“タッタッタッ……”
人目を避けるように建てられた人里離れた研究施設、大半の研究員が寝静まった深夜のそこに無遠慮に走る足音が響く、
足音の主の少年、カロッサの向かう先は、同志にこの施設を任された男が仮眠に使う部屋、
“ガンッ!ガンッ!”
気に入らない奴だが、この男に問い質すしかない事にカロッサは苛立ちドアを荒く叩く。
「……はぁ、何かありましたか?」
程なくその音に叩き起こされた部屋の主が、眠そうにのっそりとした動作で頭を掻きながら現れる。
「メリッサ、いない、早く探せ!」
散らかし放題の部屋の中から漂う臭いにカロッサは一瞬顔をしかめるが、男に深夜にふと目が覚めたら居なくなっていた双子の妹の捜索を命令する。
「トイレ、とかじゃないですか?」
「探した!でもいない!きっとまた迷ってる!だから早く探せ!」
男の面倒臭そうな対応に掴み掛からんばかり剣幕で怒鳴る。
男も不機嫌な溜息を吐き、端末で警備の詰め所に連絡する。
「メリッサ様は警備の者が見つけ次第部屋にお送りしますから、カロッサ様は自室にお戻り下さい、すれ違うのも面倒ですし…」
その言葉に不満顔で睨む子供に、男もやや苛立ちで眉間に皺が寄る。
「ただでさえ二人が怪我で抜けて皺寄せがキツイんですから、仕事を増やさないでいただきたい」
「俺悪くない!あいつらメリッサ蹴った!」
実験で立て込んでる中、駆け回る研究員の足に軽くぶつかっただけの事故の報復であんな怪我をさせられたのでは堪ったものではない。
「あまり度が過ぎればファサリナ様や同志に報告する事になりますよ。
我儘も程々にして戴かないと……」
男は舌打ちをして、低い声で釘を刺す。
「…っ!、わかった。早く連れて来いよ!」
気に入らない男に同志の名を盾にされ、カロッサは忌々しげに男を見上げて睨むが、
それ以上の事ができず、踵を返し自室に戻る。
カロッサが立ち去った後、ドアの鍵を閉めた男は、おもむろにベッドに掛けられていた毛布を捲り上げる。
「…ッ!」
そこに隠れていたカロッサと瓜二つの顔の少女、メリッサが肩をビクンと震わせる。
「良かったですねぇ、思ったより鼻が利かなくて……」
カロッサに見つかったら確実に騒ぎになっていた。
そうなってしまえば男は同志に、今までのカロッサが起こした事による計画の遅延を報告するだろう。
常々カロッサに不満を持つ他の研究員達も必ずそれに口裏を合わせ同調する。
そうしたら最悪『捨てられて』しまう。
「それに、こんな姿を彼には晒したくないでしょう?」
「……」
服の乱れたメリッサは怯えに潤む瞳で嘲笑う男を見上げる。
自分はいい、カロッサさえ傍に居れば…でもカロッサは同志に捨てられたらきっと『壊れて』しまう。
それに聞いてしまった。
この前にファサリナさんがここに来た時の男との会話を
“必要なのはサウターデだけでしょう?
