廊下からぱたぱたと慌しい足音が響いてくるのを聞いて、  
職員室で執筆活動に勤しんでいた小島空は一瞬手を止めた。  
 そして何事も無かったかのように、すぐ手を動かし始める。  
 近付いてくる足音がどんどん大きくなり、職員室のすぐ前で止まった。  
 
「先生!」  
 扉が開くと同時に、大きな声が室内に響き渡る。  
 空は書き途中の原稿用紙から顔を上げ、声の方へ振り返った。  
「おぉ、咲良か。どうかしたのか?」  
 咲良と呼ばれた青い髪の少女は、白い頬をかすかに上気させ、肩で息をしていた。  
 どうやら先程の足音の主は彼女らしい。  
 少女──石田咲良は空へ近寄ると、その手に抱えていた二冊の本を差し出した。  
 
「先生に借りた本とこっちの本。同じ話なのに結末が違ってた。どっちが正しいの?」  
 二冊の本の内、一冊は先日空が貸した外国の童話集だ。  
 もう一冊も、どうやら童話を集めた本であるらしい。  
 空は自分の物でない方の本を手に取ると、ページを開き目次に目を通した。  
 目次には色々な童話の題名が連なっているが、空の本に載っていない話の方が圧倒的に多かった。  
「この話」と咲良が指し示した題名を見て、空は納得の声を上げた。  
 
「これはな、咲良。別にどちらが正しい、というわけじゃない。ほら、作者が違うだろ」  
「……本当だ。気付かなかった」  
「結末が違うのは……まぁ色々あるが、ともあれこの二つの話はどっちがどっちだと言う訳じゃないんだ。分かるか?」  
 一瞬俯き考え込んでから、咲良は顔を上げた。  
「うん、分かった」  
 それを聞くと空は満足そうにうなづいてから、ふと思い出したかのように言った。  
 
「ちなみに言うと、こっちの古い方の話より新しい話の方が一般的に知られている。どうしてだと思う?」  
 その質問に、咲良は二つの話を頭の中で反芻した。  
 二つの話の違う点をリストアップ。優先度の高いと思われる順にソートし、それらしいものをピックアップする。  
「新しい、から? それとも生存人数が多いからとか」  
 難しそうな表情で答える咲良。空は明らかに面白がっている声でこう答えた。  
 
「さてどうかな。もしかしたら、その女の子に幸せになってもらいたかったから、かも知れんぞ?」  
 よく分からない事を言う空を見て、咲良は再度悩み始めた。  
 本の挿絵を見た時のことを思い出す。  
 挿絵に描かれた人間二人を丸呑みに出来る程の狼とは、  
 一体どれほどの大きさなのだろうかと想像し、とある人物が浮かびあがったのだ。  
 だが、その人物は狼と言うよりも──  
 少し暗い表情で、咲良は口を開いた。  
 
「先生、他の結末は?」  
「ん、どういうことだ?」  
「この二つ以外の結末って、無いの?」  
「う〜ん、俺が知る限りではそうだな」  
 その言葉に、咲良の暗かった表情がさらに暗くなる。  
 訝しげな表情を浮かべてから、空は励ますように殊更明るい笑みで言った。  
 
「良く分からんが、咲良。結末が気に入らなかったのなら、自分で書いたらどうだ?」  
「……自分、で?」  
「そう、幸い紙なら一杯あるからな」  
 空は机の引き出しから白紙の原稿用紙の束を取り出すと、咲良に手渡した。  
 
「ま、今は状況が状況だ。仕事を優先するように」  
「……うん。ありがとう、先生」  
 咲良はきょとんとした顔で原稿用紙を見つめ、次の瞬間には明るい表情を取り戻すと、  
職員室を飛び出していった。  
 廊下にスキップする足音が響き、やがて遠のいていく。  
「──廊下は静かに歩くように、って言っとくべきだったか」  
 後頭部を掻きながら、空は呟いた。  
 
 谷口竜馬はモニターをにらみつけた後、天井を見上げため息を吐いた。  
 モニターにはつい先日起こった他隊の戦闘の記録が映し出されている。  
 様々なデータが数値、グラフ化され表示されているが、  
 そんなものより遥かに簡潔に結果を示す一文が表示されていた。  
 
『〜小隊:生存者0』  
 戦闘が始まったばかりの時点では、ゴブリンやスケルトン等の小型幻獣が敵の主力だった。  
 だが、しばらくして小隊の背後をつく形で現れたうみかぜゾンビの数体により、  
 ろくな対空装備を持っていなかった小隊は全滅させられたのだ。  
 生存者0、と言うのは間違いではなかろうが、確認など行っていないだろう。  
 幻獣に殺された者は、死した後もまるで玩具のように扱われ、四肢がバラバラになるまで弄ばれる。  
 
