」  
「そうだそうだー!」「行くぞー!」  
ぷすぷすと黒煙を上げるキタンをその場に残し、ガンメン乗り達はぞろぞろと温泉の入り口へと向かった。  
 
「……む。奴ら、行ったようだな」  
「なあに、パパ?」  
「いや、メムは気にしなくてもいい」  
「? ふーん」  
膝の上に抱いた娘の頭をひと撫でし、ヴィラルは胸中で毒付いた。  
(まったく、懲りん奴め……)  
打ち上げ会場が温泉地だという時点で、カミナがこのような行動に出ることは容易に想像がついた。  
シモンから聞かされた七年前の温泉型ガンメンでの騒ぎ、そしていつだったかのニアを交えての麻雀大会での行動。  
覗きに行くことはわかりきっているというものだ。  
(ツーマとメムのために温泉とは別に家族風呂を用意させる代わりに、俺は出来る限りのことをしてやったつもりだ。  
もしそれを乗り越えてカミナが温泉にたどり着いたときは……シモン、お前が最後の砦になるしかない)  
温泉の中、仁王立ちでカミナを待ち構えるシモンに心の中でエールを送りつつ、ヴィラルは傍らの妻に言った。  
「ツーマ、そろそろ風呂にいこう」  
 
 
「のわああああああ、なんじゃあああこりゃあああああッッ!!」  
旅館を出た先、森を少し歩いた先にあるという温泉に向かって進むガンメン乗りたちに襲い掛かったのは地雷、落とし穴、投石器から放たれる石塊の雨……その他諸々の地獄のようなトラップの数々だった。  
周辺の環境への配慮や遠慮が微塵も無い、蜘蛛の巣のような地獄の罠。ゲリラ時代の知識と経験を元にこれらを仕掛けたのは無論ヴィラルだったが、哀れな生贄たちはその事実を知る由もなかった。  
「ゾーシィーッ!」  
「クソッ……おれ、どこまで行けた……?」  
「まだ脱衣所にも行けてねぇーッ!」  
仲間の声を聞きながら、ゾーシィは落とし穴の中で静かに目を閉じた。  
 
「ちくしょーッ!! このクソどもがぁーッ!」  
爆炎、岩の雨をかいくぐり女の園へと走る男たちだったが、凶悪かつ容赦のない罠の前に次々と倒れていく。  
こともあろうにキッドの前には、どこから仕込んできたのか腹をすかせたトビタヌキの大群が襲い掛かった。  
「アイラック、俺に構わず行けーッ!」  
「フッ、そんなことが俺にできると思うのかい…!?」  
かくてつむじ風ブラザーズは、大繁殖したトウキビナゴの群れにも勝るトビタヌキたちの中にうずもれていった。  
 
「ウガー!」「ウガー!」「こんな岩大したことないぞー!」「俺たちの頭のほうが硬いぞー!」  
言葉通り、ジョーガンとバリンボーは岩時雨にも負けない強靭さで温泉へと突き進んでいく。その勢いは暴走したブタモグラ顔負けだ。  
「入り口だー!」「着いたぞー!」  
ゴールを眼前にした二人の前に、茂みからさっと飛び出た何者かが行く手を遮った。  
「ウガー!」「爺さんか!」  
二人の前にちょこんと現れたのはココ爺だった。その格好はシモンたちと初めて出会ったときの、温泉の番頭のものである。  
「……」  
ココ爺は無言で、温泉の入り口とはまったく違う、茂みの奥を指差す。  
「なんだー!」「あそこになにかあるのかー!」  
「……」  
ココ爺は無言で頷く。  
「なんだー!」「なんだー!」「行ってみるぞー!」「行くぞー!」  
再び暴走ブタモグラの如く加速し、ジョーガンとバリンボーは突き進んだ。その行く手にあったものは――  
 
