一日中晴れていたその日の天気に忠実に夕焼けは見事に市内を朱に染め上げていた。  
ちらほらと浮かぶ雲は下半分だけ赤く輝き、なめらかなグラデーションで夕空に溶けていく。  
その雲がゆっくりと流れるのに誘われるように学兵たちは授業終了時にはそわそわと  
帰り支度を始め、連勝街道まっしぐら爆進中のぽややん司令が軽く首をかしげて  
「うん、今日は早いけど帰っていいよ。みんなおつかれさま」  
とにっこり手を振るなり歓声を上げてそれぞれの家路についたのだった。  
 
しかしもちろん言葉どおりに全員が帰ったわけではない。  
戦況がいかに有利でも、日々の事務的な仕事が減るわけでもなく、  
ただサボることができる性質の人間が楽になり、人一倍働いてしまう  
完璧主義者とそれを放って置けないお人よしがとばっちりを食らうのだ。  
そんなわけで定時前にもかかわらず、一階だけ明かりのついたハンガーには  
黙々と地味な事務作業を遂行する人間はたった二人しかいないのだった。  
 
 
原は形のいい眉を顰めた。  
――田辺さんまで帰るとは・・・  
 
ごりごりと鉛筆の尻でこめかみを押さえ、遠坂と手をつないで遠ざかってゆく  
田辺の残像を頭から追い払った。  
 
――明日二人ともシメてやる。  
 
思うだけでそんなことはしない。悔しいけれども  
夕日を反射した眼鏡とその下のもっと赤い頬がとても綺麗だった。  
原は手元の補給品のリストに赤を入れ、向かいに座る巨体を何気なく伺った。  
 
原の向かいには若宮がいる。顔を歪めてハンガーに向かう女史を放っておけず、  
よせばいいのに手伝いを申し出てついてきてしまったのだ。ただでさえ狭い事務机に  
ちょこんと(当社比)座って鉛筆を動かしている。その鉛筆がまた短く見えるので必要以上に  
貧乏くさい印象を与える。原は小さく溜息をつき、視線を手元に戻した。  
若宮は軍隊生活が長いだけあって割とマルチな能力を持っていた。事務仕事をやらせても  
それなりに手際よく片付け、しかも漏れがなかった。これまでも善行が司令であった頃は、  
訓練の後その仕事を手伝うのが日課だった。そして善行は若宮が処理した書類はほとんどチェックしたことがない。  
ただ、外見が外見なので昔から知っている善行以外に事務仕事を頼む人間がいなかった。  
丁寧に仕事を進める若宮に、原は理不尽な怒りをおぼえた。  
 
――まったく、ふざけている。  
 
ちまちまと電卓をたたく太い指を睨みつけて原は最後の書類をめくった。  
 
――だいたい誰もいないハンガー一階で二人きりで仕事をしようと誘ってきて本当に仕事しかしないなんて。  
 
もちろん不埒な行動に出たら、たとえば押し倒されたりしたら、間髪いれずに内臓を抉り出す原である。  
しかし怒れる整備長(彼氏ナシ)には阿蘇より広い心の棚が据付けられている。そこに普段の行動を  
丸投げして原は軽く(主観)若宮の脛を蹴った。  
ドゲシ。  
重く鈍い音がした。2度目の計算をしていた若宮の手が一瞬止まる。  
だが原を見返すことなく、黙って電卓をたたく指を再開させた。  
 
 
本当にふざけていると思う。ファンクラブなどと言って、個人的に誘われたことなど一度もない。  
そもそもそのファンクラブだって勤務時間が終わってから騒いでいるだけで。  
原はいらいらと書類を終わらせると予備動作なしでまっすぐに鉛筆を投げた。僅かに空を切る音。  
若宮の髪が素早く下に振られた。  
一瞬後、綺麗に削られた木炭が若宮の黄の前髪に刺さっていた。  
 
チッ。  
原は明らかに聞こえるような舌打ちをした。眉間を狙ったのだ。  
しかもわざと受けた。完全に避けることもできたはずだ。だが、そうすれば原が激昂して  
行動がエスカレートすることを予測してあえて刺されたのだ。そう思う原の眼光がさらに鋭くなる。  
そのとき苛立つ原の視線の先でたらり、と若宮の眉間に赤い筋がはしった。  
さすがに原も動揺する。しかし動揺してもそれを抑圧すべく更なる怒りに転化しただけだった。  
 