アレの回収のメドが立った以上、セブンを集めるのはただの飾りの意味でしかないはずです!なら…”
“そうですねぇ、あまり我儘が過ぎる様なら私が同志に……”
実際に顔を合わせた時は軽い注意だけだったけど、自分達にはもう後はあまり残されていない。
メリッサは自分達の立場の危うさを強く感じていた。
ファサリナの様に組織の運営に深く関わっている訳でもない、ウーの様に同志の命の為に血を捧げている訳でもない、ガドヴェドの様に計画の根幹に関わる知識・技術を持っている訳でもない、ただセブンなだけの子供、
この場所の支配者である目の前の男の舌先次第で簡単に崩れてしまう地位を、何よりカロッサを守る為、
メリッサは男に媚び、気に入られるしかなかった。
「お…お願いです……私を…私たちを……」
男の服の袖を握り、上目遣いで見上げ、消え入る様な声で懇願する。
男はその姿を気を良くして、口の端を釣り上げメリッサの頭を撫でる。
「ええ、捨てませんよ。あなたが私の可愛いお気に入りのオモチャである内はね」
男の大きな体がメリッサの小さな肢体に覆い被さる……
「さ、今晩も可愛く鳴いて下さいね」
「ひぅ…んっ、やぁ……」
「…ん、んんっ……、ふぅ…ん!?んん〜っ!」
メリッサはベッドの上に仰向けに押し倒され、男に首筋を舐められる。
その姿は肉食の獣が獲物を貪り喰う姿を彷彿とさせる。
彼女は口を手で押さえ、両目を固く閉じて声を押し殺して耐える。
(怖い……)
味見をするかの様に首筋を這う舌は、獲物を前に舌をちろちろと出す蛇を連想させ、
今にも丸呑みにされそうな恐怖にメリッサは体を強張らせる。
「んっ、ふぁ!?ひゃうっ!」
男の舌が、不意に耳の縁をなぞり、メリッサは声を漏らしてしまう。
「そんなに我慢しなくても…声出しても大丈夫ですよ。
ここ防音ですから」
寝るのや個人の研究の邪魔されるのイヤですからねぇ、と男はボソリと付け足す。
「それとも…聞かれるかも知れない方がドキドキしますか?」
「っ!そんな事っ!無い……です……」
顔を真っ赤にして頭を左右にブンブン振って否定するが、羞恥に語勢が無くなり消え入る様な声になってしまう。
「そうですか?」
男はメリッサの胸に手を当て、ニィ、と笑いながら聞き返す。
「の割には、随分と甘い声が出ますねぇ……ほら」
「ふやぁっ!?んんっ……!」
「だから我慢しなくても構わないと言ってるのに……耐えている顔も可愛いですがね」
男の舌が耳たぶを、そして再び首筋を舐める。
「は…ぁ……、あ…」
その間にも男の手により服のボタンが外され、胸元が露になる。
そして男の舌は、そのまだ膨らみの無い胸を這う。
「ヒッ……んっ、うぅ……っ」
男に小さな体を抱きすくめられ、胸元を貪られてメリッサは恐怖に震えながら手近な物、男の体にしがみ付く。
「ふふ……」
男はその姿に満悦の笑みを浮かべる……
しかし、メリッサが呟いた一言でその笑みが不意に消える。
「ん…やぁ……カロッサ……」
「……」
自分を貪る男に、そして身体の内側から沸き上がる未知の感覚への怖れからとっさに出てしまった一言、
男は突然、しがみ付いていたメリッサを引き剥がし、ベッドから降りる。
「え……」
急に熱が冷めたかの様に自らの服の乱れを直し、メリッサの服も同様に着せ直し、ひょいと持ち上げベッドから降ろす。
「あ…?な……?」
突然の態度の変貌に戸惑うメリッサに男は普段の様に煩わしい子供を見る目を向け見下ろす。
「もう結構です。この話は無かった事にします。
カロッサ様もそろそろ焦れてまた来るかも知れませんし、
部屋までお送りしますね」
「何で、急にそんな……」
冷たく見下ろす男に見下ろされる中、それに声をかける事は気の弱い彼女にとっては大変な事である。
それだけカロッサの立場を保障するこの取引が重要だという事だ。
しかし、男は先程の熱が嘘のような冷たい視線を変えず、
溜息を吐き飽きた玩具を評する様に言う。
「事の最中に他の男の名前を呼ぶなんて真似されたらどんな熱も冷めますよ。
もうあなたに取引材料としての価値はありません。だから…「ダメッ!」」
言葉を遮り、男の服の裾を掴みメリッサは叫ぶ。
そして男を引き止めようと震えた声で何度も許しを請う。
「ご、ごめんなさい…ごめんなさい、もう…しません……だから……」
「なら、取引の間はカロッサ様の事は忘れると?」
「!?」
葛藤に硬直するメリッサを見下ろす男の口元が微かに吊り上がる。
口を開き、絞り出す様に肯定の言葉を出そうとするがそれが出来ない彼女の姿に吊り上がる口の角度は大きくなる。
「……ぃ、……れます」
「何か言いましたか?明日もテストがあるのでそろそろ寝たいのですが」
「……忘れます」
「何を?」
煩わしそうな顔を崩さず、内心でほぐそ笑みながら男は彼女に自身を堕とす決定的な一言を促す。
「と…取引の間は、カロッサの事は忘れます……
あなたの……つがいになります……」
「つがい、つがいか……ふ…くく……」
彼女がカロッサの為に出来る最善を苦心の末、考え抜いた結果であろうそれと、
つがい、動物の雌雄一対を表す事から先程までの行為の最終的な意味を幼いながらも理解していた事を知り、男は笑みを漏らしてしまう。
「…良いでしょう。取引は再開です。
しかし、今夜はお帰りを」
身を捨てる覚悟をいなされ何で?と困惑の目で見つめるメリッサに男は屈み耳元で囁く。
「初めては一番好きな男が良いでしょう?
