「わはは、下手くそめ」  
暇つぶしに整備員詰め所で士魂号が撮った映像を観賞している。こいつが結構面白い。  
それぞれのパイロットが何を狙っているのかが手に取るように解っちまう。  
特に二番機、滝川の視界は目まぐるしく変わりまくる。全然落ち着きやがれねえ。  
「おらおら、余所見してると」  
がくんと衝撃が走り、僅かに傾くカメラ。  
慌てるように機体が向きなおされて、そのまま敵を撃つ。  
狙いにかけた時間はほんの少しなのに、的確に急所に当てる。  
射撃は上手いんだよな……  
で、調子に乗ったところで不意打ちを喰らう。  
「もっと後ろにいりゃいーのにな」  
撃破数を伸ばそうと必死になるのはいいけど、慣れない突撃なんてするからだ。  
装甲の薄い機体は接近戦には向かないんだ。前みたいに遠くからの掩護に徹してるのがコイツらしい  
戦い方だろうに。  
「田代さん、何見てるの?」  
「っ!とぉ……」  
突然の速水の声。真後ろからだ。  
驚かせるんじゃねえよ。  
「いや、暇つぶし。指揮車の整備はすぐ終わっちまうからな」  
振り向きながら言って、その落ち着いた顔が視界に収まる。  
微笑んではいる。が、それ以上の全てを読ませない顔だ。  
……嫌な顔だぜ、くそ。  
く、と目だけが動いてオレが見ていた画面に焦点が移る。  
「ああ、二番機だね」  
冷たい眼差しだ。感情と呼べる熱はこれっぽっちもない。  
本当に、嫌なヤツになった。  
芝村と同棲するというだけでこうも変わってしまうのか。  
ひとつひとつの言葉は重さを増し、行動の効果も段違いに意味のあるものになった。  
撃破数も爆発したように伸びて、今では冗談半分で『絢爛舞踏』なんて呼んでも気にした様子を  
見せない。肝が座ったというか、器がデカくなったというか。  
 
ちょっとだけ意地の悪いことを言ってやる。  
「三番機も見たけどな、お前、他の二機も倒すつもりか?」  
一番機はひたすら真っ直ぐ進む事しか考えていない。  
二番機は撃破数を気にし始めたらしく突っ込むことが多くなったが、それでも遠距離射撃に徹するのが普通だ。  
で、三番機。  
幻獣を見ていない時間がかなり長い。大部分は味方である一番機と二番機を睨んでいた。  
その動きを完全に分析するつもりなのか。  
「そんなんじゃないよ。僕も二人の得意分野に追いつきたいからね。もう少し、強くなりたいんだよ」  
さらっと怖い事を言いやがる。  
機体の操作はほぼ完璧で、誰が見たって舌を巻く挙動をさせることが出来ているのに、まだ強くなりたいってか。  
──もっと先がある、ということだ。傍に居られるだけで緊張してしまう能力を持ちながら、満足していない。  
こいつはどこまで強くなるのか。一体何をするつもりなのか。  
「そんなになって、何するんだ?」  
意識して呆れたような声で言うと、  
「決まってる。この戦争を終わらせる」  
果てのない無機質な返事だった。  
……人間は、こうも変われるものなのか。芝村も似たような言い方はするが、こんな印象は受けない。  
背筋の戦慄を気付かせないように画面に目を移し、オレは言い返す。  
「ま、期待しとくぜ」  
「そうだね。出来る限りの手は打たないとね」  
幾分冷たさが和らいだ。  
ほっとする。  
「じゃ、また明日」  
オレを見ないで別れの挨拶を口にして出て行く速水。  
返ってくるだろう挨拶を拒否するように振り向かない。  
別次元の何かを滲ませている雰囲気だった。  
それに、怖い。  
「……なんて奴だよ、全く」  
画面では剣を振りかざす一番機が掩護に来ていた。  
 
*  
 
今すぐにでもスカウトに転属したいんだが、実際はそうもいかない。  
若宮と来栖のコンビは強力で、半端なことでは怪我もしてくれない。  
オレの出番はあるのかね、ったく。  
憂さ晴らしにサンドバッグを殴り、全体的な能力も伸ばしているが声はかからない。  
味方のヘマを願うような腐れにはなりたくないが、こんな宙ぶらりんの状態が続くのも結構負担だ。  
「さて、行くか」  
気を紛らわせる為に石津の手伝いをする事が多くなった。  
最初はただのひやかしのつもりで見に行っただけなんだが、随分と重労働をしている姿を  
見せ付けられてしまって、とてもじゃないが放っておけなくなっちまった。  
がたがたと開きにくいドア。  
中に入ると、いつものように石津がいる。  
「オッス」  
「………」  
オレを見て何も言わずに頷く。  
謝意を意味する動きだ。最近ではこれ以外の意思表示も解るようになってきた。  
石津は顔の変化が乏しく、心の傷で言葉を発するのが難しい。  
その分、何を考えているのかがちょっとした仕草によく出るヤツだ。  
オレも皆と一緒で初めて会った時は『係わらないほうがいいな』なんて思っていたが、  
実際に接してみると自分の意思を相手に伝える事が出来る性格なのだ。  
そこらへんの優柔不断な男よりもずっと付き合いやすい。  
いじめられている、という先入観を取っ払えば普通の女だとすぐにでも解る。  
小柄なのは仕方ないが、いつも俯き加減なのは大きな損だな。  
それと暇さえあれば妖しい本を開いているのも、か。  
「今日は洗濯物だったか。さっさとやっちまおうぜ」  
「………」  
再び頷く小さい顔。  
 
作業の分担は単純だ。石津が洗濯機に洗い物を次々と放り込み、脱水を終えたものをオレが屋根上まで  
運んで干す。それだけなんだけど、その量は半端じゃない。  
整備は汚れ仕事だ。何をするにもオイルや人工血液なんかで服の色が変わってしまう。  
気休め程度でも抑えようとウエスで拭くし、洗う時間も気力もないとなるとそこら辺にブン投げるのが  
当たり前になる。その習慣が身についてしまえば誰も洗おうとしなくなる。  
石津は何も言わずに床に散らばった布をかき集めて洗濯機に突っ込んでいる。  
臭いも手触りも最悪だが、  
「……洗えば、落ちる……から……」  
だそうだ。  
大したモンだと思う。  
しかし若宮よ。手前の下着くらいは自分で洗え。  
「おっし、行くか」  
山盛りになったかごを二つ積み上げ、ついでに物干し竿を担いで部屋から出る。  
水気のある洗い物は重い。石津みたいな華奢な身体ではロクに運べもしない重量になってしまう。  
「よ、と!」  
バランスを崩さないように階段を登りきり屋根に上がる。  
一旦かごを降ろして物干し竿を組み上げ、片っ端から適当に干しまくる。  
色とりどりの洗濯物が列を作り、風になびいている。  
「さて次、と」  
まだまだ残っている。さっさとやってしまおう。  
 