「俺達がこうなるのも時間の問題か……」  
 痛みに軋む胃を押さえながら、谷口は薬を喉に流し込んだ。  
 最近では、ある一人の人物にばかり痛まされていた胃が、久しぶりに戦況のことで悲鳴を上げていた。  
 武器も弾薬も燃料も足りていない。ハンガーにあるのは『98式警戒車』と、  
 どういう経緯で来たのか『はやかぜ』があるだけだ。  
 うみかぜゾンビの集団と渡り合うには、あまりに心許ない。  
 
 さらに言うなら、谷口を含む人員にも問題があった。  
 人間性はともかくとして、訓練不足な上に士気も決して高いとは言い難い。  
 今までのところ、激しい戦闘になったことはなかったが、この先どうなるかは分からない。  
 再びため息をつくと、それと同時に微かにあくびをもらす谷口。  
 手首に埋め込まれた多目的結晶を見やると、時刻は既に明け方近くを指していた。  
 夜遅くまでトレーニングと書類整理をし、その後にこの記録を見つけてしまい、  
 そのまま朝まで装備の確認や戦術の見直しをしてしまったのだ。  
 
「せめて、着替えなければ……」   
 常日頃から身なりを注意している側として、無様な格好をするわけにはいかない。  
 谷口はふらふらになりながらも通信室を出た。  
 階段を降りて校舎玄関へ向かう谷口の横をコート姿のペンギンが通るが、  
 疲れている上に幻視技能を持たない谷口は見向きもしなかった。  
 すれ違いざまに谷口を一瞥するペンギン。  
 立ち止まると、足取りの怪しい谷口へ近寄っていく。  
 
ちょんちょん  
 
 「んっ?」と谷口が顔を向けると、コート姿のペンギンが同情すると言わんばかりに頷きながらこちらを叩いていた。  
 そして懐に手(?)を入れると、谷口に何か差し出してきた。  
 何の疑問も持たずにそれを受け取る谷口。  
 ペンギンは満足したかのように頷き、また歩いていった。  
 
「……疲れているな。早く帰ろう」  
 眠気を払うように頭を2、3度振ると、谷口は玄関へ向かう。  
 靴を履き替え出口に向かう所で、先程渡されたものをまじまじと見つめた。  
「チョコ……だよな?」  
 なにやらいびつな形をしてはいるが、それはチョコレートのようだった。  
 
「……疲れた時には甘い物が良いと言うな」  
 ぼそっと呟く。  
 特に甘い物が好きだと言う訳でもなかったが、かなり疲労が溜まっている今にはうってつけと、  
 谷口はそれを口の中に放り込んだ。  
「……ぐっ?」  
 放り込み租借すると、なんとも形容し難い味が口の中に広がる。  
 なんだか、目の前がまるで積もった雪のように真っ白になっていくような……  
「……(ドサッ)」  
 
 体力 −20  
 気力 −20  
 谷口は気を失った。  
 
   
 
 その日の朝、石田咲良は非常に不機嫌であった。  
 普段であれば家に迎えに来るはずの谷口が、何時まで経っても現れなかったのだ。  
 
 遅刻は厳禁だ。  
 仕方なく、咲良は自分でコートを着て、苦労して手袋をつけて登校した。  
 ちなみに家の主である小島空は何か用事があったらしく、さっさと学校へ行っている。  
 頭の中で、谷口をどうしてやろうかと色々シミュレートしながら咲良は通学路を歩く。  
 その横を、自転車に二人乗りで登校する竹内と岩崎が通った。  
 彼らは咲良に声を掛けようとしたのだが、暗い表情でなにやらぶつぶつと呟く咲良を見ると、  
 どひゃぁと言って走り去った。咲良はそれに全く気付かなかったが。  
 
 校門近くに差し掛かると一般生徒の姿もちらほら見えたが、  
 咲良の放つ近寄り難い雰囲気を恐れ、皆一様に離れて歩いていた。  
 校門を通り玄関に向かおうとして、咲良は思わず足を止めた。玄関の前に、人だかりが出来ていた。  
 咲良は何があったのかとぴょんぴょんと跳ねてみたが、周りの人間に遮られよく見えない。  
 谷口……、と呼びそうになり、しょぼくれた。今日、彼は自分と一緒ではないのだ。  
 
「あ……た、隊長?」  
 咲良が振り向くと、そこには竹内と岩崎が居た。  
 先程すれ違ったばかりだが、咲良はそのことを気付いてはいない。  
「二人とも、おはよう」  
「おはようございます」  
「うんうん、今日もいい天気だねぇ」  
 いつもの隊長だと安堵の息をつく竹内と、普段となんら変わりなくうんうんとにこやかに頷く岩崎。  
 蛇足であるが、先程驚きの声を上げたのは竹内だけだったりする。  
 竹内の様子が少し気にはなったが、それよりも気になる目の前の疑問を咲良は口にした。  
 