それまでは“味見”だけにしてあげます。
でも……」
ここで言葉を一旦区切り、男は細く小さい肩に手を乗せ、重圧を感じさせながらまた一歩堕とす布石の一言を発す。
「一週間、これが最後の機会です。あまり時間は差し上げられません。
まあ、後悔の無い選択をして下さいね」
選択次第ではまた取引の打ち切りを考えますので、
そう言って男はメリッサの手を引きカロッサの待つ部屋に連れていく。
彼女の選択の結果を夢想しながら。
深い霧に包まれた中、二体のヨロイが互いの武器を打ち合い戦闘を繰り広げる。
“ガシャアァァァァッ!!!”
数合の交錯の末、決着の一撃が入る。
勝者――長い槍に異様に巨大な盾、騎士を連想させるヨロイが敵に止めを刺す。
『いやぁ、助かりました』
騎士のヨロイ、試作型ブラッドクレイドルを駆るヨロイ乗りの男は背後にスピーカーで話し掛ける。
そこには獣に似た大柄なヨロイ、そして小柄で細身なヨロイの二体が控えていた。
『貴方達が獲物を巧く追い込んでくれたお陰で有用な実戦データが手に入りました。
これで同志の計画はまた一歩磐石に近付きました』
コクピットの男は口元をにぃ、と吊り上げる。
『さすが、同志の直属のセブンですね。
カロッサ様に……』
男はヨロイの首を振り向かせ、目線を小柄なヨロイ、セン・オブ・サタディに向け笑みを深くする。
『メリッサ様も……』
「……」
人通りの少ない施設の倉庫、そこに搬入されたコンテナの上に眉間に皺を寄せたカロッサが寝転がっていた。
別に腹が立っている訳では無い、ただ、ここ数日で起きた周囲に困惑している。
一つ目に、慇懃なのは言葉だけで今まで自分達を邪魔者を見る目で見ていたここのリーダーの態度が急変した。
関わるのも面倒そうだったのに、今は積極的にちょっとした『頼み事』をしてくる。
暇だし、それに付き合ってやっていたら何時の間にか周りが全員愛想が良くなっていた。
あの男は、
「それは貴方達がここでの作業に欠かせない大きな力になったという事です」
と、前の上っ面だけの笑いとは違う笑い顔で答えて、メリッサも、
「みんな良い人だよ」
と研究員に貰ったらしいお菓子を分けてくれた。
まあ、それは良い、メリッサと一緒に食べるお菓子は美味しかったし、
そんな事より最大の問題は二つ目の異変だ。
その妹が、メリッサも何かが急に変わった事だ。
「カロッサー!」
倉庫の入り口に顔を向けると、片手に袋を抱えたメリッサが手を振って呼んでいる。
あの袋は多分、また誰かに何か貰ったんだろう。
下らない荷物運びをやらせてるなら、そいつを殴りに行くが、
「あ、ああ…」
ぎこちない顔で手を振り返す。
今までならすぐにここから飛び降りていつもみたいに抱き締めるのだが……
「主任さんからお昼ご飯貰って来たよ。
良い天気だから外で食べると良いって」
「アイツが?」
「うん、ここの近くまで連れてってくれたよ。
また迷ったりしたらカロッサに怒られるって」
主任、そう呼ばれるここのリーダー姿を思い出したのか、クスクスと笑う様子に、何か胸にモヤモヤする物を感じて少し不愉快になる。
「カロッサ?」
「っ、何でもない!行くぞ!」
コンテナから飛び降り、メリッサの手を引く……が、
「っ!?」
「どうしたの?早く行こ」
その手に抱き付き、体を寄せるメリッサが顔を覗き込む。
「な、何でもない!」
そっぽを向いて早足で歩く、それが面白いのか小さく笑う声が耳元で聞こえる。
やっぱり最近のメリッサはどこかおかしい……