同じ事をもう二回繰り返してようやく終わった。  
部屋の椅子に座って、額の汗をふき取りながら息を整える。  
「ふ、……」  
こんなのをひとりでやってたんだよな。  
石津の体格には全く合っていない仕事だ。善行も酷い仕打ちをしやがる。  
ことり、とテーブルに湯のみが置かれた。  
「サンキュ」  
「………」  
石津が淹れてくれたお茶に早速口をつける。  
毎度のように思うのだが、美味い。  
 
石津も隣に座って飲んでいる。しかし目は本から離れない。  
「………」  
随分と親しい仲になったな、思う。  
以前なら、こうして傍にいる事もしなかった。離れたところにひっそりと自分だけの世界に  
浸っていた。ふと覗きに行くと、もっと離れる。  
ひとりが基本だった何よりの証拠だろうか。  
ちょっと前に本田に言ったことがある。  
兄弟や親を連れてくるべきじゃないのか、と。  
余りにも寂しげで、今にも消えてしまいそうなこいつを何とかしてやりたい。  
返事は素気ないもので、  
『石津は孤児院育ちだ。肉親はいない』  
……そりゃないだろ、と言いたくもなる。それでは心が病んであたりまえだ。  
直る為の環境すらも作れないとなれば、希望だって持てない毎日だろう。  
『なに、力になれるやつならいるさ。お前とかな』  
この言葉に従ったつもりじゃないけど、オレは石津に構うようになった。  
うまく話せないなら、触れる回数で埋め合わせればいい。考えた末の馬鹿みたいな単純な行動だったが  
効果はあった。  
ちょいちょいと肘の辺りを触られ、石津に視線を送ると──何か言いたそうな表情だ。  
「……見せて、……あげ、る……」  
理解不能な図形で埋まるページを開いた本を持ち、つらつらと部屋の中を見渡して  
視線を固定し、とつとつと歩いていく。  
「なんだよ、石津?」  
オレの問いを聞きながら石津が振り返って、ポケットから出した紙に鉛筆で何かを書き始めた。  
近づくと、  
「……離れて」  
と止められる。  
紙には本にある模様が書かれているようだ。まだ完成していないのが解る。  
石津は神妙な面持ちで床に紙を置いて、足りなかった最後の数本を書き入れ、立ち上がった。  
「……うおっ!」  
ぶすぶすと煙が上がり始めた。火を使ったようには見えないし、発火性の何かがあった訳でもない。  
 
オレが見つめる中で、しかし出火には至らなかった。  
「魔法、……」  
石津がどことなく得意げな顔を浮かべている。  
以前から知っていた事だ。こいつは、所謂『魔法』を信仰し僅かではあるが行使も出来ると。  
オレが知る限りではちょっとした気休め、おまじない程度のはずだった。  
が、今のは違う。この方向性は明確な物理的現象だ。  
「……。凄えな、うん」  
恐怖よりも驚きの方が強い。  
まぁ、オレ自身も他のやつらが出来ない事を身につけてるから、こう思うのかもしれないが。  
石津は不思議そうな表情だ。  
「怖く、ない?」  
「いや、オレも変な事は出来るからな。……見てろよ」  
足場を確認して両拳を構え、得意のストレートを放った。  
「ふっ!」  
拳が走り光が迸る。  
照明が点いていない部屋が一瞬だけ明るくなった。  
「……田代、さん……」  
吃驚している石津。  
そういえばこの隊で今のを見せるのは石津が初めてだ。聞いた事もなかっただろうな。  
「オレもこうだからな。石津と似たようなもんさ」  
どうにかして仕組みを知りたいとは考えた事もない。  
使えるのはケンカの時だけだし、なくても困らないからだ。  
対して石津の態度は真剣そのもので、他人が介入する余地なんて全然ないくらいだ。  
絶対に解き明かそうと毎日奮闘してるように見える。  
「……なんで、幻視って……言うのかな……?」  
床の紙を持ち上げ、表面にある何かを指ですくう。  
見えないの、とオレに掲げた。  
細い指には何もない。塵すら見当たらない。  
 
「………」  
──何も、言えない。  
言えばこいつが傷つく。  
オレのは見せる事が出来る。同じ事が出来ない石津の痛みなんて想像もつかない。  
くそ、何か言ってやりたい。  
「……いい、の。解ってる……から」  
声には落胆が混じる。  
部分的に焦げた紙をゴミ箱に捨てて、石津は席に戻った。  
「何で、……同調って、言うのかな……?」  
同調と幻視。  
普通じゃないと決め付け、普通だと安心する為の方便。  
石津の不思議な力はそう呼ばれている。  
「魔法、なのに……」  
こいつの言う魔法だとして、証明する手立ては存在しない。  
普通の奴には見えないものを主張する人=幻視能力の保持者、科学的に証明されない能力の持ち主=  
同調能力保持者、と定義されているのかもしれない。  
魔法を同調と同一視する人もいるらしいが、同調能力者を石津くらいしか知らないやつだろう。  
それ程までに希少で、忌み嫌われる能力だ。  
「……何だっていいだろ。お前はお前だ」  
異質すぎる力だとして、それが何だ。  
常人には出来ない事だってやれるきっかけにはなるだろう。  
目が良いとか走るのが速いとか、それと一緒だ。  
「なぁ、絶対に諦めるんじゃないぞ。いつか、役立てる方法が見つかるはずだ」  
出来ないと思った時が終わり。戦場と同じ理屈が人生にも適用出来る。  
「あり、がとう……」  
確かな感情が浮かんでいた。  
感謝と嬉しさ。  
真っ直ぐ過ぎる瞳が眩しくて、オレは一秒も見ていられなかった。  
 
*  
 
「わたし、ね……お姉ちゃんが、……いるの」  
いつものように仕事を手伝い、のんびりと休憩していると石津が呟いた。  
『石津は孤児院育ちだ。肉親はいない』  
本田の声が胸で鳴り響く。  
そのように記憶を変えてしまったのかもしれない。  
記憶の改竄なんて珍しくもない。忘れる、という機能も立派な改竄と言えるはずだ。  
「ん、そりゃ何よりだな」  
これ以上の突っ込みは止めておく。きっと、ボロが出る。  
嘘だと気付く。  
壊してはいけないものだ。  
「本当……よ。わたし、覚えてる……」  
それきり黙ってしまった。  
こいつにとっては魔法と同じくらいの大事な、生きる支えなんだろうな。  
オレはどうだろうか。  
石津のように、誰かに強い感情を持っているつもりはない。  
恋愛も経験してない。思い出はあるが、何が何でも拘りたい程の体験もない。  
ただ、戦場に立ちたいだけだ。  
戦って生き延びて、その瞬間だけを欲しがってるだけなのか。  
速水の後ろ姿。  
「田代、さん……」  
心配そうにオレを見つめる石津。  
「何だ?」  
「怖い………顔、してた、………」  
かもしれない。速水の事を想像するだけで、言いようのない恐怖が滲んでしまう。  
何なんだよ、くそ。  
「ちょっとな、速水の事、考えてた」  
嘘を吐くのが躊躇われた。石津に話して、気分を紛らわせたい気持ちもある。  
石津も思うところがあるらしく、テーブルに視線を落として黙っている。  
 
