一方その頃。  
 
「……………………」  
 その本を読みながら、壬生屋は顔から火を噴かんばかりに真っ赤になっていた。  
(殿方というのは……こ、これほどまでに……!?)  
 まったく全然知識が無いというわけではなかった。どちらかというと、そういう事には興味はあった。表には出さないながら、  
旧友たちがそういった話をしている時には、耳をそばだてていたりもした。  
 だが、想像の中のそれと、実際に絵やら写真やらで見るそれとは、現実感――リアリティの点で、大きな違いがあった。  
「…………うわぁ」  
 思わず感嘆の声が漏れる。  
 壬生屋が見ていたそれは、いわゆる一つのえっちい本という奴であった。借り物であり、持ち主は言うまでも無く新井木  
「………………」  
 ごくり。  
 唾を飲む音が、部屋に響いたような気がした。  
「……まず、最初は……キスや、愛撫……」  
 男女の営みについての実践方法が載っているページを開きながら、壬生屋は着慣れた道衣の帯に、自ら手をかけた。  
 するりという衣擦れの音に、ぱさっという何かが落ちる音が続く。  
「………………」  
 自らの体を自らの手で慰めた事が無いわけではない。  
 だが、快感よりも罪悪感が先に立ち、それを試した回数は片手で数えられる程でしかなく、また、  
 頂点に至るでもなく、ため息と共に終わるのが常だった。  
 好奇心だけでは、その先へと踏み込む事ができなかったのだ。  
 しかし――  
(……隆之さんに……私の、体を……)  
 愛しい人を得た事が、彼女の中の何かを変えていた。好奇心だけではない何かが、彼女を動かしていた。  
「………………ほぅ」  
 息を吐く。  
 薄暗がりの中に浮き上がる、自らの裸身を見下ろすと、そのどこもかしこもが朱色に上気していた。  
「…………隆之さん」  
 愛しい人の名を呟き、彼が自分のこんな姿を見たらどう思うだろうか、と考えた。  
 胸は平均よりはやや大きい。腰のラインは、やや女性らしい丸みにかけるかもしれないが、すっきりと引き締まってはいる。  
 顔は……どうなのだろう。壬生屋は自問した。  
 彼は、瀬戸口隆之は、自分のどんなところを好きになってくれたのだろうか、と。  
「…………隆之、さん」  
 自分のこんな姿を見て、彼は――喜んでくれるだろうか、と。  
「……ん……」  
 最初は、キス。接吻。  
(この指は、あの人の唇……)  
 瞼を伏せ、その裏に愛しい人の顔を思い浮かべる。  
 そして、彼の柔らかい唇が、自らのそれと重ね合わせられる所を思い描きながら、指で唇をなぞる。  
「…………ん、あ」  
 普段交わすキス。唇を合わせるだけの接吻。だが――それ以上の口付けがあると、得たばかりの知識は語る。  
「……んふ……」  
 指を自らの口へともぐりこませ、舌を弄ぶ。彼の舌と自らの舌が絡み合う様を想像しながら。  
(……何か、変……)  
 指で舌を弄ぶ度、悪寒にも似た快美感が背筋を軽く走った。  
 
