んん、と甘やかに漏れる息は女の声音。
獣じみた呼吸は男の気配。切れ切れにくちゅくちゅと濡れた音は、接吻を重ねているのだろう。
水音の合間に荒く息を継いで、押し殺した睦言を交わして、また唇と・・・舌の絡み合う、淫らな音。
がたりと棚が揺れる。目の前の段に女が後ろ手を突いて、
裏に隠れたガドヴェドは見つかるんじゃないかと肝を冷やした。
・・・まったく、さっさと出て行って怒鳴りつけるべきだった。
ここは倉庫だ、こそこそと逢瀬をする場所ではない。
それも勤務中に所員が二人で入ってきて、まさかこんな振る舞いをするとは思わなかった。
ただ男に新しい仕事を教える、彼女の仕事ぶりを見てみたかっただけなのだ。
娘ほど年の離れた彼女は、自分で見付けてきた新入りをひどく気にかけて、
熱心に世話を焼いていた。友人でもあるガドヴェドにも、その男のことばかり話すぐらいに。
男の方は何を考えているのか、
妙に子供じみているから彼女に懐いているのはわかりやすかったが、それだけに。
・・・これほどの仲とは、思いもしなかった。
かさりと彼女の白衣が揺れる。襟に手をかける男を、なだめる女の声が聞こえる。
乱れ喉を鳴らす吐息の合間に、切なげな制止の言葉。
それすら飲み干すように男は飢えた唇を寄せる。
もがく手に手を重ねて。棚に座りこんでしまった彼女に半ばのしかかり、
長い髪ごとかき抱いて、好きだ好きだと繰り返す素朴さにガドヴェドは複雑な思いを浮かべた。
・・・見たところ、どうやらこの男はまだ女を知らないらしい。
彼女が悩ましげに身をよじる。男の片腕は愛しげに女の背を抱き留め、
もう片手はどこに触れるのか、吐息にかすかな喘ぎが混じり、喜悦が制止の声を震わせる。
・・・彼女も、それが余計に男を駆り立てるとはまだ知らないのだろう。
はね落ちた男の帽子など構わず踏みにじりさえして、
きっと初めての恋に溺れる二人は、いつからこんな仲だったのか。
懸命に巡らそうとする思考を、くらくらと揺れる棚が邪魔する。
熱い囁き合いが耳を刺す。屈託ない忍び笑いがどこか嘲笑めいて聞こえる。
飽きず鳴り続ける接吻の音、女の腰をなぞる男の若い指、恍惚と流れ落ちる長い髪、
するり、白衣を剥かれた彼女の肩。それが目を焼き胸を焼き、
異様な感情が巻き起こり、膨れ上がり、
・・・これは、感じてはならないものだ。
封じ込めようとして、ガドヴェドは失敗した。
あの手が俺の手であれば、彼女がこの腕の中にいれば。
目を見交わして唇に触れて、あの若い腕で抱きすくめて。腹に湧く妄念の卑しさに愕然とする、
・・・私は、オリジナルセブンだ。正義の執行者。星の導き手。
・・・それが年甲斐もなく、若い娘に。友人であるあの人に。
・・・流れ者の、若いだけのただの野良犬が。この男が彼女をたぶらかすから。
・・・こんな男などよりよほど、俺の方が・・・。
一瞬。ほんの一瞬よぎった考えを、心底恥じた。
恥じながら欲の甘美さに背を粟立てる、己の弱さにガドヴェドはただただ憤る。
まだ夢中で身を寄せ合う二人は、長身痩躯の青年と細やかな美女、
見た目は似合いと見えなくもない。
男の物腰をもう少し磨いてやれば、少なくとも野良犬とは思わずに済むだろう。
彼女に見合う男に鍛えて、さっさと娶らせてしまえば、似合わない欲など無用になる。
もとより叶うわけもない、その必要もない、これはただ一瞬の気の迷い。
そう結論付けて、ようやく腕をほどいた二人を見た。
立ち上がろうとして逢瀬の余韻によろける彼女を、すかさず男が抱き支える。
離れがたそうにまた唇を求める男の、やけに真摯な横顔。
男の胸にすがる彼女の、柔らかく重ねた手。
拾い上げた帽子をもてあそんでは何事か微笑み合って、
本来の仕事だったらしい書類の束を担いで出て行く姿に、
思い惑う必要はない。断じてない、はずだ。
・・・「彼」ならば何と言うだろう?
到底相談などできないとはわかりながら、ちらりと思って。
ガドヴェド・ガオードは、やっと棚の裏から這い出した。