と、口を開いた。  
「全然……変わっちゃった、よね………」  
「全くだ。ああも変わるなんて想像もつかなかったな」  
戦況を有利にする為にはあらゆる手を使い、準竜師にも積極的に接触を持っているとの噂もある。  
既に芝村の一員ではあるが、速水の名前は捨てていない。  
それがどういった理由なのかは口にしていない。  
あいつみたいな強い人間が芝村に増える、という事実はそれだけで嫌なもんだ。  
一方でこの隊の芝村舞を見ていると、ひょっとしたら希望もあるかと思えてしまう。  
所謂芝村、冷酷で人を人と思わない外道達の姫として育てられ、しかし人を思いやるところを少しだけ  
持ち合わせた芝村舞が頂点に登りつめたなら、この世はマシにはなると思えてしまう。  
「変わらない、人間なんて……いない、と、思う」  
「……だよな。オレは、どうなるかね」  
興味がない訳ではないけど、なるようになれだ。  
ちょうど三番機の二人が詰め所の前を通った。芝村が熱心に何かを話し、速水が諫めている、という感じだ。  
珍しくない光景。く、と速水の目だけがこちらを確認する。  
……敵でも探すような印象だった。芝村の傍にいる時には余計に冷たい目を周囲に配るようにもなった。  
肝心の芝村は気付いていないようだ。  
何か、危険な感じがある。スカウトとして戦場に立っていた緊張感を覚えてしまうのが、  
気のせいだったらいいんだがな。  
「さて、と」  
わざと明るい声を出し、凝り固まった空気を吹き飛ばす。  
日課の体力トレーニングと射撃の練習をやってしまおう。  
席を立ち、視線を隣に座る石津に向けた。  
「石津はどうする?」  
「………」  
やることが残っているみたいだな。  
「じゃ、お先」  
頷く白い顔。以前だったら俯いて沈黙してただろうな。  
こうやって人が変わっていくのはやはり面白いもんだ。  
速水だけは、当てはまらないようだけどな。  
 
 
チャイムが鳴り、午後の授業が全て終了した事を告げた。  
最近は幻獣も大人しく、隊のほぼ全員が最低限の仕事をして帰宅するというサイクルになっている。  
出撃が続く時はこれでもかと連続するんだから、休める時には休む、との鉄則を守るべきだ。  
今日は石津も早く帰るだろう。  
何となくハンガーに足を運び、三機の士魂号を見上げている。  
整備員のオレが担当しているのは指揮車だ。場合によっては士魂号のも手伝うが、大体は力仕事をやらされる。  
正直に言えば、細かい所をやれるだけの知識がないからなんだが。  
出撃のない日が続くと修理も進む。今日だと直す所はひとつとしてないはずだ。  
こうして整備員連中が誰もいないのがその証拠だ。オレの出番もまずありえないだろう。  
担当である指揮車も完全に整備が終わっていて、出撃するまでは見る必要もないくらいだ。  
『かつんかつん』  
足元で金属音を立てながら二階にあがる。  
ここからだとコクピットが並んで見える位置だ。  
──しかし、パイロットは別だ。  
愛機を文字通り手足として駆動させる連中だ。感覚との誤差は少なければ少ない方がいいに決まっている。  
整備には終わりがあるのだが(滅多にないけどな)、調整にそれはない。  
ただひたすら数値を追い詰め、それが生き延びる確率に直結するとなれば手は抜けない。  
今動いているのは一番機と三番機だ。珍しく二番機が止まったままだ。  
滝川の乗る二番機が最も調整に時間を使っている。滝川自身が人型戦車に異常とも思える愛着を  
注いでいる所為もあるけど、素直に言えば調整も下手なだけだったりする。  
ふぅ、と軽い溜息と共に一番機コクピットから壬生屋が出てきた。  
しかしまあ、よく胴着であんな狭い所に入れるよな……  
「よう、お疲れ」  
「あ、どうも」  
声も表情も曇りがなく、晴れやかだ。  
調整は順調で、自身の漲る力にも久しぶりの爽快感を得ている、という様子だな。  
変にちょっかいを出す気にもなれない。  
「滝川、いないのか?」  
 
「今日はお休みみたいです」  
あの元気しか能のないやつがねぇ。珍しい事もあるもんだ。  
「明日には元気になると思いますよ」  
「くく、全くだ」  
滝川は呆れる程切り替えの早いやつだ。  
他の隊が大損害を受けたとの報せがあれば不安そうになり、朝になれば忘れたように登校してくるのがあいつだ。  
壬生屋もそれは実感している。含み笑いをしながら言っていた。  
ちら、と三番機に目をやる。  
コクピットは閉じ、二人の声が聞こえてきそうだ。  
今の速水と一緒にいられるのは間違いなく芝村だけだろう。隊の連中は大体がオレと同じように、  
速水へ畏怖と呼べる感情を抱いている。  
「どうかしましたか?」  
「いや、なんでもない」  
何だって、こんなにも──速水がやってのけるだろう偉業を、否定したがるのか。  
「大丈夫、ですか?」  
壬生屋が心配そうにオレを覗いていた。  
「………、ちょっとな。お先」  
軽く手を挙げて礼の代わりにして、ハンガーから出た。  
 
外に出た直後に声をかけられた。  
「田代」  
「ん?」  
休みのはずだった滝川のものだ。  
「具合悪いんなら、」  
振り返り、喉が固まった。  
顔中痣だらけだった。切れているところはないようだが、相当に痛いだろう。  
「どうした、その顔」  
痛そうに顔をしかめながら、滝川が答える。  
「……酔っ払いに、やられた」  
それきり何も言わない。多分嘘だ。言いたくない理由もあるんだろうな。  
 