 
――崖だった。  
 
そして、獅子すらもわが子を突き落とすことをためらうような地獄の底に、大男二人は吸い込まれていったのである。  
 
 
「なんだ、結局たどり着けたのは俺だけか」  
満身創痍になりつつも、なんとか脱衣所までたどりついたカミナは即座に見にまとっていた浴衣を脱ぎ捨てた。男らしくドリル全開であった、が。  
 
 
「お? お前、ブータじゃねえか」  
「ぶっひゅ!」  
脱衣所の隅にちょこんと座っていたのは、シモンの小さな相棒ブータだった。  
カミナは笑うとブータをむんずと掴み、定位置へと――つまり自分の股間へと張り付かせる。  
「やっぱこのスタイルが落ち着くな。――さて!」  
ぎらり、と再度血走った目で睨むは男湯への入り口だった。  
女湯に直接ルパンダイブを決行するという考えはカミナにはない。男湯から入り障壁を乗り越えて覗くことは、七年前からの悲願であったからだ。  
「そう、七年前はシモンの奴も一緒だったってのにな……」  
わずかに切なさすら感じながらカミナは物思いにふける。  
先日の麻雀大会でのニアを巡っての対決で、シモンはもうこのような行為に参加しないであろうことはカミナにも嫌というほどわかったのだ。  
「まったく、一人だけさっさと大人になっちまいやがってなぁ」  
呟いたあと、ふと眉をひそめる。  
「……ん? そういやシモンの奴、しばらく姿を見なかったな」  
宴会場にはいなかった。――そして、ここにはブータがいる。  
「……てこたァ……まさか!」  
がら、と勢いよく温泉への扉を開け放つ。  
湯煙にかすんだその先。女湯との境となる塀を背に、守るように仁王立ちする腰巻一枚の男。  
カミナすら気圧されるほどの威圧感を放つその男は――  
「シモン……!」  
「来たな……アニキ!」  
 
 
 
温泉には似つかわしくない、緊迫した空気が流れる。  
しばし無言でにらみ合ったあと、カミナはにやりと笑った。  
「さすがはシモンだ。俺の行動はそっくりそのままお見通しだったってわけか」  
「ああ。……アニキ、今ならまだ間に合う。諦めてくれないか」  
そう口にしつつも、すでにシモンはとうに悟っているようだった。カミナが、一度決意したことを易々と覆すような男ではないことを。  
「お前と本気でやりあったことは一度もなかったが……まさか死んだ後に機会に恵まれるたァ思わなかったぜ」  
「アニキ……俺は戦いを望んでない。だけど、俺はニアを守りたいんだ。そのためには」  
「ああ、それでいいさ。シモン、お前はそれでいいんだ」  
短いやり取りののち、二人はふ、と笑いあった。  
 
――そして。  
本来であれば傷を癒すはずの温泉の地で、二人の男の意地と意地のぶつかり合いが始まったのであった。  
 
(ちっくしょう、シモンの奴、七年間なに食ってやがった…!?)  
悪態をつきたくなるのも無理はなかった。十七歳のころから肉体的に成長のないカミナに比べ、シモンはすでに身長、体格の面で勝っている。  
リーチも自然と長くなる上に、シモンの戦い方には隙というものが見当たらない。  
独学・自己流のケンカ殺法のカミナに対し、シモンは激務の間の息抜きとはいえ正式な格闘訓練を受けていた。  
戦いが長引くにつれ、カミナはシモンの攻撃を捌くだけの状態に追い込まれていった。  
「アニキ、これで終わりだ! もう寝てくれ!」  
気合の声と共に迫り来るシモンの拳。避けるのも捌くのも、間に合わない――  
 
「あ、透けりゃいいのか」  
「えええええッッ!!」  
 
死者の特権に気づいたカミナは、自らの姿を不透明度五十パーセント程度へと瞬時に薄れさせた。  
カミナの左頬にめり込むはずだった拳はむなしく彼をすりぬけ、シモンは勢いよく前方につんのめった。  
 