「……ん」  
 指をくわえたまま、空いた手を己の肌に這わせる。  
 接吻の次は、愛撫。  
 腕をさすり、肩を撫で、そして形のいい胸を、その手で軽く揉む。  
「あっ」  
 ――綺麗だよ、未央。  
「……隆之、さんっ」  
 口から指を抜き、両手で胸をゆっくりと包む。  
(……この腕は彼の腕……この指は彼の指……)  
 僅かながら所持する幻視の力が、その想像を限りなく現実へと近づけていく。  
「……んぁ」  
 少しずつ、少しずつ、胸を揉む手に力が込められていく。  
 弾力のある、それでいて柔らかさも持つ胸が、手の動きに合わせて躍るように形を変える。  
「……あっ……ふぅん……」  
 甘い、鼻にかかったような声が、壬生屋の口から漏れる。  
(あの人は……)  
 自分の愛しい人は、この声を聞いて、どう思うだろうか。  
 ――もっと、声聞かせてくれないか、未央。  
「んっ」  
 体がもどかしさを訴えてくる。  
 もっと、もっとと貪欲に快楽を求め始める。  
 ――エッチだな、未央は。  
「……そ、そんなことっ!」  
 想像の中の声に対して思わず挙げた叫びが、否定しようとした心の風が、かえって体の内に燻る炎を煽る。  
 ――そんな事言っても――  
 胸を揉んでいた手が、徐々に下へと降りていく。  
 みぞおちから腹を指がたどり、うっすらと茂った密林を通り抜け、秘奥へとたどり着く。  
「……ひぅっ!?」  
 ――ここは、もうこんなになってるぜ?  
 最も敏感な部分への刺激に、壬生屋の体が小さく跳ねた。  
 水っぽい感触が、指先を包む。  
「い、言わないでください……恥ずかしい……」  
 ――ここを、どうして欲しいんだ?  
「……そ、そんな事、言えるわけひゃぁっ!?」  
 僅かながら皮に包まれた肉芽への刺激に、壬生屋は踊った。  
 最早、彼女の指は、完全に想像の中の瀬戸口の指と化していた。刺激は、自らの意志で触った時とは  
比べようも無い程に鮮烈で、彼女は余りに強いその刺激に、身をよじって耐えた。  
「……ん……くぅっ……」  
 ――言ってごらん、未央?  
「……いじ……くだ……」  
 ――聞こえないな。  
「……いじって、くだ、さい……」  
 ――もう一度。  
「……弄って……弄って気持ちよくしてくださいっ!」  
 ――よくできました。  
「ああっ、ん、くぁあああっ!!??」  
 胸を弄っていたはずのもう片方の手が、その指が、第二関節まで秘裂へと差し入れられ、同時に他方の手が、指が、  
肉芽を擦りあげる。  
 真っ白な閃光のような映像が、瞼の裏にきらめき、今まで味わった事の無い快感が、全身を走り抜ける。  
 さながらそれは電撃のようなものだった。それを浴びた壬生屋の体は、電流を流されたかのように痙攣し、  
「い、あ、い……くぅうううううううう!!!!」  
 ひときわ大きく震えると同時に、絶頂へと達した。  
 
