夕暮れ時。  
かつての繁華街も、今や8割を超える店舗がシャッターを降ろしていた。  
その寂れた通りに、真新しい学兵の制服を着て颯爽と歩く少女の姿が一人。  
凛とした表情の彼女と、淀んだ町並みがアンバランスだった。  
ポニーテールに結った黒髪に白いうなじが映え、ほっそりとした顎からつながる整った顔。  
なにより印象的なのは強い意志をたたえた瞳の力だ。  
彼女は彼女自身が思うよりもずっと魅力的で、このご時世でなければ、男たちの羨望の的になるだろうことは間違いなかった。  
 
───だがもちろん、彼女が芝村でなければ、の話だ。  
 
芝村舞。彼女の名前だ。残念な事に。  
現状では最年少にして“芝村”を名乗る天才、圧倒的な軍事力と資金力で政情を翻弄する、「あの」芝村一族の末姫。  
芝村の証である勲章、その名もWorld Crisis On Paradeとはよく言ったものだ。  
「戦場こそ我等の故郷」と彼女が親しい者にだけ語ることがあったが、あながち嘘ではない。  
舞は自分に向けられる敵意に常にさらされながら生きてきた。  
 
突然の強い風に剥がされたシャッターの張り紙が、少女の足首に絡みついてその足をさえぎる。  
『当店は勝手ながら都合により閉店させていただきます。長い間のご愛顧、誠にありがとうございました。』  
彼女は拾い上げたその紙をくしゃくしゃに丸め、放り投げた。  
一見したところ、その表情に変化は見当たらないが、ごくかすかに瞳が揺れていた。  
「…我等には、我等にしかできない、成すべき事がある。」  
およそ年齢には似つかわしくない言葉をつぶやくと、顔を上げ、また彼女は薄暗い通りの方へ歩いていった。  
ブラックマーケットに身体能力を異常に高める薬が入荷したと、店でアルバイトをしているクラスメイトが教えてくれのだ。  
 
 
 
彼女はふと、何かの気配にまた足を止める。  
耳を澄ませても、何の物音もしないが、音はしなくても気配でわかる。悪意の塊がすぐそこに迫っていることを。  
──ふむ。3、4人といったところか。ずいぶんと舐められたものだ。  
舞の眉がひそめられたのは、動揺したからではなく、退屈しのぎにすらならないと思ったからだった。  
もう3月とは言っても夜となれば冷え込む。早く片を付けて熱い湯に浸かりたい。  
舞は後ろを振り返ることなく、またゆっくりと歩き出した。  
この時はまだ、自分が敗れるなどとは微塵も考えてはいなかった。思いつきもしなかった。  
その傲慢さがなければ、振り返って、3人の男の後ろに潜むもう一人の人影を確認できたかも知れなかった。  
 
男達との距離は約10メートル。  
おおかた、芝村に個人的恨みをもつものか、あるいは幻獣共生派組織の下っ端か。  
どちらにせよその動きはずぶの素人もいいところで、その数があと10人増えたところで芝村舞一人の身体能力に敵うべくもない。  
それだけははっきりしている。  
交差点まであと10メートルの地点で弾けるように彼女は駆け出し、交差点の手前のビルの隙間にもぐりこんだ。  
男達がちっ、と舌打ちし、舞の姿を追って走りだす。  
 
その狭い湿気た路地にはすでに舞の姿は見えなかった。  
しかし、逃げる途中でひっかけたのか、白いスニーカーの片方だけが転がっている。  
すぐさま追いかけて向こうに抜けようとした3人の一人が、ビルとビルの間に置かれた廃材に足を取られ、つんのめった。  
まずは先制して一人を足止め。  
その瞬間、舞は男達の背後にある非常階段の手すりからひらりと飛び降り、後ろ回し蹴りをしんがりの一人に食らわせる。  
一言うめいて倒れ伏す男。身長が足りず、急所には入らなかったが、時間稼ぎには十分だ。  
二人目。  
舞はわざと片方の靴を放り投げ、男達を誘導して背後から襲撃するというオーソドックスな手を使った。  
こんな古典的な手でも、残る一人は明らかに狼狽していた。  
 
舞がこぶしを握り締め、パンチを繰り出すより速く、彼女の背後から違う叫びが響き渡った。  
「芝村ぁっ!逃げろおおおおおっ!!」  
間髪いれずに、その人影が目の前の男を肩から力一杯突き飛ばしていた。  
初めて舞の瞳に動揺の色が浮かんだ。  
同年代にしてはやや小柄な少年は舞と同じ制服に身を包んでいた。  
舞の瞳に映っているのは、ぽややんとしたいつもの彼とは違う、深い青の眼。  
「……は、速水、か!?」  
「良かった、無事…だね?早く逃げて…!」  
男を踏みつけながら速水はすばやく身を起こし、硬直して立ちつくす舞の手を掴んで荒々しく引き寄せると「逃げるよ」と囁いた。  
息を切らせていたせいで熱い吐息が耳の産毛を撫でる。  
一瞬にして舞の顔が熱を帯びて朱に染まる。  
激しく高鳴りだした心臓の鼓動は戦場の高揚感と似ているようで、全く違う。  
初めての感覚に舞は混乱を起こし始めていた。  
 
 

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