「ずるいぞアニキ!」  
「へっへーん、いいだろシモン! これなら壁すり抜けもできるぞ!」  
「だったらさっさと覗きに行けるじゃないか!」  
「お? そんなこと言っちゃっていいのか〜、シモン? ホントに行っちゃうぞ〜?」  
「うぐ……!」  
 
七年前にロシウをからかったときのようにへらへらとおどけるカミナを前に、シモンは初めて「どうしようコイツ本気で殴りたい」とうっすら殺意めいた衝動を抱いた。  
が、その黒い衝動を打ち消すような可憐な声が塀の向こうから響いた。  
 
 
「あ、キヤルさん……!」  
「なんだよう、ニア! 女同士で恥ずかしがることねえじゃん。隠さないでこっちこいよ〜」  
 
(え?)  
 
カミナもシモンも、思わず互いへの警戒心を緩めて会話へと耳を澄ます。  
 
「そうよ、そんなにがっちりバスタオルで巻かなくったっていいじゃない」  
「ヨーコさんの胸、すごいです……。ぷかぷか浮いてる」  
「あはは、普段からこれくらい軽ければいいんだけどね」  
 
(ええ!?)  
 
「あ、やだ……、キヤ、だめッ……!」  
「野暮ったいタオル剥ぎ取ったり! ……って、ありゃ?」  
「ニアさん、身体中に赤い跡……ソルバーニアで戦ったときの痣ですか?」  
「いや、ダリー、多分これは違うと思うわ……」  
「え? あ、でも、確かに胸元にばっかりこんなに痣ができるのも変ですよね」  
「ニアさん、これってもしかして……」  
「なんだなんだ?」  
「……シモンね? ニア」  
「はい……」  
 
一瞬の間のあと。  
黄色い嬌声が、一斉に女湯の側から上がったのであった。  
 
 
「まったく、信じらんないわね。打ち上げ旅行中くらい自重しなさいよシモンったら!」  
「昨日の夜だったんですか?! そうなんですか?!」  
「ダ、ダリー、興奮しすぎ」  
「ひゅ〜ひゅ〜っ!」  
「明日皆さんと一緒に温泉に行くからって言ったんだけど、あの……シモン、ちょっと浴衣に、興奮しちゃったみたいで、その……」  
「「「キャーッ!!!」」」  
 
 
女たちの更なる叫びを聞きながら、シモンは石像のように固まった。さすがに隣にいるカミナと微妙に気まずい。  
「シモン」  
呼ばれた先に振り向くと、さわやかな笑顔でカミナが拳を握り締めていた。  
「何も言わずに一発殴らせろ」  
「やだ☆」  
 
ニアの真似をしてみたが、やっぱり微妙に違うな……と思い直すシモンの前で、カミナの身体が小刻みに震えている。  
「アニキ、そんなに怒ってるのか?」  
「違う……違げえよ、シモン」  
「え!?」  
シモンの目の前で、カミナの身体が淡い緑の光に包まれていく。――これは、螺旋力の光だ。  
「お姫さんの話やらヨーコの乳が浮いてるだの聞いてたら、身体の中に妙な力が漲ってきやがった……これが、螺旋力の覚醒ってやつなのか!」  
「いや随分とお手軽な覚醒だなアニキ!?」  
これだから童貞は、とシモンが突っ込む間もなく、カミナの身体はあふれ出る螺旋の力に包まれて浮遊していく。  
カミナを包む螺旋の力はやがて人の形を成し、力強く腕組みをする一体の巨人の姿を形成した。  
「え!? ちょ、もしかして……!」  
 
そのまさかであった。  
宇宙の果て、隔絶宇宙での最終決戦でのグレンラガン最終形態。超天元突破グレンラガンに、その姿は酷似していた。  
無論、銀河より巨大な超天元突破グレンラガンに比べれば、米粒どころか粉微塵にも満たない大きさにすぎない。  
が、少なくとも温泉の塀をはるか足元に見下ろす程度には、その姿は巨大なものであった。  
目を凝らしてよくよく見れば、超天元突破――ではないので、仮に超アニキと呼ぼう――のサングラスにあたる部分には、隔絶宇宙の戦いのときの天元突破グレンラガンと同じようにカミナの姿が見えた。  
股間にブータをつけただけの姿で超アニキの頭部で宙に浮かぶ姿は、なかなかにシュールと言えよう。巻き込まれたブータは気の毒としかいいようがない。  
 
