「ヨマコ先生、さようなら〜」
「ええ、さようなら。真っ直ぐ帰るのよ」
「大丈夫、私がこいつら見張ってやるんだから」
「うげ、オリコだ! なんだよ、あっちいけよ!」
「なによ、とっとと歩きなさい! ケフザ!」
「ふふ、貴方達、あんまり遊んでると、日が暮れちゃうわよ」
「「「はーい」」」
今日も子供の声と別れて終わる。
そんな毎日。
これが日常となって、早20年。
コレハナ島の小さな小学校に単身赴任してきた新米教師ヨーコは、今や周囲の信頼を集める校長と
なっていた。
と言っても、元々利発で行動的だった彼女は赴任当初から子供達と、教師達と馴染んでおり、校長
になったのも周囲がどうしてもと彼女に頼み込んだからに他ならない。
夕日の差し込む窓を閉めながら、教室の戸締まりを確認して回る。
たまに悪戯好きな子供達が隠れんぼをして潜んでいたりもするから、気が抜けない。
もっとも引退したとはいえ元スナイパーの彼女を出し抜けることなどそうそうなく、子供達はいつ
も先に見つけられては悔しい思いをしていた。
ただ最近は、おふざけの隠れんぼを頻繁に繰り返す男の子達を、ヨマコ先生のためとばかりに引っ
張って帰ってくれる女の子達がいるから助かってはいる。
「あの時期だと、なぜか女の子の方が早熟なのよね」
思えば私もそうだった、と歩きながら思う。
周囲の男の子があんまりガキに見えたモノだから、常に相手にせず独りでライフルの腕を磨いた
ものだ。気づけば、人より遥か遠くの標的まで打ち落とせるほどになっていた。
そのうち、村民まとめて地上に出ざるを得なくなり、ガンメン達を相手に戦いだし、そして、あの
二人と出会った。
一人は彼女にとって運命の男。そしてもう一人は、
「そういえば、あの頃は本当、同年代とは思えない子供だったわ」
なぜかおかしく感じて、微笑する。
しかし、あの気弱にしか見えない少年は見かけから想像もつかない力を秘めていた。
ある男は言った、いつも最後まで諦めないのが彼であり、その背中に似合う男になりたいと。
可笑しいのは、お互いが同じようなことを思っていたというあたりではあるが。
「戸締まり、終わり! さてっと。夕食はどうし」
「せんせええええ、ヨマコせんせえええ〜!!」
「大変だ、大変だ、大変だああああ、不審者だあああっ!」
「!? どうしたの、みんな!」
慌てて声のする校庭へ出ると、さっき帰ったはずの子供達が息を切らして走ってきている。
まずは事情を聞かなければ。
「落ち着いて、オリコ。何が起きたかを、ゆっくり話してね」
優しく促された少女は、大きく頷いて深呼吸を繰り返した。何とか息が整う。
「え、えっと。ケフザ達と帰ってたらね、こっちに汚いマント来た男の人がいたの」
「男の人? 知らない人なのね……浮浪者かしら」
「わかんない。でも、止めろと言ったのにケフザ達があいつは悪者だって息巻いちゃってっ! 今、
その男の人と喧嘩して追っ払おうとしてるのっどうしよう!!」
「はああ……あの子達ったら。オリコ、私を今すぐそこへ案内して」
「うん! すぐそこ、学校に来る道への途中だからっ!」
血気盛んな男の子達も問題だが、相手の男の武装も気になる。ヨーコは念のため、急いで寝室に
戻ると壁を押す。すると、ベッドがひとりでにひっくり返り、裏から壁に貼り付けられた愛用ライ
フル一式が現れた。
(使わないことを祈っておくわ)
「さあ、行きましょう」
「うん、こっち!」
待たせておいたオリコと共に、通学路の坂道をくだっていく。少女は物騒なライフルにギョッと
していたが、いつもと異なる先生の表情に質問がしづらいようで、無言で先を急いだ。
「やいっおっさん! 一体この先に何のようだ!」
「ヨマコ先生の元へは行かせないぞ、悪者めっ! 俺様の太刀を食らえっ!!」
「ほう、良い剣裁きだ。だがな、坊主。棒はそうそう人に向かって殴りつけるものじゃない」
「うっさい、おっさん! 悪者の癖に生意気だぞ! このケフザが成敗してやる!」
駆けつけた先では数人の男の子が若草色のフードを深く被った男に拾った棒きれを振り回していた。