「……あっ……はぁ、ん……」  
 快感の残り火が、小さな痙攣を身体にもたらす。  
(……す、凄い……)  
 その瞬間頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなった。  
 それが過ぎ去った後も、頭の中は靄がかかったようにボンヤリとし、思考がまとまらない。  
「……はぁ……っ……」  
 まとまらない思考は、今壬生屋がやりたい事をやるよう、身体に命じた。  
「次は……私の番……」  
 呟き手に取ったのは、傍らに置いていた細長い男根――の如き野菜。  
「……私も、貴方を……」  
 自分だけが快感を享受する事は、壬生屋の生真面目な性格が許さなかった。  
 愛する人にも――瀬戸口隆之にも、感じて欲しい。  
 それが、壬生屋の今やりたい事。望む事だった。  
「……ん……」  
 書物に載っていた、写真入りの解説が脳裏をよぎる。  
 どうすればいいのかを知らないが故に、壬生屋は書物が教えるがままを忠実になぞった。  
「んふっ……ちゅむ……」  
 男根に見立てた野菜に口付け、舌を這わせる。  
 ――うん……そこ、いいぞ……。  
 想像の中の瀬戸口が、息を荒らげ始めた。  
「ここ、ですか……?」  
 裏筋にあたる部分に、丁寧に舌を這わせ、鈴口へ向けて舐めあげる。  
「……んちゅ……むん……」  
 ――咥えてくれ、未央。  
 そう、男は望むと書いてあった。故に、想像の中の瀬戸口は、そう壬生屋に命じた。  
「……わかり、ました」  
 本来なら、口にし、噛み、飲み込む野菜。だが、その野菜は今の壬生屋にとっては愛しい人の逸物に他ならない。  
 歯を立てないように。痛くないように。慎重に口へと含む。  
「ん……ん……」  
 ゆっくりと、手を添えて。そのまま顔を前後に動かし、同時に舌を絡ませる。  
 歯に当たらないように。気持ちよくなるように。  
(んくっ……いい……気持ちいい、ぞ……美央……)  
「……んふっ……」  
 少しだけ、都合よく想像しすぎかも。そんな風に思った自分の冷静な部分がおかしくて。  
 想像の中で気持ちよくなってくれている事が嬉しくて。  
 口にそれを含んだまま、壬生屋は笑みを漏らす。  
「んっ……むぅっ……っん……あっ」  
 不意に感じる、秘所に生じた新たな潤み。  
 手を伸ばすと、達した時とは違うそれが、しとどに溢れていた。  
「……わらひ……かんひて……」  
 自らのはしたなさを想い、顔をゆがめながら、尚舌は男根――に見立てた野菜――をなぞる事をやめない。  
 それどころか、秘所に伸ばした手が、敏感な部分をまさぐり始める。  
「……んふぅ……わらひ……」  
(私……こんなはしたない女の子だったんですね……)  
 愛しい人を想いながら、脳裏にその姿を描きながら、口には彼のものと見立てたモノを含み、自慰に耽る。  
 ――はしたない娘は、大好きだよ。  
 ……果たして、彼は本当にそう言ってくれるだろうか。  
 一抹の不安は、しかし、快楽の大波の前に瞬く間に押し流される。  
「うっん……ふっ……はぁっ」  
 口唇の端から吐息が漏れる。すぐに秘所を弄る指は瀬戸口のそれへと変わり、先ほど達したばかりの  
頂点へと向けて、再び壬生屋を導いていく。  
「……くぅっ! んっ……あふぁ……」  
 身体が跳ねる度、口に含んだモノに思わず歯をつきたててしまいそうになるのを、必死で避ける。  
 
「んっ、ふっ、ふっぁ、むんっ」  
 指の速度に比例するかのように、モノの抽送の速度も上がっていく。  
 時に頬を内側から抉られ、時にえづきそうな程に喉奥まで受け入れる。  
 ――未央……、俺、もう……。  
「わらひも……わらひも……んくっぁ!」  
 先ほどの絶頂の残り火のせいか。それとも、愛しい人と快楽を享受しあっているという認識故か。  
 あっという間に高ぶりは頂点へと至り、そこを突き抜けようとしている。  
「んっ、んんっ、うんぁ……むんっ、くっ」  
(一緒に……一緒に、イキたい……)  
 ――イク……出る、出すぞっ!  
「らひて……らひてくださいっ!」  
 口から飛び出たモノの先から、白濁が迸る。  
 その様を、壬生屋は見た。迸りは顔を、胸を、腹を白く染め、その熱さが最後の一押しとなり――  
「ああああああああああっ!!!!」  
 壬生屋は、全身を痙攣させながら、その日二度目の絶頂を極めた。  
 
 ――――――。  
 
「…………あ?」  
 いつの間にか眠っていたのだろうか。  
 気付けば部屋の中には暗闇が満ち、時刻がもう夜半である事を告げている。  
「………………」  
 冷たい感触を臀部の辺りに覚え、壬生屋は頬を赤らめた。  
「私ったら……はしたない……」  
 羞恥。それから、想像の中で彼を勝手に扱ってしまった事への罪悪感。  
 そして、それらを包み隠さんばかりに大きく広がる、彼と『こういう事』をする事に対する、期待。  
 それらが、白磁のごとき白い頬を、真っ赤に染めていた。  
「……隆之さん、喜んでくれるでしょうか……?」  
 呟きながら、その呟きに悶える壬生屋。  
 傍から見てると変な人であるが、恋する乙女は概してこんなもんである。  
 照れ隠しの咳払いをし、汚れてしまったシーツ、道具として使った野菜などを片付けようとしたその時、壬生屋は行為に夢中で気付かなかったある事に、気付いた。  
「……あ」  
 多目的結晶が、光っている。呼び出しがかかっている事を告げる光だ。  
「……やってしまいました」  
 顔をしかめながら、壬生屋は慌てて身支度を整え始めた。同時に呼び出しをかけたのが誰かも確認する。  
 もし善行や原だったとしたら、自分は懲罰物の失敗をしでかした事になる――その不安はすぐに解消された。  
「新井木、さん?」  
 