オレは強引に話しを続けさせた。  
「で、何で出てきたんだよ?家で休んでりゃいいだろう」  
「それ、なんだけどさ、……俺に、格闘術っていうか、喧嘩の手技を教えてくれよ」  
真剣な眼差しだ。  
どこからどう見ても、本気である事に疑いを持てない顔だ。  
今なら時間もあるし、受けてもいいとは思う。  
が、少しだけ疑問が頭に浮かんでしまい、躊躇うことなく訊いた。  
「やり返したいってか?」  
苦い顔になり、すぐに元に戻る。  
「そうじゃない。昨日さ、俺って本当に格闘戦が出来ないんだなって思い知らされたんだ。  
 このまんまじゃ、いつかこの欠点が皆をピンチにしてしまう。……だから、習いたいんだよ」  
ふむ、筋は通っているか。  
それでも疑問は残る。  
「そうだな……なんで、オレなんだ?若宮とか来須でもいいんじゃないか?  
 あいつ等の方が戦闘経験があるだろ」  
「……田代は見たことないんだったな。若宮さんは接近戦だと蹴りを上手く使う人なんだ。  
 俺が乗る二番機は装甲が薄いから、隙の大きい蹴りはあまり良くないと思う。  
 他の士魂号だと平気な攻撃も、一発だって喰らうのは不味いだろ」  
確かに蹴りの隙は多いし、繰り出す為にはそれなりのバランス感覚が必要だ。  
自分に向いていない事をよく把握しているな。  
「で、来須が駄目な理由は?」  
「来須さんは……カトラスを使うんだけど、滅茶苦茶上手いんだぜ。壬生屋さんと同じくらいだよ。  
 二番機が大太刀を持ったら、どうしたって足が遅くなってしまうだろ。今までみたいなスピードで掻き回す  
 戦術が出来なくなる。……あとは、武器を使えるようになるのってかなり時間が要ると思うし」  
なるほど。それでか。  
ずっと馬鹿だと思っていたけど、これは改めるべきだな。  
「頼む、田代」  
すがるような弱さではない。ただただ必死で、懸命な態度だ。  
 
女のオレに迷わず頭を下げに来るのも、それなりの器量がある証拠だと思ってみるか。  
「解った。引き受ける」  
「恩にきるぜ!」  
辛気臭い顔が一気に明るくなった。  
結構思い詰めるやつらしい。そのくせ切り替えが早いってのは珍しい男なのかもしれない。  
「よし、早速やるか」  
ここでもいいか。今日なら誰も通らないし。  
と、その前に。  
「滝川、両腕あげて」  
「こうか?」  
疑いながらも腕を真っ直ぐ上に伸ばす。  
オレは正面からばんばんと脇、横腹、太ももの三箇所を軽く叩いた。  
感触ではそれなりの筋肉はついているようだ。なら使い方を覚えさせるだけか。  
……顔赤くしてやがる。アホか。  
「何照れてるんだ、馬鹿野郎」  
「あー、ごめん」  
男が女に身体を触られるってのは確かに少ないだろう。  
ま、いいか。  
「よし、見てろ」  
土を踏み締めて腰を落とし、右手を引いて左手は軽く上げる。  
「まずはこいつだ。基本中の基本、中段正拳突き」  
身体の芯を意識しながら全身を連動させ、右拳に全てを乗せて突き出す。  
拳が空間を切り裂き、直後に輝きが迸った。  
「あ……」  
何だ、中段でも出るようになってら。  
「田代、それは?」  
「オレも知らねーんだけど、いつの間にか出るようになってたんだ。  
 こんな感じでな」  
構え直し、ストレート。  
 
さっきとは比べ物にならない光が散った。  
「おお!」  
やっぱり吃驚するんだな……。  
ま、いいか。  
「光っても光らなくても威力は一緒だぞ。ほれ、お前もやれ」  
顔を引き締め、気を取り直した滝川がオレの構えを真似する。  
「こう、か?」  
「そうだ。ゆっくりやるから、よく見ろ」  
滝川の目を意識しながら、出来るだけゆっくりと腰を回し、肩に動きを伝え、拳を伸ばす。  
向けられる視線はちょこまかと動かずに、オレの身体全体を眺める感じだ。  
結構上達は早いかもな。  
何となくガキの頃を思い出す。師匠に習ってた時、オレはどう見られていたんだろうか。  
「ほれ、やってみろ」  
難しそうな顔だ。見るのとやるのじゃ大違いって事を実感してるに違いない。  
迷いながらもそろそろと身体を動かし始めた。  
「こうきて、こうか?」  
それぞれの部分はそれなりだけど、連携がまるで駄目だ。  
これらを滑らかに繋ぐには経験を積む以外の方法はないとオレは知っている。  
「もう一回見せるぜ」  
熱心な視線を浴びながら、拳を繰り出す。  
うーん、と唸ってから滝川も真似する。  
さっきよりはマシか。  
「いいぞ、その調子だ」  
適当におだてながら何度も同じ動作を繰り返させた。  
辺りが暗くなり始めた頃、偶々だけど滞りなく拳が突き出るようになった。  
「おっし、その感じ」  
「本当か?」  
息を弾ませている。一回一回に集中力を注いでいる証だ。  
そして嬉しさ半分戸惑い半分の表情。  
 
が、満足して貰っては困る。  
「毎日朝晩百回はやれよ。とにかく回数をこなすしかないんだからな」  
一瞬だけげんなりした顔になったが、すぐに元に戻った。  
明確な目的があるからだな。  
「ありがとうな、田代」  
「馬鹿、まだまだ最初だぞ。全部終わってから礼は言うもんだろ」  
 
*  
 
「なぁ、士魂号に乗って練習しなくてもいいのかよ?」  
石津の仕事を手伝ってから滝川の練習に付き合い、終わり頃に訊いてみた。  
考えてみれば、こうして生身でパンチの練習をしたとしても、それを士魂号に乗って  
同じことが出来なければ、全く意味のない行為だ。  
「いや、その辺りは大丈夫だぜ」  
珍しく自信のこもった声だ。  
「何でだよ?」  
「最初は、それこそ普通の戦車の延長線みたいに考えてたし、乗り方もそうだったけどな。  
 最近じゃ、身体の一部みたいに動かせるんだ」  
表情にも迷いはない。本当に、その通りなんだろうな。  
「……そうだな、デカいウォードレスを着てる感じ、かな。  
 この間なんかワイヤーロープを使ってあや取りとかしてたし」  
アホか。  
だが、指の先まで意思が通っていなければ到底出来ない事でもある。  
オレが思っていた以上に士魂号の操縦技術は高いようだ。  
二番機は撃墜数が最も少なく敵の中に突っ込むような派手さもないが、決して他の二機に劣る訳ではない。  
多分射撃に関してはオレの方が下だろうな。  
「………、滝川。射撃のコツって何だよ?」  
スカウトに抜擢されない一番の理由はこれだと思う。  
格闘戦では若宮と来須に並ぶと自負しているんだが。  
「うーん、色々あるけどな……やって見せるのが早いか」  
 