(って、冷静に観察してる場合じゃないな!)  
女湯でもさすがに事態に気づいたらしく、慌てふためく女たちの声が聞こえた。ヨーコはしっかりカミナの姿を認めたらしく、「何やってるのよバカカミナ!」と相変わらずの怒声を響かせている。  
が、超アニキはまったく意に介さず、塀に手をかけてのっそりと頭をそりだした。このままでは頭部のカミナが塀を越え、女湯側へとわたってしまう。  
「ははははは! 七年越しの悲願の一つ、今こそ叶えさせてもらおうじゃあねえか!」  
 
「くそっ! こうなったら破れかぶれだ!」  
シモンが手のひらに螺旋のドリルを生み出そうとした瞬間、男湯のドアがしたーんと勢いよく音を立てて開けられた。  
その向こう側から現れたのは。  
 
 
『ここだったようだな』  
漆黒のようでいて様々な模様の渦巻く身体。真空のような瞳と、奇妙に縦に裂けた口。  
 
 
見まごうことのない――アンチスパイラルだった。  
 
「ア……アンチスパイラル!」  
『膨大な螺旋力の暴走を感じたので駆けつけてみれば、やはりお前か、人間』  
すたすたとシモンの隣に並び、超アニキを見上げる。  
「お前も打ち上げの参加者だったのか……」  
どうやら宴会の名残らしい、アンチスパイラルの頭部に巻かれたネクタイ――一体誰のものだろう――を見やりながら、シモンは呟いた。  
『当然だ。別件で今日からの参加となったが。せっかくすしおやロージェノムと「みんなのピース」を歌っていたというのに』  
表情というものがまるで伺えないはずのアンチスパイラルだが、心なしか悔しそうに眉間をしかめた……ように見えなくもない。  
「あれを……アニキをなんとかできるというのか」  
『たやすいことだ』  
まさか超アニキと同等の大きさに膨れ上がるのでは――とシモンが想像した瞬間、アンチスパイラルは右手を空に伸ばす。  
そして次の瞬間、グレンラガンを貫いたあの指先の鋭い触手が、カミナ目掛けて襲い掛かったのだ。  
 
ぷすっ。  
 
「あっ」  
『……』  
 
アンチスパイラルの伸ばした触手の一本が勢いよく突き刺さったのは、カミナの尻の穴であった。  
 
「はんぎゃーーーーーーーッッ!!!」  
 
耳を覆いたくなるような悲鳴をあげ、尻を押さえて飛び上がるカミナの姿をシモンは見た。  
その様は七年前のシモン自身を彷彿とさせ、葬り去りたい黒歴史の一ページを思い起こさせる。  
 
 
肛門突破と共に超アニキの姿は嘘のようにかき消え、カミナはあっという間に池ポチャならぬ温泉ポチャを果たした。無論男湯側に、である。  
彼の夢はついに叶うことなく、潰えたのである。  
気絶したままぷかぷかと浮かぶカミナを見やり、シモンはほうとため息をついた。多少気の毒な気はしたが、ニアを初めとする女性陣のことは守れたのだ。  
「やれやれだな……ってあれ?」  
 
びしびしびし、と音を立て、男湯と女湯を遮る塀に亀裂が走っていく。  
「どうなってるんだ!?」  
『先ほどの巨人の螺旋力の衝撃が思いのほか強かったのだろう。……あとは』  
ぽりぽりと頭をかくしぐさをし、続ける。  
『無駄にたくさん伸ばした触手が壁に突き刺さってしまったのが原因だな』  
「お前じゃねえか!」  
べしん、とアンチスパイラルの頭を叩いたのと同時に、塀は砂煙を上げて崩落していった。  
 