 
(何の御用だったんでしょうか……)  
 壬生屋は呼び出された場所――食堂だ――へと急いだ。  
 最初のコールから、随分時間がたってしまっている。もしかしたらもういないかもしれないが、それでも急いだ。  
 もしいなかったら、明日会った時に謝らなくてはいけない。  
「すいません、遅くな」  
「おっそーいっっっ!!!!」  
 声をかけながら食堂の扉を開けると、そこには頬を膨らませた新井木が仁王立ちしていた。  
「まだいらっしゃったんですね……申し訳ありません、新井木さん」  
「そりゃいらっしゃりますよ! 事態は急を要するっていうのにさっ!」  
「本当にごめんなさい……私、ちょっと取り込んでいまして」  
 していた事を思い出し、軽く頬を染める壬生屋。それを見てとったか、途端に新井木の顔がにやける。  
「ははーん……」  
「な、なんですか?」  
「この前貸した、アレ?」  
「…………そ、そんな、事は……」  
「あー、赤くなったー! 未央っちったらわかりやすーい!」  
「……うぅ……」  
 壬生屋としては、真っ赤になって俯くしかない。  
「まあ、ボクもアレを裏マーケットで買った時はアレコレしたし、気にしない気にしない」  
「そ、そんなことより、何かお話だったんでしょう!?」  
 羞恥プレイから逃れようと、何とか話の方向を変えようとすると、瞬間新井木の表情が真剣なものに変わる。  
「まあ、座ろうよ」  
「そ、そうですね」  
 二人は、食堂の椅子に同時に腰掛ける。  
「で、未央っちは瀬戸口さんともうヤる事ヤっちゃった?」  
 座るや否やの唐突な言葉に、壬生屋は思わず机に突っ伏した。  
「やっぱりわかりやすいよねぇー」  
「な、な、な、な」  
「しっかり自分の方向いてもらってなきゃ、駄目だよ」  
「……新井木、さん?」  
 顔を上げた壬生屋が見たのは、どこか寂しさを含んだような目で自分を見つめる新井木だった。  
「男なんて、いつどこに行っちゃうか、わかったもんじゃないんだからさ」  
「………………」  
「瀬戸口さん、しっかり捕まえて離さないようにしてなきゃ……駄目だよ。  
 未央っちはさ、もう捕まえてるんだから。だから、離しちゃ駄目だよ」  
「……新井木さん……どうしたんですか?」  
 唐突な話に戸惑いの表情を見せながら、壬生屋は問い返す。  
 
「明日、朝」  
「………………」  
「瀬戸口さんがどこかへ出かけるから、それに付いて行って」  
「たか……瀬戸口さんが?」  
「そう」  
 新井木自身は、何ら変わっていない。ただ、真剣な、今まで見た事が無いような表情をしているだけだ。  
 だが、壬生屋は、その新井木から、何か途方も無く大きなものを感じ、目をしばたかせる。  
「何を、しに?」  
「それは秘密」  
 そう言って、新井木は風のように笑った。  
「夜まで待たされたから、ちょっとイジワルしちゃうもんね〜」  
 その瞬間、新井木に感じた何かは消え去り、何から何までいつもと同じ新井木が、そこにいるだけだった。  
「けど、絶対に行ってね。でないと、後悔する事になるかもしれない」  
 

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