が、その太刀は全く当たらず、相手から戦意は感じられないので、暖簾に腕押しである。
(もしかして……)
ヨーコはハッとする。
「それにな、坊主達は知らないだろうが、お前達が守ろうとしている先生とやらは、とても守られる
だけの女じゃないぞ。その証拠にな。見ろ」
「え?……あ、ヨマコ先生!! 来ちゃ駄目――……って、な、なにそれ?」
「ははは、顔に似合わずごっつい武器を持っているだろ、『ヨマコ』先生は」
いつの間にか、子供達の視線がヨーコの手に持つカスタムライフルへと集まっていた。
ヨーコは気恥ずかしくなり、キッと原因の主を睨む。
「あんた……、もう少し穏やかな訪問を頼みたいわね。子供に悪影響よ」
「俺としてもそうありたかったんだがな。立派なナイト達がいるとこういう事になる」
「ええ、まぁ、気持ちは嬉しいんだけどね……」
ヨーコはその時、まるで20年前の、いや、彼と出会った27年前のような顔で苦笑した。
周囲も薄々、二人が知り合いらしいと気づいたのか、おずおずと顔色を窺い出す。
「せ、先生……、あの、もしかして悪者じゃないの? こいつ」
「さあ、正義の味方かどうかは分かんないけど」
クスクスと笑いながら、ヨーコは子供達を見回し、そして、目の前の男へと微笑みかけた。
「いつでも私の、私達の力になってくれた人よ。そうよね、シモン?」
その言葉に、フードから螺旋状の模様をさせた目を覗かせた男――シモンは、深い皺を頬に寄せて
照れくさそうに笑い、
「ブイブイィッ」
その首の横から顔を出した小さな豚モグラが、誇らしげに頷いた。
そこは、コレハナ島よりしばらく歩いた場所にある。
シモンはそこへ向かった後は、必ずここへ立ち寄る。
校長室にて。
「ここに来るのは一年ぶりかしら」
「さあ、どうだったかな。歳をとると記憶が無頓着になってきた気がするよ」
「ふふ、嘘ばっかり」
ヨーコは知っている。
シモンは定期的に、この小学校を訪れている。
それはつまり、まるで計ったように周期的にそこへも行っているという事になる。だが、この歳に
なってそんな些細なことで問い詰めるのも、なんだか無粋だとヨーコは苦笑しながら、彼の前に紅茶
を差し出した。
「でも珍しいわね、こんな夕暮れに。いつもここに来るのは、お昼過ぎが多いのに」
ヨーコの問いにシモンはああっと頷くと、少し疲れたような顔をする。
「実はちょっと、追いかけっこをしていた」
「追いかけっこ? こんな歳にもなって……あんたも落ち着かないわねえ」
「そうかな」
「そうよ」
「そうかもな」
「そうよ……ふふ」
なんとなく、微笑みながら二人とも紅茶に口をつける。
それからは、大したことを話すでもなく、紅茶を注いではゆったりとした時間が流れる。
別に仲が悪いわけではない。
もう、この二人はこうしたひとときを10年以上繰り返しているだけである。
もちろん、始めからこうだったわけではない。
シモンは地球に帰ってきてまもなくして、放浪の旅に出た。誰も行方を知らない状態が続いた為、
何年ぶりか後、初めてヨーコの元へ訪れた時には、ヨーコは朝が明けるまで質問攻めに浴びせた
事もある。その時のシモンの苦渋に満ちた顔は、まるで少年の時のような困り顔だった。
しかし、それ以来シモンが定期的にヨーコの元を訪れるようになって以来、徐々に今のような、
無駄に話さずお茶の時間を愉しむ様式へと落ち着いてきたのだ。
ヨーコはシモンを見つめる。
この男はいつでもボロボロだ。薄汚れたマントを纏い、頭まで覆っているため、胡散臭いことこの
上ない。しかしその瞳は衰えるどころか、ますます生命力を讃えており、肉体はさらに鍛えられて
一回り大きくなった印象さえある。
(これだけの身体になるのに、どれだけの旅を、苦難を乗り越えてきたのかしらね)
興味がないと言えば嘘になる。
許されるなら、根掘り葉掘り聞いてみたい。
そしたらどんな形であれ、二人の距離は縮まるかも知れない。
「それで、今日はどうするの。シモン」
「ん。そろそろ、お暇(いとま)するよ。日が暮れるのも早いしな」
「だったら……」
――泊まっていかない?