「ニアーっ、皆っ、無事かー!」  
さすがに超アニキの騒ぎの中、塀の近くにいたということはないだろう。塀自体の崩落もさほど規模が大きかったわけではない。  
が、ニアの姿を探してシモンは埃と湯煙のなか必死で目を凝らした。  
『イレギュラーっ、その他人間っ、無事かー』  
「いや、お前は捜してくれなくていい。というかむしろむこうを向いててくれ」  
アンチスパイラルであるとはいえ男である。螺厳篇での正常位レイプを思わせる構図を思い出し、シモンは胃にむかつくものを感じながらアンチスパイラルを遠ざけた。  
ニアの乳房と秘所を真っ先に解析するような輩に、二度と彼女の美しい裸体を見せるわけにはいかない。  
 
「シモンさーん、全員無事ですよーっ」  
瓦礫と湯煙の向こう側からひょっこりと顔を覗かせたのはキノンだった。そのまま何を思ったか、身を乗り出してひょこひょこと歩いてくる。  
「ちょ、ちょっと待って!」  
シモンはあわてて背を向けたが、くすくすと笑い声があがる。  
「大丈夫ですよ、みーんな水着着用済みですから」  
「……へ?」  
おそるおそる振り返ると、確かにヨーコをはじめ皆揃いの水着を着用済みだった。無論ニアもである。  
「七年前にあんな目にあってんのよ? コイツがいて何も起こらずに済むって考えるほうがおかしいわよ」  
「ねー」  
「私もそのときご一緒したかった!」  
「いえ、やめたほうがいいですよニアさん……」  
楽しげな女たちを見て、シモンは苦笑した。どうやら自分たちが気を揉まなくても、カミナの野望は達成の見込みがないものだったらしい。  
「とにかく皆が無事でよかったよ。じゃあ、俺はそろそろ出……」  
 
シモンがそう言ったとき、一陣の風が吹いた。  
シモンの立つ男湯とニア達の女湯を突然吹きぬけたそれは、どんなに動いても決して乱れることのなかったシモンの腰布を――いとも簡単に、奪い去っていったのである。  
 
 
かくて、秘境の温泉に、本日最後の女たちの悲鳴――否、嬌声が響き渡ったのである。  
 
 
 
「いやあ、すごいもん見ちゃったぜ! 同じ男でも兄ちゃんのとはまた違うもんなんだなー」  
「シモンさんのアレで、昨日の夜ニアさんが……アレで……どりどり……」  
「初めて、見ちゃいました……ロシウ、ごめんなさいっ……!」  
「あ、あんたたちちょっと落ち着きなさいよ、もう。ニアもどうしたのよ、さっきから黙っちゃって」  
「いえ……」  
 
 
「あー……、さっきはかっこ悪いところみせちゃったな」  
「……」  
騒動の数時間後。ようやく個室で二人きりになれたというのに、ニアの機嫌はなぜか悪かった。  
すべすべした頬をわざとらしく膨らませ、シモンと視線を合わせようとしない。  
他愛ない話を振ってはみるものの、「うん」だの「ええ」だの短い言葉しか返さない。  
ニアにしては珍しい意固地な態度だった。  
「ニア。言ってくれなきゃわからないこともあるよ」  
正面から瞳を見つめて、言う。ややあって、ニアはばつが悪そうにそろそろと顔を上げた。  
視線の合った先に見えた彼女の表情は、眉こそしゅんと下がっているものの、いつもの素直なニアのものだった。  
「……ごめんね」  
「別に謝らなくてもいいよ」  
あまりの素直さにシモンは苦笑した。ニアはもともと怒りを持続させることに向いている性分ではないのだ。  
「……シモンの裸、私だけのものなのにって思ったら、ちょっと悔しくて。拗ねちゃったみたい」  
自分で言っておかしくなったのか、ニアはくすくすと笑った。こうなるともう、いつもどおりのニアだ。  
シモンはほっと一息つき、ニアの身体を優しく抱き寄せた。ニアもシモンに身体を任せ、素直に甘える。  
 