――私は悪くない。絶対。謝る必要なんか、ない。  
 
いわゆる逆ギレ、である。女子のイジメは相手が泣くとエスカレートするあたりが男子とは決定的に違う。  
原は震えそうになる睫に力を込めた。殺意を剥き出しにして若宮を睨む。  
 
若宮は流れる血を拭おうともせず淡々と書類をさばいている。  
 
 
若宮は淡々と書類を捌きながら、内心まずいと冷や汗を流している。無論、原の機嫌のことである。  
額を流れる血はものの数には入らない。受けざるを得なかったと思うし、避ければ次は致命傷を狙うだろう原を、避けることはできても宥めることはできない。そして、原はもっと傷つく。若宮ではない男のことで。  
この無骨な戦士には原が何に怒っているのかを理解している。そしてそれが本質的に自分には如何ともしがたいことも理解している。  
そこで停止してしまうのが若宮であった。妥当な落としどころが存在しないからこそ逃げたとしても誰も責めはしない。しかし、若宮は違う。  
怒りを真正面から受け止めて(死なない程度に)サンドバッグになってやろうと考える。  
ある意味不器用ないい男なのだが、それこそ原が最も嫌う、見下した態度である。いい男だからこそ刺さねばならないと突き進むのが原の正義であり公平感ですらある。  
それを止められる男はハンガー1階ではない、違う場所で、やはり仕事をしている。  
だから、原も若宮も、釈然としない何かに巻き込まれて硬直しているのだ。  
その意味でここには被害者しかいないのだった。  
 
そのような状況で若宮は額の血を拭うこともできず検算にいそしんでいた。否、いそしむフリをしていた。  
殺気を隠そうともしない原の視線の先で極小のため息を鼻から逃がし、心の片隅で誰かに詫びて左の手首に意識を向けた。  
―――あと、1分30秒。  
それから40秒間書き間違いがないかをチェックする。書類を順番通りに並べ、トントンと机を叩いて揃え、ファイルに丁寧に綴じて最初のページに今日の日付を書き加えた。それが5秒前だった。消しゴム滓を払い落として鉛筆をペン立てに戻し、片手を机について立ち上がった。  
向かいに座る原が臨界点を超えた肉食獣の目をした。  
 
 
パイプ椅子が鉄板の床を転がる音がハンガーの高い天井にこだました。  
その反響を追いかけて机の脚が床を擦る音がして、それから一人分の靴音が  
勢いよく床を蹴りつけていたが、長くは続かなかった。  
 
両腕を背後で一纏めに掴まれた上、腰を押さえ込まれた原は、  
机にうつ伏せにされたまま起き上がれずにいた。  
空しくつま先で宙を掻きながら若宮を睨みつける。  
 
「……す、」  
「謝ったら殺すわよ」  
 
まず、立ち上がった若宮へ原は椅子を蹴って中腰のまま一足で接近した。  
若宮は次の瞬間突き出された拳を片掌で受けて流し、もう一方の手でデコピンをかますと  
ひるんだ女史を流した方向へ反転させ、両手を戒めて床に押し倒そうとしたところで  
脛を数発蹴られ、仕方なく机に載せて押さえ込んだのだった。  
そんな訳で原は事務机に上体を伏せ、尻を突き出した格好で足は宙ぶらりんという  
間の抜けた格好を、若宮の前に晒している。  
 
まず、立ち上がった若宮へ原は椅子を蹴って中腰のまま一足で接近した。  
若宮は次の瞬間突き出された拳を片掌で受けて流し、もう一方の手でデコピンをかますと  
ひるんだ女史を流した方向へ反転させ、両手を戒めて床に押し倒そうとしたところで  
脛を数発蹴られ、仕方なく机に載せて押さえ込んだのだった。  
そんな訳で原は事務机に上体を伏せ、尻を突き出した格好で足は宙ぶらりんという  
間の抜けた格好を、若宮の前に晒している。  
 
「ひどいじゃない」  
「………………」  
 
謝ったら殺す、と言われた若宮は黙っている。その素直さが、原を怒らせはせずとも苛立たせる。  
 
「あんたなんて、黙って殴られてりゃいいのよ」  
「………………」  
「それが厭なら最初から放っておいて。何なのよ。今さら、何なのよ。  
何が親衛隊よ。私をどうしたいの?どうしたくもないんでしょう」  
答えはなかった。原はせせら笑った。  
「興味もないくせに善行に遠慮する振りなんかしないで」  
 
違う、と若宮は思う。若宮は原に殴られても良かったのだ。  
 
 

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