「この人だかり、何なの?」  
「いえ、僕達も来たばかりで、何が何やら」  
「うんうん、……っと石田さん、竹内君。何かあったみたいだよ」  
 岩崎の声に二人が振り返ると、人だかりが動き出し殆どの者が校舎へと入っていく。視界が開く。  
『……あっ』  
 驚きの声が重なる。  
 さっきまで人だかりの中心になっていた場所、そこに居たのは見知った顔だった。  
 一人は隊の衛生兵にして保健室の番人、山口葉月。  
 そしてもう一人は、見知らぬ一般生徒達が持ち上げる担架の上に力なく横たわっている大柄な人物。  
「……谷口先輩っ!?」  
 竹内の驚きの声があたりに響く。  
 咲良は、何故か遠くで銃声が聞こえたような気がした。  
 
 
『過労と食中り?』  
 小島航と横山亜美は、間の抜けた声を教室中に響かせた。  
 二人の言葉に、村田彩華は「ああ、そうさ」と頷いた。  
 教室には彼らの他には、文庫本を読む上田とゲームに熱中する吉田が居るだけで、  
 後は皆何処かへ行っていて居なかった。  
 教室の黒板には、「自習」の二文字が白いチョークで大きく書いてある。  
 
「確かに最近、根詰めすぎているなとは思ってたけど……」  
 航はあきれたような、困ったような、どちらとも言えない表情で言った。  
 竜馬の奴、大丈夫かと思いつつも、妹のように可愛がっている咲良が不安がって居るので、  
 治り次第小言でも言ってやりたい気分であった。  
 
「……」  
 その横で、亜美は思いつめた表情で黙り込んでいた。その心中は穏やかな物でなかった。  
 あの成体クローンに振り回されている谷口を見るのは面白くないし、  
 夜遅くまで成体クローンの為に  
(正確には隊の為だろうが、彼女にはそうとしか思えなかったし、  
 谷口もおそらく大部分は咲良の事を考えているに違いないと亜美睨んでいた)  
 夜遅くまで書類仕事をしているのは嬉しくなかった。  
 だが反面、大の男がこの程度の事で倒れてどうする、とも思っていた。  
 斑模様の感情が渦巻き、うぅっとうめく亜美。乙女心は複雑である。  
 
「全く、何やってるんだろうね。あいつは」  
 こちらは、完全に呆れ果てたといった感じのため息をつく彩華である。  
 谷口が倒れたと聞いて、一応は心配して山口の所に容態を聞きに言ったのだが、  
 返って来た答えが答えだけに一気にアホらしくなってしまったのだ。  
 
「じゃあ、何で隊長は付きっ切りなんだろう」  
 航がポツリと疑問を漏らした。  
 谷口が運ばれているのを見た咲良は、山口とともに保健室に行ったまま戻っていない。  
 
「……!」  
 航の言葉に顔色を変え、亜美は立ち上がった。嫌な予感。このままでは何か非常に不味い気がする。  
「ちょ……横山?」  
 大股歩きで教室の出口へ向かう亜美を、彩華は呼び止める。  
 扉に手をかけながら亜美は振り返った。  
「と、止めないで下さい! 行かなきゃ……行かなきゃ駄目なんです!」  
 大声で言う亜美に、航と彩華は訳がわからんといった面持ちになる。  
 声の大きさに驚き、上田も文庫本から顔を上げて亜美を見ていた。吉田は我関せずとばかりにゲームを続行中。  
 
 亜美は扉に振り返ると、一気に開いて廊下に出ようと一歩を踏み出し、  
「おっと、ごめんよ。横山さん」  
 教室に入ろうとしていたのだろう──目の前に立っていた岩崎に思い切り顔をぶつけた。  
「あつぅ〜。い、岩崎さん!? ごめんなさい!」  
「いやいや、僕も不注意だったし。それに、横山さんの方が痛そうだよ?」  
 大丈夫、と問い掛ける岩崎に適当に頷くと、その横を通り抜けようとする。  
 
「おっと、待った。ちょっと話があるんだ」  
「え、ですが私は保健室に……」  
「谷口君なら心配要らないよ。今は静かに寝かせておいてあげよう」  
 亜美を教室に連れ戻しながら、岩崎はなだめる様に言った。  
 教室に居る人間を見回し、ふむと手を顎に当てる。  
 
「さて、皆。ちょっといいかい?」  
 岩崎は全員に聞こえるよう大きな声で言った。  
「少しばかり、手伝ってもらいたいんだけど」  
「……手伝うって、何をさ?」  
 彩華の言葉に、良い質問だねぇと岩崎。  
「実は、陳情しておいた弾薬その他が届いていなくてねぇ。今から集積基地に出向かなきゃいけないのさ」  
「あ、あの岩崎さん?」  
 上田が軽く手を挙げながら、口を開いた。吉田はいまだゲームを続行中。  
 
「基地に行くだけなら、そんなに人数は要らないんじゃないですか?」  
「うんうん。そうだねぇ」  
 同意する岩崎に、吉田以外全員が怪訝な表情で見つめる中、  
 岩崎は顔から笑みを消して真剣な表情で口を開いた。  
「少しばかり、状況が切迫しているみたいでね。ちょっと真剣な話になるけど……」  
 

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