――そうとなれば。  
 
 
「シモン、だめ……っ」  
「ニアのだめはいつもだめじゃないじゃないか」  
「だって、昨日だってしたのに」  
「昨日は昨日、今日は今日だよ」  
大きく開けた浴衣の合わせに手を滑り込ませ、むにむにと乳房の感触を楽しみながらシモンはニアの浴衣のすそをたくし上げた。  
「ひゃっ……」  
露になった秘所に指を這わせ、そっと合わせを開く。その奥のピンクの柔肉は、蕩けるような感触でシモンの指を愉しませる。  
「シモン、待って……っ」  
「待てない」  
 
布団の上で、小さく抵抗する女とそれを優しく押さえ込む男の身体が絡み合い始めた――そのとき。  
 
 
「ほぎゃー」  
 
 
(……ほぎゃー?)  
 
 
「ほら、だからダメって、言ったのに……」  
乱れた浴衣をなんとか直し、ニアは小走りに障子の向こうへと駆けていく。  
状況を把握しかねるシモンの視線の先に、ニアが抱えて戻ってきたのは――赤ん坊だった。  
 
「……え?」  
「今回は螺厳篇の打ち上げでしょ? この子だって立派な出演者の一人だもの。ねー?」  
「あうー」  
ニアに抱っこされ、子供時代の自分にそっくりなどんぐりまなこでシモンを見つめるのは――多元宇宙の彼方で生まれていたかもしれない、シモンの子供だった。  
「この子、どこから連れてきたんだ……?」  
「アンチスパイラルが別件で遅れたって言わなかった?」  
ニアが面白そうにくすくす笑った。  
 
「わざわざ連れてきた、ってことか」  
シモンは障子の向こう、アンチスパイラルがまだいるのであろう宴会場の方角を見やった。  
ニアに渡され、赤ん坊の温かく乳臭い身体をぎこちなく抱く。  
もし、たら、れば。どこかで違う選択をしていれば辿りつけたかもしれない、平凡で幸せな未来。赤ん坊の瞳の向こうにそれが見えた気がした。  
今つかの間感じる柔らかな感触、小さな重みは、手に入れる寸前で可能性の糸が断ち切れてしまった。  
そのことに後悔はない。けれど。  
 
 
窓の外の風景を赤ん坊に見せるふりをして、シモンはニアから顔を背けた。赤く潤んでいるであろう瞳を見られたくなかった。  
 
 
 
 
同刻。  
薄暗い旅館の廊下を、ずりずりと匍匐前進する男の姿があった。  
不撓不屈の鬼リーダー、カミナである。  
「くそっ……一体何があったんだか途中からさっぱり記憶がねえ。だが、これしきのことで俺の漢魂が燃え尽きると思ったら大間違いだ!」  
七年前のリベンジは失敗に終わった。しかし、夜はこれからなのだ。  
目指すはヨーコの部屋ただ一点。温泉旅館の夜といえば夜這いに決まっている。  
 
滾る性欲パワーを爛々と目に漲らせ進むカミナ。その足首を、何者かががしりと掴んだ。  
「なんだ、邪魔するんじゃねぇ!」  
怒鳴りながら後方を振り返った彼の眼に飛び込んできたのは――  
 
 
「カ〜ミ〜ナ〜……」  
「放置たぁ、ひでぇじゃあねえか……」  
「助けに来てくれても、罰は当たらないとおもうけどな……」  
「ひどいぞ……!」「ひどいぞ……!」  
本職の幽霊顔負けの怨念に顔をゆがませたガンメン乗りたちが、ずるずるとカミナに迫り、そして――  
 
 
ようやく夜の静寂に包まれようとした温泉旅館に、正真正銘、本日最後の悲鳴が響き渡った。  
 
 
 
終  
 

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