私は王妃などではない。  
 
王の寵愛を受けその子を身籠りながら、私の価値は変わりはしない。  
 
私は人形なのだ。  
顔立ちの良さで選ばれて、地下の生活からは夢のようなこの王宮に運ばれてきた。  
人形だから今日まで生きてこられたとも言える。  
美しい衣装を着けて、美しく顔に化粧をして、美しく笑って、そうして王の寝所に侍る。  
 
こちらが従順であれば王は優しいと言えた。  
私が何度も夜伽の相手に選ばれたのも、彼を恐れて泣くことが無かったのが良かったとある獣人に聴かされた。  
 
私と一緒に集められた娘達は同じ夜に一度に王の相手を務めた。  
その数は100ほどいたが、その夜のうちに私以外の全てが脱落した。  
性技の訓練は受けたが、実際に王の前に差し出された時に感情の脆い面を曝け出すからだ。  
 
王は人間だという。だがその身体は恐ろしく巨大だ。  
身体が放つ空気に威圧感がある。  
何よりも異常なのがその眼だった。  
螺旋を宿した瞳に見つめられれば、どれほど自分の状況を理解し覚悟を決めたつもりでも、怖れずにはいられなかったのだろう。  
ついに犯された痛みに一人が泣き出す事で、他の女達も泣き出した。  
恐怖が伝播するのはたやすい。皆、声を殺してはいたが、重い空気が褥にたちこめた。  
 
その中で私は一人、微笑み続けていた。  
異形の王が恐ろしくなかったと言えば嘘になる。  
だが、始めにその太い指を膣に受け入れた時に、思ったより恐怖は感じなかった。  
我知らずふふっと笑うと、初めて王が私を見た。  
 
「貴様、名は?」  
 
親から貰った名はあった。だがとうに呼ぶ者はいなかった。  
両親が獣に娘を差し出した時から、もう親子の縁は消えていた。  
地上に出るのを止めようと追ってきた幼馴染の男は、獣にその場で引き裂かれた。  
思えばあの時からもう私の心は死んでいたのかもしれない。  
 
「お好きなようにお呼び下さい、螺旋王。」  
 
王からルナと言う名を賜ったのは、翌日のことだった。  
ルナ、月のことだろうか。陽の照る背後で輝く淡い光。  
悪くは、無い。  
城の中に私のための部屋も設えられた。  
ただ考えるのを止めて檻の中で息を潜めるような生活が始まった。  
 
 
王の寝所に侍ることは、体力的にきつい仕事ではあった。  
 
何しろあの巨大な身体だ。  
 
まともに圧し掛かられては押し潰されかねない。  
 
勿論王も心得ているのか、そう乱暴なことはしない。  
 
代わりに自分から動かなくてはならないが。  
 
肌に口付けるにも、面積が広い。  
 
そこで私は自分胸を併せて使った。  
 
王の胸の頂きを、両手で持ち上げた乳房で擦り付けるようにして挟み込む。  
 
同時に内腿で王の巨根を挟み、暖めるように包み込む。  
 
舌は舌で忙しく、チロチロと肌の上を這い回る。  
 
王が動き出せばそれに合わせて自分の身体を開いていく。  
 
獣の様に四つん這いにされれば、挿入の前に自ら秘肉を割って、襞の奥まで指使って開いてみせる。  
 
王の巨根は女の細腕ほどもある。  
 
訓練において、似た大きさの器具で受け入れる練習は何度も受けていたが、実物は自分で動くしより大きくもなる。  
 
それに負けないようにするには自分も相手も先に充分に快感を与えて、性器を濡らして滑りを良くしておくより無い。  
 
私の丹念な性技と元々の柔軟な身体の資質のおかげで、私は半年の間の毎夜のような夜伽にも耐えた。  
 
そして半年が過ぎたある日、自分の妊娠を知った。  
 
膨らんだ腹に手を添える。  
この子はいつも安らかに眠っている。母親を蹴りもしない。  
ただ時々、ノックをするようにコンコンとつつく。  
いい子だ。  
私はこの子が産まれてくるのを待っていた。  
後宮の豪奢な一室で獣に飼われながら。  
 
意外なことに懐妊を告げると王は喜んだ。  
あの闇に沈んだ眼で私を見て笑ったのだ。  
夫や父親の情愛など微塵も無い笑顔ではあったが。  
 
「よくやったぞ、ルナ。王子か、姫か、いずれにせよ久方振りの御子だ。」  
 
王の声はいつも抑揚が無い。  
だが僅かに高揚した響きが私にも分かった。  
大きな手でそっと私の下腹部に触れる。  
それは退屈していた獅子が、新しい獲物を見つけて興に乗った様を思わせた。  
 
「無事に産むのだ、必ずな。」  
 
有無を言わせぬ気配に私は黙って頭を下げた。  
念を押すように、王の手に若干力が篭る。  
布越しに伝わる王の体温は、この時もやはり冷ややかだった。  
私は出産の失敗は許されないのだと悟った。  
 