 
という流れで二人っきりで射撃場に来た。  
他に誰も居ない。静寂には微かな生活音すら聞こえない。  
滝川は模擬弾が詰まった拳銃を両手で持ち、的が見えない入り口付近でオレに言う。  
「適当に並べてくれよ。走りながら撃つからさ」  
緊張の度合いが低い表情だ。  
思いっきり意地悪に並べてやろう。  
「おっし、任せろ」  
部屋の隅から幾つもの的を運び、高さや距離をバラバラに並べまくった。  
近いところから順に撃つだろう。……最後の一個は遠く、さらに殆ど横に向かせた。  
当てようとしたら小さい模擬弾数発分の幅を狙える腕前が要る。  
まあ全部に当たる事はないだろうが、どれだけのものか見せてもらうか。  
「いいぞ、滝川」  
言いながら歩き、壁にもたれかかる。  
す、と緊張で滝川の顔が引き締まる。  
「ん!」  
銃口を下げ、勢いよく走り出した。  
短距離走と変わらない全力走だ。  
一秒に届かず的が見える場所に到達し、滝川は並ぶ的を視認する。  
『パパパパパパパパン!』  
腕が上がりきった直後、発砲音が連続して──全ての的に弾が当たっていた。  
的ひとつに一発撃って、必ず当てている。  
最後のひとつ、横を向かせた的にもしっかりと当たっている。  
走りは一瞬も止まらなかった。揺れる銃で、毎回狙いを修正しての連続狙撃だ。  
精度が高いとはいえない拳銃を使用しての早業。  
これは、──とんでもない領域の、高度な技術だ。  
「すげーじゃんかよ、おい」  
足を止めた滝川はにやけながら俺に言う。  
「そうでもないって。実戦だと、足場が悪いし敵も動くしでこうは当たらないからな。  
 このくらいはやれないと」  
……どうやら射撃に関してはオレの遥か上にいるみたいだ。  
 
こういった技術にはお世辞なんか言いたくない。  
「いや、大したもんだ。こんなにやれる奴、見たことないぜ」  
へへへ、と照れ笑いする滝川。  
妙に頼もしく思えるのは錯覚ではないだろうな。  
「どうやってあんなに正確に撃てたんだよ」  
オレも銃を持ち、的に向けて構える。  
滝川は困ったように眉毛をひそめて、自信なさそうに言い出した。  
「まずは、だな──」  
 
*  
 
「今日から実戦形式にするぞ。ほら、コレ着けろ」  
「あー、うん」  
「………馬鹿!避けろ!」  
と、  
「違うって、もっと反動も意識しないと」  
「んな事言われてもよぉ」  
「違うってば!こう持つんだって言っただろ!」  
の繰り返しの毎日が続くようになった。  
お互いの得意分野を認め合い、上下関係が入れ替わることにも何の抵抗もなかった。  
教えるのも教わるのも力の差を認めないと始まらない。  
性格も嫌いではなかったし、半ば相棒として一緒にいる事が多くなった。  
焦げ付くような戦場への執着心は陰に隠れ、殴ったり叱られたりの交流に奇妙な満足感を覚えている。  
……随分と丸くなりやがって。  
「なぁ田代、ちょっと付き合ってくれないか?」  
いつものように格闘訓練を終えて校門から出ようとした時、滝川がオレに言った。  
「なんだよ?」  
「偶には遊ぼうぜ。毎日訓練じゃ疲れもとれないだろ」  
確かにその通りなんだけど。ま、いいか。  
「いいけどよ、誘ったんだから楽しませろよ」  
人懐っこい笑顔で、滝川はオレの先に立って歩き出した。  
「へへ、面白い所だぜ」  
 
連れられていったのは唯一栄えているといって言い通りだ。  
オレも一通り目を通したが、大した所でもないと思っているが。  
「で、どこ行くって?」  
「こっちだ」  
 
少しの間だけだったが、オレは随分と楽しんだ。  
滝川の楽しもうという姿勢にも引っ張られた感じもあるが、まあ良しか。  
こいつなら、戦争が終わってからもこの調子でやっていくんだろうな。  
オレは──その自信がない。  
「どうした?」  
滝川が心配そうにオレを見ていた。  
それぞれの部屋に帰る途中だ。辺りは夕暮れの橙が降り注いでいる。  
自分の声とは思えないか弱い呟きが口から出てしまった。  
「戦争終わったら何するか、って考えてた」  
何をするか。  
何ひとつ思いつかない。  
働いて、結婚でもして、ささやかな生活でもするのか。  
オレのしたい事なんてひとつしかない。速水は戦争を終わらせるだろうし、そうなるのが全人類の願いだ。  
しかし、オレにとっては『死』と呼べる時代だろうな。  
自然休戦期には結構な数の兵士が刑務所行きになる。  
ちょっとした隙に自分を見失って馬鹿やって、捕まってしまう。オレは次の戦争の為だと言い聞かせて  
過ごすつもりではいるが、それがずっと続くとなればどうなるか解らない。  
個人的な事情を優先するなら、戦争は続いて欲しいと願っている。  
相当にヤバい奴なんじゃないのか、このオレは。  
「何って、色々楽しめばいいじゃんか」  
滝川はキョトンとした表情で、呆れるくらい簡単に言いやがる。  
「ふ、はははっ」  
悩んでたのが馬鹿らしくなった。  
 
確かに、暗い方ばかり考えてもしょうがないか。  
「だよな、うん。──っと」  
ぽつりと頬が濡れる。  
雨だ。  
空を見上げ、分厚い雲が見上げた頃には土砂降りになる。  
「このヤロ……」  
「田代、あそこで雨宿りしようぜ」  
ばしゃばしゃと道路の水を蹴り飛ばし、ひっそりと佇む個人商店の軒下に入る。  
服はとっくにずぶ濡れだ。  
「いきなりだな、ったく………」  
気休め程度でも水気を落とそうと軽く服を叩いた。  
滝川も無言のまま表面の水滴を払っている。  
「………」  
どきりと心臓が鳴った。  
ぴったりと張り付く制服の下では肩や背中が逞しく盛り上がり、男である事を嫌でも意識させられる。  
オレの腕や足には同年代の女を遥かに上回る筋肉がついている。しかし、女らしさは隠しようがない。  
胸も大きい方だ。  
「───」  
男と女の違い。  
急に恥ずかしくなって滝川に背を向けた。  
「早く止んでくれりゃいいな」  
苦し紛れの独り言まで吐いてしまう。  
らしくない。そうは自覚していても、羞恥心は消えてくれない。  
「田代」  
跳ね上がりそうな身体を捻じ伏せ、そっけない態度を演じた。  
「何だよ?」  
「今日は、ごめんな」  
「………馬鹿。謝る事じゃないだろが」  
 
今日のスパーリングで鳩尾にいいのをもらってしまった。  
滝川はオレの猛攻を凌ぎ切って、短い呼気と共に正拳突きを叩き込んだ。  
一瞬、息が出来なくなった。すぐさま追い打ちをされていたら、多分倒されていただろう。  
それをしなかったのは単なる甘さだ。  
「次はちゃんと止めを刺せ。戦場じゃ、命取りだぞ」  
「解ってる」  
雨の音だけが暫く聞こえ、唐突に滝川は言った。  
「な、面白かったか?」  
オレは背を見せたままだ。滝川の顔がどんな風になってるかは確認出来ない。  
ま、いつもの半笑いだと思うけどな。  
「おうよ、久しぶりな」  
「じゃ、次はもっと面白い所、連れて行ってやるぜ」  
妙に重さを感じる言葉だったが、オレも同意していた。  
「期待してる………じゃあな」  
小降りになった雨の中をオレは走る。  
頬の熱さは中々消えてくれなかった。  
 