喉まで出掛かった誘い。
今更、華やいだ関係を望んでいるわけでもない。そういう歳でもない。
ただ、やはり相手はシモンなのだ。
他でも誰でもないシモンなら、せめてもう少し共に過ごしても、良いのではないか。
そう、一緒にいる、それだけの事なのだから。
だがそれは、
「そう言えば、墓への花、見たよ。この島に咲き誇る桃色の花だった。あれ、ヨーコだな」
そして「ありがとう」と照れくさく笑うシモンの言葉に、我に返る。
ヨーコは全ての言葉を飲み込んで
「いいのよ、近くなんだから。それに私だって、あの子には似合うと感じていたから」
そう言ってから、
「あら、でもあの『子』なんて言ったら、さすがに失礼かしら。職業病ね」
ニッコリと笑った。
そして、二人の距離感を正してくれた、花の似合う女性に心の中でありがとうと呟いた。
この距離感が、今の二人にはまだ、相応しい。
ヨーコは一人ごちながら、シモンを送り出すべく、玄関へと向かった。
「次に来るのはまた来年の今頃?」
「さあ、気が向いたら」
「きっと、気が向くわよ。シモンなら」
「そうかな」
「そうよ」
二人はくっくっと笑いを噛み締める。
「それじゃあ、また」
「ええ、待ってるわ」
「ブイブイッ」
「ええ、ブータもね」
シモンは旅慣れた足取りで学校からの坂道を降りていく。
ヨーコは独り彼の姿が見えなくなるまで見送った。
彼の足取りは速いが、それでも徒歩である。しばらく長い時間、見つめていた。
そうして気がつけば、いつの間にか夜の帳(とばり)が降りてきていた。
「さてっと。今度こそ、夕食はどうし「……ヨーコさん!」って、え、だ、ダリー?」
懐かしい声がこちらに急速度で向かって飛んでくる。
以前ヨーコが乗っていたものと同系統の最新型ガンバイクと共に、ピンク色のウェーブした髪を
靡かせつつ、キュキュッと小気味良い音を立ててあっという間にヨーコの前に停止。
エンジンを止めるのも煩わしそうに飛び降りると、ヨーコの肩を掴む。
「ヨーコさん、ここにシモンさんが来ませんでしたか!?」
「え、ええ。さっきまでここでお茶飲んでたわよ」
言って良かったのかしら、と内心冷や汗を流しながらも、ヨーコは頷く。
「ああ、やっぱりここで張っておくべきでした……」
「あなた、張るって……。シモンに何か用なの?」
「いえ、別に用って程では……。ただシモンさん、本部の方には全然来てくれないんです」
「それは、貴方達を信頼してるからよ、きっとね」
「そうかもしれませんけど……でもそれにしても」
唇を咬んで、切なそうに眉をひそめる。その姿はまるで、年頃の娘だ。
勘違いしそうになるが、これでもダリーは30歳前後になる。
にもかかわらず、この若さ、そしてこの仕草。
(時間って、一応平等に流れてるのか疑いたくなるわ……)
そんなヨーコの愚痴もつゆ知らず、ダリーはいつの間にかガンバイクに跨り、ハンドルを握り直す。
「ヨーコさん、シモンさんの向かった方角は?」
「あ、うん。ええっと確か」
シモンの向かった方角を指そうとして、お茶の席でシモンの言ってた事を思い出し、
――追いかけっこ、なるほど。罪な奴なんだから
それとは逆の方角を指さす。
「そっちですね、分かりました! では、失礼します」
「え、ええ。『おそらく』ね」
ギュイーンと盛大なエンジン音を吹かせて、あっという間に見えなくなるガンバイク。
「もう。貸しなんだから、あのバカ」
と、その時、もう一つのエンジン音がこちらに近づいてくるのに気づいた。
今度はヨーコにも見当がつく。
キキッと音を立てて校庭に降り立ったそのバイクから、髪を短く切り揃えた体格の良い男が降り
立つ。予想通りの双子の片割れが、苦笑いしながらサングラスを外した。
「遅いわよ、ギミー。ダリーはシモンがここに来ること、どうやって知ったの?」
「あはは、お久しぶりです、ヨーコさん。いやあ、たまたまだったんですよ。ちょうど僕たちもお墓
参りに行った時に、なぜかその辺りをブータが散歩してて……そしたら、ダリーがきっと近くにシモ
ンさんがいるに違いないって慌てだしちゃって」
ギミーが目を細めて笑う。
ギミーにしても、ダリーがシモンをそんなに熱心に追い回すとは思っていなかったに違いない。
「それで、周囲を探したんですけど見つからないまま。その後、墓参りの後にいつもヨーコさんの所
へ行くって話を僕が思い出しちゃったんです」
「あら、隊長にしては迂闊な行動ね」
「いやあ、勘弁してください、ヨーコさん」
ギミーは頭をぽりぽり掻く。体格は大きくなっても、仕草は相変わらず少年臭い。
「でもね、ギミー。シモンは、オちないと思うわ」
「はは、確かに。難攻不落って感じだと思います」
「で、双子想いのギミー君は優しく諭してあげないのかしら」
ヨーコのからかいに、ギミーは止してください、と苦笑いする。
「僕達も充分いい大人です。そんな干渉はしませんよ。それに、あいつにだって、薄々分かってると
思ってるんです」
そう言いながら、ギミーはゆっくりとガンバイクに跨る。
「それなら、しばらくはダリーの好きなようにさせてあげたい。それにもしかしたらって可能性、
あるなら僕だってちょっと見てみたいと思ってますし」
「あらあら、面白がるのもほどほどにね」
「はい、『ヨマコ先生』!」
「うん、よろしい」
ギミーの茶目っ気に、ヨーコは満足げに頷く。
そして、ダリーとは対照的に安全運転で初速を踏み込んだ彼のガンバイクの軌跡を、ゆっくりと見
送った。
「今日は色々……懐かしい顔続きね」
これ以上、旧友が押しかけてくると、らしくないノスタルジーに浸ってしまいそうだ。
こんな一日もたまには合っても良いと思う。けど、できれば適量を以て摂取したい。
ヨーコはよし!っと声をかけると、3度目の正直とばかりにわざと声を大きく出した。
「さてっと、今度こそ、夕食はどうし
It might be END.