それから暫くして、寝食の世話を悉く獣に委ねる事になった。  
悪阻が酷く、自分では一歩も外に出れない日が続いた。  
最悪な時にはベッドから出るのさえ辛かった。  
主に私に付き添ったのは女性の獣人だった。  
地下の村にいた雌羊に似た彼女は、慣れた様子で私の世話をしてくれた。  
 
王は頻繁にとはいかないまでも、私の様子を見舞いに来てくれることもあった。  
光に満ちた私の自室では、普段険しいそのお顔も幾分表情が柔らいで見えた。  
 
「気分はどうだ、ルナ?」  
 
「はい、ようございます、螺旋王。」  
 
実際悪阻の酷い時期が治まってしまえば、後は特に苦しいことも無かった。  
 
「御子は元気に育っているようだな、何よりだ。」  
 
「はい、ありがとうございます。」  
 
「もうすぐ生まれるか。」  
 
「はい、あとひと月もいたしますれば。」  
 
ふん、と王はなにやら思考に耽った。  
こういう時には決して口を挟まず、王の言葉を待たねばならない。  
次に王が口にしたのは私にとっては意外なことだった。  
 
「名前を考えておかねばな。どうだ、付けたい名はあるか?」  
 
そうだ、赤子には名前が必要になる。  
しかし、王が私に決めよと仰られるのは予想だにしなかった。  
この子に私が名前を与えてやれるなどと。  
 
「いえ、今はまだ…私が考えてもよろしいのでしょうか。」  
 
平静を装いながら答える私に王は笑った。  
まだ狩の道理の分からぬ仔をあやすように。  
 
「そなたが母であろう、当然だ。」  
 
私が母。この子の母親。それはそうだ。  
だが考えてみれば、この子を腹に宿しながら、私はいまいちその実感が持てなかったように思う。  
 
私はずっと人形だった。  
王に愛されるための、心を持たない美しい人形だった。  
その私が命を産もうとしている。  
 
王の笑った顔を思い出す。  
彼の異様な風体ももう恐ろしくは無かった。  
それどころか…いや、止めよう。  
私は何も考えたくは無い。  
これ以上考えるのは、ずっと思考を止めてきた私には恐ろしい。  
 
生まれてきたのは姫だった。  
 
「そなたによく似ておるな。」  
 
瞳が私と同じ花の形なのだと王は言った。  
だがよく見ないと自分でもそうとは気付かない私より、この子の方がもっとハッキリしている。  
 
それにまだ柔らかい髪が、虹を溶かし込んだような不思議な色をしている。  
私の髪はよく夕空を金に溶かしたようだと言われていたが、この違いは王の血かもしれない。  
巻き毛を指に絡ませて何度も梳いてやった。  
丸く白い頬を指先で擽ると屈託なく笑う。  
 
可愛い子だ。  
今までに見たどんな物より美しい子だ。  
私の娘だ。  
名前はニアと付けた。  
 
不思議なことに獣では子供に乳を与えることは出来ないらしい。  
私は自分の娘に乳を与える役目を任された。  
 
ニア、ニア、私の子。いい子ね、もっとお飲み。  
もっと飲んで、早く大きくおなり。  
お前は世界一幸せなお姫様なのよ。特別な子供なのよ。  
 
「ルナをニアに取られてしまったな。」  
 
母乳を与えている時に私の部屋を訪れた王はそう言って苦笑した。  
 
「良いか、ニア。その美しい乳房はお前の物だけではないのだよ?」  
 
それに応える様に、ニアが口を付けていた乳首を離す。  
そのタイミングの良さに思わず笑ってしまった。  
こんな会話を交わしているとまるで普通の親子のような気がした。  
ニアが生まれて、私はとても幸せだった。  
生まれて初めて、全てが優しく美しく見えた。  
 
一年が経って、ニアはもう私の乳を必要としなくなった。  
代わりに私が手で与える柔らかい食事を取る。  
一歳になる前に、首が据わって一人で立ち上がるようになっし、日に日に成長していく。  
髪の毛はくりくりと渦巻く巻き毛で、やはり私のものに似ている。  
何より生まれた時から美しかった顔が、一層可愛らしい表情を沢山見せるようになった。  
言葉はまだ喋れないが、一生懸命何かを伝えようとする。  
この子を見ていると全てが愛おしくてならない。  
 
ニアが母乳から離れたことで、長い時間でも娘から離れて獣に任せられるようになった。  
ある夜、懐妊を告げて以来久しぶりに王の寝所に呼ばれた。  
その間他の後宮の女達が絶え間なく王の相手を務めていたことは知っている。  
しかしその女達に嫉妬は無かった。  
私にはニアがいた。そして王が。  
螺旋王ロージェノムが。  
 
横たわった王の上に馬乗りになり、その巨根を受け入れる。  
熟れた膣は苦も無く飲み込み、肉襞が包み込む。  
 
怖いものは何も無い、ここにいるのはただ一人の男。  
 
王の手に掴まれると、子を産んだ女の常でいささか肉の付いた腰も折れそうなほど細く見える。  
父親ではなく、男の顔をした王を見るのも久しぶりだった。  
突き上げられて声が上擦る。  
思うの望むままに体勢を変え、その快楽に奉仕する。  
 