*  
 
昼飯を食い終えた頃、召集がかかった。  
会議室に小隊の全員が集まり、司令が政府から派遣された男を紹介する。  
皆と同じで余計な人間を現場に連れて行くなんて馬鹿のやることだと思う。  
が、命令だ。それに出撃前の混雑が減るならばと強引に納得させた。  
解散の雰囲気になりかけた直後に、出撃の命令が下された。  
ばたばたと走り、トレーラーの運転席に腰を降ろしてからエンジンをかける。  
そしてハンガーのすぐ傍に止めつつスイッチを操作。  
荷台を展開させすぐにでも士魂号が乗れるようにしなければならない。  
助手席側からも原、森が乗り込む。  
原が目の前の通信機を操作し、指揮車からの連絡を聞けるようにした頃には、ずしずしと  
士魂号が歩いてくる。  
 
ずぅん、と車体が揺れ、通信機の傍にあるランプが点灯した。士魂号の固定が完了したのだ。  
「今日はどこまで行くのかしら?」  
原が軽くスピーカーを叩くと、数瞬のノイズの後に司令の声。  
『通達。敵の出現位置は、───』  
事実だけを述べる声が流れ出す。結構遠くだが、担当戦域である以上は文句など言えない。  
『全車発進』  
指揮車が走り出した。オレもアクセルを踏み、重いトレーラーを動かした。  
 
暫く走って郊外に向かう。  
民家は全く見えない。窓には青々とした緑だけがあった。  
片側二車線の道路は新しく、奇跡的にもこの一帯で戦闘が行われなかったことを示している。  
さらに走り、車線が減った後に通信が入った。  
『左前方のドライブイン跡地に停車。士魂号三機は徒歩行軍に移る』  
言われるままにトレーラーを止め、車体の揺れが収まる前に士魂号が降りる。  
ドアミラーを見ると、他の二機、二番機と三番機も降ていた。  
潰れたドライブインの駐車場は大きく、トレーラー四台がすっぽりと納まるだけの広さがある。  
三機の士魂号を追うように指揮車が走り出した。  
「ふぅ……」  
小さな溜息が出る。  
緊張からの解放なんかじゃない。  
オレも駆けて行きたいという衝動を吐き出す為のものだ。  
本当に、いつになったら生きている瞬間に出会えるんだろうか。  
「………」  
沈黙が狭い室内に満ちている。  
他のトレーラーも一緒だろう。通信機から入ってくる指示を一瞬でも早く聞き、対応しなければ  
ならないからだ。  
弾層の準備や機体の応急手当、場合によっては戦場に近づく事もある。  
ぼ、ぼぼん。  
やがて、遠い轟音が耳に触れた。  
これは……ジャイアントアサルトか。  
 
『二番機、ナーガ撃破』  
『三番機がゴルゴーン撃破なのよー』  
スピーカーからは撃破の報告だけが伝えられる。士魂号は全く無傷らしい。  
その後も撃破は続いている。オペレーターの声にも緊張は感じられない。  
雑魚ばかりという出現報告は本当だったようだ。この前はずいぶんと食い違う敵と当たったものだが。  
ふと正面を見ると、若宮と来須が戻ってきた。  
窓を開けてオレは訊いた。  
「どうした?」  
「トレーラー付近で待機、命令だ」  
この二人ならば強力な不意打ちがあっても時間稼ぎくらいは出来る。  
司令らしい抜け目のない作戦だ。  
『────』  
スピーカーが黙る。  
声の代わりに、凄まじい緊張感が広がっていく。  
「……何だ?」  
ただ事ではない。  
スカウト時代に身につけた勘が危険だと訴える。  
腹の底がきりきりと固まる感覚。  
『新型、だよな?』  
『だったら良かったんだけどね』  
滝川と速水の会話だ。  
二人とも異常なまでに声が硬い。  
新型か、との疑問には完全な否定。これほどに慎重にならざるを得ない相手とは、何だ?  
『アサルトは通じないな、ありゃあ』  
『……だね。バズーカ取ってきてくれる?』  
『近接戦なら、私の出番ですね』  
『待て。連携を怠るな。各個撃破されるぞ』  
二番機が乗っていたトレーラーからばたばたと音がする。  
開いた荷台から巨大な筒がはみ出した。  
『既に察しているかと思いますが、………』  
 
どんな犠牲を払ってでも倒せ。パイロットの命すらも犠牲にしろ、という馬鹿げた指示が  
室内を冷やす。  
どんな敵だ?新型じゃないのか?  
見た事があるのに、何で最強の敵だと司令は判断したんだ?  
ぶるりと原の身体が揺れた。  
「まさか、なんて、事を………っ!」  
間違いなく怒っている。充血した目は通信機を睨み、歯を食いしばっている。  
一体なんだというのか?  
訊きたいけど、そんな雰囲気じゃない。  
原の隣にすわる森もオレと同じように困惑している。  
は、と何かに気付いたように視線が泳いだ。  
「そ、んな事が………?」  
「そうよ。絶対、そうよ!」  
原は律儀にも答え、ばしんとスピーカーを叩いた。  
物にあたるなんて初めて見る。整備班の班長ともなれば、どんな理由でも物を粗末には出来ないはずなのに、  
こうして八つ当たりをしている。  
怒りの理由は見当もつかない。  
「森、何なんだよ?」  
原と同調するように怒りが顔に広がり始めた。  
ここから見えない幻獣を凝視するように、フロントガラスに視線を送っている。  
「士魂号が、幻獣に、乗っ取られたんです」  
馬鹿な。  
「………、けどよ、可能なのか?」  
「『きたかぜ』だってやられてるでしょう。連中だってずっとそのままじゃない。  
 士魂号が乗っ取られるのは時間の問題だったのよ。何で、考えなかったのかしら……っ!?」  
だが、しかし。  
「班長、まともに動いてる人型戦車って、ここだけだろ?」  
「………ちょっと前に、他所でも士魂号M型だけで構成された隊が出来たって噂、本当だったのよ。  
 その隊は全滅して、こうして敵になって出てきた。それしかない」  
硬く握られた拳が原の膝上で震えている。  
 