私は人形だ。  
でも、世界一幸せな人形だ。  
 
何度も絶頂を迎えた果てに、ようやく身体を解放された。  
朦朧としながら手探りで王の顔を探し出し、その唇に己の唇を重ねた。  
自分から口づけを求めたのは初めてだった。  
王の舌に自分の舌を絡ませる。  
ふわりと意識が途切れる前に、我知らずのうちにこう呟いたのを覚えている。  
 
「愛しております、ロージェノム。」  
 
無意識だった。そして、心からの言葉だった。  
 
それが、娘との永遠の別れになった。  
 
 
息苦しさに目を開ける。そしてすぐに異常に気が付いた。  
ここは王の寝所ではない、自分の部屋でもない。  
 
どこだ?  
 
何の音もしない、何も見えない。  
とてつもない圧迫感が全身に圧し掛かっている。  
空気だけではない、私は窮屈な姿勢で身体を折り曲げられていた。  
この空間はひどく狭くて身動きすら取れない。  
そしてはたと、娘がいないことに気付き突然不安になった。  
 
「ニア…どこなの!?ニア!!」  
 
自分の叫びがすぐ頭の上で反響して鼓膜をクワンクワンと打った。  
頭ごと揺さぶられているようで一層パニックが募る。  
必死で手探りでニアを探し出そうとする。  
しかし娘の柔らかい肌も髪もどこにも無く、触れるのは冷たく硬い壁ばかり。  
 
何なのだ、これは?  
 
「気が付いたかい?ぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃないよ。」  
 
突然女の声がした。距離はすぐ近くなのに、響きがどこか隔たっている。  
まるで、この外側があるように。  
恐ろしい予感に歯がカチカチと鳴りそうなのを必死で堪える。  
 
「あなたは、誰です?」  
 
「私が誰かなんてどうでもいいさ。あんたも、もうすぐ死ぬんだしね。螺旋王のご命令さ。『捨てて来い』と仰った。」  
 
返ってきた声には笑いが隠しきれていない。  
明らかに悪意に満ちていた。でもそんな事はどうでも良かった。  
 
「娘は…どこです?」  
 
「姫なら王の下だよ。可愛いがって頂くのさ、飽きるまでね。」  
 
それを聞いた時に私が叫ばなかったのは、絶望したからではない。  
突きつけられた運命は突然で、あまりに残酷だった。  
でも、私は知っていた。こうなることは前から分かっていた。  
急速に身体から力が抜けていった。それと同時に心も落ち着いた。  
 
「…何を笑ってるんだい?頭がおかしくなっちまったのかい?」  
 
「いいえ。でも言ったところであなたには分からないでしょう。」  
 
「ああ、そうかい!」  
 
ガンっと物凄い力で乱暴に揺さぶられた。  
 
「分かってないのはあんただよ!じゃあお教えしましょうか、ルナ様?  
あんたはこれから廃棄される。ここはもう海の中でね、今のあんたは箱の中さ。  
こいつごと海の底に沈むんだよ。深く沈めば沈むほど、箱には水圧が掛かってどんどん潰されていく。  
水も入ってくる。あんたはどこまで保つかねぇ?」  
 
あはははははと最後に女は狂ったように笑った。  
 
「さっさと捨てちまいな!ったく、糞ムカつく女だよ!」  
 
「はっ、アディーネ様。」  
 
ヒステリックな足音といくつかの足音が遠ざかっていく。  
私はそれを静かに聞いていた。  
 
ずくんと乳房が疼く。ニアの生えかけた歯で乳首を噛まれた痛みを思い出す。  
でももうあの子に乳をやる事は出来ない。この母は要らないのだ。  
王の大きな手が触れた感触はまだこの肌に焼き付いていると言うのに、あの人ももういない。  
 
ああ、そうだ。これが私の人生だ。人形としての、最期なのだ。  
 
恨めしさは無かった。ただ、悲しかった。  
死にゆく恐怖は無かった。ただ、娘に会いたかった。  
 
ニア、私があなたに母として出来る事はもう無いのですね。  
 
ニア、あなたはこれからどんな人生を生きるのかしら。  
 
ニア、あなたがあの鳥籠から飛び立つ日はいつか来るのかしら。  
 
ニア、どんな運命でもどうか生きて。そして心から人を愛して。  
 
ニア、私の娘。私の宝物。私の大切な子。  
 
ニア、ずっとあなたを見守っているわ。  
 
 
 
ガタンといきなり放り出され、同時に水が流れ込んできた。  
 
 
これが海。こんな形で初めて知るなんて。  
 
でも私は知っている。  
 
ずっと忘れていたわ。  
 
これは生きる者の流す涙の味。  
 
じゃあ私も、人間の命の輪の中に帰るのね。  
 
 
私は笑って目を閉じた。  
 
 
さようなら、ニア。  
 
 
 
END  
 
 
 

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