原は人型戦車の開発に関係していた。それだけに、悔しさは相当なものだろう。  
『……レ…ラー!そこにバズーカ置いて逃げろ!』  
滝川の声だ。  
『新手だ!そっちを狙ってるぞ!来た道を戻れ!スカウト二人も一緒だ!』  
ずしずしと士魂号の足音が大きくなっていく。間に合いそうだが、念のためだろうか。  
若宮と来須も手伝い、二番機のトレーラーから突き出ていたバズーカが地面に降ろされる。  
『くそ、こんなに速かったのかよ!早くしろって!目の前だぞ!』  
前?  
空中に、真っ赤な塊が浮かんでいる。  
白い二番機じゃない。派手な音とともに、それは着地した。  
「────!」  
二番機じゃない。一番機、三番機でもない。  
深紅の人型戦車、いや、『元』人型戦車だった。両腕には超硬度大太刀がぶら下がり、  
装甲を限界まで削ぎ落としたシルエットは細いの一言につきる。  
決定的に違うのは匂いすら感じられるような有機的、生物的な脈動を見れる事だ。  
どくどくと全身に血管が浮き出ている。ヘッドカメラの代わりに大きな目が張り付いている。  
生物でも機械でもない、あの世の住人に見えた。  
「田代さん!」  
叱咤の声でオレは自分を取り戻す。  
積まれている部品を吹っ飛ばすように急旋回。  
「くっそぉ!」  
ゆっくりと幻獣は歩み寄って剣を振り上げ、突如飛び下がった。  
幻獣の足元に、大きな弾丸が次々と穴を開ける。  
『どけえええええ!』  
滝川の雄叫びが身体を揺さぶった。  
その時には車体は旋回を終え、ドアミラーの隅にかろうじて士魂号が映っている。  
「………くそっ!」  
もっと見ていたい。手助けなんて無理なら、せめて応援でもしてやりたい。  
心の熱がそのまま右足に乗ってしまい、ペダルを深く踏み込んでしまう。  
『うおおあああ!』  
アサルトが連続で火を噴いているのが聞こえる。  
 
逃げる事も応援を待つ事も許されない戦いなんて初めてのはずだ。  
やれるのか。  
やり遂げる、と信じる事がどうしても出来ない。  
『よーし、こっちだ!』  
二体の足音が遠ざかり、通信機の感度も若干下がる。  
指揮車と他の士魂号の通信は届かない。随分と遠いところで戦っているらしい。  
「田代さん止めて。ここでUターンして待機」  
「了解っと」  
広い交差点は大きい車体でも十分に旋回する事が出来る。  
信号はのん気に青から黄に灯りを移動させ、決死の雰囲気を和ませようとしているみたいだ。  
しかし、スピーカーからの音声が許さない。  
一際高い金属音が響く。  
『ひとの物を蹴飛ばすなっての、この野郎!』  
バズーカを取り損ねたのか。  
決め手が遠く離れたのに、滝川は冷静さを失ってはいない。  
『なんて速さだよ、ったく………うおっ!』  
ごうっ!  
至近距離を刃がかすめた突風に違いない。  
その間合いは絶対に不利だ。  
オレが教えた通りに動け、馬鹿!  
がきんがきんとジャイアントアサルトが弾切れを訴える。  
『弾倉、交換、のふりだよ馬鹿!』  
直後、鈍い爆裂音。  
オレが仕込んだ正拳突きが入った!  
『今のうちに、真正面から戦える所………っ!』  
そうだ。お前は下手糞なんだから、場所を選べ。  
足場がしっかりしていて、真正面から戦える場所を探すんだ。  
がさがさと枝を掻き分ける音が混じる。林の中か。それなら幻獣の持つ大太刀も上手く振れないし、  
とんでもない回避力も鈍るかもな。  
 
弾倉交換を終わらせていたらしく、発砲音が再開した。  
『……、こっちと同じだな、装甲は薄い。どこに当たってもダメージになる』  
なら、さっさと倒せ。  
木を叩き割る不快な音が続く。大太刀が次々と乱立する木々に衝突しているようだ。  
『よっし、ここなら得物なんて邪魔だろ。こっちは撃ち放題だぜ!』  
景気のいい声だ。調子よく攻撃が当たっているらしい。  
しかし、安心していられたのはその時だけだった。  
………勝てよ馬鹿!  
 
逃げ場なんて、………何だよそりゃあ!発砲。発砲。木の葉が擦れる音、音。  
太い風きり音。くそ、滅茶苦茶、うおっ!足音走る音発砲。サルかお前は!  
人は地面を走るもんだろくそ!地響き金属音木が震える音機体が転がる音。  
オオオオオ!風きり金属音。痛ぇなくそぉ殴打衝突落下音、発砲発砲さっさと  
死ねよ馬鹿発砲跳躍、跳躍音。ぬ、あ!足音衝撃音かすり傷だろ馬鹿発砲音。  
静寂。何だ?落下音考えるもんだなくそう飛来音飛来音落下音葉擦音発砲音  
弾倉交換音、発砲発砲。確か、こっちだったよな走行音木が割れる音。  
ゆっくり探させろよお前!発砲落下走行音。風きり音風きり音。どこ行きやがった、  
しまったアアアアア!衝撃衝撃音警告わあああ本機は重大な損傷離せこの野郎  
衝撃音警告音グハハハハちくしょおおお!至急脱出あああアああアアあああアアアア!  
繰り返される呼吸。………ごめんな。爆発音。  
 
「──っ!」  
勝てよ馬鹿!何か言えよこの野郎!  
スピーカーからは耳障りなノイズしか聞こえない。  
通信機はコクピットに収まっている。それが壊れて機能を失う事態なんて、ひとつしかない。  
目から血が滲みそうなくらいに音源を睨んでも、滝川の声は復活しなかった。  
──滝川が、死んだ。  
「てめぇええええ!」  
がつんとハンドルを殴り、それでもぐちゃぐちゃの感情は燃え盛る一方だ。  
「………くそお!」  
 
もっと面白いところに連れて行くって約束はどうした。  
お前がいないんじゃ、どこ行ってもつまんねーだろ。  
もっと殴らせろ。もっと射撃の秘訣を教えろ。  
もっと、オレと居ろよ!  
あいつの事で頭が一杯になる。逃げられない。目を閉じ耳を塞いでも、滝川の姿は消えないし声も次々と  
聞こえる。  
「っ!っ!──っ!」  
狂ったようにハンドルに額を押し付けて耐えた。ざっくりと心が欠けた痛みと、  
欠落したモノの重さと、それが戻らないという現実の冷たさに。  
ちくしょう、ちくしょう!  
今すぐ戻って来い。オレの前に出て来い。そして、文句をありったけ聞かせてやるから、帰ってこいよ!  
『………ぃ、聞、……るか、トレーラー!』  
驚きながら通信機に目を向けた直後、沈んだ室内に安堵の空気が満ちた。  
戦闘は終わっていないのに、こんなにもほっとしたのは多分初めてだろう。  
『予備機で援護に向かう!早く来てくれ!』  
四台目のトレーラーが物凄い勢いで走っていく。  
「田代さん、行きましょう!」  
返事もせず、オレは車体を動かした。  
 
*  
 
「ふー………」  
外された士魂号の部品をハンガーの棚に置いて一息つくと、いつからか居た司令がオレに声をかける。  
雑務からの解放で、いつもの冷たさは随分と和らいでいるようだ。  
「今日はご苦労様でした。田代さんを明日からスカウトに配属します」  
──やっと、か。  
こみ上げるのは嬉しさばかりじゃない。オレがスカウトになった最たる理由は、現役の怪我にあるんだからな。  
「あいつら、どのくらいかかるんですか?」  
「早くて二週間、遅ければもう一週ほど延びるそうです」  
頑丈さでは他の追随を許さない若宮と来須。二人ともが大怪我をした今日の戦い。  
同時に思い出される出来事。  
 
「………で、どうするんですか、あれ?」  
あえて固有名詞を出さずに尋ねる。  
司令は不味いものでも食ったような顔をして答えた。  
「まあ、仕方ない、というところですか。今日中に居なくなると言ってましたし、あの人の提案も  
 妥当なものです。結局は私も同じように処理したと思いますよ」  
確かにな。  
オレでも強引に隠蔽しただろう。どう足掻いても合理的な説明なんて不可能だし、  
出来たとしても上は信用しない。余りにも突飛でつかみ所のない報告なんて一蹴されるだけだ。  
怪しいと思わせ、それ以上の追求もさせない方法を取るしかない。  
この辺の案など思いつきもしないけど、司令は何とかしたようだった。  
「しかし……射撃が出来るようになってましたね。少々驚きました」  
どう思っていたのはか訊くまでもないか。  
冷たさが若干増した視線を正面から跳ね返し、言う。  
「変わらずにいられる人間なんていませんよ、司令」  
今日でそれを思い知らされた。  
オレの本心はどうなっていたのか。意識して目を背けてきた感情が、どれほどに成長していたのか。  
滝川の存在が、どういったものに豹変していたのかも。  
「………、そうですね。人間は変化し続けるものですからね」  
司令も頷いて同意する。  
背中から原の声が響いた。  
「今日は終わりにしましょう。皆、お疲れ様」  
振り返る。全ての士魂号に修理不能な部品だけが張り付いている。  
明日には全機が新調される。こいつらとはお別れだ。オレ自身はそれほど手をつけていないけど、  
そこそこに感情を持っていたらしく、正直に言えば惜しい。  
他の整備員も似たような心境だろうか、それぞれが複雑な面持ちで担当の巨体を見詰め、ついには諦めた。  
背を向けとぼとぼと歩き出す。  
………オレも帰るか。  
寂しさが背中を押し、顔だけ振り返らせても離別の言葉は出なかった。  
 
*  
 
ドアを開け、中に入る。  
三つの鍵はそのままだ。普段ならすぐにでも締めるところだけど、その必要はない。  
──ったく、根性なし。  
制服を脱いで壁にかけ、ラフな普段着に着替えた。  
ぼふ、とベッドに腰掛ける。  
……、なに迷ってやがる。  
『がちゃり』  
ドアのノブが回った音。き、と蝶番が軋む音も続く。  
立ち上がり、玄関に向かうと、予想通りに滝川が居た。俯いて、言葉を探しているように見える。  
「……」  
鍵を開ける前からずっと見ていたのは知っている。声をかけやすいようにゆっくり歩いて、ポケットを  
探る時も時間をかけた。  
ま、オレも似たようなもんだ。さっさと言ってやれば良かったか。  
手を握り締め、何かに耐えるように沈黙し続ける滝川。その様子を見ているだけで、オレの中で様々な  
感情が混ざり、鮮やかな発色を創り出す。  
見たことがない色だ。とても綺麗で、身を投げ入れたい衝動に駆られてしまう。  
適当な言葉を出せないのはオレも同じだ。  
促す場面なのか。待つ場面なのか。  
「…………」  
「……、礼が言いたくて、来たんだ」  
搾り出すような言葉は未だに下に向いた口から。  
身体が焼けつくように熱い。  
「あのさ………」  
今度こそ、滝川はオレを見据えて言った。  
「こうしていられるのは、田代のおかげだ。本当にありがとう」  
力強い音だった。  
全く──随分と、男らしくなりやがって。  
 
「馬鹿野郎」  
叱咤と同時に滝川を抱きしめた。  
実感する。オレよりも貧弱な体格で、どうしてこんなにも──男だと意識させるのか。  
乱暴だった腕からだんだんと力が抜けて、オレらしくもない優しい抱擁になっている。  
「心配させるな、馬鹿野郎」  
滝川の手も腰にまわってくる。抱き寄せる、というよりも添えるに近い感触がオレのガードを  
外していくのが解った。  
本当にらしくない。いつまでも続けと願わずにいられない。  
「うん、悪かった」  
全身が加熱される感覚。たまらない。  
大事な物を失いかけた時の感情が思い出され、それを打ち消すような時間が流れる。  
胸元には滝川の頭が埋まっていて、………普通は逆だろうに。  
でも、嫌じゃない。  
「俺、………」  
上を向いた顔には強い決意が漲っていた。  
つられるように心臓が高鳴り、来るであろう言葉を無言で待った。  
「俺、田代に惚れてる。好きだ。──田代は、どう思ってる?」  
やっぱり、か。  
いい加減認めるか。オレも、こいつの事が好きらしい。  
だけど、  
「聞きたいか、滝川」  
「聞きたい」  
オレが納得出来ない。こんな所で、こんな格好で言うにはあまりにも惜しい。  
だから。  
「だったら、もう少しだけ強くなって、男らしくなって見せろ。  
 そんときゃ、オレも少しだけ女らしくなってるんだからな」  
男女として付き合うには、オレも滝川も変わらなきゃいけない。  
ちゃんとした繋がりを創る為には不可避な事だと思う。  
 
滝川にもその意図は伝わったらしく、真っ直ぐな視線をオレに向けている。  
「………、じゃ、明日からもよろしくな」  
「ああ。何があっても死なないように鍛えてやるぜ」  
色気もなにもない会話は、とても自然な笑顔で交わされていた。  
腕を解き、身体を離してがっちりと握手する。今の関係で一番似合う触れ合いはこの辺りだろう。  
「──────」  
「………………」  
くそう、やっぱり、この先に進みたくてしょうがない。  
動き出そうとする身体を止めるようにオレは言った。  
「じゃあな」  
「ん、また明日な」  
いつもの半笑いを見せ、滝川が出ていた。  
手の温もりが一瞬毎に冷めていく。  
「……ま、こんなもんだろ」  
第一歩を踏み出せただけでも良しとしようか。  
女らしい格好か……。  
誰に相談すりゃいいんだ?原はなぁ……何言われるか解らないし、ありもしない嘘なんかを  
広められたら厄介だ。パス。  
となりゃ小杉か、田辺か……。いつかはこの事が漏れるだろうが、その時はその時だ。公言しよう。  
「ふん、行けるところまで行ってやるか」  
終戦後に訪れるだろう二度目の人生への不安はきれいさっぱり消えていた。  
戦争なんてさっさと終わらせて、あいつと一緒に遊んで、楽しむ。  
明確な目的が出来た。もう迷う必要なんてない。  
らしくないと思いつつ、今固まったばかりの気持ちを手にする事にした。  
 
終  

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